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1水かけ地蔵水かけ地蔵 旧街道でもある柳町商店街の入り口付近にちんまりとたたずむ一体のお地蔵様。すぐ近くにある湧き水を柄杓ですくい、お地蔵様にかけると縁結びのご利益があるようだ。 この湧き水は明治時代初期に海禅寺の境内から柳町まで地中に敷いた木管を流れてくる「保命水」だという。  隣の石碑には江戸時代の俳人である加舎白雄が柳町で詠んだ句が彫られている。白雄は上田藩主の次男である。 「白壁に 百筋あまり 柳かな」2023-12-21
2超誓寺超誓寺 超誓寺は上田市神畑にある浄土宗系の寺院。京都府にある御末寺を総本山としている。御本尊は阿弥陀如来三尊像。  この寺の由来は、大永年間(1520年代)に足利将軍に仕えていた浦和式部大輔が神畑の山中にあった庵に篭り出家し、超誓道俊と名乗ったことから始まる。深く村人に慕われていた道俊であったが、亡くなると庵、尊像共に参拝する人も減り次第に荒れ果ていった。これを悲しんだ村人は永禄11(1568)年の神畑のこの地に、超誓寺を建立した。ちなみに、この年は織田信長が足利義昭を擁して上洛した年でもある。  境内には宗派を超えてお薬師様と親しまれた薬師如来像が安置されているお堂や武田信玄が川中島合戦に祈願したといわれているお堂もある。  寺下駅からも近く参拝は比較的容易。4月頃の夜になると桜の木がライトア2023-12-21
3生島足島神社生島足島神社駅が近く、駐車場も広いため訪れやすく、地域の方々から愛されている神社であると感じた。実際、平日に訪れたにも関わらず、10人以上に参拝客がいて驚いた。2023-12-21
4泥宮大神と上窪池泥宮大神と上窪池 上田市本郷にある泥宮大神は、非常に珍しい泥を御神体とした神社である。古くから泥、つまり大地は稲などの作物を育ててくれる存在として崇められてていた。日本全国様々なものを御神体とする神社があるが、泥をご神体とした神社は多くはない。  本来は生島足島神社が建立された際に、その時の死者の魂を遺すためとして作られた社である。なお、生島足島神社が創建された年代はわかっていないため、この泥宮大神が建てられた時期も不明ということになる。  もともとは「諏訪大明神」という名で呼ばれていたが、1790(寛政2)年、松平定信が幕府の財政を引き締め立て直しを図った時代に「泥宮」の愛称で親しまれるようになった。  この神社の東側には上窪池という溜池があり、私が訪れた際にはサギのような白くて大きな鳥も見られ2023-12-21
5生島足島神社生島足島神社2023年11月に撮影した生島足島神社の鳥居である。 生島足島神社は御神体が「大地」というとても珍しい神社である。鳥居や境内の建物は赤が印象的であり、美しい景観だった。 生島足島神社では毎年夏に祇園祭が行われているという。今年は直接祇園祭を見ることはできなかったが、来年はぜひ訪れてみたい。2023-12-21
6Excelで「生涯備忘録」のすすめExcelで「生涯備忘録」のすすめ生まれてからこれまでの間にいつ何があったか、どこへ行ったか、その頃何をしていたか、何を考えていたか、どう成長したかがシームレスにわかるといい。スマホで撮った画像やビデオやその時にゲットした資料なども紐づけできるといい。 仮に人生100年とすると日数は約36,500日。Excelでデータ作成すると、それがいとも簡単にコントロールできます。そんなことで「生涯備忘録」を作ってみました。誕生日を起算日とし1行=1日で下方向に3万6千行のデータを作ります。カラムは任意で。一番の柱は年月日です。他は全部年月日の属性。 1行目に生誕日を入力。 2行目には数式 =一つ上のセル+1 を書きます。これで日付が1カウントアップします。このセルを下方向コピー(フィル)すると100年人生の日付入力が全て完了します。とても簡単です。 私2023-12-20
7高市神社について高市神社について高市神社は、真田昌幸氏が上田城を築いた際に城下の惣町として海野町を造り、商いの守護神として創建されたと伝えられています。高市神社は「運の石」が有名です。運の石を右から左に撫でると悪運を払い、左から右に撫でると開運効果があるそうです。 @上田市中央2丁目92023-12-19
8生島足島神社生島足島神社生島足島神社は、生島大神と足島大神を祭っている神社である。御神体は「大地」であり、日本の真ん中に位置している神とされている。中世以降は、武田信玄や真田氏など歴代の上田藩主に守られたとされている。2023-12-19
9チャイナウ!チャイナウ!12月5日から一週間ほど、中国の雲南省へ行ってきました。というわけで、テーマはチャイナウ!としました。 チャイナ・ナウ。の略です。 帰国して約一週間、疲れからか風邪を引き、中国への色んな振り返りができないまま寝ていましたが、そろそろ思い出が褪せる前に想い出を綴っていきます。 雲南省の中の、昆明・大理・麗江の3か所に行ってきました。上海空港から乗り換えで向かう場所にあり、少数民族で出来ている場所になります。多様性が社会全体の雰囲気であり、その点日本人も浮くことなく受け入れてもらえました。 中国の投稿用に別ページを用意する予定ですが、ひとまず、私の備忘録として、ここに残しておこうと思います。 私の感想:ご飯がめっちゃおいしかった。です(笑) 文化の違いはあれど、ご飯がおいしいのが私に2023-12-18
10藤本蚕業でミーティング&資料を見合おう会藤本蚕業でミーティング&資料を見合おう会2023年11月27日に藤本蚕業歴史館で藤本蚕業でミーティング&資料を見合おう会を開催しました。内容は藤本蚕業歴史館内の資料を互いに見せ合うことをしました。今回はオンライン参加と現地参加のハイブリットで行いました。2023-12-18
11小諸視察2023年6月12日小諸視察2023年6月12日2023年6月12日に小諸へ視察に行きました。内容は小諸商工会議所での対談、和合会文庫蔵の見学を行いました。2023-12-18
12糸の町こもろプロジェクト糸の町こもろプロジェクト2023年10月29日に糸の町こもろプロジェクトの講演会に参加してきました。 内容は坂本氏による津軽三味線演奏、鈴木講師による小諸の地下水の解説、餐場家探訪、製糸場跡地めぐりなどを行いました。2023-12-18
13藤本蚕業歴史館でデジタル化ワークショップ披露会藤本蚕業歴史館でデジタル化ワークショップ披露会2023年12月17日にオンラインで藤本蚕業歴史館でデジタル化ワークショップ披露会を開催しました。前回行った藤本蚕業歴史館でデジタル化ワークショップ講座で学んだ技術を基に自分たちでscaniverseで撮影し、参加者がそれぞれ披露しました。2023-12-18
14藤本蚕業歴史館でデジタル化ワークショップ藤本蚕業歴史館でデジタル化ワークショップ2023年12月9.10日藤本蚕業歴史館で藤本蚕業歴史館でデジタル化ワークショップを行いました。講師に中村さん、岩村さんを招きmatterportやscaniverseについて学習を行いました。2023-12-18
