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登録リスト(該当:36件)

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2829山居倉庫山居倉庫米どころ庄内に1893年に建てられた米保管倉庫。 NHK朝の連続テレビ小説「おしん」のロケ地にもなった。 現在も現役で利用されている農業倉庫で、2021年3月26日に国指定史跡に認定された。 美しいケヤキが構える、ケヤキ並木も観光スポットとして有名だ。2021-05-05
2686河童除けのお地蔵様河童除けのお地蔵様 住宅街の一角に、大きな欅と祠があって一体のお地蔵様が祀られている。実はこのお地蔵様、河童除けのお地蔵様なのである。  妖怪がいるかいないかの議論はさておき、この上田という地域は降水量が少なく、田んぼにはため池の水を使う。現にため池がたくさんあり農業用の用水路もたくさんある。子どもが誤って落ちる、などの被害が頻繁にあったということは容易に想像ができる。  今日も近くで遊ぶ子供たちを守りながら、お地蔵様はひっそりとたたずんでいる。2021-05-05
2443野沢菜漬け野沢菜漬け野沢菜の発祥は、一説には野沢温泉村にある健命寺の8代目住職が宝歴6年(1756年)に京都から持ち帰った天王寺かぶの種を寺畠にまいた際、その天王寺かぶの種から違った形のかぶ菜ができ、その後、系統選抜をして育てたものが最初とされていましたが、 この説は近年の研究で、天王寺かぶの系統ではないというDNA鑑定の結果が出ており、かぶに由来する別の変種と考えられています。 野沢菜漬けの材料 野沢菜80g、塩2.5~2.8kg、醤油1.8L、酒または焼酎1.8L、だし昆布、唐辛子 一般的な作り方としては、洗う、塩水に漬けるを繰り返しその後発酵・熟成させると出来上がるようです。 漬けて2~3週間後から食べられますが味の安定は1か月かかるそうです。 参考文献:「つけものの味ふるさとの味」長野県農業改良協会、「信州の発酵食」小泉武2021-02-10
2433第二次農地改革に就て(『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)1頁)第二次農地改革に就て(『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)1頁)農地改革に関する記事。 戦後日本で行われた政策のひとつである農地改革の実際の内容を見て取れる。 これにより土地を得た人と取り上げられた人がいることが良くわかる。 農地委員か地方長官の許可がないと取得・取り上げが行えず行政の管理下に置かれている。 ▼この記事は以下から参照できます。 #963 『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)1頁2021-02-10
2432本秋の麥作に就て(『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁)本秋の麥作に就て(『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁)麥作に関する記事。 各農家へのお願いが書かれている。 食糧危機ながらも乗り越え、稲作も順調に進んだとあり、食糧不足に光明をもった様子。 肥料不足は続いている模様。 ▼この記事は以下から参照できます。 #955 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁2021-02-10
2431事業部の構想(『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)2頁)事業部の構想(『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)2頁)戦後、西塩田青年団報となった。 「事業部の構想」の記事。 終戦後の復興に向けた心構えや意気込みが見て取れる。 食糧不足も続いており、遊休土地の利用や未利用資源の活用などぎりぎりの状況である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #952 『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)2頁2021-02-10
2430農會欄(『西塩田村公報』第11号(1943年11月10日1頁)農會欄(『西塩田村公報』第11号(1943年11月10日1頁)農會欄の記事。 戦況の激化に伴い、輸送船や国内外の食糧が不足していること。増産のための肥料・資材がなくそれでも増産をしなければならないという苦しさが見て取れる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #949 『西塩田村公報』第11号(1943年11月10日)1頁2021-02-10
