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1蚕の蛹:活用考察④蚕の蛹:活用考察④この写真は生島足島神社です。 ここには池があり鯉や鴨が生息していて、餌やり体験が出来ますが、基本的に人工飼料です。 ここに蚕の蛹を練り込むことで、高タンパクである虫の栄養素を吸収させて肥大化を防いだり、自然素材である昆虫を使うことで過度な餌やりによる水質汚染が防止できる可能性があります。 綺麗な池の様子を保つことに一役買えるかもしれません。2022-12-05
2蚕の蛹:活用考察③蚕の蛹:活用考察③これは綿半上田店にて発見した、蚕の蛹を使用したペットフードです。 肉食魚類から爬虫類、両生類、鳥類にいたるまで多くの生き物に与える事が出来ます。 蚕の幼虫もシルクワームとして使われています。蛹の方が優れている点として、蛹が纏っている殻が食感となってマンネリ防止になったり、幼虫にない栄養素を吸収させることが出来ます。 蚕の餌や飼育環境をブランド度としてアピールすることで、国産で安全な飼料となり販売の幅が広がるかもしれません。2022-12-05
3蚕の蛹:活用考察②蚕の蛹:活用考察②この写真は私が産川にて捕獲したフナです。 産川にはこの他にもオイカワやウグイと言った魚が生息しており、彼らは水生昆虫や水面に落下してきた生き物を餌として捕食しています。 そこで、蚕の蛹をそのまま使ったり練り餌に混ぜたりすることによって、より自然に優しい釣り餌に出来るのでは無いかと考えました。2022-12-05
4上田城の紅葉上田城の紅葉上田城へ紅葉を観に行ってきました。とても綺麗でした。また、自然に触れてリフレッシュすることができました。2022-12-05
5蚕の蛹:活用考察①蚕の蛹:活用考察①この写真は無印良品で販売されている、コオロギを練り込んだせんべいです。 私自身は食べたことはありませんが、コオロギの味があまりしなかったり見た目もマイルドで手に取りやすいという評判を聞いたことがあります。 信州で昆虫食が誕生した歴史として、冬場のタンパク質として食べられていたことが由来だと言われているため、見た目の問題を改善できればスーパーフードになり得るだろうと考えています。2022-12-05
6蚕の蛹:食用蚕の蛹:食用蚕の蛹を佃煮にした物です。 信州ではイナゴや蜂の子など昆虫食が豊富で、中でも佃煮は典型的な調理法です。 見た目のインパクトが強く虫嫌いな人には受け付けない一品だと思うので、広く浸透させるには工夫が必要だと感じました。2022-12-05
7Old Pub House CHILLOld Pub House CHILL学生が運営しているBARです。雰囲気がとてもお洒落でした。2022-12-05
8現代にも伝わる養蚕現代にも伝わる養蚕上田市の小学校では、3・4年時に蚕を育てる学校が数多くあります。塩川小学校では、8月に上田市常田にある「上田蚕種」から蚕種を譲り受け、9月下旬頃に繭になるまで育てます。小学校生活の思い出として強烈に残る学年行事です。2023-01-20
9桑の葉を上田名物へ(?)桑の葉を上田名物へ(?)養蚕業の名所となった上田ですが、近年は正直見向きもされないような産業です。そこで、上田でよく採れた桑の葉を用いてお茶やお菓子を作り、お土産として売り出そうという動きがあります。「みすゞ飴」などで有名な飯島商店は「桑の葉糖」というお菓子を、上田市観光協会では石鹸を作るなど、自地域の特色を十分に発揮した商品を売り出しています。上田駅などにもあるのでお土産にどうぞ。2022-12-05
1011/21 神川小地域学習支援③ 投稿した写真の紹介11/21 神川小地域学習支援③ 投稿した写真の紹介全3回ある授業の3回目です。 11月7日に「神川まなびあいひろば」に記事を書き投稿してもらったものをクラス内で発表してもらいました。 何件か投稿した人も多かったのですが、時間が限られていたので今回は1人1つ記事を選んでみんなにお気に入りの場所やものを紹介してもらいました。 私が担当したクラスでは全員に発表してもらいましたが、発表をする人はどこでどんな写真を撮ったのか、どんなところがお気に入りなのかなど、自分が伝えたい情報や思いを発表を聴いている人に一生懸命伝えようとしている児童が多かったのがとても良かったなと思います。 発表が終わった後に質問・感想タイムを設けたのですが、質問や感想を積極的に言いたいという児童が多く、探究的な学びができていると感じました。 25人ほどの発表を聴きましたが、そ2022-11-21
11上田城上田城真田幸村で有名な上田城。二度にわたる徳川軍を退けた難攻不落の城と呼ばれている。大河ドラマの「真田幸村」や「サマーウォーズ」のモデルとしても知られ、多くのファンから人気の観光スポットにもなっている。春に行ったときは桜が満開で川に移る姿や楽し気な屋台の列が印象的でした。奥に進むと結構大きな神社もあって素敵な場所でした。2022-12-05
12ぶしもりや めんめんぶしもりや めんめん常に行列を作っている大人気のつけ麺屋。 魚介豚骨系のスープは1度食べればやみつきになります。 私はチャーシューがとても気に入りました。2022-12-05
13上田東高校上田東高校この高校は長野県で2番目に古い歴史をもつ学校であり、小県蚕業学校として創立された学校です。2022-12-05
14柳町柳町歴史ある街並みが続いており、建物一つ一つに風情を感じられます。かつては参勤交代や、佐渡金山の金の通路としてにぎわいました。現在はこの古き良き町並みを保存する取り組みも行われていて、上田の歴史が残された観光名所にもなっています。柳町は町全体が白壁の建物が多く、また家々の屋根や軒の高低差が少なく、高さがそろった整然とした町並みも見所です。2022-12-05
15市内にある「桑の葉」市内にある「桑の葉」上田市内は気候などの条件が良く、果実が多く最愛されています。もちろん桑も非常に多く栽培され、特に塩尻地方には桑園が多くありました。現在の上田市に桑園はほとんどありませんが、もともと桑園だった土地にある上田西高校は、制服に桑の葉のマークを取り入れています。 (画像は上田西高校のHP「上田西高の教育」より抜粋)2022-12-05
16養蚕業が作った大屋駅養蚕業が作った大屋駅今は街の中心となっている大屋駅ですが、その開業には養蚕がかかわっていました。 当時養蚕が盛んだった諏訪地域から東京へ生糸・蚕種を運ぶ際、元来は田中駅を利用していました。しかし、諏訪から田中に向かう道は険しく、長和町というところから峠道がありました。ここで、長和から丸子に向かい、大屋で列車に乗せるルートが考案され、大屋駅ができたのです。 その後大屋駅周辺は栄え、特急列車も止まるようになりました。2022-12-05