15信濃国分寺の瓦信濃国分寺の瓦左に烏天狗、右に天狗をかたどった瓦がありました。 天狗はご存じの方も多いと思いますが一般的に赤い顔、高い鼻、翼を持った神あるいは妖怪です。古くから山間部は異界とされ、そこで発生した様々な現象を天狗によるものだとしていました。 烏天狗は烏のような嘴、翼を持つ神あるいは妖怪です。源義経に剣術を教えたのは鞍馬山の烏天狗と言われています。 どちらも寺に入る邪気から守るために設置されているようです。 こういった魔除けの意味を込めて建築物に生物や神、妖怪などをかたどったものをつくるという文化は非常に興味深いです。信濃国分寺ではこのような「瓦」の形で表現されているのでなかなか珍しいと感じました。調べても詳細は出てこなかったのですが、像などではなく瓦という形をとったのか気になりました。2023-12-17
16前川ゼミ デジタルアーカイブ化と社員日誌について前川ゼミ デジタルアーカイブ化と社員日誌について2023-12-15
174年間の大学生活で学んだこと。4年間の大学生活で学んだこと。大学生活最後の後期課程の前川ゼミの振り返りで、9月以降自分が考えたり、見たり、思ったりしたことを書いた。 大学院試のために、時間を割いてきたが、院試のために頑張っていたことが、自分の振り返りになっているとも感じれた。 卒業を前にして、いろいろ自分らしく動いてみたが、まだ「私の考え」で止まってしまっているところが多くあるため、さらに一歩進んで、エビデンスをしっかりとつけて学びの幅が広がるようにしたいと思う。2023-12-15
18論説“一九五六年”の課題(『西塩田公報』第100号(1956年1月1日)1頁)論説“一九五六年”の課題(『西塩田公報』第100号(1956年1月1日)1頁)今年は農業経営のかわりめだから、気を抜いていてはいけないと忠告している。新年一発目の新聞で酒に酔っててもいいが、今後のことをしっかり考えてほしいといわれ、気持ちの引き締まる思いがした。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1327 『西塩田公報』第100号(1956年1月1日)1頁2023-12-14
19山林緑化運動に寄せて(『西塩田時報[戦後]』第14号(1948年4月25日)1頁)山林緑化運動に寄せて(『西塩田時報[戦後]』第14号(1948年4月25日)1頁)この記事には緑を植えることで民衆安定の基礎を確立することを目指していると書かれている。今でこそSDGsが国際社会共通の目的になっており、環境に優しいことが重要視されているように思うが、当時はその記事に賛同する人は少ないのではないかと思った。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1011 『西塩田時報[戦後]』第14号(1948年4月25日)1頁2023-12-14
20おかっぱ頭のすすめおかっぱ頭のすすめまだ小さい女の子の髪型はおかっぱにした方が親が切るとき楽だし、衛生的にもよいと書かれている。2023-12-14
21肥料の歌肥料の歌肥料の作り方や良い肥料とダメな肥料を歌にしている。 昔は農作物が主な食事の源になっていたのでこれほど重要なのだと思った。2023-12-14
22木造惟仙和尚坐像・木造恵仁和尚坐像木造惟仙和尚坐像・木造恵仁和尚坐像安楽寺の境内の伝芳堂に、惟仙と開山二世幼牛恵仁の等身大の僧侶の「頂相」が並んで祀られている。 没後、お弟子さん達が慕い造立したもの。 安楽寺が鎌倉と同水準の禅宗文化を受容し、「信州の学海」として、 修行僧を多数輩出していたことが分かる貴重な文化財である。 実際に見ると大変造りが細かく、お弟子さん達の腕の良さが伺える。 八角三重塔を参拝する順路の途中に祀られているので一緒にご覧いただきたい。2023-12-14
23安楽寺 八角三重塔安楽寺 八角三重塔安楽寺は信州最古の禅寺。 境内の奥にたたずむ塔は日本で唯一の木造八角塔で、長野県で最初に国宝に指定された。 塔は本来、お釈迦様の遺骨を奉安したものだが、中世以降は特定の人物や戦死者の 供養の建てられたものが多いため、恐らくこの塔も北条氏の供養塔として建てられたものと考えられる。 一見四重塔に見えるのだが、一番下の屋根は「裳階」と言われており、ひさしに相当するので数えないそう。 本堂のある位置から入場料を払い、木々の間に整備された階段を数十段と上っていくと その塔はある。 造りがとにかく細かく、あの湾曲した木はどのようにして切り出したのかと 考えさせられる。 八角ともなると立体的かつ厚さを感じ、圧倒された。 塔に着くまでにかなり階段を上るので ご高齢の方や身体に不自由がある方だと2023-12-14
24前山寺前山寺空海が開き、鎌倉時代に長秀上人が発展させた前山寺。 塩田北条氏の祈願寺となった。 境内に入ると空気感が一気に変わる。 本堂は立派なかやぶき屋根。 三重塔は二層三層にやりかけの部分があるが、不調和が無く「未完成の完成塔」と言われている。 境内内にある鐘は世界観に没入する観光客に時刻を伝える。 山の中にあり、車がないとアクセスが難しいと感じるが、 藤の名所とも言われているので是非一度空気感を味わいに訪れてもらいたい。2023-12-14
25上田市の観光対策上田市の観光対策上田市には上田城があり、春には上田城千本桜まつりが開催されます。ご当地グルメや特産品も販売され飲食スペースで味わったり持ち帰ったりできます。2023-12-14
26上田市の歴史を活かした観光上田市の歴史を活かした観光上田市は歴史に関するものが多く残っており、上田城では 花見や祭りが年に何度か開催されます2023-12-14
27上田日本遺産 1上田日本遺産 1前山寺に訪問させていただいた際にとった写真です。未完成の完成塔と称されている通り荘厳な良い文化財だと思いました。2023-12-14
28火の元注意火の元注意当時の人々にとって火という存在は生活に必要不可欠なもので、うまく利用していました。しかし家などは木で造られ、燃えやすい環境で暮らしていたの事実です。もちろん火事も起こっていたでしょう。この記事はそんなことに警鐘を鳴らしている記事です。 また個人的には四月が一番火事が多いということがなぜなのか気になりました。 現在とさほど火事の原因に差はないことも分かりました。 当時の人々は火事をどうやって消火していたか気になります。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1260 『西塩田公報』第4号(大正25年12月1日)166頁2023-12-13
29勝利は何処へ勝利は何処へこの記事の特異な点は、謹賀新年のあいさつの記事のすぐ後にあることです。これはあくまで私の推測ですが、あいさつをしている暇などなく、当時日本の世の中で起きていた、いろいろな社会問題を危惧しているのではないかと思います。 さらにこの記事は、自己実現が大事であるという戦時の中であると少し嫌悪的である考えを話しているようにも見え、検閲が厳しかった当時の記事では珍しかったのではと思います。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1260 『西塩田公報』第4号(1924年4月1日)21頁2023-12-12
