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1江戸火消の力文字江戸火消の力文字火消とは江戸時代の消防組織。 町火消しが、組の印として定着させた書体を力文字、伊達文字、撥鬢(ばちびん)文字、纏(まとい)文字などと呼んでいる。火消し着用の革羽織、印半纏(しるしばんてん)、刺子(さしこ)の長半纏(ながはんてん)など、背の代紋や襟に染め付けた文字は、起筆、終筆とも力を入れて極端に肉太とした書体で、いかにも力文字と呼ぶのに相応しく江戸町火消の心意気と威勢と誇りを示した。 『〔江戸町内火消之組印〕』(東京都立中央図書館 所蔵) 「東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ) 収録」 (https://cultural.jp/item/tokyo-R100000086_I000041580_00)2023-01-09
2空海による扁額の文字空海による扁額の文字人物を表した文字、鳥を付託した文字などを見ることができる。 『日本レタリング史』谷峯藏・著/岩崎美術社(1992) より引用2023-01-09
3扁額(へんがく)の一例扁額(へんがく)の一例扁額とは自社などの入口や建物正面に掲げられる、看板のようなもの。 写真は長崎県長崎市にある江戸時代初期に創建された唐寺(とうでら)のひとつ、崇福寺(そうふくじ)の本堂・大雄宝殿(だいゆうほうでん)。国宝になっている。 『崇福寺大雄宝殿』(崇福寺 所蔵) 「文化遺産オンライン 収録」 (https://cultural.jp/item/bunka-191353)2023-01-09
4空海空海空海(くうかい、774年〈宝亀5年〉- 835年4月22日〈承和2年3月21日〉)は、平安時代初期の僧。能書家でもあったが、遣唐使として中国に渡った際に寺社から影響を受けたといわれ、帰国後に数多くの扁額(へんがく)を作成している。その力感あふれる筆法が、日本のタイポグラフィーの始まりであるという説がある。 『弘法大師(空海)像』(慶應義塾ミュージアム・コモンズ 所蔵) 「慶應オブジェクトハブ 収録」 (https://cultural.jp/item/keioobjecthub-1630)2023-01-09
5手塚治虫手塚治虫手塚治虫は昭和3年(1928)生まれで、漫画家デビューは昭和21年(1946)であるため、昭和14年ごろに書かれたと思われる「藤本蚕業報告書書体」は手塚の影響を受けたわけではなく、手塚もまた当時のタイポグラフィーに影響を受けた一人と考えられる。 髙木康允『手塚治虫(1928-1989) 漫画家 [撮影 昭和62年(1987)]』(日本写真保存センター所蔵) 「写真原板データベース」収録 (https://jpsearch.go.jp/item/photo-00088_00076_0001)2023-01-09
6手塚治虫・作品タイトルロゴ②手塚治虫・作品タイトルロゴ②『手塚治虫表紙絵集』手塚治虫・著/森 晴路(手塚プロダクション資料室室長) ・監修/玄光社 (2016)より引用。 縦線・横線の極端なウェイト、横線が波打つ、重心が高いなど、「藤本蚕業報告書書体」に類似した特徴が見られる。2023-01-09
7手塚治虫・作品タイトルロゴ①手塚治虫・作品タイトルロゴ①『鉄腕アトム プロローグ集成』手塚治虫・著/立東舎(2019) カバー。 縦線・横線の極端なウェイト、重心が高いなど、「藤本蚕業報告書書体」に類似した特徴が見られる。2023-01-09
8報告書文字③報告書文字③藤本蚕業の膨大な資料の中に、独特な書体を用いて書かれた書類がある。 写真は昭和7年〜14年(1932~39)の、8年間にわたる製造費及び労力所用調査。 藤本蚕業資料 [at24-1-1]表紙なしノート(1931) (a5文書/戦前/土浦)2023-01-09
9報告書文字②報告書文字②藤本蚕業の膨大な資料の中に、独特な書体を用いて書かれた書類がある。 写真は用度品在庫数の詳細。 藤本蚕業資料 [at24-1-1]表紙なしノート(1931) (a5文書/戦前/土浦)2023-01-09
10報告書文字①報告書文字①藤本蚕業の膨大な資料の中に、独特な書体を用いて書かれた書類がある。 写真は折れ線グラフによる昭和6年〜12年(1931~37)の、7年間にわたる販売実績の報告。 藤本蚕業資料 [at24-1-1]表紙なしノート(1931) (a5文書/戦前/土浦)2023-01-09
112023元日の上田2023元日の上田2023年の元日は晴天に恵まれ、塩田平にある生島足島神社へ初詣に出かけました。いつも見慣れている風景ながら、「上田とはどんなところか?」、改めて眺め直してみました。 上田からは烏帽子岳が最もよく見えます。何よりも烏帽子状の山容が美しい。 次に美ヶ原、深田久弥が「日本百名山」に選んだ山の一つ。山の頂は起伏が極めて少なく平坦に長く続き、これが一つの山とは認知しがたいぐらいに「控えめ」な佇まいをしています。地元の人は美ヶ原とは呼ばず「うつくし」と呼びます。山頂はほぼ平坦ながらわずかばかり高く見える山頂にテレビ塔がいくつも立ち並んでいます。美ヶ原はこのテレビ塔の存在がアクセントとなり不思議に美しい。 小牧山は地元の人々もそれが何山かを意識することなく存在している超低山です。この地点は地2023-01-03
12女の多い話(『西塩田時報』第7号(大正13年7月1日)4頁)女の多い話(『西塩田時報』第7号(大正13年7月1日)4頁)【女の多い話】 小学校において、男児よりも女児の方が多いとする統計データについて、「飛鳥生」なる人物が私見を述べるという項目。一般に男性と女性の人口比は105:100と言われている。飛鳥は先述の統計を「面白い研究材料」と述べていたが、私も甚だそう思う。飛鳥はこれについて、女性の労働が少ないことが原因であると冗談交じりに述べていた。 【雑草】 「名のある人によって成し遂げられた事ばかりが尊い事ではない」という書き出しが目を引いた。功績をあげた人がどんなに名のある人かよりも、功績そのものがいかに素晴らしいかを評価すべきであるというのは、私の人生観に一致する。価値観というのは時代と共に変わっていくものと思っていたが、共にする場合もあるものだと感じた。2022-12-28
13川西野球排球大会川西野球排球大会今でもこれほどな大差がつくのは野球でも珍しいため面白かった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1180 『西塩田公報』第60号(1952年9月5日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1180.jpg2022-12-27
14禁酒禁酒今回私が面白いと思った記事は禁酒です。 どの時代でもお酒は嗜好品とされており、昔であれば手に入れることが難しい物であったためより価値があったと推察できます。 そのお酒を禁止することによる弊害や悲しみをおもしろおかしく表現されている記事になります。 ●この記事は以下から参照できます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0004.jpg2022-12-26
