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1
互 先発 水掛酒造
上田市の地酒2段目です! 中辛 実際に飲んだら、とても酸味が強く感じた。 原料米 長野県産ひとごこち 水掛酒造は2月4日に蔵見学に行くので、投稿楽しみに!!
2024-02-01
2
学生による地域キュレーション2022(信州上田学A受講生)
長野大学の地域科目「信州上田学A」を受講した学生が「信州上田」を接点とした地域キュレーションの学習成果です。タイトルを選ぶとその学生のマイサイトを表示します。 ▼カテゴリ1:蚕都上田
【1】
長野県の中でなぜ上田市が蚕都で有名なのか
【2】
上田の養蚕の歴史を掘り下げ、伝え続けるには。
【3】
蚕都上田の歴史と未来
【4】
製糸業の歴史
【5】
蚕都上田の歴史
【6】
蚕都上田
2023-02-10
3
蚕都上田の歴史と未来
私は「蚕都上田の歴史と未来」というテーマで蚕都について探求しました。より考えを深めるために計四か所の施設に見学に行きました。 一枚目の写真は上田駅の構内に設置されている繭の女神様です。蚕糸業の全盛期時代である大正時代から蚕は上田の地を支える存在であったことが分かりました。 二枚目、三枚目の写真は常田館製糸場と上田蚕種協同組合事務棟です。製糸場は繭の乾燥や保管のために多窓式になっているなど建物ごとに様々な工夫が見られました。製糸場の建物15棟中7棟は国の重要文化財に、事務棟は文化庁の登録有形文化財にそれぞれ指定されています。四枚目の写真はホール、美術館などの複合施設であるサントミューゼです。名前の由来は蚕都からきており、人々の交流の場として上田市には欠かせない存在になっています
2023-01-26
4
市街地方面の神社・寺院と真田氏
上田城周辺には、神社・寺院が多数存在する。しかも、同じような場所に集まっている場合が多い。これは、地域のシンボルである上田城に深く関わってくる。1583(天正11)年、上田城を築城した真田昌幸は、城下町として海野町を作った。これは、先祖の地である海野郷(現在の東御市本海野)より、新たな本拠地近くに住民を移住させたことに由来する。それに伴い、海野郷近辺にあった寺院を城の近くに移した。例えば願行寺や日輪寺といった寺院がこれに該当し、真田氏の先祖である海野氏が開いたとされる場合が多い。特に願行寺は、江戸時代に上田藩の菩提寺になったほど、この地域や人々に深く根付いていたと考えられる。また海野町には、商売繁盛を利益とする高市神社がある。これは昌幸がつくったものだ。 このように、上田城を築城す
2023-01-26
5
名工の社殿と養蚕農家 ~上田市下堀地区~
信濃国分寺駅の南側に位置する下堀地区です。 ここには堀川神社があり、今でも地区住民によって守られています。 拝殿は一見シンプルですが、本殿を見ると見事な装飾があります。これは1886年(明治19年)に上田の名工竹内八十吉によって掘られたものです。八十吉は1815年(文化12年)から1898年(明治31年)まで活躍した諏訪立川流の大工で、堀川神社以外にも信濃国分寺の本殿の彫刻も掘っている。 次に下堀地区は養蚕業で栄えていた地区である。その証拠がこの石垣である。 これは、ぼたもち積みと呼ばれる積み方でお金持ちの家しか作ることができない石垣である。https://d-commons.net/upload/4/575/054168_0023_006.jpg養蚕業で儲けていたからこそできる石垣で、当時は養蚕農家それぞれが競い合って家を建てていたそうだ。それほどまでにこの地区の養
2023-01-19
6
塩田平のため池
上田は雨が少なく、その中でも特に塩田には大きな河川が通っていないため水不足になりやすい。しかし米作りをするためには水がたくさん必要である。そこで塩田平には江戸時代を中心に多くのため池が作られた。それぞれの池に個性的な名前が付けられているので、散歩がてら観察してみるのも面白い。
2023-01-26
7
眞田神社
眞田神社は「上田合戦」に勝利した真田昌幸・幸村親子をはじめ代々の上田城主を祀った神社なので、「勝負運」や「勝運」、落ちない城ということで「学業成就」のご利益があるとされています。
2023-01-26
8
信州上田学まとめ
私は蚕都上田の歴史について探求しました。重要文化財である常田館製糸場や上田蚕種協業組合などに見学に行き、実際に使われていた建物をこの目で確かめることができ、改めて上田が蚕都の盛んな地域だったということを実感しました。特に印象的だったのが常田館製糸場の建物内で見つけた「猫は蚕の神様です」という言葉です。蚕が無事育ち、良い繭を作ってくれるようネズミ避けのために猫にまつわる様々な祈願がされていたと分かりました。常田館製糸場は綺麗に保管されており、中には繭で作った作品などもあったので、行ったことが無い方はぜひ足を運んでいただきたいと思いました。
2023-01-25
9
農民美術運動を促進した人物
