| 写真 | タイトル | 説明 | 登録日 |
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1 | | 那須与一ゆかりの地 | 那須与一のゆかりの地は各地にあります。今回は3つ紹介します。
1つ目は栃木県大田原市にある『玄性寺』です。境内には与一をはじめとする那須一族の供養塔が残っています。また、矢剪石という巨石があり、与一が扇の的を射抜いた時、この石に亀裂が走ったと言われています。
2つ目は京都府京都市にある『即成院』です。突然病に倒れた与一は即成院で療養しました。熱心な祈願により病が治り、功績(扇の的)をあげることができた与一は、その後も即成院で生涯を終えたと言われています。与一のお墓があります。
3つ目は香川県高松市牟礼町にある『祈り岩(駒立岩)』です。扇の的を射る前に、与一がこの岩に向かい、「南無八幡大菩薩、別してはわが国の神明日光権現、宇都宮那須湯泉大明神、願わくはあの扇の真中射させ給えか | 2022-02-15 |
2 | | 那須与一とは | 那須与一は、『平家物語』や『源平盛衰記』に登場する武将です。与一とは10あまり1、つまり11男を示す通称となっています。その名の通り10人兄がいますが、10人のうち9人が平氏の味方となり、残る1人も罪を得てしまったため、与一が家督を継ぎました。その後与一は彼らに那須各地を分地します。屋島の戦いにて扇の的を射ったことで有名です。
誕生日は不明で、京都伏見にて病死、即成院に埋葬されたと伝えられています。しかしその年月日は史料により異なり、那須系図(那須隆氏蔵)、那須拾遺記によると1189年8月8日、那須系図(続群書類従)によると1190年10月となっています。
那須与一が頼朝より与えられたと伝えられる荘園は以下の五つです。
・丹波国五賀庄(京都府船井郡日吉町)
・信濃国角豆庄(長野県松本市、塩尻市)
・若狭国東宮 | 2022-02-15 |
3 | | 大洗町の地域イベント | 大洗町の事例研究として、大洗町で過去に行われていた地域イベントを調べるために現地調査に訪れました。
シーサイドステーションで聞き込みを行ったところ、ビーチでヨガをするイベントや海のイルミネーション、海岸で星空を鑑賞するイベントが行われていたことがわかりました。
また、それらの参加人数や参加者への聞き込みを続けていこうと思います。 | 2022-02-14 |
4 | | 善光堂 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
5 | | マジックミシン | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成16年の新アーケード建設後、二枚目が平成11年のアーケード取壊し前、三枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
6 | | ポケットパーク | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
7 | | ムラタ靴屋 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
8 | | 梅花堂 寺島理容館 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二.三枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
9 | | 白木屋 魚民 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二.三枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
10 | | ルイ,サンク | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
11 | | MARUGEN はなおかストア | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
12 | | 上田デパート | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
13 | | やおふく 小波 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
14 | | 宮尾眼鏡店 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
15 | | 富士アイス 松田時計店 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一、二枚目が平成11年のアーケード取壊し前、三枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
16 | | 海野町会館 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
17 | | カメラ東京 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
18 | | キムラ自動車商会 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
19 | | セシモ洋服店 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成16年の新アーケード建設後、二枚目が平成11年のアーケード取壊し前、三枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
