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1
学生による地域キュレーション2022(信州上田学A受講生)
長野大学の地域科目「信州上田学A」を受講した学生が「信州上田」を接点とした地域キュレーションの学習成果です。タイトルを選ぶとその学生のマイサイトを表示します。 ▼カテゴリ1:蚕都上田
【1】
長野県の中でなぜ上田市が蚕都で有名なのか
【2】
上田の養蚕の歴史を掘り下げ、伝え続けるには。
【3】
蚕都上田の歴史と未来
【4】
製糸業の歴史
【5】
蚕都上田の歴史
【6】
蚕都上田
2023-02-10
2
蚕都上田の歴史と未来
私は「蚕都上田の歴史と未来」というテーマで蚕都について探求しました。より考えを深めるために計四か所の施設に見学に行きました。 一枚目の写真は上田駅の構内に設置されている繭の女神様です。蚕糸業の全盛期時代である大正時代から蚕は上田の地を支える存在であったことが分かりました。 二枚目、三枚目の写真は常田館製糸場と上田蚕種協同組合事務棟です。製糸場は繭の乾燥や保管のために多窓式になっているなど建物ごとに様々な工夫が見られました。製糸場の建物15棟中7棟は国の重要文化財に、事務棟は文化庁の登録有形文化財にそれぞれ指定されています。四枚目の写真はホール、美術館などの複合施設であるサントミューゼです。名前の由来は蚕都からきており、人々の交流の場として上田市には欠かせない存在になっています
2023-01-26
3
市街地方面の神社・寺院と真田氏
上田城周辺には、神社・寺院が多数存在する。しかも、同じような場所に集まっている場合が多い。これは、地域のシンボルである上田城に深く関わってくる。1583(天正11)年、上田城を築城した真田昌幸は、城下町として海野町を作った。これは、先祖の地である海野郷(現在の東御市本海野)より、新たな本拠地近くに住民を移住させたことに由来する。それに伴い、海野郷近辺にあった寺院を城の近くに移した。例えば願行寺や日輪寺といった寺院がこれに該当し、真田氏の先祖である海野氏が開いたとされる場合が多い。特に願行寺は、江戸時代に上田藩の菩提寺になったほど、この地域や人々に深く根付いていたと考えられる。また海野町には、商売繁盛を利益とする高市神社がある。これは昌幸がつくったものだ。 このように、上田城を築城す
2023-01-26
4
眞田神社
眞田神社は「上田合戦」に勝利した真田昌幸・幸村親子をはじめ代々の上田城主を祀った神社なので、「勝負運」や「勝運」、落ちない城ということで「学業成就」のご利益があるとされています。
2023-01-26
5
信州上田学まとめ
私は蚕都上田の歴史について探求しました。重要文化財である常田館製糸場や上田蚕種協業組合などに見学に行き、実際に使われていた建物をこの目で確かめることができ、改めて上田が蚕都の盛んな地域だったということを実感しました。特に印象的だったのが常田館製糸場の建物内で見つけた「猫は蚕の神様です」という言葉です。蚕が無事育ち、良い繭を作ってくれるようネズミ避けのために猫にまつわる様々な祈願がされていたと分かりました。常田館製糸場は綺麗に保管されており、中には繭で作った作品などもあったので、行ったことが無い方はぜひ足を運んでいただきたいと思いました。
2023-01-25
6
まとめ
上田には歴史が詰まっている。 私は長野大学に入学してから上田市とのかかわりが増え、より感じるようになった。 例えば、上田城。石垣やお城の後はそこに時代を感じさせる。神社やお寺も意外と上田にあったりする。 上田駅を出てすぐの商店街は今も昔もそこに存在している感じがする。少し歩けばいろんなお店があって、昔ながらのものもあれば最近できたおしゃれなお店まで、点在している。 上田市がどうやって歴史をつないで今の姿になっているのかを私たちは肌で感じながら暮らすことができる。 それこそが上田にある魅力の一つではないだろうか。
2023-01-23
7
山家神社