版画家・山本鼎は、明治15年愛知県岡崎市で生まれましたが、父親が小県郡神川村大屋(現在の上田市大屋)に大屋医院を開業したため、鼎は上田との由縁がありました。 鼎は版画家としてだけでなく、画家としてもその名を残しました。明治35年、20歳で東京美術学校へ入学し、「湖畔」で有名な黒田清輝に油絵を学びました。大正元年にはフランスに渡り、その間に描いた作品はどれも好評を博しました。 帰国後、児童画とその指導方法の改革を目指した運動を起こします。鼎は絵を描く技術、方法が重要ではなく、自分の目で見て、感じたとったものを描くことが、児童の発達に大切などだと説きました。その後大正8年4月には神川小学校で第一回児童自由画展覧会を開催し、自由画教育は全国各地に広がりました。 一方、大正8年11月には神川村
2023-01-25
10
農民美術を再び普及させるには
私は課題探求ゼミナールで森林資源の活用方法として農民美術のこっぱ人形に利用できないかと考えていたため農民美術を再び普及させるためにはどうすればよいかを探求テーマとした。 農民美術は今からおよそ100年前に山本鼎によって提唱された。農村部の若者たちに手工芸品の技術を教え農閑期の副業としまた、それまで無縁であった美術活動への参加を促すものであった。上田市を拠点とし全国へと波及したが戦後は徐々に衰退した。 木っ端人形をふたたび普及させるためにまずは尾澤木彫美術館にて実際に木っ端人形の製作を体験した。実際に体験してみると道具の使い方が想像以上に難しいと感じた。また使用する道具も多く個人で気軽にできるものではないと感じた。 体験を踏まえて、講師による指導のもとで気軽に製作体験ができる体験会
2023-01-23
11
上田の魅力と活性化
単元3を通して、塩田平地域は「信州の鎌倉」と呼ばれ、多くの寺院や文化財、ため池など様々な魅力があることが分かった。しかし、活性化を考えたときに、オシャレや写真映えなどに興味がある若者からすると、現在の塩田平にあまり興味が湧かないと感じた。 そこで、ため池を活用した花火を打ち上げやイルミネーション、夜桜や紅葉をライトアップすることで若者を呼び込めると考えた。広いため池では、スワンボートのような足漕ぎボートを設置することで、若者だけでなく親子も楽しめると考える。 また、生島足島神社で祭りを開催したり、マルシェのようなものを開いたりすることで、老若男女問わず楽しめる場所になると考えた。マルシェでは地域の特産品などの宣伝を行うことも可能である。 以前、「信州上田レイライン線」
2023-01-23
12
まとめ
上田には歴史が詰まっている。 私は長野大学に入学してから上田市とのかかわりが増え、より感じるようになった。 例えば、上田城。石垣やお城の後はそこに時代を感じさせる。神社やお寺も意外と上田にあったりする。 上田駅を出てすぐの商店街は今も昔もそこに存在している感じがする。少し歩けばいろんなお店があって、昔ながらのものもあれば最近できたおしゃれなお店まで、点在している。 上田市がどうやって歴史をつないで今の姿になっているのかを私たちは肌で感じながら暮らすことができる。 それこそが上田にある魅力の一つではないだろうか。
2023-01-23
13
旧丸山邸へ向かうまでの小道
上田駅から旧丸山邸に向かうまでの道中に綺麗な小道があったので通ってみた。風情があり落ち着くことのできる場所だった。
2022-12-08
14
中村屋
上田駅から徒歩数十秒の場所にある肉うどん屋さん「中村屋」。珍しく、馬肉うどんや、馬刺しを提供している。どの料理も絶品である。
2022-12-08
15
富士アイス
上田のソウルフードである「じまん焼き」を売っている「富士アイス」。平日でも夕方ごろには行列ができるほどの人気店である。
2022-12-08
16
柳町
北国街道上田宿柳町。石畳と現代にはないような建物とが相まって美しい古き街並みを作りだしている。通りのお店はスイーツを売っているお店や、お酒を売っているお店などがあり、幅広い年齢層が楽しめる場所だ。
2022-12-08
17
おいだれ
上田市発祥の焼き鳥のたれ。 味噌とニンニクがよく効いていて、ご飯が非常に進みます。 手に入れるならイオンかやおふくに買いに行きましょう。
2022-12-06
18
上田招魂社
上田招魂社は眞田神社と同じく上田城内に建立されている神社です。戊辰戦役従軍の戦死者をはじめ日清日露の戦争を経て今次の大東亜戦争に至る間国家の為尊き命を捧げられた5,936人の英霊をまつる御社です。
2022-12-05
19
眞田神社
眞田神社は真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。しかし、もともとは松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平神社と呼ばれていました。 4枚目の写真は城内唯一の大井戸で、この井戸の抜け穴は白の北方、太郎山麓や藩主居館跡にも通じていたとの伝説があります。
2022-12-05
20
現代にも伝わる養蚕
上田市の小学校では、3・4年時に蚕を育てる学校が数多くあります。塩川小学校では、8月に上田市常田にある「上田蚕種」から蚕種を譲り受け、9月下旬頃に繭になるまで育てます。小学校生活の思い出として強烈に残る学年行事です。
2023-01-20
21
桑の葉を上田名物へ(?)