20 | | つかだ電機 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
21 | | 海野町ふれあいホールちょこっと | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成16年の新アーケード開設後、二枚目が平成11年のアーケード取壊し前、三枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
22 | | うえしん海野町支店 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-13 |
23 | | まとめ | ここまでを述べ、無電柱化をなぜ上田市が推進しているのか?そのメリットは理解していただけたと思う。
しかし、ただ闇雲に無電柱化を推進していくのはまた違う。この上田という歴史や自然豊かな場所だからこそ、無電柱化という言わば地域を大切にする取り組みからさらに地域の人々が自分たちの住む町に対して思いやりを持つ場所にこの上田地域がなることを目指し、この上田をもっと美しく誇りをもつことを願う。 | 2022-02-12 |
24 | | Twitter運営の経過報告 | Twitterでの活動として、
大洗の写真展(https://twitter.com/oarai_photo)というアカウントでの活動を行っています。
フォロワーは839人になりました。
こちらのアカウントでは、大洗町に関連する人々がどのような情報をどの程度の頻度で発信しているかや、どのようなコミュニティが形成されているかといった研究のためのアカウントです。
私の今年度のアウトカムの一つであるため、掲載いたしました。 | 2022-02-10 |
25 | | 上田紬×町歩きイベント実行委員会 | 上田紬×街歩きイベント実行委員
大学生が実行委員となり、上田紬を着て柳町や上田城跡公園で街歩きをするイベントを開催している。
こういった上田紬が現代の日常に溶け込むよう様々な取り組みが数多く行われている。特に若者に向けての着付けのイベントや、上田紬が使われた小物などの販売が多い。若者をターゲットにすることで質の良い紬の良さがSNSなどで広まり、良い宣伝効果になるだろう。しかしまだまだ上田紬の認知度は低い。認知度をあげるには、実際その質の良さや繊細な作りを肌身で感じてもらえることがやはり大きいと考える。ゆえに着付けのイベントは普段味わえないことが楽しめる貴重なイベントだと感じる。また一回きりで終わるのではなく、リピートしてもらうことも大切だ。例えば二度目以降の参加で着付けの料金割 | 2022-02-09 |
26 | | 5 当時の上田市について | 上田市の文化的特徴と言えばやはり「蚕都」として発展した点です。
養蚕業、製糸業を始め関連産業が好況で、桑園も拡大していき、多くの住民が蚕中心の生活をしていたのだと思われます。また、こういった街の繁栄は演劇等の娯楽にも広がり、演芸館・劇場が建つこともありました。さらに、市民の生活用品である酒類・醤油・味噌を扱う店、綿糸・染物を商う店、魚・金物・雑貨を商う店が集まり、上田の町の繁栄を支えていました。
観光の面でも産業の面でも古くからにぎわっていた街であり、また別所温泉などの温泉宿も多くあったため、観光地としても発展していたのではないでしょうか。
信州最古の温泉である別所温泉は明治時代にはすでに年間宿泊、入浴客数が2万人を超えており、大正時代には観光旅館として設立し温泉収入が別所 | 2022-02-09 |
27 | | 上田紬について④ | 上田紬の現在
上田紬はまだまだ認知度が低い。しかし現代で上田紬が親しまれるように、以下のようなものが行われている。
○上田紬イベントのインスタhttps://instagram.com/kimono_ev?utm_medium=copy_link
〇サントミューゼ
好きな色の糸を使いオリジナルコースターがつくれる上田紬の手織り体験ワークショップhttps://www.santomyuze.com/museumevent/morris_uedatsumugi/
〇小岩井紬工房
キモノマルシェや着物塾など、年間を通して様々な世代の人と関われるイベントを開催している。このキモノマルシェでは長野大学や信州大学の繊維学部など多くの大学生も参加した。
http://www13.ueda.ne.jp/~koiwai-tsumugi/ibent.html
https://ueda-navi.jp/archives/614
〇上田紬×街歩きイベント実行委員
大学生が実行委員となり、上田紬を着て柳町や上田城跡公園で街歩きをするイベントを開催してい | 2022-02-09 |
28 | | プロジェクト研究発表①~⑬と各アウトカム(前川ゼミ2021) | 長野大学前川ゼミ(企業情報学部科目「プロジェクト研究」)
オンライン発表会 2022/01/31ゼミ時間帯に実施
発表①~⑬+講評
▼2・3年生
★プロ研6「海野町レトロ写真館」(発表者:足立光紅)
★プロ研7「西部地域の地域づくりに向けた支援」(発表者:飯髙綾)
★プロ研8「大洗型地域振興事業推進仮想モデルの作成」(発表者:高山大和)
★プロ研9「山本鼎の部屋資料のデジタ | 2022-02-09 |
29 | | プロ研⑪鈴木梓「立科町の魅力を発信できる仕組みづくり」(前川ゼミ2021) | 長野町立科町の魅力を地域の人が外部に発信できるような仕掛けづくり
10分
▲クリック/タップして発表動画をご覧ください。
発表:2022/01/31 オンライン発表
発表者のマイサイト(プロジェクト研究のアウトカム)
発表者(学生):鈴木梓(長野大学企業情報学部3年)
(ゼミ担当:前川道博@長野大学企業情報学部) | 2022-02-08 |
