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登録日順
登録リスト(該当:398件)
≪
1
≫
写真
タイトル
説明
登録日
1
3D中山道五十五里塚
中山道の南側にあったが、明治初年に消滅して、昭和になって石碑が建立された。
2024-06-11
2
3D富部一里塚
江戸日本橋から53里、甲州道中最後の一里塚である。ここから十余町(1km余り)、下諏訪宿で中山道に合流する。
2024-06-11
3
慈雲寺
臨済宗白華山慈雲寺。鎌倉幕府に仕えた金刺光貞の依頼で、中国の高僧、一山一寧が1300年に開山した。参道入り口に一山一寧の諏訪の名所を謳った漢詩「諏訪八景」の石碑がある。火災により焼失したが武田信玄により再興された。そのため本堂屋根には梶の葉紋と武田菱が掲げられている。境内には和田義盛の刀石がある。
2024-06-11
4
鎌倉街道ロマンの道
観光遊歩道として昭和58年(1983)に整備された。歴史上の鎌倉街道とは異なる。諏訪大社秋宮から霞が城跡ー唐糸・万寿姫供養塔ー鎌倉街道ー桜城跡(山城)ー 一念石 ー大岩不動ー真清(ますみ)神社ー来迎寺かな焼き地蔵ー青塚古墳ー綿の湯ー秋宮、全行程1.5キロ徒歩1時間余。写真は大岩不動の入り口にある看板である。
2024-05-22
5
鳥の巣
あすなろ公園(バス近く)の桜の木に鳥の巣がある。 その中の一つは山鳩が通っています。この公園は鳥たちには安全な場所のようだ。
2024-02-29
6
諏訪湖の景色
諏訪湖岸の富士山が見えるポイント。富士山だけではなく 周り山々の風景も美しい冬の諏訪湖。
2024-02-29
7
水辺公園
水辺公園にある金属製のフレーム。 公園内から見ると美しい諏訪湖と富士山(晴天だとよっかったのですが)が写真のように切り取られて、ピクチャーウインドウのようです。 この付近(諏訪湖岸)は富士山の見えるポイントです。
2024-02-29
8
善心さま
善心さまは俗名を弥五郎といい、いつの頃からか増澤大六屋敷内に住んでいた。神の湯北方の善心尾根とよばれる土地を耕作していた修験道行者だという。善心さまは生きながら墓に入り成仏したと言われているが、その理由は様々に言い伝えられている。西国霊場巡りの折、感ずるところがあって入定(にゅうじょう)したとか、かねてから駒ケ岳山頂で神を拝したいと願掛けをした成就の入定とか、妻を酷使しているのを通りがかりの旅僧に説教され、懺悔のため入定したとか語り継がれている。断食読経の後、住まいから墓までむしろを敷き、息継ぎの青竹と鐘をもってお経を唱えながら墓に入った。幾日かの間、読経と鐘の音がかすかに聞こえたが ある朝、その音は消えていたという。善心入定墓は東山田権田林墓地内にあり、墓碑には「入定善心
2023-11-26
9
みそなめ地蔵
東山田にある地蔵。地元の人は「みそなめ地蔵」「庄塚のばばあ」と呼んでいる。歯が痛いとき、生みそをお供えすると歯の痛みを抑えてくれるというお地蔵さまで、痛みが落ち着くと地蔵にお茶を備えてお礼参りをしたという。また、咳き込むときには焼き味噌を供えたという。東山田権殿林(ごんどのばやし)墓地上野古田家墓地内に、形の小さい横穴式石槨の一部が露出おり、その開口部に地蔵が半ば土に埋まっている。個人の墓地敷地内につき、参拝には配慮が必要である。
2023-11-26
10
石投げ場
明治38(1905)年の山崩れ(写真上の山崩れの現場に地図)の現場をゆくEF64。
2024-01-13
11
石投げ場を行くC12
雪の日の朝、諏訪湖畔(石投げ場)を行く533回送列車。上諏訪機関区最後のSL仕業、また石投げ場は明治38(1970)年に山崩れががあった。 ※「C12型式SL」(国鉄蒸気機関車C12)は簡易線用として1932年にC10・C11型が進出できない簡易線区で使用することを目的とした小型近代タンク式、線区の建設や完成後の使用を目的とした軽量小型の機関車。 画期的な製造技術を採用し、軸重軽減・製造コスト削減、メンテナンスコスト等も低減した強力な機関車で戦後までの16年間に293両が生産された。
2023-11-26
12
敬愛社の御柱2
7年目ごとに行われる大祭。申と寅年の10月に執り行われる。以前は丁使番の家を宿としていたが、昭和43年から宝光院で行われるようになった。 白鷺稲荷の御位をはじめ、一山の諸神諸仏の像、掛け軸、法具等を山伏姿の講員が奉持し、数十人の行列を整えて宝光院を出発、法螺貝を先頭に区内を一巡して白鷺山に登り、山上で柴灯護摩を焚いて祈願する。なお白鷺稲荷、石尊大権現、宝光院の弥栄富神社など主な社には御柱を建てる。
2023-09-29
13
敬愛社の御柱
7年目ごとに行われる大祭。申と寅年の10月に執り行われる。以前は丁使番の家を宿としていたが、昭和43年から宝光院で行われるようになった。 白鷺稲荷の御位をはじめ、一山の諸神諸仏の像、掛け軸、法具等を山伏姿の講員が奉持し、数十人の行列を整えて宝光院を出発、法螺貝を先頭に区内を一巡して白鷺山に登り、山上で柴灯護摩を焚いて祈願する。なお白鷺稲荷、石尊大権現、宝光院の弥栄富神社など主な社には御柱を建てる。
2023-09-29
14
敬愛社の神変大菩薩と聖寶理源大師の碑
神変大菩薩の碑は昭和7年9月真言宗醍醐派修験道諏訪宗務支庁設置記念として建立された。書は真言宗醍醐派管長大僧正平之亮禅。高さ1.86m。神変大菩薩とは役の行者(役小角えんのおづぬ)のことで、1799年(寛政11)には,朝廷から役の行者に対して神変大菩薩という諡号(しごう)が贈られた。役の行者は奈良時代大和金峰山の修験僧として密教を修業したと伝えられている。 聖寶理源大師の碑は昭和7年9月信濃分教会設立記念として建立。高さ1.38m。聖寶は当山派修験の祖と仰がれる平安初期の真言僧で、理源大師はおくりなである。醍醐寺を創建し、金峯山で金剛蔵王菩薩を祀り、また大峰山の中興者ともされる。
2023-09-24
15
白鷺山
正平年間(1350年代)下の原村の北方にある千鳥の山の中央の岩が燦然と光るので苔を払ったところ不動の2文字が現れ、村人は不動明王が姿を現したとして崇めたと伝えられている。そののち宝暦のころ白鷺が巣をかける兆しがあったので以後白鷺山と呼ぶようになった。敬愛社は修験道の伝承を今日に伝え活動をしているが、白鷺山中央の岩に不動の2字を刻んで本尊とし、その岩上に石尊大権現の小祠を祭って崇敬していた。安永6(1777)年下の原村の旧堂に奉詞していた石尊大権現の御社を白鷺山に遷座した。
2023-09-20
16
わんぱく相撲下社場所
第36回わんぱく相撲諏訪圏大会(諏訪圏青年会議所主催、長野日報社など後援)の下社場所が諏訪大社下社秋宮八幡山土俵で行われた。4年ぶりに新型コロナ対策の制約がない通常開催に戻り、小学生約60人が白熱の取り組みを繰り広げた。子供たちは元気いっぱいで、中には3分を超える熱戦で「水入り」となる取り組みもあり、土俵際の攻防に大きな拍手が送られていた。大会は学年男女別に実施され、勝ち進めば、さらに県大会、全国大会の出場権も与えられる。
2023-07-20
17
山吹城
諏訪大社下社の大祝であった金刺氏によって築かれた城とされている。金刺氏の居城は、下社秋宮の背後に築かれた桜城とされていたため、山吹城は、有事の際の詰め城とされている。前方に小城があり、後方に本城である大城が構えられていた。築城時期については定かでない。
2023-07-09
18
武居桜
昭和50年に町天然記念物に指定された推定樹齢300年のエドヒガンザクラ(武居桜)。平成7年に樹木医により活性化手術が行われた。近年幹の空洞化が進み、町道側の幹を伐採し、腐食防止の金属板で覆った。残った山側の枝に今年もきれいに花を咲かせた。
2023-07-09
19
高札場
旧派出所(後御柱モニュメント)跡の「高札場」と「中山道」。
2023-07-16
20
志まや
横町・木下の街並みには旅館の看板が立っています。
2023-10-08
21
東屋終治茶屋跡
東屋終治は木食上人の世話役をした商人。 現在は「茶屋跡」の看板があります。
2023-10-29
22
街道沿いの旅館
旧中山道沿いの本陣、旧菊本旅館、かめやが並ぶ風景。
2023-10-31
23
本陣
中山道沿いにある本陣。
2023-10-31
24
七曜星社蔵
武藤工業(株)から寄贈された中山道沿いの土蔵(木造二階敷地面積16平方メートル)を改修し中山道など街歩き休憩所にしました。蔵は海鼠(なまこ)壁が美しい。 この場所で七曜星社という製糸工場を営んでいたことから七曜星社蔵(しちようせいしゃぐら)という名前が付いた。
2023-07-16
25
御作田社
諏訪大社摂社で中山道沿いにあります。 田植祭は小さな神田で6月30日に行われる。この稲は60日間で穂となるという不思議な伝説を持ちこれが「諏訪の七不思議」の一つとなています。
2023-11-09
26
横町木下
諏訪大社秋宮のカギの手付近から見た中山道沿いの風景。
2024-02-17
27
忠魂碑と長生橋
下社秋宮境内、昭和40(1965)年に長生橋左たもとに移築現在に至る。 3枚目の写真は山王台へつながる長生橋。
2023-07-11
28
山王台
秋宮横山王台は「手塚太郎光盛(金刺盛澄の弟)」の居城跡。のちに比叡山王社を勧請(かんじょう)したので山王台とも呼ばれている。弓の名手として知られる兄金刺盛澄の像が建立されている。この場所は霞ケ城館(かすみがじょうやかた)・山王閣・青年図書館・公園・現在は駐車場になっている。 山王閣 開業 1965年 (昭和40) 閉館 2017年 (平成29)3月31日
2023-07-29
29
舟道
山の手を通る甲州街道から高まま(高浜)の入り江の舟止(ふなと)へと下りる舟道(小路)に沿って半農半漁の村が形成された富部地区(第10区)。現在は旧国道(県道)と鉄道(JR)、国道20号線、により舟道は分断はされているがその面影は現在も残っている。
2023-07-09
30
下諏訪駅通り
畠山菓子店、伊東時計店、ディスコナポリほか店が並ぶ駅前通り。
2023-02-26
31
棚木場
雪の棚木場の風景。 御柱祭山出しは、下諏訪町東俣大平の棚木場から曳行を始めます。
2022-01-24
32
御湖鶴・世界一の称号
令和3年(2021)、世界最大級のワイン品評会(International Wine Challenge)の日本酒部門で「チャンピオン・サケ」を受賞し、7月5日に諏訪御湖鶴酒造でセレモニーが行われた。受賞酒の「御湖鶴純米吟醸山恵錦」は、長野県で開発された酒造好適米「山恵錦」を使用。主催者は「フルーツを想わせる香りが際立ち、繊細でまとまりのある舌ざわり」と評価された。諏訪御湖鶴酒造所は一時途絶えたが、コロナ化に立ち向かい、復活から3年で世界一の称号を手に入れた。ちなみに御湖鶴再建には福島県の磐栄運送が当たっている。
2022-01-13
33
徳本上人の名号塔(赤砂崎)
下諏訪町に4カ所ある名号塔の一つです。 赤砂墓地の入口右手に「南無阿弥陀佛」と刻まれた念佛徳本直筆の碑(写真二枚目)念佛徳本は宝暦8(1758)年和歌山に生まれた名高い行者、関東地方一帯を行脚布教した。諏訪には、舟にて湖水の西岸から赤砂の地に至る。 土橋源蔵宅に立ち寄り宿泊した際に「南無阿弥陀佛」と二幅書かれそのうちの一枚を使い源蔵が碑を造ったという。
2021-12-21
34
徳本上人の名号塔(浪人塚)
下諏訪町に4カ所ある名号塔の一つ。幕末の動乱期、尊王攘夷の熱意に燃えた武田耕雲斎(こうううんさい)率いる水戸の天狗党浪人隊が、尊攘の心情を京都にいる一橋慶喜に訴えるため上洛の途についた。中山道の要所でもある下諏訪宿は藩主忠誠が幕閣入りしていたこともあり激戦の場となり被害も大きかった。この戦いを和田合戦・砥沢口合戦・樋橋戦争と呼ぶ。戦いの後、千草山のふもとに亡くなった浪士を改葬し塚を作ったこれが浪人塚で当時は戦死塚といった。
2022-03-19
35
ワダソウ解体図
ワダソウ(ナデシコ科)和田草 ※和田峠に多かったので命名。 和田峠に多くあるので「ワダソウ」。山の草原に生える多年草。地下に1個の塊根があり、茎は枝を分けず直立。葉は対生。花弁5枚で先がへこみ、雄しべ10、花柱3本。ワチガイソウ・ヒゲネワチガイソウなど、この属の特徴として、下方の節から閉鎖花を出し、球形の果実を結ぶ。 赤い雄しべは目立つが、花粉を出す前までで、葯の袋が破けると、中から花粉が出て黄色に。
2022-01-16
36
レンプクソウ解体図
山地の林内に生える多年草。フクジュソウに長い地下茎が続いているように見た人が、連福草と言い出して名がついた。 花が5個付くのでゴリンバナとも。
2022-03-15
37
ヨウシュヤマゴボウ解体図
ヨウシュヤマゴボウ(ヤマゴボウ科)洋種山牛蒡 北アメリカ原産の帰化植物。多年草草本。 全体無毛で、茎や葉柄は通常赤紫色を帯びる。中部以上でよく分岐し、高さ2mになる。夏に15cmほどの花序を出し、淡紅色で、花弁のない花を穂状につける。 萼片5、雄しべ10~12、雌しべ1。 子房は若いうちは緑色で、心皮の数が10。 よく見えるが、熟すと黒色で外からは数が分からなくなる。 明治はじめに渡来し、現在は山野にどこでも見られる。 インクベリー:実は熟すと、濃い黒紫色になり、つぶす と赤い汁が出るので、アメリカではインクベリーと 呼ぶ。有毒なので、テストの範囲で実際書いてみよう。 赤と黒で鳥を呼ぶ:実は熟すと黒紫色となり、その時、 実の柄部分は真っ赤に変化する。 こ
2021-11-11
38
ユキワリソウ解体図
ユキワリソウ(サクラソウ科)雪割草 1枚目:ユキワリソウ 低山帯~亜高山帯の岩場や草地に生え、高さ10~15cm。名は雪が解ける直後に開花するから。白花品をシロバナユキワリソウという。 2枚目:オオミスミソウ(キンポウゲ科) 山地の木陰に生える。3~4月に開花し葉は越冬して花後に新葉に変わる。花色は変異が多い。 葉の形や大きさでスハマソウ、ミスミソウにわける。 3枚目:ユキワリソウ葉裏 新潟ユキワリソウ街道で有名な花は、実はミスミソウ・オオミスミソウをいう。下段左写真はオオミスミソウ。また、同右写真の葉裏はユキワリソウで、金色に輝く。ユキワリソウは八方尾根で、7月17日撮影分
2021-11-11
39
ヤマシャクヤク解体図
ヤマシャクヤク(キンポウゲ科)山芍薬 山陰の多年草。花は白色、茎頂に1個つき、萼片は緑色で3枚、花弁は白色5枚あって完全に開かない。雄しべ多数、雌しべ2~4個。同種に、花は淡紅色のベニバナヤマシャクヤクがある。
2021-11-11
40
ホツツジ・ミヤマホツツジ解体図
ホツツジ・ミヤマホツツジ ホツツジ 山地の林緑や岩場に生える落葉低木で高さ1~2m。枝先の長さ5~10cmのと円錐花序に多数の花をつける。名は花が穂になるから。 ミヤマホツツジ 亜高山帯~高山帯の湿原や林緑に生える落葉低木。高さ20~100cm。 葉の先端が丸いか凹状、花柱は長く上向きに大きく曲がる。
2021-11-11
41
フサザクラ解体図
フサザクラ(フサザクラ科)房桜 花の姿から、この名がある。山地沢沿いなど湿り気のある場所。普通5mほどの木が多い。花には花弁がなく、雄しべが目立つ。 葉の先端は極端に突出する。果実は扁平・倒卵形の翼果。 上から、 ・花模様 ・果実 ・花 サクラと縁遠く、プラタナス・カツラに近い仲間。 赤く目立つ雄しべの基部に雌しべが多数ある。3~4月に開花する。 果実は9~10月に熟す。フサザクラは諏訪地方にも結構ある。