15子供はしつけ第一 服従の習慣から――(『西塩田時報』(1930)第81号(昭和5年8月1日)3頁)子供はしつけ第一 服従の習慣から――(『西塩田時報』(1930)第81号(昭和5年8月1日)3頁)子どものしつけについて書かれた記事です。子どもが言うことを聞くのは親が習慣をつけているかどうかだと、子どもの心のあり方を述べながら説明しています。 ▼この記事は以下から参照できます。 #349 『西塩田時報』第81号(1930年8月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0349.jpg2022-12-26
16体力検査成績発表!!(『西塩田時報』第187号(1925年6月1日)1頁)体力検査成績発表!!(『西塩田時報』第187号(1925年6月1日)1頁)学校のカリキュラム上の新体力テストのようなものだと思いましたが、地域の青年団員の成績結果でした。一番上に百米(100m)の結果が広報されているのですが、12秒台の方が先頭にいらっしゃいます。現在においてもかなりの記録です。靴や走り方を学べばもっと良い記録を狙えると思います。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第187号(1925年6月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns11_181to204.pdf2022-12-26
17健康第一健康第一いつの時代も健康って大事だよなあと考えさせられたこの記事が好き。 『西塩田時報』第16号(1925年3月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0074.jpg2022-12-26
18生活雑記(『西塩田時報』(1954)第82号(昭和7月3日)3頁)生活雑記(『西塩田時報』(1954)第82号(昭和7月3日)3頁)日常の様子が描かれた雑記です。朝からご飯をつくり、主人を送り出し、洗濯をして…とせわしなく家事や畑仕事をこなす女性の姿が描かれています。 新聞をゆっくり読む暇もない様子の女性から、ひとときと書いたのはなぜかなと考えてしまいます。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1255 『西塩田公報』第82号(1954年7月5日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1255.jpg2022-12-26
19農事メモ(『西塩田広報』第80号)農事メモ(『西塩田広報』第80号)当時の気候変動に農家はどのように対応すればよいかが描かれていた。 #1246『西塩田広報』第80号 2ページ2022-12-26
20家庭内での女性の地位向上家庭内での女性の地位向上これは家庭内において弱い立場にある女性の立場を上げるためのある女性の訴えです。その時代のリアルな男性の横暴さと女性の立場の弱さが書かれていて、今の時代ではこの記事を読んでも「そりゃそうだよね。」と言われるぐらいにはなってきているが、当時はこの記事を読んではっとさせられた男性や勇気づけられた女性がいたのではないでしょうか。 「人間は男のみではない」この文章にとても惹かれます。2022-12-26
21支部通信「浅間山行」支部通信「浅間山行」浅間山登るのがしんどいというのが伝わってきて面白いと感じた。そして、今よりは道も整備されてなかったのではないかなどと想像が膨らんで、見ていて面白いと感じた。 『西塩田時報』第9号(1924年9月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0047.jpg 2022-12-26
22秋冬の短歌と俳句(『西塩田時報』第32号(1949年11月20日)2頁)秋冬の短歌と俳句(『西塩田時報』第32号(1949年11月20日)2頁)数多くの短歌や俳句がある中で、房子さんの「雨晴れや夕日に映える紅葉山」が風景・情景が頭の中で想像できて、素敵だったため、選びました。 皆さんはどの短歌や俳句がお好きですか? ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第32号(1949年11月20日)2頁 https://https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns15_post021to040.pdf2022-12-26
23禁酒禁酒飲酒のデメリットが延々と綴られており、ユーモア溢れる記事だった。非常に文章のリズムが良いため、声に出して読んでみることをオススメする。 これを読めば「禁酒してみようかな」と思えるかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #75 『西塩田公報』第1号(1923年7月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0004.jpg2022-12-26
24家庭メモ(『西塩田広報』第77号)家庭メモ(『西塩田広報』第77号)料理や衛生管理に必要なものについて今では様々な便利なものが普及し、それを買えばよいが当時はそういったものがなかったので身近にあるもので工夫されてきたことが記されている。 ♯1230 「西塩田広報」(昭和29年)4ページ2022-12-26
25水泳の効果について水泳の効果について水泳が及ぼす効果について書かれた記事である。戦時中ではあるが、このような記事がありほっこりするような気持ちになりました。時報に対して堅苦しい印象があり、子供はなかなか目にしにくいような難しい事がたくさん書かれているのではないかと思っていましたが、このような記事は子供にも読まれやすい面白い内容であり、自分自身もとても興味深いと思いました。2022-12-26
26昭和27年(1952)の殺人事件(『西塩田時報』第73号)昭和27年(1952)の殺人事件(『西塩田時報』第73号)西塩田広報第73号より 加害者の住所が朝鮮でしたので、てっきり異邦人の犯罪かと思いましたら、当時の朝鮮のこの地区は日本領土でした。強盗内容も千円とありますが、当時の相場としては約5倍ほどだそうです。(間違っていたらすみません)時代背景がわかる記事ですので取り上げさせていただきました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第73号(1952年7月3日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns17_post061to080.pdf2022-12-26
27女子の意見の出ない訳(『西塩田時報』第6号(1947年6月20日)4頁)女子の意見の出ない訳(『西塩田時報』第6号(1947年6月20日)4頁)男女同権の思想がちょうど広まった時代、女性の意見が少ないことが、当時の男性はどう思っていたのかが分かるお記事です。一理あると思える意見もあれば、それは筋違いだろうと思ってしまう意見もありおもしろいと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第6号(1947年6月20日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns14_post001to020.pdf2022-12-26