30 | | プロ研⑥足立光紅「海野町レトロ写真館」(前川ゼミ2021) | 7分
▲クリック/タップして発表動画をご覧ください。
発表:2022/01/31 オンライン発表
発表者のマイサイト(プロジェクト研究のアウトカム)
発表者(学生):足立光紅(長野大学企業情報学部3年)
(ゼミ担当:前川道博@長野大学企業情報学部) | 2022-02-08 |
31 | | 上田紬の現在 | 上田紬の現在
上田紬はまだまだ認知度が低い。しかし現代で上田紬が親しまれるように、以下のようなものが行われている。
○現代の上田紬イベントのインスタhttps://instagram.com/kimono_ev?utm_medium=copy_link
上田紬の魅力をもっと知ってもらうために
サントミューゼ
好きな色の糸を使いオリジナルコースターがつくれる上田紬の手織り体験ワークショップhttps://www.santomyuze.com/museumevent/morris_uedatsumugi/
小岩井紬工房
キモノマルシェや着物塾など、年間を通して様々な世代の人と関われるイベントを開催している。このキモノマルシェでは長野大学や信州大学の繊維学部など多くの大学生も参加した。
http://www13.ueda.ne.jp/~koiwai-tsumugi/ibent.html
https://ueda-navi.jp/archives/614
上田紬×街歩きイベント実行委員
大学生が実行委員となり、上田紬を着て柳町や上田城跡公園で | 2022-02-08 |
32 | | 上田紬の現在 | 上田紬はまだまだ認知度が低い。しかし現代で上田紬が親しまれるように、以下のようなものが行われている。
○現代の上田紬イベントのインスタhttps://instagram.com/kimono_ev?utm_medium=copy_link
上田紬の魅力をもっと知ってもらうために
サントミューゼ
好きな色の糸を使いオリジナルコースターがつくれる上田紬の手織り体験ワークショップhttps://www.santomyuze.com/museumevent/morris_uedatsumugi/
小岩井紬工房
キモノマルシェや着物塾など、年間を通して様々な世代の人と関われるイベントを開催している。このキモノマルシェでは長野大学や信州大学の繊維学部など多くの大学生も参加した。
http://www13.ueda.ne.jp/~koiwai-tsumugi/ibent.html
https://ueda-navi.jp/archives/614
上田紬×街歩きイベント実行委員
大学生が実行委員となり、上田紬を着て柳町や上田城跡公園で街歩きをする | 2022-02-08 |
33 | | 観光地図について | 「大洗町に訪れる観光客がどのようなルートを通って観光するのか」について調査する方法の一つとして、大洗町の地図に着目しました。
写真は大洗駅前の地図になります。
この地図を見て旅の計画を立てる観光客も多いでしょう。
そう考えるとこの地図が非常に偉大なものに見えてきました。
このようなことを考えていましたが、それと同時に、地図には柔軟性が必要であるなと感じました。つまり、容易に変更点を追加できることです。やはり町内の環境といえど変わりゆくものです。そうなればその変化に合わせて変更を加えていくことは必須でしょう。その地に詳しくない観光客への案内ならなおさらです。
それはやはり、インターネト上での地図でしょう。
これからは駅前には地図と一緒に地図のQRコードが掲示され、それを読み込 | 2022-02-08 |
34 | | 大洗カオス | 大洗町のコワーキングスペースに「大洗町の地域活動団体」についてのお話を伺いに行った際、「大洗カオス」という団体の話をお聞きしました。
フォトコンテストなどを開催しており、様々な職種の方が所属しているとのことです。
海を撮影してはいけない海のフォトコンテストなど、非常に興味深いイベントを開催しているとのことでした。 | 2022-02-08 |
35 | | 観光客の憩いの場 | 観光客同士のコミュニティの形成について調査するために現地を訪れました。
観光客の憩いの場、という単語がすでに面白いものですが、大洗町には観光客が立ち寄り、観光客同士のつながりが生まれやすい地域です。
それはこの写真のように、各店舗の飲食スペースが一つの交流の場となっており、大洗町が観光客のコミュニティを作っているからであり、これは大きな特徴であると考えています。 | 2022-02-08 |
36 | | 大洗の子供たち | 大洗町に幾度となく通う中で、長い間疑問に思うことがありました。
それは、大洗の子供たちの遊び場です。
大洗に訪れた際、私は子供たちの姿を見たことがありませんでした。
実際、大洗町の中にゲームセンターなどといったアミューズメント施設はほとんどありません。
しかし、最近現地で出会った方との会話の中で、カジキミュージアムという施設で子供たちが集まってゲームをしていたという話を聞きました。
聞けばこの施設のオーナーは子ども食堂のようなものを行っており、それも理由の一つではあると思いますが、今まで大洗町を観光地として見ていた中で、地元としての役割を見たようでうれしい気分になりました。 | 2022-02-08 |
37 | | 大洗サンビーチ | 大洗サンビーチについて現地取材を行いました。
その結果、このサンビーチの水位は年々減少しており、砂浜の面積が拡大していっているとのことでした。
実際、この影響により大洗町の商店街から砂浜への道のりは非常に長くわかりずらいものとなっています。
また、海と町が連結していないことは観光地としての重大な課題なのではないかと考えています。
今後も注視していきたい大洗町の課題の一つです。 | 2022-02-08 |
