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登録リスト(該当:71件)
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1
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説明
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1
北向観音堂
平安時代初期に比叡山延暦寺座主慈覚大師円仁が開いた 霊場。北向きの本堂(本所は千手観音菩離像)は全国でも珍しく、南向きの善光寺本堂と相対しているとされる。「極楽往生」を願う善光寺と「両参り」し、ここで「現世利益」を祈ることで、より御利益があるとされる。かつて参道脇に長楽寺(常楽寺、交楽寺とともに天台宗の「別所三楽寺」のひとつ)があったが、現在は常楽寺を本坊とする。昭和36(1961)年に善光寺本堂と同じく、「撞木造り」の建物として増改築された。なお、手水舎には境内から湧出している温泉が使われている。 北向観音は『「極楽往生」を願う善光寺と「両参り」』というのをキーワードに、観光業に活かせると感じた。北向観音は、実際に自分で現地に行かないと感じないようなパワーがあると私は考えている。よって
2024-02-13
2
常楽寺石造多宝塔
常楽寺本堂左側の道を上がった奥に多重塔と呼ばれる堂々とした石造の塔が一基立っている。弘長2年(1262)に造られた。総高274.0㎝の重厚で堂々とした風格や造り方は鎌倉期多宝塔の優品とされ、おごそかなたたずまいを感じる境内である。 北向観音の出現地とされているため、同じく別所温泉にある北向観音堂と合わせて訪れる方もいるのではないかと感じた。
2024-02-13
3
長福寺銅造菩薩立像
長福寺「信州夢殿」の本尊として安置されている。アルカイックスマイルを特徴とする、像高36.7㎝の小金銅仏で、7世紀後半の白鳳時代の作品と考えられる。もとは上高井郡小布施町の旧家に伝わるものだったが、昭和13(1938)年に長福寺に移された。 長福寺はこの講義を受講するまで名前も聞いたことがなかった。ここは生島足島神社の前に訪れたが、休日であるにも関わらず、訪ねている人は私一人だった。正直なことを言うと、日本遺産に登録されているにしては、閑散としていると感じた。観光客を呼び込むためには、もっと情報発信に努めるべきだと感じた。
2024-02-13
4
信濃国分寺三重塔
信濃国分寺三重塔は、室町時代中期に建てられた。上田小県にある4つの三重塔の中で3番目に古い。第一層の大日如来が安置されている仏壇の鏡天井を囲む四方は「如意頭文」という珍しい彫刻である。一層の内部には、今も色のあとが残っている。 国分寺最古の三重塔であり、現在も建立当時の姿を見せていることは、目を引く魅力だなと考えた。また、別所温泉の安楽寺八角三重塔とともに大日如来が安置されたふたつの塔を合わせて巡る観光客も居るのではないかと感じた。
2024-02-13
5
安楽寺八角三重塔
中国から伝わった「禅宗様」で造られた、信州で初めて建てられた禅寺であり、長野県の「国宝第一号」である。一見、四重塔に見えるが一番下の屋根は裳階と解釈されている。塔の形が八角形と、特徴的である。八角形の塔は全国にこの塔一つしかない。頂上には相輪が晴天高くそびえたっている。 私は、「全国で一つ」や「県内国宝第一号」など観光客にとって魅力的な肩書が多いと感じた。凝った建築と森林の中の佇まいによりその肩書に負けない壮大な雰囲気がある。
2024-02-13
6
上田市の歴史を活かした観光
長福寺についてです 生島足島神社に隣に建つ長福寺は平安時代の康保2年(965)創建で、創基は祐存上人と伝えられています。境内の一隅にある八角円堂は奈良、法隆寺の夢殿を模して、二分の一の縮尺で建てられた美しい御堂で、信州夢殿と呼ばれて親しまれています。
2024-02-13
7
北向観音堂
北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場である。永元年(1182年)には源平争乱の中、木曾義仲の手により八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失してしまうが、源頼朝の命のもと伽藍復興がおこなわれ、建長4年(1252年)、塩田陸奥守北条国時により再興された。本堂が北に向いているのは、日本でもほとんど例がない。 私は、全国的にも珍しい特徴があるため、観光客の興味を引きやそうだなと感じた。また、北向観音堂までは坂道が多く歩きづらいが境内は整備がされているため綺麗だった。周辺に温泉があることは、寒い時期でも行きやすくなる要因となっているだろう。
2024-02-13
8
自転車レーンの整備例について
山梨県甲府市の自転車レーンの整備例だ。歩道を白いタイルと赤いタイルに分け、車道に遠い方から順に白いタイルが歩道、赤い方が自転車レーンとなっている。バス停と干渉する場所には自転車レーンにも横断歩道が整備され、人と自転車が安全に区分けされている。今後、しかし、上田市街、特に上田駅前や他の国道、県道では自転車レーンはおろか歩道も満足にない道がある。上田で自転車をより使いやすいものにするには、こうした大規模な自転車レーンの整備による歩車分離を促進しなければならいのではないか。 さらに、ポートの整備と自転車の配分も考えなければならないと思う。上田市内には、10を超えるポートがあったが、そのうち半分以上が千曲川の北側の上田市街である。市街でも、ポートが上田駅や上田城址公園のまわりに
2024-02-13
9
6代松平忠優(忠固)はどんな人物か
