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1生島足島神社 西鳥居生島足島神社 西鳥居生島足島神社の西鳥居は、前回投稿した泥宮とのつながりがある。昔は、西鳥居と泥宮が直線でつながっていた。また、太陽は東の鳥居~西の鳥居を抜けて一直線に伸びる参道の先へと沈んでいくのは非常に幻想的である。 この鳥居は日没の光が鳥居を抜けて差し込むように計算されている。大地をご神体とする生島足島神社にこの仕掛けが施されていることは、太陽と大地の聖地であることを象徴しているように思わせる。2024-01-25
2上田レイライン 泥宮上田レイライン 泥宮泥宮は字のごとく大地をご神体として、生島樽島神社が建設されたときに、遺霊をここに残したという歴史がある。 かつては生島樽島神社の西鳥居とまっすぐな道でつながっていたといい、ご神体と同じくこの二つの神社は、深いつながりがある。実際に見に行き、感じたことは目の前にため池があり、周りが住宅に囲まれており、地域住民に大切 にされながら今日まで保存されてきたんだと感じた。2024-01-25
3江戸の面影が残る・北国街道江戸の面影が残る・北国街道歴史的な街並みが並ぶ北国街道の柳町。わたしが訪れた印象は名前の通り柳が多く歴史を感じられる場所というイメージであった。ここには地酒や地ワイン、カフェやパン屋などの店舗が軒を連ねる。他県の人にもよく知られているためか多くの人が訪れていた。2024-01-25
4長野のローカルスーパー長野のローカルスーパー長野のローカルスーパー「ツルヤ」には、横断歩道が設置されていました。親子でお買い物をする時に一緒に横断歩道のわたり方を教えるきっかけにもなると思います。中には手を挙げてわたる子供もちらほらいました!2024-01-25
5上田駅上田駅長野県上田市天神一丁目にある、東日本旅客鉄道・しなの鉄道・上田電鉄の駅。JR東日本の北陸新幹線、しなの鉄道のしなの鉄道線、上田電鉄の別所線の3路線が乗り入れ、そのうち別所線は当駅が起点となっている。 駅の北口、市街地側は「お城口」。南口、別所温泉側は「温泉口」と呼ばれている。 写真はお城口。鞍をイメージしたデザインとなっており、夜には上田市ゆかりの真田家の家紋「六文銭」が間接照明で照らされる。 市街地側に上田市ゆかりの六文銭を持ってきたことは、上田に来た人に市の自慢のものを印象付ける効果があり、とても良いと感じた。夜にはライトアップがされていて、日中と一味違う六文銭の美しさを感じることができると思った。2024-01-24
6デジタルアーカイブの課題についてデジタルアーカイブの課題について情報通信文化論 デジタルアーカイブの課題について デジタルアーカイブの課題とはなにか • データ保存量が増え続ける • データ消息のリスク • 一般公開による近隣住民への被害 • 知識を横に広げることが難しい • サイトが見にくい データ保存量が増え続ける データを保存していけばデジタルデータの保存量は増え続けていく。そのためデータ保存量の増加はシステムに負荷がかかることはもちろん、どれが最初のデータだったのかわからなくなるなどデータのバージョン管理が難しくなったり、意図しないところにデータが出現してしまったり、巧妙な加工で情報操作されたデータが出回ってデータの信頼性が失われたりするリスクもある。 データ消息のリスク ・デジタルデータの場合はシステムエラー、保存ディスクの破損、読み取2024-01-24
7歴史街道旧北陸道からみる町の成り立ち歴史街道旧北陸道からみる町の成り立ち2024-01-24
8常楽寺常楽寺別所温泉・北向観音の本坊。鎌倉時代には天台教学の道場として栄えました。境内には国の重要文化財に指定されている石造多宝塔があります。 階段を上がって最初に目に飛び込んでくるのは茅葺の本堂です。平成15年に修復工事を行った際、建立当時の建築様式に改めました。 堂内には当時そのままの色彩を残す格天井が美しく、ご本尊の妙観察智弥陀如来は、阿弥陀如来には珍しい宝冠を頂く阿弥陀です。 授業の課題で訪れました。2024-01-23
9北向観音堂北向観音堂厄除観音として昔から信仰を集め、長野市善光寺と向かい合うように本堂が北を向いている事から北向観音と呼ばれるようになりました。善光寺と合せてお参りするとさらにご利益があるといわれています。 北向観音は825年(天長2)、比叡山延暦寺座主・慈覚大師円仁により開創された霊場です。 現世でのご利益を授けてくれるという千手観音を御本尊とし、本堂に祀っています。 坂道が多いので、足腰が弱い人は訪れづらいなと感じました。2024-01-23
10安楽寺安楽寺境内の奥にたたずむ塔は日本で唯一の木造八角塔で、長野県で最初に国宝に指定されました。中国宋時代の禅宗様(唐様)という建築様式で、一番下の屋根は裳階と呼ばれ、ひさしにあたります。当時の国宝、重要文化財など、多くの鎌倉時代の文化遺産を貯蔵する、信州最古の貴重な禅寺となっています。 坂道が多かったので、高齢者が訪れるには大変だと感じました。2024-01-23
11引越し直後の前川研究室2005/04/05引越し直後の前川研究室2005/04/052005/04/05の記録。 長野大学に赴任して間もない時の研究室の風景です。書架に本を並べ始めました。引越しの段ボール箱の多くが未開封のままです。2024-01-21
12上田天満宮上田天満宮 上田駅近くの高架下にある小さな天満宮。ご本尊は菅原道真の座像で江戸時代中期に作られたとされている。  1894(明治27)年に初代上田駅長の上村条治郎が旧高田藩が歴代所有していた天神様を譲り受け祀った。 1950(昭和25)年に上田駅拡張に伴ってここへ移動させられた。  菅原道真公を祀っているため、合格祈願などのご利益があるが、受験前にも関わらす参拝者は誰もいなかった。穴場スポットのようだ。近くには真田十勇士の筧十蔵のモニュメントがある。2024-01-20
13一番肉まんらしく見える浅間山一番肉まんらしく見える浅間山2009/12/29の記録。 上信越道を上田から軽井沢方面に進んでいます。小諸付近から見える浅間山のこの山容。楕円状の白い山容に縦縞が入り、これが一番肉まんらしく見えます。2024-01-16
14崖沿い・千曲川沿い道路の記録2007崖沿い・千曲川沿い道路の記録20072007/10/25の記録。 上田市・千曲川右岸の岩鼻から坂城町に抜ける県道77号線は、絶壁のような崖沿いに展開していました。一部、崖の崩落などもあり、2007年頃はその修復工事が行われていました。 現在この区間は通行禁止となり、国道18号線がバイパスされて岩鼻の岩盤を貫通するトンネルを抜けて坂城町側につながる安全なルートに代替されました。2024-01-16
15マンホール:御代田町マンホール:御代田町2009/02/06の記録。御代田町のマンホールは中央に町の花「ヤマユリ」を描き、周囲にもヤマユリを配しています。「公下」は公共下水道の略。とてもシンプルなマンホールのデザイン。2024-01-16