38 | | 大洗町の日常の異色さ | ふと街を歩いた際、目にアニメーション作品のパネルが映ることは稀でしょう。しかし、大洗町は違います。キャラクターのパネルに旗、旅館の網戸までキャラクター柄です。しかしそれが普通といった風に地元住民の方が過ごしています。私はこの異色の状態は、コンテンツツーリズムを研究する上で欠かせない要素になると考えています。 | 2022-02-08 |
39 | | 丸山商店 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。 | 2022-02-08 |
40 | | アルファ | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-08 |
41 | | いも平 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-08 |
42 | | キクチ洋装店 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-08 |
43 | | 大洗活動の始まり 草案 | 私が大洗町での地域活動を始める前、大洗町に初めて現地調査という目的で訪れる際の活動草案になります。
やりたいことを全て書き写しただけのメモ帳ですが、時々これを見ることで思い出す考え方やアイデアがあり、非常に面白いものです。 | 2022-02-08 |
44 | | 銀座食堂 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-08 |
45 | | 果てない魅力の発見 ーちゅう心ー | もう何回目かわからない、大洗町への訪問でした。
しかし、普段歩いていた商店街の脇道をのぞいてみると、
そこには「ちゅう心」というお店が存在していました。
この景色は非常にノスタルジックな雰囲気のあるもので、
まだこのような魅力ある景色が存在したということに感心しました。また、この風景を魅力であると感じたことから、地域の魅力とは果てないものなのではないかという考えに辿り着きました。 | 2022-02-08 |
46 | | 学生による地域キュレーション2021:全部①~⑱ | ▼地域キュレーション発表会記録
★テーマ①「上田と観光」(発表者:り)
★テーマ②「上田市と松川村の手当・補助の比較」(発表者:飯沢)
★テーマ③「塩田平をめぐる」(発表者:オガサカ)
★テーマ④「上田の歴史にふれる」(発表者:崔)
★テーマ⑤「山道を | 2022-02-08 |
47 | | 地域キュレーション⑰「上田城と城下町の魅力」(信州上田学A2021) | ▲クリック/タップして発表動画をご覧ください。
地域キュレーション「上田城と城下町の魅力」 (マイテーマ公開ページにリンク) 発表者(学生):ハヤト(発表者のマイサイトにリンク) 長野大学/信州上田学A2021発表会(2022/02/02オンライン実施)
(科目担当:前川道博@長野大学) | 2022-02-08 |
48 | | 海野町ふれあいサロン | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目は平成16年の新アーケード開設後、二枚目は平成11年のアーケード取壊し前、三枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-08 |
49 | | 堀内紙店 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-07 |
50 | | 仲よし衣裳店 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。
一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。 | 2022-02-07 |
51 | | 市民の日曜広場 | この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。 | 2022-02-07 |
52 | | 上田別所線の歴史 | かつて、この上田盆地には、北は真田町(現上田市)、南は丸子町(現上田市)、西は青木村と縦横無尽に鉄路が張り巡らされ、その全長は57.2kmに及びました。そうした鉄路も今や別所線11.6kmを残すのみとなっています。
これは当時の北東線 公園前駅の写真。 | 2022-02-07 |
53 | | 別所線がこれからも市民の希望をあたえる存在になるために | 平成28年町はNHK大河ドラマの影響で上田市内の観光客が激増し、別所線の輸送人員は15年ぶりに130万人に回復した。今までは「乗って残そう」だったが、これからは「乗って活かそう」をキーワードにしていく。別所線に乗って人が動くことが沿線地域の活性化につながり、地域と一体となって別所線を活かしてもらうことを目的としているという。起点の上田駅から終点の別所温泉駅、その途中駅の「地域の魅力」の掘り起こしも念頭に置いている。
このような方針でこれからも別所線は、路線維持のため努力し続けるようだ。
[参考文献]
https://www.mintetsu.or.jp/association/mintetsu/pdf/63_p26_27.pdf
[写真]
「上田電鉄は28日の運賃を無料とし、平日ダイヤで運行 乗車数に制限をかけながら、多くの乗客を運んだ」から
https://tetsudo-ch.com/11331277.html | 2022-02-06 |
54 | | 海野町レトロ写真館 | デジタルマップに投稿してある古い写真を利用して、スライドショーイベントを開催する予定です。
場所は海野町商店街にて行います。
詳細は後日投稿します。 | 2022-02-05 |