28ビタミンのお話ビタミンのお話ビタミンの役割や種類などが書かれています。栄養を取ることの必要性や、どういった食材にビタミンが含まれているかも記述されているため、食事で意識しやすくなっています。既にこの時代で、食事をただ楽しむものとしてだけではなく、栄養という観点で見始めていることが面白いし、現在と変わらないほどのビタミンに対しての情報を得ていることが驚きです。2022-12-26
29小説「前編」小説「前編」連続小説の前編が描かれている。戦前の時報では、様々な情報を発信する手段として時報が利用されていた印象であるが、戦後では情報に加え絵や写真を用いた記事がたくさんあり、その当時の人々はこのような事を感じていないと思いますが、現代を生きる私が読んだ感想としては戦後の平穏な生活に一歩近づいているようなそんな雰囲気を読んでいて感じました。2022-12-26
30農村のテトメよ農村のテトメよ男尊女卑が激しく当時は束縛が多かった女性だが農業をすることには何の束縛はないという当時の風習が分かるという部分が興味深く面白いです。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0364.jpg2022-12-26
31標語(『西塩田時報』第28号(1926年3月1日)3頁)標語(『西塩田時報』第28号(1926年3月1日)3頁)今から約100年前の時代の標語です。 緩い現代を生きている身からすると、少し厳しく感じました。 ▼この記事は以下から参照できます。時報』第28号(1926年3月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.pdf2022-12-26
32成人式行事(『西塩田時報』第100号、1956年)成人式行事(『西塩田時報』第100号、1956年)私は今年度成人式を行いますが、こんなに昔から成人式があったことに驚きました。しかし、式の内容はいまと全く違う内容であったので非常に興味深かったです。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1327 『西塩田公報』第100号(1956年1月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1327.jpg2022-12-26
33農業議員選挙(『西塩田時報』第82号、1954年)農業議員選挙(『西塩田時報』第82号、1954年)昔は農業議員選挙というものがあったことに驚きました。さらに今では選挙はCMやチラシなどで目にすることが多いですが、かつては時報でそれを伝えていたことにも驚きました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1254 『西塩田公報』第82号(1954年7月5日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1254.jpg2022-12-26
34運動のシーズン!(『西塩田時報』第70号(昭和4年9月1日)3頁)運動のシーズン!(『西塩田時報』第70号(昭和4年9月1日)3頁)運動促進を喚起する内容の記事である。まず「ゴム底足袋」というワードのインパクトがすごかった。また百年程度で足袋からいまの靴に進化していることにも驚いた。現在の新聞にあるような小さな広告だが面白さを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #305『西塩田時報』第70号(1929年9月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0305.jpg2022-12-26
35お盆用必需品は自分の店で!(『西塩田時報』第69号(昭和4年8月1日)3頁)お盆用必需品は自分の店で!(『西塩田時報』第69号(昭和4年8月1日)3頁)お盆に必要なものは組合でそろえてくださいという内容の広告の記事だが、現在のCMを文面にしたらこうなるのかなと想像もできて面白い。また、「組合」「配給」も当時の様子を想像できて興味深かった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #301『西塩田時報』第69号(1929年8月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0301.jpg2022-12-26
36いゝ本を読みたいいゝ本を読みたい「いゝ本を読みたい」という極めて世俗的なタイトルに惹かれた。何かに触れて心が動かされるという行為は、今も昔も変わらないということを実感できた。昔の人というのは遠い存在に感じがちだが、この記事を読んで近くに感じることができた。 「そして自分の頭の悪いのが何より悲しみの深い一つだ」という最後の一文が特に共感できる部分である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #75 『西塩田公報』第17号(1925年4月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0075.jpg2022-12-26
37給桑上の注意給桑上の注意当時の蚕への給桑について書かれていました。 桑の状況や蚕の状況、気温などに考慮して与えていたのかが分かります。 蚕の食欲に普通期、此連食期、間食期、休食期があるのがとても興味深かったです。 この記事は以下から参照できます。 「西塩田時報」第142号(1935年9月1日)4貢2022-12-26
38さばとにしんの調理法さばとにしんの調理法西塩田時報には、「家庭メモ(家庭欄)」というコーナーがあり、ここでは家庭の豆知識を読むことができます。 昭和24年と古い記事なのですが旬の魚のレシピとしてサバとニシンが紹介されていました。 ぜひ皆さんも作ってみてはいかがでしょうか? この記事は以下より読めます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns16_post041to060.pdf2022-12-26
39子供の主食子供の主食記事にて、昭和28年頃子供のパン食が増えている状況やそこから懸念される栄養面の解説、また、当時のパンの値段等が記されています。 学校給食でもパンが多く取り扱われる昨今、パンが主流でなかった昔の記事を見返してみると、当時のパンへの認識等も感じ取れて面白いです。 この記事は以下より参照出来ます https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns17_post061to080.pdf2022-12-26
40小学校だより  『西塩田時報』第19号(1925年6月1日)3頁小学校だより  『西塩田時報』第19号(1925年6月1日)3頁当時の西塩田小学校生徒の身体測定の結果が載せられた記事。「身体測定の結果が公にされる」こと事態が現代では考えられないことですが、結果についての講評から軍隊としての戦力をほのめかす様な印象を受け、時代の違いを感じられる記事でした。 ▼この記事は以下から参照できます #85 『西塩田時報』第19号(1925年6月1日)3頁2022-12-26
