はじめての方へ
|
新規ユーザー登録
ログイン
諏訪大社
神社・仏閣・史跡
文化・町並み
温泉・観光・食
諏訪湖・漁業
自然
工業・機械・電気
産業・製糸
防災・災害
スポーツ
資料・文書
御柱祭
博物館企画展
すべての年代
~明治
大正初期
大正後期
昭和初期
昭和10年代
昭和20年代
昭和30年代
昭和40年代
昭和50年代
昭和60年代
平成
令和
並び替え:
最新順
管理番号順
タイトル順
登録日順
登録リスト(該当:63件)
≪
1
≫
写真
タイトル
説明
登録日
1
準急列車リゾートふるさと
「リゾートビューふるさと」JR東日本が開発した次世代型ハイブリット気動車【エネルギーを貯蔵する鉄道車輌】。2014(平成26)年5月17・18日、6月14・15日の4日間長野エリアのハイブリット観光気動車・HB-E300系「リゾートビューふるさと」による臨時快速列車『リゾートビュー八ヶ岳』が、松本~中込間で運行されたのに伴い下諏訪通過。 小海線を走った。
2024-02-17
2
はまかいじ号
「はまかいじ号」が中央東線に登場したのは1994(平成6)年春の臨時列車から、横浜駅から横浜線・中央本線・篠ノ井線~松本駅を結ぶ週末の臨時特急となっていたが2019(平成31)年春運行終了・廃止が決定した。
2024-02-15
3
準急列車
松本行き準急列車キハ58
2024-02-14
4
E233列車
普段はここを走ることのない列車だが諏訪湖上花火大会、新作花火大会では首都圏の列車が臨時で花火客を乗せせて茅野-松本間を走る。 背後に見える「日本電産サンキョー」の看板も2023(令和5)年3月をもって消えた。
2024-02-08
5
看板と電車
「ナショナル」の松下電器の看板だけが目立つ。 田園風景の中を走る電車。桜並木は横河川。
2024-02-12
6
はまかいじ
はまかいじ号が登場したのは1994(平成6)年は春の臨時列車から。 横浜線・中央本線・篠ノ井線~松本駅を結ぶ臨時特急となっていたが2019(令和元)春運行終了・廃止が決定された。使い勝手の良い列車であった。
2024-02-08
7
あずさ2号
中央東線史m諏訪西大路ガード付近、松本運転所M8編成。 2月2日の「あずさ2号」の運転用として新宿へ回送されたときの写真。 2002(平成14)年2月2日午前8時2分新宿発松本行き「あずさ2号」はJR東日本が新型車両の運行記念として国鉄時代と同じクリーム色の車体に赤いライン、当時と同じプレートを付けた。「183系」のイベント列車が20年振りに走った。 これは日付に「あずさ2号」という曲のタイトルである「2」が並んだこと、長年同列車に使用されてきた183・189系の「あずさ」での営業運転終了が迫ったことを記念した特別列車であった。
2024-01-28
8
中央線紀行号
快速中央線紀行号として旧型客車3両が松本~富士見間を辰野経由で1往復した。
2024-01-25
9
蒸気機関車 C1266
現在真岡(モオカ)鉄道にいる「カマ(機関車)」の30年前の姿。 当時上諏訪機関区には3両のC12がいた。C1267は茅野市に保存展示されている。 C1266は木曽福島から会津若松、そして旧川俣線が廃止される前日の営業最終列車の後、自力で川俣駅へ回送されたと聞いている。 ここで保存された後真岡鉄道で復活、NHK4の朝ドラにも出演、地味な現役時代とはまたひと味違った姿になっている。 復活後はまだ見ていないがそのうち会いに行こうと思う。 【百瀬氏文】 C12形式SL 文化財として27両が全国的に保存されている。C1266とC12777号が動態保存に復元されて、それぞれ真岡(モオカ)鉄道と大井川鉄道で運転されている。
