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登録リスト(該当:98件)
≪
1
≫
写真
タイトル
説明
登録日
1
3D木落社
諏訪神社摂社の一つで、名のように御柱木落としの坂の脇に祀られている。
2024-06-11
2
天白社
諏訪大社春宮のお膝元である下ノ原(しものはら)には、その春宮さまより先にまず天白(てんぱく)さまにお参りするという風習がある。 下ノ原では天白神社を産土(うぶすな)神としてまつり、造営や祭事に奉仕してきた。
2024-05-21
3
敬愛社の御柱2
7年目ごとに行われる大祭。申と寅年の10月に執り行われる。以前は丁使番の家を宿としていたが、昭和43年から宝光院で行われるようになった。 白鷺稲荷の御位をはじめ、一山の諸神諸仏の像、掛け軸、法具等を山伏姿の講員が奉持し、数十人の行列を整えて宝光院を出発、法螺貝を先頭に区内を一巡して白鷺山に登り、山上で柴灯護摩を焚いて祈願する。なお白鷺稲荷、石尊大権現、宝光院の弥栄富神社など主な社には御柱を建てる。
2023-09-29
4
敬愛社の御柱
7年目ごとに行われる大祭。申と寅年の10月に執り行われる。以前は丁使番の家を宿としていたが、昭和43年から宝光院で行われるようになった。 白鷺稲荷の御位をはじめ、一山の諸神諸仏の像、掛け軸、法具等を山伏姿の講員が奉持し、数十人の行列を整えて宝光院を出発、法螺貝を先頭に区内を一巡して白鷺山に登り、山上で柴灯護摩を焚いて祈願する。なお白鷺稲荷、石尊大権現、宝光院の弥栄富神社など主な社には御柱を建てる。
2023-09-29
5
宝光院落成
大正9年、19坪(63㎡)の道場「宝光院」を造築した。 それまでは講頭や社長の家で修業や祭事を行っていたものである。
2023-09-23
6
白鷺山
正平年間(1350年代)下の原村の北方にある千鳥の山の中央の岩が燦然と光るので苔を払ったところ不動の2文字が現れ、村人は不動明王が姿を現したとして崇めたと伝えられている。そののち宝暦のころ白鷺が巣をかける兆しがあったので以後白鷺山と呼ぶようになった。敬愛社は修験道の伝承を今日に伝え活動をしているが、白鷺山中央の岩に不動の2字を刻んで本尊とし、その岩上に石尊大権現の小祠を祭って崇敬していた。安永6(1777)年下の原村の旧堂に奉詞していた石尊大権現の御社を白鷺山に遷座した。
2023-09-20
7
継子神6 社日祭当番帳
継子神を祭る吉澤巻で保管している社日祭当番帳。大正4年から今に引き継がれている。
2023-04-01
8
継子神5 掛け軸
継子神を祭っている吉澤巻に伝わる掛け軸
2023-04-01
9
継子神4 神紋梶の旗
年例祭では織とともに神前に掲げられる「神紋梶」の御旗一流。これは諏訪大社から下賜されたもので、きわめて異例のことである。ゆえあって民間祭祀となっているが、この一事は 、継子祭祀の本源がいかに至尊のものであるかをうかがわせるに十分だろう 。
2023-04-01
10
継子神3 幟
継子神の年例祭はおよそ春の社日(春分に近い 戊の日)とし 、一門相寄り執行され、大きな幟が飾られる。写真は吉沢家のベランダで虫干しした時の写真で、「奉納継子神社大正15年初冬日 願主」「奉納愛宕神社大正15年初冬日 願主」とある。
2023-04-01
11
継子神2
継子神祠は、かつては奥城( 古墳)跡といわれる地にあり、原氏一族によって塚守されていたという。いつしか祭祀が途絶え 、その後、有縁の吉沢巻一統によって復興された 。神座は100メートル西に遷され、継子神祠として奉斎されている。「諏訪大神の信仰」宮坂喜十によれば、矢木崎の八杵命(やきねのみこと)の俗名が継子神であるという。(継子神1を参照)
2023-04-01
12
継子神1
継子神祠は、かつては奥城( 古墳)跡といわれる地にあり、原氏一族によって塚守されていたという。いつしか祭祀が途絶え 、その後、有縁の吉沢巻一統によって復興された 。神座は100メートル西に遷され、継子神祠として奉斎されている。「諏訪大神の信仰」宮坂喜十によれば、矢木崎の八杵命(やきねのみこと)の俗名が継子神であるという。