16大屋駅・旧駅舎の記録大屋駅・旧駅舎の記録2009/02/06の記録。しなの鉄道・大屋駅の旧駅舎は建て替えにより2023年に取り壊されました。過去の駅舎がどのようなものであったのかを私の画像で再現しました。 大屋駅は信越本線開通後の1896年、諏訪地方からの生糸輸送のために、諏訪地方の業者等の請願により新設された駅です。蚕糸王国長野県の蚕糸業の歴史を刻んだ近代化産業遺産です。取り壊し前の駅とその周辺がどのような様子であったのかを画像クリップでもご参照ください。2024-01-16
17曳家工事中の常田館製糸場曳家工事中の常田館製糸場2009/02/03の記録。笠原工業敷地内にある旧常田館製糸場の建物を曳家工事している時の記録です。笠原工業前の道路の拡幅工事に伴い、道路に接する旧常田館製糸場の建物は取り壊されることになっていました。幸いにも建物は曳家することにより取り壊しを免れました。製糸業の貴重な産業遺産であり、オーナーでもある笠原工業の曳家保全の英断により、貴重な産業遺産が残されたことは長く記憶されるべきことと思い、その記録をここに残しておきます。 後にこれらの建造物は国の重要文化財に指定されました。2024-01-16
18炭焼き小屋炭焼き小屋2009/02/07、塩田平にある前山寺付近を訪れた際、あじさい小道の入口にある炭焼き小屋に目がとまりました。昔当たり前だった暮らしの痕跡が少なくなる中、冬の仕事だった炭焼きの小屋の石積みが今も残っているのはたいへん貴重です。2024-01-16
19純白の浅間山純白の浅間山毎年、年末年始には茨城に帰省するため、上信越道を上田から茨城に移動するのが恒例でした。そのたびに進行方向左手にある浅間山を眺めることを繰り返し、また同時にその時々の浅間山の景観をデジカメ画像に記録してきました。 そういえば、純白の浅間山を見たことは滅多になかったかもしれないと思い出しました。山頂付近は強風に雪が除かれるため、たいていは雪の下に地肌が見えています。この時のような純白の浅間山はめずらしい!(2006/12/31記録)2024-01-16
20浅間山、おおこの山容!浅間山、おおこの山容!浅間山七変化。上信越道を上田から軽井沢方面に向かって進むと、ちょうど佐久平ハイウェイオアシス(平尾山公園)の辺りで浅間山が再び見えてきます。おやっ? 浅間山の山容がまた違った姿に変わっていました。(2014/12/27記録)2024-01-16
21浅間山の変容? なだらかな稜線浅間山の変容? なだらかな稜線浅間山の見え方の面白さ。上信越道を上田方面から軽井沢方面に移動しています。小諸付近で先ほどまで眼前に現れていた形状のふくよかな肉まんはここに来ると「あれ?どこにあるの?」という感じになります。肉まん形状を特徴づけていた幾本もの縦筋はつい左手の一部に過ぎなかったことがわかりました。その背景になだらかにのびる稜線の美しさ。肉まんがまるで潰れて平板になったかのようです。東側の浅間山から高峰山、湯の丸山、烏帽子岳とパノラマ展開する上信越高原国立公園の山々の疎ら感も実に素晴らしい。ひとつながりになったアルプスとはまるで違い相互独立の山々。(2010/12/31記録)2024-01-16
22浅間山の眺望、肉まん、それともUFO?浅間山の眺望、肉まん、それともUFO?長野県側から見える浅間山の山容は変幻自在。上信越道の小諸市付近から見える浅間山は手前の山の背後に隠れてその頭部のみが見えます。幾筋もある細い谷筋に特徴があります。丸まった異様な物体。まるで肉まんが大自然の中に鎮座しているかのごとく。見方によってはUFOにも見えます。(2010/12/31記録)2024-01-16
23上田城跡上田城跡真田昌幸によって築かれた上田城。 この城は真田氏が「関ヶ原の戦い」を含む、二度にわたって、徳川の大軍を追い払った実践経験のある城として有名である。 廃城となったが、現在でも本丸と二の丸には土塁、石垣、堀跡がある。 また、本丸の三基の櫓は昔の姿をとどめており、観覧が可能である(有料)。 堀跡の周りを一周できるように道が整備されており、観光しやすい文化財である。 敷地内や周辺には”真田神社”や”市立博物館”、”児童遊園地”などがあるので 歴史の理解を深めたい方や家族連れなど幅広い方々に楽しんでいただけると考える。 上田市では最も有名な文化財であり、観光スポットであるので まだ訪れたことのない方には是非歴史の一部を体感しに出かけてもらいたい。2023-12-26
24上田大神宮上田大神宮 1870(明治3)年、明治天皇は神道を全国に広める旨の詔を発布した。それにより伊勢皇大神宮では、神宮教院を設置し全国を31の教区に分類した。その第十九教区として上田の地に本部を設け、教活動とお神札の頒布の拠点としたのが上田大神宮の起源だ。  1889(明治24)年、現大神宮が完工、伊勢神宮より大宮司を迎え、鎮祭式典を行った。  また、境内には猿田彦神社、上田西宮恵比寿神社、三峰神社が内包されている。  神妙づくりの建築様式を採用しているが、現在は元の大きさから3分の一に縮尺されている。2023-12-22
25保明水保明水 保命水と呼ばれるこの井戸は1881(明治14)年に海禅寺の湧き水を地下の木簡で柳町に引いたものである。当時の生活用水、非常用水として利用された。  1922(大正12)年には上田市に上水道が開設されたが、市内には良質な飲料水が少なかったため、町民の負担で修理改修を行い管理されてきた。  それから約30年後の1949(昭和24)年、上田市で全域で断水してしまう事故があった。その際には前肢の水源として活躍した。  現在は生活用水としては利用されず、井戸のみが形として残っている。  信州の水50選にも選ばれるほど水質がきれいで、運が良ければカニがみられるかもしれない。2023-12-21
26水かけ地蔵水かけ地蔵 旧街道でもある柳町商店街の入り口付近にちんまりとたたずむ一体のお地蔵様。すぐ近くにある湧き水を柄杓ですくい、お地蔵様にかけると縁結びのご利益があるようだ。 この湧き水は明治時代初期に海禅寺の境内から柳町まで地中に敷いた木管を流れてくる「保命水」だという。  隣の石碑には江戸時代の俳人である加舎白雄が柳町で詠んだ句が彫られている。白雄は上田藩主の次男である。 「白壁に 百筋あまり 柳かな」2023-12-21
27超誓寺超誓寺 超誓寺は上田市神畑にある浄土宗系の寺院。京都府にある御末寺を総本山としている。御本尊は阿弥陀如来三尊像。  この寺の由来は、大永年間(1520年代)に足利将軍に仕えていた浦和式部大輔が神畑の山中にあった庵に篭り出家し、超誓道俊と名乗ったことから始まる。深く村人に慕われていた道俊であったが、亡くなると庵、尊像共に参拝する人も減り次第に荒れ果ていった。これを悲しんだ村人は永禄11(1568)年の神畑のこの地に、超誓寺を建立した。ちなみに、この年は織田信長が足利義昭を擁して上洛した年でもある。  境内には宗派を超えてお薬師様と親しまれた薬師如来像が安置されているお堂や武田信玄が川中島合戦に祈願したといわれているお堂もある。  寺下駅からも近く参拝は比較的容易。4月頃の夜になると桜の木がライトア2023-12-21