30身体測定(『西塩田時報』第35号(1926年10月1日)3頁)身体測定(『西塩田時報』第35号(1926年10月1日)3頁)学校の身体検査について書かれた記事だが、情勢の脅威について触れられていたり、体格を成績として評価したりしている。現代では配慮され絶対にかかれないことが書かれていたため、時代の移り変わりを感じた。2023-12-12
31小学校便り『西塩田時報』第101号(昭和7年4月1日)2頁小学校便り『西塩田時報』第101号(昭和7年4月1日)2頁学校の出席に関して書かれている この記事は以下から参照出来ます 『西塩田時報』第101号(昭和7年4月1日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns07_101to120.pdf2023-12-12
32学校だより(『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁)学校だより(『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁)アニメなどのイメージから昭和にはおかっぱの女の子がいたというのは想像していたが、ここまで多くの子がおかっぱにしており、学校からもおかっぱが推奨されていたことに驚いた。2023-12-12
33眼を大切に眼を大切に眼を大事にすることは今も昔も変わらずに大切である。眼の疲れに効く対処法も書かれている。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田広報』第47号(1951年3月10日)2023-12-11
34旅立ちし朝『西塩田時報』第11号(大正13年11月1日)4頁旅立ちし朝『西塩田時報』第11号(大正13年11月1日)4頁文芸のコーナーに掲載された小説。 小説を読むのが苦手な人でも短いため読みやすい。しかし現代の文字とは違うためすらすらとは読めないだろう。しかし内容は頭にスッと入ってくるものになっている。 小説が苦手な人やこれから源氏物語などの古典を読んでみたいと思う人への最初の一歩としてちょうど良いのではないだろうか。 ▼この記事は以下から参照出来ます 『西塩田時報』第11号(大正13年11月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0056.jpg2023-12-11
35酵母パンの焼き方酵母パンの焼き方現在のクックパットのようなもので、酵母パンを作る際に必要な材料、作るときの手順、一工夫が載っています。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田公報』第51号(1951年7月5日)2023-12-11
36春蚕の結果について(西塩田時報第2号大正12年9月1日2頁)春蚕の結果について(西塩田時報第2号大正12年9月1日2頁)大正12年の春蚕について記述されている。 上田が蚕都と呼ばれるのは当時から考えることを辞めなかったからなのだということが分かる。ただ春蚕の技術が上がったから成功したと考えず他の要因についても考えていることは他のことにも言えるだろう。成功してもなぜ成功したのかを考察することが全体のレベルアップの秘訣なのだと知らされる。 ▼この記事は以下から参照できます #『西塩田時報』第2号大正(12年9月1日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0006.jpg2023-12-11
37海野町商店街海野町商店街海野町商店街を歩いてみました。海野町商店街を歩いてみて昭和レトロな雰囲気を感じることができました。以前に千曲市の戸倉上山田の温泉街を歩いてみたことがあるのですが、その場所と同じようなレトロな雰囲気を感じました。また、同じ上田市の柳町のように昔懐かしい雰囲気が醸し出されているので貴重な観光資源になるのではないかと感じました。 @上田市中央2丁目2023-12-11
38道路で遊ばないように道路で遊ばないように昭和25年4月5日の西塩田広報第1項の記事。交通取締法が改正されて、その変更点、注意すべき点が掲載され、自転車や歩行者、さらには保護者の子供に対する注意事項まで書かれていた。  「事故を防ぐために」という項目で、荷牛馬車についての注意点は細かく書かれているのに、一番危険だと考えられる自動車について書かれていないのは変に感じて面白いと思った。もちろん、自動車が当時はまだ、全然普及していなかったからだと思うが、現代の交通のメインの1つである自動車についての注意点が書かれていないことに私は違和感を感じた。 参照元 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns15_post021to040.pdf 2023-12-11
39村民運動会プログラム村民運動会プログラム昭和24年10月20日の西塩田時報第3項での記事。同年11月3日に行われる村民運動会の開催プログラムが掲載されていた。 その内容を見てみると、リレーやマラソンなど今でもよく行われているようなものもあるが、ドヂョーつかみや女子仕度競争などユニークなものもあった。特に、「自轉車(自転車)徐行」は何を採点基準に競うのか謎に思えたので面白いと感じた。 参照元 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns15_post021to040.pdf 2023-12-11
40禁酒(『西塩田時報』第一号(大正十二年七月一日)四ページ)禁酒(『西塩田時報』第一号(大正十二年七月一日)四ページ)お酒を飲む人は意気地がなく、飲まなければ元気もなく、だらしがない等お酒を飲むことに対するデメリットや人格について書かれている。それらを提示し禁酒を勧める記事となっている。 科学や医学的な根拠を基に禁酒を勧めるのではなく、第三者から酒飲みの人をみて感じるだらしなさやどうすることもできない呆れ等を根拠に禁酒を勧めている部分が面白いと感じた。 ・参照資料 『西塩田時報』第一号(対象十二年七月一日)四ページ https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns02_001to020.pdf2023-12-11
41蠶飼は必ず讀べし ( 『西塩田時報』第141号(1935年8月1日)3頁)蠶飼は必ず讀べし ( 『西塩田時報』第141号(1935年8月1日)3頁)秋蠶を飼う時の注意点についての記事。 蠶という漢字は全く馴染みのないものだったため調べてみたところ蚕の旧字体であるそうだ。蚕の話題は蚕都である上田には馴染み深いどころで言い表せないほどに密接な関係のあるものになっている。西塩田時報のその他の号を眺めていても蚕に関する記事は高頻度で出てくる。 本記事は「秋蠶は風で飼へ」という古語の話題から始まり、蚕の成長段階での特徴、病気について詳細に解説されている。秋の頃の蠶の育成段階では、熱や湿気が逃がしにくい体をしているらしく、それゆえに風のある場所で飼うのが良いと研究で解明されたそうだ。蠶の育成段階によっては適度な気流がある場所で飼うのが適していることを「風で飼う」と表現した古語は大変風流だと感じる。しかし、この記事の筆者からは「風と云2023-12-11
