ボランティアのお話を聴く
丸田さんのヒアリングまとめ
1991年ごろ、ユーゴスラビアで女性が活躍する場を作る、国際女性教育振興会が開かれました。日本からも国際的な視野を持つ女性がヨーロッパに行くことになり、丸田さんが指名されました。思ってもいなかった指名だったため戸惑ったが、家族からの後押しで良く決断をしたと言っていました。その際に、他の人には「肩書き」があるが自分にはなく、「全日制主婦」で海外に行くことはできないため、育児休暇の指導をする国の役所で働く人、の肩書きを持つことになりました。
ヨーロッパでの研修は自分よりも経験がある人が多く、「自分に経験がなくても、周りの人が教えてくれる」という人と人をつなげるルーツを学んだと言っていました。
1991年ごろ、ヨーロッパから帰国した丸田さんは労働省長野婦人研少年室を開きました。のちの長野オリンピックにつながることになります。また、同じ時期に長野女性ミライを開きます。
1994年ごろ、長野オリンピックのボランティア養成を行います。そこでのボランティアでは3万何千人という人が集まり、7割は女性や学生でした。学生、女性の多いボランティアは行政に比べて地位が低く、その意識を変えようとコーディネーターという肩書で活動を始めました。ボランティアは行政と違い自分のやりたいことだけを行うことができ、どんな方向に行くこともできます。そのため信頼感があることが強みと言っていました。
阪神淡路大震災でのボランティアではドラム缶を使ったお風呂の設営や、被災している子供に絵本を送る活動などを行いました。そこでは、「ボランティア熱が高くないとうつらない」と学び、「人の財産が一番大事」と感じたと言っていました。
東北の震災では、被災している人の中に野菜を求めている人が多く、篠ノ井駅前で野菜を集めトラックで運ぶ活動を行いました。野菜の「一玉」(ひとたま)を「一魂」と捉え、心で受け取ってくれる人もいました。石巻市にも出向き、「リーダーになる人は現地に足を運ぶ」と学んだと言っていました。
震災のボランティアでは自分のできることを行えば良い、ことばを形にして伝えるためにものにすることが大事。ボランティアは「何時に来てください」でなく「あなたがあってこそ、あなたがいないと、信頼しています」ということが大切と聞きました。
1994年ごろ、共感のネットワークを開きました。「夢はいつも現在進行形 もっと楽しく、もっと豊かに、もっとおおらかに」をコンセプトに人が参加しやすい安いセンターを作った感覚で、行政は冷たくて公平、ボランティアは暖かくて不公平。お互いの良い所を出しながら良さを知っていくことが大切と学んだと言っていました。
1999年ごろ、宮崎へ行き21世紀ボランティアセンターを立ち上げました。2000年に入る最初の年をボランティアの年にすることを目標にしていました。
2001年ごろ、アメリカワシントンで記念公演があり長野で世界青年会議を開きました。結果として青年会議所が開催することになりましたが、長野駅前の東口で夢市場を開催しておもてなしを行うなどの形で参加しました。長野青年会議は長野オリンピックでリーダーを務めた人が集まり、活動していました。活動の見本になるようなボランティアを作ることを目標にしました。その後、いろんな団体に呼ばれる、リーダーが育てられました。お金じゃなく人の繋がりでボランティアすることを広めていきました。
今回のお話を聞いて学んだことは人とのつながりが今後の関係に繋がっていくということを教えて頂きました。また、チャンスが見つからないときは自分で見つけに行き、失敗は強みや経験になるため、踏み出す勇気の一歩が大切だということが印象に残りました。失敗すると考えてしまい挑戦できないことが多かったのですが、失敗を恐れると成長しなくなると学んだので自分から行動に移せる人になっていきたいと思います。教えて頂いた、とにかく人とひとのつながりを持つことを意識して成長していきたいです。
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| 投稿者 | kt1166 |
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