ゴールデンウィークの4/30(日)、車で大屋駅から海野宿を通り御代田方面へ向かいました。この日はさすがに観光客の姿が多く目につきました。申し訳ない思いで海野宿をドライブスルーしました。 江戸時代は北国街道の宿として栄え、その後は蚕種製造が営まれるようになり、それ以前にも増して繁栄した地域です。これらの建物はいわゆる宿場町の宿ではなく、蚕種製造民家群と捉える方が実態に合っています。明治20年代に多くの家々が建て替わっていることも特色の一つです。うだつが上がっていることも蚕種製造で栄えたことを物語っています。
塩田平で発見、猫瓦では?
海野宿、宿場から蚕種製造地へ
信州蚕糸業遺構、和田峠
上田蚕種:蚕種製造1風景:繭の搬入→オスメス鑑別
現役の蚕種製造企業:上田蚕種株式会社
独鈷山風穴へと到る
信州大学繊維学部講堂(旧上田蚕糸専門学校講堂)
丸子顕彰碑
上田蚕種-2
上田蚕種-1
上塩尻蚕種製造民家群
雪で姿を現す段々畑の桑園
小県蚕業学校(上田東高)の校歌
上塩尻元宿・蚕室民家の佇まい、清水さん宅
上塩尻文庫蔵
上田蚕種を見学
上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する
上塩尻の景観
上塩尻の集落の模型(1992年)発見
海野宿跡
藤本蚕業歴史館
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