55 | | 醋屋呉服店 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-05 |
56 | | 謎の球体 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-05 |
57 | | 田園風景 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-05 |
58 | | 石柱碑 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-05 |
59 | | 気球 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-05 |
60 | | 醋屋呉服店 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-05 |
61 | | 南川久太郎氏 一同 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-05 |
62 | | 愛國(信濃) | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-05 |
63 | | 上田祇園祭 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-05 |
64 | | 上田市集会 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-04 |
65 | | 上田市の建物 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-04 |
66 | | 醋屋呉服店 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-04 |
67 | | 瀬下洋服店前 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-04 |
68 | | 旧上田図書館 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-04 |
69 | | 醋屋呉服店 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-04 |
70 | | 醋屋呉服店 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-04 |
71 | | 醋屋呉服店 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-04 |
72 | | 醋屋呉服店 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-04 |
73 | | 醋屋呉服店 | この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 | 2022-02-04 |
74 | | 六十里越街道を歩く | 2004年5月「六十里越街道を記録する会」矢野光夫氏一行と残雪の六十里越街道を歩きました。
国道112号線の月山沢トンネル左手に作業道があり、この付近より旧街道が残っている。ここから手前はダムに水没しているので、街道の跡が現存しているのは椿沢が実質の起点になっていると言えよう。この道を500mほど登ると一本木茶屋跡がある。 | 2022-02-03 |
75 | | 信州上田学Aまとめ | この目で上田の歴史に関係する展示品や町並み、建物を見ることが出来て、現在までの上田を知る良い機会が得られたと思う。ネット上でしか確認できなかったものもあるので機会を見つけてまたその場所に出向き記録を残していきたいと考えている。 | 2022-02-02 |
76 | | 調べてみて | 農民美術といっても一括りに出来ない程、様々な作品がありました。この伝統的文化をもっと皆さんに知ってもらうためにも、看板に使うなど町全体で協力しているのもとてもいいと思いました。制作体験ができる場所もあるので興味が出た方はぜひ調べていてください。 | 2022-02-02 |
77 | | 風情 | 柳町の道にちょこんと置かれたこの俳句。竹のような見た目の場所に、達筆な字で書かれた俳句が周りの景観と相まってとても趣がある。これは市民が詠んだ句だろうか。定期的にこの俳句の部分も変わったりするのなら、時々訪れてみようと思う。 | 2022-02-02 |
78 | | 別所線三好町駅近くの無電柱化の工事写真 | これらの写真は別所線三好町駅近くの電線の地中化工事を撮影したものである。今は電線が右往左往している状態だが、後々工事が終わると電線や電柱が取り払われ景観の綺麗な道路に生まれ変わる。また、写真のように無電柱化工事は歩道や道路を掘り起こすため、電線を埋める作業と同時に歩道や道路を一緒に作り変えて新しくしている所もある。
最後の写真は電線の地中化工事について呼び掛けた看板である。この看板を見ると何の工事をしているかがわかりやすく表示されており、市民の方々が見やすい工夫がされていると言える。この看板では、
・安全で快適な通行空間の確保
・都市景観の向上
・都市災害の防止
・情報通信ネットワークの信頼性の向上
が電線の地中化のメリットとして書かれている。 | 2022-02-02 |
79 | | 真田十勇士 | 真田十勇士の一人、霧隠才蔵の像。柳町の付近にあった。 | 2022-02-02 |