養蚕業の名所となった上田ですが、近年は正直見向きもされないような産業です。そこで、上田でよく採れた桑の葉を用いてお茶やお菓子を作り、お土産として売り出そうという動きがあります。「みすゞ飴」などで有名な飯島商店は「桑の葉糖」というお菓子を、上田市観光協会では石鹸を作るなど、自地域の特色を十分に発揮した商品を売り出しています。上田駅などにもあるのでお土産にどうぞ。
2022-12-05
22
山家神社
上田市真田町長にある山家神社です。「白山大権現(はくさんだいごんげん)」と称えられ、ご利益としては上田城鬼門除けの神として広く信仰されています。
2022-12-05
23
上田城
真田幸村で有名な上田城。二度にわたる徳川軍を退けた難攻不落の城と呼ばれている。大河ドラマの「真田幸村」や「サマーウォーズ」のモデルとしても知られ、多くのファンから人気の観光スポットにもなっている。春に行ったときは桜が満開で川に移る姿や楽し気な屋台の列が印象的でした。奥に進むと結構大きな神社もあって素敵な場所でした。
2022-12-05
24
グリーンパーク
上田の塩田にあるグリーンパークのミスタードーナツに行ってきました。大学前らへんからちょっと距離はあるけれど栄えているし、みんなの憩いの場に使われています。
2022-12-05
25
上田市のお土産と言えば…
長年上田市のお土産を代表していた飯島商店。 ここのみすず飴は老若男女に慕われています。
2022-12-05
26
上田東高校
この高校は長野県で2番目に古い歴史をもつ学校であり、小県蚕業学校として創立された学校です。
2022-12-05
27
上田映劇
明治時代、末広座という芝居小屋があり、そこに1917年に建てられたのが上田映劇の前身「上田劇場」です。当時一階には桟敷(さじき)と花道があり、回り舞台仕様歌舞伎座と同じような作りをしていました。上田市で100年の歴史を誇る老舗劇場です。
2022-12-05
28
経済を支えた高校
蚕種業で栄えた上田市の歴史ある高校です。 昔は小県蚕業高校として、多くの人材を排出しました。
2022-12-05
29
柳町
歴史ある街並みが続いており、建物一つ一つに風情を感じられます。かつては参勤交代や、佐渡金山の金の通路としてにぎわいました。現在はこの古き良き町並みを保存する取り組みも行われていて、上田の歴史が残された観光名所にもなっています。柳町は町全体が白壁の建物が多く、また家々の屋根や軒の高低差が少なく、高さがそろった整然とした町並みも見所です。
2022-12-05
30
上田城門
上田といえば、で多くの人からまず最初に出るのが上田城だと思います。こちらは千本桜祭りの様子になります。約1000本の桜が咲き誇り、夜はライトアップされた夜桜が見られます。
2022-12-05
31
春の上田城
千本桜まつりの際の上田城です。 桜が綺麗にライトアップされ幻想的な光景です。
2022-12-05
32
市内にある「桑の葉」
上田市内は気候などの条件が良く、果実が多く最愛されています。もちろん桑も非常に多く栽培され、特に塩尻地方には桑園が多くありました。現在の上田市に桑園はほとんどありませんが、もともと桑園だった土地にある上田西高校は、制服に桑の葉のマークを取り入れています。 (画像は上田西高校のHP「上田西高の教育」より抜粋)
2022-12-05
33
温泉薬師瑠璃殿
温泉薬師瑠璃殿は北向観音の境内にある薬師堂であり、建物は崖にへばりつくように建てられていました。瑠璃殿という名称は薬師如来の「瑠璃光如来」から来ているが、温泉の薬効と薬師如来の病苦から人々を救うというご利益が結びついた温泉薬師信仰のためである。以前は大師湯の西隣にあったとされるが、寛保二年(1741)湯川の氾濫によって今の場所に移され、文化六年(1809)に現在の形に再建された。 土台が意外と細いにもかかわらずしっかりと立っていて、周りには大きな木に囲まれていた。その木の中のひとつに上田市の文化財である愛染カツラ(あいぜんかつら)もありました。
2022-12-04
34
鎌原まんぢゅう
別所温泉駅から歩いて数分の老舗饅頭屋。創業160年と長い歴史があります。厄除けの北向観音にちなんだ「厄除けまんじゅう」が人気であり、ほかにもおやきや上田市のブランドリンゴを使って作った自家製のリンゴ餡のリンゴ饅頭などがあり、どれも美味しそうでした。 建物の佇まいが素晴らしく、温泉地にぴったりで門などがありおしゃれで静かな場所でした。
2022-12-04
35
市街地方面の寺院、神社
やはり城下町らしく、この地を治めた真田氏に縁あるものが多い。欧州ではキリスト教、東洋で仏教、そして日本の神道。古来より信仰というものは人々の生活の隣にあるものだった。信仰のあり方はその地域の生活のあり方ともいえる。歴史を紐解くうえで貴重な材料となり得るものである。(今回キリスト教を取り上げなかったのは、ここいら一帯はキリシタンが現れた時期が遅かったと考えられるためである。)
2022-12-04
36
科野大宮社
祭神は「事代主命(コトシロヌシノミコト)」、「大巳貴命(オオナムチノミコト)」。なかなかの規模の神社。近くに高校があったり、スーパーがあったりする。こういった施設が入り乱れている点も上田市のいいところ。
2022-12-04
37
願行寺
浄土宗の寺院、願行寺。設立には海野小太郎が関わっており、入り口の四脚門は市の指定文化財に登録されている。 古くは真田昌幸が上田城下町を作る際に海野郷から城に近い厩裏町に移され、その後息子の真田信之によって現在地に移された。 それにしても、「願い行く寺」ってなんかいいですよね。
2022-12-04
38
高市神社
海野町の通りにある神社。祭神は「大国主(オオクニヌシ)神」、「事代主(コトシロヌシ)神」。大国主神は大黒天、事代主神は恵比寿神として七福神にも数えられる。 この神社は海野町の商いの神様である。 境内には「運の石」という石があり、開運と悪運除けがご利益。真田昌幸が上田城築城の折に白鳥神社から霊力宿る石を授かった。それがこの神社のご神体。そして、その石に縁ある石を高野山から持ってきて運の石とした。