28泥宮大神と上窪池泥宮大神と上窪池 上田市本郷にある泥宮大神は、非常に珍しい泥を御神体とした神社である。古くから泥、つまり大地は稲などの作物を育ててくれる存在として崇められてていた。日本全国様々なものを御神体とする神社があるが、泥をご神体とした神社は多くはない。  本来は生島足島神社が建立された際に、その時の死者の魂を遺すためとして作られた社である。なお、生島足島神社が創建された年代はわかっていないため、この泥宮大神が建てられた時期も不明ということになる。  もともとは「諏訪大明神」という名で呼ばれていたが、1790(寛政2)年、松平定信が幕府の財政を引き締め立て直しを図った時代に「泥宮」の愛称で親しまれるようになった。  この神社の東側には上窪池という溜池があり、私が訪れた際にはサギのような白くて大きな鳥も見られ2023-12-21
29道路で遊ばないように道路で遊ばないように昭和25年4月5日の西塩田広報第1項の記事。交通取締法が改正されて、その変更点、注意すべき点が掲載され、自転車や歩行者、さらには保護者の子供に対する注意事項まで書かれていた。  「事故を防ぐために」という項目で、荷牛馬車についての注意点は細かく書かれているのに、一番危険だと考えられる自動車について書かれていないのは変に感じて面白いと思った。もちろん、自動車が当時はまだ、全然普及していなかったからだと思うが、現代の交通のメインの1つである自動車についての注意点が書かれていないことに私は違和感を感じた。 参照元 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns15_post021to040.pdf 2023-12-11
30青少年不良化対策 必要な補導育成(『西塩田時報[戦後]』第33号(1949年12月20日)3頁)青少年不良化対策 必要な補導育成(『西塩田時報[戦後]』第33号(1949年12月20日)3頁)今でもいる不良。昔は、不良に対してどのような補導育成を行っていたかが、わかる記事です。 補導育成事項が11項目もあり、今でも適応されるようなことも書かれている。しかし、「(8)青年男女の集合して行う演劇、演藝会等は無軌道に陥らないように注意すること」と書かれており、別に不良に関係あるのかが微妙なラインのものまで書かれていた。不良のことについて細かく書いてあるのが面白いと思いました。 標語例を見て、現代に通じるものを感じてみてください。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1073 『西塩田時報[戦後]』第33号(1949年12月20日)3頁2023-12-06
31上田の文化財 前山寺上田の文化財 前山寺前山寺は独鈷山の山麓に位置しており、塩田平が望める寺である。812年に空海によって開かれたという歴史を持つ。境内には国の重要文化財に指定されている三重塔や天皇陛下の当寺参拝に合わせて作られた長い石段があり、非常に見どころがあった。石段にそっておかれている石碑には心にしみる格言が書かれていた。山麓にあるため寺にたどり着くまで険しい道が続くが、境内に休憩所や売店があるため疲れを癒せる。2023-12-05
32別所温泉にてフィールドワークを行った感想別所温泉にてフィールドワークを行った感想 日本で最も古い歴史を持つ温泉である別所温泉を訪れ、北向観音堂、安楽寺、別所神社を中心とした神社仏閣について理解を深めた。また、別所温泉の観光地としての魅力や課題を考察し、考えを求めた。別所温泉の良い点として、多くの店で電子マネーが使えること、バリアフリー化が進んでいること、シャトルバスが運行していることなど、観光の大衆化に合わせた仕組みが取り入れられている点だ。また改善が必要だと感じられる点は、道が狭く自動車と接触する恐れがあること、体験型の観光ではない、外国人向けの配慮が不足しているなどの点があげられる。2023-12-05
33軽井沢/刈宿バイパスとラウンドアバウト軽井沢/刈宿バイパスとラウンドアバウト上田方面から軽井沢町風越に向かうため、久しぶりに信濃追分駅の前を通過しました。この道筋は「借宿バイパス」と呼ばれています。道が整備され、さらには国道18号線バイパスとはラウンドアバウトで接続されていました。この周辺を通るのはコロナ禍以前のこと、久しぶりです。軽井沢の都市環境が改善に向かっている状況を目の当たりにしました。 観光シーズンなどで顕著に起きる軽井沢の交通渋滞、とりわけ幹線道路でもある国道18号線の渋滞は解決しようのない社会問題となっていました。国道18号線バイパスが信濃追分駅を経由し追分方面に貫通するよう借宿バイパスのさらなる延伸工事もなされていました。 軽井沢の慢性的な渋滞が緩和され、旧市街の郊外でもある国道18号線バイパス沿線が新たな商業地・観光地となりつつある状況を実2023-12-04
34【上田市の銭湯】②宮桜の湯【上田市の銭湯】②宮桜の湯突然ですが、皆さんは銭湯に行ったことはありますか? 銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。 ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。今回は、日の出町(常田3丁目)の「宮桜の湯(みやざくらのゆ)」さんをご紹介します。 宮桜の湯さんは、イオンスタイル上田や信州大学繊維学部の近くにあります。イオンの前の「信大繊維学部入口」交差点から信大正門の方へ進み、道なりに行けば右手に看板が見えてきます。玄関の「わ」の看板と薪のいい香りは営業中の証。ちなみに夏と冬で暖簾が違うんです。水色地に花火の絵柄が牛乳石鹸制作の2005年夏バージョンの暖簾、紺地に図形が描2023-11-30
35別所温泉にのこる伝承③ ~大師湯~別所温泉にのこる伝承③ ~大師湯~これまで上げてきた、石湯、大湯、とこの大師湯の三つが別所温泉の内湯である。大師湯は慈覚大師円仁が入浴し、病を治療した、という伝承からこの名前が呼ばれている。大師湯は、特に目に関係する病に効くと昔から多くの人々に知られた温泉であった。また、大師湯には、別所内にある、安楽寺の開山樵谷、二代幼牛らの木造が夜な夜な入浴に来たり、大入道が目を洗っていた、など、石湯、大湯とは雰囲気の違った伝承が残されている。  2023-11-30
36生島足島神社生島足島神社 上田市を代表する生島足島神社を探求することで、歴史について感じ取れると思ったので、生島足島神社について紹介する。  日本遺産に認定されている生島足島神社は、太古より国土の鎮守と仰がれ、国の真ん中あたりにお祀りされる大八洲(日本列島)の神、生島大神・足島大神が鎮座している。寛政11年に生島足島神社と社名を改めており、中世以降には「下之郷大明神」「諏訪法性大明神」などと呼ばれ、武田信玄や真田氏、歴代上田藩主の手厚い加護を受けた。参道は、夏至に朝日の太陽が昇り、冬至には夕日の太陽が輝くという東西に延びる太陽の線上に配置されており、「太陽」と「大地」を結ぶ神社といわれる。  生島足島神社を訪れた時、七五三の人数が多くて、上田市を代表するとともに、昔から市民に愛されている神社であると2023-11-30