17愛染かつら愛染かつら北向観音境内に生育するカツラの巨木です。推定の樹齢は300年以上、600年から650年、1000年以上などの諸説があります。神仏が一時的に姿を現したカツラと言われる霊木で、円仁(えんにん)と千手観音にまつわる伝説が残されている。この木が知られるようになったのは川口松太郎の小説「愛染かつら」であり、後にヒットした恋愛ドラマの映画によってこの木も「愛染カツラ」と呼ばれるようになりました。2022-12-04
18温泉薬師瑠璃殿温泉薬師瑠璃殿温泉薬師瑠璃殿は北向観音の境内にある薬師堂であり、建物は崖にへばりつくように建てられていました。瑠璃殿という名称は薬師如来の「瑠璃光如来」から来ているが、温泉の薬効と薬師如来の病苦から人々を救うというご利益が結びついた温泉薬師信仰のためである。以前は大師湯の西隣にあったとされるが、寛保二年(1741)湯川の氾濫によって今の場所に移され、文化六年(1809)に現在の形に再建された。 土台が意外と細いにもかかわらずしっかりと立っていて、周りには大きな木に囲まれていた。その木の中のひとつに上田市の文化財である愛染カツラ(あいぜんかつら)もありました。2022-12-04
19鎌原まんぢゅう鎌原まんぢゅう別所温泉駅から歩いて数分の老舗饅頭屋。創業160年と長い歴史があります。厄除けの北向観音にちなんだ「厄除けまんじゅう」が人気であり、ほかにもおやきや上田市のブランドリンゴを使って作った自家製のリンゴ餡のリンゴ饅頭などがあり、どれも美味しそうでした。 建物の佇まいが素晴らしく、温泉地にぴったりで門などがありおしゃれで静かな場所でした。2022-12-04
20北向観音北向観音北向観音は平安時代初期の天長2年に円仁(えんにん)によって常楽寺とともに開創されたとされる。長野市善行寺と向かい合うように本堂が北を向いていることから北向観音と呼ばれるようになりました。有名ですが善光寺と合わせてお参りするとご利益があると言われています。善光寺が来世の利益、北向観音が現世の利益をもたらすということで、善光寺のみの参拝では「片参り」になってしまうと言われています。2022-12-04
21ロマネットロマネット2022.12.04 諏訪湖近くの温泉ロマネット。 ローマ風呂という、形の丸い大きな温泉が真ん中にある。建物自体も丸く、西洋風の建物。 サウナ、水風呂、外気浴と温泉施設はしっかりとしていた。 まるでテルマエロマエの温泉に入っているような気分になった。2022-12-04
22ため池で日向ぼっこため池で日向ぼっこ 塩田平に沢山あるため池。長野大学でもたびたび講義に登場する。そのうちの舌喰池は周りに緑がたくさんある。  夏の晴れた日はここが絶好の日向ぼっこスポットになるのだ。全身に自然を感じながら、ゆったりとした時間を過ごしてみてはどうだろうか。2022-12-04
23市街地方面の寺院、神社市街地方面の寺院、神社やはり城下町らしく、この地を治めた真田氏に縁あるものが多い。欧州ではキリスト教、東洋で仏教、そして日本の神道。古来より信仰というものは人々の生活の隣にあるものだった。信仰のあり方はその地域の生活のあり方ともいえる。歴史を紐解くうえで貴重な材料となり得るものである。(今回キリスト教を取り上げなかったのは、ここいら一帯はキリシタンが現れた時期が遅かったと考えられるためである。)2022-12-04
24科野大宮社科野大宮社祭神は「事代主命(コトシロヌシノミコト)」、「大巳貴命(オオナムチノミコト)」。なかなかの規模の神社。近くに高校があったり、スーパーがあったりする。こういった施設が入り乱れている点も上田市のいいところ。2022-12-04
25願行寺願行寺浄土宗の寺院、願行寺。設立には海野小太郎が関わっており、入り口の四脚門は市の指定文化財に登録されている。 古くは真田昌幸が上田城下町を作る際に海野郷から城に近い厩裏町に移され、その後息子の真田信之によって現在地に移された。 それにしても、「願い行く寺」ってなんかいいですよね。2022-12-04
26高市神社高市神社海野町の通りにある神社。祭神は「大国主(オオクニヌシ)神」、「事代主(コトシロヌシ)神」。大国主神は大黒天、事代主神は恵比寿神として七福神にも数えられる。 この神社は海野町の商いの神様である。 境内には「運の石」という石があり、開運と悪運除けがご利益。真田昌幸が上田城築城の折に白鳥神社から霊力宿る石を授かった。それがこの神社のご神体。そして、その石に縁ある石を高野山から持ってきて運の石とした。2022-12-04
27かわいい手作りケーキのお店かわいい手作りケーキのお店 上田市内の「手作りケーキの店 タルト」。何度かお店の前の店を通ったことはあったけど存在に気付かず…。こんなところに“映える”お店があったなんて!  店内のイートインスペースではコーヒーのサービスも。かわいくて美味しいケーキは友達とのおしゃれでゆったりとした時間にピッタリ!  2022-12-04
28うつくしの湯うつくしの湯2022.12.02 私がよくいくうつくしの湯。 ここはご飯がとても美味しい。 おすすめは武石あんかけかた焼きそば。 上田の地域では焼きそばといえばソースではなくあんかけ焼きそばらしい。居酒屋で働いていた時非常に戸惑った。 ちなみに、もう一つの写真は武石丼。パプリカなどのカラフルな野菜が乗っている。 きた時は是非。2022-12-03
29太郎山太郎山上田市の北に位置する里山。 近くには太郎山神社があり、信仰も根強い。 歩道も整備されており比較的登りやすい山である。2022-12-02
30四阿山四阿山根子岳と同じく菅平高原に位置する山。 根子岳との縦走コースとして楽しまれている。 頂上は少し狭いが周りの自然で癒される。 帰りの道は少し急坂があるので注意が必要ではあるが、日帰りでも十分に堪能できるコースである。 終わったらソフトクリームが待ってるのでよりがんばれる2022-12-02
31美ヶ原美ヶ原松本市との境にある静かな高原。 美術館やホテル、牧場とバラエティ豊かである。車はもちろん麓からも登ってくることができ、個々に合わせて楽しむことができる。 北アルプスの山並みはもちろん南アルプスや富士山も見ることができ、長野県に来たらぜひ一度は行ってみてほしい場所の1つ。2022-12-02