2021-11-09
42
ヒゴスミレ・エイザンスミレ解体図
ヒゴスミレ(肥後菫) 葉は基部で五分裂し更に細かく分裂。白色・芳香。 エイザンスミレ(叡山菫) 葉は三分裂し更に分裂。淡紅紫色・芳香。
2021-11-09
43
ハネミギク(ハチミツソウ)解体図
ハネミギク(ハチミツソウ)キク科 町外れの道路沿いや里山に一歩入ると、8月には黄色い目立つ大型植物。 一般図鑑には一切掲載されていないので、なかなか同定できなかった。 帰化植物は古代から、特に明治以降には増大してきたが、こうした新顔にこれから付き合うことになる。 茎はあまり分岐せず、高さ1.8mほどになる。茎には翼がある。直径4cmほどの黄色い頭状花を多数つける。舌状花は3~8枚で、開花後下方に垂れる。
2021-10-26
44
ハナイカダ解体図
ハナイカダ(ミズキ科)花筏 雌雄異株 山地の木陰や谷間などに生える落葉低木で、高さは1.5mぐらいになる。葉のほぼ中央に花をつける。これが、いかだに似ているので名付けられた。 新芽は食用、実のある枝は茶花として茶席に生ける。
2021-11-09
45
バイケイソウ・コバイケイソウ解体図
バイケイソウ・コバイケイソウ(ユリ科) バイケイソウ(1,2枚目) 深山の林の中。1~1.5m。花は径25mm、花被片6はやや淡緑色。 雄しべは花被片より短く、外側に反り返る。子房は有毛。花柱3本は 外に曲がる。花期6~8月。 コバイケイソウ群落(3枚目) 有毒:山菜と誤食が毎年発生! コバイケイソウ(4,5枚目) 高山の高原。高さ0.6~1.0m。花は径8mm。花被片6、雄しべ6雌しべ1。雄しべは花被片より長く、子房は無毛、花柱は直立。 花期7~9月。
2021-11-09
46
ニリンソウ群落
ニリンソウ群落(キンポウゲ科)二輪草 新緑の中で、ひときわ白く輝くニリンソウの 群落。上高地で明神池から徳沢にかけて、山道の両脇に見事に咲き誇っている。地下茎が横に這い、その先から数枚の根生葉と、1~2本の花茎を立て、林の中に繁茂。 写真は徳沢園のハルニレの大樹の根元を覆い尽くしていた。足元にはヤマエンゴサクの青紫色や桃色のものが、またタカネザクラのさわやかな淡紅色の花が近くに咲き誇っていた。
2021-11-09
47
ニッコウネコノメ解体図
ニッコウネコノメ(ユキノシタ科)日光猫の目 ニッコウネコノメ 山の谷沿いに生える小さな多年草。根生葉は花時には ない。花は茎頂に10個あまり付き、径5mmほど。 萼片は平らに近いまで開き、卵形で先は尖らない。雄 しべは8本、まれに4本、長さ4mm、葯は若い時は 暗紅色、後に黒色に変わる。花のすぐ下の包葉は円形 に近く、花時淡黄緑色、 この属イワボタンの仲間は、全体無毛、葉は対生、中 央脈以外もはっきり見える。東北南部から中部地方の 太平洋側。4~5月。 イワボタン 別名ミヤマネコノメソウ。葯は黄色、花時にも根生葉 があることが多い。 花の横につく葉は細い。ホクリクネコノメもイワボタ ンも、雄しべの周りの萼が完全に開かず、直立するか 斜めに開く。関東以西の
2021-11-09
48
トウゴクミツバツツジ解体図
山地に普通に見られる落葉低木。ミツバツツジは雄しべを5本有するのに対し、この種は10本有す。 主に関東の山地に多いのでこの名。
2021-11-02
49
ツルドクダミ・ヒヨドリジョウゴ
ツルドクダミ(ガシュウ) タデ科 地中の大きな塊根を「何首烏」ガシュウという。何という老人が、これを服用し、髪の毛が常に烏のように黒かった伝説。根は滋養強壮剤、茎は失眠症によい。享保5年1770中国から吉宗の時代に小石川植物園で栽培した。今は野生品が多い。 ヒヨドリジョウゴ(ナス科) 鵯上戸 ヒヨドリが赤い実を喜んで食べることから名が付いた。道端や山にはえるつる性の多年草。 全草にやわらかい腺毛が密生する。葉は裂けないものと、3~5裂するものとある。 花はナスの花同様、白色で深く5裂する。 果実は球形で、赤く熟す。花期8~10月。小生は小諸で初見し、今回2回目に見た。 図鑑では、普通にあると記されているが、なかなか目にできない。(石川記)
2021-11-02
50
センボンヤリ解体図
センボンヤリ(キク科)千本槍 別名 ムラサキタンポポ。低山の草原・路傍に生える2年草。葉はすべて根生葉。 花に2型あり。 春:舌状花は白色で、下面は紫に染まり、ムラサキタンポポの所以。 秋:閉鎖花で自家受粉する。花茎は大きく伸びて、春にも残り、センボンヤリの所以。
2021-11-02
51
スミレの仲間
上から ・プリケアナ 北米産でパピリオナケアの仲間。白花の基部は紅紫色で紫条が入り、二色咲きとなる。繫殖力が旺盛で、庭先から逸出したものが野生化して各所で群生を見る。 ・パピリオナケア 北アメリカ原産で、スミレマニアなどの手によって、各地に広まっている。濃い紫色だが、側弁に毛が多く、花弁の基部は白く見える。 ・アカネスミレ 丘陵地~山地の路傍や林緑など向陽地から半陰地に自生する。花は中形の濃紫~紅紫色~紫青~薄色・白色と変異がある。全体的に多毛で、側弁、距、子房にまで毛がある。距は細長く花色にほぼ等しい。 ・タチツボスミレ 全土の海岸線から標高2000m前後までの草地~落葉樹林の向陽地~陰地・乾燥地~半湿地など生息範囲が広い。個体数も多いために花の色・葉の形態などに
2022-06-12
52
ショウキラン解体図
ショウキラン(ラン科)鐘旭蘭 ラン科ショウキラン属。腐生植物で、光合成を行わず、菌根を形成し、共生。通年地下茎の形で生育し、7~8月の花期に花茎を地上に伸ばす。花茎の高さは10~25cm、鱗片状の葉を持つが、目立たないので、地表から唐突に花序だけ出た姿に見える。 花は美しいピンク色で、1週間程度で黒くしおれる。 分布日本全国、山地の日当たりの悪い場所に生育する。 近縁種にキバナノショウキラン、シナノショウキランがあるが、固体数は少ない。 写真:平成26年6月30日、下諏訪町観音沢。下左は 蕾状態のもの。 和名は花の形を「烏帽子をかぶった鐘旭の姿」に見立てたもの。
2021-11-02
53
シュンラン解体図
山地の明るい林内に生える。葉は幅1cm内外で常緑。唇片は白色で赤紫色の斑点がある。名は早春に開花するから。
2021-11-02
54
シオデ解体図
シオデ(ユリ科)牛尾菜 雌雄異株 アイヌ語「シュウオンデ」が転訛。秋田「秀子」シオデ⇒シオデコ⇒ショデコ⇒シデコ⇒ヒデコ。山のアスパラガス。 秋田民謡「秀子」 十七八ナ今朝ナ 若草何処刈ったナこのヒデコナ 何処で刈ったナ日干ナ 長根のその下でナこのヒデコナ その下でナ葛のナ 若萌葉広草ナこのヒデコナ 葉広草ナ馬にナつければ ゆさゆさとナこのヒデコナ 1:シオデ詳細 *発芽は翌々年春となる。 2:アスパラガスのような若芽 3:つる状の茎 4:雌花 雌しべ1 5:雄花 雄しべ6 6:葉 主脈目立つ 7:果実は熟すと黒くなる。
2021-11-02
55
サクラあれこれ
桜あれこれ 2012.5.12林業センター 上より。 ・かたおかザクラ(片丘桜) 花弁数:5枚 カスミザクラの栽培品。幼木でもよく花をつける、塩尻市片丘で見つける。樹高4mほど。 ・しょうげつ(松月) 花弁数:20~30 サトザクラの栽培品種。明治期の荒川堤から広がった。名前の由来は不明。 ・楊貴妃 花弁数:15~20 サトザクラの栽培品種。奈良の興福寺にいた玄宗という僧侶が庭の桜に愛情を注いだことから、その桜を「楊貴妃」と呼ぶようになったといわれる。 ・紅玉錦 ・フゲンゾウ(普賢象) 20~50 サトザクラの栽培品種。2本の雌しべが葉化し、これを歯、八重の花弁を鼻と、普賢菩薩の乗る白象に見立てた。 ・北鵬 ・普賢象 ・かんざん(関山) 花弁数:20~50
2021-11-02
56
コクサギ解体図
コクサギ(ミカン科)小臭木 木が小さく、全体にいやな臭いがあるので、この名。雌雄異株。沢沿いなどに群生。茎や葉に有毒アルカロイド、煎じて家畜のシラミ殺しに使用した。 雄花は4cmほどの花序に10個ほど、雌花は独立して一つずつ付く。若枝につく葉は2枚ずつ交互に生え、コクサギ型葉序という。 名前のとおり、葉をちぎると強い臭いがする。里山・山地に多く、樹高1~2mの落葉低木。雄花は萼片・花弁・雄しべが各4個、雌花は萼片・花弁4個、雌しべ1個、退化した雄しべ4個。果実は7~10月熟し、さく果3~4個。
2021-10-29
57
コオニユリ解体図
コオニユリ(ユリ科)小鬼百合 オニユリに比べ全体にやせ型で、「むかご」ができない。花は普通数個がつき、花被片は長さ6~8cm(オニユリ7~10cm)。日本全土の海岸から山地まで生える。花粉は大きさがそろい、よく結実する。オニユリは人里近くに自生するが、中国原産の栽培品が野生化しただろうという。地下の白い鱗茎は食用となる。 葉の基部に黒紫色の球芽をつけ、落ちて発芽する。花粉は大小不同で結実しない。コオニユリは結実し、増える。
2021-10-29
58
クリンユキフデ解体図
クリンユキフデ(タデ科)九輪雪筆 早春、山地の少し湿った所に生える。高さ20~40cm。 茎の先端と葉の脇に白い穂状の花をつける。花びらのようなものは萼。 白い花を雪に、穂の様を筆に例えて「雪筆」、また花が輪になって段になって いる様子を、五重塔の先端の「九輪」に例えた。 よく似た「ハルトラノオ」は、穂状花穂はただ1個花茎の先につける。葉は茎を抱くことはない。花期4~6月。 クリンユキフデ:葉の基部は茎を抱く。また、茎頂だけ でなく、葉の基部にも花穂がついて段 となる。花期5~7月。
2021-10-29
59
オサバグサ解体図
オサバグサ(ケシ科)筬葉草 北八ヶ岳では目にするが、他では未見。この個体は 御泉水の森で、蓼仙(りょうせん)の滝周回コースの途上。 機織の「筬(おさ)」にケシ科と思えない葉の形から名づけられた。 深山の木陰に生える多年草。葉は多数根生し、深く羽状に裂け、裂片は10~25対もあり、裂片の先は丸い。花茎は長さ20cm内外で、まばらに小さな白花をつけ、穂(総状花序)となる。花弁は4枚、雄しべ4、雌しべ1。 本州(北・中部)の亜高山帯に生え、1属1種の日本特産。
2021-10-29
60
ウワズミザクラ解体図
ウワミズザク(バラ科)上溝桜 山野に生える高木で、高さ10mくらいになる。 昔この材の上面に溝を彫って占いに使ったので上溝といい、和名は、そのウワミゾザクラの転化したものである。 果実の未熟で緑色のものを塩づけにして食用とする。
2021-10-29
61
イワガラミ・ツルアジサイ解体図2
紛らわしい仲間たち(いずれも山地帯の落葉つる性木本) ツルアジサイ 装飾花の萼片3~4個 葉の鋸歯は細かく、片側30個以上 イワガラミ 装飾花の萼片1枚 葉の鋸歯は大きく、片側20個以内
2021-10-29
62
イワガラミ・ツルアジサイ解体図1
イワガラミ(ユキノシタ科/岩絡み)とツルアジサイ(ユキノシタ科/蔓紫陽花)。 イワガラミ 山地の林内に生える落葉のつる性植物。 茎はところどころから根を出して岩や木に絡み高い所へ登ることからこの名がある。 ツルアジサイ 山地の林内に生えるつる性の木本。気根を出して他物を這い上がる。 別名ゴトウヅル。
2021-10-29
63
イブキジャコウソウ解体図
イブキジャコウソウ(シソ科)伊吹麝香草 山地から高山まで、よく目にする多年草で、木本。 地面にぴったり張り付いて、一斉に咲くとピンクのカーペットのようです。漢名(中国の和名に相当する)で「百(ひゃく)里香(りこう)」と言い、その香りが遠くまで達する意で、さわやかな芳香は楽しめます。 香りを楽しめるものを列挙。 木本:クロモジ・アブラチャン・ダンコウバイ カツラ・ホオノキ・コブシ・サンショウ ハリエンジュ・コクサギ・クサギ・クリ ヒイラギ・ウメ・モモ・ボケ・ロウバイ ノイバラ・ハマナス・シラタマノキ ミズメ(ヨグソミネバリ)・シキミ ハクモクレン・ライラック・ミツマタ ジンチョウゲ・キンモクセイ・オオヤマレンゲ ブッドレア・スイカズラ
2021-10-29
64
イタチササゲ解体図
イタチササゲ(マメ科)鼬豇豆 鼬(いたち)の毛色に、花の色がクリーム色から黄褐色に変化するがそれに似る。「ささげ」は果実の様から。 山の草原に生える、つる性の多年草。茎は高さ80~150cm。若いうちは直立し、葉の先の巻きひげで絡みつく。葉は4~小葉からなる羽状複葉。 茎から葉の出るところに小葉とまちがえそうな大きな托葉がつく。 園芸種のスィートピーはこの仲間。 *以下のものは、大きな托葉のない、属の異なる種類。 クサフジ ナヨクサフジ カラスノエンドウ スズメノエンドウ カスマグサ 等
2021-10-29
65
イカリソウ解体図
イカリソウ(メギ科)錨草 別名三枝九葉草 山の木陰に生える多年草。葉柄は長く、その先が三枝に分かれ、その先に3枚の小葉が付く。 花は4枚の萼片と4枚の花弁が付き、花弁の先に長い距が付き、密を入れる。 種子にはエライオソーム(種枕)が付き、アリ散布。 薬草として「淫羊霍(いんようかく)」と呼ばれ、老いた牡羊も食べれば元気百倍、昔の人のバイアグラ。また、別名の「放杖草」は、この草を煎じて飲んだ老人が杖を放り出すほど元気になるからとか。男性ホルモンの分泌を促進する化学成分を含み、今も市販の強壮ドリンクなどに使われる。日本海側には常緑のトキワイカリソウがある。
2021-10-29
66
アツモリソウ解体図
山地の草原に生える。 高さ30~50cm、花期6月。 花が美しく、乱獲されて野生のものは見られなくなった。名は袋状の唇弁を平敦盛の母衣に見立てた。
2021-10-28
67
アヤメの仲間
上から ・カキツバタ:湿原や湿原の水の流れに沿ったところに生える多年草。高さは40~80cm。 ・ヒオウギアヤメ:高さ50~80cm。名は葉がヒオウギに、花はアヤメに似るから。 ・アヤメ:高原に生える多年草。高さ30~60cm。 ・ヤツガタケヒオウギアヤメ ・ノハナショウブ:山地や野原の湿ったところに生える多年草。高さ60~90cm。 ハナショウブの原種。 ・ヒオウギ(ヌバタマ) ・キショウブ ・ジャーマンアイリス
2021-10-28
68
アケボノスミレ解体図
アケボノスミレ(スミレ科)曙菫 低い山地の半日陰に多く生え、花赤みが強く、大きな花弁。花開き、後に葉が伸びる。太平洋側、葉に艶なし。
2021-10-28
69
アキノキリンソウ解体図
アキノキリンソウ(キク科)秋の麒麟草 日当たりのよい山地に普通な多年草。茎は高さ30~80cmながら、環境で矮小(わいしょう)のものもあり、葉にも茎にも細かい毛がある。変種で「キリガミネアキノキリンソウ」がある。 春・夏の花は花茎の下から順次咲いていくが、秋の花は標高の高いところから、また花茎の一番上から咲く。短期間で結実するための知恵なのだろうか。 (こんな目で見ると、キク科をはじめ秋の花々は、上から咲いてきている) 別名アワダチソウ。豊かに盛り上がる花の集まりを酒をかもしたときの泡に見立て、つけられた。
2021-10-28
70
東山魁夷「夕明かり」八島ヶ原湿原
白馬シリーズ御射鹿池の「緑響く」同様に、八島の「夕明かり」を喧伝したい!
