明治8(1875)年に開校した萩倉文教場(分校)は本校へ統合し教育効果を高めるため、昭和41(1966)年4月2日、92年の長い歴史を閉じました。ここは小学4年までの児童約700人が子らまで学びました。紫綬褒章を受けたメンデル遺伝学の権威篠遠喜人氏はこの分校の出身。
廃校後は青年ホームとなり青年活動の拠点となった。また、農繁期には季節保育園や民謡の練習小中学校の行事等多くの人々が利用した。現在この場所には萩倉公会所が建てられている。
撮影場所 | 萩倉 |
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撮影年月日 | 昭和41年 |
撮影(西暦) | 1966年 |
色調 | 白黒 |
大きさ | 7.6*11.4 |
参考文献 | 広報しもすわ№34 萩倉公会所建築の記録 15p 写真が語る下諏訪の百年 104p |
地区コード | 萩倉 |
管理番号 | 1893 |
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カテゴリ名 | 文化・町並み |
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