上田市真田町長にある山家神社です。「白山大権現(はくさんだいごんげん)」と称えられ、ご利益としては上田城鬼門除けの神として広く信仰されています。
2022-12-05
8
上田東高校
この高校は長野県で2番目に古い歴史をもつ学校であり、小県蚕業学校として創立された学校です。
2022-12-05
9
上田映劇
明治時代、末広座という芝居小屋があり、そこに1917年に建てられたのが上田映劇の前身「上田劇場」です。当時一階には桟敷(さじき)と花道があり、回り舞台仕様歌舞伎座と同じような作りをしていました。上田市で100年の歴史を誇る老舗劇場です。
2022-12-05
10
経済を支えた高校
蚕種業で栄えた上田市の歴史ある高校です。 昔は小県蚕業高校として、多くの人材を排出しました。
2022-12-05
11
柳町
歴史ある街並みが続いており、建物一つ一つに風情を感じられます。かつては参勤交代や、佐渡金山の金の通路としてにぎわいました。現在はこの古き良き町並みを保存する取り組みも行われていて、上田の歴史が残された観光名所にもなっています。柳町は町全体が白壁の建物が多く、また家々の屋根や軒の高低差が少なく、高さがそろった整然とした町並みも見所です。
2022-12-05
12
上田城門
上田といえば、で多くの人からまず最初に出るのが上田城だと思います。こちらは千本桜祭りの様子になります。約1000本の桜が咲き誇り、夜はライトアップされた夜桜が見られます。
2022-12-05
13
鎌原まんぢゅう
別所温泉駅から歩いて数分の老舗饅頭屋。創業160年と長い歴史があります。厄除けの北向観音にちなんだ「厄除けまんじゅう」が人気であり、ほかにもおやきや上田市のブランドリンゴを使って作った自家製のリンゴ餡のリンゴ饅頭などがあり、どれも美味しそうでした。 建物の佇まいが素晴らしく、温泉地にぴったりで門などがありおしゃれで静かな場所でした。
2022-12-04
14
市街地方面の寺院、神社
やはり城下町らしく、この地を治めた真田氏に縁あるものが多い。欧州ではキリスト教、東洋で仏教、そして日本の神道。古来より信仰というものは人々の生活の隣にあるものだった。信仰のあり方はその地域の生活のあり方ともいえる。歴史を紐解くうえで貴重な材料となり得るものである。(今回キリスト教を取り上げなかったのは、ここいら一帯はキリシタンが現れた時期が遅かったと考えられるためである。)
2022-12-04
15
上田城
上田の歴史、ここにあり!上田といったら上田城のイメージが強く、観光客も多く訪れる。
2022-11-30
16
蚕種上田① 藤本蚕業歴史館見学
「蚕種上田」の探求を行う。まず上田にある蚕業に関わってきた歴史的な建造物を見学し、魅力を見聞し、成果を報告する。 今回見学したのは藤本蚕業歴史館だ。この歴史館にはかつて上田で行われていた養蚕業に関する資料が多く保存されている。具体的な資料を見つけたい際にも資料概要が載せられている本があり、養蚕業の歴史を知りたい方にはもってこいな施設だ。
2022-11-30
17
信濃国分寺
上田市にある歴史ある寺院。
2022-11-30
18
上田染谷高校
上田染谷高校は普通科と国際化で教育目標が違う。普通科は「向学の気風あふれる活気に満ちた学校づくりを通して、学力・情操・身体の調和ある発達を図り、将来の地域社会を担い、国際社会の平和と発展に寄与できる人間を育成する。」に対し、国際化は「自国の言語・歴史・文化への理解を深め、国際交流などの活動を通じ、社会の様々な事象に対する探究的な学びの姿勢を育み、豊かな国際感覚を持ち将来にわたり地域社会及び国際社会に貢献できる人材を育成する、語学力を高めるとともに、国際社会の諸問題に対応する思考力、情報を的確に発信するためのプレゼンテーション能力、実践的なコミュニケーション能力を養い、新たな社会を創造する力を育む。」とだいぶ違っている。
2022-11-30
19
振り返って