下の画像:ミッチーの画像を引用 上田市中央にある願行寺の松平氏の墓所を訪れた。写真に見えるのは、四角い石碑を外して、右手側から、上田藩6代藩主の松平忠優(ただます)またの名を忠固(ただかた)、4代藩主の松平忠済、そして忠済の嫡男で20歳くらいで若くして亡くなった忠英(ただつね)の墓である。この記事では、松平忠固の功績を取り上げたい。 忠固を一言で表すとすれば、幕府の体制を、開国つまり外国と貿易を始めるよう向かわせた人物である(オランダ、中国、朝鮮は入らない)。なぜか。忠固は二度、幕府の中枢つまり幕閣で老中という役職を務めている。そして、忠固の一度目の就任期間時には、幕府は日米和親条約を締結し、二度目の就任期間時には、幕府は日米修好通商条約を締結している。忠固は開国派の立場を
2024-02-08
10
安楽寺の文化財
安楽寺の文化財について、3つ紹介する。 一枚目の写真は重要文化財の「安楽寺前開山樵谷惟仙和尚像」。樵谷惟仙(しょうこくいせん)は安楽寺の初代住職。二枚目の写真は重要文化財の「安楽寺前二世幼牛恵仁和尚像」。幼牛恵仁(ようぎゅうえにん)は安楽寺の二代目住職。これらのような禅宗の僧の彫刻像のことを「頂相(ちんそう)」という。 三枚目の写真は上田市指定文化財の「輪蔵」。このなかには「黄檗版一切経」というお経が納められている。この輪蔵を回転すれば、文字を読めない人もお経を読める人と同じ功徳が与えられるといわれている。 参考文献: 上田市塩田地区学校職員会、上田市塩田文化財研究所編,『信州の鎌倉塩田平とその周辺』信毎書籍出版センター発行,昭和六〇年一二月二五日初版発行,p.66-69 曹洞宗安
2024-02-02
11
常楽寺の''石造多宝塔と石造多層塔''
常楽寺の石造多宝塔について。写真の場所は、昔大きな火柱と一緒に観音が現れた場所と言い伝えられている。 多宝塔というのは一枚目の写真のような塔のこと。多宝塔には木造のものと石造の物がある。常楽寺の物は石造の多宝塔で、重要文化財に指定されている。 多宝塔のほかにも多層塔もあり、二枚目の写真が多層塔。六〇年前の大正一三年に、別所温泉北向観音堂の近くの裏山の地下で発見された。その後どこかに行ってしまったが、滋賀県で発見。別所に返してもらった。 参考文献:上田市塩田地区学校職員会、上田市塩田文化財研究所編,『信州の鎌倉塩田平とその周辺』信毎書籍出版センター発行,昭和六〇年一二月二五日初版発行,p.56-58
2024-02-01
12
北向観音の''絵馬''
北向観音堂に奉納されている絵馬はとても興味深い。馬の絵や、鬼退治の絵、善光寺地震などが描かれた絵馬がある。絵馬の由来は、神は馬に乗った姿で現れるとするため昔は本物の馬を奉納していたそう。しかし次第に木や紙、馬の像で代用するようになっていった。鎌倉時代以後には、絵馬の図柄は馬だけではなく多様なものが描かれるようになっていった。 一枚目の写真は板絵鬼女紅葉退治の絵馬。平安時代、信州戸隠山に住み悪事を働いた鬼を退治したとされる伝説。鬼女征伐の命令を受けた平維茂は、北向観音の加護によって退治することができたといわれている。 二枚目の写真は善光寺大地震の絵馬。一八四七年に御開帳でにぎわう善光寺を突然大地震が襲い、多くの人が亡くなった。絵馬の中央にいる市之助という人は、一五人の一行と旅を
2024-02-01
13
松平氏とゆかりのある上田のスポット
上田を治めた松平氏にゆかりのあるスポットを載せたマップを作製した。今まで紹介してきた記事に加え、4つのスポットをマップに加えた。 信濃国分寺の三重塔修復で紹介した松平忠周であるが、彼は正徳2年(1712)5月に山家神社の社殿を、正徳4年(1714)8月には紺屋町八幡神社の社殿も修復している(ただ、どちらの修復も三重塔修復より前の時代になる)。上田に引っ越してきて間もない忠周は、古くから上田住民の心の拠り所となってきた上記の神社仏閣を修復することで、上田領民の信用・信頼を得ようとしたのではないか、と私は考える。加えて、これから先、領内で天災や大きな事件が起こらないように、と土着の神仏に願かけをする気持ちもあったと思う。 山家神社であるが、額縁の『山家神社』という字は、上田最後の藩主で、知
2024-01-30
14
安楽寺
安楽寺は長野県上田市別所温泉にある曹洞宗の寺院。山号を崇福山と称し、院号は護国院。開山は樵谷惟仙(しょうこくいせん)。本尊は釈迦如来。国宝の八角三重塔があり、長野県で最古の禅寺であることで知られている。 安楽寺の八角三重塔は国宝に指定されているだけあって、迫力があった。八角三重塔にむかうまでに急な階段を上らなければいけないのだが、高齢者の方や、足に障害を持っている方には厳しいと思った。
2024-01-26
15
常楽寺
寺伝によれば、平安時代初期の天長2年(825年)、「七久里の里」と呼ばれていた別所温泉に観音菩薩が出現し、その霊地に菩薩を安置するため、円仁(慈覚大師)が開創したとされる。 石造多宝塔は弘長2年(1262)の作で、総高274.0㎝の重厚で堂々とした風格や造り方は鎌倉期多宝塔の優品。塔が建てられている所は、北向観音の出現地といい、境内でもっとも神聖な場所とされる。 本堂の茅葺屋根が立派だった。石造多宝塔は神聖な場所だけあって周りが木に囲まれていて神秘的な雰囲気を味わえた。
2024-01-25
16
北向観音
北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場。 北向観音は北向に建立され 千手観音を御本尊として現世利益を願いう。また善光寺様は南向きに建立され阿弥陀様を御本尊として未来往生を願う。 北向観音と善光寺両方をお詣りしたほうが縁起が良い。 北向観音の手水は温泉であるところが、別所温泉らしくて観光地として魅力を感じた。善光寺と本堂の造りが類似しているところも興味深い。