2021-10-15
71
八島ヶ原湿原シモツケソウ
鎌ヶ池から旧御射山社へ向かう右側湿原にシモツケソウの大群落が素晴らしい。
2021-10-15
72
彩雲
数多く山行すると、多種多様な自然現象に数多く出会え、その光景に魅入る。
2024-02-17
73
ヤマブドウ
ヤマブドウの紅葉は、その葉が大きく、山地でも目に付く。
2021-10-14
74
ヤマドリゼンマイ
諏訪地方ではゼッタの名前で、ゼンマイ同様に山菜として使われる。水辺に生育。
2021-10-14
75
メナモミ
鱗片も総苞片も粘液腺があり、べたつく。山地や道端に生える一年草。
2021-10-14
76
ミヤマナルコユリ
ナルコユリに比較し、茎は細く、花数は少ない。御射山林道で初見。
2021-10-14
77
ミヤマザクラ
山地に咲き、花茎は立ち、里のサクラが終わり、その後に咲く。
2021-10-14
78
ボタンヅル
野山に咲き、葉がボタンのそれに似ている。果実の綿毛も見ごたえがある。
2021-10-12
79
フデリンドウ
春先山野でしばしば群生し、小さいながらけなげに咲き誇る。
2021-10-12
80
ハエドクソウ
地味な花で、山地路傍によく生えているが、気づかれない。ハエ殺しに使用した。
2021-10-10
81
ニガナ
ニガナは野山でどこでも見られるが、花色・花弁の数で区分される。
2021-10-10
82
ナガミノツルケマン
山地の日陰に生え、果実は芋虫がたくさん並んだようにつく。黄色い花。
2021-10-10
83
タマアジサイ
つぼみが丸いのでこの名。山地沢沿いなどに見られる。
2021-10-08
84
セイヨウノコギリソウ
高山まで広がる帰化植物。葉の枝分かれが多く、紅色の花もある。
2021-10-08
85
シデシャジン
山地の木陰に生える。花の形が神社の「四手」に似ていることから名がついた。
2021-10-07
86
サワギキョウ
田中澄江「花の百名山」八島はサワギキョウが挙げられている。
2021-10-07
87
サルマメ
山地の落葉小低木。5月頃小さな黄緑色の花をつける。ユリ科木本。
2021-10-07
88
クサギ
山菜の一つ。花も果実も、匂いを除けばなかなか美しい。山地路傍で見かける。
2021-10-07
89
カツラ倒木
山地水辺に近い所によく叢生(そうせい)しているカツラの大木も、こうして朽ちていく。
2021-10-02
90
カスミザクラ
里のサクラが終わり、山地に白っぽい花と緑の若葉を同時に開く。
2021-10-02
91
オランダガラシ
クレソンで親しまれる帰化植物で、山地の渓流にまで繁殖している。 俗名タイワンゼリ。
2021-10-01
92
石尊大権現
この碑は現在秋宮駐車場横にあるが、以前は秋宮境内にあった。祭神は雨乞いに格別効果のあるという大山祗神でご神体は石劔といい古くから石尊大権現の名で知られていた。
2021-12-23
93
蚕影山神社
富部村(現在の第十区)の若宮神社の境内に一間半(約2.72m)四面の茅葺きの社殿を造り「蚕影山(こかげやま)神社」を祀った。
2021-12-23
94
小松家に残る木喰仏
木喰上人は18世紀末から19世紀初頭にかけて何度か信州を訪れ、信者はその身辺に沢山集まった。この木喰上人は旧来の形式にとらわれず、自由に心の赴くままに創作に打ち込み、庶民即仏とでもいえそうなまことにユニークな仏様の数々を刻んでいる。諏訪を中心とする寺や民家に沢山の仏さまが残されているが、写真は下諏訪町横町の花屋茂七(小松)宅の虚空蔵菩薩像である。一般公開されており、そのほほえみは慈悲にあふれている。
2022-03-24
95
中部電力・下諏訪変電所
中部電力パワ-グリッド(株)下諏訪変電所。電力の安定恒久の為には重要な施設。人目につかない秋葉山斜面に設置されている。
2022-03-24
96
ジジ穴・ババ穴
町指定の文化財、ジジ穴・ババ穴古墳。秋葉山から続く斜面にいくつもの古墳が点在していたと言われる。横穴式の石室を持つ古墳時代未明の古墳と伝えられている。写真上がジジ穴、下がババ穴、写真中は町教育委員会の案内板。 言い伝えでは、大昔、火の雨が降ったことがあり、その時この2つの穴に逃げ込んだ人だけが難を逃れて生き残ったという。
2022-03-24
97
樋橋茶屋跡
集落の中央がかぎの手になっているのは多くの宿場に見られる形態である。本陣の「嘉登屋(かどや)」は曲がり角にあり、大名・公家たちのお小休みなどに使われた。宝暦4(1754)年にかどや火事があったとき、藩は何の抵当もなしに米12俵を貸している。文久元(1861)年、和宮下向の折にお小休みのために御殿を建てたが、樋橋大火で焼失してしまった。さらに江戸末には水戸浪士と高島・松本藩の和田峠の合戦の舞台にもなっている。諏訪の歴史の中では忘れられない場所の一つである。
2022-03-24
98
木落坂上
御柱を東俣から注連掛まで曳きだす祭りを「山出し祭」と言っている。その最大の難所が木落し坂で、100mの急坂を曳き下ろす「木落」では、命知らずの若者が御柱の先端に競って乗り、木やり唄に続いて、轟然たる地響きと共に一気に下るありさまは諏訪人の血を湧かす場面である。坂の脇には「木落し社」が祀られている。現在は坂の上には模擬御柱が坂を覗くように置かれている。
2022-03-24
99
萩倉薬師
信濃三薬師(辰野の七蔵薬師・長谷の戸倉薬師・萩倉薬師)の一つ。由緒ははっきりしないが、一説には東山田小田野に萩倉薬師跡と伝えられる地名があるところから、ここから移転したのではないかと推定されている。明治30(1903)年に焼失したため、明治36(1903)年に再建されている。堂は堅牢、彫刻も優れているという。
2022-03-24
100
春宮大門南の大灯篭
高遠系の石工(横川村の山田金右ヱ門の子、平蔵)の作と刻まれている。文政12(1829)年に作られ、6mの高さがある。当時、灯籠に火が入ると諏訪湖からも見え、人々はこの灯火を目印にしたと伝えられている。
2022-03-24
101
春宮境内の御宝殿用材
諏訪大社の神様は、諏訪大社式年造営御柱大祭、いわゆる御柱年に修築の神殿にご遷座になる。この建築用材は下諏訪町東山田地区が奉納することになっていて、写真はその御用材の一部が春宮境内に展示されているところである。室町時代の記録では、新築の宝殿を7年間風雨にさらし清めてから遷座し、旧殿を解体新築、また7年を経てから遷座、という形式だったとされているが、江戸時代に入ってから新築した建物にご遷座するように変わったという。
2022-03-24
102
東山田の指さし道標
東山田神宮寺にある「右塩尻道(指さし図)」と刻まれた道標。東山田には「左塩尻道 右中山道」と書かれた旧農協前の道標、「塩尻道」と書かれた扇橋側の道標が残されている。
2022-03-24
103
東山田・若宮社跡
副祝山田氏の祝神と伝えられている。旧中山道の福沢川と鋳物師沢川の中間に鳥居と祠があったとされるが、昭和初期の水害で流され自宅屋敷内に移されている。写真は若宮社跡の案内板である。
2022-03-24
104
峯見薬師堂
東山田草分けの家が招聘した薬師といわれている。御詠歌に「はるばるとのぼりて拝む峯御堂、朝日なくなく夕日輝く」とある。またお堂の前の石仏には切られ地蔵の伝説も残る。堂の中には「め」という文字が天井や柱のあちこちに書かれてあるという。目の病気が治るよう願を込めたものと考えられている。
2022-03-24
105
御射山神社
中世における諏訪明神最大の祭りは、8月27日を中心とした御射山祭だった。霧ヶ峰の一角、八島高原の東に続く旧御射山で祭事が行われ、信濃・回の武士は言うに及ばず、鎌倉幕府はじめ各地の武将たちが集まり神事の後武技を競い合った。旧御射山社前にその競技場跡があり、土段の桟敷席が残っている。しかし社が遠距離の所にあり道も険しく不便と慶長(1596~1615)の頃、秋宮から4キロの武居入りに遷座したのが現在の御射山社(写真)である。御射山祭は今、幼児が洲小山に育つことを祈る祭りとなり、8月26・27日の例祭には2歳の幼児とともに参拝するのがこの地の習わしになっている。 写真下は同じ境内にある大元尊社である。
2021-12-26
106
浪人塚
元治元(1864)年10月、水戸の天狗党は武田耕雲斎を総大将にして、京都にいた一橋慶喜に尊王攘夷の実行を迫るため軍を進め、11月20日に800人余りの勢力で和田峠を越えてきた。幕命を受けた高島藩は家老千野孫九郎を総大将に総動員し、松本藩350人とともにこれを迎え撃った。この合戦で戦死した者は高島藩6名、松本藩4名、浪士軍は10数名であった。明治4(1871)年、高島藩は浪士軍の戦死塚を造り変えることになり、石工山田金右ヱ門がその碑を刻んだ。現在でも慰霊祭が引き継がれ行われている。
2022-03-19
107
万治の石仏
昔、近在の人々は「浮島の阿弥陀様」と言いお参りをしていた。(№558で下ノ原の念仏講が行われていたころの写真を合わせてみていただきたい。) 江戸時代五代藩主忠林(ただとき)が、各村に命じて画かせた諏訪藩主手元絵図(東山田の図)には「えぼし岩」とある。また三代藩主忠晴が春宮の大鳥居建立の時、石工がノミを入れたとき血が流れ出たので阿弥陀如来を掘り祀った話も残されている。この石仏が世に知られるようになったのは故岡本太郎画伯が絶賛してからと言われる。「万治の石仏」の呼び名もそのころからと言われる。一方年号や願主の名が彫られていることや胸にみられる太陽・月・雲などの模様や逆卍などから江戸初期の木喰弾誓上人とも関係があると考える人もいる。
2022-03-19
108
本陣跡
下諏訪宿本陣遺構。本陣は最初小口氏が務めたが、のち岩波氏に代わった。文久元(1861)年の図面では、建屋280坪、建物並びに庭545坪、畳数232畳、総坪825坪と記されている。現在の本陣遺構とホテル聴泉閣かめやを合わせた敷地にあたる。 本陣の業務は大名・幕府役人の宿泊であるが、運営の費用は問屋業の収益でまかなわれた。
2022-03-19
109
伏見屋邸
明治初期に建てられた中村家がいを営んだ家で、屋号を「伏見屋」という。部屋数も多く柱も太く造作も豪華である。この頃当主は下ノ原で最初に器械製糸を操業している。平成22年度に復元修理工事をし当時の面影を取り戻した。現在は旧中山道を歩く人の休憩所や、伏見屋邸サポート倶楽部など地域の活動の拠点として利用されている。
2022-03-19
110
犬射馬場跡標石
犬射馬場四至ノ標石の内、北東と東南隅の写真。山王台の下に郷殿という諏訪明神大祝の屋敷(下諏訪中学校あたり)があり、この屋敷の西続き下の段を馬場(ばっぱ)といい、犬射馬場があった。鎌倉時代の武士たちは、日ごろから笠懸・流鏑馬・犬追物などの鍛錬に励んでいた。この馬場では主に犬追物を行い、またその事にまつわる祭場でもあった。江戸時代になりそれらが廃ると馬場には人家ができるなどしたため、享保18(1733)年、さらに明和6(1769)年に神社・氏子立ち合いで検地確認したという。これはその時の標石である。
2022-03-19
111
福沢川・法泉寺横
東山田の法泉寺とその東側を流れる福沢川。
2022-03-19
112
法泉寺
福沢山清泰院法泉寺、浄土宗の寺。室町時代に開山されたと伝えられているが、文政年間の火災のため資料を欠き詳細は不明。江戸時代から明治維新までは寺子屋として、明治7年から明治23年までは東山田学校(郷学)として使用された。門前には東山田学校跡、六地蔵菩薩を祀ってある石碑や石佛がある。前を通る道は塩尻道と呼ばれ、中山道の近道として利用されていた。道を挟んで東側を福沢川が流れている。
2022-03-19
113
東山田屯所・山花
法泉寺の角の交差点に、東山田第七分団屯所が福沢川の左岸に、道を挟んで西側に食事処「山花」がある。この道は急ぎの旅人などが春宮東で中山道をそれ、東山田を通り西山田(中村)を経て今井から中山道に入った近道で、塩尻道ともよばれていた。参勤交代に合わないための間道として御岳山の行者などが多く利用したという。
2022-03-19
114
熊野神社石碑
東山田熊野神社の「お山」の石碑群。
2022-03-19
115
東山田行屋
東山田の熊野神社参道の西側にあり、信仰を同じくする人が集まる修験の場であった。この項では、駒ケ岳、御岳、富士山、浅間山、大山など霊山が信仰されている。行屋の東に滝があって水垢離ができるようになっている。しばらく途絶えていた荒神様のお守りが復活し、正月には講の詩損に配られるようになった。 また行屋の前からは諏訪湖の眺望がすばらしく、さらに目をやると富士山、北岳、間ノ岳の日本の山・標高ベスト3を一度に眺めることができる。
2022-03-19
116
花田の辻・碑
蚕神、道祖神、庚申の碑が並ぶ花田の辻。この小路を入ったところに第一次世界大戦の時、青島(チンタオ)攻撃司令官として活躍した神尾光臣(作家有島武郎の養父)出生の家、神尾家があった。 小路奥の林が東山田熊野神社である。
2022-03-19
117
御作田社
旧中山道沿いにある御作田社のお田植祭の風景。春宮横の浮島社で夏越の祓が行われる同じ日の6月30日に行われる。写真は鳥居前、2坪ほどの田んぼでの御田植、御田植の前の舞の様子である。 かつては№10・11・12・74の写真の時代は、秋宮境内横の水田で祭りが行われていたと聞く。古式は旧暦6月30日だったものだが、田植え後わずかひと月で穂が実るという、「御作田の早苗」として下社の七不思議に数えられている。諏訪明神は農業神であり、このあらたかな米作りこそ明神様の本領発揮とでも言えそうである。
2022-03-19
118
綿の湯跡
綿の湯の跡。「綿の湯」で検索していただくと古い写真がたくさんあるのでぜひ比較していただきたい。かつての名湯も今は碑と観光用に流している湯、壁に掛けられた江戸時代の宿場風景を描いた複製画で偲ぶしかない。せめて次代の子供たちには「湯玉の伝説」くらいは話し継いでいきたいものである。
2022-03-19
119
中山道・甲州道中合流地
かつてこの場所に問屋場があり、その奥には「綿の湯」があったところで、下諏訪宿の中心であった。江戸から和田峠を下ってきた中山道はここで直角に折れて塩尻、さらに京をめざす。また、江戸から甲州を通ってきた甲州道中はここで中山道と合流し終点となっている。この碑の前に立って両手を広げると右に行っても江戸、左に行っても江戸となり、全く反対なのにどちらに行っても江戸に行けるというおそらく日本中でここだけの珍しい場所である。 ちなみに、この合流の地は、江戸日本橋から下諏訪宿まで甲州道中で53里11丁(約209キロ)、中山道では55里7兆(約217キロ)の地点である。
2022-03-19
120
旦過の湯
かつての下諏訪三湯(綿の湯・小湯・旦過湯)の一つで、三湯の中で最も湯温が熱い。№1541と比較すると建物が新しくなっている。今は中山道に面した壁に修行僧の「こて絵」が飾られており、この湯の歴史(禅寺・慈雲寺の旦過寮のあった場所)の片りんを感ずることができる。
2022-03-19
121
今井邦子文学館
「松屋」は中山道の宿場内にあって、間口が狭く奥行きの長い典型的な宿場の建物であったが、当時の面影を可能な限り再現して建て替えられ、現在は「今井邦子文学館」として開放されている。今井邦子は少女時代に下諏訪町に住み、島木赤彦との巡り合いにより短歌の新境地を開き、「明日香」を創始して歌人の道を歩んだ。館内には今井邦子や「明日香」の資料が展示されている。また、旧中山道を散策する人々が一服できる場所ともなっている。
2022-03-19
122
綿の湯跡
かつて綿の湯や問屋場があった中山道と甲州道中の合流地を立町の方から撮った写真である。すでに綿の湯もなくなり、駐車場や観光案内板が置かれているが、手前左の「丸や」、右の「ききょうや」はかつての風情を色濃く残している。古い写真と見比べてほしい。
2022-03-19
123
現代の宿場風景・横町
宿場、横町の風景。かつては宿場の中心で賑やかに旅人が往来していた。昔の宿場の様子がわかる写真と見比べてほしい。写真中央左は児湯、写真奥の林は秋宮である。
2022-03-19
124
中山道一里塚(五十五里塚)
下諏訪町には、一里塚が4か所置かれていた。甲州道中の53里塚(富部)、中山道の53里塚(西餅屋下)、54里塚(町屋式上)とこの写真の55里塚である。かつては街道両側に塚や根張りの良い木が植えられていたが、現在は標石が建てられているばかりである。
2021-08-03
125
神宮寺跡・大坊跡
下社秋宮の本持仏の千手観音を本尊に祀っていた「海岸孤絶山法性院神宮寺」の大坊(方丈)があったと言われるあたりの写真。山王閣から東南に向かって眼下に見える窪地一帯を寺域とする広大な寺であったが、廃仏毀釈によって廃寺となってしまった。
2021-06-23
126
山の神(三区)
国道20号線を和田峠に向かっていくと右手に目るのが「第三区山の神」である。1月17日の早朝暗いうちに参詣する。作っておいた弓と矢を神前に供えて、お賽銭とお神酒をあげ、焚火で切り餅や鰯を焼いて食べながらお神酒をいただく。そのあと、明きの方(恵方)へ向かって矢二本を放ちながら、「山の神さまサンゼンゴンオン」(地区によっていろいろ違いがあるという)と唱える。持って行った弓矢は持ち帰って各家の門口に掛けておき、魔よけにするという。現在も町内の民家の玄関近くに飾られているのをよく見かける。
2021-05-10
127
白鷺山
宝光院(敬愛社)の「お山」とされている。古くから修験の場で、古く山上の岩に不動の二字を刻んで本尊とし、安永6年に石尊大権現を還座したといわれる。のち高島藩家老千野家の庇護を受けながら白鷺稲荷大明神を祀ったり、文政9年(1826)には山の中腹に大日如来・阿弥陀如来・観世音菩薩を祀って熱心に修業したと伝わる。急峻な山道沿いにたくさんの神仏碑が祀られており、現在でも敬愛社の社員が御柱の年にこの白鷺山山頂で紫灯護摩が行われている。
2021-06-23
128
柿蔭山房
アララギ派の島木赤彦(本名久保田俊彦)が明治30(1897)年から没する大正15(1926)年まで住んでいた住宅で、アララギ派の島木赤彦(本名久保田俊彦)が明治30(1897)年から没する大正15(1926)年まで住んでいた住宅で、柿蔭山房(しいんさんぼう)と呼ばれている。庭には樹齢300年のもなるという見事な枝ぶりのアカマツがある。町指定文化財となっている。
2021-06-03
129
承知川の石橋
道沿いの石垣に埋め込まれているこの大きな石は、かつて近くを流れる承知川の石橋に使われていたと伝えられている。重量およそ13tで輝石安山岩の一枚岩である。言い伝えでは武田信玄が川中島の合戦に際し、諏訪大社の千手観音に戦勝を祈願して社殿の建て替えと千手堂に三重塔の建立を約束した。合戦の帰途、信玄がこの橋を渡ろうとすると馬が動こうとしない。信玄は約束を思い出し、下馬して「神のお告げ承知つかまつり候」と申し上げたという。この伝承から承知川と呼ばれるようになったという。また石に刻まれた線刻が信玄の隠し財産の場所を示す地図になっているという話も伝わっていて、歴史ロマンを醸し出す場所になっている。
2021-06-03
130
甲州道中一里塚(五十三里塚)
富部にある甲州道中一里塚。江戸日本橋から五十三里、甲州道中最後の一里塚である・ここから十余町(およそ1㎞余)で下諏訪宿に至り、綿の湯前で中山道に合流する。
2021-06-03
131
春の浮島
医王渡橋(いおうどばし)から川の中ほどにある浮島(うきしま)を望む。夏は子どもたちの川遊びの大切な場所となる。 撮影日は御柱年で、東山田地区の小宮の御柱のための飾り付けがされているのが見える。
2021-02-23
132
キベリタテハ
チョウ目タテハチョウ科 主に山地に分布するタテハチョウ。 幼虫はダケカンバなどを食べ、成虫は樹液や獣糞にあつまる。 町内では主に標高1000m以上で見ることができる。 写真は林道上で日光浴をする越冬明けの個体。
2021-02-23
133
旧ホテル山王閣
諏訪大社秋宮の脇で営業していたホテル。多くの町民がここで結婚式を挙げ、多くの式典が開かれた。
2021-02-23
134
オトコヨウゾメ