2022-12-04
39
太神宮社
祭神は「天照(アマテラス)皇大神」、「豊受(トヨウケ)皇大神」。1622年に秋和から今の場所へ遷された。上田地域の伊勢信仰の中心。境内にはお稲荷様らしき連鳥居がある。
2022-12-04
40
受け継がれる蚕都の伝統
今でも養蚕が盛んだったころのまま姿を残す建物がある。上田蚕種株式会社の建物である。 また一方で、新しい施設に「サント(蚕都)」と名付けられた例もある。「上田市交流文化芸術センター サントミューゼ」はホール、美術館の他に交流芝生広場があり住民の憩いの場となっている。
2022-12-01
41
上田紬
現代でも蚕の繭から紡ぐ紬は上田紬というブランドで親しまれている。着物だけでなく、ストールやがま口などの小物、アクセサリーにもなり人々の暮らしを彩っている。上田紬を身につけているとなんだか心が安らぐ気がする。
2022-12-01
42
上田市の公園
上田市には至る所に公園があり子育てがしやすいような環境を整備しようとする市や自治体の努力が見えた。
2022-12-01
43
上田の養蚕
他県よりずば抜けて養蚕が盛んだった長野県の中でも上田は特に養蚕業で栄えていた。 それは、千曲川の恩恵によるものである。上田盆地は桑の栽培に適していただけでなく、年間降水量が少ないことで蚕の飼育にも適していた。上田は、蚕の餌となる桑の栽培にも、蚕の生育にも適した土地であるという要素が重なって生まれた”蚕都”なのである。
2022-12-01
44
上田市と大正ロマン
上田市には柳町以外にも旧常田館製糸場、上田蚕種会館、信州大学繊維学部講堂など蚕都を感じさせる建築物が多く残っている。また、市には、このような建物以外にも別所温泉周辺の旅館や施設、またみすずあめの飯島商店、上塩尻など「大正ロマン」あふれる街並みが多く顕在しており、最近では上田を紹介する際にも「大正ロマン」というワードが使われているように感じる。これを活かし、町のデザインや都市開発につながってほしいと考える。
2022-11-30
45
蚕種上田④ 旧清水喜左衛門邸
今回は旧清水喜左衛門邸についてだ。 この住宅にも旧馬場藤四郎邸同様、瓦に家紋があり蔵もある。この近辺には家紋付きの家や蔵の県知育が多く見られ、改めて養蚕業による発展の規模を実感した。
2022-11-30
46
蚕影社
上田の最初の町の成型として考えられるのが蚕影社であり、神畑にあるこの社は28か所あるとされている神社の一つである。この神社群は養蚕の神を奉り、蚕の安定を図るために作られた。そのような経過を経て、上田地方では養蚕の拡大に伴い各地で養蚕振興が盛んになったことがうかがえる。また、神社は古代における村や集落の中心であったため、昔から現在にかけてまで、蚕は街づくりの基盤となっていたと考えることができる。
2022-11-30
47
信州は蚕糸王国
上田が蚕都という前に、長野県が蚕糸王国と呼ばれるのにはどんな所以があるのだろうか。 それは、長野県は約130年前から他県から群を抜いた生糸生産高があったことに由来する。1893~1930年の間、長野県に次いで生糸生産高の高い愛知県の数字の約2倍を常に記録していた。 また、蚕種生産高でも他県を圧倒していた。
2022-11-30
48
蚕種上田③ 旧馬場藤四郎邸
今回は旧馬場藤四郎邸についてだ。 この住宅も養蚕業に関わっており、特徴的なのはこの住宅の瓦に家紋がついている点だ。また敷地内に蔵があることからも分かる通り、家がかなり発展していたことが分かる。このことから養蚕業を起点とし、栄えていたことが分かる。
2022-11-30
49
蚕種上田② 佐藤家住宅・旧佐藤家宗家住宅
今回は佐藤家住宅・旧住宅家宗家住宅についてだ。 この住宅や土地はもともと養蚕に使用されており、蚕の育成・絹糸の採取に使用されている。現在空き地になっている旧佐藤家宗家住宅では再利用の方法を模索している。
2022-11-30
50
上田城
上田の歴史、ここにあり!上田といったら上田城のイメージが強く、観光客も多く訪れる。
2022-11-30
51
常田毘沙門堂
文政12年(1829)のころお堂の脇に寺小屋を開き、多聞庵と名付けられました。活文の名声は以前から広くいき渡っていたので、武士をはじめ農民や商人それに子供にいたるまで教えを受けたい人たちが殺到し、一時は1000人を越すほどでした。 毘沙門堂は、大正15年(1926)に建てられたものです。
2022-11-30
52
上田蚕種協同組合
旧上田蚕種株式会社の建物を組合の事務所として活用されている。蚕都としてのシンボルを現在も活用している良い例だと感じた
2022-11-30
53
蚕種上田① 藤本蚕業歴史館見学
「蚕種上田」の探求を行う。まず上田にある蚕業に関わってきた歴史的な建造物を見学し、魅力を見聞し、成果を報告する。 今回見学したのは藤本蚕業歴史館だ。この歴史館にはかつて上田で行われていた養蚕業に関する資料が多く保存されている。具体的な資料を見つけたい際にも資料概要が載せられている本があり、養蚕業の歴史を知りたい方にはもってこいな施設だ。
2022-11-30
54
染谷城
染谷城は「大熊屋敷」とも呼ばれ、真田昌幸の重臣・大熊氏が上田城の東の守りを固めるために配置された城館と考えられている。
2022-11-30
55
上田丸子修学館高校
教育目標を知性を磨き、創造的思考を逞しくし、情操をやしない進取態度を養う人間形成に主眼をおき、有為な人材の育成を期するとしている。2年次以降は自分で時間割を決めることできるところが特色である
2022-11-30
56
信濃国分寺
上田市にある歴史ある寺院。
2022-11-30
57
常田池
ため池が多いことで有名な上田市。常田池もそのひとつで、池の周りにはちょっとした休憩スペースもある。
2022-11-30
58
上田染谷高校