2024-01-24
10
松本藩士の墓
元治元(1864)年、水戸浪士と高島・松本両藩の樋橋合戦の際、松本藩の戦死者4名を葬った墓である。建立は松本藩の隊長であった稲村元良で、当初浪士塚の近くに埋葬したところ、高島藩から反対されこの地に改葬されたという。
2023-07-09
11
マツムシソウ解体図
マツムシソウ(マツムシソウ科)松虫草 蕾~開花~果実 霧ヶ峰観察記録 2013.8.22 ※マツムシソウは周りの舌状花から開き、その内側の筒状花から、そして中心部分からも順次開花する。舌状花は上唇は小さく2裂、下唇は大きく3裂。筒状花も雄しべ4本 ※名前の由来は巡礼が家々を回り、鐘をたたいてお布施を乞うた。その鐘を昔から松虫と呼んで、果実の形が似ていることから。 もう1説は、マツムシが鳴く頃咲くので。 ※2年草で、当年の花の咲くものを移植しても、もう花は咲かない。
2021-11-11
12
サクラあれこれ
桜あれこれ 2012.5.12林業センター 上より。 ・かたおかザクラ(片丘桜) 花弁数:5枚 カスミザクラの栽培品。幼木でもよく花をつける、塩尻市片丘で見つける。樹高4mほど。 ・しょうげつ(松月) 花弁数:20~30 サトザクラの栽培品種。明治期の荒川堤から広がった。名前の由来は不明。 ・楊貴妃 花弁数:15~20 サトザクラの栽培品種。奈良の興福寺にいた玄宗という僧侶が庭の桜に愛情を注いだことから、その桜を「楊貴妃」と呼ぶようになったといわれる。 ・紅玉錦 ・フゲンゾウ(普賢象) 20~50 サトザクラの栽培品種。2本の雌しべが葉化し、これを歯、八重の花弁を鼻と、普賢菩薩の乗る白象に見立てた。 ・北鵬 ・普賢象 ・かんざん(関山) 花弁数:20~50
2021-11-02
13
アキカラマツ解体図
アキカラマツ(キンポウゲ科)秋唐松 別名「高遠草」、葉に苦味あり健胃剤。 雄しべの柄が細く、花粉を出す葯(やく)だけが目立ち、花が黄色く見える。また、萼片(がくへん)が早く落ち、花弁はない。白く見える他のカラマツソウの仲間は先端の葯より柄の方が太く白く見える。雄しべ多数、雌しべ数個。草原。高さ40~ 130cm。花期7~9月。 「高遠草」;高遠藩で薬草として販売したという。 白い花穂の仲間;カラマツソウ・ミヤマカラマツ・モミジカラマツ 等
2021-10-28
14
小松家に残る木喰仏
木喰上人は18世紀末から19世紀初頭にかけて何度か信州を訪れ、信者はその身辺に沢山集まった。この木喰上人は旧来の形式にとらわれず、自由に心の赴くままに創作に打ち込み、庶民即仏とでもいえそうなまことにユニークな仏様の数々を刻んでいる。諏訪を中心とする寺や民家に沢山の仏さまが残されているが、写真は下諏訪町横町の花屋茂七(小松)宅の虚空蔵菩薩像である。一般公開されており、そのほほえみは慈悲にあふれている。
2022-03-24
15
樋橋茶屋跡
集落の中央がかぎの手になっているのは多くの宿場に見られる形態である。本陣の「嘉登屋(かどや)」は曲がり角にあり、大名・公家たちのお小休みなどに使われた。宝暦4(1754)年にかどや火事があったとき、藩は何の抵当もなしに米12俵を貸している。文久元(1861)年、和宮下向の折にお小休みのために御殿を建てたが、樋橋大火で焼失してしまった。さらに江戸末には水戸浪士と高島・松本藩の和田峠の合戦の舞台にもなっている。諏訪の歴史の中では忘れられない場所の一つである。
2022-03-24
16
浪人塚