80 | | まとめ | 地域を調べていく中で、住んでいたが知らなかったことや、知っていたことでもその深いバックグラウンドを探求できたと思う。この講義をとらなかったらこんなに深く知ることができなかっただろうし、良いきっかけとなった。また、調べるにあたり、インターネットでも容易に検索をかけることができ、非常に便利な時代だと改めて感じたが、実際に現地に行ってみて感じたことわかったことがあった。この経験を生かし、気になったことは深く調べたいと思ったし、なにより、地域を知ることが面白いと感じた。 | 2022-02-02 |
81 | | 山ノ内の強み①温泉の数が豊富 | 九湯巡りができる9つの温泉を始め、大湯や絹の湯、さらには足湯と大きな規模に多種多様な温泉が存在する。少し離れたと所にはなるが地獄谷野猿公園に行けば猿が温泉につかる”スノーモンキー”を見ることができる。 | 2022-02-02 |
82 | | 共通点③電車が少し不便 | 私は電車を利用して探索を行ったのだが、どちらも本数が少ないこと、また、運賃が高いことがわかった。これはどちらとも私鉄であり利用者数が少ないため仕方が無いことではあると思った。利用状況について、1枚目が別所温泉駅、2枚目が湯田中駅のものである。どちらも利用者数が横ばいで少ない傾向にある。
また運賃については、上田電鉄が1キロ約49円(上田~別所温泉間)と私鉄で全国2位、また長野電鉄は約34円(長野~湯田中間)と高い水準であった。 | 2022-02-02 |
83 | | 共通点②神社やお寺が多く存在する | 探索している中でどちらとも神社やお寺が多く存在することに気づいた。私が訪れたところでも別所で4箇所、山ノ内で2箇所であった。回りきれなかったものもあるため、比較的多く感じた。調べてみると、「温泉の周辺」ではなく「山」に神社やお寺が多いということであった。縄文時代に遡るが、その時代の人々は山には神々が宿り、材料や燃料、また、食料等の恩恵を与えてくれるのは山のおかげという考え方、そして、神話で山には神々が降りる場所であるというような考えに基づき、そ信仰対象が次第に山自体になり、現在様々な神社が山にあると言われている。
参考:「見せる登山と温泉記録」https://wotcool.com/mountain-notes/mountain-faith/ | 2022-02-01 |
84 | | 共通点①駅舎が似ている | 上が別所の駅舎、下が山ノ内の旧駅舎である。私はこの二つの駅舎がとても似ているように感じた。
調べてみると、別所温泉駅舎は1950年の改築と2008年の改装で現在の姿に、旧湯田中駅舎は操業開始の1927年に創られた建物が、2003年に改修されて現在の姿へと、完成した時期は少しずれていた。別所温泉駅舎は2008年の改装で大正時代をイメージして作られ、旧湯田中駅舎は志賀高原にちなんだ山小屋風駅舎を目指して作られたことがわかった。このことより、どちらとも似てはいるが相互の関係性はあまりわからなかった。 | 2022-02-01 |
85 | | 上田市の鉄道 | 上田市の主な鉄道は別所線があるが、ほかの栄えている都市の鉄道と比べると足りない部分が多いと感じた。足りないところとしては改札がない、駅員の以内駅がほとんど、電車の来る時間がながすぎる、駅前の道の舗装が不十分、駅のある道が大通りなどでないなどが挙げられた。さらに地図を見てみると別所線としなの鉄道が上田市を通っているが、このふたつが通る場所以外に鉄道などはなく車を持っていないと利用しきれない施設などが多くもったいなさを感じる。 改善策としては別所線の駅員がいないなどクリアし安いものは改善し、上田駅周辺の市街地にも鉄道を通し、別所線の足りない部分をその鉄道で満たせばさらに生活しやすい町になると考えた。 | 2022-02-01 |
86 | | 大洗型汎用的地域振興事業推進仮想モデル(プロジェクト研究) | 今年度プロジェクト研究最終発表
「様々な地域の地域振興事業と大洗町の事例研究(ケーススタディ)から体系化した地域振興事業の推進モデルの作成」という目的の元、研究をしています。
その中で今年度取り組んだものについての説明と紹介になります。
来年度も継続的に研究をしますのでよろしくお願い致します。 | 2022-01-31 |
87 | | 上田紬を「現代に生かす」 | 上田紬を現代に生かすために、紬・呉服交流所「GOFUKURA(仮)」を提案します。
・家や店に眠っている、上田紬をはじめとした呉服を提供してもらう
・販売許可をいただいたものは店頭で販売を、収益の一部は提供者へ
・ほどきを行って生地としての販売も可能
・地元の高校の服飾系の部活や、県内の服飾系の学校に提供し、リメイクに挑戦してもらう。
文化祭のファッションショーなどで披露してもらう
☆「買い取り店」ではなく「蔵」の仕組み
→売れない限りは無料で手元に戻せる+ただ持っているよりお金になる可能性がある
☆紬を残すことと、現代にマッチするよう生まれ変わらせることが両立できる
☆若者に興味を持ってもらえる、魅力を知ってもらえる | 2022-01-31 |
88 | | 松代藩最大の犠牲160人 | 松代藩で最大の犠牲を出したのが、岩野村(長野市松代町岩野)。「松代満水の記」は「岩野村、男五拾八人、女百弐人流死」とある。村の人口の3分の1が死亡したという。かつての谷街道の笹崎よりに「川流溺死万霊供養塔」が建っている。ここ岩野村で160人の流死者が出た背景には、大雨で雨が降り続いた後、土砂崩れになり一気に水が来たためである。従来より雨が降り続くと、上田地域から1時間で水が来ると言われており、当時は気象情報などが迅速に伝わるようにはなっていなかったためと考えられる。
また2019年10月12日には、台風19号による集中豪雨で松代地区の河川や建物、田畑等に甚大な被害をもたらした。人的被害が無かったものの、建物や千曲川河川敷の畑や農機具、自動車等浸水被害は多岐にわたっている。松 | 2022-01-30 |
89 | | 8 参考文献等 | ・坂井村誌(坂井村・平成四年三月三十日)