2023-04-01
13
道祖神
鷹野踏切近くある「文字碑」の道祖神。 大正11(1922)年11月20日と昭和6(1931)年1月30日の造立の碑。 正月14日の道祖神祭や七年に一度の小宮祭では町民でにぎわっていた。
2022-01-24
14
祝神稲荷社
富部村本郷に祀られた、村内・宮坂巻の「祝神(いわいがみ)稲荷社」。 昭和61(1986)年の御柱祭の後不慮の禍で無残に倒壊折損した。 鳥居には長い由緒があり、富部村中のの信仰に深いつながあった。
2021-12-23
15
石尊大権現
この碑は現在秋宮駐車場横にあるが、以前は秋宮境内にあった。祭神は雨乞いに格別効果のあるという大山祗神でご神体は石劔といい古くから石尊大権現の名で知られていた。
2021-12-23
16
藤森稲荷社
富部稲荷平にある小和田村藤森巻祝神の稲荷社で「小和田のお稲荷さま」と呼び富部村の人々に親しまれていた。 高島藩の藩主より諏訪湖の漁業とこの辺りを網干場として拝領し、藤森巻20軒ほどの守り神として稲荷社を祀った。 今は小和田の所有の畑はないが社は藤森巻で祀っている。御柱祭も旧慣にしたがい湖上を舟で曳いてくる。
2021-12-23
17
武居祝家のかり墓
諏訪明神の神官には「物忌令(ぶっきれい)」という厳しい掟の為、式年の御柱年に一族に不幸があった場合は家塁代(るいだい)の墓には納めず引導もせずに、かり墓に入れ穢れがないものとして御柱祭に奉仕し、その後本墓で本葬を営むことなっていた。その墓はごく狭くわずかに弓を回した内と決められていた。ここは、大祝、武居祝金刺氏のものだ。墓の場所は富部上の字「角石(かどいし)」にあり、今は荒れ果ててしまった。
2021-12-23
18
新町下の津島社
花見新道の上、真澄神社と並んで津島社が祀られている。牛頭天王は水神として信仰されていたが、やがて素戔嗚尊とされ、災害や疫病を起こすモノノケの祟りを鎮める神として祀るようになり、その祭礼を夏季に行うようになった。
2022-03-24
19
春宮境内の子安社
案内板には「子安社 御祭神・高志沼河媛命(コシノヌナカワヒメノミコト) お諏訪さまのお母神である高志沼河媛命をお祀りする。昔からお産の守り神として親しまれ、底の抜けた柄杓は水が通りやすいようにお産も楽にと願いを込めて奉納されたものである・」と紹介されている。高志は越で、糸魚川の神様で、かつては翡翠の原産地をおさめていたと伝えられている。このためか大社ではおみくじに従来の御籤とは別に「翡翠みくじ」という名前の御籤が置かれるようになった。神社も少しずつ変化している。
2022-03-24
20
春宮境内の御宝殿用材
諏訪大社の神様は、諏訪大社式年造営御柱大祭、いわゆる御柱年に修築の神殿にご遷座になる。この建築用材は下諏訪町東山田地区が奉納することになっていて、写真はその御用材の一部が春宮境内に展示されているところである。室町時代の記録では、新築の宝殿を7年間風雨にさらし清めてから遷座し、旧殿を解体新築、また7年を経てから遷座、という形式だったとされているが、江戸時代に入ってから新築した建物にご遷座するように変わったという。
2022-03-24
21
下馬橋
御手洗(みたらし)川に架けられた屋根付きの反り橋で、その形から俗に太鼓橋ともよばれる。天正(1578)年の造営帳に記録があると言い、元文年間(1736~41)に修築したと伝わる。切り妻造りで簡素な内にも力強さを具えている。下社の内で最も古い建造物とされている。昔はここで下乗・下馬・籠や馬から降り、身を清めて参拝した。大社の遷座祭の時には、神の御神輿に限ってこの橋を渡る。現在は一般庶民が堂々と車に乗って昔の参道を行く姿を見ると時代の流れをつくづくを考えさせられる。
2022-03-24
22
御射山神社