2024-01-25
17
信濃国分寺に残る、初代・松平忠周の影
信濃国分寺本堂には、上田松平氏の「五三の桐」が描かれた垂れ幕と提灯が掛けられている。上田市立博物館が発行した『松平氏史料展』によると、松平忠周(ただちか)はそれまで損傷していた信濃国分寺の三重塔を、享保11年(1726)3月8日に修復したと書いてある。修復された当時の状態のまま今日まで残されているかどうかはわからない。だが、忠周が三重塔を今見えている形状に正したのは確かだろう。なお、忠周だけでなく、仙石氏や、その後の松平藩主も国分寺を保護・援助している。 私は実際に塔を見てみて、三重の屋根は青銅で葺かれているのではないかと思った。その青緑色と塔の木材部分の茶色の組み合わせは綺麗だった。また、塔のすぐそばには池がある。池側から三重塔を見ると、池の大きさはかなり違うけれど、京都府木津川
2023-11-30
18
4代松平忠済と藩主居館の門
これは歴代の上田藩主が住んでいた居館の表門である。寛政1年(1789)にこの門と居館は全焼したが、松平忠済(ただまさ)が翌年に再建させている。 瓦屋根の軒の両端を見てほしい。上田藩松平家の家紋「五三の桐紋」があしらわれた瓦が取り付けられている。屋根の棟板金を見てほしい。ここにもまた家紋の飾りが2つ取り付けられている。家紋の瓦からは、この門が持つ格式の高さが感じられる。門の両側には、白い塀がずらっと続いている。何だか「居館」というよりも「お寺」のイメージを彷彿とさせる。軒下には雨樋が付いている。化合した金属で作られたものだろう。江戸時代だったら、木材や竹で雨樋を作っただろうから、この樋は最近のものだろう。 門だけでなく雨樋や塀、屋根の状態などを見ると面白いだろう。
2023-11-25
19
安楽寺八角三重塔
中国から伝わった「禅宗様」で造られた、現存する日本唯一の木造八角三重塔。かつては「四重塔」とされたが、現在は一番下の屋根は裳階(ひさし)と解釈されている。創建は1290年代とされ、八角形のどっしりとした落ち着きがある塔で、頂上には相輪が青天高くそびえている。屋根の下の華やかな木組みも相まって、安定感と崇高美、華麗さを兼ね備えた名塔である。 ここはこれまでに二回訪れたが、何回行っても感動する場所であると私は思う。何段も階段を上ったあとに、姿をあらわす木造の塔は実際に足を運んで見るからこそ感じられるものが多くあると改めて思った。自然との調和もとても趣がある。しかし、この魅力はまだ多くの人に伝わり切っていないと感じている。よって、まずは魅力を伝えるために、信州上田の日本遺産のストーリーを
2023-10-24
20
戸隠山九頭龍大権現〔信州の浮世絵〕
江戸時代の浮世絵師、二代歌川広重による錦絵の揃物「諸国名所百景」の一つ。 初代広重の門人で、師の亡き後その画風を継承した二代広重が、安政6年(1859)から文久元年(1861)にかけて制作した。版元は、初代広重晩年の作「名所江戸百景」を出版した魚屋栄吉。徳川家の手厚い保護を受け、戸隠山顕光寺として信仰を集めた神仏混合の時代を描く。九頭龍大権現(現在の九頭龍社)の右に奥院(奥社)、江戸末期の狩野派絵師河鍋暁斎作の「龍の天井絵」がある中院(中社)、右下の石階段の先が宝光院(宝光社)とみられる。参道には杉木立の合間に院坊が立ち並び、参拝者や商人らが行き交う門前町として栄えた当時の様子を描いている。九頭龍社は古くから地主神として祀られてきた。 水の神、雨乞いの神、虫歯の神、縁結びの神として信仰を
2023-02-01
21
善光寺道久須里山〔信州の浮世絵〕
江戸時代の浮世絵師、二代歌川広重による錦絵の揃物「諸国名所百景」の一つ。 初代広重の門人で、師の亡き後その画風を継承した二代広重が、安政6年(1859)から文久元年(1861)にかけて制作した。版元は、初代広重晩年の作「名所江戸百景」を出版した魚屋栄吉。「久須里山」は善光寺の北、長野市浅川にある薬山。この中腹の断崖絶壁に大同2年(807)に懸崖造りの薬師堂が創建された。絶壁から迫り出した部分は支える柱もなく、ぶらぶらと揺れることから「ぶらん堂」と呼ばれ、現在の呼称「ブランド薬師」となったとされる。弘化4年(1847)の善光寺地震で崩落したが、文久元年(1861)に再建された。 URL:https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03CP1443040000 施設名:長野県立歴史館 参考資料先:信州デジタルコモンズ
2023-02-01
22
青木雪卿(あおきせっけい)
現在の長野市松代町岩野に生まれる。通称八重八、号を雪卿とした。川中島の更級雄斎 に絵を学んだとされる。松代城の障壁画を描き、多くの肖像画を描いたと伝えられる。 弘化 4 年(1847)に起こった善光寺地震後の被災地を、8代藩主真田幸貫の巡行どお りに描いた『感応公丁未震災後封内巡視図』は、被災地を写実的に描いた彼の代表作であり、災害史の重要な記録である。パノラマ写真のような眺望図や、実景を尊重する極めて 写実的な表現は、写真の影響を想像させるような、新しい表現が見られる。 https://nagano-citypromotion.com/learning/person.html https://www.sonpo.or.jp/report/publish/bousai/yobou_jihou/pdf/ybja_ez/ybja-ez-174.pdf ※図は『感応公丁未震災後封内巡視図』の一部である。
2023-02-01
23
お菓子の歴史(京菓子・上菓子時代)