32独鈷山独鈷山長野大学からも近く、簡単に登れる山。 登山口は中禅寺近くで散歩するにもGood!! 景色が良ければ鹿教湯の方や、上田の山や街並みも見える。2022-12-02
33車をDIY車をDIY2022.12.01 愛車コペンは2002年製。なんと、私の一つ下。とんでもなく古い車。 ハンドルはとてつもなく重いし、ブレーキの効きも最新車と比べると悪い。もっというと、近くにものがあってもアラームで知らせてくれることもない。そんな、私の愛車はステレオが付いているのだが音は鳴らない。故障している。 というわけで、ステレオ部分を有効活用しようと人生初の車をDIY。 カバーを裏から外し、ネジを外し、ステレオを取る。その空いた部分に新しく物置兼USB兼スマホホルダーをはめていく。 一番苦戦したのは配線。USBの電気を車から持ってくるのだが、いかんせん素人の私には何が何だかわからない。 てことで、友人召喚。友人に電話し教えてもらいながら配線を繋いだ。(簡単に書いているが理解するのに1時間かかった) ちなみに、さすま2022-12-02
34小文『プリンス・マツダイラ物語』小文『プリンス・マツダイラ物語』明治5年からアメリカへ留学した最後の上田藩主・松平忠礼と弟の忠厚。その後忠厚は日本へ帰ることなく土木と建築を学びアメリカ人女性と結婚し、エンジニアとして測量器具を発明、大陸各地の橋や鉄道建設に携わる活躍をしながらも肺結核に倒れ、37才の若さでデンバーで亡くなりました。 今では上田の方々にはよく知られた話ですが、2000年上田市立博物館での松平忠厚展を機にした『プリンス・マツダイラ物語』は、2人の留学に随行した山口慎(山口平太郎毅の息子)の孫の金子香代が2004年「文芸せたがや」に書いたものです。ファミリーヒストリーの延長で当時随筆部門の3席でしかなく、批評の通り、練り直しを考えつつもできないまま没しました。そんな母の小文ですが、最近Wikipediaなどから関心を持って下さる方がいるので、この場をお借2022-12-02
35坂城町坂城町最近、坂城町に温泉に行くことが多い。 その理由はマイサイトでも投稿している通り「びんぐし湯さん館」に行っているから。 上田市の隣にある坂城町は何もないイメージがあった。 しかし、湯さん館がありバラも有名。調べてみるとバスケットコートもある。実は子育てしやすいのかもしれない。 何もなさそうな街でも以外といろんなものがあるなと思った。2022-12-01
36野口健野口健私が登山を始めたきっかけである野口健さんをご紹介。私は佐賀県の講演会に行ったことがきっかけで野口健さんを知った。当時、私は小学校2年生(7歳)。兄に連れられ、講演会に行った。なんか、おじさんが喋ってるな〜と思っていたが、一枚の写真に目を奪われた。 その写真がエベレストでの写真。 ネットで『野口健、エベレスト』と検索すると出てくるその写真が今でも忘れられない。 真っ白な雪と輝く太陽。寒そうなのになんだか暑そう。そんな写真。 エベレストでは無臭。昼は雪を被りたくなるほど暑く、夜は指が凍りそうなほど寒い。そんな話をされていた。常に死と隣り合わせ。昨日まで仲良く話していた韓国人が次の日には亡くなったという知らせを受けることも。 話していること全てが異世界。興味を惹かれないわけがない。 2022-12-01
37受け継がれる蚕都の伝統受け継がれる蚕都の伝統 今でも養蚕が盛んだったころのまま姿を残す建物がある。上田蚕種株式会社の建物である。  また一方で、新しい施設に「サント(蚕都)」と名付けられた例もある。「上田市交流文化芸術センター サントミューゼ」はホール、美術館の他に交流芝生広場があり住民の憩いの場となっている。2022-12-01
38上田紬上田紬 現代でも蚕の繭から紡ぐ紬は上田紬というブランドで親しまれている。着物だけでなく、ストールやがま口などの小物、アクセサリーにもなり人々の暮らしを彩っている。上田紬を身につけているとなんだか心が安らぐ気がする。2022-12-01
39上田の養蚕上田の養蚕 他県よりずば抜けて養蚕が盛んだった長野県の中でも上田は特に養蚕業で栄えていた。  それは、千曲川の恩恵によるものである。上田盆地は桑の栽培に適していただけでなく、年間降水量が少ないことで蚕の飼育にも適していた。上田は、蚕の餌となる桑の栽培にも、蚕の生育にも適した土地であるという要素が重なって生まれた”蚕都”なのである。2022-12-01
40上田市と大正ロマン上田市と大正ロマン上田市には柳町以外にも旧常田館製糸場、上田蚕種会館、信州大学繊維学部講堂など蚕都を感じさせる建築物が多く残っている。また、市には、このような建物以外にも別所温泉周辺の旅館や施設、またみすずあめの飯島商店、上塩尻など「大正ロマン」あふれる街並みが多く顕在しており、最近では上田を紹介する際にも「大正ロマン」というワードが使われているように感じる。これを活かし、町のデザインや都市開発につながってほしいと考える。2022-11-30
41サントミューゼサントミューゼサントミューゼは、近年みられる奇抜な構想の美術館とは違い、自然豊かな上田市ならではの敷地面積を活かした低層デザインが採用されている。細部に豊かな風土を感じることができる設計がなされているため、四季折々の豊かな情景とともに歴史・文化・自然といった上田の三本柱を感じることができる。内装は「上田の森」をテーマとして木材をふんだんに生かした建築がなされている。2022-11-30
42柳町柳町この街道は「上田市における蚕を活かした都市開発」で述べた歴史的建築物の転換がほかの街道よりも顕著に表れている場所である。その背景として柳町にはかつて栄えていた小宮山製糸があったことが考えられる。町のパン屋さんをはじめとした、歴史的な家屋を改装した店舗が多く風情を残した景色は、歴史を感じることができる上田ならではの発展、街づくりにつながっていくのではないかと考える。2022-11-30
43上田市における蚕を活かした都市開発上田市における蚕を活かした都市開発上田市の景観形成における蚕の役割として、蚕都としての歴史性を重視するというものがある。上田市の景観計画の一部として、かつて栄えていた城下町や養蚕が盛んであった地域周辺の家屋、並びに歴史的資産や街並みの保全をしながら活用することを都市計画の一部に組み込んでいる。特に、建築物や工作物においては蚕室造りといった伝統的な様式の建築物を継承または意匠することを景観における基準としている。また、色彩においても蚕都としての風情を感じることができる落ち着いた色調を求めている。2022-11-30