中世における諏訪明神最大の祭りは、8月27日を中心とした御射山祭だった。霧ヶ峰の一角、八島高原の東に続く旧御射山で祭事が行われ、信濃・回の武士は言うに及ばず、鎌倉幕府はじめ各地の武将たちが集まり神事の後武技を競い合った。旧御射山社前にその競技場跡があり、土段の桟敷席が残っている。しかし社が遠距離の所にあり道も険しく不便と慶長(1596~1615)の頃、秋宮から4キロの武居入りに遷座したのが現在の御射山社(写真)である。御射山祭は今、幼児が洲小山に育つことを祈る祭りとなり、8月26・27日の例祭には2歳の幼児とともに参拝するのがこの地の習わしになっている。 写真下は同じ境内にある大元尊社である。
2021-12-26
23
神明館・神明社
神明館については№1173を参照していただきたい。神明館入り口に祀られている「神明神社」は大正12(1923)年に区民の寄付によって建立し、毎年10月10日を例大祭としている。なお、神社前には道祖神も建てられている。そもそもこの地区は「流れ」と呼ばれた砥川・鋳物師川・福沢川・十四瀬川の洪水常習地帯で、住宅ができたのは明治9(1876)年からで特に明治23(1890)年現国道20号線が開通してから戸数が増えてきた。新しい街だからこそ神明社は大事に守られてきたのだと思われる。
2022-03-19
24
三区津島神社
平成元年の三区青雲館の祭りの様子が紹介されている。ここは昔行屋があった所で、諏訪八十八カ所の第五十四番札所にあたり、青雲閣とよばれていた。明治初期は集会場として使われていたが、明治26(1893)年に青雲館を建て、当時としては大変大きな集会場であった。その青雲館の南横にこの津島神社が祀られている。同じ敷地内には菩薩立像や大威徳天神碑、武井半嶽紀徳碑などが置かれている。
2022-03-19
25
若宮神社(五官)
諏訪大社下社の末社の一つ。祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)と八坂刀売命(やさかとめのみこと)との御子、十三神、天照皇大神が合祀されている。鎮座のはっきりした記録はないとされている。明治5(1872)年11月、社格を村社とされた。社殿のすぐ下に鎌倉街道が通っていたと伝えられ、整備が地元の有志によって進められている。 写真上は社殿、写真下は旧甲州海道脇に立つ若宮神社入り口の石標である。
2021-06-03
26
お祭りと子ども
祭りの記念写真、大人は着物姿の正装、 子どもたちは祭り支度で長持ちの杖を持っている。 御田町劇場前での撮影。
2022-06-12
27
水戸浪士25年祭
浪人塚(水戸浪士の墓) 元治元年(1864)11月20日水戸浪人(天狗塔)の総勢千余名が、和田峠で、待受けた松本・高島藩士と争い、多数の死傷を出した。写真は水戸浪士25年祭。中央の日の丸の後方が浪人塚で、まだ木は大きくなっていない。
2022-03-19
28
お舟祭り
遷座祭の柴舟が下馬橋横を移動中。
2021-10-28
29
小宮祭
昭和31(1956)年秋の清水町小宮祭の一連の写真。
2022-01-13
30
お舟祭り
お舟祭り柴舟曳行の風景。
2022-01-06
31
お舟祭り
夏の遷座祭(お舟祭り)、下諏訪駅前の広場で騎馬行列が勢ぞろいしての記念撮影。第一区・第三区の騎馬が一緒に写っているのは珍しい。後ろに見える駅前の大鳥居は明神型の鳥居で、昭和25年に御柱の古材を使って建て替えられたもの。この鳥居は昭和31年ネオン塔に取り替えられた。「広瀬町誌」には昭和33年の写真と記載されているが、民聲新聞等を調査した結果、33年にはすでにネオン塔になっていることが判明した。
2021-05-03
32
長持ちコンクール特賞記念写真
「特賞 御柱祭協賛長持ちコンクール 南進日々新聞社」記念写真。法被から東町連の皆さんと思われる。
2022-06-08
33
長持ち・花笠記念写真
「31,5,11 御柱祭記念」、長持ち・花笠勢揃い。
2022-06-08
34
御柱山出し
山出しの曳き出し風景。 下諏訪町のはっぴを着ている人々、はっぴの色は青に変わる前の時代。 秋1または秋3の柱と思われる。