元治元(1864)年10月、水戸の天狗党は武田耕雲斎を総大将にして、京都にいた一橋慶喜に尊王攘夷の実行を迫るため軍を進め、11月20日に800人余りの勢力で和田峠を越えてきた。幕命を受けた高島藩は家老千野孫九郎を総大将に総動員し、松本藩350人とともにこれを迎え撃った。この合戦で戦死した者は高島藩6名、松本藩4名、浪士軍は10数名であった。明治4(1871)年、高島藩は浪士軍の戦死塚を造り変えることになり、石工山田金右ヱ門がその碑を刻んだ。現在でも慰霊祭が引き継がれ行われている。
2022-03-19
17
今井邦子文学館
「松屋」は中山道の宿場内にあって、間口が狭く奥行きの長い典型的な宿場の建物であったが、当時の面影を可能な限り再現して建て替えられ、現在は「今井邦子文学館」として開放されている。今井邦子は少女時代に下諏訪町に住み、島木赤彦との巡り合いにより短歌の新境地を開き、「明日香」を創始して歌人の道を歩んだ。館内には今井邦子や「明日香」の資料が展示されている。また、旧中山道を散策する人々が一服できる場所ともなっている。
2022-03-19
18
橋本政屋
甲州道中の下諏訪宿と上諏訪宿の間の茶屋として栄えた。表は千本格子で、二階は出梁作りとなっている。諏訪湖を一望でき江戸時代の面影が残る建物。こて絵の力蔵(りきぐら)、高島城より拝領のおひねりの松・石燈など見どころも多い。
2021-06-10
19
尾掛松(おかけまつ)
古代の「松之木湛」神事の地と伝えられている。「湛(たたえ)」とは「タタリ」。お掛け松に神霊が大空より降臨することを信じて祀ったものと伝えられる。「杉の木様」とも呼ばれている。(わが町下諏訪歴史編より) また、出雲に出かけた諏訪明神様の尾がこの木に巻き付いていて、他の神々から「尾はどこに?」と問われて「おはたかき」と答えたという伝説が伝えられている。現在の大和、高木の地名の由来とか。 今は木の切り株が大切に保存されており、覆い屋に保護されている。
2021-04-24
20
エビラシダ
シダ類も種類が多いが、本種はやや特異な形。 ワラビもシダでしたね。 別名ジクオレシダ、産地帯の林内の湿った岩壁に着生する夏緑性のシダ葉は長さ10~20cmで葉身は三角状卵型、単羽状深裂、葉身と葉柄は約120度の角度でつきます。 準絶滅危惧の植物で県内では諏訪・佐久・木曽・松本などで分布しています。
2022-01-26
21
アカマツ2
まず雄花は前年の枝に多数の黄色い花粉を出す。 その頃松林を走ると黄砂のようにつく。
2020-09-09
22
イスカ
「イスカ」アトリ科 全長18cm 翼開長28cm 冬鳥でくちばしの上下が合わずに交差しているのが特徴。松かさの鱗片をこじ開けて中の種子を食べ、冬でも繁殖する。
2021-03-04
23
水戸浪士25年祭
浪人塚(水戸浪士の墓) 元治元年(1864)11月20日水戸浪人(天狗塔)の総勢千余名が、和田峠で、待受けた松本・高島藩士と争い、多数の死傷を出した。写真は水戸浪士25年祭。中央の日の丸の後方が浪人塚で、まだ木は大きくなっていない。
2022-03-19
24
結婚式
松葉屋(千尋館)で行われた結婚式の記念写真で撮影場所は広間や屋外など。 年代はどちらも昭和初期のもの。
2022-01-13
25
和田峠の切通し工事
明治28(1895)年8月(明治10年掘削の峠の)頂上を掘り下げて新道(現142号線)を作った。明治27(1894)年からの改修が始まりこの工事は丁場を分割し多くの作業員が入った。工事はレールを布設しトロッコによる土砂運搬が行われ工事効率も上がった。トロッコによる作業員は松本監獄から出張してきた人々だった。写真は上田から来た写真師の撮影によるものです。