42動員令下る動員令下る1932年、当時は満州事変をきっかけとして動員令が下ったようだ。戦争の兵隊としての徴兵は大学生も対象となっていたらしいが、もし私が当時を生きていたら動員されているかもしれないと思うと今を生きていて良かったと思える。また、時報を拝見する限りかなり過激な言葉で奮い立たせていることが分かる。かなり殺伐とした雰囲気に包まれていたのかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #441 『西塩田時報』第101号(1932年4月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0441.jpg2023-12-11
43全購印のゴム靴について (『西塩田時報』第107号(1932年10月1日)2頁)全購印のゴム靴について (『西塩田時報』第107号(1932年10月1日)2頁)産業組合が相当な気合いを入れて生産していると思われるゴム底靴の宣伝記事。 高品質の素材を用いつつもお求めやすい価格のゴム底靴が紹介されている。その名も「久美愛地下足袋」 少々アバンギャルドな商品名もさることながら、紹介記事も一般的な商品紹介・広告とは一線を画す熱の入りようである。簡単な商品説明にとどまらず、いかに質のいい素材を用いているかを原料の加工法や使用する薬品までも持ち出して解説しているというのだから驚きである。果ては他の競合商品を引き合いに耐久テストまで行う徹底ぶりに組合がどれほど自信をもってこの商品を売り出しているかがわかる。しかし、ページの半分ほども占めるこの一連の商品自慢だが、肝心の値段が記載されていない点が気になる。一体いくらで売り出されていたのだろうか? 2023-12-11
44面白い話面白い話火事が起きた際に知らせる半鐘を火事が起こっていない状態で鳴らすと実際に火事が起きるというなんともおかしな話から始まる。これは俗な者たちが世間についてろくでもない演説をすると世間がそれを鵜呑みにして騒がしくなるという例えだと自分は解釈した。正直、これを読んで面白いとは思えなかったが、昔から政治については物議を醸す論争が起こっていたことはここから伺える。 ▼この記事は以下から参照できます。 #277 『西塩田時報』第63号(1929年2月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0277.jpg2023-12-11
45新しき美の標準新しき美の標準女性の美しさとは何か。華やかな化粧や衣服など、可視的な美しさに囚われてしまうのは今も昔も変わらないのかもしれません。 「真の美しさとは何か」にフォーカスを当てた当記事では、人々が永続的に持つ美への苦悩を垣間見ることができます。記事を読み進めると、現代と昔の人が持つ「美しさ」への認識に何か通ずるものを感じるかもしれません。記事を読み終えた後に本当の美とは何なのか、あなたはきっと一考するでしょう。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1244 『西塩田公報』第79号(1954年4月5日)6頁2023-12-11
46子供はしつけ第一 『西塩田時報』第81号(1930年8月1日)3頁子供はしつけ第一 『西塩田時報』第81号(1930年8月1日)3頁子供のしつけの仕方について書かれている。いうことを聞かない子供にどのようなしつけをしたら良いのか、こどもの性格や考えを交えながらその手助けとなることが書かれている。ネットで検索などができない時代に、とても重要な資料であると思う。昔の親はこういった資料を参考に育児をしていたと思うと現代より大変で努力があったんだなとおもう。 ・この記事は以下から参照できます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0349.jpg #349 『西塩田時報』第81号(1930年8月1日)3頁2023-12-11
47子供の教育一歩先に 親自身の教育へ子供の教育一歩先に 親自身の教育へ今も昔も子供の教育は人々の関心事の一つであり、子供を立派に育て上げるために大人は良い手法を考えあぐねています。 子供の教育にばかり目を向けられるのではく「親自身の教育」に力を入れるべきだという風刺的なタイトルから始まる、新鮮な切り口から子供の教育について説いた記事となっています。 記事の末部では当時の子供が求められていた理想像を知ることができます。今の子供と重なる部分を照らし合わせながら、現代と昔の価値観の違いを比較して記事を読み進めると面白いかもしれません。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1119 『西塩田公報』第46号(1951年2月10日)1頁2023-12-11
48家庭メモ (『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)12頁)家庭メモ (『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)12頁)衣服のシミの種類別の取り方や摂取すると良い食物と注意点が書かれています。 今では様々な洗剤がありすが、汚れたときの早い対応や昔ながらのやり方が一番効果的な場合もあるので知っておいてそんはないと思います。 また身体に良い食べ物も食べ過ぎると逆効果になってしまいます。食べる量やタイミングに気をつけようと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1260『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)12頁2023-12-11
492023前川ゼミ後期中間発表 地域の魅力の伝え方について j22015内田真太朗2023前川ゼミ後期中間発表 地域の魅力の伝え方について j22015内田真太朗2023-12-11
50戦争時の金はどこから( 『西塩田時報』第189号(1939年8月1日)1頁)戦争時の金はどこから( 『西塩田時報』第189号(1939年8月1日)1頁) 第二次世界大戦のさなか、この戦争を続けていくにはどうしてもお金が必要になるでしょう。ではそのお金、特に金(きん)はどこから出ていたのか。  この記事は、今政府が金不足にある理由と、それを補うために各家庭から金を徴収する旨が書かれており、金の出どころの一端が伺えて面白いと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #843 『西塩田時報』第189号(1939年8月1日)1頁2023-12-11