37別所温泉にのこる伝承① ~石湯~別所温泉にのこる伝承① ~石湯~石湯は、別所温泉の内湯の一つである。天然の岩石で作られた浴槽を利用するため、石湯と呼ばれている。この石湯には、様々な民話が残されている。  昔、ある季節になると、別所では蛇が作ったとされる道が現れるのであった。ある時、村の若者がこの道を作るものの正体を確かめようとした際、道の終わりに大蛇の抜け殻を発見した。その抜け殻の先に湧き出る温泉を発見したことが石湯の起こりである、と伝えられている。 他にも、岩場から落下した牛が足をこの温泉で癒した伝承から、うし湯とも呼ばれていたなど、様々な伝承が残される温泉である。2023-11-30
38高台からの上田市街の風景高台からの上田市街の風景上田創造館横のため池から上田駅方向に真っ直ぐ歩いていくと他の道と合流する地点に下りるための階段に辿り着く。そこからは上田の街の景色が一望できる。上田の街の活気が伝わってくる景色だ。2023-11-30
39創造館横ため池創造館横ため池上田創造館横には大きなため池がある。ツルハドラッグ上田原店上の坂道を登ると開けた土地が出現する。そこにはたくさんの水が張られている。少し高くなった地から臨む町並みはため池と1つの画となって風景を飾っている。2023-11-30
40上田城のすぐ隣を走っていた真田傍陽線の跡上田城のすぐ隣を走っていた真田傍陽線の跡かつて上田市から真田地域、菅平高原方面に繋がっていた真田傍陽線(さなだそえひせん)は、上田城のすぐ横を走っていたとされる。今では、上田城のケヤキ並木遊歩道となっている。他にも、街中には路線の跡が残っており、昔の菅平高原開発の名残が見て取れる。2023-11-30
41上田市の玄関口 上田駅上田市の玄関口 上田駅上田鉄道別所線、しなの鉄道、JR北陸新幹線が乗り入れる上田駅は、まさに全国からの観光客を迎える玄関口と言えるだろう。昔は、丸子地域や真田地域へ向かう鉄道もあったようだが、今では3路線だけとなっている。時代とともに移動手段が変化しているが、これからも上田市の玄関口として、そして上田の住民を支える足として今後も活躍するだろう。2023-11-30
42別所神社別所神社別所温泉にある神社で、祀っている神様はその土地の守り神(土産神)である。境内には本殿の3倍以上の大きさがある神楽殿があった。鳥居から本殿までの道は思ってたよりも高低差があるように感じられた。そのせいもあってか、人の気配を感じることがないので、神聖さも感じられた。おみくじが置いてあるので、運勢を占ってみても良し、神楽殿から見える別所地域の雰囲気を味わっても良しのたくさんの魅力があると思った。2023-11-30
43上田の玄関口「上田駅」上田の玄関口「上田駅」上田駅はJR東日本、しなの鉄道、上田電鉄の駅だ。上田駅は日々多くの人々に利用されており、まさに上田の玄関口といえる。2023-11-30
44信濃国分寺信濃国分寺寺伝では、1197年に源頼朝が善光寺参拝の帰りに寺の衰退を憂い、塔の復興を命じたとされている。建築様式から室町時代に建立されたと推測され、「和様」の外観をしている。第一層の大日如来が安置されている仏壇の鏡天井を囲む「如意頭文」は「禅宗様」の建物で用いられているものである。 駐車場が境内のすぐ側にあったが、そこまでの道が細く、車では少し通りにくいと感じた。境内の周りの民家も雰囲気あるつくりの家が多く、地域になじんでいる印象であった。境内の中には、小さな寺院が多くあったが、本堂とのつながりがあまりよく分からなかったので、どのような関連性があるのか説明が欲しいと感じた。 信濃国分寺の建立は推定室町中期で、昭和7年から解体修理が行われた。その時に、三重塔古心柱も取り換えが行われ、その柱が2023-11-30
45北向観音北向観音平安時代初期に比叡山延歴寺座主慈覚大師円仁が開いた霊場である。北向きの本堂は全国でもほとんど例がなく、南向きの善光寺本堂と相対している。「極楽浄土」を願う善光寺と両参りし、ここで、「現世利益」を祈ることで、御利益があるとされている。 境内に入る前に商店街があったが、平日だったため、あまりお店が開いていなかった。いつ来た観光客でも楽しめるように活性化を目指すべきだと感じた。また、別所温泉地域全体で坂道や狭い道が多い印象だった。 北向観音と善光寺の両方に参拝すると、より縁起が良いことをもっと発信することで、所温泉の集客にも繋がると感じた。そして、境内から見える景色が綺麗だったため、これもSNSなどで発信していきたいと感じた。2023-11-30
46安楽寺安楽寺曹洞宗の寺院であり、山号を崇福山、院号を護国院としている。本尊は釈迦如来で、国宝の八角三重塔があり長野県で最古の禅寺である。 本堂にたどり着くまでの道のりがとても綺麗で感動した。日差しが強い日でしたが、安楽寺周辺に来るとひんやりとした空気が流れていてとても雰囲気のあるお寺だった。2023-11-30
47信州夢殿 長福寺信州夢殿 長福寺信州夢殿は昭和17年に篤い観音信者で建設されたお堂。八角のお堂は「信州夢殿」と称され、奈良法隆寺の夢殿完全二分の一に写し当時の匠の技が結集された昭和を代表する建築である。 長福寺に入り左側の小道を進んだ先にある、この信州夢殿は少しわかりにくい場所にあるが美しい形をした建物であり日本遺産にもなっている。2023-11-29
48狭く急な坂狭く急な坂別所を歩いてみると、狭い道や急な坂が多くあると感じた。観光客の年齢層が日本遺産に登録されている寺院は多くあるが、観光客の年齢層が高く、そこまで行くのに苦労すると思うので、観光バスを用いたツアーを用意しても良いと感じた。別所温泉へ観光に来た人が車移動だった場合、とても運転しずらそうな道であるため、上田電鉄の本数を増やすか、ミニカーでの訪問を進めるなどの工夫が必要だと感じた。2023-11-29
49別所温泉駅別所温泉駅別所線の鉄道施設は、蚕都上田を支えた鉄道網のうち唯一現役で、日本遺産に登録されている。実際に行ってみると、レトロな雰囲気を味わえる造りになっていると感じた。 しかし、別所温泉を通る電車の本数が少なく交通の便が良くないので、本数を増やしてほしいと感じた。2023-11-29
50加古池加古池上田市保野にあるため池。時期になると蓮の花が咲くらしい。しかし、この池の蓮がいつ頃、どうして育ったかは分かっていないそうだ。池の中には、植物の枯れた茎のようなものが沢山生えており、恐らくそれが蓮なのだろうと感じた。池の周りはウォーキングコースになっていた。蓮の花が咲く頃にその道を歩くと心地いいだろうなと思った。2023-11-28
51北向観世音道(別所街道)北向観世音道(別所街道)塩田平保野辺りをはしる別所街道を一本南にずれると、そこには旧別所街道が通っている。この石碑が置かれている場所は(昔の)別所街道と善光寺街道が交差した地点で、市が立ち並び賑わったようだ。 あの武田信玄がこの地を治めた時代があったようで、信玄は保野の3集落をこの道沿いに集め、宿場風の街にしたと伝えられているそうだ。 上田築城以降は上田城下から別所温泉までの重要な交通路となり、湯治・観音様詣、そして集落に繋がる生活道路として使われたようだ。 保野、そして別所街道に、中世から続くこのような歴史が存在したことを知らなかった。たくさんの人がこの道を往来していたこと、そして今も大事に使われていることを感じながら、実際にこの道を通って、別所温泉を訪れるのもよいだろう。2023-11-28