京菓子とは、一般的に京都で作られたお菓子のことをいい、江戸が中心だった江戸時代において、都である京の菓子を地方のものと区別して呼び始めた。 また、京都では宮中や公家、茶寺や茶家に献上する菓子のことを上菓子と呼んでいるが、江戸では駄菓子(雑菓子)の対抗する意味として使われた。当時の菓子司が作るものは、蒸菓子、干菓子、駄菓子(雑菓子)であり、上菓子司の作る雑菓子には、白砂糖が用いられ、品質こそ上菓子であった。安永・天明期になると、和菓子の技巧は江戸独特の個性も加わり、かなり発展している。 守安正 著『お菓子の歴史』,白水社,1965. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2507981 (参照 2023-01-28)
2023-01-28
24
安楽寺八角三重塔
日本で最も古い臨済禅宗寺院の一つである安楽寺。そこにある木造八角三重塔は、木造の八角塔としては全国で一つしかないという貴重な建築で、長野県では一番早く「国宝」に指定された。 https://museum.umic.jp/bunkazai/document/dot1.html
2023-01-25
25
別所神社本殿
別所神社本殿は、別所温泉の北方、常楽寺に隣接し、塩田平をはじめ遠く浅間連峰が望める小高い丘の上にあります。 https://museum.umic.jp/bunkazai/document/dot14.htmlより引用
2023-01-25
26
別所温泉 解説
塩田平を囲む山なみの西方にそびえる夫神(おがみ)岳のふもとに、この地方の古い歴史とともに、絶えまなく湧き続けて来たのが別所の温泉である。この自然の出湯と人とのかかわりは、夫神岳の麓から古代の布目瓦が多数発掘されたことによっても、その古さが想像される。 国造や国府の所在していた古代から、庶民の安息療養の場所であり、また温泉の効能と医薬信仰が、やがて仏教の霊場としての北向観音堂となったであろう。 別所の温泉は昔から”七久里(ななくり)の湯”と呼ばれたといわれ、平安時代の有名な和歌集にもその名をとどめている。 鎌倉時代には北条氏の居館塩田城にも近いので北条一族の好んで来湯することも多かったと想像される。国宝八角三重塔のある名刹安楽禅寺は北条氏の開基によるところから、別所という地名は
2023-01-25
27
昭和の残り香を巡る~③北国街道柳町編~
「昭和の残り香を巡る」第三回は柳町。 城下町の情緒を残した取り組みを行う土地であり。 街並みはそのままに、様々なお店がそこで商売をいとなんでいます。善光寺への参拝のために整備され、佐渡の金を江戸に運ぶ道として五街道に次ぐ重要な役割を果たした北国街道の宿場町として栄えていた土地は景観はそのままに今も観光地として栄えています。 ここは皆さんが来ても楽しめる場所です。 是非行って見てはいかがでしょうか?
2022-10-25
28
小諸市 花川親水公園
小諸市の旧北国街道付近に流れる川沿いにある公園。桜の木が多く、春は壮観。 新町という地域の三大桜名所のひとつであり、地域住民のコミュニティ活動の場にもなっている。 花川という名前は、名代(伝)が桜という小諸の民話に由来する。朝日がさせばその影が善光寺まで、夕日がさせば碓氷峠までとどき、その花びらが田んぼにたまって苗代の準備ができないほどの桜の大木が花川付近にあった、そこから名付けられたと伝わっている。
2022-05-10
29
布引観音 布引山釈尊寺
長野県小諸市布引山にある、「牛に引かれて善光寺参り」伝説で有名な寺。行基が開いたと伝わる歴史がある。善光寺に繋がるとされる善光寺穴など、参道には様々な言い伝えが残る洞穴や岩が多く存在しており、案内看板を読みながら登る楽しさもある。 観音堂は崖に張り付くような形の懸崖造りで作られており、見応えがある。自然に囲まれていたり、山の上の高い部分に作られていたりすることから、眺望もいい場所である。 参道は軽い山道のようになっており、軽い運動に適している。 牛に引かれて善光寺参りとは、布引山釈尊寺と善光寺に関する伝説。布引山の麓に暮らす不信心な老婆が川で布を洗っていたところ、牛が現れて布を角にひっかけていってしまった。老婆は怒って牛を追いかけ、ついに善光寺まで辿り着いた。そこで牛の涎が
2022-05-09
30
まとめ・参考文献
【まとめ】 今回は本を読む時間をとることができなく、ネットでの情報のみとなりましたが、楽しみながら調べることが出来ました。しかし物語についての情報はあったのですが、詳しい情報はすぐに見つけるのが難しく、計画的にやっておくべきだったと後悔しました。 【参考文献】2022/2/15参照 祈り岩〔源平屋島合戦古戦場〕|高松市 https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kurashi/kosodate/bunka/bunkazai/shiteibunkazai/shiseki/inoriiwa.html 扇の的弓道大会|日光の伝統行事|日光観光ライブ情報局 http://nikko.4-seasons.jp/festival/function_detail.shtml?0:41 郷土の誉れ那須与一|大田原市 https://www.city.ohtawara.tochigi.jp/docs/2013082771858/ 玄性寺 大田原市観光協会 栃木県大田原市の観光案内 https://www.ohtawara.info/spot_detail.html?id=6 那須与一が愛したお寺:即成院|レンタサイクル京都ecoトリップ
2022-02-15
31
那須与一ゆかりの地
