綿の湯
大正13(1924)年着任した柳沢警部補から、衛生保安の立場上、三湯(綿の湯・児湯・旦過の湯)とも改築の急務を力説されて、第二区では「綿の湯」をはじめ、三湯の改築に取りかかることになり、まず綿の湯から着手することになった。写真は大正14(1925)年8月、旧中山道沿い突き当たりの立町に建て直された綿の湯である。この時、階下は消防屯所で二階は集会所とし、二階屋上に火の見の望楼をのせた。
綿の湯はこの後、昭和35(1960)年に鉄筋コンクリート建築に改築されている。
綿の湯には伝説が2つ伝わっている。一つは建御名方命(たけみなかたのみこと)の妃である八坂刀売命(やさかとめ)が上社から下社へ住まいを移す際、上社前の温泉の湯を化粧綿に浸み込ませて持参し、下社前に置くとそこから湯が沸き出たというもの。もう一つは、穢れがあるものが綿の湯に入浴すると神の祟りに触れて湯口が濁ると伝えられ、下社の七不思議のひとつに数えられている。
撮影場所 | 立町 |
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撮影年月日 | 大正14年8月 |
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撮影(西暦) | 1925年 |
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色調 | 白黒 |
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大きさ | 13.6*9.3 |
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所蔵者 | 青木英侃 |
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参考文献 | 写真が語る下諏訪の百年 139p 下諏訪町誌民俗編 716p736p, |
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地区コード | 立町 |
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