2023-04-15
26
三区騎馬勢揃い
大正15年 寅年御柱祭 第三区騎馬行列勢揃い 曲傘 小口千束氏(小口修平氏父) 御槍 武井貞雄氏(武井直人氏父) 松沢文亀氏(松沢孝明氏父)
2022-06-09
27
進駐軍
昭和20(1945)年12月、アメリカ進駐軍松本駐屯部隊の監視所が、上諏訪新道分岐点(大社通り四つ角)に置かれた。この時は菅野町入口に2坪の監視所ができ、昭和20(1945)年12月から21(1946)年2月まで10~15人が正木屋(現八十二銀行付近)に駐屯し、銃刀等の取調べをしていた。
2020-03-06
28
下駄スケートをする少女たち
向かって右より 三井まさ 小口けん(小松屋) 小口すえ(湊屋) 溝口はる子 柳沢きよ 増沢みす(松仙堂)。
2021-05-11
29
吉澤製糸場
山永※吉澤製糸場。明治26(1893)年当時30釜。花咲町旧小松ガラス店隣。明治24(1891)年に吉澤金治が創業。
2020-03-06
30
新短歌の歌人
新短歌の歌人光本さん。この年新短歌連盟賞を受けた。アララギ王国の諏訪にあって新短歌信濃支部を設立、松本・岡谷に歌会を持ち駆け回っている。鳥取県出身、歌集に「薄氷」「素足」などがある。「未来山脈」主催。
2020-03-06
31
和風レストラン
当時湖岸通りに開店した和風レストラン元庄屋諏訪店。松本に本拠をもつチェーン店の諏訪進出第一号店。現在は閉店し上諏訪に支店がある。
2020-03-06
32
浪人塚の例祭
浪人塚の例祭、塚を守っている樋橋部落のご老人たち。毎年この時期には供養祭をしている。明治4(1871)年に諏訪藩が建てた墓碑には6人の名が刻まれている。幕末元治元(1864)年10月20日、京都を目ざす水戸の天狗党約800人の軍勢と和田峠の樋橋で待ち伏せた諏訪・松本藩連合軍とがぶつかった樋橋戦争の水戸側の戦死者11人を葬ってある浪人塚。
2020-03-06
33
下諏訪町立図書館
旧町立図書館閲覧室の風景。旧図書館は建て替えられ平成14((2002)年6月に現図書館が開館した。 旧図書館の館内の風景。 写真下は「おはなしの広場」主催の人形劇の会(松本がらくた座)。
2020-03-06
34
スケート部の陸上トレーニング
体協スケート部の陸上トレーニング。下諏訪町の保健センター駐車場を借用してのローラースケートの練習。向かいに小松工業の看板が見える。
2020-03-06
35
みぞれで人足の途絶えた夜の街
緑町「おちか」「うな富」の看板が見える。この日、南岸低気圧によるカミ雪で、県下はすわ湖周辺がなぜかみぞれ、春の前触れのカミ風が、ひと月以上も早く訪れたのも異変だった。 二枚目の写真は、旧小松ガラスの近くの「大政」。
2020-03-06
36
小松工業
西鷹野町工業団地にある㈱小松工業のロングストローク特殊プレス機による冷間塑性加工工場。630トン、600トンのプレス機を使って大型部品を「しぼって」作る。内陸にあって精密工業の発達している諏訪地方では、やや大型の部品を扱う工場は多くはない。技術水準を上げるため、埼玉県から工学博士を招いて指導を受けているという。
2021-04-01
37
牧草地にカラマツ植栽
東俣牧草地の牧草クローバー、オーチャードの畑に唐松が植林されている。酪農に見切りをつけたためと思われる。 昭和39(1964)年の撮影。
2020-03-06
38
学校林に植栽