これまで上塩尻と桑折町における養蚕業について説明してきました。上塩尻では養蚕に関する情報がいくつも残されていましたが、桑折町には残されている遺産はほとんどなく、情報や文献が少ないように感じました。現地に赴くことでしか分からないこともあるので、帰省した際にはじっくり散策を行い、再確認したいと思います。 小学校中学年の頃に理科の授業の一環として蚕を飼育していたことや祖父母の家でも養蚕が営まれていたという話から「養蚕」というテーマには馴染みがありました。しかし、私自身地元のことであるのにも関わらず新たな発見がたくさんあり、視野を広げて興味を持ってみることの重要性を実感しました。地域産業の誇りとなった養蚕業の歴史を上塩尻での取り組みのように何らかの形で未来に繋いでいけるのが理想の形
2022-11-30
20
養蚕に適した気候上田
上田は古くから養蚕業が栄えていました。かなり古い歴史を持つ上田の養蚕業は、世界に向けても、輸出され蚕の産地として名を轟かせました。上田は降水量が少なく、乾燥しているため、蚕が育てやすく、長野は傾斜地が多いため蚕の餌になる桑などを生育しやすいという有利になる利点がありました。具体的には、上田の年間の平均降水量は約900mmであり、日本の平均降水量は1718mmであり、上田は全国平均の約半分ほどであるということが分かります。また、傾斜か多いため果樹や桑を育てることに有利な条件である水はけが良いということもあり、上田は気候の面でも後押しされて養蚕業が栄えてた要因の一つは気候であると言えるでしょう。
2022-11-30
21
上田高校
教育目標として試百難があり、困難から逃げない、周到な準備をする、最後まで粘り抜くを目標にしている。また、古城の門は歴史を感じさせる。
2022-11-30
22
上田が蚕が有名な理由とは
上田は養蚕業が盛んです。理由として様々な要因があると思います。まずは、気候の面です。上田は蚕を育てやすい気候をしていると分かりました。また、上田の蚕が歴史を持っているだけではなくて、上田の蚕が世界を救っていると言うことも分かりました。 さらに、養蚕業が盛んであったと分かる痕跡として、上田紬という織物もあります。上田紬という上田の地名がつくほどに栄えていたそうです。 富岡製糸場が製糸工場としては有名ですが、上田にも今でも製糸場が残っています。これは、とても珍しく全国で見ても数カ所にしかありません。 上田が蚕の都として有名であるのは、養蚕業が栄えていたことや、その痕跡が未だに残っていることが大きいと思いました。
2022-11-30
23
地元から信州上田学へ
群馬県には上田市と同じように養蚕の歴史があり製糸業が盛んであった点で共通している。群馬には世界遺産に登録されている富岡製糸場があるため認知されているが上田市にはそれがない。そのため養蚕の歴史を知ってもらうことこそが蚕都上田の未来を考えるうえで重要になってくると思う。
2022-11-30
24
戸隠神社 中社
ゼミの研修で戸隠神社の中社に行く機会があった。これは、その時に撮影した写真である。 戸隠神社には、奥社・中社・宝光社の3社が存在している。平安時代から修験道が行われ、日本有数の霊場として知られていた。 この歴史は古く、嘉祥2年(849)頃、学問行者により戸隠寺(奥院)が開かれたと言われる。康平元年(1058)に宝光院、寛治元年(1087)に中院がそれぞれ開かれたと伝えられている。 中社のご祭神は「雨八意思金命 あめのやごころおもいかねのみこと」である。この神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の度重なる非行に天照大神がお隠れになった時に岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作った神である。 学業成就・商売繁盛・開運・厄除・家内安全に御神徳がある。
2022-11-30
25
桑折における養蚕業②