ガマズミ(ヨウゾメ)は食用になるが、本種はならず、オトコとついた。 やや乾いた明るい山地に多い落葉低木。秋にやや平たい赤色の果実をつけて下に垂れる。
2022-01-19
135
オトコエシ
黄色いオミナエシは有名ながら、オトコエシもやや日影地に白く咲く。 山野の日の当たる草地に生え、高さ60~90cm。全体に毛が多い。花期あh8~9月。
2022-01-19
136
オカトラノオ
山地の草原に生え、花が虎の尾に似ている。 サクラソウ科の仲間で多年草で茎の上部にはまだらに毛があり、下部は赤色を帯びる。
2022-01-19
137
オオヒナノウスツボソウ
ゴマノハグサ科、あまり多くはないが、ファンもいる。この写真は果実。 山地に生える多年草。
2022-01-19
138
オオバナノエンレイソウ
エンレイソウは花の径が2㎝、本種は7cmと大きさが異なる。栽培種。 北方型の多年草で、山地に生息する。
2022-01-19
139
オオハナウド
写真上、花は花序が集まった周辺部の花がひときわ大きい。 写真下、小葉は3~5中裂し、不揃いの切れ込みがある。 山野に生え、茎は高さ2mくらいになる大型の草木。
2022-01-19
140
エゾリンドウ
湿地にみられ、クキ全体に花を付ける。これを園芸種として育てられている。 山地や亜高山帯の湿地に生える多年草。
2022-01-26
141
エイザンスミレ
エイザンスミレの夏葉。 山地のやや湿り気のある木陰に生える香りのよいスミレ。 比叡山にあったことからこの名がついた。 別名「エゾスミレ」
2022-01-16
142
ウワミズザクラ
山野に生える高木で10mぐらいになる。 未熟な果実は食用ともする。 普通のサクラらしくなく、総状花序(そうじょうかじょ)を長くつける。
2022-01-26
143
ウリハダカエデ
樹皮はマクワリに似て、雌雄異株で、枝の先端に総状花序(そうじょうかじょ)を付ける。 山に多い落葉高木。
2022-01-16
144
ウリカエデ
本種の葉は分裂しないものと3~5裂するものとがあり、黄葉と紅葉がある。 低い山に多い落葉低木で枝の皮がウリの皮の緑色をしていることでこの名がついた。 別名「メウリノキ」
2022-01-16
145
ウメバチソウ
王冠のような黄色い仮雄しべがトレードマークで、中の雄しべは順に開く。 山のふもとや日の当たる湿地帯に生える多年草。
2022-01-16
146
ウメガサソウ
梅笠草。山の木陰に生えるような常緑小低木。 前年果実と当年花を同時に見ることができる。
2020-09-09
147
ウド
山菜としてなじみがあるが、花も果実も見どころがある。 大型のものでシシウドがある。
2021-09-16
148
ウツギ
別名卯(う)の花。山野の茂みに生える落葉低木。 空木とは枝を切ると中に空洞ができている。 ○○ウツギと科をまたいでも多い。 秋にはおわん形の果実が多数ついていつまでも残る。(写真下)。
2021-09-16
149
イワアカバナ
柱頭(チュウトウ)が本種はまん丸で、アカバナは米粒のように細長い。紅葉も美しい。 山中の湿地に生える。
2021-08-09
150
イブキトラノオ
花はアップで見ると見ごたえがある。 群生になると多くの昆虫も群がる。 山地の草原に多く見られる多年草、高さは50-80㎝。 滋賀(しが)県の伊吹(いぶき)山に多いのでこの名がついた。 トラノオは虎の尾という意味で花の形から来ている。
2021-08-03
151
イヌザクラ
山地で桜類。 桜のように見えないのでこの名がついた。
2021-06-27
152
イケマ
ガガイモ科のアサギマダラの食草。 山地の木蔭に多いつる性の多年草。 オクラのような果実は種子散布は見どころあり。 「イケマ」とはアイヌ語で「大きな根」という意味。
2021-06-16
153
ママコノシリヌグイ
野山にあちこち群生している。 和名は「継子(ママコ)いじめ」。逆さ刺が継子いじめに使われたという意味。 写真2枚目は刺の写真、この刺h半端なく大変痛い。 写真3・4枚目は花でピンク色で美しい、「アキノウナギツカミ」も同様に刺が痛い。他のつる植物の仲間同様にその刺で他の植物にからんで上に伸びてゆく。
2021-05-25
154
アブラコゴミ
キヨタキシダとも言い、コゴミ同様に山菜の一つに数えられる。
2021-05-25
155
アツモリソウ
自生はなかなか見られないが、近くでは柿陰(しいん)山房の庭園で植栽ながら鑑賞できる。
2021-03-24
156
アオハダ
雌雄異株で、写真は雄花。 里山でも時に見られる。
2020-09-09
157
コシアブラ
山菜では大好物ながら、その花を知らずに、某県のその筋に問い合わせをした思い出も。 別名ゴンゼツノキ。
2020-09-09
158
ヒロハコンロンソウ
コンロンとは中国の崑崙山(コンロンザン)の雪に見立てたとの説がある。
2020-09-09
159
ヤマハハコ
山母子(ヤマハハコ)。 白い花はまるで造花のような手触りで、ウスユキソウとの 違いも慣れるとわかる。
2020-09-09
160
コマドリ
「コマドリ」ヒタキ科 全長14cm 翼開長21cm 日本三鳴鳥の一種。張りのあるさえずりが「ヒン、カラカラカラ」と馬のいななきを連想させ「駒鳥」の名がついた。亜高山の針葉樹林帯などに棲み昆虫やクモなどを捕食する。
2021-03-04
161
カワガラス
「カワガラス」カワガラス科 全長22cm 翼開長31cm 山間部の渓流に棲み、水面すれすれに飛び河川外には出ない。翼を使い泳いだり川底を歩いて水生昆虫を捕食する。コケなどを集めて水辺の崖や滝の裏側などに営巣する。
2021-03-04
162
御柱祭木落し
昭和31年の御柱、木落しの写真。柱に乗っているのは中村・杉山・牛山木落。
2022-01-18
163
木落し
御柱祭山出しの木落坂風景。 氏子の着ている法被がみな紺色のため昭和43年以前の御柱祭り。 昭和43年から紺の印反てん(法被)が現在の下諏訪町の色染め法被(はんてん)になる。
2021-05-03
164
笠原製糸工場
(屋号 山二)笠原製糸工場表彰式。 経営者の名前を下諏訪町誌から探すと、笠原亀蔵の経営する製糸場が明治23(1890)年に開業している。
2020-09-05
165
山出し
昭和37年諏訪大社下社御柱祭。 御柱祭山出しの風景、萩倉の村中を曳行中。 法被に「岡谷」の染め抜きがある。
2021-05-03
166
山出し
昭和37年御柱祭。 山出し風景、萩倉の村中を御柱が曳行中。
2021-05-03
167
山出し
昭和37年御柱。 山出し風景と思われるが、場所等詳細は不明。 法被の背中に「岡谷」とある。
2021-05-03
168
山出し
昭和37年の御柱祭、山出しの様子。 注連掛け手前の坂と思われるが、場所など詳細は不明。
2021-05-03
169
御柱山出し
諏訪大社下社の山出しの木落しの場面。 詳細等は不明。
2021-05-03
170
御田町店主の仮装
御田町店主の仮装で、一宮御用の御幣、法被姿・仮装姿の人々が見える。プラカードには「御田町エロの宮御用」「釜洞青果店」「まつや…」「かみや…」「山田屋」「洋服ハサクライ」などと読めるものがある。 実に昭和レトロな雰囲気が出ている。
2024-04-03
171
御田町商栄会富士講
1「皇紀二千六百年 霊峰富嶽に登拝し皇軍の武運長久を祈願す 御田町商業会富士講」関連写真。 1枚目は七合五尺、3枚目は須走登山口での記念写真。。
2022-01-16
172
東山田農家組合
「団体賞受賞婦人部創立記念 東山田神宮路第一農家組合」の文字。 ちなみに神宮司道は春宮前から医王渡橋を渡った先に地名として残っている。
2022-01-18
173
福澤川山腹工事
(諏訪郡長地)福澤川に於ける山腹工事の一部(施工直後)。場所は当時の東山田村。年月等不明。
2022-04-19
174
御柱祭木落し
諏訪大社下社御柱祭山出し木落し坂。 年月等不明。
2021-12-26
175
霞城館
山王台にあった霞城館。右奥に忠魂碑が見える。写真左端に長持ちが一竿、正装で弓道か。
2021-12-26
176
牛山製缶所
看板に「創業十五週年記念 牛山製罐所」とある。店の奥に丸い缶が山と積まれている様子がわかる。 明治25~26年ころ、増沢寅之助氏がカリンの缶詰工場を操業した。自宅の裏土蔵の屋根下を利用したものだった。 使用している機械、服装等から明治末頃の写真と思われる。
2021-12-26
177
秋葉山の展望台
秋葉山に設けられた展望台。水月会で戦後の昭和21(1946)年1月から水月園の復興に着手、28(1953)年4月秋葉山一帯を公園化することを条件に下諏訪町に寄付。町では秋葉山に展望台を設け自動車道を開きつつじ・かえで・桜を植えた。
2021-12-26
178
東山田長持ち
東山田には「道中長持ち」「大社御用長持ち」「藩御用長持ち」「御騎馬御用長持ち」「御祝儀長持ち」がつたえられていいて現在の姿は大社御用長持ち。 写真上には「東山田区の長持ち札 越後将軍徳川忠輝公筆と穪(ショウ?)す 東山田区でハ之の長持ちを先頭に純特の足取りで練る 此の長持の飾付は特徴あり 寛永年間(1630)のもの」と書き込まれている。
2022-05-03
179
神の湯開業
大正11(1922)年9月砥川筋から少し入った山の手に、鉱泉神の湯が開業した。写真は上の湯遠景、源泉は毒沢から湧出する強酸性で鉄分とミョウバンを多く含む橙色の湯。「毒沢鉱泉」は飲用もでき、胃腸病や皮膚病、切り傷や貧血等に良いとされている。近くに信玄の各氏金山の跡といわれる場所もあり、武田信玄の隠し湯としてもPRしている。
2022-06-09
180
木落し
木落直前の様子。 ハッピに「岡谷」の文字が見える、岡谷地区担当の柱。
2022-06-09
181
御柱祭山出し
御柱祭山出し風景。 年代等の詳細不明。
2024-04-21
182
元綱
山出し祭の綱上げ風景、綱を運ぶ氏子たち。 法被の襟に下諏訪町の文字が見える。
2023-04-06
183
御柱山出し
山出しの曳き出し風景。 下諏訪町のはっぴを着ている人々、はっぴの色は青に変わる前の時代。 秋1または秋3の柱と思われる。
2024-04-21
184
記念写真
長持ち勢ぞろい。下諏訪駅前には「米本旅館」「菅野館」「山一旅館」が見える。
2023-04-06
185
御騎馬
春宮大門前(現国道20号)にて、騎馬勢揃い。後ろに仁丹の看板が見えるこれは現中山薬局。
2022-05-12
186
長持ち
「昭和十三年戌寅歳御柱記念」 東山田区長持ち勢揃い。
2022-05-12
187
御柱祭山出し
御柱祭 大平出発の様子。 昭和19(1944)年4月11日、午前5時半頃棚木場を出発する秋一秋三の御柱、この後3時間して大事故が起きた。
2021-12-18
188
木落し
御柱祭、山出しの木落坂の木落しの風景。
2021-12-18
189
木落し
御柱祭山出し、木落坂。
2021-12-18
190
御騎馬
東山田法泉寺にて御騎馬行列勢揃い。 江戸時代藩主が御柱を騎馬で警護したが、明治になり困って戸長会議と諏訪大社の依頼で長地村の東山田と東堀の人々で始まった。当時は衣装と道具の調達にかなり苦労したという。最初は一団体だったので、出陣・凱旋両方行っていたが、後年になって東山田が出陣騎馬を東堀が凱旋騎馬となり、東堀の騎馬が三区へ、東山田の騎馬(昭和25年解散)が一区へと受け継がれていった。法泉寺にて撮影。 1630の写真は、「東山田今昔」(16p)に掲載されており、「大正3年の騎馬行列勢揃、大将は武田尚氏小学4年」となっている。撮影年は再確認が必要。
2022-05-03
191
騎馬行列
江戸時代藩主が御柱を騎馬で警護したが、明治になり困って戸長会議と諏訪大社の依頼で長地村の東山田と東堀の人々で始まった。当時は衣装と道具の調達にかなり苦労したという。最初は一団体だったので、出陣・凱旋両方行っていたが、後年になって東山田が出陣騎馬を東堀が凱旋騎馬となり、東堀の騎馬が三区へ、東山田の騎馬(昭和25年解散)が一区へと受け継がれていった。法泉寺寺にて撮影。 この写真は「東山田今昔」(16p)には、「大正3年の騎馬行列勢揃、大将は武田尚氏小学4年」となっている。撮影年は再確認が必要。
2022-05-03
192
奉射(ぶしゃ)会
下諏訪町の弓道会の歴史は古く大正13(1924)年といわれている。諏訪大社御射山奉射(ぶしゃ)会、お舟祭り射会など秋宮の境内をはじめ場所を変えながら仮設道場を作り奉射会を行ってきたようだ。諏訪大社秋宮前(現在のトイレがある近辺)で行われた奉射会のようだ。
2022-03-13
193
鎌倉街道
小湯の上に残る鎌倉街道。現在「鎌倉街道」(鎌倉道)は諏訪市大和から高木集落の下を通り富部・武居・下の原・慈雲寺裏を経て砥川を渡り、東山田など、町周辺の山付きの村の標高の高いところを通り、ところどころに道筋を残している。
2020-03-06
194
湯田坂
国道142号辺りから見下ろした湯田坂。 左の大きな建物は旧旅館喜楽。 旧中山道の風情が残る街並み。
2020-03-06
195
天白の坂道
142号線(宮の上バス停近く)よりハイム天白方面(秋葉山から続く斜面)に登る急坂。坂の上には町指定文化財の横穴式の石室をもつ古墳時代末期の古墳、「ジジ穴・ババ穴古墳」がある。
2021-04-15
196
八幡坂の街並み
写真右に見えるのは専女(とうめ)社のけやき。工事を行っている場所は、現在は土産物屋(専女八幡)になっている。奥の茶色の建物は今は亡き「ホテル山王閣」。№1519,1520参照。
2020-03-06
197
商店
旧甲州街道沿いにあった「青柳商店」の改築工事風景。現在は住宅となっている。後ろに見える建物は今はない「ホテル山王閣」。
2020-03-06
198
旧中山道
旧中山道、武藤工業裏手付近。
2020-03-06
199
商店
湯田仲町にある宮坂商店(化粧品店)。右手の道を直進すると旧中山道。
2020-03-06
200
峰見薬師堂
東山田地区には峰見薬師堂(増沢マキ・宮坂マキ)と西浦(裏)薬師堂(山田マキ)があり、マキによる講のお堂で春秋の彼岸に講中が集まり念仏講を唱え祭りをしている。写真は西裏薬師堂である。西裏薬師堂は茅葺き高床式の厨子内に江戸時代と思われる朔像の医王薬師如来両脇土が立ち、他に弘法様2体、絵馬「め」は眼病の救済に崇められた。山田マキの墓地内にある。
2020-03-06
201
綿の湯
大正13(1924)年着任した柳沢警部補から、衛生保安の立場上、三湯(綿の湯・児湯・旦過の湯)とも改築の急務を力説されて、第二区では「綿の湯」をはじめ、三湯の改築に取りかかることになり、まず綿の湯から着手することになった。写真は大正14(1925)年8月、旧中山道沿い突き当たりの立町に建て直された綿の湯である。この時、階下は消防屯所で二階は集会所とし、二階屋上に火の見の望楼をのせた。 綿の湯はこの後、昭和35(1960)年に鉄筋コンクリート建築に改築されている。 綿の湯には伝説が2つ伝わっている。一つは建御名方命(たけみなかたのみこと)の妃である八坂刀売命(やさかとめ)が上社から下社へ住まいを移す際、上社前の温泉の湯を化粧綿に浸み込ませて持参し、下社前に置くとそこから湯が沸き出たというもの。もう一つは、穢れ
2020-03-06
202
下諏訪上空
町屋敷工業団地。町内企業の振興を図るため平成2(1990)年から造成に着手し翌年平成3(1991)年、13区画35227㎡の工業団地が町屋敷に完成した。
2020-03-06
203
木落し
御柱祭山出し、木落しの様子。
2020-03-06
204
柿陰山房
柿陰山房「島木赤彦の家」。アララギ派歌人であった島木赤彦(本名久保田俊彦)の住まい跡。この柿蔭山房で多くの優れた歌を残しました。秋には柿の実と山房の美しい風景が赤彦の想いと重なります。「柿蔭山房」(しいんさんぼう)の名前の由来は、古くからこの地には柿の木が多く、歌を発表するとき、赤彦自ら「柿の村人」と号したことからといわれています。
2020-03-06
205
町制施行100周年事業
諏訪盛澄時代行列イベントに参加する「万寿姫」「絹姫」コンテストが秋宮境内で行われた。写真左から「春姫」宮沢さん・久保田さん、五代目「万寿姫」の山田さん、「絹姫」の岩下さん、「秋姫」の武居さん・中谷さん。26人が応募24人が出場。「万寿姫」「絹姫」には海外旅行と副賞がプレゼントされた。
2020-03-06
206
スケート
氷上の整頓(絵葉書)。当時結氷した諏訪湖は軍事訓練の場として使われることもあった。写真後方山肌が見事な段々畑(?)になっている。
2020-03-06
207
湯田坂
湯田坂。道で遊ぶ子どもたち。坂の手前左に「産婆」「山田製靴店」の看板が見える。
2020-03-06
208
吉澤製糸場
山永※吉澤製糸場。明治26(1893)年当時30釜。花咲町旧小松ガラス店隣。明治24(1891)年に吉澤金治が創業。
2020-03-06
209
白鶴社三井製糸
白鶴社三井製糸。久保山王台下現三井範義氏宅下大東社を経て信濃蚕業(現イングスシナノ)分工場となる。右奥には若宮神社の森、手前広場は既に三井製糸工場撤去の後。
2020-03-06
210
日新社製糸場
日新社製糸場(林栄一)。後の山二笠原製糸場を経て日新工業(日新工業)となり、ギターの製造を行っていたが昭和 年火災により閉業現在町営御田町駐車場。奥の森は青塚その左は来迎寺。
2021-04-01
211
昭栄製糸
明治42(1909)年創業の昭栄製糸(小口竹吾)。昭和3(1928)年当時743釜。大正9(1920)年第一次大戦後の恐慌、大正12(1923)年関東大震災、昭和4・5年世界的大恐慌等が製糸業へ大打撃を与える。やがて山十組は破綻、営業の継続を依頼会社整理の抵当権者(安田銀行)がバックアップ、昭和6(1931)年山十※組下諏訪製糸が昭栄製糸となった。その後、昭和32(1957)年、下諏訪町の工場誘致により跡地に三協精機(現日本電産サンキョー)が上諏訪より誘致された。 煙突と煙突の間の森は下社秋宮。
2021-04-01
212
山田製糸場
大正13(1924)年創業の山田製糸場。昭和3年当時20釜。
2021-04-01
213
四王製糸場
大正7(1918)年創業した入一組山二製糸場。昭和3(1928)年当時410釜。大正12(1923)年南四王(現イオン跡地)に四王製糸場(入一※組分工場)として建設後に昭栄製糸場となる。現在のイオン下諏訪店の位置にあった。
2021-04-01
214
天然氷の採氷
明治39(1906)年12月下諏訪町に諏訪湖天然氷株式会社が創立。手前が採氷作業、向うの湖岸は積み上げてある氷を農家の若者が山車へ満載して下諏訪駅近くの大氷庫へ運ぶところ。溶けない氷として送出先の氷水屋・病室用に喜ばれたが、大正中ごろまでには人造氷の出現で惜しくも衰退した。
2020-03-06
215
赤砂飛行場
赤砂飛行場。飛行機の周りに人々が集まっている様子。昭和3(1928)年1月、諏訪飛行協会を結成。3月に格納庫ができる。4月6日藤森飛行士が赤砂に着陸、翌4(1929)年には、複葉機で郡内を飛ぶなどした。 赤砂飛行場は大正11(1922)年に造られた「臨水園」という公園に誕生し、格納庫が作られ、約300mの舗装されていない滑走路があった。飛行機は写真にあるように複葉のプロペラ機で、片山、藤森、井上、篠崎という四人のパイロットがいたという話が残っている。
2020-03-06
216
山岡氏
山岡操氏。製糸を始めた富部(十区)の士族。 山岡家には立派な屋敷図と城壁のような石垣が残っている。また山岡氏は明治6(1873)年3月に大小区政が敷かれた時、第十三大区小五区の戸長も務めた。
2020-03-06
217
運送馬車
荷馬車による配水管の運搬。 昭和2年注連掛付近にて写す。
2020-03-06
218
御柱祭
御柱祭、山出しの様子。
2020-03-06
219
御柱祭
御柱祭、山出しの様子。
2020-03-06
220
御柱祭
御柱祭、山出しの様子。
2020-03-06
221
御柱祭
御柱祭、山出しの木落とし坂の様子。
2020-03-06
222
御柱祭
御柱祭、山出しの木落とし坂。
2020-03-06
223
御柱祭
御柱祭。山出し、木落し坂から注連掛へ向かい、砥川落合橋付近?