2024-04-21
35
元綱作り
四王地区の藁から作る御柱用元綱づくりの様子。
2023-03-03
36
第三区騎馬勢揃い
無形文化財第三区騎馬勢揃い。
2022-05-08
37
綱打ち
「諏訪大社御柱祭秋一御柱元綱」四王区綱打ち。 昭和25(1950)年以降、同地区は秋宮一の女綱づくりを担当しているが、近年は稲作農家が減少し、稲刈りにコンバインが導入されたため、稲わらの確保が困難になっていた。そこで安定してわらを確保するため。平成21、09(2009)年に同会を発足。御柱祭のたびにわらを供給している。同会によると、既製のわら縄ではなく、稲わらを使って綱を打つのは同地区だけだという。背丈の高い「関取」という品種で、刈り取った稲は、十分に天日干しした後に脱穀し、わらは田んぼ横のハウスで保管。同地区綱打ち委員会の手に委ねるという。
2022-05-12
38
お舟祭り
遷座祭の柴舟が春宮の鳥居を出て秋宮に向かう様子。柴舟に下原・大社の神紋がついたちょうちんが飾られている。氏子の服装が現在の揃った姿とはだいぶ違う。
2021-11-03
39
秋宮境内の犬射馬場石碑
「當社之犬射馬場(とうしゃのいぬいばば)」と刻まれている。 犬射馬場石柱が下社秋宮境内の秋宮一の柱の脇にもある。犬射馬場とは大祝の居館(神殿:ごうどの)につづく錬武の場であり、「諏訪大明神絵詞」にもお舟祭りの後に馬場で犬追物をして祭りが終わったことが記されている。馬場(ばっば)の名称としてその名残を留めその四囲にも石柱が残されている。
2020-03-06
40
峰見薬師堂
東山田地区には峰見薬師堂(増沢マキ・宮坂マキ)と西浦(裏)薬師堂(山田マキ)があり、マキによる講のお堂で春秋の彼岸に講中が集まり念仏講を唱え祭りをしている。写真は西裏薬師堂である。西裏薬師堂は茅葺き高床式の厨子内に江戸時代と思われる朔像の医王薬師如来両脇土が立ち、他に弘法様2体、絵馬「め」は眼病の救済に崇められた。山田マキの墓地内にある。
2020-03-06
41
遷座の列
鉾(ほこ)を持って遷座の列を作る白丁奉仕の皆さん。2月1日と8月1日の年2回の奉仕。鉾の列の後ろに奏楽の列が続く。諏訪大社春宮を出発した直後の様子。
2021-04-15
42
遷座祭
遷座の列を先導する白丁奉仕の氏子の皆さん。その後ろに赤く塗られた鳥居が飾られた御正台(みしょうだい)がつづく。御正台は大御正台と小御正台があります。さらにその後ろに錦をかけられた御霊代(みたましろ)を遷した神輿が続きます。
2020-03-06
43
遷座祭
春宮から秋宮へ祭神を遷座するお舟祭りの巫女行列、稚児行列の様子。
2020-03-06
44
時代行列
春宮から秋宮へ祭神を遷座するお舟祭りのでのひとコマ。「金刺盛澄時代行列」8月1日にあわせて行われたイベントで現在は行われていない。
2020-03-06
45
お舟祭り
大正から昭和初期のお舟祭の柴舟と胴棒が見える。 大人も子どもも着物を着て祭りに来ている。 右手の建物は青雲館。
2020-03-06
46
お舟祭り
お舟祭。そろいの格子柄の長持ち衣装を着た人々。長持ちの箱には下社の神文(カジノ葉)をあしらったもの(下社のカジノ葉は根の部分が5つ)見える。
2020-03-06
47
お舟祭り
お舟祭、長持ちに「一宮御用 小口」の文字。そろいの法被はみな丈が長い。
2020-03-06
48
お舟祭り
お舟祭の風景。右手の建物に旗がたち長持ちや和服姿の人が見える。
2020-03-06
49
お舟祭り
お舟祭。春宮下馬橋より少し下がったあたりを曳いている。(写真)左上に下馬橋の屋根が見える。曳き綱の先の細い綱が氏子の人々の間から見える。当時の人々の服装がよくわかる。
2020-03-06
50
お舟祭り
お舟祭。「来八月一日午後一時より執行遷座祭並例祭・官弊大社諏訪神社社務所」の立て看板が見る。
2020-03-06
51
お舟祭り
