沼田城址公園2

沼田城址公園2

沼田城址公園についての二つ目の投稿。公園の中に小松姫と真田信之の二人の石像があり思わず写真を撮影した。

これを読んでいらっしゃる人は犬伏の別れを知っているだろうか。真田家の歴史を語る上では絶対に避けられない出来事である。これが起こったのは西暦1600年の出来事である。察しのいい人はこの数字を聞いてピンときただろう。関ヶ原の戦いが起こった年である。

当時、幸村(信繫)は大谷吉継の娘である竹林院を妻に、信之(当時は信幸)は徳川四天王の一人である本多忠勝の娘である小松姫を妻にしていた。ご存知の通り大谷吉継は西軍、本田忠勝は東軍の武将でありどちらにも縁がある真田家はどちらにつくべきか迷っていた。

昌幸、幸村、信幸は下野国犬伏、今でいう栃木県佐野市で密談を行い昌幸と幸村は西軍へ、信幸は東軍につくことになる。これによりどちらが勝ったとしても真田家という家系を後世に残すことができると考えたのである。

その後昌幸と幸村は上田城に向かう途中に昌幸が孫を一目見たいと沼田城に立ち寄ったが小松姫はこれに甲冑姿で入城拒否。戦国武将の妻としての威厳と夫の立場を悪くしないための機転の利かせ方。これにより小松姫もまた後世に名を残していくことになる。

そしてその後は昌幸と幸村は第二次上田合戦で徳川家康の息子、徳川秀忠を打ち破るという快挙を成し遂げるも西軍の敗北により九度山に流刑となる。一方信幸は徳川家への忠義を尽くすため幸の文字を之へと改名した。

それぞれの人物が考えたこと、感じたことは本人たちにしかわからないがそれでも全員がつらい気持ちを持って前に進んだことは間違いないと考える。

登録日:2026-01-15 投稿者:うっちー
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投稿者うっちー
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カテゴリ名私の地域探究2025(信州上田学)
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