2389前川ゼミナール活動報告前川ゼミナール活動報告・2020年度の前川ゼミで私は情報発信と地域農業の活性化をテーマに活動してきました。その活動の中で一度自分で自身が経営する農産の会社のホームページを作るというシミュレーションを行い、このサイト作りの知識を地域農業の活性化の情報発信の訳にたてようということを行いました。この写真はワードプレスを用いて作成したサイトの一部のスクリーンショットです。 サイトのリンク→http://d-commons.net/sugi/2021-02-01
2326チョロギのビート漬チョロギのビート漬チョロギのビート漬は、上田盆地で縁起物としてお正月の食卓に並ぶものの一つだそうで長老喜とも呼ばれています。 材料はチョロギ、塩、食用ビート、砂糖、酢です。 水洗いしたチョロギに塩をまぶし二日間下漬けした後、ビートと交互に重ね、砂糖と酢で混ぜ合わせたものを注ぎ入れ、20日程漬けると食べごろになるお漬物の一種だそうです。 参考:「信州の味ふるさと料理三〇〇種」長野県農業改良協会2021-01-27
2320翼賛壮年圑・青少年圑(『西塩田村公報』第10号(1943年8月25日)3頁)翼賛壮年圑・青少年圑(『西塩田村公報』第10号(1943年8月25日)3頁)翼賛壮年圑:緊急食糧增産確保並労力対策協議会の記事。食糧増産のために中学校から動員するなどの内容。 青少年圑:食糧增産運動の記事。 緊急と名付けられるほどのひっ迫している状態であると考えられ、荒廃地を改善し生産しているがそれでも不足しているのが伝わる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #947 『西塩田村公報』第10号(1943年8月25日)3頁2021-01-27
2305九月の增産暦(『西塩田村公報』第10号(1943年8月25日)2頁)九月の增産暦(『西塩田村公報』第10号(1943年8月25日)2頁)農會欄の記事。 以前の記事にも記載されていた気象状況の悪さが影響している。作物の病気が発生しており食糧不足の中でとても厳しい状況になっていると考えられる。 また肥料の不足も起きておりやるべき事が多くなっていると思われる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #946 『西塩田村公報』第10号(1943年8月25日)2頁2021-01-27
2302增産の暦(『西塩田村公報』第9号(1943年6月15日)2頁)增産の暦(『西塩田村公報』第9号(1943年6月15日)2頁)生産に関する水利や代作などについての記事。 植付不能地があれば代作の作付や潅水せず抑制はなしにするなどひたすら食糧を作ることをしなければないような状況になっていることが見て取れる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #942 『西塩田村公報』第9号(1943年6月15日)2頁2021-01-27
2299六月の常會(『西塩田村公報』第9号(1943年6月15日)1頁)六月の常會(『西塩田村公報』第9号(1943年6月15日)1頁)食糧增産國民皆働ノ件の記事。 中学校や市街地、工場などからも食糧増産のために人が集められていることが分かる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #941 『西塩田村公報』第9号(1943年6月15日)1頁2021-01-27
2298農會欄(『西塩田村公報』第8号(1943年5月5日)2頁)農會欄(『西塩田村公報』第8号(1943年5月5日)2頁)食糧増産のための優良種苗の育成などについての記事。 “本年の不順な氣候は全く未曾有のこと…”とあり気候が悪く食糧生産に懸念があることが示唆されている。 ▼この記事は以下から参照できます。 #938 『西塩田村公報』第8号(1943年5月5日)2頁2021-01-27
2297五月の常會(『西塩田村公報』第8号(1943年5月5日)1頁)五月の常會(『西塩田村公報』第8号(1943年5月5日)1頁)農繁期の食糧生産についての記事。 麥(むぎ)や甘藷(かんしょ=さつまいも)の生産量を増やし、農家だけでなく皆で協力して食糧戦に勝とうという内容。 ▼この記事は以下から参照できます。 #937 『西塩田村公報』第8号(1943年5月5日)1頁2021-01-27
2296本村供米-九割-(『西塩田村公報』第7号(1943年3月30日)4頁)本村供米-九割-(『西塩田村公報』第7号(1943年3月30日)4頁)公報左下にあった呼びかけ。 3月であるため米の生産はあまりなく切り詰めて供米していると考えられる。 また呼びかけの内容から国のためと戦争協力していたことが窺える。 ▼この記事は以下から参照できます。 #934 『西塩田村公報』第7号(1943年3月30日)4頁2021-01-27
2295農會欄(『西塩田村公報』第7号(1943年3月30日)2頁)農會欄(『西塩田村公報』第7号(1943年3月30日)2頁)農會欄の記事。 太平洋戦争の開戦から二年三か月ほど経過し、日中戦争からのワード“増産”は変わらないが“決戦”というワードが出始めてきた。 「全村民國民學校を總動員して…」とい内容もあり人手不足も見られる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #932 『西塩田村公報』第7号(1943年3月30日)2頁2021-01-27