51入学前の家庭教育に就て 西塩田時報入学前の家庭教育に就て 西塩田時報入学前に家庭内で教育してほしいことについて友達のことや先生を怖がらないように教育してほしいといったことが書かれており、今の新聞ではないので珍しく面白いと感じた。 西塩田時報 戦後 昭和22年1月25日 第1号2頁2023-12-11
52西塩田時報 面白いと感じた記事 2西塩田時報 面白いと感じた記事 2情報通信文化論 西塩田時報切り抜き2 この記事も自身がもう一つ選んだ記事と同じく、過去の日本の変化がみられる記事の一つで、第二次世界大戦が終わった日本が封建的思想から次第に目覚めていき、デモクラシー的な自由な世界となろうとしてる、といった記事であり、終戦後から大正デモクラシーにつながっていくであろう過程が分かるような記事になっており、これもまた自身が学んだ歴史を振り返っているようで面白いと感じました。西塩田時報vol.2 7ページ左上農村青年より2023-12-11
53西塩田時報 面白いと感じた記事1西塩田時報 面白いと感じた記事1情報通信文化論 西塩田時報切り抜き1 この一つ目の記事では終戦後一年目を迎えた日本の状況やその時代の青年に求められたことが読み取れる良い記事だと思いました。終戦後一年経った日本は依然として食糧問題が発生しており、農村に住んでいる青年の仕事ぶりが大事であるといったことや、「ポツダム宣言以来、日本の人々が好む好まずを関係なしに、民主主義的生活様式を採用せざるを得なかった」という文章から戦後に変わっていく日本が過去に自身が歴史の授業で学んだ通りに西塩田時報に描写されているのが個人的に面白く感じました。 西塩田時報vol.2 3ページ左下現代青年の任務より2023-12-11
54ビタミンの話 西塩田公報ビタミンの話 西塩田公報ビタミンが体に及ぼす良い影響がやビタミンの種類がたくさん記載されといる。 そのビタミンが取れる野菜や食べ物の種類も載っており面白いと感じた。 西塩田時報 戦後 第5号3頁2023-12-11
55成人の日に成人の日に来年二十歳のつどいがあるので、興味を持ちました。 約70年前からこの行事があるのは驚きです。 成人代表で三人の感想と心構えが載っています。 いつまでも十代でいたい、無責任が許されない立場になり不安だ、という気持ちは同じですが、今の自分より考えがしっかりしていて、大人の印象を受けました。 記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』昭和28年2月5日第65号⑵2023-12-11
56お茶の効能お茶の効能お茶の成分とその効果についての記事である。  まだカフェインなどの言葉は日本には伝わっていなかったようだが、お茶を飲むことのメリット、デメリットを紅茶と比較しながら正確に書いている点が面白く感じた。  参照 西塩田時報第81号2頁2023-12-11
57食べる楽しみ食べる工風食べる楽しみ食べる工風現在、インターネットを使うことで、食べたいものがあれば検索してレシピを知れたり、使いたい材料を検索すればそれを使った料理を紹介してくれたりします。今でも雑誌や新聞でレシピが紹介されていることがあります。 この記事でも、鰯のたたき上げの作り方を紹介しています。材料や作り方以上に、アドバイスがたくさん載っていて親しみやすい記事だと思います。 記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』昭和24年1月25日第22号⑶2023-12-11
58時間時間これは会議が始まるまで待たされた人が時間に無頓着な人たちへ愚痴を綴った記事である。  この記事は時代が戦前なのにもかかわらず今の自分の感覚と同じようなもの持っており、昔の人もあまり変わらないことが面白いと感じた。 参照 西塩田時報第81号1頁2023-12-11
59小学校1年生小学校1年生小学校に上がるにあたって、どのような子供であるべきかが記されている。当たり前のようなことを書かれてるのだが、記事の中の「1人で床に入ること」は、小学一年生ではまだ難しいのではないか、というのが個人的な感想。 人によって感じ方が変わりそうな記事である。2023-12-11
60小学校だより小学校だより現在では、各小学校から配られることがほとんどである小学校だよりが西塩田時報に記載されている。 在籍している子供の個人情報など、現在と異なる情報の扱い方に興味をひかれた。2023-12-11
61アブラ虫の話  (『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)10頁)アブラ虫の話  (『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)10頁)アブラ虫の退治方法や発生しやすい植物について書かれています。 先日実家で白菜を収穫した際、アブラ虫の被害を目の当たりにしたため、興味が湧きました。 蟻などの他の虫とも共生し、大量発生した上で野菜を育たなくしてしまいます。 小さい虫ですが被害は大きいため、植物を育てている方は読んでみてください。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1258『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)10頁2023-12-11
62睡眠について睡眠について過去の戦前の世の中での睡眠についての考えが書かれてます。健康には熟眠が必要であり、熟眠には健康が必要であるというものである。また、夢を見ている間は熟眠できてきないので健康であるとは言えないということである。 現代で聞いたことがある内容も書かれているので、昔からの考え方が今でも続いているのだと驚いた。 ▼この記事は以下から参照できます #130『西塩田公報』 第29号(1926年4月1日)4頁2023-12-11
63禁酒禁酒飲酒のデメリットが多く書かれている。文章がリズムよく書かれており、声に出して読みたくなる。 ▼この記事は以下から参照できます #4『西塩田公報』第1号(1923年7月1日)4頁2023-12-11
64映画上映遅延の話(『西塩田広報』第68号昭和28年5月5日)映画上映遅延の話(『西塩田広報』第68号昭和28年5月5日)映画館での上映時間が一時間ほど遅延したときの内容です。現代の映画で遅延する事はほとんどないし、遅延したとしても、記事になることはないので、当時の映画の貴重さ、珍しさを感じられる面白い内容でした。2023-12-10
65禁酒の話(『西塩田時報』第1号(大正12年7月1日))禁酒の話(『西塩田時報』第1号(大正12年7月1日))酒についてのリスクが多く書かれていて禁酒を勧めている記事です。著者がどれだけお酒に痛い目にあったのかと思うほど、お酒について悪く書かれていて、ニュースなどではない、著者の思いが書かれていて面白いと思いました。2023-12-10