44蚕種上田④ 旧清水喜左衛門邸蚕種上田④ 旧清水喜左衛門邸今回は旧清水喜左衛門邸についてだ。 この住宅にも旧馬場藤四郎邸同様、瓦に家紋があり蔵もある。この近辺には家紋付きの家や蔵の県知育が多く見られ、改めて養蚕業による発展の規模を実感した。2022-11-30
45養蚕業が衰退した理由養蚕業が衰退した理由日本の繭生産量は、今から約90年前1930年(昭和5年)の40万トンをピークに減少し、昭和40年代に持ち直しの傾向が見られたものの、2016年(平成28年)には約130トンまで落ち込んでしまいました。繭生産量の減少に伴う製糸業の衰退も著しく、昭和34年には1871工場あった国内製糸工場数は、平成26年にはわずか7工場を残すのみとなってしまいました。 日本の絹産業は、生糸の原料となる蚕の繭を作る養蚕農家から、生糸を作る製糸業者へ。そして絹織物業者へという流れから、おもに着物や帯などに加工・縫製されて小売される形になっている。 衰退した理由としては和装から洋装へ変化する「和装離れ」により需要そのものが減少したと考えられている。価格競争で中国などから低価格繭の流入や、後継者不足など社会構造の変化も考えられます。2022-11-30
46信州は蚕糸王国信州は蚕糸王国 上田が蚕都という前に、長野県が蚕糸王国と呼ばれるのにはどんな所以があるのだろうか。  それは、長野県は約130年前から他県から群を抜いた生糸生産高があったことに由来する。1893~1930年の間、長野県に次いで生糸生産高の高い愛知県の数字の約2倍を常に記録していた。  また、蚕種生産高でも他県を圧倒していた。2022-11-30
47繭倉庫繭倉庫常田館製糸場の繭倉庫。大通りに位置しているため観光にも訪れやすいのではないだろうか2022-11-30
48蚕種上田③ 旧馬場藤四郎邸蚕種上田③ 旧馬場藤四郎邸今回は旧馬場藤四郎邸についてだ。 この住宅も養蚕業に関わっており、特徴的なのはこの住宅の瓦に家紋がついている点だ。また敷地内に蔵があることからも分かる通り、家がかなり発展していたことが分かる。このことから養蚕業を起点とし、栄えていたことが分かる。2022-11-30
49蚕種上田② 佐藤家住宅・旧佐藤家宗家住宅蚕種上田② 佐藤家住宅・旧佐藤家宗家住宅今回は佐藤家住宅・旧住宅家宗家住宅についてだ。 この住宅や土地はもともと養蚕に使用されており、蚕の育成・絹糸の採取に使用されている。現在空き地になっている旧佐藤家宗家住宅では再利用の方法を模索している。2022-11-30
50上田城上田城上田の歴史、ここにあり!上田といったら上田城のイメージが強く、観光客も多く訪れる。2022-11-30
51常田毘沙門堂常田毘沙門堂文政12年(1829)のころお堂の脇に寺小屋を開き、多聞庵と名付けられました。活文の名声は以前から広くいき渡っていたので、武士をはじめ農民や商人それに子供にいたるまで教えを受けたい人たちが殺到し、一時は1000人を越すほどでした。 毘沙門堂は、大正15年(1926)に建てられたものです。2022-11-30
52上田蚕種協同組合上田蚕種協同組合旧上田蚕種株式会社の建物を組合の事務所として活用されている。蚕都としてのシンボルを現在も活用している良い例だと感じた2022-11-30
53蚕種上田① 藤本蚕業歴史館見学蚕種上田① 藤本蚕業歴史館見学「蚕種上田」の探求を行う。まず上田にある蚕業に関わってきた歴史的な建造物を見学し、魅力を見聞し、成果を報告する。 今回見学したのは藤本蚕業歴史館だ。この歴史館にはかつて上田で行われていた養蚕業に関する資料が多く保存されている。具体的な資料を見つけたい際にも資料概要が載せられている本があり、養蚕業の歴史を知りたい方にはもってこいな施設だ。2022-11-30
54染谷城染谷城染谷城は「大熊屋敷」とも呼ばれ、真田昌幸の重臣・大熊氏が上田城の東の守りを固めるために配置された城館と考えられている。2022-11-30
55常田池常田池ため池が多いことで有名な上田市。常田池もそのひとつで、池の周りにはちょっとした休憩スペースもある。2022-11-30
56上田染谷高校上田染谷高校上田染谷高校は普通科と国際化で教育目標が違う。普通科は「向学の気風あふれる活気に満ちた学校づくりを通して、学力・情操・身体の調和ある発達を図り、将来の地域社会を担い、国際社会の平和と発展に寄与できる人間を育成する。」に対し、国際化は「自国の言語・歴史・文化への理解を深め、国際交流などの活動を通じ、社会の様々な事象に対する探究的な学びの姿勢を育み、豊かな国際感覚を持ち将来にわたり地域社会及び国際社会に貢献できる人材を育成する、語学力を高めるとともに、国際社会の諸問題に対応する思考力、情報を的確に発信するためのプレゼンテーション能力、実践的なコミュニケーション能力を養い、新たな社会を創造する力を育む。」とだいぶ違っている。2022-11-30
57上田東高校上田東高校教育目標を自由な精神と責任・規律を重んじる態度を養い、自主性・創造性・協調性に富んだ個性豊かな人格の形成を目指す、憲法にもとづいた平和で民主的な社会をにない、国際社会に生きていくために必要な知識と判断力を養う、社会のさまざまな変化に柔軟に対応し、課題を積極的に解決していく力を養う、としている。上田西高校は私立であるが上田東高校は公立高校である。2022-11-30
58笠原工業常田館製糸場笠原工業常田館製糸場上田市常田にある笠原工業常田館製糸場は明治33年に操業し国指定重要文化財にも指定されている。2022-11-30
59振り返って振り返ってこれまで上塩尻と桑折町における養蚕業について説明してきました。上塩尻では養蚕に関する情報がいくつも残されていましたが、桑折町には残されている遺産はほとんどなく、情報や文献が少ないように感じました。現地に赴くことでしか分からないこともあるので、帰省した際にはじっくり散策を行い、再確認したいと思います。 小学校中学年の頃に理科の授業の一環として蚕を飼育していたことや祖父母の家でも養蚕が営まれていたという話から「養蚕」というテーマには馴染みがありました。しかし、私自身地元のことであるのにも関わらず新たな発見がたくさんあり、視野を広げて興味を持ってみることの重要性を実感しました。地域産業の誇りとなった養蚕業の歴史を上塩尻での取り組みのように何らかの形で未来に繋いでいけるのが理想の形2022-11-30