2291農會欄(『西塩田村公報』第3号(1942年2月15日)2頁)農會欄(『西塩田村公報』第3号(1942年2月15日)2頁)農會欄での“昭和十七年度農業增産に就て”という太平洋戦争の始まりによる食糧確保についての記事。 アメリカとの戦争がはじまり農民には食糧自給から国家食糧の確保という立場に変わり今後の生活が厳しくなっていくことを思わせる記事となっている。 ▼この記事は以下から参照できます。 #924 『西塩田村公報』第3号(1942年2月15日)2頁2021-01-27
2290うちいれうちいれうちいれは(画像右)上田盆地の懐かしいふるさとの味として愛されていたようですが、地粉が手に入りにくくなったことや手間がかかることから現在は忘れられて来てしまっている料理だそうです。 材料は、小麦粉、かぼちゃ、はくさい、にんじん、だいこん、じゃがいも、煮干し、みそを使用し作られ多くの野菜が入った麺料理です。 お米の少なかった昔に夜食としてうちいれがよく食べられていたそうです。 ※うちいれの写真は本に掲載されていなかったため上田市真田町にある「真田庵」で提供されているうちいれをネットから 参照URL:さなだんごの旅 真田ファンの旅づくり応援サイト 参考図書:「つけものの味ふるさとの味」長野県農業改良協会(p.342)2021-01-27
2289農會欄(『西塩田村公報』第1号(1941年3月30日)2頁)農會欄(『西塩田村公報』第1号(1941年3月30日)2頁)農會欄における食糧增産推進講習會開催などの記事。 中国との戦争による物資不足が見え始めてきたと考えられる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #920 『西塩田村公報』第1号(1941年3月30日)2頁2021-01-27
2236ため池とは?何故塩田にため池が作られたのか?ため池とは?何故塩田にため池が作られたのか?画像は上田市の「舌喰池」 ため池とは、雨量が少なく河川がない地域などで、灌漑用水を確保するために人の手によって作られた池である。また、ため池の多くは江戸時代以前に築造されたものである。 塩田に数多のため池が作られた理由も、降水量の少なさが原因である。しかし、降水量が少ないという事は、晴天の日が多いという事でもある。塩田は気温や肥沃が良好で、用水さえ確保できれば水田農業に適している土地であった。従って、農民達は塩田にため池を造成したのである。 参考文献 ため池のれきし - 信州上田|塩田の里|とっこ ため池:農林水産省2021-01-25
2086太平洋戦争における上田地域の状況太平洋戦争における上田地域の状況上田地域は上田合戦や太平洋戦争など数々の戦いに関わっているが、とりわけ日本の総力を挙げて戦った太平洋戦争では様々なモノ・事・人に影響が出ている。そのような状況を上田地域ではどのようであったのか調査したいと思う。どんな生活だったのか、行政は何をしていたのかなど見ていき当時の戦争を考えていきたい。ネット情報や「西塩田時報」のような資料、国会図書館デジタルコレクション、上田市立公文書館などで戦争に関する資料(農業や徴兵、訓示など)を調べる予定。 「西塩田時報」を中心に調べた結果。 農會欄(『西塩田村公報』第1号(1941年3月30日)2頁) 農會欄(『西塩田村公報』第3号(1942年2月15日)2頁) 2020-12-21
1885馬鹿バーガー馬鹿バーガー馬肉文化の信州の森林、里山、農業を守り、駆除された鹿の命も大切にしようと10年以上前に開発し、イベント等で提供してきました。上田産米粉を練り込んだバンズ で、馬肉と信州産鹿肉の合挽きパティ と 直売所ならではの新鮮野菜をサンドしたハンバーガーです。 ご当地バーガーランキング第1位。2020-11-17
1653災害アーカイブ展~令和元年東日本台風から1年災害アーカイブ展~令和元年東日本台風から1年令和元年東日本台風台風19号災害から1年目を迎えるにあたり、災害の記録や記憶を保存・継承し災害を自分事として捉え備える事を目的に「災害アーカイブ展~令和元年台風19号から1年~」が長野市役所や長野県庁、信州大学、長野駅で開催された。私は10月15日に長野市役所に訪れた際の記録をまとめていく。 令和2年9月18日現在の長野県内被害状況は、人的被害による死者が15名、重傷者14名、軽傷者136名にのぼり、住宅被害は全壊が920棟、半壊2515棟、一部損壊が3535棟にのぼる。また長野県内の被害額は、公共土木施設や都市施設、農業や商工業関係が被害の多数を占めており、被害総額は2766億7400万円にのぼる。 また信州大学で行われている災害デジタルアーカイブの記事について、かつては災害の記録や写真は図書館や博物館などが災害関連資料として記2020-10-31