・Wikipedia「坂井村(長野県)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E4%BA%95%E6%9D%91_(%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8C)
(2022年1月29日最終閲覧)
・パラパラ地図長野県(2005年10月1日)http://mujina.sakura.ne.jp/history/20/index2.html
(2022年1月29日最終閲覧)
・まんが日本昔ばなしデータベース「うばすて山」
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=28
(2022年1月29日最終閲覧)
・コトバンク「国民精神総動員運動」
https://kotobank.jp/word/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%B7%8F%E5%8B%95%E5%93%A1%E9%81%8B%E5%8B%95-64263
(2022年1月29日最終閲覧)
・e-Stat「国勢調査 / 昭和22年臨時国勢調査 / 全国都道府県郡市区町村別人口(確定数)」
https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00200521&tstat=000001036870&cycle=0&tclass1=000001037104&stat_infid=0000079145 | 2022-01-29 |
90 | | 3 坂井村とは | 画像は市町村合併前の2005年10月1日時点の坂井村所在置
引用:http://mujina.sakura.ne.jp/history/20/index2.html
(2022年1月29日閲覧)
坂井村は1874年(明治8年)11月12日に筑摩県筑摩郡永井村・安坂村が合併し誕生した。
松本盆地と長野盆地の中間に位置する筑北盆地(麻績盆地)の最東端に位置する。
昔話「うばすて山」が有名で、姨捨伝説がある冠着山(かむりきやま)・別名 姨捨山(おばすてやま)をはじめとした1000m級の山々に囲まれており、村の中心に位置する坂井小学校や村役場周辺は標高640mほどである。
(長野大学の標高はおよそ470m)
2005年10月11日に本城村・坂北村と合併。現在の筑北村が発足し、坂井村は廃止された。
廃止時のデータ
面積:37.41㎢ 総人口1,515人
村の木:ミズナラ | 2022-01-29 |
91 | | まとめ | 今回の地域探検学習に取り組んでみて、おいだれについて詳しく理解できたただけでなく、PCを使っての調べ方や上田についての知識も増えたのでとても良い収穫になったと思う。また、上田に来て初めて美味だれの存在を知った時、食欲をそそるニンニクの匂いに驚いた。こういう地元特有の物品は町おこしや地元ならではの価値を見出せるのでもっと広めていくべきと考えた。上田市は他の街や県よりも自慢できるモノばかりあるため、自信を持って広めたいと思う。
参考文献
https://www8.shinmai.co.jp/odekake/article.php?id=ODEK20110514013489
https://style.nikkei.com/article/DGXKZO73673640Y1A700C2KNTP00/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E5%91%B3%E3%81%A0%E3%82%8C%E7%84%BC%E3%81%8D%E9%B3%A5#:~:text=%20%E7%BE%8E%E5%91%B3%E3%81%A0%E3%82%8C%E7%84%BC%E3%81%8D%E9%B3%A5%20%EF%BC%88%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%A0%E3%82%8C%E3%82%84%E3%81%8 | 2022-01-28 |
92 | | じまんやきの歴史と比較 | 引用 「あんこ」と「カスタードクリーム」どちらがお好き?「じまんやき」の「富士アイス」 ~上田市海野町商店街6~
https://blog.nagano-ken.jp/wp/josho/wp-content/uploads/2015/09/20fuji2.jpg
じまんやきは上田市のソウルフードの1つになっている。
じまんやきは海野町商店街の一角の富士アイスで売られている。じまんやきを作っている富士アイスの本店は山梨県甲府市に本店を置いている。富士アイス上田店は昭和10年に開業し、長野県で一番古参の店になっている。富士アイスは創業当初は富士屋という店名だった。富士アイスの富士は日本一の山を自慢している富士山に由来する。
次にじまんやきについて解説します。じまんやきは「自慢の味。自慢したくなる味。」から由来しています。
じまんやきは1個80円とリーズナブルな価格であり、太鼓上に | 2022-01-27 |
93 | | 1 地域探求のテーマと目的 | テーマ:旧坂井村と戦争
第二次世界大戦の終戦から76年が経ち、戦争の記憶が若い世代にとって遠いものに感じ始めている。知識としては知っていても、感覚的にどこか遠く感じてしまう。
その理由として「70年以上前のこと」という時間的要因の他に、「自分の身近に感じにくいスケールの大きさ」が要因として考えられる。
小中高それぞれの学校では、日本全体や世界全体の戦時中の出来事を学ぶ機会が多く得られるため、ある程度多くの人が知識として戦争について知っている。しかし、スケールが大きすぎてしまい、どこか他人事の様に感じられてしまうこともある。