60養蚕に適した気候上田養蚕に適した気候上田上田は古くから養蚕業が栄えていました。かなり古い歴史を持つ上田の養蚕業は、世界に向けても、輸出され蚕の産地として名を轟かせました。上田は降水量が少なく、乾燥しているため、蚕が育てやすく、長野は傾斜地が多いため蚕の餌になる桑などを生育しやすいという有利になる利点がありました。具体的には、上田の年間の平均降水量は約900mmであり、日本の平均降水量は1718mmであり、上田は全国平均の約半分ほどであるということが分かります。また、傾斜か多いため果樹や桑を育てることに有利な条件である水はけが良いということもあり、上田は気候の面でも後押しされて養蚕業が栄えてた要因の一つは気候であると言えるでしょう。2022-11-30
61上田紬上田紬日本三大紬とは主に、大島紬、結城紬、上田紬のこと指すそうです。この日本三大紬の中の一つが上田にあるということで、調べてみました。  上田紬の特徴は、柔らかい肌触りの生地に、丈夫で、夏は涼しく冬は暖かく感じられることである。また、上田紬は、大島紬、結城紬と違って縦糸をまっすぐな糸で、横糸で真綿から引いた糸という少し波がある糸を使っていることも特徴です。 小岩井工房は、現在も上田紬を作っている数少ない工房です。そこでは着物も以前は紺色などの色が主流で一般の人々が日常で着ていた着物でしたが、現在では着物はあまり着られなくなって残念と話していました。また、今はグラデーションや、パステルカラーなどを使った今風の着物も出しているそうで、色のバリエーションを増やすなどすることで今の需要の変2022-11-30
62サントミューゼサントミューゼ長野大学の入学式も行われたサントミューゼは「蚕都上田」が語源となっている。2022-11-30
63リンゴ染め(小岩井紬工房にて)リンゴ染め(小岩井紬工房にて)小岩井紬工房では今現在着物だけではなくて、小物なども作ることで新たな時代に対応しようとしています。その一つに、草木染めがありました。  上田はリンゴが有名なので、リンゴを使って染色した糸を使い織ると、柔らかな色合いの生地に仕上がります。これらを、着物や小物に仕上げ販売していました。  それらはとても淡い色合いで、上品な雰囲気を醸し出しており、リンゴ染めは上田の新しい名産にしたいと小岩井工房の方が話していました。2022-11-30
64小岩井紬工房にて小岩井紬工房にて上田には上田紬を織っているという小岩井紬工房にお邪魔させて貰いました。 小岩井紬工房では、昔ながらの手法で生地を織っているという工房でした。 現在は着物を織る機械が9台あり、現在全ての機械は使っていないそうですが、着物やストールなどのワークショップに活用しているそうです。これらのワークショップだと最短で半日から出来るので皆さんも是非参加してみてください!  近年は着物の需要が落ち込みましたが、その代わりに、がま口やブックカバーなどの小物も作るようになり、対応しているそうです。  突然お邪魔しても暖かく迎えてくださった、小岩井紬工房の皆さんありがとうございました!是非皆さんも行ってみてください!2022-11-30
65月窓寺月窓寺月窓寺は海野一族の真田幸隆公の弟、隆永公の開基です。 山門は竜宮門(鐘楼門)で天井には龍の鏝絵が描かれています。 境内には上田市出身の様式兵学者で知られる「赤松小三郎」の遺髪の墓があります。 写真にもあるように、千羽鶴がたくさんあってびっくりしました。2022-11-30
66上田が蚕が有名な理由とは上田が蚕が有名な理由とは上田は養蚕業が盛んです。理由として様々な要因があると思います。まずは、気候の面です。上田は蚕を育てやすい気候をしていると分かりました。また、上田の蚕が歴史を持っているだけではなくて、上田の蚕が世界を救っていると言うことも分かりました。  さらに、養蚕業が盛んであったと分かる痕跡として、上田紬という織物もあります。上田紬という上田の地名がつくほどに栄えていたそうです。  富岡製糸場が製糸工場としては有名ですが、上田にも今でも製糸場が残っています。これは、とても珍しく全国で見ても数カ所にしかありません。  上田が蚕の都として有名であるのは、養蚕業が栄えていたことや、その痕跡が未だに残っていることが大きいと思いました。2022-11-30
67本陽寺本陽寺本陽寺は小諸城主であった仙石秀久が文禄5年(1596)に亡くなった夫人のため建てたお寺です。 夫人の墓を中心に上田城主二代 政俊の子供、忠俊の墓のほか五輪塔・舟型・角柱型などの石塔婆が大小11基あります。また、幼児の墓が6基もあります。 近くに幼稚園があって幼稚園児が遊んでいました!2022-11-30
68常田館製糸場常田館製糸場国指定重要文化財にされた「笠原工業旧常田館製糸場施設」を見学しに行きました。構内には建物15棟が現存されていて、その内7棟が重要文化財として一般公開されています。昔のままの木造の繭倉庫は圧巻でした。機械などはありませんでしたが、当時の技術を知ることができました。展示品もあり、なんだか心が和みました。 常田館製糸場は1900年(明治33年)に創業し、110年余り、製糸業の隆盛と衰退の中で、製糸工場建物は増築、取り壊し、焼失、改築、移転、用途変更等の紆余曲折を経ながら今に至ります。現在はスチロール製品を製造しています。3階繭倉庫と5階繭倉庫は、多窓式と呼ばれる自然乾燥を前提とした繭倉庫の形式である一方で、4階繭倉庫と5階鉄筋繭倉庫は密閉 式の繭倉庫であり、大正時代以降は乾燥機の発達により通風による乾燥が2022-11-30
69地元から信州上田学へ地元から信州上田学へ群馬県には上田市と同じように養蚕の歴史があり製糸業が盛んであった点で共通している。群馬には世界遺産に登録されている富岡製糸場があるため認知されているが上田市にはそれがない。そのため養蚕の歴史を知ってもらうことこそが蚕都上田の未来を考えるうえで重要になってくると思う。2022-11-30
70前橋蚕糸記念館②前橋蚕糸記念館②繭から糸を取り出す際古くは口の中に繭を含み糸を引き出したという。やがて繭を煮て手繰る「手繰り」が始まりそれを小枠にに巻き取っていた。江戸時代後期には歯車を用いて小枠を回転させる座繰が発明され1857年に高橋邦七によって弓のついた座繰(上州座繰)が発明された。上州座繰は県内だけでなく信州方面にも広く普及されていた。2022-11-30
71木々と水の音が響く神聖な場所木々と水の音が響く神聖な場所今回は「別所温泉森林公園」や「別所氷沢の風穴」の近くにある、「三嶋神社」にきました! 木々に囲まれ、静かに流れる水の音を聞きながらの参拝。 とても身が締まる気持ちになりました。 日が陰っている時間帯でしたので、全体的に薄暗く、少し怖くもありました。 その厳かな雰囲気に圧倒されながらも、これぞ日本という感覚を直に受けることができた、良い経験となりました。2022-11-30