66『西塩田時報』第119号(1933年10月1日)2頁『西塩田時報』第119号(1933年10月1日)2頁こちらの記事では、産業組合が更生記念貯金を始めていたり、木炭調査規則が定められていたりしていることが掲載されています。 この時代の長野県では、木炭も盛んに作られていることが分かります。2023-12-10
67部落通信(「西塩田時報」戦後第1号 昭和22年1月25日)部落通信(「西塩田時報」戦後第1号 昭和22年1月25日)村で行われた会議の日付と内容が書かれている。一般の方にも西塩田時報を通して情報が共有されたと考えられる。2023-12-10
68伝染病の発生状況についいて(「西塩田時報」戦後第18号 昭和23年9月25日)伝染病の発生状況についいて(「西塩田時報」戦後第18号 昭和23年9月25日)記事の右下に伝染病の発生状況が載っている。具体的な数字を知ることは感染予防の促進にもつながる。2023-12-10
69品種試験結果 (『西塩田時報』戦後 第73号[1953年10月5日])品種試験結果 (『西塩田時報』戦後 第73号[1953年10月5日])塩田分校で行われてきた麦の品種試験についての結果を掲載した記事です。出穂期、成熟期、50cm間茎数などが細かく記されています。また、みすゞ大麦やユウヤケ小麦など面白い品種名も確認することができます。2023-12-10
70部落ニュース (『西塩田時報』戦前 第121号 [1933年12月1日])部落ニュース (『西塩田時報』戦前 第121号 [1933年12月1日])様々な部落の話題が掲載されています。例えば、事務所の大掃除の報告や住民の訃報、気候の様子などが記されています。現代の新聞にも掲載されるような内容を随所で確認することができるので読んでいて面白いです。2023-12-10
71訪ねて(西塩田時報「戦後」第42,43併号(1950年10月20日)1頁)訪ねて(西塩田時報「戦後」第42,43併号(1950年10月20日)1頁)この短い枠のポップさとは反対に辛辣な内容がとてもいい。短い文の中で説得力が高いものを書いているところに面白味を感じた。 この記事は以下から参照できます。 #1105 西塩田時報「戦後」第42,43併号(1950年10月20日)1頁2023-12-09
72睡眠について(西塩田時報「戦前」第39号(1926年4月1日)4頁)睡眠について(西塩田時報「戦前」第39号(1926年4月1日)4頁)睡眠について詳しく書かれている記事。睡眠をとりさえすればなんでもいいと考えていたが、これは全くの間違いらしい。要は、夢を見ている間は脳が活動していて休息になっていないということだ。睡眠についてというタイトルだけで惹きつけるところが面白い。 この記事は以下から参照できます。 #130 西塩田時報「戦前」第39号(1926年4月1日)4頁2023-12-09
73西塩田中学校増築工事報告(『西塩田時報[戦後]』第26号(1949年5月20日)1頁)西塩田中学校増築工事報告(『西塩田時報[戦後]』第26号(1949年5月20日)1頁)学校の工事の進行状況や工事費について書かれている記事。今の時代だと工事現場の付近に看板として表示されているようなものだが、この時代だと新聞の中で人々に知らせているのが珍しいと感じた。2023-12-08
74乳児の育て方(『西塩田時報』第31号(1926年6月1日)1頁)乳児の育て方(『西塩田時報』第31号(1926年6月1日)1頁)乳児の育て方がネットでも手軽に調べられるようになった現代。昔の時代にはそんなものは存在するはずがなく、育て方の情報を共有する方法が限られていた。この記事には乳児が飲むミルクの作り方や入浴、排泄物の処理の仕方など育児に関する情報がこと細やかに書かれている。 今の時代の新聞にはあまり書かれないようなことでも、公共の記事の中で大々的に書かれているのは面白いと感じた。 この記事は以下から参照できます。 #135 『西塩田時報』第31号(1926年6月1日)1頁2023-12-08
75税金について 『西塩田時報』第5号(1924年5月1日)2頁税金について 『西塩田時報』第5号(1924年5月1日)2頁大正13年度の税額が決まったようで、その中で家畜税として犬一頭飼うごとに税金が課せられていた。他にも金庫税や倉庫税などがあり面白いと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #26 『西塩田時報』第5号(1924年5月1日)2頁2023-12-08
76編集室より 『西塩田公報』第5号(1924年6月1日3頁)編集室より 『西塩田公報』第5号(1924年6月1日3頁)編集室に今集はあまり原稿が集まらなかったようです。「思わしい物ができなかったのは編集室のみの責任でない」というのが今回出してくれた人に失礼じゃないかなと思いました。赤裸々で面白かったです。 ▼この記事は以下から参照できます。 #31 『西塩田公報』第5号(1924年6月1日)3頁2023-12-08
77入学前にしておくこと入学前にしておくこと小学校一年生になる前に学んでおいてほしいことが記載されている。先生を怖がらないようになど少しユーモアあふれてつい笑ってしまった。2023-12-08
78酒は薬か酒は薬かアルコールが人体に及ぼす影響について書かれている。酒は百薬の長という言葉にもあるようにアルコールは適量なら体にいいのではと思われるが果たしてどうか。2023-12-08
79御用心 空巣ねらい(『西塩田時報[戦後]』第15号(1948年5月25日)1頁)御用心 空巣ねらい(『西塩田時報[戦後]』第15号(1948年5月25日)1頁)終戦後頻発していた空巣被害に対する注意喚起をしている。一般的な「空巣から家を守ろう」というメッセージだけでなく、「空巣をしないようにしよう」というメッセージが含まれていて当時の時代が反映されているところが面白い。2023-12-08
80親は子供にどれ程の関心があるのか(『西塩田時報』第66号 1953年)親は子供にどれ程の関心があるのか(『西塩田時報』第66号 1953年)この記事では、小学校で行われた父兄懇談会についての内容が記載されています。 出席状況調査票から分かるように全体の出席率は80%以上と比較的高い出席率だと思います。 「親は子供にどれ程の関心があるのか」というタイトルに惹かれ記事を読みました。親は子供に関心があるのかという点では、高い出席率から昔も今も変わらず親は子供に関心を持っていたと感じます。 『西塩田時報』第66号(1953年3月5日)3頁2023-12-08
81葛苧製造所より(『西塩田時報』第13号(1924年12月1日)3頁)葛苧製造所より(『西塩田時報』第13号(1924年12月1日)3頁)葛苧製造事業を始めるまでの苦労が短い文章でまとめられている。葛苧(くずお)とは、葛の茎から取った繊維であるそうだ。葛苧の製造に成功したにも関わらず、その労力がゆえに喜びきれていない様子がうかがえて面白い。2023-12-08