52泥宮泥宮日本遺産の泥宮。 周りには人気がなく、交通量の多い道路も少ないため、静かに楽しめます。 山々が360度見渡せるため、とても景色が良く、穴場スポットです。 別所線に乗っていける距離であるため、観光客も楽しめます。 上田市には多くのため池があります。2023-11-27
53大門通り大門通り別所の北向観音へと続く大門通り 大門通りに行くまでの道にある「北向観音」の文字と門2023-11-22
54信濃国分寺史跡公園信濃国分寺史跡公園国分寺史跡公園は実は国分寺の遺構を埋め戻して作られた。 5,5ヘクタールもある。写真を撮り忘れてしまったが信濃国分寺にも訪れた。 信濃国分寺は聖武天皇の勅願によって741年に建てられたとても歴史のあるお寺。 信濃国分寺は薬師如来を安置する本堂をはじめとした堂塔伽藍がそろっている。縁日も開かれており人や屋台でにぎわっていた。その他にも節分などの行事も開かれていて多くの人が訪れている。 三重塔は国指定の重要文化財にもなっている。 信濃国分寺は信濃の国の鎮国道場だった。 歴史が深く三重塔などは江戸末期のものとされている。 蘇民将来のお守りは家々の息災安穏と繁栄を願う。2023-11-21
55別所線の鉄道施設別所線の鉄道施設別所線駅に足を運んでみました 駅では袴を着た女性が出向かてくれて驚きました 昔にタイムスリップしたかのような雰囲気のある駅でした2023-11-20
56上田駅上田駅上田駅は、北陸新幹線やしなの鉄道、別所線があり、毎日多くの人が通勤・通学に利用しています。 中でも、別所線では日本三御湯の一つである別所温泉に行くことができ、観光客も多く訪れています。 上田駅からは北陸新幹線で東京などの遠い場所に行くことが出来たり、別所線で自然を感じることができます。2023-11-20
57DA学会地域アーカイブ企画セッション2023/11/11DA学会地域アーカイブ企画セッション2023/11/11デジタルアーカイブ学会第8回研究大会2日目の11/11(土)、地域アーカイブ企画セッションが開催されました。50名を超える参加者があり、充実した情報交換がなされました。 【セッションタイトル】 「地域のアーカイブの構築と活用、人材育成〜地域のアーカイブが、デジタルアーカイブを進めるにあたって〜」 【セッションのねらい】 本セッションにおいては北陸各地域のデジタルアーカイブの取り組みを実践者から直に報告いただき、地域アーカイブの困難、課題は何か、どうすると利用されるものになるか、地域アーカイブを育てていくには何をすることが解決策になるかを考える。 ■開催日時 11月11日(土)10:00~12:00 ■開催場所 金沢未来のまち創造館多目的室2 ■運営責任者 宮本聖二 立教大学大学院 ■登壇者(敬称略) 司会進行:宮2023-11-14
58DA学会発表「地域デジタルコモンズで拓く知識循環型メディア環境」(2023)DA学会発表「地域デジタルコモンズで拓く知識循環型メディア環境」(2023)▲研究発表資料(PDF) デジタルアーカイブ学会第8回研究大会/一般研究発表 2023/11/10 発表会場:石川県立図書館 前川道博/[B11] 地域デジタルコモンズで拓く知識循環型メディア環境:オープンプラットフォームによる地域アーカイブ化支援を目指して 同予稿2023-11-13
59中野前池中野前池 別所線中野駅の近くにあるため池。距離自体は近いが、直通の道がなく遠回りが必要となる。  雨の少ない時期であったためか、干上がっている部分が多かった。撮影時は雨が降っていたのだが。2023-11-10
60風情ある道風情ある道別所神社や常楽寺に至る石畳の道です。地域住民の家々の間を通るように伸びていることが分かるかと思います。 地域文化の中に寺社が密着していることを再認識しました。2023-10-31
61別所神社参道別所神社参道厳かな雰囲気の別所神社の参道です。 鳥居をくぐるとすぐにこのような山道が出現します。 竹林に囲まれ、別世界に入り込んだような不思議な感覚を覚えました。 この参道から俗世界を離れて神の領域に入ることができます。2023-10-31
62【第8弾移動企画シリーズ 諸ものがたり ~純水館・名前の由来~】【第8弾移動企画シリーズ 諸ものがたり ~純水館・名前の由来~】2023/10/29開催 【第8弾移動企画シリーズ 諸ものがたり ~純水館・名前の由来~】 主催:糸のまち・こもろプロジェクト 共催:諸公民館 お問い合わせ:事務局 栁沢浩一(090-7265-1315) 後援:信濃毎日新聞社・小諸新聞・東信ジャーナル社・小諸市教育委員会・(株)コミュニティテレビこもろ・(株)純水館・純水館資料館・氷風穴の里保存会・週刊さくだいら 【内容】 「諸を語り唄~絹の奏で 坂本 明央氏(津軽三味線奏者)」  坂本 明央氏は青森県北津軽郡坂柳町出身。民謡全国大会連続優勝後、クラウンレコードよりデビューし、全国ツアーを開催。津軽三味線名人藤田淳一師の門下生となり、日本コロムビアより「津軽を弾いて津軽を唄う」を発売。平成12年に小諸市に移住、津軽じょんがら座を設立。現在も公演を続け、三味線や民謡の指導を行っている2023-10-29
63学生の地域探究テーマ2023学生の地域探究テーマ2023【第3回課題10/19】信州上田学2023/マイサイトと探究テーマ  ▼社会福祉学部学生 1 長野県の自然 2 蚕都上田はどのようにして生まれたか 3 上田の地域の特徴から、福祉に活用できる社会資源を考える。 4 上田にある文化財について 5 上田市の特産物にはなにがあるのか、特産物と気候や地形との関係、特産物を使った料理について 6 上田市の食とそこから見る地域の特性 7 上田城の季節による変化 8 食と福祉(飲食店と社会福祉施設、養護施設との連携) 9 真田幸村と上田の関わり 10 なぜ上田には晴れが多いのか 11 別所温泉の自然風景とその風景に関する歴史学的・地理学的な知識 12 上田と福祉について 13 上田市内の地区の名前の由来について 14 上田市は子育てや生活をする上で、便利な地なのかどうか 15 上田市の子ど2023-10-29
64【上田市の銭湯】①柳の湯【上田市の銭湯】①柳の湯皆さん、銭湯に入浴したことはありますか? 銭湯というと、富士山の壁画が描かれた、東京の大きな下町銭湯を思い浮かべる人が多いと思います。ここでいう銭湯とは、法律で定められた一般公衆浴場のことです。 ここ上田市にも、地域に根付いた街のお風呂屋さん、銭湯が2軒あります。今回は、柳町(中央4丁目)の「柳の湯」さんをご紹介します。 柳の湯は、北国街道柳町の外れにあります。路地を歩いていると、「湯乃柳」と右書きの文字と看板建築が目に入ります。玄関に入りますと、右手が男湯、左手が女湯になっています。木戸を開けてさっそく中に入ってみましょう。 入るとすぐ番台があり、ここで料金を払います。脱衣場で服を脱ぎ、さっそく入浴です。浴室は広く、奥に2つ浴槽があります。両脇にはシャワーとカランがあり、椅2023-10-27