2020-03-06
224
昔の岡谷
昔の岡谷。入山の倉庫。
2020-03-06
225
朝日公園から岡谷市街地を望む
昔の岡谷の市街地と製糸工場。諏訪湖と天竜川が見え、岡谷の市街地には黒い煙をあげる煙突が林立し、間に繭倉も見える。撮影は山手町の高台あたりからか、山の斜面は桑の木で埋め尽くされている。
2020-03-06
226
花岡公園から岡谷市街地
昔の岡谷 花岡山(花岡公園)から天竜川越しに林立する製糸工場を望む。手前下に天竜川、びったら橋が見える。天竜川の向こうは岡谷の製糸工場群、千本煙突から煙が登るり、4層の繭倉群も見える。
2020-03-06
227
出征兵士を送る
秋宮境内、沢山の幟旗が立つ、出征兵士を送る光景。15年戦争(満州事変・日中戦争・太平洋戦争)で戦死した町民は533名と記録がある。(町政要覧より)
2020-03-06
228
鉄鉱泉本館
夜の湯田坂かいわい。名湯旦過の湯を中心とした、旧中山道筋の一角。かつては坂下に温泉旅館が並び、しっとりとした湯の町風情がただよっていた。このあたり、製糸業の全盛期には芸妓置屋が軒を連ね、脂粉の香ただよう街だった。写真は今も旅館業を営む創業が明治初頭の「鉄鉱泉本館」。
2020-03-06
229
牛山家住宅
玄関左手に出っ張りの馬屋のある旧豪農の曲がり屋の牛山氏宅。かつては村きっての大百姓で名主も務めた家。江戸末・文政期間(推定)の建物で昔は茅葺だった。馬屋を抱え込んだ曲り屋は諏訪地方では珍しい。玄関右手はお役人を迎えるための「お座敷」と呼ぶ12畳間・8畳間。
2020-03-06
230
星ヶ塔遠望
この国の先史時代を支えた黒曜石原産地の大遺跡星ヶ塔(ホシガトウ)山の全容。黒曜石は火山岩の一種でガラス質で割れ口が鋭利なため石やり・矢じりなどに使われた。中央の窪地が先史時代の黒曜石採掘跡。先土器時代(旧石器時代を含む)から縄文晩期まで2万年以上にわたって掘り続けられた遺跡。旧陸軍の地図にはカタカナで表記されていた。
2020-03-06
231
新短歌の歌人
新短歌の歌人光本さん。この年新短歌連盟賞を受けた。アララギ王国の諏訪にあって新短歌信濃支部を設立、松本・岡谷に歌会を持ち駆け回っている。鳥取県出身、歌集に「薄氷」「素足」などがある。「未来山脈」主催。
2020-03-06
232
デイバイデイ岡谷店
町の西南部、土地区画整理事業で昭和51(1975)年に開通した幹線道路沿いに進出した山梨県竜王町に拠点を置く新手の安売りチェーン店デイバイデイ岡谷店が開店。諏訪圏では2店目、。家電・日用品・スポーツ用品などが売られていた。
2020-03-06
233
カワヤナギの並木
昔の諏訪湖の汀線に自生したカワヤナギの並木。この辺りは埋め立て前は「ヨナ」などの小魚が遊ぶ美しいなぎさだったという。「ヨナ」はトンコよりやや小さく体長が2cm位の細長い魚。並木の北側にジャンボ滑り台が見えるのは「みずべ公園」。天候がよければ八ヶ岳の裾に富士山が見え、時間によっては湖上で練習に励むボート選手の姿も見える。
2020-03-06
234
木の下町の民家
木の下町の民家。秋宮側から綿の湯方面を望む。右手に「新鶴本店」の看板が見える。甲州道中はここで江戸から53里11丁、辻を左折れすれば京に向かう中山道、まっすぐ進めば中山道を春宮に向かい、さらに和田峠を越えて和田宿から江戸につながる。江戸時代は下諏訪宿の中心地だった。
2020-03-06
235
舟道
富部地区に残っていた舟道と漁業者の家。山の手を通る甲州街道から高まま(高浜)の入り江の舟止(ふなと)へ降りる舟道が通じ、これにそって半農半漁の村が形成されていたのだが、舟道も旧国道20号線(手前の道)と鉄道で断ち切られ、漁業もすっかり衰えて、平成元(1989)年には、昔の面影が残るのもこの家くらいしかなくなってしまった。この写真では船道は建物に向かって右の小路にあった。№1133参照。
2020-03-06
236
旧社東町公民館
旧下諏訪製糸共同病院の本館を昭和2(1927)年12月に買収移転した地区公民館(神明館)。現在の社東町付近は、砥川と十四瀬川に挟まれ、特に砥川と福沢川の合流地はたびたび洪水に見舞われてきたので、古くは「流れ」がそこの通り名であったという。明治以後徐々に人が住みはじめ、旧中山道の北に新道が通ったり、河川改修工事などが進み、人家が増加した。昭和33(1988)年に岡谷市から下諏訪町に合併して第八区となった。
2020-03-06
237
星ヶ丘温泉掘削起工
町の温泉開発第四号井起工。空中探査で山の手の住宅団地内に掘削地を選定、1300mの深井戸を一億1800万円かけて掘ることになった。これに続き町内の建設会社が、国道和田峠線沿いでボーリングに着手、この年町内で4本の温泉井が掘られた。
2020-03-06
238
東山田の辻
「蚕神」碑「道祖神」、「庚申碑」が並ぶ村の辻。養蚕が盛んだったj頃は、蚕は暮らしを支えるものとして「お蚕さま」と呼ばれていた。東山田地区は旧長地村。諏訪大社春宮とのつながりが深く、下社五官がこの里に住んだ時代もあった。古くは、正面に登る道は「人棺小路」と呼んでいたらしい。(葬列が通った道のこと)
2020-03-06
239
人力車の花嫁と花婿
大社での神前結婚式へ人力車で向かう花嫁と花婿(山王台)。秋宮外苑のホテル(山王閣・現在は無い)が下社秋宮で挙式するカップルの送迎用に購入した。
2020-03-06
240
木村氏
俳誌「夏爐」の発行所。諏訪湖畔四王の里の自宅で来客と話す俳人木村蕪城氏。虚子直門の一人。鳥取県の生まれだが縁あって信州に住むことになって47年になり、、主催する「夏爐」もこの月で473号に達した。句集に『一位』『寒泉』『山容』『走り穂』(前年刊)主がある。俳人協会名誉会員。作品に「大いなる一つ傾く霜がこひ」(「夏爐」十二月号)
2020-03-06
241
魁塚
赤報隊幹部処刑の地、魁塚。慶応4(1868)年、江戸城後略の「官軍先鋒嚮導(きょうどう)隊」の旗を掲げて下諏訪宿入りした「官軍赤報隊」は東山道軍総督から偽官軍の烙印を押され、捕らえられた相楽総三ら幹部8人は3月3日、下諏訪宿外れの「はっつけ田」で斬首された。 魁塚正面中央の碑が相楽以下8人の墓碑、向かって左に渋谷総司贈従五位の碑、その隣が追分坂本で戦死した金原忠蔵ら4人の招魂碑。中央墓碑に向かった右が相楽総三贈正五位の碑、その右が高島藩で勤王の先駆をなした石城(いしがき)東山の招魂碑。地元の相楽会を中心に毎年4月第一日曜日に供養祭を行っている。
2020-03-06
242
富士遠望(夕景)
東山田から富士遠望(夕景)(信濃医療センターから) 手前、三協精機社宅。晴れた日には下諏訪町から諏訪湖越しに富士山を望むことができ、地名に「富士見町」「富士見橋」などの名前も残っている。天候が安定し大気が澄み渡る晩春から冬にかけての眺望はよい。 それにしても、中部山岳地帯の盆地の底から、二百キロの彼方の富士山を望見できるというのは、フォッサマグナという大地溝帯(糸魚川静岡構造線)が作り出した特異な景観である。富士山も八ヶ岳も大地溝帯のまん中に噴出した火山で、、諏訪湖はその地溝帯の西縁に沿って走る断層などによって生まれた構造湖なのだという。
2020-03-06
243
漁業者の家
富部地区、漁業者の家。山の手を通る甲州街道から高まま(高浜)の入り江の舟止(ふなと)へ降りる舟道が通じ、これにそって半農半漁の村が形成されていたのだが、舟道も旧国道20号線(手前の道)と鉄道で断ち切られ、漁業もすっかり衰えて、平成元(1989)年には、昔の面影が残るのもこの家くらいしかなくなってしまった。この写真では船道は建物に向かって右の小路にあった。№1174参照。
2021-04-01
244
熊野神社の例大祭
熊野神社の例大祭での東山田長持ち。従来祭りは11月25日であったが、現在は10月の最終日曜日となっている。本祭りには婦人会から甘酒が振るまわれ、長持ちが区内を練り歩いたりして祭りのを盛り上げている。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。
2020-03-06
245
村祭り
熊野神社の例大祭風景。鎮守の森に残る江戸時代の行屋(ぎょうや)の前庭で甘酒がふるまわれた。こ行屋は江戸時代の修験道で行者の修行の場所として建てられたもので熊野神社参道の西側にあった。この行屋は町指定の文化財となっている。 天気の良い日には、この行屋の前から日本の標高№1,2,3の山が見える。1番はもちろん富士山で3,776メートル、2番は南アルプス北岳3,193メートル、3番は同じく間ノ岳3190メートル(穂高岳と同じ標高)である。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。
2020-03-06
246
熊野神社の例大祭
東山田の鎮守様、熊野神社の例大祭。地区では「権現様」と呼ばれることもある。熊野神社本殿は安永8(1779)年村田長左衛門等によってつくられたもので拝殿・社務所・舞屋・本殿があり地形を巧みに利用している。写真は参道附近の風景。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。
2020-03-06
247
モノレールで新米の出荷
江戸時代下の原の名主を中心に藩の支援を受けながら、東俣蝶ヶ沢から東俣川の水を取り入れ城の沢で落とす長さ6650mの菰川汐(こもっかわせぎ)を作り水田化が図られた。昭和58(1983)年に、耕作者三人が県の補助金を受け、この山上の田(海抜900m)から農業用モノレール(全長202m)を設置した。写真は新米の搬出風景。モノレールは250㎏まで荷物を詰めるそうだ。この年、ミスズモチとフクヒカリを植え、平年作を上回る出来だったという。
2020-03-06
248
温泉ボーリング
高浜3号井温泉掘削起工。新式の掘削機で温泉のボーリング。町の温泉第三号井の掘削がこの日湖畔の高浜で始まった。これまではローリー式だけの掘削に、ターンテーブル方式を加えた兼用掘削機が導入され高速化され、地上の振動も少ないという。深度200メートルまでは374.7ミリのトリコンビットを使って掘る。温泉掘削も石油開発技術の応用で高度化されている。町はこの年の11月、山の手の小田野の地籍での第四号井掘削にも着手した。町の新規温泉開発は町内全域へ温泉供給と温泉統合が目的だった。
2020-03-06
249
鉄鉱泉本館
夜の湯田坂かいわい。名湯旦過の湯を中心とした旧中山道筋一角。坂下に温泉旅館が並び、しっとりした湯の町情緒がただ用。このあたり製紙業の全盛期には、芸妓置屋が軒を連ね、脂粉の香ただよう街だったという。鉄鉱泉本館の夜景。
2020-03-06
250
萩倉のカネキ製糸場
山峡の製糸王国をしのばせる遺構、萩倉カネキ製糸所の炊事場兼工女宿舎。海抜940mの萩倉、戸数34戸の小村に、。明治12(1879)年機械製糸が導入され30年代には7工場、職工男女合わせて500人余りの製糸の町ができた。3~5層の白壁・多窓の繭倉庫が建ち並び、酒や肉の店、飲食店、銭湯から駐在所までできた。そして明治34(1901)年には町場より早く電灯がつき、明治38(1905)年には私設電話がひかれるなどシルクラッシュに湧いたが、明治38(1905)年の国鉄中央東線の開通とともに工場は町へ下り、萩倉は再び山峡の村に戻った。
2022-06-12
251
木落社例祭
木落社例祭。木落社は諏訪大社摂社の一つで木落し坂の脇に祀られている。9月27日には午前9時に木落し坂にある木落社祭が行われ、続いて萩倉上の斧立社、さらに八島ヶ原湿原西の鷲ヶ峰麓で大元尊社祭がとり行われる。また、同日午前11時頃には旧御射山社祭が行われる。 №1087・1083・1086の写真は8月27日に諏訪大社下社の一連の行事として行われる。
2020-03-06
252
旧御射山
山上の聖地、旧御射山(もとみさやま)社、諏訪大社下社の奥宮の例祭、旧暦7月26日から29日にかけてこの山上に人里ができるほどの賑わいを見せたと和歌に残されている。「尾花ふく 穂屋のめぐりの一村は しばし里あり 秋の御射山」 金刺盛久の歌。旧御射山社例祭の様子。 №1087・1083・1086の写真は8月27日に諏訪大社下社の一連の行事として行われる。また、旧暦7月27日の正午に、月・日・星の三光(さんこう)を同時に拝することができたといわれ、一説では御射山山中の湿原の池に三光を映したともいわれている。この不思議な現象は諏訪神社下社の七不思議に数えられている。御射山祭は、大勢の人々が参籠(さんろう)する仮屋が穂の出た薄(すすき)で作られたことから、穂屋祭ともいわれ「穂屋野の三光」ともいわれている。
2020-03-06
253
旧御射山
奥霧ケ峰、八島ヶ原湿原近くにある旧御射山社、鎌倉時代には高原で御射山神事のニエを得るための御狩が行われ、社前で小笠懸け、草鹿とよぶ弓術の技が競われた。祭りに参加した武士たちが、穂屋を建てて籠もった土壇が三方の丘に残っている。平成元年現在の旧(もと)御射山の土壇の様子。
2020-03-06
254
斧立(よきたて)社
斧立(よきたて)社は萩倉の奥にあり、御柱祭りの際に御神木伐採の刃物の修跋式(しゅうばつしき)を行う社。東俣の浄水場の道向かいの山脇に置かれている。この日は斧立社例祭。斧立とは・・樹木を伐採する前に山の神(大山祇神)を祀る行事。 ちなみにこの日は奥霧ヶ峰・八島ヶ原湿原にある「旧御射山社」で関係者による例祭が行われる。 №1087・1083・1086の写真は8月27日に諏訪大社下社の一連の行事として行われる。
2020-03-06
255
導水管点検
中部電力砥川水力発電所へ引水する導水管の点検作業。
2020-03-06
256
承知川河口
承知川河口付近。源は大見山(八の字山)の西に発し高浜湾に注ぐ、長さ6.1㎞の川。流れは大きくないが、暴れ川で度々出水し護岸工事も何度か行われている。
2020-03-06
257
御射山祭
御射山祭、御射山のお山参り(夕祭)。穂屋に籠もって物忌みしたことから「みさやまは夜まつり」といわれ、子を負ってのお山参りも夜行われた。今でも夜参りを守る人がいる。この年も夜9時頃まで訪れる人がいた。№1050.1051参照。
2020-03-06
258
御射山祭
御射山参り。 数えで2歳の子どもの無事成長を山の神に祈り、すすきの穂守りをもらって山をおりる。御射山祭は本来は風祭り。 八朔の祭りとつながる神事だったが、時代と共に姿を変えた。穂屋に籠って物忌みをしたことから「みさやまは夜まつり」といわれ、昔は子を負ってのお山参りも夜行われた。 このころでも夜参りを守っている人がいて、この年も夜九時ごろまで山中の御射山社を訪れる人が見られた。 写真は御射山社前の池にどじょうを放流する風景。 現在では諏訪大社下社秋宮でどじょうを放流してすます人も多くなってきた。
2020-03-06
259
八島ヶ原高層湿
秋風わたる八島ヶ原高層湿原(国の天然記念物)。わが国の代表的な楯状火山霧ケ峰の台地上に展開する三つの高層湿原のうち、最も規模が大きい。ミズゴケなどが堆積して凸レンズ状に盛り上がった湿原で、泥炭層の厚さは8.05メートルに達し、我が国の代表的高層湿原とされている。日本列島の高層湿原では南限にあたる存在でもある。標高1.600メートル、お盆を過ぎれば高原はもう秋である。写真の池は八島ヶ原湿原入り口にある「八島池」である。
2020-03-06
260
奉射会の矢渡し
