上高井郡大島村、町田武右衛門の二男、文政12年生まれ(1829)です。 上田町の田中家の養子となったのは、嘉永4年(1851)22歳のときです。田中家は旅館でありましたが、横浜開港後蚕糸、蚕種の輸出業に転じ「蔦忠」の名で知られるようになりました。 また、田中忠七は、上田町戸長など勤め町政にも手腕を発揮してゆきます。 「上田市史下巻人物誌」「長野県風土記」参照
ログイン
トップページへ