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登録リスト(該当:2件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
木曽義仲の矢倉
木曽義仲【幼名 駒王丸(こまおうまる)】が2歳の時に、父源義賢(みなもとのよしかた)が源義朝(父の兄)の子義平(よしひら)に殺されてしまう。駒王丸と母小枝御前(こえだこぜん)は下社の地にかくまわれたが、この地も危ないと木曽へ移された。義仲(駒王丸)が幼少のときに桜城の中腹のこの地を駆け回ったという言い伝えからここに矢倉を築いた。また、桜城へ続く坂道を駒王坂とよんでいる。
2024-06-11
2
梶原塚
平安末から鎌倉時代の初頭に活躍した下社大祝・金刺盛澄の命の恩人梶原景時を祀ってある。盛澄は、木曽義仲軍の中心勢力であったため、源頼朝の怒りにふれ死罪を申し渡される。しかし彼の武技が消えるのを惜しんだ梶原景時のとりなしで、鶴岡八幡宮においてその技を披露することになった。その非凡な技量をみて頼朝は盛澄と義仲の家来六十余人の罪を許し、盛澄らは故郷へ帰ることができた。1200年に自刃した景時の人徳をしのび、盛澄が建立したと言い伝えがある。最初は四王ガード付近にあったが、何度か移転をし、現在は、菅野町会館の入口に祀られている。2023年に「地域の活力創生チャレンジ事業支援金」を活用して「菅野会館維持検討委員会」が整備をした。
2024-02-03
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