82卒業論文執筆にあたっての課題とその解決の成果卒業論文執筆にあたっての課題とその解決の成果後期開始から卒論執筆を開始 →項目立て、本文を鋭意執筆中 課題 生涯学習、社会教育、地域づくりについて 自分の中で理解が深まっていなかったため、混同していた。 →ミスリード、ひいては全否定につながる恐れがある 生涯学習 一般には人々が生涯に行うあらゆる学習,すなわち,学校教育,家庭教育,社会教育,文化活動,スポーツ活動,レクリエーション活動,ボランティア活動,企業内教育,趣味など様々な場や機会において行う学習の意味で用いられます。 https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpab201901/detail/1421865.htm 社会教育 学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動を指します。 https://www.mext.go.jp/a_menu/01_l.htm 違い これに対して、「生涯学習」は、学習者の視点から2023-12-07
83生島足島神社生島足島神社平安時代初期にまとめられた延喜式に「生島足島神社二座名神大」と載っている。中世末期以降には「下之郷大名神」などと呼ばれ、武田氏や歴代上田藩主の保護を受けていたという歴史がある。2023-12-07
84夜の上田城跡公園夜の上田城跡公園ここは上田城の門をくぐった先にある絵馬のアーチです。夜になるとライトアップされてとても綺麗なのでぜひ行ってみてください。2023-12-07
85美味だれ焼き鳥美味だれ焼き鳥ここは上田駅の近くにある「鳥正」という居酒屋です。 お店の中に入ってみると、お客さんが沢山いました。友達によると、鳥正はいつも混み合っていて、お店の中に入れたらラッキーだそうです。行ってみたら、偶然席が空いていて入店することが出来ました。 お店の名前の通り、ここは焼き鳥がメインの居酒屋です。 上田名物である、美味だれをつけて焼き鳥を食べることが出来ます。しょうゆベースの特製ソースに、すりおろしたリンゴとニンニクが入った特製たれ(美味だれ)で味付けてあるたれです。 美味だれをつけて食べる焼き鳥はとてもおいしかったので、ぜひ行ってみてください。2023-12-07
86学びの成果発表会学びの成果発表会2024年2月10日に、学びの成果発表会を開催する予定です。2023-12-07
87『西塩田時報Vol.1』(戦前編1923~1943年)『西塩田時報Vol.1』(戦前編1923~1943年)1. 地域の組織やクラブなどが、支部や施設の改修が完了したことを公に知らせるために催しを行っているようです。 2. 事務所で春季の行事や催し物を行うことを意味している可能性があります。 3. 組織の指導者や管理者のポジション(支部長や副支部長)と、産業統計に関連する活動が行われていることが示唆されています。 4. 組織のメンバーが新しいリーダーシップやポジションに選ばれるプロセス。 5. 複数の組織や部門からのメンバーが一堂に会して合同で役員会を開いていることを示唆しています。 6. 新年を祝うためのイベントやパーティー。 7. 高齢者を敬愛し感謝する日。日本では9月の第3月曜日が敬老の日とされています。 8. 青年団や青年会の活動に関連するものと思われます。 9. 寄付や寄贈を受けたことを報告している箇所。 10. 収支2023-12-07
88『西塩田時報Vol.1』(戦前編1923~1943年)『西塩田時報Vol.1』(戦前編1923~1943年)1. 金融機関が保管サービスについて説明しており、特に武保の金融組合が米の貸し付けを行っていることが述べられています。金利や条件についても触れられています。 2. 産業組合に関する情報が含まれています。特に、農業における品種や飼料についての指針や注意が述べられています。 3. 特に米の保管についての重要なポイントが述べられています。新聞における注意喚起もあります。 4. 学校の最新情報や行事に関する内容が含まれています。書週間や学校の成績、講堂集合の予定などが触れられています。 5. 民精神作興週間に関する呼びかけやイベントの告知があります。 6. 鮮魚に関する情報があり、特に良質な大豆や小麦、骨などの原料について触れられています。 7. 毎日が祝日になることが一時的であるが、それを抜けて平和であることへ2023-12-07
89季節行事の由来(『西塩田公報』第60号(1952年8月5日)3頁)季節行事の由来(『西塩田公報』第60号(1952年8月5日)3頁)毎年やってくる様々な季節行事。皆さんは、その行事やお祭りの由来を知っていますか?ここでは「お盆」について、なぜ「お盆」という行事が生まれたのかについて書かれています。 おそらく諸説があると思いますが、普段特に考えもせずに、毎年親に言われるままお墓参りをしたり、実家や祖父母の家のお仏壇にお線香をあげたりしていると、“その意味”を忘れてしまいがちです。ですが、この記事を読むと行事一つひとつにもちゃんと由来があり、意味があるということを思い出すことができて面白いと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1177 『西塩田公報』第60号(1952年8月5日)3頁2023-12-07
90補習学校より『西塩田時報』第3号(1923年11月30日)3頁補習学校より『西塩田時報』第3号(1923年11月30日)3頁補習学校が始まるという記事で、昔の学校について書かれています。 夜学であまり効果が出ていないことについて、家庭環境などを考慮しながら作者の考えや生徒を鼓舞する文章が書かれています。家庭の環境に差があることや、男子部と女子部が分かれていることなどは今にはあまりない環境で見ていて面白いです。また学校が始まる日にちや時間についても書かれていてそういったことも公報で伝えていたんだなと今との違いを感じます。 ・この記事は以下から参照できます #11 『西塩田時報』第3号(1923年11月30日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0011.jpg2023-12-07
91幼き日の日記帳より(『西塩田時報』第77号(1930年4月1日)4頁)幼き日の日記帳より(『西塩田時報』第77号(1930年4月1日)4頁)子供の頃つけていた日記を読み返し、その中から厳選した文章をまとめたものだと思われます。男は常に何かにつけて酒を飲むことばかり考えている、こんなにせっかちだと生き急ぐことになりはしないか、など筆者の発想の豊かさに驚かされました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #334『西塩田時報』第77号(1930年4月1日)4頁2023-12-07
92どうしてもうまく書けぬ綴方(『西塩田時報』第191号(1939年10月1日)2頁)どうしてもうまく書けぬ綴方(『西塩田時報』第191号(1939年10月1日)2頁)作文学習に苦戦する高校生が筆者の随筆です。自分も作文を書くのに時間がかかるタイプの人間なので、題が思いつかなかったり、6、7行書くと止まってしまうという筆者の苦しみには大いに共感してしまいました。筆者は自身の能力を高めるために投稿を決意したのか、それとも例の伯父さんにこれも練習と強制されて嫌々投稿するに至ったのか、非常に気になるところです。 ▼この記事は以下から参照できます。 #856 『西塩田時報』第191号(1939年10月1日)2頁2023-12-07