8月26日からの御射山社祭を前に町弓道場で行われた御射山奉射会の矢渡し。63歳の弓士(5段)が小笠原流の礼法を見せた。御射山社祭は諏訪大社の最も大事な祭りの一つ。鎌倉時代には奥霧ケ峰で行われたこの祭りに集まってきた諸国の武家が、祭りの余興に小笠懸、草鹿(くさじし)などの弓術を演じ、優れた射手にはすすきの穂を添えた征矢が与えられたという故実から、この奉射会がはじめられた。奉納会はこの年67回目を数えた。
2020-03-06
261
お舟祭り時代行列
この年からミス下諏訪の万寿姫・絹姫(山吹姫の時もあった)など祭りの盛り上げに一役かった。
2020-03-06
262
坂道のある風景
衣紋坂を坂下から見た写真。坂の上の欅が繁っているあたりが諏訪地方唯一の前方後円墳「青塚」。そのすぐ北側を東西に通る旧中山道に沿って旧下諏訪宿が開けていた。
2020-03-06
263
諏訪大社あやめ奉献祭
諏訪大社下社あやめ奉献祭の日。地元の東山田あやめ会が丹精込めて育てたハナショウブの鉢植えが、春宮神楽殿の周りに色鮮やかに並べられた。祭りでは琴と尺八の奉納もあって、普段静かな春宮もしばしの賑わいを見せた。
2020-03-06
264
製材工場
製材所の作業風景。原木の6割が輸入材で、岡谷市の沖電線の輸出製品を入れる箱材(米国産カラマツ)を作っている東町上の山田製材所。
2020-03-06
265
伊藤時計店
駅前通りの小さな時計店。店主(当時は73歳)は太平洋戦争中、兵役で病を得て諏訪赤十字病院で療養生活を送ったさい、森山汀川の指導を受けたアララギ派の歌人。昨年歌集を出版した。伊東時計店の店内と伊東憬氏。
2020-03-06
266
高木西区画整理地
湖を見はらす山の手に、組合施行の区画整理事業で造成された宅地。分譲は入札で3.3hm当たり32万5000円の値がついた。高木西区画整理地。写真の後方に見える赤い屋根は元の諏訪養護学校。
2020-03-06
267
大社四つ角風景
国道20号線が直角に曲がる所に和田峠を越えてきた国道142号線ぶつかる大社通り四つ角の風景。正面突きあたりが諏訪大社秋宮の森。手前の国道20号線は旧中山道で塩尻峠へ向かい、右折すれば上諏訪方面となる。四つ角風景。
2020-03-06
268
洋菓子チェーン店開店
20m道路沿線(通称・ジャスコ通り)には店舗の進出が続いた。山梨県に本社を持つ工場直売方式の洋菓子チェーン店「シャトレーゼ」がこの日開店。この道沿いにはジャスコの開店以来目覚ましく発展しており、町の中心が南部へ移動しつつあった。
2020-03-06
269
出張販売車
出張販売車で買い物をする山村のお年寄り。和田峠麓の集落。出張販売車は冷凍ケース付き生鮮食品も扱う。隣の諏訪市から週2回やってくる。利用者はやはりお年寄りが多い。
2020-03-06
270
秋宮リンク
秋宮リンク。明治42(1909)年に開設され大正11(1922)年にわが国最初のフィギュア競技会、同13(1924)年は国内最初のアイスホッケー大会が開催された。このリンクの賑わいぶりは洋画家金山平三の代表作に描かれている。古い時代の写真を合わせてみると時代の変化がよくわかる。
2020-03-06
271
山の手バス
「廃止される東山田線バス」。赤字続きで廃止の話が持ち出された旧農村回りバス路線のバスと乗客。JR関係及び諏訪自動車の「東山田線」、住民の要望でこの年は運航が続けられたが廃止されることになった。東山田が岡谷市から別れ下諏訪町に合併して2年後昭和35(1960)年から運行が始まった山の手コース。東山田には4か所の停留場があった。写真は農協東山田支所前バス停。
2020-03-06
272
諏訪大社節分祭
春をつげる諏訪大社下社の「節分祭」の様子。恒例の宝投げに沢山の手が福をつかもうとしている。赤鬼・青鬼が登場しその浸入を防ごうと神官が立ちふざかるしぐさなど見ていて楽しい行事である。
2020-03-06
273
確定申告相談風景
「確定申告申請受付町屋敷公会所へ出前」。町役場が5キロ離れた山間地区の町屋敷公会所で確定申告相談所を開設。お百姓さんや家内工業者らが利用していた。
2021-04-15
274
ユーペンハウス
国際ペンションのロビーでくつろぐ若い人たち。大喪の礼の日からの三連休を利用した、スキーツアーの若者たちでにぎわった。いずれも和田峠越えで、新設の鷹山スキー場(小県郡長門町)へ行ってきたと話していた。湖を見下ろす丘に建つこのペンションの建物は北欧に留学した設計家が設計した。
2020-03-06
275
山の神祭
山の神祭(下の原区)夜明け前の闇の中「山の神様サンゼンゴーン シシセンマルマル」と唱え恵方へ向けて矢を放つ。 旧村々にはいくつかの山の神講があったが現在は下諏訪全町にわたり1月17日の早朝にそれぞれの山の神に集まり手作りの弓矢で恵方に矢を放って神事をしている。 この弓矢を家に持ち帰り玄関の上に掛けて魔除けや厄除けとしている。
2020-03-06
276
上段の間の雛人形
かめやホテル上段の間の雛人形。旧中山道下諏訪宿の本陣遺構のうち上段の間を中心とする一郭が、湯宿「かめや」の特別室として使われている。「絵の間」に続く中の間に飾られたひな壇。 この宿、宇野浩二の前期の連作「諏訪物」の舞台になったことで知られ、芥川龍之介の地元の芸者に送ったラブレターなども展示されるなど、多くの文人墨客が来遊した。
2020-03-06
277
山王閣屋上からの眺望
白鳥がシベリアへ去った日の諏訪湖と湖の町、諏訪大社秋宮外苑の旧山ホテル王閣屋上からの町並み。現在建物はなく駐車場になっている。
2020-03-06
278
秋宮リンク
秋宮リンク。明治42(1909)年に開設され大正11(1922)年にわが国最初のフィギュア競技会、同13(1924)年は国内最初のアイスホッケー大会が開催された。このリンクの賑わいぶりは洋画家金山平三の代表作に描かれている。
2020-03-06
279
竜の口
慈雲寺山門下にあるの龍の口。銘に「西山田邑山田清左エ門・金右衛門・近辺連中」とあり、手洗鉢には「願主西山田村山田平蔵和哉」とある。これら山田氏は横川村に住む石工であった。 「生涯学習ガイドブック1歴史編」には、慈雲寺入口の石段の右脇にあり、中山道を通る旅人の喉をうるおした。作者は現岡谷横川の山田清左エ門・金石衛門。文政8(1825)年作で、高遠石工の流れをくむものであると紹介されている。 「写真で見る下の原」には、慶応元(1865)年竣工、石工は現岡谷横川の石工山田平蔵和哉である、と紹介されている。 水石榴の側面に「花・清・水」と彫ってあるというが、現在は風化が進み読みにくくなってしまっている。 今でも清水講の皆さんが水石榴や周辺の清掃を続けているという。
2020-03-06
280
修験道の初午祭
修験道の初午(はつうま)大祭の様子。 江戸時代後期に入ると村々に講が生まれ、行屋が造られ行者(山伏)が活躍したという。その名残を伝えるのが宝光院敬愛社で宝暦4(1754)年に白鷺山に湯殿三山講として開講したのが始まりという。安永7(1778)年に羽黒山から宝光院の院号を受けている。明治に入っていろいろな弾圧、土地の没収に遭ったが活動は続き、大正8(1919)年には真言宗醍醐寺派の指導で敬愛者として結成し、翌年には現在地に道場を立てた。 初午が最大の祭りで護摩を焚いて家内安全などを祈る。
2021-04-22
281
山王閣屋上からの眺望
白鳥がシベリアへ去った日の諏訪湖と湖の町、諏訪大社秋宮外苑の旧「ホテル山王閣」屋上からの町並み。現在建物はなくなり駐車場になっている。
2020-03-06
282
JR下諏訪駅
JR下諏訪駅改札口前で見かけた、いまはなつかしい「タッツケ」姿の老女。 八ヶ岳山麓に広がる高地「山浦地方」では紺色もすがすがし「タッツケ」が老人たちの日常着と生きているが、町ではほとんど見かけなくなった。 風呂敷包みも珍しくなった。
2020-03-06
283
承知川の旧発電所
承知川の旧発電所。小口製糸所。この発電所(出力60キロ)は製糸工場の私設発電所の建物。大正17(1918)年岡谷から下諏訪駅前へ進出した山十組山八製糸工場が承知川水源へ設け。水利権をめぐり農業者と紛争が起きたという話も伝えられている。 1枚目の写真は表からの撮影。
2020-03-06
284
東餅屋
和田峠を越える古峠道(江戸時和田峠は餅屋峠とも呼ばれていた)慶応五年の記録では中山道で樋橋上のほうろくから山かげを通ると東餅屋があった。東餅屋は五軒の茶屋があった。現在、茶屋跡には一軒のドライブイン意外建物はなく石垣によって区分された屋敷跡にはカラマツが植えられている。
2020-03-06
285
橋の上
橋の上。法被の襟に「山七製糸場」の文字が見える。個人所蔵の写真。
2020-03-06
286
御柱山出し
山出し記念写真。法被は「下諏訪消防組」。右後列には「救護、下諏訪消防組」の旗がある。「秋宮四之御柱」の前での撮影。柱の並んでいる様子から山出しの最終日の注連掛と思われる。
2020-03-06
287
秋葉山
配水池から見た秋葉山。
2020-03-06
288
旧御射山(もとみさやま)遺跡調査
諏訪史第一巻編纂あたり旧御射山遺跡の調)査をする(写真に「本郡先史時代最高遺跡地(舊御射山)一行」と記載。写真中央に腕組みしているのが鳥居龍蔵と思われる。調査員一行は大正9(1920)年、霧ヶ峰山塊北西部に位置する星ヶ塔周辺が黒曜石原産地遺跡と明らかにしている。 鳥居龍蔵一行、左から萩倉の人、浜孝吉、鵜飼貞直、鳥居龍蔵、牛山伝蔵、八幡一郎、鳥居の後ろに立つのは今井真樹、その隣は萩倉の人。
2020-03-06
289
赤渋山林道の橋梁施工
昭和6(1931)年1月21日、失業者救済のため砥沢林道開削の件が上提された。国道142号線桶橋分岐砥沢山内、車道3000m巾3.7mである。写真裏には「赤渋山林道橋梁竣工記念(昭和11・7・8写)」と記録されているが、写された風景は雪景色である。撮影年月日は不明としておく。なお砥沢橋は昭和30(1955)年の完成である。
2020-03-06
290
下諏訪宿風景
明治22(1989)年(推定)当時は、この横町・木の下・湯田町が下諏訪宿の中心街であった。写真左手前の旅籠屋が菊本(元桧物屋)で、甲州街道の終点で甲州道中と中山道合流地であった。高い火の見櫓(ヤグラ)のむこうに秋宮の森が見える。右側には桔梗屋の看板が見えている。中山道は桔梗屋前で右・立町に折れて塩尻峠に向かっている。この写真は外国人の写したもので早稲田大学図書館に所蔵されていたものを青木枝朗氏が複写したものである。 建物は宿場らしさが残っているが、軒に街灯・軒灯が見えている風景が時代の変化を思わせている。
2020-03-06
291
公選戸長
明治12(1879)年6月、長野県が16郡となり戸長が公選され、副戸長が筆生(ひっせい)となり、下諏訪村では12月初の公選戸長に山田政之丞(下原東町)が当選する。写真№557参照。
2020-03-06
292
八島高原
八島ヶ原高層湿原。 4枚目の、写真手前が八島ヶ池、それに続くのが高層湿原、さらに奥に薄く見えるのが大笹山。
2020-03-06
293
学校林に植栽
明治39(1906)年5月12日、下諏訪小学校生徒が植林に参加。この年には赤松18万本を植栽したという。また学校林の位置が分かる地図が「写真が語る下諏訪の百年」 66pにあるので参照されたい。 学校林の植栽の様子は、明治39(1906)年5月12日の「写真が語る下諏訪の百年」88pの写真とこの明治40(1907)年4月28日付のこの写真とが大変よく似ている。山の下と山の中腹の位置が異なるが植樹するための事前に掘ってあったという穴は同じように掘られている。
2020-03-06
294
西餅屋上停留所
「西餅屋上大曲の停留所付近、右側の白い岩は石英安山岩」と説明が書かれていた。
2020-03-06
295
東俣の田ぬるめ
写真中心付近、道を隔てて一段高いところに一つのぬるめがあって、そこで温められた水が田圃の中のぬるめへみちびかれる。(本山氏水田)※同じ写真を撮った写真が別にありその説明に東俣とメモが残されている。
2020-03-06
296
武居源湯
昭和38(1963)年4月21日噴湯した武居源湯。 昭和の初め頃から綿の湯の自然湧出が不可能となり、動力ポンプによって揚湯する状態になっていた。そこで下諏訪町が綿の湯源湯地から至近な武居地籍へ温泉の掘削を行った。この温泉の掘削の結果、綿の湯源湯に著しい減少の影響が現れ、武居温泉の揚湯是非の問題で町との談合の結果、武居温泉より綿の湯へ一定量を引湯することとなった。また昭和40(1965)年12月に竣工した「国民宿舎下諏訪観光会館・山王閣」にも引湯されていた。
2020-03-06
297
和田義盛の刀石
明治37(1904)年古峠(旧中山道)の石小屋下にあった和田義盛の刀石が、水月会員の出払で慈雲寺中庭に移された。この石は砥川石(安山岩)の側面に刀を突き通したという穴が三つあいている、(樹形と推定される)鉱物学的に貴重なもの。和田義盛は鎌倉時代初め(1147-1213)の人。侍所別当だったが北条氏と対立し挙兵したが、一族とともに滅ぼされた。
2020-03-06
298
水月園観音堂
明治35(1902)年12月10日水月会が会員32名で慈雲寺を会場に発足した。この年慈雲寺裏の金比羅山を開山し龍湖の句碑を建て水月園と命名した。また桜樹、楓200本を植え芭蕉・蕪村の句碑も建立。明治40(1907)年には観音堂を建て、子規の句碑を建てた。明治42(1909)年5月には碧倍桐来諏にあたり、水月会に招待した。その後、曽良の句碑を建てたり園域を拡大しつつじの植栽をするなどして整備されてきた。明治28(1895)年には町に寄付され「水月公園」と改称されている。写真は水月園観月堂の葉書。
2020-03-06
299
陸軍航空隊航空写真
大正6(1917)年2月16日、陸軍航空隊のモーリス・ファルマン機上から撮影した下諏訪町の中心部。中央の建物が下諏訪学校、その上の森が諏訪大社秋宮、その左斜面前方に続く町並みが中山道で塩尻方面に向かっている。
2020-03-06
300
来迎寺
知恩院を本山とする浄土宗寺院で引接山聖聚院来迎寺という。寺の由緒によれば天文10(1541)年草創という。 来迎寺は明治40(1907)年10月7日の火災で本堂、庫裡を失ったので、翌年東筑摩洗馬村の廃寺を移して庫裡として、昭和11(1936)年本堂を再建(棟梁立石初三郎)、同32(1957)年鐘楼、梵鐘をつくる。同寺の鉄焼(かなやき)地蔵尊とお堂は町の文化財に指定されている。 山門左手前の道路は明治29(1957)年に開さくされた中山道の新道(お花見新道・国道)である。
2020-03-06
301
ニット展示会
ニット展におけるスーツの展示。於山王閣。
2021-04-01
302
芭蕉句碑
明治27(1894)年4月20日、萩倉観音堂坂登口(落合橋畔) 、芭蕉の句碑が建立。「雪ちるや穂屋のすすきの刈の残し」は芭蕉200年忌に下原の山田正倫(正之丞)ら9名」が発起で建立。
2020-03-06
303
浮島発電所
大正7(1918)年山十組で武居入に自家用発電所を設置し、次いで大正9(1920)年には入丸製糸で宮ノ上に、同10(1921)年には片倉組丸六製糸で、自家工場内に御手洗せぎを引き入れて自家用発電所を作っていた。 写真は入丸浮島発電所全景、発電所裏手に水圧管が見える。
2020-03-06
304
下諏訪分署
明治22(1889)年12月竣工。明治23(1890)年4月25日落成。この分署は明治21(1888)年8月管内村民間に庁舎新築の議が出て、寄付金をもって湯沢山御料休の松の良材を用いて建てられた和洋折衷様式の見事な建築であった。現在は御柱モニュメントを経て高札場になっています。この頃の管轄区域は下諏訪村・長地村・平野村・川岸村であった。現在は「八幡坂高札ひろば」。
2020-03-06