上田染谷高校は普通科と国際化で教育目標が違う。普通科は「向学の気風あふれる活気に満ちた学校づくりを通して、学力・情操・身体の調和ある発達を図り、将来の地域社会を担い、国際社会の平和と発展に寄与できる人間を育成する。」に対し、国際化は「自国の言語・歴史・文化への理解を深め、国際交流などの活動を通じ、社会の様々な事象に対する探究的な学びの姿勢を育み、豊かな国際感覚を持ち将来にわたり地域社会及び国際社会に貢献できる人材を育成する、語学力を高めるとともに、国際社会の諸問題に対応する思考力、情報を的確に発信するためのプレゼンテーション能力、実践的なコミュニケーション能力を養い、新たな社会を創造する力を育む。」とだいぶ違っている。
2022-11-30
59
日輪寺
天文14年(1545)真田家の先祖である海野小志廊幸義公によって創建された禅宗のひとつ、曹洞宗の寺院です。 海野家が没落すると後裔の真田家が庇護し真田昌幸が上田城に居城を移す際この地に移されたとされ、寺紋は真田家と同じ六文銭を掲げています。
2022-11-30
60
上田東高校
教育目標を自由な精神と責任・規律を重んじる態度を養い、自主性・創造性・協調性に富んだ個性豊かな人格の形成を目指す、憲法にもとづいた平和で民主的な社会をにない、国際社会に生きていくために必要な知識と判断力を養う、社会のさまざまな変化に柔軟に対応し、課題を積極的に解決していく力を養う、としている。上田西高校は私立であるが上田東高校は公立高校である。
2022-11-30
61
笠原工業常田館製糸場
上田市常田にある笠原工業常田館製糸場は明治33年に操業し国指定重要文化財にも指定されている。
2022-11-30
62
振り返って
これまで上塩尻と桑折町における養蚕業について説明してきました。上塩尻では養蚕に関する情報がいくつも残されていましたが、桑折町には残されている遺産はほとんどなく、情報や文献が少ないように感じました。現地に赴くことでしか分からないこともあるので、帰省した際にはじっくり散策を行い、再確認したいと思います。 小学校中学年の頃に理科の授業の一環として蚕を飼育していたことや祖父母の家でも養蚕が営まれていたという話から「養蚕」というテーマには馴染みがありました。しかし、私自身地元のことであるのにも関わらず新たな発見がたくさんあり、視野を広げて興味を持ってみることの重要性を実感しました。地域産業の誇りとなった養蚕業の歴史を上塩尻での取り組みのように何らかの形で未来に繋いでいけるのが理想の形
2022-11-30
63
上田千曲高校
質実剛健を教育目標とし、工業科・商業科・家政科と3つの大学科を擁する上小唯一の総合的な専門高校。社会人して、円満の人格、品位ある個人の完成を期としている。
2022-11-30
64
願行寺
浄土宗の寺院です。 願行寺の創建は不詳ですが、伝承によると千曲川太鼓淵で某村人が一光三尊の阿弥陀如来像を川底で見つけた事から当時の領主滋野氏に献上しました。 その後、後裔である海野小太郎が海野郷岩下に御堂を造営し松誉岌香上人を招き功徳山願行寺を開山、本尊として前述した阿弥陀如来像を安置しました。
2022-11-30
65
養蚕に適した気候上田
上田は古くから養蚕業が栄えていました。かなり古い歴史を持つ上田の養蚕業は、世界に向けても、輸出され蚕の産地として名を轟かせました。上田は降水量が少なく、乾燥しているため、蚕が育てやすく、長野は傾斜地が多いため蚕の餌になる桑などを生育しやすいという有利になる利点がありました。具体的には、上田の年間の平均降水量は約900mmであり、日本の平均降水量は1718mmであり、上田は全国平均の約半分ほどであるということが分かります。また、傾斜か多いため果樹や桑を育てることに有利な条件である水はけが良いということもあり、上田は気候の面でも後押しされて養蚕業が栄えてた要因の一つは気候であると言えるでしょう。
2022-11-30
66
上田紬
日本三大紬とは主に、大島紬、結城紬、上田紬のこと指すそうです。この日本三大紬の中の一つが上田にあるということで、調べてみました。 上田紬の特徴は、柔らかい肌触りの生地に、丈夫で、夏は涼しく冬は暖かく感じられることである。また、上田紬は、大島紬、結城紬と違って縦糸をまっすぐな糸で、横糸で真綿から引いた糸という少し波がある糸を使っていることも特徴です。 小岩井工房は、現在も上田紬を作っている数少ない工房です。そこでは着物も以前は紺色などの色が主流で一般の人々が日常で着ていた着物でしたが、現在では着物はあまり着られなくなって残念と話していました。また、今はグラデーションや、パステルカラーなどを使った今風の着物も出しているそうで、色のバリエーションを増やすなどすることで今の需要の変
2022-11-30
67
サントミューゼ
長野大学の入学式も行われたサントミューゼは「蚕都上田」が語源となっている。
2022-11-30
68
リンゴ染め(小岩井紬工房にて)
小岩井紬工房では今現在着物だけではなくて、小物なども作ることで新たな時代に対応しようとしています。その一つに、草木染めがありました。 上田はリンゴが有名なので、リンゴを使って染色した糸を使い織ると、柔らかな色合いの生地に仕上がります。これらを、着物や小物に仕上げ販売していました。 それらはとても淡い色合いで、上品な雰囲気を醸し出しており、リンゴ染めは上田の新しい名産にしたいと小岩井工房の方が話していました。
2022-11-30
69
上田高校
教育目標として試百難があり、困難から逃げない、周到な準備をする、最後まで粘り抜くを目標にしている。また、古城の門は歴史を感じさせる。
2022-11-30
70
小岩井紬工房にて
上田には上田紬を織っているという小岩井紬工房にお邪魔させて貰いました。 小岩井紬工房では、昔ながらの手法で生地を織っているという工房でした。 現在は着物を織る機械が9台あり、現在全ての機械は使っていないそうですが、着物やストールなどのワークショップに活用しているそうです。これらのワークショップだと最短で半日から出来るので皆さんも是非参加してみてください! 近年は着物の需要が落ち込みましたが、その代わりに、がま口やブックカバーなどの小物も作るようになり、対応しているそうです。 突然お邪魔しても暖かく迎えてくださった、小岩井紬工房の皆さんありがとうございました!是非皆さんも行ってみてください!