41家庭パンの作り方 『西塩田時報』第138号(1935年5月1日)3頁家庭パンの作り方 『西塩田時報』第138号(1935年5月1日)3頁一般家庭向けの食パン、菓子パン用のフルーツジャムやクリームのレシピが掲載されている記事です。小麦粉、砂糖などの単位がグラムだけでなく匁(もんめ)でも書かれていたり、文体が現在と異なっている点に興味を惹かれました。一番気になったのは材料についてで、「家庭パンの作り方」とありますが、当時の一般家庭でバター等はどれぐらい貴重だったのか等想像が広がる記事でした。 ▼この記事は以下から参照できます。 #615 『西塩田時報』第138号(1935年5月1日)3頁2022-12-26
42偶言(『西塩田時報』第124号(1934年3月1日)4頁)偶言(『西塩田時報』第124号(1934年3月1日)4頁)悪意はないのに人との用事を先送りにしてしまう悪習を改めるべきだという記事。 現代にも通ずるこの習慣は戦前にもあったのかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #552『西塩田時報』第124号(1934年3月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0552.jpg2022-12-26
43乳児の育て方乳児の育て方現代ではネットや書籍など様々な情報ツールが存在し、分からなければそれらを頼れば大抵は解決できます。しかし、過去戦前の世ではそのような対応をとれない中、本記事のように時報の中で情報の提供が行われていたようです!今回はその中で目に付いた「乳児の育て方」といった内容の記事を取り上げてみました。 想像以上に詳しく説明がなされていて驚きました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1168 『西塩田公報』 第31号(1926年6月日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.pdf2022-12-26
44睡眠について睡眠について現代、理想的な睡眠についてはいろいろな研究や見解をもとに様々な意見が展開されています。そんな中、過去戦前の世の中では一体どういった睡眠サイクルが良いものとされていたのか本記事ではそう言った内容を知ることができます。 戦前の世の中だからこその違った視点などで論じられている部分もあり、なかなかに興味深かったです... ▼この記事は以下から参照できます。 #1168 『西塩田公報』 第29号(1926年4月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.pdf2022-12-26
45主食類盗難予防に就て(『西塩田時報』[戦後]第30号 1949年9月20日)主食類盗難予防に就て(『西塩田時報』[戦後]第30号 1949年9月20日)この時代でもまだお米は貴重なものであったことが分かった。盗んでいくものがお金ではなく、お米を盗んでいる所が今の時代には全く見当がつかないところで面白さを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1063 『西塩田時報[戦後]』第30号(1949年9月20日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1063.jpg2022-12-26
46なぜ金を政府へ(『西塩田時報』第188号 1939年7月1日)なぜ金を政府へ(『西塩田時報』第188号 1939年7月1日)金を納めさせる理由として日本で使われている「お札」では海外との取引が出来ないということが書かれている。 当時はそれを理解していなかった人も多かったのかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #843 『西塩田時報』第189号(1939年8月1日)1頁 (恐らく表記ミスで189号になっているが正しくは188号) https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0843.jpg2022-12-26
47故郷から兵たいさんへ(『西塩田時報』第176号 1938年7月12日)故郷から兵たいさんへ(『西塩田時報』第176号 1938年7月12日)兵隊さんが安心して戦えるように故郷から幼い子供がメッセージを送っている。 漢字とひらがなが織り交じっており、どこか心にグッとくるものがあった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #784 『西塩田時報』第176号(1938年7月12日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0784.jpg2022-12-26
48学校だより学校だより学校生徒の身長体重について、全国と比較したデータなどが載っている。 現代では、生徒の発育状況について詳しく記事になることは考えられないが、当時は身長や体重も重視されていたのだと思った。 ▼この記事は以下から参照できます。 西塩田時報 第一号(大正12年7月1日発行 3ページ)2022-12-26
49歳入出予算表歳入出予算表村のお金がどのような用途に使われていたのかが細かく書かれている。 伝染病の予防費や学費ものっていて、金銭の状況から当時の村の様子が想像できて新鮮だと思った。 ▼この記事は以下から参照できます。 西塩田時報 第一号(大正12年7月1日 2ページ)2022-12-26
50法律の施行内容、詳細に関する説明。法律の施行内容、詳細に関する説明。今回、私が紹介させてもらう記事は恩給法についての説明の箇所です。 当時、戦後による急速な時代の変化により法律改正があった際は一般国民にしらせるべく、あらゆるメディアを活用してその法律制度について説明がなされていたようです。昨今、法律改正が行われることがありますが細かい説明、項目までしっかり掲載されることは少なくなったと感じる点があります。私はこの当時の掲載の仕方が非常に効果的であると思ったので、現代にも反映させるべき点であると考えます。 (参考文献:西塩田広報第七六号 46頁)2022-12-26
51パトロールカーパトロールカー西塩田村にパトカーが導入された際の記事を見つけました。今とは違ってパトカーと略さずに「パトロールカー」と呼ばれていることが新鮮に感じました。また、形状も現代のパトカーとかけ離れていて驚きました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1196『西塩田公報』 第67号(1953年4月5日)2頁2022-12-25
52日本国憲法 第二章日本国憲法 第二章今も変わらず残っている大日本国憲法の第九条の制定についての記事を見つけた。 この憲法が今も残っているおかげで他の国との武力的な大きな衝突なく平和に過ごせているのだと思うと感慨深い。 面白記事とは少しずれてしまっているかもしれないが一番興味深いと感じたのでこの記事をピックアップした。 ▼この記事は以下から参照できます https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0967.jpg2022-12-25