65上田市のラーメン屋上田市のラーメン屋最初の投稿は、私がおすすめするラーメン屋の一つである「はっちゃき」という場所の味噌ラーメンです。 はっちゃきという店名は、北海道弁の元気に頑張ることを意味し、店内のスタッフもイキイキ元気で、気配りが行き届いているお店です。 こってり、あっさり、とんこつと、様々な種類があり、私がアルバイト終わりによく行きますが、全然飽きません。 定食メニューやセットメニューも豊富です。ここのチャーシュー小丼がとてもおいしいので、ラーメンとセットで食べるのがおすすめです。2023-10-23
66藤本蚕業/史料を見合おう会10/22藤本蚕業/史料を見合おう会10/2210/22(日)午後、藤本蚕業歴史館で「藤本蚕業/史料を見合おう会1stトライアル」を実施しました。ハイブリッドで文書館に気軽にアクセスできるようになり、場所を問わず、閲覧したりみんなで見合えたりしたらぐっと利便性が高まります。史料の利用可能性が広がります。 「史料を見合おう会」は、そのようなアクセスの壁をなくし、むしろ遠隔地からでも資料館に居るかのように閲覧を共有体験できたら、資料館の物理的制約を超え、みんなで楽しく史料が見合えたらいいよね、というリクエストに応えるものです。Webカメラ、マイク、Zoomがあれば場所を問わずどこからでも実施できます。 1stトライアルではどんな感じでできるのかをトライしました。前半(Part1)の様子を録画したのでご覧ください。 最初の約25分はイベントの2023-10-23
67花火を楽しむ会花火を楽しむ会10月10日に上田道と川の駅で開催された「第4回花火を楽しむ会」に行った時の写真です。2023-10-23
68北向観音へと続く道北向観音へと続く道参道の両側にお店があるのがとても観光地という感じがして良かった。2023-10-21
692019年、台風19号/崩落した鉄橋と跡形もない河川敷の森2019年、台風19号/崩落した鉄橋と跡形もない河川敷の森台風19号の大きな衝撃の一つは別所線の鉄橋の崩落です。2019/10/13、全国にも大きく報道されました。鉄橋は崩落したものの堤防は間一髪のところで崩壊を免れています。もしこれが崩落したら広大な川沿いの住宅地が浸水被害になるところでした。この画像はそれから数日後10/19の記録です。 ここで注目いただきたいことは河川敷にあった樹木の森が全く消滅していることです。数多くあった大きな樹木が根こそぎ流され、堤防や鉄橋に激しく衝突した結果、堤防と鉄橋の崩落をもたらしたのではないかと推察します(誰も崩落の要因を語る人はいませんが)。2023-10-16
70信州シルクストーリー《千曲川流域編》信州シルクストーリー《千曲川流域編》シルクロード長野ネットワークが「信州シルクロード」の観光資源、産業遺産を広く知っていただくために作成した冊子。物語を活用して信州シルクロードのより一層の観 光資源の意味付け、魅力ある観光地の創造を目指して作成した。 ●内容(目次) 小諸 小諸のシルクストーリー    小諸のシルクスポット 酢久商店、氷風穴 上田 上田のシルクストーリー    上田のシルクスポット 信州大学繊維学部講堂、旧常田館製糸場 松代 松代のシルクストーリー    松代のシルクスポット 旧横田家住宅、松代まち歩きセンター 須坂 須坂のシルクストーリー    須坂のシルクスポット 須坂クラシック美術館、臥竜公園 温泉街にもシルクストーリー? 別所温泉  別所温泉のシルクスポット 倉澤家蚕室、氷沢風穴 その他のシル2023-10-16
71蓼科高校「蓼科学」プレイバック蓼科高校「蓼科学」プレイバック蓼科高校「蓼科学」の授業記録や高校生たちの学習成果であるアウトプットは主に以下の2つのサイトから公開しています。 ★地域学習アーカイブ 蓼科学2015~2019を個別に蓄積。 ★みんなでつくる蓼科学アーカイブ 蓼科学2020~2022の成果を蓄積。 蓼科高校の地域科目「蓼科学」は、長野大学と蓼科高校の高大連携講座として位置付けられ、長野大学が蓼科高校に出前講座を提供するという形で実施されてきました。私は2015年から2022年まで8年間にわたりその担当をしました。「蓼科学」はカリキュラムの見直しにより2022年度が最終年度となり現在は終了しています。 日頃、大学生とゼミや授業で接してはいますが、高校生と直接対峙する機会はなく、私にとっ2023-10-10
72前川道博/信州シルクロード@キモノマルシェ2023前川道博/信州シルクロード@キモノマルシェ2023 前川道博(長野大学教授)/ミニ発表「信州シルクロード」 2023/10/01 キモノマルシェ2023 in 信州上田「信州の蚕糸を知ろう」ブース(ゆたかや2階)2023-10-10
73蚕都上田マップ1【市街地】蚕都上田マップ1【市街地】 城下町であった上田は北国街道の宿場町でもあった。江戸時代後期以降の蚕種業、製糸業の発達によって市制を施行した上田市(1919年~)は蚕都と呼ばれるようになった。 (マップ解説文から編集) 基図『上田市全図』(上田市役所, 1928年) 制作 蚕都上田プロジェクトマップ部会 発行日 2010年3月31日2023-10-05
74「蚕都上田マップ」長野大学附属図書館に設置「蚕都上田マップ」長野大学附属図書館に設置長野大学附属図書館の地域資料室に「蚕都上田マップ」を設置しました。地図は2種類あります。横1.8m/縦2.8mの巨大マップです。それぞれのPDFマップは下のリンクからも参照できます。 ★市街図(明治~昭和) 1928年(昭和3年)の「上田市全図」に土地利用を色分け蚕糸業スポットをポインティングしました。蚕糸業で栄えた上田の絶頂期の記録です。 ★上小地域(明治~昭和) 日本一の蚕種製造地であった塩尻地区、製糸業で栄えた丸子地区にフォーカスを当てています。 これらのマップは蚕都上田プロジェクト(代表:前川道博)が2010年に作成したものです。当時日本地理学会会長だった斎藤功先生(故人、当時は環境ツーリズ2023-10-04
75鬼怒川は絹川?鬼怒川は絹川?北関東自動車道を茨城から栃木方面へ。途中、鬼怒川を越えます。河川敷が広い! この橋の地点は栃木県上三川町になります。結城紬でも知られる結城地方はこの地点より南にあり、日本で最も古い養蚕の地とされています。 蚕の化身・黄金姫が海からこの地域にやってきたと言う伝説があります。暴れ川の鬼怒川は鬼が怒る川と書きますが、元々は絹川ではなかったかとの説があります。鬼怒と絹は大違い。できれば鬼怒でなく絹としたい。2023-09-27
76上田から望む北アルプス上田から望む北アルプス上信越自動車道の下りの進行方向・真正面に北アルプスの山々が見えます。上田菅平ICの1kmぐらい手前の地点です。上田は周辺が低山で囲まれ、このような高い位置からでないと北アルプスは見えません。 夕焼けの情景と重なり、北アルプスの山容がまるで絵画に描いたかのような芸術的なパノラマとなって展開していました。ビューティフル! 一番特徴的な山は槍ヶ岳。一際尖って見えます。その左に見える高い山は常念岳です。2023-09-27