305
水月園より諏訪湖を望む
萩倉合名会社を中心に水月園より下諏訪町を望む。萩倉合名会社(現小口克郎氏宅上)萩倉の製糸創業は明治11(1888)年篠藤・小河原氏等が機械製糸を繰業し中山道による物流(鉄道未施工),豊富な森林資源、用水の便などにより発展した。しかし明治30年代の石炭の利用、明治35(1902)年の篠ノ井線の開通、明治38(1906)年中央東線が岡谷駅まで開通、森林資源の枯渇等により立地条件が逆転し明治38(1905)年春宮下へ移転し萩倉での製糸は終止符を打った。
2020-03-06
306
本陣庭園
中山道随一の名園と称される本陣の庭園。現在の庭園は江戸時代中期に整えられたものというが、各地の名石を集め自然の地形を利用し、秋宮の森や周囲の山を借景にして、承知側から引水した水を利用した本格的築庭式石庭園と紹介されている。特に京風の建物からの眺めは春のつつじ、新緑、初夏のあやめ、さつきの紅葉、雪景色など四季折々に楽しめる。 もともとこの庭園は、本陣六代目岩波太郎左衛門が、伊豆韮山の江川太郎左衛門のもとに遊び、帰りてつくりしもので、御小休所も同時に建てられたと伝えられている。 №587参照。
2020-03-06
307
本陣御小休御座の間
「本陣岩波家」のパンフレットには、建築史の東大藤島名誉教授の言葉で次のように紹介されている。「(前略)…下諏訪宿の本陣岩波家の客室と庭ほど、純粋な京風を純粋の極にまでなしえた例はどこにもなく、まさに中山道中の異彩である。これほどに洗練された京風数寄屋造りは、京大工によるものとしか考えられない。…(後略)」 明治13(1880)年6月24日、明治天皇御巡幸の際は旧本陣岩波家にお小休された。なお、江戸時代末に皇女和宮が使われた上段の間は聴泉閣かめやに移築されている。
2020-03-06
308
看板「西餅屋邸小口金右衛門」
西餅屋は江戸時代中山道下諏訪宿と和田宿の五里十八丁の峠路に設けられた「立場(たてば)」(人馬が休息する所)であった。金右衛門、日野屋六兵衛、竹屋清右衛門、小松屋嘉助の四軒があり藩堺にあったので、ときには、穀留番所が置かれた。幕末の砥沢口合戦のときは、高島藩の作戦で焼失されたが、すぐに再建された。現在は道の「曲之手(まきのて)と茶屋あとが残っている。昭和41(1966)年11月10日小口金一郎氏より
2020-03-06
309
秋宮鳥居前の松葉屋(後の千尋館)
写真下には「松葉屋料理店 官幣中社諏訪大社下社鳥居前」と書かれている。諏訪大社は大正5(1916)年12月12日、官幣大社に昇格している。秋宮鳥居右奥には合名会社三井組製糸の第四工場。(明治9(1876)年から大正10(1921)年頃)(現社務所)手前は松葉屋料理店(後の千尋館)。その手前は旧柳沢家(現若松氏経営の土産品店)三井家は嘉永2(1849)年座繰機器を入れて土蔵前に庇を出して「座繰製糸」を始めた。後に明治9(1876)年「山王台」下にて本格操業、明治13(1880)年には三井仁平衛・増沢市郎兵衛・岩本甚蔵・岩波甚吉・小口森蔵等共同座繰場「白鶴社」を平沢町(現青雲館北)に立ち上げた。
2020-03-06
310
春宮大門先石燈篭と 丸三倉庫
旧中山道添の春宮大門先石灯篭(常夜灯)〔文政12年(1829)建立〕から春宮大門の銅鳥居を望む。鳥居の奥に見える屋根は第五倉庫、常夜灯横の建物は事務所。丸三倉庫現下諏訪倉庫(三井)の六号倉庫で昭和44(1969)年諏訪信用金庫下諏訪支店(信金は昭和38(1963)年四ツ角に新築、昭和44(1969)年12月現在の場所に移転した。)丸三倉庫は「倉荷証券」を発行し金融事業も手掛けた。支配人は小口文次郎他に共同倉庫、湖国倉庫(現イングスシナノ、大和電気)をも担当したが両倉庫とも「空券事件」により廃業となった。 改修後の写真№575と比較して見ていただきたい。
2020-03-06
311
春宮大門先石燈篭と丸三倉庫(現諏訪信金下諏訪店)
旧中山道添の春宮大門先石灯篭(常夜灯)〔文政12年(1829)建立〕から丸三倉庫(現諏訪信用金庫下諏訪店)を左に見て、春宮大門の銅鳥居を望む。丸三倉庫№576(昭和37年)との違いが見える。
2020-03-06
312
大門先の石燈籠
旧中山道に面した春宮大門先の石燈籠(常夜燈)。 文政12(1829)年に作られ台座から6mの高さがある。高遠系の流れをくむ横川村(現岡谷市)の石工山田金右ェ門の子平蔵(和哉)の作といわれる。 発起人は上諏訪及び大阪の人でたくさんの寄進の人名のほか、石運びの手伝いとして湯之町・友之町・下ノ原・久保・武居・富部・東山田・萩倉新田・樋橋新田の村々名が刻まれている。 石材は高尾山から運び総工費五十両を要したという。 写真下のきなこ石の唐獅子は金左エ門作(現在はない)。
2021-04-22
313
山岡操家の石垣
富部の士族山岡操家の豪壮な石垣。
2020-03-06
314
陸軍航空隊航空写真
陸軍航空隊よりモーリス・ファルマン式二機寒中の山地飛行並びに水上試験飛行として来諏の際に写す。下諏訪学校や国道20号線がよくわかる。
2020-03-06
315
明治9年下諏訪集落図絵
明治9(1876)年の下諏訪集落図絵。明治9年7月15日に筑摩県に提出した「下諏訪村誌」挿入の下諏訪村の全景。この当時は三角八町といって、下諏訪村の主な往環は、湯の町通り・友之町・春宮大門通りと甲州道中で、その他は耕地。右下の橋は、旧中山道の大橋で、現在の富士見橋はこの数十メートル上流の明治23(1890)年施工した新道20号線にかかっている。左手前の森は春宮で鳥居前の立木が大門通りのさわら並木。
2020-03-06
316
忠魂碑
明治44(1911)年3月10日八幡社裏手に総司令官大山巌筆の忠魂碑が建立されたが、社務所拡張で八幡社南に移され終戦で一時撤去させ戦後の昭和29(1954)年に再建。40(1965)年宝生橋の左袂に移される。
2020-03-06
317
日露役凱旋記念撮影
明治39(1906)年初春、下諏訪町の久保区で日露役出征兵の凱旋祝賀会を山王台の霞城館で行った時に玄関先での撮影。
2020-03-06
318
陸軍航空隊航空写真
航空写真。写真の中心近くに下諏訪学校の三階の望楼が分かる。旧甲州道中、旧中山道、八幡坂などの様子や秋宮鳥居周辺の戦前の建物が密集している様子がよくわかる。
2020-03-06
319
陸軍航空隊航空写真
大正6(1917)年2月16日、陸軍航空隊モーリス・ファルマン機上から撮影した下諏訪町の中心部。寒中の山岳飛行並びに氷上試験飛行のため来諏の際の撮影。中央の建物は当時の下諏訪学校(友の町字神殿)で現在の下諏訪中学校の前身。周辺には秋宮の森・製糸工場・中央東線・国道20号線などが見える。
2020-03-06
320
山田政之丞宅再建
山田正倫(政之丞)宅再建。山田(1835-1903)氏は下の原東町の元名主。明治12(1879)年6月、長野県が16郡となり戸長が公選され副戸長が筆生(ひっせい)となり、この時郡区町村編成法が施工、下諏訪村初の公選戸長に当選した。山田政之丞氏については№705参照。
2020-03-06
321
福沢川の氾濫
昭和10(1935)年6月29日砥川・承知川大出水、殊に福沢川の部落内の被害は甚大で、写真は福沢川の橋より東2・3軒目の裏手から砂瓦礫が浸入した様子。
2020-03-06
322
砥川の大氾濫
明治38(1905)年6月19日の集中豪雨。浮島の右岸が決壊、東山田字若宮地籍へ浸水した。砥川にかかる橋のうち富士見橋をのぞいた全てが流失した惨状を数日後に撮影。この時医王渡橋流失、牛枠・木流し・杭などが見える。右手茅葺屋根は友野家。
2020-03-06
323
東山田下諏訪へ合併
昭和32(1957)年3月25日長地村は岡谷市に合併後、昭和33(1958)年6月1日東山田・東町を下諏訪町に編入するという境界線変更に関し住民投票を行った。 その際の住民運動の模様。 昭和33(1958)年7月1日東山田と東町が岡谷市から分市して下諏訪町にに合併。 当時の東山田街道上の岡谷市側から分市賛成の張幕。
2021-04-06
324
東講社行屋神座
東講社行屋修復完成記念の写真。東山田の行屋は熊野神社参道西側にあり進行を同じくする人が集まる修験の場であった。この講では、駒ケ岳・御嶽・富士山・浅間山・大山など霊山が信仰されている。
2020-03-06
325
東講社行屋修復完成記念
東講社(あずまこう)行屋修復完成記念の写真。茅葺屋根にトタンがかけられた。東講は東山田の旧家で組織していた。駒ケ岳大権現をまつり行屋を持ち不動の滝・御(お)山と呼ばれる霊場もあり、かつては行者の修行も盛んに行われた。古くは雨ごいの霊場にもなっていた。
2020-03-06
326
建設途中の山王閣
山王台に竣工した国民宿舎山王閣。手前に手入れの行き届いた桑畑が残っているのがわかる。№520,521と比較して見ていただきたい。
2020-03-06
327
新車を買入れ犬山城下に到着した一行。
神戸市フォード工場で第2の新車を買入れ犬山城下に到着した、濱義雄、林嘉平、中村常男一行。
2020-03-06
328
建設途中の山王閣
建設工事中の山王閣。秋宮南隣りの神宮寺大坊跡から裏側を撮影。山王閣は景勝地山王台に昭和40(1965)年12月24日、「国民宿舎下諏訪観光会館・山王閣」として施工した。残念ながら平成17(2006)年3月31日で営業を終了し、その後取り壊されている。100%かけ流しの天然温泉は「美人の湯」として知られ、諏訪湖を見下ろす展望の良さも売り物だった。武居源湯からの引湯であった。 №520,525と比較して見ていただきたい。
2020-03-06
329
山王閣
国民宿舎山王閣を秋宮側からその正面を撮影。山王閣は景勝地山王台に昭和40(1965)年12月24日、「国民宿舎下諏訪観光会館・山王閣」として施工した。残念ながら平成17(2006)年3月31日で営業を終了し、その後取り壊されている。100%かけ流しの天然温泉は「美人の湯」として知られ、諏訪湖を見下ろす展望の良さも売り物だった。武居源湯からの引湯であった。 №521,525と比較して見ていただきたい。
2020-03-06
330
山王閣
山王閣(久保海道方面からの撮影)左手の平屋の建物は諏訪湖が一望できる大浴場。武居源湯から引湯。
2020-03-06
331
春宮鳥居前の並木
機上から撮影した諏訪大社下社春宮の下馬橋(太鼓橋)奥のさわら並木。写真は諏訪市勝山為如氏撮影。下馬橋奥にさわら並木が見える。昭和9(1934)年の室戸台風でほとんどが倒れた。
2020-03-06
332
屋敷図
明治10(1877)年製糸を始めた、富部の士族山岡操家。山岡家には立派な屋敷図と城壁のような石垣が今も残っている。写真は屋敷図。
2020-03-06
333
鷹匠の家 岡村家
鷹匠の家 岡村家。同屋敷の全景、左が住宅、右が土蔵。向山の左手が若宮神社。
2020-03-06
334
宝生橋
諏訪大社下社秋宮から山王台をつなぐ室生橋。下の道路は武居方面へつながる。
2020-03-06
335
宝生橋
甲州道中から武居に入る辻。車の向こうに秋宮と山王台を結ぶ宝生橋が見える。武居の集落に入る道は昭和14(1939)年に現在の新道(しんみち)が開通するまでは鳥居から神社の横を通っていた。当時は宮田小路(みやだこうじ)と呼んでいた。お宮の社務所が石垣の上から下に新築されたことによる新道開通であった。
2020-03-06
336
柿陰山房
柿陰山房(しいんさんぼう)。この茅葺の家は短歌の集団アララギ派のリーダーとして活躍をした島木赤彦(1876-1926)本名久保田俊彦の旧宅。高木集落は諏訪地方でも柿の木の多いところで赤彦は柿の実の丹(あか)が好きだったらしく「柿の村人」「柿の村舎(むらやど)」のような筆名の時期もあり、大正8・9(1919-1920)年ごろこの家を「柿陰山房」と命名した。
2020-03-06
337
亀屋より鵞湖を望む
下諏訪金松堂発行の絵葉書、「下諏訪亀屋三階ヨリ鷲湖ヲ望ム」。鷲湖とは諏訪湖の別称で、慈雲寺を開いた一山一寧のふるさとの湖の名にちなんでつけたとされる。手前右に綿の湯付近にあった火の見やぐら、左の端に大木があり専女のけやきのようだ。
2020-03-06
338
富岳を望む
絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖より富岳を望む」。上川付近。 ボートを漕いでいる様子から当時の諏訪実科中学校(現諏訪清陵高校)の生徒のようだ。
2020-03-06
339
ボートレース
絵葉書(諏訪名所)諏訪湖上のボートレース。上川付近富士山も見える。ボートを漕いでいるのは諏訪実科中学校(現諏訪清陵高校)の生徒と思われる。
2020-03-06
340
諏訪湖高浜湾
絵葉書「諏訪名勝 諏訪湖高浜湾」。国道と中央東線(汽車が走る)が湖岸近くを走り、湖面との間には畑が一面続き、富士山を遠望する風景。
2020-03-06
341
製糸工場風景
絵葉書「信陽諏訪下諏訪入一※組製糸会社全景」の文字。入一※組製糸は明治34(1901)年に創業した入丸※製糸が明治43(1910)年に分離し、入一として創業(小口松五郎・川村蓑吉・山田由蔵・河西寅吉の合名会社)した。入一※製糸は入丸より分離したメンバーに河西友吉・河西勝太郎・今井栄人(入一社長)が加盟し、最盛期の大正10(1921)年頃(1150釜)は茨城・静岡に支店を出し、大正12(1923)年には南四王(現ジャスコ跡)に分工場を建設した。昭和4・5(1929/1930)年の不況により今井栄人が入一通信工業に転換した。下の原方面からの写真、中央辺りに平沢小路~下の原への道路が見える。
2021-04-01
342
諏訪湖付近の富士
絵葉書「諏訪名勝 諏訪湖付近の富士」
2020-03-06
343
諏訪市内蓼の海スケート場
アイスホッケーをしている、後ろはギャラリーか?その奥でもスケートを滑っている。
2020-03-06
344
スケート
秋宮リンク、後の山は小湯の上の桑畑。
2020-03-06
345
駅前通り
下諏訪駅頭に観光協会が宮大工の手により、昭和13(1938)年に諏訪神社の古い御柱で鳥居を建てる。鳥居は昭和25(1950)年に建て替えられ、その後は観光看板に変わった。左手前から菅野旅館・山十組・山八製糸の倉庫、右側は米本旅館。
2020-03-06
346
山王台を望む
久保海道、国道20号付近の承知川。写真左上に山王閣(現在は無い)が見える。
2020-03-06
347
山王台を望む
大正15(1926)年、久保海道付近、国道20号付近の承知川。写真左側の建物の奥は土田遺跡(土田墓地付近)。
2020-03-06
348
御柱山出し
第1区の御柱山出し風景。
2021-04-01
349
慈雲寺庭園
慈雲寺の庭園は「中村勝五郎日記」によると天保8(1837)年に築庭されたものという。その後、何度か改修、拡張がされ現在の姿となっている。水月公園山稜を借景とし、園池を中心とした多数の庭石が組まれ閑静な景観をみせている。町内に残る見事な庭園のひとつといってよい。庭園改修記念の写真。
2020-03-06
350
空から見た下諏訪・諏訪湖
航空写真。冬の諏訪盆地。 富士山や八ヶ岳、赤砂先、下諏訪の街並みなどがわかる。
2020-03-06
351
綱打ち
第1区綱打ち。山車による綱打ち風景。
2020-03-06
352
山出し
第1区山出し。
2020-03-06
353
御柱山出し
第一区の挺子衆。
2020-03-06
354
山出し
第1区山出し
2020-03-06
355
山出し
第1区、御柱祭山出し。
2020-03-06
356
山出し
第1区山出し.