72前橋市蚕糸記念館①前橋市蚕糸記念館①前橋市蚕糸記念館は1912年に国立原蚕種製造所前橋支所として建設された。当時、日本全国で6か所に建設されたうち現存する唯一のものになっている。蚕の飼育方法や品種改良、病気対策において大きな業績を挙げた。2022-11-30
73山道をのぼって見える景色山道をのぼって見える景色今回は別所温泉駅から車で山道をのぼり、「別所温泉森林公園」にきてみました! かなりくねった山道でしたので、内心ヒヤヒヤしました。 車を運転する際は要注意ですね。 しかし車から降りて見えるのは絶景です。 到着時、ちょうど黄昏時でしたので水色や黄色、薄桃色のグラデーションがとてもきれいでした!そして寒い!(笑) 撮影時は11月の下旬でした。もうすぐ冬が近づいてくる季節です。 また森林公園には栗園もあります。今度は栗を楽しみにここに来たいですね! (栗の写真は、足下に落ちていたので記念に撮ったものです!)2022-11-30
74戸隠神社 中社戸隠神社 中社 ゼミの研修で戸隠神社の中社に行く機会があった。これは、その時に撮影した写真である。  戸隠神社には、奥社・中社・宝光社の3社が存在している。平安時代から修験道が行われ、日本有数の霊場として知られていた。 この歴史は古く、嘉祥2年(849)頃、学問行者により戸隠寺(奥院)が開かれたと言われる。康平元年(1058)に宝光院、寛治元年(1087)に中院がそれぞれ開かれたと伝えられている。  中社のご祭神は「雨八意思金命 あめのやごころおもいかねのみこと」である。この神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の度重なる非行に天照大神がお隠れになった時に岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作った神である。  学業成就・商売繁盛・開運・厄除・家内安全に御神徳がある。2022-11-30
75木のぬくもりが印象的な、どこか懐かしいお店木のぬくもりが印象的な、どこか懐かしいお店今回は別所温泉、北向観音参道にある「ギャラリー作る屋」さんにお邪魔しました! ここは多くの工芸作家さんの作品を集め、販売しているアート・工芸品ショップです。 木材を使った作品が多く、その一つ一つが丹精込めて作られており、思わず見入ってしまいます。 また店主さんもとても気さくなお方で、店内にある作品を一つ一つ丁寧に紹介していただきました! 木のぬくもりも感じられる、とても素敵なお店です!北向観音にお参りの際は、 ぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか? ※お店の方に、記事の掲載許可を得ています。 また店内の作品は撮影禁止ですので、お立ち寄りの際はご注意ください!2022-11-30
76志”まん焼き志”まん焼き昭和初期から開店している富士アイス。 店名の由来である富士山は日本一を自慢しているから、そして長野県で初めてアイスクリームを売り出したことからこの名前になりました。しかし、志”まん焼きの「志」になぜ濁点がつくかはわかっていません。 今川焼きと同様の原料を用いて焼成されても形状が異なると様々な呼称があり、全国各地で同様な食品が作られています。大判焼きのように志”まん焼きもその一つです。2022-11-30
77桑折における養蚕業②桑折における養蚕業②現在桑折町では製糸業は営まれていません。しかし、いくつか名残りのある場所を発見したのでそれについて述べていきます。 まず、桑折町における養蚕業①で触れた郡是製糸工場ですが平成15年に建物が解体された後、東日本大震災の災害公営住宅が建てられています。郡是製糸工場時代の面影は庭園の一角にある「多行松」のみになってしまいましたが、「桑折町蚕糸記念公園」と名を付け、養蚕業によって繫栄した歴史を伝え、町民や来訪者の交流の場になることを願って新たに公園として再生されました。また、桑折町の伊達崎と呼ばれる地区にはかつて養蚕家だった大きな家が見られる他、桑折町の本町通りにある商店街には繭を取り扱う問屋である蚕問屋が今でも残されています。そして、実際に私が通っていた醸芳中学校では校章に桑の葉が2022-11-30
78桑折における養蚕業①桑折における養蚕業①福島県の北側に位置する桑折町は現在毎年皇室に桃を献上することから献上桃の郷として知られていますが、実は古くから養蚕との関係が深い地域とされています。 養蚕には、蚕を育てて繭を出荷する養蚕業と蚕種の売買の二つがありますが、桑折町では江戸時代からそのどちらの生産も盛んでした。そのため、桑折町を含む伊達地方の蚕種(蚕の卵)は「奥州本場蚕種」として全国に販売され、輸出もされていました。その後、明治からの昭和初期にかけては製糸業が発展しました。昭和8年には郡是製糸工場が桑折町に建てられ、約500人の女性従業員を雇用すると共に工場内に「家政女学院」が設立されたことにより、女性に教育と労働の機会が与えられたといいます。昭和22年には昭和天皇も視察として訪れ、記念として「蚕祖神」の記念碑の建設2022-11-30
79上塩尻における養蚕業②上塩尻における養蚕業②本来常田製糸場を訪れるつもりだったのですが閉館時間が過ぎてしまい、「手織り上田紬小岩井工房」に向かいました。西上田駅から国道のそばを通り、小道に入った先にありました。遅い時間に訪れたのにも関わらず、ご丁寧に案内してもらい、二階にある機織り機も見学させてもらいました。 上田紬は結城紬(茨城県結城市を中心)と大島紬(鹿児島県奄美大島の奄美市名瀬地区を中心)に並ぶ日本三大紬に選ばれており、丈夫かつしなやかで縦糸と横糸の重なりによって多様な柄や色合いを生み出すのが特徴とされています。 入ってすぐ左側には買い物ができるスペースがとられています。そこで様々な話をお聞きしましたが、中でも小岩井工房の方が考えられたという「りんご染め」の上田紬がとても興味深かったです。りんごの品種と媒染の2022-11-30
80蛍も集う紅の橋蛍も集う紅の橋別所温泉駅付近、きれいな赤色が目立つ「相染橋」にきました。 ちょうど紅葉の時期でしたので、ほんのり葉が黄色くなっていますね そして猫も発見!警戒してすぐ逃げていってしまいましたが…。 ここでは紅葉も楽しめますが、なんと夏になると蛍が見られます! (蛍の写真は6月中旬に撮影したものです) 皆さんも一度、きれいな蛍を見に行ってみてはいかがでしょうか?2022-11-30
