山本宣治 高倉・テル 齋藤房雄 記念碑

山本宣治 高倉・テル 齋藤房雄 記念碑山本宣治 高倉・テル 齋藤房雄 記念碑山本宣治 高倉・テル 齋藤房雄 記念碑山本宣治 高倉・テル 齋藤房雄 記念碑

別所温泉の交番から安楽寺へ向かう途中右手上に、建てられている。


説明板のテキスト

山本宣治
高倉・テル 記念碑について
齋藤 房雄
昭和初期の大恐慌の中、上小(上田・小県)農民組合連合会が結成
され、小作料値下げ、土地取り上げ反対などの運動に立ち上がった。
これよりまえ、上田自由大学の講師として別所に在住していたタカ
クラ・テル(高知県出身、文学者、日本共産党衆・参議院議員)は
農民運動・民主主義と社会進歩の運動に指導的役割を果たした。
一九二九年三月一日、上小農民組合連合会は第二回総会にタカクラ
の義兄弟にあたる山本宣治(京都府出身、生物学者、労農党代議士
『山宣』)を招く。
この記念講演は「千名を超える聴衆に深い感動を与えた。
この講演から四日後の三月五日、山宣は治安維持法改悪承認の議会
にただ一人反対演説をすべく上京したが、その夜右翼によって暗殺された。
上小農民組合連合会は山宣の死を悼み、追悼大会の決議により抗議
の記念碑を翌年五月一日 (メーデー)にタカクラの借家の庭に建立した。
一九三三年二月治安維持法による県下最大の弾圧事件であった
『二・四事件』でタカクラ・テルは逮捕、家族は県外追放となった。
警察は家主の齋藤房雄に、碑の取り壊しを命じてきたが、氏は碑を密
かに自宅(旅館柏屋別荘)の庭に埋め、三十八年間守り通した。
戦後、この碑の再建委員会を結成、多くの協力者を得て一九七一年
十月、碑はこの地に再建された。
碑の全面に彫られたラテン語は、山宣座右の銘『生命は短し科学は
長し」の意である。なお、碑面の文字はタカクラの筆である。
タカクラ・テルは一九八六年四月に亡くなり、記念碑は一九八八年
十月山宣の碑に並べて建立された。齋藤房雄記念碑は二〇〇六年
山宣碑再建三十五周年記念事業で建立した。
長野 山宣会
事務局 平林堂書店内
TEL O二六八(二七)一八一0

登録日:2020-12-30 投稿者:小諸の風
地区コード上田市
管理番号2114
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