53野菜のゆでかた野菜のゆでかた野菜をゆでる際のコツが書かれた記事を見つけました。料理が下手な自分にとっては、結構参考になりました。あと、右上にミッキーマウス(?)が描かれているのが気になりました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1168 『西塩田公報』 第57号(1952年4月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns16_post041to060.pdf2022-12-25
54少女の作文少女の作文小学生らしい文章だが情景描写がとても素晴らしいと感じた。 赤ちゃんが生まれたことによる姉弟のそわそわが伝わってきた。2022-12-25
55夢を読む夢を読む時代背景が伺える言葉選びと病弱な青年が活字によって人々の夢について語る部分がとても興味深かった。2022-12-25
56上田を知ってもらうには上田を知ってもらうには前回上田の「魅力」を伝えたいという言葉では魅力という単語が漠然と過ぎていて、別の単語を選ぶことにした。 今回のゼミでは私自身が上田について知ってほしいものが上田の「観光産業」についてのものが多かったため、上田の「魅力」を伝えたいという趣旨から、上田の「観光産業」について知ってほしいという趣旨へと変えた。根っこの考え方である上田の魅力を伝えたいという考え方自体は変わらないが、魅力の内容をとり具体的にした。 それに加え、上田のPRにはなにかインパクトのある単語で上田を紹介すると良いとのことで、○○な町上田、と言えるなにかを現在探し中。2022-12-25
57朝の一時朝の一時朝目を覚まして、外を見たときの感情や情景がとてもわかりやすく表現されている。そして最後に「今日一日を無事に送らしめ給へ」という言葉で締めくくられていて、一日一日健康に過ごすことの大切さを思い出させてくれる気がした。2022-12-25
58戦前の野球戦前の野球戦前の野球の記録までもが残っていることがとても意外で興味を引かれた。自分が野球好きと言うこともあるけど、この時代から野球が行われていたことがうれしく感じた。2022-12-25
59K君の日記K君の日記弟妹のけんかしている描写から始まるK君の日記。何気ない日常の中に現在の弟妹の姿から昔の自信を連想し懐かしんだりしているところに面白みを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1183『西塩田公報』第62号(1952年11月5日)3頁 2022-12-25
60みんな輪になれみんな輪になれこの曲が発売されたのは昭和16年8月とされている。当時の踊りと言えば盆踊りが主流とされていたが軍歌に振り付けを付けて子供たちに教えていた人たちがいたそうだ。まさに軍国世界の音頭である。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田村公報』第7号(1943年3月30日)6頁 2022-12-25
61お嬢様試験の問題集ーアナタは如何?ー(『西塩田時報』第31号(1949年10月20日)4頁)お嬢様試験の問題集ーアナタは如何?ー(『西塩田時報』第31号(1949年10月20日)4頁)10個の質問で自分がどのくらいのお嬢様かどうかを知ることが出来る記事。古い記事や堅い内容の記事が西塩田時報の中で非常にカジュアルな内容で目に留まった。お嬢様とはこうあるべきという心持を学ぶことが出来る。現代にも通じる内容などもあり、興味深いものだった。2022-12-25
62君たちは幸福だ君たちは幸福だ人の妻と心中したA氏と彼の後を追った若者達について書かれている。A氏を崇拝した若者達への皮肉がこもっている。 ▼この記事は以下から参照できます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0008.jpg2022-12-25
63青年の聲 【『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁】青年の聲 【『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁】太平洋戦争が終結した際の日本国内の様子が書かれている。自分にとっては教科書的な内容であった国民主権や思想良心の自由への移行への国内の動向を知ることが出来た。今では当たり前にあるような考え方も当時は反発もあったようだ。現代とギャップが非常に興味深いものだった。2022-12-25
64暦の話『西塩田時報』第92号(1931年7月1日)1頁)暦の話『西塩田時報』第92号(1931年7月1日)1頁)学者たちは、現在の暦はよく出来ているが不都合な点も多いため、もっと合理的で便利な暦を作ろうと長年研究していた。その結果、一年が13ヶ月からなる暦が作られ、それが国際会議に提案され採択されそうになっている。この機会に、暦の編み方、暦の歴史などについて書いてみるという内容の記事です。 まず1年が13ヶ月の暦が開発され採択されそうになっていた事実に驚きました。また、筆者は6ヶ月に渡り太陽や月、その他惑星について詳しく解説しており、この記事を読むだけで科学について学べそうだと感じました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #397『西塩田時報』第92号(1931年7月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0397.jpg2022-12-25
65壮丁学力検査問題(『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁)壮丁学力検査問題(『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁)明治時代、徴兵制度に基づいて満20歳の青年全員に行われた「壮丁検査学力試験」の問題が載っていました。壮丁検査とは、徴兵検査受検義務者を壮丁と称し、教育や学力の程度を測るための調査です。 「人の本分は何か」という問いや、「我等の進むべき道」という題の作文がありました。また、書取では「議会協賛」や「心身鍛錬」などが出題されていました。問題から、戦争が身近にあり、求められているのは化学的な知識や学力ではなく、愛国心や天皇や国策に関する理解だったことが読み取れました。 この記事は以下から参照できます。 #1『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0001.jpg2022-12-25
66部落ニュース部落ニュースこの記事は西塩田時報の中で2番目に興味深いと思った記事である。これをなぜ選んだか、それは今ではあまり良い印象で使われない用語とされている「部落」という言葉が日常で使われていたということをしっかりと確認出来る生地だからである。 時代の移り変わりをしっかりと認識させる、そんな1枚であるなと思い昔のことに思いをはせながら読める記事である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #567 『西塩田時報』第128号(1934年7月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0567.jpg2022-12-25