2022-11-30
71
月窓寺
月窓寺は海野一族の真田幸隆公の弟、隆永公の開基です。 山門は竜宮門(鐘楼門)で天井には龍の鏝絵が描かれています。 境内には上田市出身の様式兵学者で知られる「赤松小三郎」の遺髪の墓があります。 写真にもあるように、千羽鶴がたくさんあってびっくりしました。
2022-11-30
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上田が蚕が有名な理由とは
上田は養蚕業が盛んです。理由として様々な要因があると思います。まずは、気候の面です。上田は蚕を育てやすい気候をしていると分かりました。また、上田の蚕が歴史を持っているだけではなくて、上田の蚕が世界を救っていると言うことも分かりました。 さらに、養蚕業が盛んであったと分かる痕跡として、上田紬という織物もあります。上田紬という上田の地名がつくほどに栄えていたそうです。 富岡製糸場が製糸工場としては有名ですが、上田にも今でも製糸場が残っています。これは、とても珍しく全国で見ても数カ所にしかありません。 上田が蚕の都として有名であるのは、養蚕業が栄えていたことや、その痕跡が未だに残っていることが大きいと思いました。
2022-11-30
73
本陽寺
本陽寺は小諸城主であった仙石秀久が文禄5年(1596)に亡くなった夫人のため建てたお寺です。 夫人の墓を中心に上田城主二代 政俊の子供、忠俊の墓のほか五輪塔・舟型・角柱型などの石塔婆が大小11基あります。また、幼児の墓が6基もあります。 近くに幼稚園があって幼稚園児が遊んでいました!
2022-11-30
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地元から信州上田学へ
群馬県には上田市と同じように養蚕の歴史があり製糸業が盛んであった点で共通している。群馬には世界遺産に登録されている富岡製糸場があるため認知されているが上田市にはそれがない。そのため養蚕の歴史を知ってもらうことこそが蚕都上田の未来を考えるうえで重要になってくると思う。
2022-11-30
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上田の松茸
上田市内にはアカマツ林が多く、松茸の産地として知られています。 特に上田市の南西に位置する塩田平一帯は松茸の有名な産地で、9月中旬から11月初旬までは山の中腹に十数件の「松茸小屋」が営業します。
2022-11-30
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長野で盛んなジャム作り
日本で初めてジャムをつくったのは、明治10年。 東京の新宿にあった勧農局で、そのいちごジャムを試売したそうです。 企業としての始まりは、その4年後、1881年(明治14年)のことで、長野県人により缶詰のいちごジャムがつくられました。 以来、長野県はジャムづくりが盛んになりました。 上田で有名な、みすゞ飴本舗さんや、ツルヤスーパーさんで種類豊富なジャムが売られています。 長野特産のブルーベリーやあんずがおすすめです!