那須与一のゆかりの地は各地にあります。今回は3つ紹介します。 1つ目は栃木県大田原市にある『玄性寺』です。境内には与一をはじめとする那須一族の供養塔が残っています。また、矢剪石という巨石があり、与一が扇の的を射抜いた時、この石に亀裂が走ったと言われています。 2つ目は京都府京都市にある『即成院』です。突然病に倒れた与一は即成院で療養しました。熱心な祈願により病が治り、功績(扇の的)をあげることができた与一は、その後も即成院で生涯を終えたと言われています。与一のお墓があります。 3つ目は香川県高松市牟礼町にある『祈り岩(駒立岩)』です。扇の的を射る前に、与一がこの岩に向かい、「南無八幡大菩薩、別してはわが国の神明日光権現、宇都宮那須湯泉大明神、願わくはあの扇の真中射させ給えか
2022-02-15
32
那須与一に関係するイベントなど
『扇の的弓道大会』 中禅寺湖に浮かんだ船の上の扇を的とした弓道大会です。毎年約1500人が参加します。私も中学生の時に参加したことがあり、先輩から先頭の船に乗っている巫女の人形の名前はキャサリンだと教えられました。根拠はないため、ひとつの噂話として頭に入れていただけるとうれしいです。 場所→栃木県日光市中宮祠 日時→8月4日 8:00~15:00 『与一弓道大会』 那須与一の偉業を顕彰するための大会です。中高生の参加者は県北地区居住者に限られます。的が扇型になっています。 場所→大田原市福原玄性寺与一弓道場 『大田原与一まつり』 那須与一を称えるまつりです。昼の部には武者行列、子供みこしが、夜の部には与一踊りがあります。令和2年度から令和4年度の3年間休止されています。 『扇の
2022-02-15
33
まとめ
地元富士・富士宮地域を対象として、初めは「宗教」にスポットを当て「富士宮駅1番線ホーム」を知りJR身延線に興味が湧き探究した。ただ資料を探るにも、デジタルアーカイブのようなパソコンで資料を閲覧することが対象地域では不可能で、探究には現地へ赴く(情報収入場所として富士市・富士宮の図書館へ行った)ことが欠かせなかったのは難点であり、同時にデジタル化の利点を身をもって痛感した。今回のテーマは地元の私でもほとんど聞いたことのないような歴史であり、静岡・甲府間の移動をする人にはぜひ常識的に知って欲しい知識であったので、今後もこの情報が残ることを期待する。 以下、参照 遠藤秀男 2009『懐かしの富士宮 -写真集-』羽衣出版 沢田正彦 1994『富士川舟運と身延線』富士宮市(2,3,4番目の記事の写真の出典
2022-02-06
34
ため池の現状と様々な機能
長野県のため池の数は全国26位の1892か所であり、全国的にため池は、瀬戸内海式気候の場所に多いことがわかる。この気候区は降水量が少なく比較的晴天率が高いという、上田市と同じような特徴を持っている。 ため池は様々な機能を持っている。 その土地独自の生態系を保ったり、地域の歴史的な文化の保持などが挙げられる。山間部のため池では、洪水調節機能や、土砂流出防止機能なども挙げられる。 また、現在、全国ではため池の様々な利用が進んでいる。福岡県福岡市では、蓮花寺池というため池に、水上太陽光発電を設置し利用を進めており、約400世帯の電気を発電している。 参考・引用
ため池をめぐる状況について|農林水産省農村振興局整備部防災課
2022-01-30
35
4 年表からひもとく
坂井村誌内の年表を一部引用し、特に重要な部分をまとめた。
昭和12年(1937年)
・
盧溝橋事件が勃発。村内の予備兵に召集下令があり、村内に一気に緊張感が流れた。
・銃後後援会(後に奉公会)結成、村防護団結成・応召家庭の農作業奉仕。 ・軍の指示により、初めて防空演習が行われる。 ・国防婦人会結成(全村)、国民精神総動員長野県実行委員会(会長・県知事)坂井村支部(支部長・村長)結成。 ⇒日中全面戦争の開始に伴って始められた、国民の戦争協力を促す官製国民運動。「精動」と略されることもある。1937年(昭和12)8月第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣は「国民精神総動員実施要綱」を閣議決定し、同年10月「挙国一致、尽忠(じんちゅう)報国、堅忍(けんにん)持久」のスローガンのもとに国民精神総動員
2022-01-29
36
ミラクレープ
寺下駅から徒歩2分の先程の味楽亭さんのすぐ隣にあるクレープ屋さんです! 隣の味楽亭さんでご飯を食べたあとでも余裕でした!とてもおいしかったです(^^♪
2022-01-27
37
味楽亭
寺下駅から徒歩2分のところにあるとんかつと洋食のお店です! メニューも充実していて、とても美味しかったです(^^♪
2022-01-27
38
大師湯(だいしゆ)慈覚大師の湯について
大師湯は慈覚大師の湯とも呼ばれていたそうです。 天長二年(825年、平安時代)比叡山延暦寺の座主円仁慈覚大師が北向観音堂建立のため当地に来錫の際、好んで入浴したので大師湯と名付けられたそうです。 かつては北向山に参詣した籠の者が夜通し入れ替わり利用したので籠の湯ともいわれました。 昔、矢傷を負った雉子が湯あみして傷をいやしたので「雉子湯」と呼んだこともあったそうです。 安楽寺開山樵谷、二代幼牛の両禅師の木像(重要文化財)が夜な夜な入浴されるので、尊貴を恐れた村人がついに木像の目玉を抜き取ったという大師湯にまつわる伝説もあるそうです。
2022-01-26
39
手洗池(てあらいけ)
手洗池には二つの名前の由来がある。こららを紹介したいと思う。 昔、柳沢村(現上田市古安曽)に幹が6メートルもある大きなけやきの木がありました。ある秋、このけやきの木の枝が折れてしまい、村人は何か変わったことが起きるのではないかと心配していました。すると翌年の夏、すさまじい嵐が起こりました。このため山のほとんどの木が風や落雷のために倒れてしまい、村人は途方に暮れました。さらにこの年も大きなけやきの木の枝が折れてしまい、その翌年もまた大荒れに見舞われました。村人たちは、大きなけやきのせいではないかと考えるようになり、どのようにしたらよいか考えていました。 ちょうどその時、木曽義仲に仕えていた手塚太郎金刺光盛という人が、丸子のお城から手塚へ帰る途中、柳沢を通られましたので、相談した