明治39(1906)年5月12日、下諏訪小学校生徒が植林に参加。この年には赤松18万本を植栽したという。また学校林の位置が分かる地図が「写真が語る下諏訪の百年」 66pにあるので参照されたい。 学校林の植栽の様子は、明治39(1906)年5月12日の「写真が語る下諏訪の百年」88pの写真とこの明治40(1907)年4月28日付のこの写真とが大変よく似ている。山の下と山の中腹の位置が異なるが植樹するための事前に掘ってあったという穴は同じように掘られている。
2020-03-06
39
西餅屋竹屋
西餅屋(立場茶屋跡)に一軒残った竹屋・武居清左エ門の家を写す。左前の石垣は本陣小口金右エ門の屋敷跡、右の石垣は犬飼太金冶、その前が小松屋竹次郎があった。この竹屋も大正13~14(1924~1925)年に菅野町へ下る。
2020-03-06
40
明治21(1888)年の記念写真
下諏訪学校尋常科1・2年生、明治21(1888)年の写真。 和服に靴・カバンの取り合わせがほほえましい。二人の間にあるのは教科書だろうか。小松定衛先生が9才の時横町ガラス取り写真屋で写す。城取一二三写真屋にて複製。
2020-03-06
41
下諏訪分署
明治22(1889)年12月竣工。明治23(1890)年4月25日落成。この分署は明治21(1888)年8月管内村民間に庁舎新築の議が出て、寄付金をもって湯沢山御料休の松の良材を用いて建てられた和洋折衷様式の見事な建築であった。現在は御柱モニュメントを経て高札場になっています。この頃の管轄区域は下諏訪村・長地村・平野村・川岸村であった。現在は「八幡坂高札ひろば」。
2020-03-06
42
三都講看板
江戸時代後期には旅が盛んになったが、安心して泊まれる宿選びに難儀する人も多かった。大阪の商人松屋の手代源助は誰でも安心して泊まれる旅館組合「浪花組」(のちの浪花講)を結成した。加盟宿には目印の看板をかけさせるとともに、旅人には所定の鑑札を渡し、宿泊の際には提示するようにした。浪花講をまねた講が次々作られたが「宿屋組合三都講」もその一つである。三都講は天保元(1830)年大阪河内屋茂左エ門と江戸馬喰町苅屋茂右エ門によって作られた。写真は「三都講同盟結社看板」。
2020-03-06
43
看板「西餅屋邸小口金右衛門」
西餅屋は江戸時代中山道下諏訪宿と和田宿の五里十八丁の峠路に設けられた「立場(たてば)」(人馬が休息する所)であった。金右衛門、日野屋六兵衛、竹屋清右衛門、小松屋嘉助の四軒があり藩堺にあったので、ときには、穀留番所が置かれた。幕末の砥沢口合戦のときは、高島藩の作戦で焼失されたが、すぐに再建された。現在は道の「曲之手(まきのて)と茶屋あとが残っている。昭和41(1966)年11月10日小口金一郎氏より
2020-03-06
44
秋宮鳥居前の松葉屋(後の千尋館)
松葉屋全景。「割烹松葉屋 電話 二十六番」 割烹業を営む増澤多能志氏、後に上諏訪町子pガン、眺望第一の場所に山水荘翠香閣を開いた。
2020-03-06
45
秋宮鳥居前の松葉屋(後の千尋館)
写真下には「松葉屋料理店 官幣中社諏訪大社下社鳥居前」と書かれている。諏訪大社は大正5(1916)年12月12日、官幣大社に昇格している。秋宮鳥居右奥には合名会社三井組製糸の第四工場。(明治9(1876)年から大正10(1921)年頃)(現社務所)手前は松葉屋料理店(後の千尋館)。その手前は旧柳沢家(現若松氏経営の土産品店)三井家は嘉永2(1849)年座繰機器を入れて土蔵前に庇を出して「座繰製糸」を始めた。後に明治9(1876)年「山王台」下にて本格操業、明治13(1880)年には三井仁平衛・増沢市郎兵衛・岩本甚蔵・岩波甚吉・小口森蔵等共同座繰場「白鶴社」を平沢町(現青雲館北)に立ち上げた。