67イスカの嘴イスカの嘴私が西塩田時報の中で一番面白いと思ったものは「イスカの嘴」というタイトルの上田劇場で披露する予定の物語 今では使われないような「お役人」という言い回しもさることながら、文末が「エへヽヽヽヽ」で終わっているところにとても惹かれた。 村長にお願いする文言が書かれていたりしており、文末の「エへヽヽヽヽ」があることにより、下の立場のものらしい小物感がとても醸し出されていて読んでて面白い文章であった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #5 『西塩田公報』第号(1923年9月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0005.jpg 2022-12-25
68不況に對する意見表示(『西塩田時報』第82号(1930年9月1日)1頁)不況に對する意見表示(『西塩田時報』第82号(1930年9月1日)1頁)この時代の景気や社会情勢が顕著に示されていてこの文だけで不況であったことが読み取れる部分が面白いと思った。 農民は節約をせざるを得ない状況にあり、生活が非常に苦しい状況であったことがわかった。また、この状況に対して消費節約、生活改善を促す内容ばかりであり、政治的な対応はされていなかったということも読み取れた。2022-12-24
69青年期の問題に就て(『西塩田時報』第65号(1929年4月1日)2頁)青年期の問題に就て(『西塩田時報』第65号(1929年4月1日)2頁)青年期の問題について記載されており、その内容の中でも結婚年齢が徐々に遅れているという内容が現代と通じていて面白いと思った。この頃から「青年」や「壮年」が何歳からと規定されていたことを知り、驚いた。昔は15~25歳を青年と呼んでいたが、時が経つにつれ年齢が変化しているということを知った。 ▼この記事は以下から参照できます。 #284『西塩田時報』第65号(1929年4月1日)2頁2022-12-24
70お嬢様試験の問題集ーアナタは如何?ー(『西塩田時報』第31号(1949年10月20日)4頁)お嬢様試験の問題集ーアナタは如何?ー(『西塩田時報』第31号(1949年10月20日)4頁)「お嬢様なら○○であるでしょうね」と書かれた10個の問題があり、自分はどのくらいお嬢様であるか知ることができる記事だ。 男の友達を持っている、化粧が上手、花嫁修業のお稽古に忙しい等がお嬢様の条件とあり、偏見のことばかりが書かれているように思えるが、自分に当てはめて考えてみると面白いと思うので、是非ご覧いただきたい。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1068『西塩田時報』第31号(1949年10月20日)4頁2022-12-23
71女性の心理(『西塩田時報』第3号(1946年10月20日)3頁)女性の心理(『西塩田時報』第3号(1946年10月20日)3頁)女性は感情性が強く、その感情が女性の心情を支配するものだと記されている。 同年4月に、女性に参政権が与えられた。「女性として、最も大切なことは慈愛心であり、柔順にして判断力が強く、徒に感情に走らず、事に嘗つては堪え忍ぶ底力の強いのが日本女性の美点とする處である。」という文章が、男女平等、女性を下に見ないために書かれた記事なのかと推測できる。 ▼この記事は以下から参照できます #961「西塩田時報」第3号(1946年10月20日)3頁2022-12-23
72シベリアの想いで(『西塩田時報[戦後]』第24号3頁)シベリアの想いで(『西塩田時報[戦後]』第24号3頁)ロシアの捕虜として満洲からシベリアに送られた人が書いた記事である。 シベリア送りになった捕虜は辛い目にあったんだろうなと悲惨な状況を想像して読んだが、想像していたものとは違い心温まる話だった。捕虜になった人々の悲惨な話はよくニュース等で聞くが、この記事のような温かい話は聞いたことも読んだこともなかったので新鮮だった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1043 『西塩田時報[戦後]』第24号(1949年3月25日)3頁2022-12-23
73米の節約!勝利の一歩(『西塩田時報』第198号1項)米の節約!勝利の一歩(『西塩田時報』第198号1項)日中戦争時、東京などの都市だけでなく、地方でも節米運動が行なわれていたことが分かる記事である。白米ではなく、麺類や七分づき米、雑穀米を代用として食べるように書かれている。戦時中、栄養不足にならないために栄養豊富である雑穀米などを食べていたのだと考えていたが、日本の物資不足も要因の一つであったことが分かった。 また、「勝利への第一歩」という言葉から、国民の戦争意欲を高めようとしていることがうかがえる。戦時中という時代背景を強く実感できる記事のタイトルだと感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #879 『西塩田時報』第198号(1940年5月1日)1頁2022-12-23
74別所温泉  (四) 第142別所温泉  (四) 第142最初は何度読んでも理解できなくて、この中に脅迫文でも描かれているのかと思ったのですが、よく見たら右から読む形態の文で少し驚いた。 この記事だけではなく様々なところで右から読む文を見つけて時代を感じた。 また、部落ニュースや歌など現代にはあまり耳なじみのないテーマを扱っている割に、この記事は別所温泉という身近なものを見つけて、近いようで遠い存在だと感じた。 参照元↓ https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns11_181to204.pdf https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg2022-12-22
75おまるのめのひ (六)第181おまるのめのひ (六)第181不思議な日記を読んでいるようでした。昔の言葉なのに全部ひらがなで書いてあるのが面白いなと思いました。今の新聞でいうとあんずちゃん的な位置にある子供用の文章なのかと思いました。 私が子供だったらきっとこの文を読まずに外に遊びに行っているだろうなと思います。 参照元↓ https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns11_181to204.pdf https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg2022-12-22
7612月22日分 調査まとめ12月22日分 調査まとめ上田城の築城・歴史 「日本一の兵」真田幸村を輩出した真田氏は、現在の上田市真田町の周辺を拠点として活動していた。上田城の築城が開始されたのは1583年のことで、真田幸村の父である真田昌幸によって築城が開始された。当時徳川家康に仕えていた昌幸は、その援助を受けながら築城をしていた。しかし、北条と手を組もうとする徳川から土地の受領を要請された際にこれを拒否。徳川と断絶した昌幸は、上杉家に助力を求め次男の幸村を人質に差し出す。これにより、上杉方から戦力と築城の支援を受けた。上田城が一旦の完成を迎えた1585年、家康は鳥居元忠らを真田領に進軍させ「第一次上田合戦」が始まった。およそ1万の軍勢で進軍してきた徳川軍を昌幸は謀略を用いて少数の軍勢で撃退した。時は流れて関ヶ原の戦い最中の1600年、家康の息2022-12-22