お舟祭。大正5(1916)年12月12日に諏訪神社が官幣大社に昇格したときの標柱が見える。このころはまだ参道は石畳であったことがわかる。 「写真が語る下諏訪の百年」117pの写真と同じころの撮影と思われる。
2020-03-06
52
お舟祭り
8月1日の遷座祭、長持の列がねり歩く、お舟祭。民家の屋根は鉄平石をふいたり、石置き屋根が多い。
2020-03-06
53
内御霊戸社
諏訪大社の祭事にあたっては内御霊戸社(うちみたまどしゃ)次に外御霊戸社(そとみたまどしゃ)そして御室社(みむろしゃ)を巡拝した後、本社を拝する習わしとなっている。この写真は内御霊戸社。
2020-03-06
54
魁塚
赤報隊幹部処刑の地、魁塚。慶応4(1868)年、江戸城後略の「官軍先鋒嚮導(きょうどう)隊」の旗を掲げて下諏訪宿入りした「官軍赤報隊」は東山道軍総督から偽官軍の烙印を押され、捕らえられた相楽総三ら幹部8人は3月3日、下諏訪宿外れの「はっつけ田」で斬首された。 魁塚正面中央の碑が相楽以下8人の墓碑、向かって左に渋谷総司贈従五位の碑、その隣が追分坂本で戦死した金原忠蔵ら4人の招魂碑。中央墓碑に向かった右が相楽総三贈正五位の碑、その右が高島藩で勤王の先駆をなした石城(いしがき)東山の招魂碑。地元の相楽会を中心に毎年4月第一日曜日に供養祭を行っている。
2020-03-06
55
お舟祭り
平成元年、お舟祭りの民謡流し。
2020-03-06
56
お舟祭り
平成元年、お舟祭りの時代行列の一風景。
2020-03-06
57
宵祭り
7月31日、諏訪大社下社夏の遷座祭「お舟祭り」の宵祭りの露店風景。いつもは静かな湯の街なのだが、この日は秋宮参道に露店が軒を連ね、各地から集まった若者たちでにぎわっていた。
2020-03-06
58
浪人塚の例祭
浪人塚の例祭、塚を守っている樋橋部落のご老人たち。毎年この時期には供養祭をしている。明治4(1871)年に諏訪藩が建てた墓碑には6人の名が刻まれている。幕末元治元(1864)年10月20日、京都を目ざす水戸の天狗党約800人の軍勢と和田峠の樋橋で待ち伏せた諏訪・松本藩連合軍とがぶつかった樋橋戦争の水戸側の戦死者11人を葬ってある浪人塚。
2020-03-06
59
熊野神社の例大祭
熊野神社の例大祭での東山田長持ち。従来祭りは11月25日であったが、現在は10月の最終日曜日となっている。本祭りには婦人会から甘酒が振るまわれ、長持ちが区内を練り歩いたりして祭りのを盛り上げている。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。
2020-03-06
60
村祭り
熊野神社の例大祭風景。鎮守の森に残る江戸時代の行屋(ぎょうや)の前庭で甘酒がふるまわれた。こ行屋は江戸時代の修験道で行者の修行の場所として建てられたもので熊野神社参道の西側にあった。この行屋は町指定の文化財となっている。 天気の良い日には、この行屋の前から日本の標高№1,2,3の山が見える。1番はもちろん富士山で3,776メートル、2番は南アルプス北岳3,193メートル、3番は同じく間ノ岳3190メートル(穂高岳と同じ標高)である。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。
2020-03-06
61
熊野神社の例大祭
東山田の鎮守様、熊野神社の例大祭。地区では「権現様」と呼ばれることもある。熊野神社本殿は安永8(1779)年村田長左衛門等によってつくられたもので拝殿・社務所・舞屋・本殿があり地形を巧みに利用している。写真は参道附近の風景。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。
2020-03-06
62
木落社例祭
木落社例祭。木落社は諏訪大社摂社の一つで木落し坂の脇に祀られている。9月27日には午前9時に木落し坂にある木落社祭が行われ、続いて萩倉上の斧立社、さらに八島ヶ原湿原西の鷲ヶ峰麓で大元尊社祭がとり行われる。また、同日午前11時頃には旧御射山社祭が行われる。 №1087・1083・1086の写真は8月27日に諏訪大社下社の一連の行事として行われる。