2020-03-06
357
綱打ち
第1区綱打ち。 山車による綱打ち風景。
2020-03-06
358
御柱綱打ち
第1区綱打ち.
2020-03-06
359
御柱綱打ち
第1区綱打ち.
2020-03-06
360
山出し
御柱山出し。
2020-03-06
361
山出し
御柱山出し。
2020-03-06
362
山出し
御柱山出し。
2020-03-06
363
山出し
御柱山出し。
2020-03-06
364
慈雲寺梵鐘
慈雲寺釣梵鐘。応安元(1368)年の銘を刻む銘鐘である。総高114cm胴回り189cm径66cm厚さ7.5cmで、施主は下社大祝金刺豊久である。特に竜頭の手法が見事で県宝に指定されている。なお慈雲寺の開山は、正安2(1300)年、一山一寧(いっさんいちねい)。臨済宗の古寺である。
2020-03-06
365
伏見屋邸
旧中山道沿いにある「伏見屋邸」は元治元(1864)年に建てられたと推測される。木造二階建ての店舗兼住屋と土蔵が残されています。国の登録有形文化財に登録されていますが、今街歩きを楽しむ観光客の休憩や住民の交流の場となっています。
2020-03-06
366
萩倉のカネキ製糸場
山峡の製糸王国をしのばせる遺構、萩倉カネキ製糸所の炊事場兼工女宿舎。海抜940mの萩倉、戸数34戸の小村に、。明治12(1879)年機械製糸が導入され30年代には7工場、職工男女合わせて500人余りの製糸の町ができた。3~5層の白壁・多窓の繭倉庫が建ち並び、酒や肉の店、飲食店、銭湯から駐在所までできた。そして明治34(1901)年には町場より早く電灯がつき、明治38(1905)年には私設電話がひかれるなどシルクラッシュに湧いたが、明治38(1905)年の国鉄中央東線の開通とともに工場は町へ下り、萩倉は再び山峡の村に戻った。
2021-04-21
367
輦(れん)
慈雲寺山門の参道入口から左手の裏に設置されていた輦(れん)。弔いの時、棺おけをこれに入れて担いで墓まで行った。春宮も前を通ることは許されなかったので、石段を登って慈雲寺へ入った。寺の前の庭を3回まわって、死者の方向感覚を失くしてから墓へ向かったと伝わる。
2020-03-06
368
航空写真 花田上空
上空から見た東山田(下諏訪町第7区)左に三協精機社宅(現日本電産サンキョー)、下諏訪町第5保育所(現とがわ保育園)の赤い屋根が見える。
2020-03-06
369
航空写真 秋宮周辺
下社秋宮の森、今はない山王閣の建物が見える。画面左下には青塚が見えている。
2020-03-06
370
小田野(社ヶ丘団地造成前)住宅団地
下諏訪町では住宅団地造成のため、東山田小田野地籍23,070平方メートルを買収して、昭和36(1961)年7月から工事に着工した。写真は工事着工前の田畑(多くは桑畑に利用されていた)が広がる様子である。 昭和37(1962)年3月20日工事は竣工し社ヶ丘団地が造成された。
2020-03-06
371
御柱山出し
御柱祭山出しでの第一 区関係者。
2020-03-06
372
御柱山出し
御柱祭山出しでの第一区関係者。
2021-04-01
373
和田嶺合戦90年祭
元治元(1864)年、総勢1000人の水戸浪士軍は尊皇攘夷の実行を迫るため中山道を上って来た。11月20日、これを迎え撃つ諏訪藩・松本藩と雨中の戦いとなった。この合戦の戦死者は諏訪藩6名、松本藩4名、浪士軍10数名であった。のちに両軍戦没者を慰霊する浪人塚が立てられた。 和田嶺合戦90年祭。昭和29(1954)年10月20日撮影。
2020-03-06
374
子どもの川遊び
浮島の周りの砥川。カジカなどの小魚が沢山いた頃のもの。川を石でせき止めてプールをつくって泳ぎ、体が冷えるとあみだ様(万治の石仏)の背中に張り付いて温めた人もいたという。
2020-03-06
375
下諏訪町遠望
富部の山の手から撮影。国鉄(現JR)との立体交差の始まった冬。立体交差は昭和32(1957)年5月20日開通式を行う。写真手前家並みは中山道。その上側に農耕地が広がり写真右に土田墓地、駅構内の線路、駅の手前にダイヤ豆腐の工場、画面左端には下諏訪小学校の講堂と思われる建物が見える。写真中央を中央線と国道20号線沿いの家並みが線状に見えている。遠く水田地帯、砥川、長地の集落と思われる風景が続く。
2020-03-06
376
宅地化する前の湖浜地区
富部山の手から撮影。冬の高浜湾。
2020-03-06
377
完成した曳き綱
御柱綱打ちは山車を立て並べ車輪に結んだ玉縄によりをかけて作業した。後ろに青年会が作った出征軍人の武運長久を祈った横断幕が見える。
2020-03-06
378
御柱搬出
棚木場へ集結した8本の御柱は、請け負った水月会で棚木場に積み重ね、この日関係町長立会いのもと、引渡しが行われた。この頃はこの後屋根を架け翌年の山出しを待った。
2020-03-06
379
木落し
大正15年(1926)諏訪大社下社御柱祭。 山出しの木落し風景。
2020-03-06
380
小田野段丘と砥川新扇状地
機上から(諏訪市勝山為如氏)撮影した諏訪大社下社春宮下馬橋(太鼓橋)。 右が春宮の森、さわら並木は昭和9年の室戸台風でほとんどが倒れ今は見られない。左上が小田野段丘で昭和37年社が丘住宅団地ができた。その下が東山田の集落。参道両側の民家は平石屋根やかやぶき屋根が多い。
2020-03-06
381
御射山スキー場
夜明けの処女雪をふんで。 撮影両角信行氏
2020-03-06
382
御射山スキー場
御射山ヒュッテがこの頃できた。御射山ヒュッテに向かってすべるスキーヤーたち。撮影両角信行氏
2020-03-06
383
来迎寺檀家の記念写真
来迎寺。山門前向かって右側の碑は位産上人筆による六方石で建てられた碑。六方石はかんかん石とも呼ばれた玄武岩でできた下諏訪町武居産の石(六方石については「悠久の武居 46p」や下諏訪町誌民俗編p324などに記載あり)
2020-03-06
384
昭和初期小学生の記念写真
山王台の銅像の台の前。 片倉蚕糸の創業者が岡谷の方向を指差した銅像があったが、お尻が皇居の方向を向いているとの批判があり取り壊された。
2020-03-06
385
図書館利用者の集合写真
戦前の下諏訪町青年会図書館。 昭和3(1928)年に下諏訪青年会が山王台に建てた、昭和11(1936)年4月、片倉公園造成のため山王台から下中のバックネットの裏に移設された。
2020-03-06
386
下諏訪町警防団
下諏訪町警防団の集合写真、昭和14(1939)年1月警防団令により消防組を改組して下諏訪町警防団は昭和22~1947年まで設置された。 団長の高木十吉はこの後町長となるが昭和19(1944)年4月11日御柱祭山出祭において不慮の事故で殉職した。 中央には警察官の姿も見える。
2020-03-06
387
横綱吉葉山来訪
大相撲下諏訪場所相撲巡業記念写真。 昭和32(1957)年9月に山王台で行われた諏訪大社相撲巡業。写真は横綱吉葉山{昭和22(1947)年入幕-昭和33(1958)年引退}、当時美声といわれた呼び出しの小鉄、行司式守与之助、民家に泊まった(小林家など)。左側に子ども達が立っているのは秋宮神楽殿前の狛犬の台座と思われるが戦争中供出されたままでまだ再建立されていない 。吉葉山は、十両昇進前に召集され戦地で銃弾2発を浴び終戦後再び土俵に上がった。大関で全勝優勝し「雪の全勝行進」で大人気となる。 しかし、病気や被弾による後遺症などで「悲劇の横綱」と呼ばれた
2020-03-06
388
製糸の町岡谷
天竜川沿いに製糸工場の煙突が沢山見える。
2020-03-06
389
製糸の町岡谷
天竜川沿いに製糸工場の煙突が沢山見える。製糸工業全盛期「岡谷の千本煙突」・「岡谷のスズメは黒い」など言われることもあった。 天竜川河岸に水車と思われるものが写っている。
2020-03-06
390
医師、歯科医の懇新年会記念写真
医師、歯科医の芸者を上げての新年会記念写真。 向かって右より 岡野先生、一の瀬先生、二木先生(歯医者)、下条先生、塚越先生、武井先生、三輪先生。 2列目 金丸先生、林先生、女性、黒河内先生。 3列目 宮下先生、小松先生、平山先生、池田先生、中根先生。
2020-03-06
391
秋宮スケートリンク
山側の高台から撮った秋宮スケートリンクの全景。明治42(1909)年に下諏訪氷辷会と有志が開設した特設リンクで、今日まで観光事業・町民のスケート技術・体育向上に貢献したリンクで、関係者の努力には敬意を払いたい。
2020-03-06
392
駅前通り舗装工事
舗装工事中の駅前通り。 右側の洋風の建物はシロトリ写真館。突き当たりが下諏訪駅でその前には宮大工の手による前回の御柱用材を利用した鳥居が建てられていた。 作業中の人は、町の失業対策事業の人たちである。広瀬町の名前のとおり、地中には大きな川原石がゴロゴロしていた。 同写真館は、大正12(1923)年箕輪で創業、その後岡谷の丸山橋、下諏訪では昭和2(1927)年御田町で開業、その後現在の広瀬町に移った。
2021-05-03
393
秋宮周辺航空写真
勝山写真館(上諏訪)が赤砂飛行場を離陸撮影した航空写真。秋宮周辺の宿場町の町並みが残っている。左下に旧町役場庁舎、左端の中あたりに中部電力前身の信州電気、その前の立町通突き当りには二階建ての綿の湯、その周りには改築前の旅館、鳥居前は当時の街道の風情が色濃く残り千尋館なども見られる。 勝山写真館では霧ケ峰強清水のスキー場の写真などを空から撮影していた。
2020-03-06
394
出征家族写真撮影関係者
戦時中、朝日新聞では軍神の諏訪大社下社秋宮境内で出征した兵士の家族写真を撮影、戦地に送付していた。町内の写真撮影業者のうち組合加入の秋山(高札場上)・北原・城取氏の3人、アマチュアカメラマンが撮影に当たっていた。新聞社、新聞販売店、後援の役場職員も同席しての記念写真。
2020-03-06
395
みどり幼稚園
新町下にあったみどり幼稚園の園庭にて、保護者・園関係者の記念写真。前列中央は園長の山田与八氏。 下諏訪教会では戦前の昭和10(1935)年から幼稚園経営をしていたが戦争中は町保育所に吸収され園舎は軍事工場に使用されていた。 戦後の昭和26(1951)年仮免許で始め、再び幼稚園を翌年正式の設立認可を得てみどり幼稚園と改名した。
2020-03-06
396
富ヶ丘から望む高浜
富ヶ丘旧道にあった桃畑(新井清水氏所有)から、高浜湾方面を望む。右側に下諏訪小学校や製糸工場、高浜の湖畔には水産試験場、網いけす、大四手網が見える。山の手の畑には桑畑が広がっている。
2020-03-06
397
御田植祭
諏訪大社秋宮斎殿横の駐車場の位置にあった斎田の御田植祭の様子。当時は現地に田んぼが2枚あり、下の段を使って祭事が行われた。 右側の道は向陽坂で、山王台の橋の位置から撮影した。
2020-03-06
398
お花見風景
御田町商店主の皆さんのお花見。当時(昭和15年頃)は芸達も多く、仮装(御田町の店主)してお花見を楽しんだ。のんきな父さんの姿も見られる。左側に見えるのは、山車である。慈雲寺下の花見新道で撮影。子どもの多くは着物姿である。
2020-03-06
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1
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山出し(31)
白色の花(27)
中山道(26)
諏訪湖(20)
秋宮(16)
山王台(15)
多年草(15)
おんべ(12)
東山田(12)
航空写真(9)
木落坂(8)
山王閣(8)
御柱祭(8)
白い花(8)
諏訪大社(7)
記念写真(7)
製糸業(7)
御柱(7)
富士山(7)
旧中山道(7)
下諏訪宿(7)
修験道(7)
つる性(7)
紫色の花(7)
下の原(6)
山車(6)
製糸(6)
萩倉(6)
木落(6)
黄緑色の花(6)
バラ科(6)
ユリ科(6)
春宮(5)
綱打ち(5)
慈雲寺(5)
福沢川(5)
食用(5)
ユキノシタ科(5)
敬愛社(5)
キク科(5)
黄色の花(5)
御田町(4)
高浜(4)
スポーツ(4)
スケート(4)
天竜川(4)
木落し(4)
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合併(1)
東町(1)
変入(1)
境界線(1)
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浸水(1)
医王渡(1)
集中豪雨(1)
氾濫(1)
被害(1)
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凱旋祝賀(1)
八幡社(1)
総司令官(1)
大山巌筆(1)
碑(1)
絵図(1)
筑摩県(1)
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城垣(1)
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鳥居前(1)
御座の間(1)
茶室(1)
武家茶屋(1)
本陣 (1)
本陣庭(1)
本陣庭園(1)
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分署(1)
和洋折衷(1)
警察分署(1)
菊の紋章(1)
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水圧管(1)
浮島発電所(1)
句碑(1)
芭蕉(1)
200年忌(1)
展示会(1)
ニット展(1)
スーツ(1)
マネキン(1)
再建(1)
下諏訪学校(1)
望楼(1)
バルコニー(1)
歌碑(1)
金比羅山(1)
水月公園(1)
古峠(1)
石小屋(1)
力石(1)
鎌倉(1)
源湯(1)
墳湯(1)
ぬるめ(1)
田ぬるめ(1)
田圃(1)
西餅屋上(1)
石英安山(1)
大曲(1)
停留所付近(1)
学校林(1)
植栽(1)
下諏訪小学校(1)
赤松(1)
御堂ヶ峰(1)
学校植栽地(1)
八島ヶ原(1)
高層湿原(1)
八島ヶ原高層湿原(1)
八島ヶ池(1)
大笹山(1)
戸長(1)
16郡(1)
公選(1)
山田政之丞(1)
火の見櫓(1)
赤渋山(1)
林道(1)
橋梁(1)
砥沢山(1)
桶橋分岐(1)
遺跡調査(1)
調査員(1)
最高遺跡地(1)
鳥居龍蔵(1)
第一配水池(1)
境内(1)
川(1)
山七製糸場(1)
バス(1)
餅屋峠(1)
旧発電所(1)
私設発電所(1)
水利権(1)
※山十組(1)
JR(1)
タッツケ(1)
風呂敷(1)
服装(1)
初午(1)
宝光敬愛社(1)
湯殿三山講(1)
竜の口(1)
石段(1)
高遠石工(1)
聴泉閣かめや(1)
絵の間(1)
文人(1)
雛人形(1)
恵方(1)
矢(1)
山の神講(1)
ペンション(1)
かたつむり(1)
丘(1)
湖(1)
暖炉(1)
山間地区(1)
確定申告(1)
相談会(1)
町屋敷公会所(1)
宝投げ(1)
鬼(1)
福(1)
東山田バス(1)
東山田線(1)
農協(1)
廃止(1)
停留所(1)
買い物風景(1)
食品(1)
販売(1)
集落(1)
ジャスコ通り(1)
シャトレーゼ(1)
20m道路(1)
発展(1)
南部(1)
四つ角(1)
上諏訪(1)
国道(1)
山の手(1)
宅地分譲(1)
区画整理事業(1)
西高木(1)
東照寺(1)
時計屋さん(1)
森山汀川(1)
やぎずし(1)
沖電気(1)
輸出製品(1)
輸入材(1)
山田製材所(1)
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鉢植え(1)
衣文坂(1)
青塚(1)
旧下諏訪宿(1)
遷座祭(1)
パレード(1)
ミス下諏訪(1)
お舟祭り(1)
奉納会(1)
矢渡し(1)
小笠原流(1)
御射山社祭諏訪大社(1)
町営弓道場(1)
規模が大きい(1)
堆積(1)
ミズゴケ(1)
泥岩層(1)
南限(1)
八朔(1)
御射山祭(1)
夜祭り(1)
御射山社(1)
護岸(1)
暴れ川(1)
河口(1)
中電(1)
水力発電(1)
砥川水力発電所(1)
山の神発電所(1)
斧立社(1)
浄水場(1)
下社の七不思議(1)
御射山の三光(1)
摂社(1)
坂の脇(1)
シルクラッシュ(1)
製糸の町(1)
山峡の製糸王国(1)
国鉄中央線(1)
鉄鋼泉(1)
名湯(1)
夜景(1)
掘削機(1)
新式(1)
高速化(1)
温泉供給(1)
モノレール(1)
搬出(1)
菰川汐(1)
菰川(こもっかわ)(1)
鎮守様(1)
権現様(1)
参道(1)
鎮守の森(1)
東山田行屋(1)
講(1)
修行(1)
眺望(1)
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