93青少年不良化対策 必要な補導育成(『西塩田時報[戦後]』第33号(1949年12月20日)3頁)青少年不良化対策 必要な補導育成(『西塩田時報[戦後]』第33号(1949年12月20日)3頁)今でもいる不良。昔は、不良に対してどのような補導育成を行っていたかが、わかる記事です。 補導育成事項が11項目もあり、今でも適応されるようなことも書かれている。しかし、「(8)青年男女の集合して行う演劇、演藝会等は無軌道に陥らないように注意すること」と書かれており、別に不良に関係あるのかが微妙なラインのものまで書かれていた。不良のことについて細かく書いてあるのが面白いと思いました。 標語例を見て、現代に通じるものを感じてみてください。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1073 『西塩田時報[戦後]』第33号(1949年12月20日)3頁2023-12-06
94生活改善に就て(『西塩田時報』第10号(1924年10月1日)2頁)生活改善に就て(『西塩田時報』第10号(1924年10月1日)2頁)今でも話題になる、生活改善について。昔の人は、どう考えていたのかが、わかる記事です。 消費節約とは、浪費せず、奢侈をしないで、倹約することである。と書かれてあります。現在でも、お金に関しては節約しないといけない、と考える人が多いのではないでしょうか。今も昔も変わらずに日常生活についての問題となっています。同じことで悩んでいることがわかる興味深い記事だと思いました。 この記事を読んで、改めて自分の生活を振り返るのもいいかもしれません。 ▼この記事は以下から参照できます。 #50 『西塩田時報』第10号(1924年10月1日)2頁2023-12-06
95自覚して投票せよ(『西塩田時報』第4号 1947年)自覚して投票せよ(『西塩田時報』第4号 1947年)この記事では、選挙で深く考えずに投票したことを後悔している内容が書かれています。 選挙で良いことを言っている人に投票したが、実際に市民のために行動することはなく、「自分の利益のためにばかり生きるきたない人間」と率直な意見が記述されていました。 自分の住む地域のために相応しい人を選ぶべきだというこの記事の内容は、今の自分達にも言えることであると感じました。 『西塩田時報』第4号(1947年4月20日)1頁2023-12-06
96入学前の家庭教育に就て(西塩田時報 第1号昭和22年1月25日)入学前の家庭教育に就て(西塩田時報 第1号昭和22年1月25日)この記事には、入学前に家庭教育でやってほしいことが記載されていれています。具体的には、家庭や友達、先生、学習、身体的なしつけについてなどの項目に分けて、詳しく述べられていました。 私は、この記事の中の「性格は、家庭の育て方一つで決まるので生まれつきなどではない」という表現に時代の違いを感じます。このような言い切った表現に対して、負の感情を抱く現代人が多くいるのではないかと考えました。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第1号(昭和22年1月25日) https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns14_post001to020.pdf2023-12-06
97酒は薬か(西塩田時報 第28号大正15年3月1日)酒は薬か(西塩田時報 第28号大正15年3月1日)お酒を適量に飲むことは、体の薬であると世の中の多くの人が信じていますが、統計による調査を見ると、少しも酒を飲まない人の平均生存年より、四年程度短い命であったことがこの記事には、記載されています。そして、お酒は、飲んだその人の体に害を及ぼすだけでなく、子孫の体質にも影響を及ぼすことから、青年に対して、自身の健康問題だけでなく、日本民族の体質の向上という面からも禁酒することを促していました。 この記事の最後の日本民族の体質の向上の面から禁酒を促している点が、昔の日本の民族意識のようなものが感じられて面白かったです。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第28号(大正15年3月1日) https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.p2023-12-06
98上田の文化財 前山寺上田の文化財 前山寺前山寺は独鈷山の山麓に位置しており、塩田平が望める寺である。812年に空海によって開かれたという歴史を持つ。境内には国の重要文化財に指定されている三重塔や天皇陛下の当寺参拝に合わせて作られた長い石段があり、非常に見どころがあった。石段にそっておかれている石碑には心にしみる格言が書かれていた。山麓にあるため寺にたどり着くまで険しい道が続くが、境内に休憩所や売店があるため疲れを癒せる。2023-12-05
99別所温泉にてフィールドワークを行った感想別所温泉にてフィールドワークを行った感想 日本で最も古い歴史を持つ温泉である別所温泉を訪れ、北向観音堂、安楽寺、別所神社を中心とした神社仏閣について理解を深めた。また、別所温泉の観光地としての魅力や課題を考察し、考えを求めた。別所温泉の良い点として、多くの店で電子マネーが使えること、バリアフリー化が進んでいること、シャトルバスが運行していることなど、観光の大衆化に合わせた仕組みが取り入れられている点だ。また改善が必要だと感じられる点は、道が狭く自動車と接触する恐れがあること、体験型の観光ではない、外国人向けの配慮が不足しているなどの点があげられる。2023-12-05
100地域史料のデジタルアーカイブ 2023 後期中間発表地域史料のデジタルアーカイブ 2023 後期中間発表地域史料のデジタルアーカイブ 2023 後期中間発表 J20052 竹中丈二 ・活動の趣旨 地域に保管され、活用機会が与えられない地域史料をネット公開し、地域づくりや地域 探究活動の発展に寄与すること。 ・活動の詳細記録 デジタルマップ記事「2023年度デジタルアーカイブ後期中間作業報告(10/9-11/27)」にて掲載 URL: https://d-commons.net/uedagaku?c=&p=126298 ・地域における活動報告 ・上田(藤本蚕業歴史館) 外部ではキモノマルシェ、史料を見合おう会、情報通信文化論講義の参加を通じて史料の紹介を行った。内部では、段ボール整理棚作成、Matterportを使用した歴史館の全体図の3D撮影を行った。 ・小諸 いとのまち・こもろチャンネルで過去の動画をほぼ全て投稿し、また新たに10/29に行われた講演会の動画撮影、投2023-12-04
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