2020-03-06
46
春宮大門先大鳥居建立
この写真には「明治25(1892)年春宮大門先に建てる銅(からかね)鳥居を塩尻峠経由で到着させるとこ」と裏書あり。春宮大門先へ銅鳥居が建つ(明治25(189)2年)。大鳥居建設落札者河西準之助、河西寅吉と鋳造者小島大二郎(上田市)の三氏が礼服乗馬で指揮して、その部品を荷馬車で和田峠越えが困難なために保福寺峠を迂回して松本・塩尻峠経由で運んだという。
2020-03-06
47
御座掛松(ござかけまつ)
高木の石投場南よりにある御座掛松(ござかけまつ)。松は甲州街道中の土手上から道端まで見事に垂れ下がっていた。大正13(1924)年ごろから樹勢が衰えはじめ昭和4(1929)年に枯れる。樹齢は400年と推定。明治13(1880)年明治天皇御巡幸の際は御幸(みゆき)の松と立札してお迎えした。現在の松の二世が成育。写真に[下諏訪町高木ゴザカケ松なり、是より約2町中陣坂。]の文字。
2020-03-06
48
亀屋より鵞湖を望む
下諏訪金松堂発行の絵葉書、「下諏訪亀屋三階ヨリ鷲湖ヲ望ム」。鷲湖とは諏訪湖の別称で、慈雲寺を開いた一山一寧のふるさとの湖の名にちなんでつけたとされる。手前右に綿の湯付近にあった火の見やぐら、左の端に大木があり専女のけやきのようだ。
2020-03-06
49
製糸工場風景
絵葉書「信陽諏訪下諏訪入一※組製糸会社全景」の文字。入一※組製糸は明治34(1901)年に創業した入丸※製糸が明治43(1910)年に分離し、入一として創業(小口松五郎・川村蓑吉・山田由蔵・河西寅吉の合名会社)した。入一※製糸は入丸より分離したメンバーに河西友吉・河西勝太郎・今井栄人(入一社長)が加盟し、最盛期の大正10(1921)年頃(1150釜)は茨城・静岡に支店を出し、大正12(1923)年には南四王(現ジャスコ跡)に分工場を建設した。昭和4・5(1929/1930)年の不況により今井栄人が入一通信工業に転換した。下の原方面からの写真、中央辺りに平沢小路~下の原への道路が見える。
2021-04-01
50
病院慰問団
松本陸軍病院慰問の際の記念写真。
2020-03-06
51
年神様 吉沢和己氏宅
松飾りとともにお棚を作った。上座敷の床の間の前上に長さ6尺巾1尺厚さ5分ほどの新しい板(お棚板)の両端を新しい縄で天井からつるし、つった縄の前方両方に松の枝を結わえつけ、その間に注連縄(しめなわ)を張り歳神様といって正月行事の棚飾りとした。現在ではお棚を飾る家はほとんど見られなくなった。
2020-03-06
52
松沢製糸所
松沢庄吉氏が大正4(1915)年国用機械製糸を創業。最盛期には中核的存在となり、下諏訪町を県下随一の国用製糸集団地(66工場)となす。終戦末期統制法下で廃業した。
2021-04-01
53
千尋館二階大広間
200人ほど入れたという千尋館の大広間。大きい結婚式なども行った。
2020-03-06
54
千尋館
秋宮鳥居前にあった料亭・千尋館。その前はうなぎの蒲焼の松葉屋であった。
2020-03-06
55
和田嶺合戦90年祭
元治元(1864)年、総勢1000人の水戸浪士軍は尊皇攘夷の実行を迫るため中山道を上って来た。11月20日、これを迎え撃つ諏訪藩・松本藩と雨中の戦いとなった。この合戦の戦死者は諏訪藩6名、松本藩4名、浪士軍10数名であった。のちに両軍戦没者を慰霊する浪人塚が立てられた。 和田嶺合戦90年祭。昭和29(1954)年10月20日撮影。
