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登録リスト(該当:13件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
寒の雨
厳寒の雨は酷寒の地諏訪地方では珍しく、この日の最低気温は0.5度(平年比7.7度高)、最高気温は6.5度(同3.6度高)だった。御田町の風景写真左が居酒屋「甚八」右手には福田屋菓子店。
2020-03-06
2
八島ヶ原高層湿原
昭和41(1966)年9月7日、文部省から天然記念物保護地域として指定された八島ヶ原高層湿原。写真の中央部に写っているのがミズゴケ類が約1万1千年かけて堆積し泥炭層となった湿原である。湿原の中には鎌ヶ池や鬼が泉水、八島ヶ池と呼ばれる池がある。中央部は水ごけの泥炭化したものが凹レンズ状になっている。高層湿原の南限と言われ、約8.5mと堆積層が厚いことから学術的のも貴重である。また春から秋にかけて次々と咲く花を尋ねてくる観光客も多い。
2021-04-01
3
板葺石置屋根
板葺き石置き屋根。栗の木を薄く割った(へぐという)板を並べて押さえに長い丸太を置き、その上に丸石を重しにおいていたが後に鉄平石を交えるようになった。
2020-03-06
4
長屋
明新館から東方向に入った右手にあった長屋。今はもう見られない。
2020-03-06
5
長屋
明新館から東方向に入った右手にあった長屋。今はもう見られない。
2020-03-06
6
医王渡橋
大正13(1924)年7月医王渡橋鉄橋工事が行われ、初めて無橋脚の鉄橋ができた。 写真は浮島から医王渡橋を撮ったもの。
2020-03-06
7
高浜埋立
埋立工事に入る直前の高浜湾の風景。 諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。
2020-03-06
8
高浜埋立
高浜湾遠望。 諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。
2020-03-06
9
高浜湾
諏訪湖で網いけす養鯉業がはじまったのは昭和39(1964)年。その頃の諏訪湖岸(高浜湾)の風情が感じられる写真。
2021-03-24
10
高浜湾
昭和41年に撮影された富が丘から望む高浜湾。広い水田が広がっている。
2020-03-06
11
下諏訪全景
河西政常氏撮影。製糸工場の煙突の煙が見える。白い建物は ※丸六製糸(現在のムトー工業の位置)。
2020-03-06
12
下諏訪町遠望
富部の山の手から撮影。国鉄(現JR)との立体交差の始まった冬。立体交差は昭和32(1957)年5月20日開通式を行う。写真手前家並みは中山道。その上側に農耕地が広がり写真右に土田墓地、駅構内の線路、駅の手前にダイヤ豆腐の工場、画面左端には下諏訪小学校の講堂と思われる建物が見える。写真中央を中央線と国道20号線沿いの家並みが線状に見えている。遠く水田地帯、砥川、長地の集落と思われる風景が続く。
2020-03-06
13
宅地化する前の湖浜地区
富部山の手から撮影。冬の高浜湾。
2020-03-06
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1
≫
風景写真(12)
高浜湾(5)
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