1457レタス鍋レタス鍋片手鍋でも、両手鍋でも、いつもの鍋で気軽に美味しく作れます。 食卓で土鍋で煮れば、ごちそうになります! レタス鍋 2〜3人前 レタス1〜2個 豚肉スライス 100〜250gぐらい しょうが 1欠片 すりおろす 水 1〜2カップ チキンコンソメ 大さじ1強 塩こしょう お好みで ポン酢など 1.レタス、豚肉は、食べやすい大きさに切る 2.鍋、に水、コンソメ、おろしたしょうがを入れる。お好みで塩こしょうなども。 3.レタスの3分の1ぐらいを鍋に入れ、その上に豚肉を並べる。 4.レタスと豚肉を交互に重ねて入れる。レタスが入りきらないようなら後から足します。 5.蓋をして火にかける。 6.5分ぐらい煮たらようすをみて、肉が煮えていれば食べられます。かなりかさが減るので、ここでレタス足してもいいです。味見して、塩こしょうなどで整えます。 2020-09-04
1452レタス(畑の様子、出荷の様子)レタス(畑の様子、出荷の様子)レタス成育途中の畑の様子と、出荷の様子です。 段ボール1箱に16個入るサイズが、一番の高値で取引されます。 1日に、100〜400箱ほどを出荷します。 トラクターに積み込んで、出荷場まで運びます。 毎日、レタスがちょうどいいサイズで出荷できるように工夫しながら栽培しています。2020-09-03
1451レタス(苗)レタス(苗)最盛期は、3日毎に種まきをします。 3日毎の苗の成長がひと目でわかります。 種まき→育苗までは、ビニールハウスの中で行います。2020-09-03
1450レタス(種まき)レタス(種まき)最盛期は、3日毎に種まきをします。 コーティングされた種を使っています。プラスチック容器に5000粒入りです。 ペーパーポットをパレットにセットして土を詰め→  →土に均等に穴を開け、種を穴に落とす(1マス1粒) このペーパーポットは、400マス強。 種まき→育苗までは、ビニールハウスの中で行います。2020-09-03
1433勝俣英吉郎と上田市民大学勝俣英吉郎と上田市民大学上田市の勝俣英吉郎は蚕都上田の絶頂期に当たる1922年、第2代市長となり文教に重点を置いた施策を次々と実施します。その一つに「上田市民大学」があります。勝俣自身、上田自由大学の聴講生でもあり、「先ず郷土を知れ」の信条のもと、後に『上田市史』(1940)を執筆する藤澤直枝を起用し、地域に密着した学習を奨励したと言います(下記参照)。 地域学習の原点としても顕彰される実践です。 ----------------------------------------------------- 上田市民大学開講  上田自由大学の聴講生だった勝俣英吉郎は大正十三年七月、市長に就任すると同年九月に上田市民大学を発足させました。勝俣は図書館の充実、市営運動場建設、徴古館(現上田市立博物館)の開館など社会教育重視の施策を打ち出しましたが、市民大学開講もその一つでした。「先ず2020-08-25
1359発祥地のプルーン畑発祥地のプルーン畑全国のプルーン生産量のうち61%を長野県が占めており、特に佐久地域は長野県プルーン生産の発祥地である。 この地域の昼夜の寒暖差を生かして糖度や果肉が優れたプルーンが生産されている。 7月ごろから9月末ごろにかけて出荷が行われ、乾燥品といった加工のイメージが強いものの、生のまま食べるのが一番おいしいと感じる2020-08-07
1347男池(ため池)男池(ため池)男池というため池。この地域は晴天の日が多い、気温が低すぎない、土地が肥沃という理由から水田農業に最適であり、最後の要素である水を確保するために「ため池」が多い。この池もその一つ。2020-08-07
1291ため池:男池ため池:男池塩田平は降水量の少ない地域で、農業用水のために水を貯めた「ため池」が多く存在しています。その中の一つの「男池」を見つけました。2020-08-05
280中里堤中里堤農業用ため池で、江戸時代の終わり頃に造られた灌漑用の堤です。湖面は台形に近い形状をしており、周囲の長さは500mあります。釣りの名所ともなっています。2020-05-25
245中里堤中里堤農業用ため池で、江戸時代のはじめにつくられた灌漑用の堤です。台形に近い形状をしており、釣りの名所ともなっています。2020-05-25
175ずくだせ食堂 赤坂店ずくだせ食堂 赤坂店赤坂上駅から徒歩4分のところにある飲食店です。 ずくだせ食堂は、有機農業に力を入れているずくだせ農場が経営している食堂で、馬肉うどんや味噌カツが人気なお店です。 野菜たっぷりでとても健康的なメニューが多いです。 3枚目:豆腐ドリア2020-05-25
72塩田平の野焼き塩田平の野焼き21世紀に入ってもなお続いている野焼きの文化。塩田平を一望するとそこかしこに野焼きの煙が立ち上がっています。2019/11/16は好天に恵まれ、いつもより一際多く煙が立っていました。信州上田に移り住んで以来、秋になると日々立ち上がる煙の風景に日本の原風景を感じ、現代に生きる地域の無形文化として22世紀に残してもらいたいと心惹かれてきました。以来、ずっと変わることなくその思いを持ち続けています。 野焼きは稲作という営みから派生しています。農業をする方が高齢化する中、これから20年後、30年後は、この地域の風景がどう変わっていくのだろうかという思いで、毎年、あるがままの野焼きの煙の光景を眺め続けています。2020-05-23
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