2022-11-30
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上塩尻における養蚕業②
本来常田製糸場を訪れるつもりだったのですが閉館時間が過ぎてしまい、「手織り上田紬小岩井工房」に向かいました。西上田駅から国道のそばを通り、小道に入った先にありました。遅い時間に訪れたのにも関わらず、ご丁寧に案内してもらい、二階にある機織り機も見学させてもらいました。 上田紬は結城紬(茨城県結城市を中心)と大島紬(鹿児島県奄美大島の奄美市名瀬地区を中心)に並ぶ日本三大紬に選ばれており、丈夫かつしなやかで縦糸と横糸の重なりによって多様な柄や色合いを生み出すのが特徴とされています。 入ってすぐ左側には買い物ができるスペースがとられています。そこで様々な話をお聞きしましたが、中でも小岩井工房の方が考えられたという「りんご染め」の上田紬がとても興味深かったです。りんごの品種と媒染の
2022-11-30
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上塩尻における養蚕業①
上田駅からしなの鉄道で一駅の場所にある「西上田駅」。 「西上田駅」は1920年(大正9年)に塩尻区の養種家などの請願によって国鉄信越本線の「北塩尻駅」という名で開業されました。1956年(昭和31年)に現在の西上田駅に改称されています。 駅前には【まゆ浪漫】という上塩尻における養蚕業の名残りに触れられるような散策ルートと説明が書かれた大きな看板が設置されていました。
2022-11-30
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上田市発祥の美味だれ
美味焼き鳥は長野県の上田市発祥のご当地グルメ。 すりおろしたニンニクが入っている醤油ベースのたれをかけて食べます。 2010年に信州上田の食文化を表現していこうと市民によって「美味だれ」と名付けられました。 「おいだれ」はもともとあった方言で、「おまえたち」という意味があります。 そこに「美味しいタレ」と後から追ってかける「追いかけるたれ」という意味を語呂合わせて「美味だれ」となったそうです。
2022-11-30
80
蚕糸王国信州ものがたり
今回上田の蚕糸業について調査していく中で、信州上田学の講義内でも取り上げられていた「蚕糸王国信州ものがたり 阿部勇編著」を大学図書館にて発見した。蚕糸業の変革から詳しい解説、ポスト蚕糸業についてなど、事細かにわかりやすく書いてある。ぜひ一度手に取って読んでいただきたい。
2022-11-30
81
繊維学の転換
上田市に立地する信州大学繊維学部、源流を辿ると1910年の上田蚕糸専門学校から始まる。当初は蚕糸や紡績業に関しての研究、教育を目的としていた。現在では繊維を広義に捉えて、炭素繊維やファイバー工学の研究へと転換している。
2022-11-30
82
感染対策ばっちり
眞田神社を訪れたときにお参りしようとしたら、鐘を自分で揺らして鳴らすのではなく、手をかざすことによって鳴らすという画期的なものを見つけました。お賽銭箱の上に3つ並んでいたので、順番を待つ時間も短縮され、一石二鳥です。 本当は動画を掲載したかったのですが、うまくいきませんでした。。。
2022-11-30
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蚕糸業からの転換
上田市を代表する蚕糸業の遺構と言っても過言ではない建築物である常田館製糸場。その所有者である笠原製糸は笠原工業に改称したのち現在では、精密機器や電子部品の開発、製造を行っている。常田館も笠原工業の現在の事業の一つである発泡スチロールの倉庫として現役で活躍している。内部を見学すると奥まった場所には発泡スチロールが積まれて保管されていた。
2022-11-30
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製糸業、紡績業跡地の活用
現在のアリオ上田店、サントミューぜ、上田警察署周辺の区画は鐘紡の紡績工場の跡地である。蚕糸業、紡績業の工場であった広大な土地は工場の廃止、撤退後の再開発事業で活用されている。アリオ上田の西隣にある積水ハウスの宅地開発分譲地「コモンステージ天神の杜」の西端は工場跡の区画のままの形のまま残っている点も興味深い。 2枚目資料: 上田市ホームページ『 コモンステージ天神の杜 』 建築協定 https://www.city.ueda.nagano.jp/uploaded/attachment/40476.pdf
2022-11-30
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生島足島神社
生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の2神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社である。 ご本殿は神池に囲まれた神島のまわりを老樹に囲まれて建っている。御扉の奥には御室と呼ばれる内殿があり、内殿には床板がなく大地そのものが御神体として祀られている。この池を巡らせて神域とされる島を作る様子は「池心の宮園池いけこころのみやえんち」と称され、出雲式園地の面影を残す、日本でも最古の形式の1つとされるものである。 2枚目の神楽殿からちょこっとのぞく内殿の写真が個人的ベストショットです。
2022-11-30
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眞田神社
眞田神社は上田城本丸跡に鎮座しており、真田氏、仙谷氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としている。しかし、本来は松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平(しょうへい)神社と称していた。 松平家は、真田氏、仙谷氏のあと、江戸時代中期から明治の廃藩に至るまで7代160余年の長きにわたる上田藩主であった。 上田藩主となった系統の藤井松平氏の初代忠晴公は、隠退後は忠山と号した。寛文9年(1669)に亡くなった。忠山公の御墓所は京都の金戒光明寺にあり、京都に忠山公の御霊をまつる忠山社が設けられてもいた。これが眞田神社の起源となっている。 明治維新の変革の中、国に接収された上田城もまもなく民間に払い下げられ、城跡は急速に桑園・麦畑などに変化していった。そのような情勢の中で、旧上田藩士や
2022-11-30