77課題ゼミ 第3回課題ゼミ 第3回どのようなイベントを作る? 地域でのイベント例:上塩尻まちあるき 概要:上塩尻に現存する歴史的建築物を見て回る ・人数はおおよそ30人前後で上塩尻在住の方も多かった。 ・建築や上塩尻地域に詳しい方が参加し、建築物や地域の歴史を解説することでなぜ価値があるのかを参加者が理解できていた。 大型のイベントを開くには大きな知名度や多くの人を引く「魅力」が必要 小型のイベント→地域外の人を集客するのは難しい だが地域内の人ならば? 小型のイベントは大型に比べて、内容を細分化できる。 小型ならイベントの頻度を高めることができる。 地域の方に地域の価値を伝えるには具体的な内容が必要 また多くの地域の方に知ってもらうにはイベントを継続することが大切 「小規模で持続的なイベント」 地域の方に地域の2022-12-22
78d-commons.net考察 その5 「記事」と「マイサイト」 言葉の融和d-commons.net考察 その5 「記事」と「マイサイト」 言葉の融和前回に引き続き、UIの考察についてである。 前回 d-commons.net考察 その4 デザインと迷子 このd-commons.netでは、記事の投稿者名をクリックすると「〇〇のサイト(所謂マイサイト。〇〇には投稿者名が入る)」という場所へ飛ぶ。 マイサイトでは、投稿者の成果物が閲覧可能であり、アーカイブとしての役割を持つ。 個人的には「〇〇のサイト」の「サイト」という表記は一瞬で理解しにくく、自分がどこへ飛んでしまったのか分からなくなると感じた。少なくとも、自分が初めて投稿者名をクリックした時、信州上田デジタルマップではなく別のサイトへ飛んでしまったのかと混乱した事がある。 (別ウィンドウで表示されたため余計に混乱したという事情もある) これは「サイト」という言葉と「アーカイ2022-12-22
79歴史的事象が想像されて来る。アイヌ式土器(『西塩田時報』第7号(1924年7月1日)1頁)歴史的事象が想像されて来る。アイヌ式土器(『西塩田時報』第7号(1924年7月1日)1頁)上田とアイヌに古代の繋がりがあるとは思わなかったので、西塩田時報に「アイヌ」という言葉が出てくるだけで驚きだった。しかも、上田地域からアイヌ式土器が発掘されているというのだから、更に驚いた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #37 『西塩田時報』第7号(1924年7月1日)1頁2022-12-22
80お願ひ(『西塩田時報』第4号(1924年1月1日)4頁)お願ひ(『西塩田時報』第4号(1924年1月1日)4頁)個人的な忘れ物についてのお願いが、公的な発行物に平然と載っている様が面白いと感じた。 現代にはおそらく見られないような記事だと思う。 ▼この記事は以下から参照できます。 #18 『西塩田時報』第4号(1924年1月1日)4頁2022-12-22
81禁酒禁酒この記事は禁酒を周知するための真面目な内容かと思っていたのですが、詩っぽく韻も踏んでいて現代のラップ調な感じの文章でした。ポップに禁酒についての記事を書いていて読み手を飽きさせないような内容でした。 ●この記事は以下から参照できます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0004.jpg2022-12-22
82茄子料理茄子料理この記事には当時の家庭料理の調理例が書いてあります。この時代の調理方法は初めて見る調理例もあってどのような味がするのか気になりました。 また住民の生活によりそった記事がある事にほっこりしました。 ●この記事は以下から参照できます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1022.jpg2022-12-22
83課題ゼミ 第2回課題ゼミ 第2回広く伝える」には? ①どのような価値(歴史的観点・地理的観点など)があるかを明確にする。 ただ上田にこのようなものがある。(看板・掲示板など)で伝えるだけでは効果は薄く、印象に残りにくい。 イベントは? 例:上塩尻の街歩き→地域の人が自分の地域の歴史的価値をはっきりと認識できた。 価値の内容を明確にすることで地域に「魅力」を感じた。 価値を理解した人たちがその良さを伝えていく。 看板や掲示板もイベントの告知に使用できる。 長期的に見るほど効果的 イベントの強みは価値を実際に体験できること それにより価値を明確にしやすい →どのようなイベントを作る?  イベントの告知2022-12-21
84引揚者を暖かい気持ちをもって迎えましょう引揚者を暖かい気持ちをもって迎えましょう過酷な環境から帰ってくる引揚者の人々に冷たい態度をとらず暖かく迎えましょうと呼びかける内容です。 第二次世界大戦が終わった後の記事で海外にとどまることを強いられた人々への思いやりや終戦後の日本の一体感が読み取れる記事です。 #965 『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0965.jpg2022-12-21
85火の用心火の用心他の災害と比較して火事は我々の意識で防ぐことができあるという内容をユーモアを交えて訴えかけた記事です。 地震雷火事親父という今でも耳にする言葉を用いられていて、当時から親父の部分に疑問を持つような書き方がされていて、そのうえ火事への注意喚起は真面目に訴えかけている点が面白いと感じました。 #957 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0957.jpg2022-12-21
86青年の聲 【『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁】青年の聲 【『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁】これは当時の太平洋戦争が終わりポツダム宣言を受諾した日本の意見が良く分かる記事です。おそらくこの記事のようにポツダム宣言に賛成した派と否定派で激しく争ったように感じ取れます。そのような昔の雰囲気を感じ取れる記事として面白く思えました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #985 『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg2022-12-21
87火の用心 【『西塩田青年団報(戦後)』第2号(1946年9月20日)3頁】火の用心 【『西塩田青年団報(戦後)』第2号(1946年9月20日)3頁】この記事は当時はかなりの災害だった火災に対する恐ろしさとその対策について書かれている記事です。しかし単なる災害防止の記事だけでなく読みやすいようユーモアがある筆者の独白なども書かれていて面白いです。 ▼ この記事は以下から参照できます。 #957 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg2022-12-21