2022-01-26
40
尾澤木彫美術館
そんな農民美術品を実際に見たり、購入できる美術館があります。それは信濃国分寺駅近くにある尾澤木彫美術館です。実際に新潟の山中にあった古民家を洋風にリフォームして活用した外観がとても素敵でした。その中には多くの農民美術が飾られています。ここは農民美術の先駆者出会った山本さんと共にいた尾形千春さんとそのご子息である尾澤敏春さんの木彫り作品などが貯蔵されています。
2022-01-25
41
富士宮駅1番線ホーム
以前創価学会専用列車が発着していた時に使用されていたホーム。 富士宮には日蓮正宗の総本山、大石寺があったため、戦後は創価学会が大石寺参詣を目的とし、創価学会団体専用列車、通称「創臨」が東京から直で富士宮駅にまで発着していた。しかし、1991年日蓮正宗が創価学会を破門したのをきっかけに本数は激減し、現在は運行されていない。
2022-01-23
42
北向観音堂
北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場です。 安和2年(969年)、平維茂は一山を修理し、三楽寺、四院、六十坊を増築したと伝えられている。北向観音様は北向に建立され 千手観音様を御本尊として現世利益の願いが込められている。 また、北向観音堂の周りにはお店がたち並んでいて、北向観音堂だけではなく周りのお店でも楽しめるものになっている。
2021-07-23
43
愛染カツラ
樹齢1200年の老木で若い人からは縁結びの木と呼ばれています。天長の昔、常楽寺の火坑出現の観世音菩薩が影向した霊木といわれています。昭和14年6月5日、長野県の天然記念物に指定されました。見た目から長い月日が思い浮かぶほど貫禄があり、見るだけで自然と力をもらえます。
2021-07-23
44
北向観音堂
北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場。源平争乱の中で全焼したが、建長4年(1252年)塩田陸奥守北条国時により再興された。長い歴史があり、今の時代の幸せを願い極楽世界でも幸せがあるようにと建てられた。
2021-07-23
45
信州そば・江戸前そばの発祥
信州そば そば切りは1574年の信州木曽定勝寺の落成祝いに振る舞われたのが最古の文献記録。日本国内では蕎麦が食べられてたが、「そばがき」や「そば団子」などが主流。 信州は山間地、高冷地が多く、昼夜の気温差が高くて蕎麦の栽培には最適な土地。 江戸時代には信州信濃国の本山宿から全国に麺状の蕎麦が広まっていった。 江戸前そば 男一人で江戸に出張する機会があるため、外食ビジネスの需要が高まった。1657年頃、浅草にできた一膳飯屋を皮切りに、蕎麦を提供する店が出現。気軽にお腹を満たせるスタイルが江戸っ子に受けて、町には蕎麦屋が瞬く間に増えた。
2021-05-14
46
安楽寺
安楽寺では、ご本尊に釈迦牟尼仏。 両脇に文殊と普賢の菩薩をまつっている。 本堂に突き当たって左の階段から国宝八角三重塔へ向かうことができる。 参道沿いには重要文化財や記念碑が並ぶ。 安楽寺は禅宗としては、鎌倉の建長寺と並んで日本では最も古い臨済禅宗寺院の一つです。 1588年頃、高山順京が曹洞宗に改めました。 高い山の上でひっそりとたたずむ安楽寺には神秘感が漂います。 かやぶき屋根で厳かな雰囲気の安楽寺に心が浄化されます。
2021-05-05
47
七苦難地蔵尊堂
別所温泉駅から北向観音境内に向かう道の途中にある立派な地蔵尊堂。 北向観音の別当である安楽寺の地蔵尊をこの場所に設置し七苦難地蔵尊として祀ってある。 地蔵尊堂でこれほど立派なものは見た事がなく驚いた。 地蔵尊堂にはたくさんの名札が貼られていた。 お供え物もしてあり、別所温泉の地域の人々に大切に、愛されていることがわかる。
2021-05-05
48
温泉薬師瑠璃殿
別所温泉北向観音境内にある温泉薬師琉璃殿。 この温泉薬師は伝説には行儀菩薩の創建、慈覚大使の再建と言われているが、以前の一は今の「大師湯」の西隣にあったそう。 1741年湯川の氾濫によって薬師堂は流され1743年から再建を湯本講中で計画したとのこと。 現在も残る建物は1809年に湯川講中の積立金により再建された。 崖に建てられた薬師堂であるがその安定感に驚く。 建設の方法に昔の人の知恵が絞られているのではと思う。
2021-05-05
49
月窓寺
このお寺は私のバイトしているスーパーの裏側にあり、スーパーの駐車場から頭だけ見える位置にあるので、ずっと気になっていた場所です。入り口は別の所にありますが、横側からでも入ることが出来ました。ですが、せっかくなので正面の入り口まで戻り、参拝しました。月窓寺は今回の調査の中で一番大きなお寺です。 月窓寺は、海野一族の真田幸隆公の弟、隆永公が開基です。境内には赤松小三郎の髪の毛を埋めた墓があります。 そして、月窓寺を調べたときに「山門は竜宮門(鐘楼門)で天井には龍の鏝絵が描かれています。」と書かれていたので実際に見てみると、見事に美しい龍が描かれていました。
2021-05-05
50
妙光寺と弁財天
狭い一方通行の路地の中にある神社です。最初地図で見たときに、「こんな所にお寺なんてあるのか」と思っていましたが、実際に行ってみると荘厳な様子で建てられていました。 妙光寺は日蓮宗不受不施派修禅院日進上人蟄居の霊跡寺院です。多くの功徳を積むことができるこのお寺では、人生相談をすることが出来ます。悩みがある方は是非足を運んでみてはいかが?