2020-03-06
63
旧御射山
山上の聖地、旧御射山(もとみさやま)社、諏訪大社下社の奥宮の例祭、旧暦7月26日から29日にかけてこの山上に人里ができるほどの賑わいを見せたと和歌に残されている。「尾花ふく 穂屋のめぐりの一村は しばし里あり 秋の御射山」 金刺盛久の歌。旧御射山社例祭の様子。 №1087・1083・1086の写真は8月27日に諏訪大社下社の一連の行事として行われる。また、旧暦7月27日の正午に、月・日・星の三光(さんこう)を同時に拝することができたといわれ、一説では御射山山中の湿原の池に三光を映したともいわれている。この不思議な現象は諏訪神社下社の七不思議に数えられている。御射山祭は、大勢の人々が参籠(さんろう)する仮屋が穂の出た薄(すすき)で作られたことから、穂屋祭ともいわれ「穂屋野の三光」ともいわれている。
2020-03-06
64
旧御射山
奥霧ケ峰、八島ヶ原湿原近くにある旧御射山社、鎌倉時代には高原で御射山神事のニエを得るための御狩が行われ、社前で小笠懸け、草鹿とよぶ弓術の技が競われた。祭りに参加した武士たちが、穂屋を建てて籠もった土壇が三方の丘に残っている。平成元年現在の旧(もと)御射山の土壇の様子。
2020-03-06
65
御射山祭
御射山祭、御射山のお山参り(夕祭)。穂屋に籠もって物忌みしたことから「みさやまは夜まつり」といわれ、子を負ってのお山参りも夜行われた。今でも夜参りを守る人がいる。この年も夜9時頃まで訪れる人がいた。№1050.1051参照。
2020-03-06
66
御射山祭
御射山参り。 数えで2歳の子どもの無事成長を山の神に祈り、すすきの穂守りをもらって山をおりる。御射山祭は本来は風祭り。 八朔の祭りとつながる神事だったが、時代と共に姿を変えた。穂屋に籠って物忌みをしたことから「みさやまは夜まつり」といわれ、昔は子を負ってのお山参りも夜行われた。 このころでも夜参りを守っている人がいて、この年も夜九時ごろまで山中の御射山社を訪れる人が見られた。 写真は御射山社前の池にどじょうを放流する風景。 現在では諏訪大社下社秋宮でどじょうを放流してすます人も多くなってきた。
2020-03-06
67
樋橋延命地蔵
樋橋地区の入口に建つお堂に延命地蔵が祭られている。この地蔵は昔、和田峠を越えてきた一人の六部(ろくぶ:行者僧)が背負ってきたといわれているが、六部は脇本陣の大黒屋で急に亡くなってしまった。村人は哀れに思い、お堂をつくりお地蔵様をその中に祀りその霊を慰めたといわれている。写真は樋橋延命地蔵の縁日。
2020-03-06
68
戦没者追悼式
第44回戦没者追悼式。8月15日は44回目の終戦記念日、町主催の戦没者追悼式で祭壇に白菊を手向ける遺族たち。会場は町老人福祉センター。 町の戦没者は日清戦役以来450柱、遺族会員は420人。
2020-03-06
69
秋宮に着いた柴舟
この年の御頭郷は岡谷、秋宮境内へ引き入れられた柴舟。この後柴舟は神楽殿を3周した後神事相撲などの奉納をし翁媼の人形のおたき上げを内御玉戸社(うちみたまどしゃ)で行い祭りは終了する。柴舟に飾られた柴を悪疫退散のお守りや縁起物として多くの人が持ち帰る風習も残る。
2020-03-06
70
お舟祭りの柴舟
諏訪大社下社の祭神の御霊代(みたましろ)は春宮と秋宮の社を2月1日と8月1日に遷座する。春(2月1日)は秋宮から春宮へ、秋(8月1日)は春宮から秋宮に遷座する。春はひっそりと静かに、夏は神霊遷座の行列の他に青芝を取り付けた巨大な柴舟に翁(おきな)媼(おうな)の神像を会い向かいに飾り曳行する。神霊奉遷の厳粛な行事と柴舟の曳行の行事が別に行われるため、祭りの中心がお舟の曳行になり、8月の遷座祭をお舟祭りとよんでいる。(四つ角付近の柴舟)
2020-03-06
71
お舟祭り時代行列