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アリオ神社
2021年12月28日にアリオ上田に設置された通称アリオ神社。本当の名前は「四阿流尾神社(あずまやりゅうおじんじゃ)」といい、上田市真田町長にある「山家神社」の分祀だそうだ。 社の大きさは横68㎝、奥行き88㎝、高さ約100㎝で総ヒバ造り。真田町の建築業者が設計し、武石村の大工が建築した。 山家神社の始まりは、食物の実り、郷の安寧、人々の無事を大きなしぜんのなかの一部として生かされていることに感謝し、祈りを捧げ掌を合わせたことである。 主祭神は国造り、国護り神話の中心的な神である大国主神、対偶神の伊邪那伎神との国生み、神生みの伊邪那美神、伊邪那伎神が伊邪那美神を追って黄泉国に到り、そこから逃げ帰ろうとして、黄泉平坂で争った際、間に立って二神の調停をした菊理媛神である。 神社の隣には
2022-11-30
88
檻の俳句館
前山寺まで向かう途中の道にあった俳句を展示するギャラリー「檻の俳句館」。 訪れた日は閉まっていて、建物には蜘蛛の巣が張っていて開放している日があるようには見えなかった。気になったため、向かい側にある上田紬を取り扱う「藤本」というお店で話を伺ったところ、店員の方も俳句館が開いているところはしばらく見ていないらしい。 古い古民家を利用したようなこじんまりとした建物だが、窓からのぞいてみると俳句数点とそれをイメージしたような美術作品が展示されていて、ぜひいつか中に入って見てみたい。 隣には槐多庵というギャラリーもあったがこちらも開館している様子はなく、うまく活用できていないのが大変残念だった。せっかくこだわりの詰まった興味深い建物なので、無言館や残照館と合わせて塩田地域でよ
2022-11-30
89
蚕糸業の衰退
上の資料から読み取れる通りピーク時日本の主要産業であった日本の蚕糸業は今や細々と続けられているもののみとなってしまった。 そこでその蚕糸業の、主要拠点であった上田市がその後どのような変革、転換を遂げたか調査してみることにした。 参考資料:蚕糸業をめぐる事情 農林水産省 令和4年7月 https://www.maff.go.jp/j/seisan/tokusan/attach/pdf/sannshi-3.pdf
2022-11-30
90
上田蚕種協業組合事務棟
この建物は、1917年に上田蚕種株式会社として成立したのが始まりです。1970年に現在の社名に変更されました。 上田蚕種協業組合事務棟は、蚕都上田の歴史を伝える象徴で、貴重な建物です。
2022-11-30
91
前山寺
真言宗のお寺である前山寺。 マツやサクラなどの並木が両側をおおう約150メートルの参道は、昭和54年に上田市文化財保護条例により市指定記念物に指定された。山に向かって参道を進むと、色あせた木でできた風情漂う門が出迎える。門をくぐった先には国の重要文化財に指定されている三重塔がそびえ立ち、戦国時代から伝わる建築美を間近で楽しむことができた。 入山料は一般・大学生200円。
2022-11-30
92
別所線再生支援の取り組み①
別所線の車内や上田駅、別所温泉駅などでは、子ども達の応援の声を見かけることが多く実際に小学生が別所線にのって、地域交流をしている様子を感じます。 駅長による車内のハーモニカ演奏や貸し切りライブなどが行われその際の感想が上田駅にはられている様子を見ることが出来ました。別所線の100周年の際には、SNSにテレビに人気のハラミちゃんが祝福するピアノ演奏を披露していただいたそうです。音楽を通して別所線を応援したり、地域の人々がつながったりしている様子が見えとても温かい気持ちになりました。小さなことでも地域の方々が別所線を大事にしている様子が見えて愛されていることを感じることが出来ました。
2022-11-30
93
サントミューゼ
蚕都が由来であるサントミューゼを訪れました。 とてもきれいで素敵な雰囲気の建物でした。再び訪問してみたいと思いました。
2022-11-30
94
上田蚕種協業組合事務棟
上田蚕種株式会社の事務棟として大正6年に完成し、建物はほとんど改変されていないそうです。正面は左右対称の構成となっており、木造二階建てで屋根は瓦葺きの建物です。 文化庁の登録有形文化財にもなっています。とても歴史を感じる建物でした。なぜ、改変されずに当時の姿をとどめていられているのか疑問に思いました。
2022-11-30
95
四階繭倉庫
干繭倉として建てられた。東西には窓が一つもなく、通し柱がなく繭の保管や作業に考慮した造りになっています。壁に雨がかからないように、各界部分に下屋がついていました。
2022-11-30
96
蚕の神様
蚕やさなぎ、繭までをかじり荒らす鼠は養蚕を悩ませてきました。鼠駆除のために猫を飼う一方、蚕が良い繭を作ってくれるように猫にまつわる様々な祈願をしました。上田地域周辺では「唐猫さま」と呼ばれていたり、「猫瓦」と呼ばれる猫耳状の二つの角が出ている屋根もあるそうです。 常田館製糸場内の展示にも四匹の猫を見つけました。現在身近な存在である猫が神様として祀られていることが興味深かったです。
2022-11-30
97
五階鉄筋繭倉庫
出火全焼のために建て替えられた、鉄筋コンクリート造りの五階建て建築物です。木造五階建繭倉とは異なり、干繭倉として建てられたもので、入り口は両開きの鉄扉が使用されています。階高も約240~345㎝と木造より高くなっており、繭の乾燥に優れた造りになっていました。
2022-11-30
98
常田館製糸場 見学
現笠原工業株式会社の常田製糸場は80年余りにわたって生糸の製造がおこなわれていました。構内には建物15棟が現存しており、うち7棟が国の重要文化財に指定されています。 この写真は五階繭倉庫です。多窓式繭乾燥・保管のための生繭倉庫として建設されました。製糸方法の変化に伴い、繭の保管・乾燥という目的から品質向上を目的とした干繭倉に改造され、小窓の多い造りになっている。
2022-11-30
99
猫は蚕の神様です
常田館製糸場の建物の中で見かけた「猫は蚕の神様です」という文がとても印象的でした。蚕が無事育ち、良い繭を作ってくれるようネズミよけのため猫にまつわる様々な祈願がされていたようです。
2022-11-29
100
上田蚕種協業組合
登録有形文化財である上田蚕種株式会社に行ってきました。この建物は上田蚕種株式会社の事務棟として大正6年に完成したそうです。「蚕都上田」を象徴する建物であることが伝わってきました。
2022-11-29
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