2021-05-05
51
海野町市神高市神社
この神社に祭祀されている御両神は福の神の代表の恵比寿様、大黒様です。商店街の真ん中に置かれており、周りの環境で薄れることなく威厳のある神社だと感じました。 こちらも神社にしては小さいですが、どの地図にも載っているので多くの方に認知されているのだと考えます。 やはり商店街の中に置かれているだけあって、何人か人が集まっていました。今回の調査で人がいた神社・寺は唯一ここだけです。
2021-05-04
52
開運出丗(出世)稲荷神社
別の神社へ向かう途中の海野町商店街を歩いていた時に偶然見つけた神社です。かなり小さい神社で、大きさは2メートルちょっとです。 この神社の情報を見つけることは出来ませんでしたが、石に刻まれている文字を見てみると「昭和24年12月吉日」と書いてあるのがわかります。私が調べた寺や神社と比べるとかなり最近に出来たことがわかります。 この神社は路地にひっそりと建てられており、月極駐車場の中にあります。 タイトルの「出丗」は誤字ではなく、石に刻まれた漢字をあえてそのまま記しました。
2021-05-04
53
願行寺
願行寺は、天正14年(1586年)に真田昌幸が上田城下町を造る際に、海野郷(東部町)から城近くの厩裏町(大手末広町)に移転され、その後、元和七年(1621年)、信之によって現在地に移されました。 看板にも書いてありますが、門の造りが細かく、細部までこだわっているのがわかりました。また天井には、実際に何か描かれていた形跡があります。 こちらは日輪寺と比べ、大通り沿いに出来ているほか、入り口も整備されているので、よく人が来るのではないかと考えられます。
2021-05-04
54
日輪寺
バイト先へ向かう途中に毎回目に付いていたので気になり調査しました。日輪寺は天文14年(1545年)真田家の先祖である海野小太郎幸義公によって建てられた曹洞宗の寺です。町中にあり、さらに両隣には真新しい家や建物がありますが、門ををくぐるとガラッと景色が変わります。
2021-05-04
55
富士山本宮浅間大社
全国に約1,300社ある浅間神社の総本社で、本宮の本殿は徳川家康による造営で、「浅間造」という独特の神社建築様式であり、国の重要文化財に指定されています。GWということもあり、流鏑馬祭りを行っていました。とても賑わっていました。
2021-05-03
56
潮海寺
奈良時代、聖武天皇のころ(およそ750年)名僧行基により開かれたと伝えられる当地方きっての古刹高野山釈迦文院の直末といわれ、平安時代に坂上田村麻呂の帰依によって寺領が寄進されたといわれている。往古は寺領3千石、寺域に75坊を数える名刹として知られていたが、兵火により全焼し、伽藍の規模は残された22の礎石と布目瓦によってしのばれるのみ。 現在、この地には朱塗りの薬師堂金剛院が建てられ、薬師如来縁日の毎月8日午前10時から護摩が焚かれている。不動明王像が安置されている書院風の学頭坊は、薬師堂の南200メートルほどのところにあり、さらに100メートルほど南に市指定文化財の仁王門がある。江戸中期に建てられ、平成3年に解体修理が行われた寄棟造りの八脚門の左右には、高さ3メートルほどの寄木造りの仁王像が立ってい
2021-05-03
57
長福寺
1625年に金蓮寺覚裕が土生町にあった長源寺の堂舎を移転し、長福寺と改め開山された場所です。 長福寺には「お参りして下さった皆様がみんな仲良く笑顔で暮らせますように」という意味を持つ「なかよし地蔵」があり、とても可愛らしいものでした。 生島足島神社のすぐ近くにあり、向かった際に立ち寄ってみてはどうでしょうか。
2021-04-25
58
野沢菜漬け
野沢菜の発祥は、一説には野沢温泉村にある健命寺の8代目住職が宝歴6年(1756年)に京都から持ち帰った天王寺かぶの種を寺畠にまいた際、その天王寺かぶの種から違った形のかぶ菜ができ、その後、系統選抜をして育てたものが最初とされていましたが、 この説は近年の研究で、天王寺かぶの系統ではないというDNA鑑定の結果が出ており、かぶに由来する別の変種と考えられています。 野沢菜漬けの材料 野沢菜80g、塩2.5~2.8kg、醤油1.8L、酒または焼酎1.8L、だし昆布、唐辛子 一般的な作り方としては、洗う、塩水に漬けるを繰り返しその後発酵・熟成させると出来上がるようです。 漬けて2~3週間後から食べられますが味の安定は1か月かかるそうです。 参考文献:「つけものの味ふるさとの味」長野県農業改良協会、「信州の発酵食」小泉武
2021-02-10
59
海野町商店街の起源
海野町商店街の始まりには、真田幸村の父の真田昌幸が関係している。真田昌幸は現在東御市本海野の海野宿がある地にあった、海野郷の豪族、海野氏の子孫だった。真田昌幸は1583年(天正11年)に上田の千曲川の支流にあった尼ヶ渕という地名の場所に城を築くときに、海野郷大平寺村にいた住民に町を作らせた。これが、海野町商店街の起源である。 参考資料 「海野町史」中澤好冨 「海野町商店街の歴史」 ナガブロ URL「