2020-03-06
56
賽の神
賽(さい)の神。道祖神祭の一環として御幣棹(ゴヘイトウ)を建てた。場所は下馬橋前。先端には松を飾り、横木に色々な細工物を飾った。飾りをくじ引きで分けるのが楽しみだった。明治6(1873)年まで行っていたものを昭和6(1931)年に区の有志が復活再現した時の写真。
2020-03-06
57
春宮前大門通り大正末期
春宮前の大門通り下馬橋から春宮を望む、河西政常氏撮影。通りの両側にはさわら、杉、松、桜などの大木が並んでいた。明治中期の調査では計41本であったが、昭和9(1934)年の室戸台風でほとんどが倒れ、その後枯死し昭和39(1964)年には全て姿を消した。
2020-03-06
58
来迎寺御詠歌講のお年寄り
来迎寺の鉄焼地蔵の前にあった松の木の下で御詠歌講のお年寄り方60人で取った写真。この立派な松も枯れてしまった。(昭和53年記事より)
2020-03-06
59
結婚式の記念写真
松葉屋(後の千尋館)での結婚式の記念写真。
2020-03-06
60
結婚式の記念写真
松葉屋(後の千尋館)での結婚式の記念写真。 男蝶、女蝶の子どもが写っている。三三九度のお酌をした。 男蝶・女蝶とは祝言で三三九度の酌人を務める男女の子どものことを言います。 読み方は「おちょう・めちょう」雄蝶・雌蝶と書くこともある。
2020-03-06
61
医師、歯科医の懇新年会記念写真
医師、歯科医の芸者を上げての新年会記念写真。 向かって右より 岡野先生、一の瀬先生、二木先生(歯医者)、下条先生、塚越先生、武井先生、三輪先生。 2列目 金丸先生、林先生、女性、黒河内先生。 3列目 宮下先生、小松先生、平山先生、池田先生、中根先生。
2020-03-06
62
尾掛松(杉の木神社)
絵葉書になった「尾掛松」。古代の「松之木湛(たたえ)」神事の地と伝えられている。「湛」とは「たたり」のことで、尾掛松に神霊が大空より降臨することを信じて祀ったものである。「杉の木様」とも呼ばれていた。 樹種はヒノキ科ビャクシンで、住民はもとより甲州道中を旅する人も参拝したという。 また諏訪湖上で漁をする人の目印の巨木でもあったが、枯れ死していたので、平成16(2004)年1月に安全上の配慮から伐採され幹だけが残る。 この尾掛松には諏訪明神様が出雲出へ掛けた時、竜神が頭だけ出したので、他の神様が尾はどこにあるのか聞いたところ、「尾は(大和)諏訪湖のそばの高い木(高木)に掛けてある」と答えたことから、それが大和・高木の地名の起源と伝えられている。なお地名の語源には諸説あります。現在は「杉の木神社」
2020-03-06
63
アイスホッケーの試合
秋宮リンクでアイスホッケーの試合が日本で初めて行われた。出場したのは早稲田大・慶応大・東京帝大(現東大)と地元の松本高等学校の4チームだった。 この写真が撮影されたころは石置き屋根の家屋が見られたり、北側の斜面には畑・桑畑・雪をかぶった稲わらを積み上げた稲積(にお・にょう)が見える。
2020-03-06
≪
1
≫
千尋館(8)
記念写真(5)
松葉屋(5)
茶屋(5)
浪人塚(4)
水戸浪士(4)
秋宮(3)
結婚式(3)
和田嶺合戦(3)
中山道(3)
看板(3)
高島藩(3)
和田峠(3)
白色の花(3)
秋宮スケートリンク(2)
尾掛松(2)
飲食業(2)
料理屋(2)
旧松葉屋(2)
料亭(2)
甲州道中(2)
下社秋宮(2)
鳥居前(2)
西餅屋(2)
旅宿組合(2)
天狗党(2)
和田峠の合戦(2)
特急(2)
臨時列車(2)
スポーツ(1)
アイスホッケー(1)
