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登録リスト(該当:6件)
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写真
タイトル
説明
登録日
1
慈雲寺
臨済宗白華山慈雲寺。鎌倉幕府に仕えた金刺光貞の依頼で、中国の高僧、一山一寧が1300年に開山した。参道入り口に一山一寧の諏訪の名所を謳った漢詩「諏訪八景」の石碑がある。火災により焼失したが武田信玄により再興された。そのため本堂屋根には梶の葉紋と武田菱が掲げられている。境内には和田義盛の刀石がある。
2024-06-11
2
3D信玄の矢除石(やよけいし)
2024-05-21
3
信玄の矢除石
竜の口から慈雲寺参道の石段を登ると黒門とも呼ばれる一の門の右奥に信玄の矢除石(やよけいし)と呼ばれる大きな石がある。この石は、慈雲寺第七世天桂玄長(てんけいげんちょう)住職と戦国時代の武将武田信玄が矢避けの問答をした石だと伝えられている。 武田信玄が川中島合戦に赴くときのこと、かねてから私淑(ししゅく)していた天桂玄長住職を慈雲寺に訪ねて戦勝の教えを請(こ)うた。住職は、信玄の部隊を境内の大石に案内し、大石の霊力を説いて自ら石の上に立ち、矢を射かけるように命じたといわれる。武田信玄勢の精鋭(せいえい)の矢は、一斉に天桂和尚に向けて放たれたが、その矢は一本も的中することなく、皆石に当たってはねかえってしまったという。一同は、この石の念力の確かさに敬服したといい、天桂和尚は
2023-11-30
4
矢木町会館と矢木神社
矢木町会館と矢木神社。かつてはこの西の春宮大門通り一帯は矢木の馬場と呼ばれ、金刺氏一族が流鏑馬を競ったところだと伝えられている。武田信玄はその儀式の断絶を惜しみ、再興のために舞童に対して装束を寄進しているという。
2022-03-24
5
承知川の石橋
道沿いの石垣に埋め込まれているこの大きな石は、かつて近くを流れる承知川の石橋に使われていたと伝えられている。重量およそ13tで輝石安山岩の一枚岩である。言い伝えでは武田信玄が川中島の合戦に際し、諏訪大社の千手観音に戦勝を祈願して社殿の建て替えと千手堂に三重塔の建立を約束した。合戦の帰途、信玄がこの橋を渡ろうとすると馬が動こうとしない。信玄は約束を思い出し、下馬して「神のお告げ承知つかまつり候」と申し上げたという。この伝承から承知川と呼ばれるようになったという。また石に刻まれた線刻が信玄の隠し財産の場所を示す地図になっているという話も伝わっていて、歴史ロマンを醸し出す場所になっている。
2021-06-03
6
神の湯開業
大正11(1922)年9月砥川筋から少し入った山の手に、鉱泉神の湯が開業した。写真は上の湯遠景、源泉は毒沢から湧出する強酸性で鉄分とミョウバンを多く含む橙色の湯。「毒沢鉱泉」は飲用もでき、胃腸病や皮膚病、切り傷や貧血等に良いとされている。近くに信玄の各氏金山の跡といわれる場所もあり、武田信玄の隠し湯としてもPRしている。
2022-06-09
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