下社8月の遷座祭には神霊遷座の行列や柴舟の曳行の他に御騎馬行列・長持行列(下社大祝金刺盛澄を下諏訪町長、諏訪ゆかりの名将を町小中高の校長先生などが参加し騎馬姿で町を練り歩いた)・花笠踊り・時代行列などで盛り上がり多くの人で埋め尽くされる。 このイベントは現在は行われていない。
2020-03-06
72
お舟祭り時代行列
この年からミス下諏訪の万寿姫・絹姫(山吹姫の時もあった)など祭りの盛り上げに一役かった。
2020-03-06
73
お舟祭り宵祭り
諏訪大社下社夏の遷座祭「お舟祭り」宵宮。いつもは静かな湯の町なのだが、この日ばかりは秋宮参道に露店が軒を連ね、諏訪盆地のあちこちから集まって来る若者達が明るい光の中に群れて、乾いた高地の夜の空気を熱くした。お舟祭り宵宮の賑わい。
2020-03-06
74
下の原の幟立て
「萬物長養徳」「万穀豊穣福」の一対の幟、安政5(1858)年に玉骨道人が書いた。毎年8月1日の遷座祭や御柱祭りの際に宮坂に建てられる。下の原の幟立て。中央に見える道を下ると龍の口がある。 ちなみに玉骨道人は、下の原の観照寺などで修業した後、岡谷横川の真秀寺の住職になった人で、和歌俳諧をよくし書にも優れて下の原には他の幟や石碑が多くある。この幟を書くときは慈雲寺に村人が硯を持ち寄って墨をすり、手桶にためて道人が大筆で一気に書いたと伝えられている。
2020-03-06
75
友之町津島神社宵祭
江戸時代の友之町の鎮守様で最新は素盞鳴尊(スサノオノミコト)・建御名方命・菅原道真・の三神で青雲館の脇に鎮座している。昔は夏の疫病よけを祈る村祭りだったというが、最近はどこでも子ども主体の祭りになっている。絵燈籠の置かれた道端で焼きそばの味は最高。三区友之町の津島神社宵祭りの風景。
2020-03-06
76
山の神祭
山の神祭(下の原区)夜明け前の闇の中「山の神様サンゼンゴーン シシセンマルマル」と唱え恵方へ向けて矢を放つ。 旧村々にはいくつかの山の神講があったが現在は下諏訪全町にわたり1月17日の早朝にそれぞれの山の神に集まり手作りの弓矢で恵方に矢を放って神事をしている。 この弓矢を家に持ち帰り玄関の上に掛けて魔除けや厄除けとしている。
2020-03-06
77
児湯と子宝地蔵
遊泉ハウス児湯。児湯は古くは小湯と書かれ、子宝に恵まれるというので児湯とも書かれた、他の温泉に比べ湯量が少なかったが、よく温まると湯効は早くから認められていた。高島藩主忠虎などもこの湯に入りに来たと伝えられている。綿の湯が閉湯となった時、遊泉ハウス児湯としてリニューアルし温泉の前に昭和63(1988)年4月子宝地蔵が祭られ、パワースポットの一つとして紹介されたりしている。
2020-03-06
78
修験道の初午祭
修験道の初午(はつうま)大祭の様子。 江戸時代後期に入ると村々に講が生まれ、行屋が造られ行者(山伏)が活躍したという。その名残を伝えるのが宝光院敬愛社で宝暦4(1754)年に白鷺山に湯殿三山講として開講したのが始まりという。安永7(1778)年に羽黒山から宝光院の院号を受けている。明治に入っていろいろな弾圧、土地の没収に遭ったが活動は続き、大正8(1919)年には真言宗醍醐寺派の指導で敬愛者として結成し、翌年には現在地に道場を立てた。 初午が最大の祭りで護摩を焚いて家内安全などを祈る。
2021-04-22
79
騎馬奉納
お舟まつり。 特別騎馬奉納記念。昭和12(1937)年。
2020-03-06
80
騎馬行列
昭和13(1938)年の騎馬行列。
2020-03-06
81
御騎馬
騎馬行列が勢揃い、お舟まつり。昭和12(1937)年。
2020-03-06
82
諏訪神勅祭創始千二百年祭友之町の光景
絵葉書。(下諏訪名所)諏訪明神大祭禮、友之町中町の光景。現在の四ツ角より西の現本通り。消印に「下諏訪45.4.28」(明治45年)スタンプに「官弊中社諏訪神社、諏訪神勅祭創始千二百年記念」と「5本足の梶の葉紋」が見える。また写真の外国人は明治38(1905)年湯田新町に宣伝を開始したルーテル教会の婦人宣教師である。
2020-03-06