88家庭心得帖(『西塩田時報』第60号(1952年9月5日第2頁))家庭心得帖(『西塩田時報』第60号(1952年9月5日第2頁))料理や洗濯、予定の立て方など、生活がプラスになる情報が掲載されています。 主婦の知恵などが新聞に載っているのは読んでいても面白く、実際に使える知識なのでためになると思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1180 『西塩田公報』第60号(1952年9月5日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1180.jpg2022-12-21
89幼女児おかっぱすすめ(『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁)幼女児おかっぱすすめ(『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁)学校便りのようなものに、運動するときや勉強するときに邪魔にならないために髪型をおかっぱにすることを進めている記事がありました。 昔の女の子はおかっぱのイメージがありますが、こんな理由でおかっぱの子が多かったのかなと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0364.jpg2022-12-21
90上田elaboration上田elaboration探求テーマ「上田のシンボルの普及+若年層に対するアプローチ」 私が上田探検隊や自らの目で見てきた上田の魅力は、歴史的な建造物に身近に触れられるという点である。しかしながら、それに気づいている人は限りなく少なく思える。そんな上田市と地元の松本市を比較した時に、松本も上田と似た魅力を持ち合わせている。だが、松本に住んでいると頻繁に歴史に触れたくなる。それはなぜなのか考えた時に、松本城という圧倒的なシンボルの魅力に隠されていると考えた。もちろん天守閣があり、存在感が凄まじいことは大前提として、それだけで、地元の人々が訪れているとは思えない。では、観光客だけでなく地元市民も頻繁に訪れる理由は何か。調べれば一瞬で訳が分かった。それは、多種多様な四季折々のイベントである。春は夜桜会、光2022-12-21
91藤本蚕業歴史館で開くオンライン講座第2日藤本蚕業歴史館で開くオンライン講座第2日12/17(土)、藤本蚕業プロジェクト主催/デジタルアーカイブ学会地域アーカイブ部会共催によるデジタルアーキビスト養成講座の第2回講座を実施しました。 今回の講座は、上田小県近現代史研究会のお二人の方:桂木恵さん、小平千文さんから「キュレーション実例」「近現代を捉える視点」の話題提供をいただきました。話題提供のレジュメは以下の【講座資料】に掲載してあります。 午後は、「藤本蚕業歴史館アーカイブ」の史料などを参照し「一次資料を使ったキュレーション」を実習を交えて学習してもらいました。 講座の動画記録は後日、こちらに掲載する予定です。 【講座資料】https://d-commons.net/uedagaku/?c=&p=189442022-12-19
92上田のelaboration上田のelaboration上田の魅力の伝え方 J22030 工藤 天之 Elaboration課題の提起  上田の魅力は、はっきり言ってあまり伝わってこない、 それをどう色んな人に伝えるか。まず、上田の魅力とは、 なにか。 なぜそうなるのか  上田の様々な情報が地元の人で完結している。地元民し か知らないようなことが多い? 何を探求するのか  上田の魅力について、上田には何があるか、人々は何を 魅力的に感じるか。 探求の目標  上田と言えばこれだ!といえるような魅力的なものの発 見、そしてそれをどう様々な人に伝えるか。 どのように探求するのか  上田についての検索、上田の街歩き、知人や家族へのイ ンタビュー。 週間計画  上田検索→上田街歩き→上田の魅力に触れてみる。 今週、このテーマについて考えたのは、「上田の魅力」という言葉2022-12-18
93蚕のさなぎ蚕のさなぎ「みんなでつくる信州上田デジタルマップ」「蚕の蛹:食用」より転載 https://d-commons.net/upload/4/567/original/011720.jpg イナゴの他にカイコも! さなぎから油を取るとも聞いたことがあります。2022-12-17
94みかんと煙草みかんと煙草藤本蚕業アーカイブより転載 https://d-commons.net/fujimoto-arch/?c=&p=18948#photo_gallery-10 みかん35銭?は旅費で煙草25銭?は何と書いてあるのだろう2022-12-17
95出張が多い出張が多い群馬や茨城など、遠方まで出張が多かったようです。社長自らも出かけたみたいです。2022-12-17
96枝垂(しだれ)桑枝垂(しだれ)桑枝垂(しだれ)桑 蚕糸試験場 蚕糸の森公園 東京都杉並区 桑の品種改良がおこなわれ沢山の品種が生まれた 観賞用の品種 史料ID タイトル 西暦 備考 発行年月 配置 目録頁 分類番号 巻・号 著者 発行元 発行場所 文献 cb-福-14 桑品種の図解 1925 大正14年11月 B-福-14 福島県桑苗同業組合 福島県 文献 c亅-1-96 桑品種図説 1926 大正15年8月 亅-1-96 長野県蚕業試験場 文献 ca-2-12 桑品種図説 1926 大正15年3月 A-2-12 長野県蚕業試験場 藤本蚕業デジタル資料館 https://d-commons.net/fujimoto/ naganuma2022-12-17
97霞月楼って何?霞月楼って何?藤本蚕業土浦支店の「蚕種代価帳(1936)」に出ていた支出の記録です。その中に霞月楼という項目が出ています。年会費3円支払っています。 当時の料亭のようです。 「藤本蚕業アーカイブ」から転載 https://d-commons.net/fujimoto-arch?c=&p=189482022-12-17
98昭和8年4月鑑別手申込書綴昭和8年4月鑑別手申込書綴新潟や篠ノ井など東信地区以外の方々も鑑別手としていらっしゃったのだと分かり、蚕業が栄えていたと改めて感じました。 https://d-commons.net/fujimoto/?c=&p=96152022-12-17
99test蚕糸試験場 蚕糸の森公園test蚕糸試験場 蚕糸の森公園蚕糸試験場 蚕糸の森公園 子供時代に蚕糸試験場(東京杉並区)が近所にあり、 すでに廃墟となっていて不思議なところだと思っていました。 春蚕繭繰糸試験成績一覧表 藤本蚕業デジタル資料館 https://d-commons.net/fujimoto-index/?c=&p=11876 近代化と国際規格と日本の関係性、 国際規格の導入と変遷は絹糸が最初ではないか? 以前自動車業界にいて国際規格からSDGsに変遷していった過程から、 規格の重要性が正義や善につながっていて基本なるのは美学ではないか?と考えています。 naganuma2022-12-17
100御堂筋イルミネーション御堂筋イルミネーション寒くなるとイルミネーションがひとしお沁みる今日この頃2022-12-17
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