81養蚕の証養蚕の証祖父母の家では農業の一環として養蚕が行われていた。当時使用していた道具が今も残されているそうなので取材もかねて訪問してみることにした。 一枚目の写真は糸を巻き付けておくもので内側には軸となる棒を通すための穴が開いている。 二枚目の写真は蚕の排せつ物を処理するための道具で蚕のいる台に敷き上に桑の実を置くことで登ってくるらしい 三、四、五、六枚目は桑を採るための道具で木を切るためのものや桑を木から外すための道具がある。 七、八枚目は実際に養蚕が行われていた建物で側面の通気口や天井に回転まぶしをぶら下げるための針金などが残されている。2022-11-30
82年代問わず集まる憩いの場年代問わず集まる憩いの場別所温泉駅付近にあるカフェ、「あいの日」さんにお邪魔しました! 学生含め、幅広い年代の方が来店するこのお店では、リラックスした雰囲気で手作りのケーキやコーヒーを楽しむことができます。 さらに店内には、かわいらしいつるし雛も飾られています! 個人的にもアルバイト後の楽しみとして、度々お邪魔しておりましが、 今後もその手作りケーキを楽しみにして、アルバイトも頑張らないとですね! ※お店の方に、記事の掲載許可をいただいております。2022-11-30
83そばが有名なワケそばが有名なワケ長野県といえば信州そばというほどに、そばは長野県の代表的な郷土食です。 郷土食として根付いたのは、やはり各地でそばが栽培されてきたことにあります。 冷涼な気候や狭い土地など、米や小麦が栽培しづらい高冷地に適した農産物として育てられてきたのがそばでした。 そのはじまりを調べると、多く登場するのが山岳修験道の開祖で、奈良時代に活躍した役小角(えんのおづぬ)です。 役小角ら修行僧が携行食としていたそばの実を村人に伝え、栽培方法とともに広がったという伝説が各地に残ります。 昼夜の寒暖差が大きい長野県では、澱粉がしっかりと熟成したおいしいそばを育てることができます。 そばは、主にそば粉と水からつくられるものです。 そして茹であがったそばは冷えたたっぷりの水でぎゅっと締められます。 いま2022-11-30
84上田市発祥の美味だれ上田市発祥の美味だれ美味焼き鳥は長野県の上田市発祥のご当地グルメ。 すりおろしたニンニクが入っている醤油ベースのたれをかけて食べます。 2010年に信州上田の食文化を表現していこうと市民によって「美味だれ」と名付けられました。 「おいだれ」はもともとあった方言で、「おまえたち」という意味があります。 そこに「美味しいタレ」と後から追ってかける「追いかけるたれ」という意味を語呂合わせて「美味だれ」となったそうです。2022-11-30
85蚕糸王国信州ものがたり蚕糸王国信州ものがたり今回上田の蚕糸業について調査していく中で、信州上田学の講義内でも取り上げられていた「蚕糸王国信州ものがたり 阿部勇編著」を大学図書館にて発見した。蚕糸業の変革から詳しい解説、ポスト蚕糸業についてなど、事細かにわかりやすく書いてある。ぜひ一度手に取って読んでいただきたい。2022-11-30
86感染対策ばっちり感染対策ばっちり 眞田神社を訪れたときにお参りしようとしたら、鐘を自分で揺らして鳴らすのではなく、手をかざすことによって鳴らすという画期的なものを見つけました。お賽銭箱の上に3つ並んでいたので、順番を待つ時間も短縮され、一石二鳥です。  本当は動画を掲載したかったのですが、うまくいきませんでした。。。2022-11-30
87蚕糸業からの転換蚕糸業からの転換上田市を代表する蚕糸業の遺構と言っても過言ではない建築物である常田館製糸場。その所有者である笠原製糸は笠原工業に改称したのち現在では、精密機器や電子部品の開発、製造を行っている。常田館も笠原工業の現在の事業の一つである発泡スチロールの倉庫として現役で活躍している。内部を見学すると奥まった場所には発泡スチロールが積まれて保管されていた。2022-11-30
88製糸業、紡績業跡地の活用製糸業、紡績業跡地の活用現在のアリオ上田店、サントミューぜ、上田警察署周辺の区画は鐘紡の紡績工場の跡地である。蚕糸業、紡績業の工場であった広大な土地は工場の廃止、撤退後の再開発事業で活用されている。アリオ上田の西隣にある積水ハウスの宅地開発分譲地「コモンステージ天神の杜」の西端は工場跡の区画のままの形のまま残っている点も興味深い。 2枚目資料: 上田市ホームページ『 コモンステージ天神の杜 』 建築協定 https://www.city.ueda.nagano.jp/uploaded/attachment/40476.pdf2022-11-30
89生島足島神社生島足島神社 生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の2神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社である。  ご本殿は神池に囲まれた神島のまわりを老樹に囲まれて建っている。御扉の奥には御室と呼ばれる内殿があり、内殿には床板がなく大地そのものが御神体として祀られている。この池を巡らせて神域とされる島を作る様子は「池心の宮園池いけこころのみやえんち」と称され、出雲式園地の面影を残す、日本でも最古の形式の1つとされるものである。  2枚目の神楽殿からちょこっとのぞく内殿の写真が個人的ベストショットです。2022-11-30
90眞田神社眞田神社 眞田神社は上田城本丸跡に鎮座しており、真田氏、仙谷氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としている。しかし、本来は松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平(しょうへい)神社と称していた。  松平家は、真田氏、仙谷氏のあと、江戸時代中期から明治の廃藩に至るまで7代160余年の長きにわたる上田藩主であった。  上田藩主となった系統の藤井松平氏の初代忠晴公は、隠退後は忠山と号した。寛文9年(1669)に亡くなった。忠山公の御墓所は京都の金戒光明寺にあり、京都に忠山公の御霊をまつる忠山社が設けられてもいた。これが眞田神社の起源となっている。  明治維新の変革の中、国に接収された上田城もまもなく民間に払い下げられ、城跡は急速に桑園・麦畑などに変化していった。そのような情勢の中で、旧上田藩士や2022-11-30