77海野宿、宿場から蚕種製造地へ海野宿、宿場から蚕種製造地へ中山道の宿の一つ、海野宿は重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に指定されています。江戸時代は宿場として栄えましたが、明治期に入ると宿場としての役割は終わり、それぞれの家は蚕種製造民家として新たな形成が図られました。 明治20年代に多くの家屋が建て替えられています。宿場と解釈される方が多いですが、現在の街並みは蚕種製造民家群が残されたものです。ウダツが上がっているのも特徴です。信州蚕糸業遺産として広く知られて欲しい歴史遺産です。2023-09-23
78信州蚕糸業遺構、和田峠信州蚕糸業遺構、和田峠下諏訪町と長和町の境界にある和田峠と和田トンネル。現在、国道142号線はバイパスされ新和田トンネルを経由するため、通常迂回しなければ旧和田トンネルを通ることはありません。 この道は国道の旧道であるだけでなく、明治初期に車が通行できるよう勾配を計算して開削された道路です。旧中山道に並走しています。トンネルが開通したのは1933年です。トンネル脇の土手に彫り込まれた道筋の跡があります。これがその開削路です。当時、諏訪方面の生糸はこの和田峠を越え、小県を経由して横浜まで運ばれました。信州蚕糸業遺産として記憶すべき歴史的遺構です。2023-09-23
79解体された大屋駅解体された大屋駅しなの鉄道の大屋駅が解体され建て直されます。5月1日に訪れた際にはまだ古い駅舎のまま残っていました。 ★解体前の大屋駅 2023/05/01 この日7/21に訪れた時には完全に解体されていました。駅舎は完全に取り壊され、大屋駅建設を記録した石碑のみが残されています。駅舎部分の基礎工事が行われている段階でした。2023-09-23
80ソリレスソリレスたまにしか来れない上田ですが、せっかくなので美味しいお店を探します。東御のヴィラデストさんが貸切で予約できないとなり新たにお店を探したところ、ありました! 眺めのよい素敵なレストラン。 とても急な坂道を上がってたどりついた先は上田市を見渡せるテーブル3~4席のオープンキッチンです。 もとヴィラデストさんで活躍されていたシェフのお店だそうで、シェフお一人とマダムとで、さりげなくも心地よい接客で、居心地よかったです。お料理も素材にこだわり、本格的で洗練されていて、大満足。是非また来たいお店でした。 ワインも充実したお店のようですが、あまり飲まない派なので、エルダーフラワーのスパークリングに。 写真は、前菜2品目のモンサンミッシェルのムール貝、白ワインとソースで美味しかったです。こ2023-09-01
81「地域デジタルコモンズが拓く地域づくり/地域学習の包摂的融合」(2023)「地域デジタルコモンズが拓く地域づくり/地域学習の包摂的融合」(2023)日本教育情報学会 第39回年会 地域デジタルコモンズが拓く地域づくり/地域学習の包摂的融合 d-commons.netによる主体的/協働学習の実践を通して 2023/08/27 前川道博2023-08-27
82土浦駅近くの新築マンション土浦駅近くの新築マンション変わりゆく都市環境。中心市街地の中心商店街がマンション群に変わりつつあります。 土浦駅近くには、ここ1、2年の間に新築のマンションが2棟建ちました。1棟(A)は遠くからでもよく見える高い建物。背後に見えるソリッドタワーに次ぐ高さです。もう1棟(B)はその向かいに立つマンション。この画像にはごく一部だけ写っています。 Aはかつてのイトーヨーカドーの跡地です。その後建物は取り壊され、久しく駐車場となっていました。私もここに車を停めたことがあります。Bは線路に面しています。土浦市立図書館(アルカス土浦)のすぐ隣に並んで建っています。ここはもしかすると関東鉄道筑波線のホームのあった場所ではないかと推察をします。2023-08-22
83霞ヶ浦のワカサギ不漁霞ヶ浦のワカサギ不漁私にとってはソウルフードでもあるワカサギ干しを地元土浦で久しぶりに買いました。さすがにこの味、懐かしく口に馴染みます。 土浦ピアタウンにある川魚店「出羽屋」で購入。霞ヶ浦産のワカサギはほんのわずかで「秋田産」が売られています。販売個数も「お一人様2個までの販売とさせていただきます。」との但し書きも。その後、スーパーの店頭に並んでいたワカサギ干しも秋田産でした。 ▼霞ヶ浦北浦におけるワカサギ漁獲量の推移(茨城県農林水産部, 2023年) この統計を見るとワカサギ漁獲量が激減し2022年(令和4年)は17トンにまで減少しています。 ワカサギの漁獲量が減った原因ははっきりしていないということです。この統計データを見ると県別では茨城は青森2023-08-15
84常盤街の歴史 昭和45年から昭和49年まで常盤街の歴史 昭和45年から昭和49年まで昭和45年 1   自治会会則が一部変更し、監事2名を置く。 9   「これからの親と子のあり方」の講習会を開く。     講師は上田三中校長黒坂周平氏。 10   西小・三中PTA支部廃品回収を実施、収益金20,884円 11   新上田橋が完成する。 昭和46年 9    敬老会を市老人福祉センターで開く。米寿会員33人出席。 10   常盤町簡易郵便局が開局する。 10   上田市交通安全協会鎌原支会の分会として常盤町分会が設立される。 10   自治会館南側の道路を日曜広場として利用し始める。 12   町婦人部主催で金子康夫さん撮影の8mm映画「常盤町の誕生より今日まで」の上映会を開く。 12   団地南端の交差点(山寺さん宅前)へカーブミラーや「止れ」の交通標識が建つ。 12 2023-08-09
85常盤町の歴史 昭和40年から昭和44年まで常盤町の歴史 昭和40年から昭和44年まで昭和40年 1   新年の賀詞交換を行う。(以後毎年実施している。) 3   太郎山に山火事が発生して4時間余り燃え続け自治会館が消防詰所となり、炊き出しをする。 8   台風のため町内にも被害が発生する。 昭和41年 3   町内道路舗装促進の陳情書を市に提出する。 3   郵便ポスト設置実現の陳情書を上田郵便局へ提出する。 6   急行バスの生塚停車実現の陳情書を川中島バス会社へ提出する。 12  社会部と西小PTA支部共催で「ママポリスさんと語る夕べ」が開かれる。 12  道路簡易舗装第1期工事180mが団地入り口から始まる。 昭和42年 2   山火事が発生し、3時間余り燃え続ける。 3   町内下水路改装(100万円)がしゅん工する。 4   米寿会(初期は老人クラブと称した)2023-08-09