http://unnomachi.naganoblog.jp/e1286383.html
」
2021-01-27
60
高崎だるま
群馬県ではだるまが有名である。どこのお店や家に行っても大小様々でデザインも豊富なだるまが飾られている。 ○だるまの歴史○ だるまの発祥の地は群馬県の高崎市の少林山達磨寺だといわれている。高崎のだるまはもともと「富岡だるま」と呼ばれ親しまれてきた。しかし昭和30年に富岡が高崎市と合併し富岡村の名前が消えて以来、「高崎だるま」「縁起だるま」「副だるま」などの呼び名が付いた。だるまは江戸の人々が疫病から逃れるために、祈り、まじないを信じて作ったと考えられている。当時疱瘡が子どもの間で流行り、この病気は赤色を嫌うとされていたことから、早く治るようにとだるまには赤色に塗られた。疫病の予防法が見つかったことにより、だるまは農作祈願のための縁起物として買い求められるように変化した。特に群馬
2021-01-26
61
廻廊跡
この廻廊は中門と講堂をつないでいる。歩く場所ということもあり、きれいに整備されていることが分かる。
2021-01-25
62
金堂跡
石段の部材と思われる凝灰岩の切石が発見されている。基壇は東西29.7m、南北19.3mで、推定される建物規模は正面24.2m、側面14.4mである。
2021-01-25
63
講堂跡
高さ約50cmの基壇と、本来50個ある礎石のうち27個が良好な状態で残っていたことが分かっている。基壇の規模は東西34m、南北20mで、建物は正面28.8m、側面14mと確認されている。
2021-01-25
64
信濃国分寺跡史跡公園
これは信濃国分寺跡史跡公園の写真である。一部しか写っていないが公園自体はもっと広い。公園の中に資料館が置かれている。昭和に行われた信濃国分寺の発掘調査の結果、中門や金堂などの遺構を確認・推定することができた。寺域は、僧寺がおよそ東西176メートル、南北178メートル、尼寺は東西148メートル、南北150メートルと判明した。これらの遺構の保存と活用のため、全国で最初の史跡公園に認定された。 遊具はないが犬の散歩をしたり子供がボール遊びをするにはとても良い場所である。紅葉の季節になると国道沿いにある木が色を変え、鮮やかになる。
2021-01-25
65
仁王門
この写真は信濃国分寺の仁王門である。仁王門であるがかなり迫力がある。国道18号線沿いにあるということで交通量も多く、横目で見てもかなりの存在感を示している。
2021-01-25
66
三重塔
この写真は重要文化財にも指定されている三重塔である。高さはおよそ20メートルある。外部は和唐折衷様式であり、内部は純唐様式である。
2021-01-25
67
蘇民将来符
これは「蘇民将来符(そみんしょうらいふ)」と呼ばれるもので、疫病を除いて福を招く護符である。ドロヤナギという木を彫って六角錐形にしており、この形状と図柄は重要な文化財とされている。昭和43年には上田市の民俗文化財に指定されている。 [参考文献] 蘇民将来と八日堂縁日https://museum.umic.jp/somin/category_top/s_index.html
2021-01-25
68
当時の八日堂縁日の様子
この絵は昔の八日堂縁日の様子を描いたものである。この絵の中に人は363人描かれているが、現代ではこの地域に住む多くの方は八日堂縁日に行っている。昔から伝わる伝統的なお祭りである。
2021-01-25
69
信濃国分寺資料館
信濃国分寺資料館は国道18号線沿いにある。ここには信濃国分寺跡に関する資料を中心に、文化財はもちろん、伝統的なお祭り(八日堂縁日)に関する資料などが多く保管されている。 この地域のこれまでの歴史を学ぶ場として利用ができる。
2021-01-25
70
信濃国分寺について
国分寺は聖武天皇の命令により、国ごとに国分寺が創建された。信濃国分寺は奈良時代に上田に建立されたが、承久の乱で焼失したと言われている。そのため、室町時代に上田市国分に再建された。これが信濃国分寺である。写真は信濃国分寺本堂である。 [参考文献] 信濃国分寺公式ホームページhttp://shinano-kokubunji.or.jp/
2021-01-25
71
上田市の重要文化財
テーマを選んだ理由は、上田市の重要文化財に指定されている信濃国分寺について調べたいと思ったからである。 信濃国分寺の歴史を主に探求したいと考えている。 調べる方法としては、実際に信濃国分寺に行ったり信濃国分寺資料館を訪れたいと考えている。また、信濃国分寺のホームページなども活用して調べていきたい。
2020-12-21
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