83
一本柳神社
西赤砂のリンゴ畑に囲まれた一本柳神社。赤砂地区の産土神である。写真撮影当時は、享保年間に作られた「友の町絵図」にも書かれていたといわれる柳の古木が祠の横に残っていた。 現在祠には・諏訪明神・豊受比売大神・津島大神・菅原大神・多賀大神・三峯大神が祭られているほか、境内には・大陸天(だいろくてん)や道祖神、蚕玉社の石碑も祀られている。
2020-03-06
84
浮島社
浮島と砥川上流を望む。浮島社には祓戸大神が祭られており、現在ではここで毎年6月30日に夏越の祓の行事(茅の輪くぐり)が行われている。
2020-03-06
85
お舟祭り
官弊大社諏訪神社下社8月1日 御舟祭。大正15(1936)年、ちょうちんに下諏訪の文字。法被には「本郷」と染め抜かれている。下諏訪町が御頭郷の年のようだ。
2020-03-06
86
祭り
お祭風景、長持が見える。
2020-03-06
87
長持勢揃い
春宮に勢揃いした下の原長持連。
2020-03-06
88
長持勢揃い
春宮に勢揃いした下の原長持連。
2020-03-06
89
御騎馬奉納
明新館下に勢揃いした下の原の奉納騎馬。 騎馬には出陣騎馬(殿様騎馬)と凱旋騎馬(過労騎馬)があり、それぞれ掛け声のかけかたや所作に違いがある。
2021-04-01
90
春宮葺合祭下の原長持連
大正15(1926)年5月6日。春宮葺合祭(ふきあいさい)が御柱祭りに先立って行われた時の下の原長持連の記念写真。 ちなみに、葺合祭は式年遷宮の年に宝殿遷座祭の前日に新宝殿の竣工式として行われる。下社の場合、春・秋両社の四宝殿の内一棟を造改築し、一棟の屋根葺合を行う。改築後は立柱式(当年の3月中旬以降)、葺合棟は葺合祭を行う。
2020-03-06
91
和田嶺合戦90年祭
元治元(1864)年、総勢1000人の水戸浪士軍は尊皇攘夷の実行を迫るため中山道を上って来た。11月20日、これを迎え撃つ諏訪藩・松本藩と雨中の戦いとなった。この合戦の戦死者は諏訪藩6名、松本藩4名、浪士軍10数名であった。のちに両軍戦没者を慰霊する浪人塚が立てられた。 和田嶺合戦90年祭。昭和29(1954)年10月20日撮影。
2020-03-06
92
賽の神
賽(さい)の神。道祖神祭の一環として御幣棹(ゴヘイトウ)を建てた。場所は下馬橋前。先端には松を飾り、横木に色々な細工物を飾った。飾りをくじ引きで分けるのが楽しみだった。明治6(1873)年まで行っていたものを昭和6(1931)年に区の有志が復活再現した時の写真。
2020-03-06
93
長持記念写真
長持ち勢ぞろいの記念写真。春宮神楽殿前。
2020-03-06
94
お舟祭り
昭和初期の明新館前、この大幟(「吉日大正十五年五月再調 下原」と書かれている)は交通上支障になると昭和30(1955)年以降は立てられていない。
2020-03-06
95
御田植祭
早乙女の皆さんを前に祭式関係者の記念写真。
2020-03-06
96
紀元二千六百年記念
紀元二千六百年記念祭を高木津島神社で開催した時の記念写真。出征兵士の旗が立てられているが、もう1本は諏訪大社秋宮子安社付近へ立てた。
2020-03-06
97
相楽祭
赤報隊浪士のお祭「相楽祭」。 後方の煙突は、昭和6(1931)年開業の昭栄製糸のもの。向かって左側に元町長の高木十吉氏の顔が見える。 右に石仏があるが、現在青雲館にある。相楽祭は明治3(1870)年に有志の喜捨百余両で相楽総三らが処刑された地(相楽塚・魁塚)に慰霊の碑をたて式典をしたことがはじまりである。その後友之町有志の運営で祭りを続け一時途切れたこともあったが復活させ、現在は相楽会が主催し毎年4月の第一日曜日に開かれている。
2020-03-06
98
節分祭の記念写真
このとき現在の節分祭の形ができた。 この頃は年男60歳と年女20歳が節分祭に参加した。
2020-03-06
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