86常盤町の歴史 昭和35年から昭和39年まで常盤町の歴史 昭和35年から昭和39年まで今回の「常盤町の歴史」では、常盤町創立(昭和35年)から平成3年(「常盤町30年のあゆみ」に記載されている範囲)の範囲内を可能な限り記す。内容に関しては私個人が重要な事を抜き出し及び文章を変更して記載すると事実と異なる内容となる危険性があるため、記されている内容をそのまま記載する。尚、該当ページは第3章常盤町30年のあゆみ、第1節常盤町30年の沿革表が記されている77頁~100頁である。文量が多いため、5年毎複数のページに分けて記載する。 昭和35年 12  県企業局より住宅団地造成計画のあることが地元(生塚区)に示される。 昭和36年 2   このころから生塚区及び関係地主の対応が具体化し始め、団地造成委員会を設けたり関係地主大会も開かれ、県や市との交渉・話し合いが頻繁にも2023-08-09
87DA学会発表「地域デジタルコモンズが拓くこと」(2023)DA学会発表「地域デジタルコモンズが拓くこと」(2023)デジタルアーカイブ学会/地域アーカイブ部会 地域デジタルコモンズが拓くこと~d-commons.netによる地域課題の包摂的支援~ 2023/07/26 前川道博 ▼デジタルアーカイブ学会地域アーカイブ部会サイト シリーズ研究会 テーマ:地域デジタルコモンズが拓くこと~『光が丘デジタルアーカイブ』とd-commons.net~ (2023/7/26) ▼研究会の記録動画はコチラ(掲載元の動画を再掲)。2023-07-26
88「藤本蚕業デジタルコモンズ」の構築(2023)「藤本蚕業デジタルコモンズ」の構築(2023)研究発表 「藤本蚕業デジタルコモンズ」の構築~地域資料アーカイブの課題と活用に向けた解決策~ (2023/06/18 デジタルアーカイブ学会/第3回DAフォーラム)  前川道博(長野大学企業情報学部) 【研究の概要】 藤本蚕業歴史館(長野県上田市)は蚕種製造企業であった藤本蚕業の所蔵資料を保管する文書館である。所蔵資料は2009年、その保存整理、目録化が図られたものの、その後10数年間にわたり、活用がなされないまま現在に至った経緯がある。本研究はその資料を含めた諸資源の活用、資料のデジタルアーカイブ化に向けて取り組んだ実践的活動を報告し、デジタルアーカイブ化の課題、その解決策を提起するものである。根本的な乖離をもたらす社会的背景には、知識消費(マスコミュニケーション)型社会のレジームがデジタルアーカイブ化への2023-06-18
89小諸駅小諸駅小諸駅は長野県小諸市相生町一丁目にある、しなの鉄道・JR東日本の駅である。しなの鉄道とJR東日本の共同使用駅で管轄はしなの鉄道が行っている。 3面5線を有する地上駅であり、JRとしなの鉄道相互間の乗換えは改札を通らずに可能。互いのホームは跨線橋で連絡している。 待合室には2013年に閉店した駅そば屋の「ひしや」の味を再現した駅そば屋の「清野商店」が営業しており、かつての駅そばが堪能できるようになっている。駅舎内では地元農産物の販売も行われている。 JR東日本 - 2021年度の1日平均乗車人員は1,398人である。 しなの鉄道 - 2020年の1日平均乗降人員は2,118人である。 駅周辺には小諸市役所、小諸図書館、懐古園がある。2023-06-01
90灯籠?灯籠?道路沿いにいくつか設置されていた灯篭のようなもの。中には切り絵が入っており、デザイン性の高さを感じた。夜に点灯するのか実際に目で確かめてみたい。2023-05-16
91北国街道柳町北国街道柳町カフェや雑貨屋さんなどが並んでいる昔ながらの雰囲気のある通り 全国的に有名なお店もある2023-05-12
92おおにしおおにし北国街道柳町で見つけた外観が個性的でかわいいお蕎麦屋さん 昔ながらの雰囲気と今どきな雰囲気が混在していて不思議な空間2023-05-12
93鐵のほそ道鐵のほそ道鉄の展示館の隣に鐵のほそ道という小さな建物がありました。そこには店先に彫刻かと思うほどに動かない猫が日向ぼっこをしていました。ソフトクリームも美味しそうで今度食べてみたいと思いました。2023-05-11
94石油タンク石油タンク坂城町の国道18号を歩いているととても大きな石油タンクを発見しました。緑色で染められており真ん中にバラの街坂城と大きく書いてあり、遠くからでも坂城町と分かる建造物で素晴らしいと思いました。2023-05-11
95於佐加(おさか)神社於佐加(おさか)神社長野市を流れる犀川の南岸旧・丹波島宿の最西端に位置する神社。 丹波島宿は、善光寺街道の重要な宿場町で東西に約654mの距離がある。善光寺参りの最後の宿場であるため、参拝者や旅人たちが多く利用した。 「丹波島の渡し」の無事を祈ってこの於佐加神社に参拝した。 現在でも地元の住人が参拝している様子が見られた。 写真は於佐加神社の案内掲示板。小坂神社の外観(鳥居)。摂社。旧・丹波島宿の地図。旧・丹波島橋の一部。狛犬などである。 小学生の頃に公園代わりによく遊んだが、久しぶりに訪れたら、ブランコとジャングルジムといった遊具がなくなっていて驚いた。2023-05-11
96愛宕神社(アタゴジンジャ)愛宕神社(アタゴジンジャ)こちらの神社は上田バイパスの北側に建てられている。神社の周りは木で囲まれており、離れたところからは鳥居のみしか見ることが出来ないようになっている。鳥居をくぐると181段(著者が数えたため正確性は保証できません)の急な階段があった。高齢の方に配慮してなのか階段の東側に階段よりは緩やかな道が作られていた。 登り終えて正面には木造のほこらがあり、左手側に神社が見える。本当であれば神社の正面から撮影を行いたかったが、神社の前はこう配が急な斜面となっており、撮影することは出来なかった。神社西側の裏には石のほこらがあり一円玉のお供えがされていた。2023-05-10
97庚申塔庚申塔庚申塔は、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石碑である。 この石碑にはほかに、明治の政治家である高橋是清と板垣退助の名や、日光東照宮で有名な三猿の絵も刻まれていた。三猿については、庚申の申にかけて刻まれることが多かったという。2023-05-10
98聖・パウロカトリック教会聖・パウロカトリック教会車一台が通れるような道路を進むと教会を見つけました。西洋的な石造りではなく、日本的な木造建築となっています。外国人からもここ軽井沢が、夏場の別荘地として良い場所だと見られていたことがわかります。2023-05-10
99柳町通り柳町通り柳町通りは、古い町並みの残る城下町として親しまれています。この通りには、古民家カフェや地元の特産品を使用した食べ物のお店などが並んでいて、上田市のグルメを楽しむにはとても良いスポットだと思いました。2023-05-09
100番外編:湯の橋番外編:湯の橋大正橋からさらに堤防を通って上流へ...と進むことはせず、少し回り道して戸倉の温泉街に。 以前の上田での調査の際、入り組んだ街並みには案外面白い発見があると学んだため、いざ温泉街へ。 そこで見つけたのが、この「湯の橋」。温泉に相応しい名前ですね。橋と言って良いのかと首を傾げるくらいにはこぢんまりとした橋でしたが、下を覗くと蔦まみれの建物に草の茂った用水路...とレトロさが味わえてなんとも気に入ってしまいました。 風景をより魅力的にする、というのも橋の利点なのかもしれません。2023-05-07
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