練習風景(1)
秋宮リンク(1)
日本初(1)
史跡(1)
樹木(1)
葉書(1)
杉の木神社(1)
風俗(1)
芸者(1)
医師(1)
歯科(1)
三々九度(1)
和装(1)
御詠歌(1)
来迎寺(1)
鉄焼地蔵(1)
松(1)
大門通り(1)
下馬橋(1)
さわら並木(1)
諏訪大社(1)
春宮(1)
白黒(1)
祭り(1)
道祖神祭り(1)
賽の神(1)
御幣棹(1)
細工物(1)
習俗(1)
年神様(1)
神棚(1)
正月迎え(1)
歳神様のお棚(1)
床の間(1)
松本陸軍病院(1)
慰問団(1)
松本城前 (1)
松本城(1)
※入一組(1)
製糸場(1)
絵葉書(1)
御田町(1)
煙突(1)
かめや(1)
鵞湖(1)
諏訪湖(1)
三階(1)
はがき(1)
御座掛松(1)
御幸の松(1)
土手(1)
石投げ場(1)
大鳥居(1)
春宮大門(1)
荷車(1)
運搬(1)
新道開さく(1)
下諏訪宿(1)
三都講(1)
浪花講(1)
分署(1)
和洋折衷(1)
警察分署(1)
菊の紋章(1)
旧派出所(1)
ガラス取写真屋(1)
尋常科(1)
教科書(1)
和服(1)
靴(1)
竹屋(1)
石垣(1)
屋敷跡(1)
学校林(1)
植栽(1)
下諏訪小学校(1)
赤松(1)
御堂ヶ峰(1)
学校植栽地(1)
東俣(1)
ぬるめ(1)
牧草地(1)
植林(1)
カラマツ(1)
工業団地(1)
小松工業(1)
プレス加工(1)
冷間塑性加工(1)
みぞれ(1)
雪(1)
おかち(1)
うな富(1)
夜の街(1)
陸上トレーニング(1)
スケート部(1)
ローラースケート(1)
保健センター(1)
駐車場(1)
下諏訪町立図書館(1)
図書館(1)
閲覧室(1)
スチール棚(1)
子ども(1)
樋橋戦争(1)
供養祭(1)
チェーン店(1)
レストラン(1)
和風レストラン(1)
湖岸通り(1)
1号店(1)
店(1)
未来山脈(1)
新短歌(1)
連盟賞(1)
歌人(1)
光本氏(1)
製糸(1)
製糸業(1)
旧小松ガラス(1)
スケートリンク(1)
女の子(1)
下駄スケート(1)
着物(1)
スケート(1)
松本駐屯部隊(1)
監視所(1)
白木屋(1)
アメリカ進駐軍(1)
四つ角(1)
騎馬(1)
御騎馬(1)
騎馬行列(1)
下諏訪学校(1)
勢揃い(1)
国道(1)
新道(1)
トロッコ(1)
神前(1)
水戸浪士の墓(1)
25年祭(1)
食い違ったくちばし(1)
赤褐色の身体(1)
野鳥(1)
マツ科(1)
松ぼっくり(1)
マツボックリ(1)
イワデンダ科(1)
準絶滅危惧(1)
湛(1)
諏訪明神(1)
大和(1)
高木(1)
橋本政屋(1)
今井邦子(1)
宿場(1)
島木赤彦(1)
短歌(1)
明日香(1)
尊王攘夷(1)
樋橋(1)
和宮(1)
木喰仏(1)
木喰上人(1)
仏像(1)
キンポウゲ科(1)
バラ科(1)
薄紅色の花(1)
黄緑色の花(1)
サクラ(1)
マツムシソウ科(1)
紫色の花(1)
2年草(1)
松本藩(1)
砥沢口合戦(1)
蒸気機関車(1)
小型(1)
軽量(1)
C56(1)
鐡道省(1)
SL(1)
カマ(1)
快速(1)
紀行号(1)
旧型車両(1)
あずさ2号(1)
あずさ(1)
特別列車(1)
はまかいじ(1)
横浜線(1)
中央本線(1)
篠ノ井線(1)
松本駅(1)
電車(1)
花火大会(1)
日本電産(1)
準急列車(1)
C12(1)
砥川鉄橋(1)
臨時特急(1)
ハイブリット気動車(1)
快速列車(1)
ログイン
トップページへ