91観光地としての塩田地域観光地としての塩田地域 無言館のそばにある山王山公園にあった看板。  私は今回初めて塩田地域を歩いてみたが、かなり多くの標識や看板があり、道順を調べずとも観光施設などの目的地まで容易に向かうことができた。看板は方向と距離のみがわかるようなシンプルなものだが、英語の表記やイラストもあって外国人観光客にも配慮がなされていた。このような看板の設置は、塩田平が日本遺産に指定されたことで外国人観光客の増加が予想されるためと考えられる。  塩田地域は観光資源や遺産、文化芸術施設が多く存在するが、それらは目立たない場所にあったりそれぞれの距離が遠かったりして、個人で車を利用せずに巡るには少し不便だった。だがこのような観光客向けの看板の設置は、塩田平を初めて訪れた私のような人の不安を解消させてくれる良い存在であり2022-11-30
92別所線再生支援の取り組み②別所線再生支援の取り組み② 別所線では温泉駅前に移転した日帰り温泉施設あいそめの湯に併せ、別所線往復乗車券と入浴券をセットにしたお得な切符を販売されています。他にも一日フリーきっぷ、外湯入浴券付き切符、別所線・信州上田レイライン線電車・バスフリーきっぷなどがあります。 また、別所線の上田駅から別所線までの11.6㎞のうち、下之郷から別所温泉まではまるでレイラインに沿っているかのように見えることから、信州上田レイライン線の時刻表が上田駅にも張られている様子を見かけました。 地域の特性を最大限に活かすための鉄道の運営が盛んにされており、それが地域活性化や別所線再生支援にもつながっていくと思います。2023-01-22
93檻の俳句館檻の俳句館 前山寺まで向かう途中の道にあった俳句を展示するギャラリー「檻の俳句館」。  訪れた日は閉まっていて、建物には蜘蛛の巣が張っていて開放している日があるようには見えなかった。気になったため、向かい側にある上田紬を取り扱う「藤本」というお店で話を伺ったところ、店員の方も俳句館が開いているところはしばらく見ていないらしい。  古い古民家を利用したようなこじんまりとした建物だが、窓からのぞいてみると俳句数点とそれをイメージしたような美術作品が展示されていて、ぜひいつか中に入って見てみたい。  隣には槐多庵というギャラリーもあったがこちらも開館している様子はなく、うまく活用できていないのが大変残念だった。せっかくこだわりの詰まった興味深い建物なので、無言館や残照館と合わせて塩田地域でよ2022-11-30
94蚕糸業の衰退蚕糸業の衰退上の資料から読み取れる通りピーク時日本の主要産業であった日本の蚕糸業は今や細々と続けられているもののみとなってしまった。 そこでその蚕糸業の、主要拠点であった上田市がその後どのような変革、転換を遂げたか調査してみることにした。 参考資料:蚕糸業をめぐる事情 農林水産省 令和4年7月 https://www.maff.go.jp/j/seisan/tokusan/attach/pdf/sannshi-3.pdf2022-11-30
95傷ついた画布のドーム傷ついた画布のドーム 無言館の第二展示館である「傷ついた画布のドーム」「オリーブの読書館」を訪れた。  ドーム型の天井には画学生のデッサンや下絵が380点余り貼られている。入り口前にある庭には沖縄の磨文仁の丘の石が敷き詰められており、作品が展示されている没画学生も戦時中に踏みしめていたのかもしれないと思うと心を締め付けられた。  オリーブの読書館には多くの美術関連書籍が壁一面に並んでいて、日差しが差しむ静かな館内で読書を楽しめる。他にも無言館館長の窪島誠一郎さんの著書も閲覧できた。2022-11-30
96安楽寺 八角三重塔安楽寺 八角三重塔八角三重塔は信州最古の禅寺であり、この塔の特徴は日本で唯一の木造八角塔で、国宝として長野県で最初に指定されました。しかし、創建年代は不詳だそう。一番下の屋根は裳階(もこし)と言われるそうです。2022-11-30
97無言館無言館 太平洋戦争などで戦死した画学生の遺作や遺品を展示する、戦没画学生慰霊美術館 無言館。  今年の24時間テレビのスペシャルドラマの題材にも取り上げられていたため以前から興味があり、今回初めて訪れることができた。  「自問坂」という大変急な坂道を上った先の、コンクリート造りで静けさに包まれた館内には、画学生が出兵前や戦地にいる間に描いた作品や家族に送った手紙、画材などが展示されている。遺族が語る画学生の人物像や彼らとの思い出とともに作品を眺めることで、彼らが必死に作品に込めた家族や故郷への愛、絵画・彫刻への情熱を受け取れた気がした。2022-11-30
98別所線再生支援の取り組み①別所線再生支援の取り組み① 別所線の車内や上田駅、別所温泉駅などでは、子ども達の応援の声を見かけることが多く実際に小学生が別所線にのって、地域交流をしている様子を感じます。  駅長による車内のハーモニカ演奏や貸し切りライブなどが行われその際の感想が上田駅にはられている様子を見ることが出来ました。別所線の100周年の際には、SNSにテレビに人気のハラミちゃんが祝福するピアノ演奏を披露していただいたそうです。音楽を通して別所線を応援したり、地域の人々がつながったりしている様子が見えとても温かい気持ちになりました。小さなことでも地域の方々が別所線を大事にしている様子が見えて愛されていることを感じることが出来ました。2022-11-30
99こんなストーブ見たことないこんなストーブ見たことないゼミでお世話になっている高校に行った際、部屋の隅っこにとあるストーブがありました。長野県の公立高校ではメジャーに使われているストーブだそうです。 だるまストーブと呼ぶ?場合もあるそうです。 そんな古くから長野の地で教育を展開してきたこの学校は、市外からの進学者も多く、なかなか「地元愛」を感じれる学びを展開することが難しいように感じる。 小学生との交流会を目前にして、様々な問題が出てきたが、古くからの歴史ある学びに携わらせてもらえていることを喜びに感じながら、最後まで頑張っていこうと思った。2022-11-30
100気候と養蚕業気候と養蚕業上田市は年間降水量が1000mm未満であり、日本一晴れの日が多い街である。この気候は蚕の飼育に適しており、上田市は日本でも屈指の蚕の産地になった。2022-11-30
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