そこで、都道府県単位や市町村単位における戦時中の出来事から、戦争をみていきたいと思う。都道府県や市町村ごとであれば、現代を生きるそれぞれの人にと | 2022-01-27 |
94 | | 上田映劇の歴史 昭和まで | 1917年に末広座跡に上田劇場が開館した。
当時は芝居、落語、講談、浪曲、歌謡などが催された。
上田劇場の前身となるのは末広座だが、末広座の開館日は不明である。
しかし、1912年の上田町地図に末広座、中村座が載っているとのことから
1912年以前に開館されていたと思われる。
1922年に発行された「上田市街明細図」に上田劇場、上田電機館、中村座が載っている。
1919年に「上田演芸館」というのも開館されたとされているが
詳しい場所の情報が無いため、上田市街明細図から探し出すことが困難だった。
昭和初期(1926~1932?)頃に上映するものを映画中心とし、
上田映画劇場と名称を変更。
1960年代後半 映画の人気がピークに至る。
1964年 桟敷(さじき)席から現在の椅子席(270席)に改築された。
映画館の話題から少 | 2022-01-26 |
95 | | 上田紬に「興味を持ってもらう」 | 上田紬に興味を持ってもらうために、「上田紬を軸とした旅行プラン」を提案します。
・新幹線代(出発地が北陸新幹線沿線の場合)+着付け代(ゆたかやさんに依頼)(+宿泊の場合ホテル代)を込みにしたプラン
・紬割:対象店舗・スポットに紬姿で行くと割引などのサービスを受けられるようにする。旅行客に「上田紬でめぐる」おすすめスポットを載せた地図をプレゼントし、掲載地が紬割対象。地図は上田駅・上田城周辺、別所温泉を中心に作成。
・オプションとして+1000円で別所線の1日フリーパス
・Instagramの活用:Instagram広告の利用、「#上田紬」キャンペーン(#上田紬をつけてに上田紬に関する写真を投稿してくれた人の中から抽選でギフト券や上田市ゆかりの品をプレゼント)
☆多くの人、特に若い世代に上田紬を知ってもらう | 2022-01-26 |
96 | | 身代わり地蔵 | 昔真田町にやぶやの長者という金持ちがいた。その家では、こふじと呼ぶ下女がいた。こふじは、主人の長者に弁当を届けに行った。その途中に地蔵様が祭られていたので、こふじは弁当からすこしとっておそなえをした。
さて、弁当を開けた長者はおどろいた。こふじが弁当を食べたと思い込み、焼けた火ばしでこふじをたたいた。その時不思議なことにこふじの姿は消えてしまった。
そのあと、地蔵様を見るとたたかれた跡が残っていた。
地蔵様が信心深いこふじの身代わりになったのだった。 | 2023-05-06 |
97 | | 進捗報告 | 上田のゲームを作っているという話ですが、一応ゲームのシステムだけはできあがりました!
ゲームの流れ
開始前
職種(販売、作成、行政、労働)・スタートの駅を決める
資金1万からスタート
↓
(1周目以外スタート時にイベント)
↓
行きたい駅にいったり、働いたり制限時間内に自由に行動できる
(駅は実際の時間に比例
働くのは1回につき持ち時間の25%消費)
この時に、街にあるクエストみたいなのを町民から受けられる
(何があるかはランダム
受けたら完了・放棄するまで消えないが1周で交換される)
このクエストを完了していくと評価が上がって一定以上でその地区の駅を占領出来る
↓
エンド、次の人
職種
販売→物を仕入れて売る職業
物の売り買いに長けているため、物を買う時にその時の値段の10分の1の数値の割引をされる
( | 2022-01-26 |
98 | | 比較から見る上田市工業の強み | 上田市の隣には、機械・金属工業の中小企業を中心とし、優れた技術力を持つ坂城町がある。工業の分野が似ている両市町には、どのような違いがあるのか。
今回は坂城町と上田市それぞれの工業統計調査を参考にし、それらを比較するための指標として、平成30年における両市町の[①事業所数②従業者数③製造品出荷額④現金給与総額]四つを用いてみた。
《上田》 《坂城》
① 390事業所数 204事業所数
② 18890人 6068人
③ 52,667,396万円 22,748,130万円
④ 9,066,947万円 2,874,596万円
上記からもわかるように、精密機器や機械・金属という主要製品が同じでも、上田の方が製造品出荷額と現金給与総額が高い。これは事業所数・従業者数が上田の方が多いことに加え、大企業の工場を有していたり | 2022-01-25 |
99 | | 木片人形 | 木片人形とは小さな木を人型などに加工したものです。一つ一つが手作りされており、細かい表情などが見事に表現されています。人型のものだと服装や姿勢から作られた当時の環境を知ることができます。今ではこの木片人形を広げるためにお店の看板などに用いられたりしています。この写真は柳町にあるルヴァンというパン屋さんとCo・LABO shopというカフェの看板です。 | 2022-01-25 |
100 | | 上田藩の死者数、正福寺の千人塚 | 千曲川流域には、「戌の満水」の流死者供養塔が幾つも残されている。それには2種類ある。一つは、多くの犠牲者を出した現地に建てられたもの、もう一つはたくさんの流死者が流れ着いて埋葬された場所に建てられたものだ。千曲川の上流では、上畑村(佐久穂町・248人)小諸城下(小諸市・507人)所沢川流域の金井村(東御市・130人)田中宿・常田村(東御市・68人)などで多くの流死者を出した。そして、まず大量に流れ着いたのが、上田だった。
「千曲川も上田まで来ると、流れが緩やかになる。上流から流されてきた死体が上田に流れ着いた。上田藩主の命令で段丘上の秋和の正福寺の門前に引き上げ、埋葬して、後に碑を建てた。それが千人塚と呼ばれている。また正福寺境内には石造地蔵尊があり、縁者がたくさん亡くなっ | 2022-01-24 |