その1
【1870年(明治3年)上田藩領内の蚕種製造による利益】
全国で141万枚の卵紙を輸出しました。上田藩領内から62万7000枚を輸出しました(全国の45%)。1枚を4両で販売したとすると、250万8000両の収入がありました。4両でお米(150キロ)買えた時代です。ということは、お米で62万石余り入ってきたわけです。こういうことが幕末から明治初めにほぼ10年も続きました。
その2
【そのお金はどこへ行ったのでしょう?】
上田藩のほとんどすべての村に入って行きました。あなたの住んでいるところもあるはずです。この地方の全村が豊かになりました。あまりもうかったから、つらくて止めたいという人までいました。なぜかというと横浜で売って得たお金は全部現金(本当の金貨・銀貨)だから、とても重くて持って帰るのが大変だったのです。
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| カテゴリ名 | 私の地域探究2025(信州上田学) |
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