現在桑折町では製糸業は営まれていません。しかし、いくつか名残りのある場所を発見したのでそれについて述べていきます。 まず、桑折町における養蚕業①で触れた郡是製糸工場ですが平成15年に建物が解体された後、東日本大震災の災害公営住宅が建てられています。郡是製糸工場時代の面影は庭園の一角にある「多行松」のみになってしまいましたが、「桑折町蚕糸記念公園」と名を付け、養蚕業によって繫栄した歴史を伝え、町民や来訪者の交流の場になることを願って新たに公園として再生されました。また、桑折町の伊達崎と呼ばれる地区にはかつて養蚕家だった大きな家が見られる他、桑折町の本町通りにある商店街には繭を取り扱う問屋である蚕問屋が今でも残されています。そして、実際に私が通っていた醸芳中学校では校章に桑の葉が
2022-11-30
26
上田蚕種協業組合事務棟
この建物は、1917年に上田蚕種株式会社として成立したのが始まりです。1970年に現在の社名に変更されました。 上田蚕種協業組合事務棟は、蚕都上田の歴史を伝える象徴で、貴重な建物です。
2022-11-30
27
上田蚕種協業組合事務棟
上田蚕種株式会社の事務棟として大正6年に完成し、建物はほとんど改変されていないそうです。正面は左右対称の構成となっており、木造二階建てで屋根は瓦葺きの建物です。 文化庁の登録有形文化財にもなっています。とても歴史を感じる建物でした。なぜ、改変されずに当時の姿をとどめていられているのか疑問に思いました。
2022-11-30
28
別所線のれいんどりーむ号
別所線の車両についてです。 別所線は側面に丸窓を持つ丸窓電車が走っていたこで知られ、丸窓は路線を象徴する特徴になっています。 平成17年2月には丸窓ラッピング電車の愛称が募集され、全国から250通の応募をもらいました。選考した結果、多くの人に夢を与えながら、ずっと走り続けて欲しいという思いからまるまどりーむ号になり上田駅で命名式が行われました。 現在では、信州上田日本遺産のラッピングがされたれいんどりーむ号も運用されている様子を見ることが出来ます。上田市の日本遺産のデザインとして、塩田平の歴史・文化の一つである雨乞いの儀式にちなんだ、塩田平に進む龍が表現されています。鉄道に親しみが持ちやすい愛称を募集したり、地域にちなんだデザインがされたりしている様子から地域住民に密着した鉄道だ
2022-11-29
29
蚕都としての上田 ー常田館製糸場見学をうけてー
私は県外から進学してきました。養蚕と聞いて思い浮かぶのは、やはり富岡製糸場でした。 しかし、信州上田学の講義の中で、上田の蚕都としての歴史に触れ、現代に残る歴史を広くアピールする必要があると思いました。 養蚕業全盛期から、衰退してからの長野県の主要産業への流れや、背景にある気候や地域性などをアピールすると良いのではないかと感じました。 常田館製糸場を見学し、当時の人々に養蚕が身近なものであり、工夫の詰まった産業であったことを学びました。 後世へ伝えていくには、このようなデジタルアーカイブは特に重要な役割を果たしていくように感じます。
2022-11-29
30
五階鉄筋繭倉庫内部
「猫は蚕の神様です」と紹介されています。 養蚕が盛んであった昭和まで、「鼠」は蚕、さなぎ、繭をかじってしまうため、人々を悩ませてきたと言います。その鼠を駆除する目的で、猫を飼ったり、猫の神様を祀り良い繭を作ってくれるよう願ったとのことです。 五階鉄筋繭倉庫は、防火を重視した当時の技術が結集された物だと言います。干繭倉(繭を乾燥させて蛹を殺す過程)として建てられたものとされています。コンクリートを使用するなど、当時の技術を集結させているのだなと歴史を感じました。
2022-11-29
31
常田館資料室
長野県での蚕種製造の歴史は上田地方が最も早く、藤本善右衛門家によって寛文の時代に始められたとされている。はじめ奥州産蚕種を仕入れ販売していたものが、次第に奥州へ出向き蚕種製造をするようになり、自家製造へ発展し全国へと販路を広げていった。上田地方が日本一の蚕種製造地帯となった背景としては、蚕種の改良と歩桑による種繭の生産によるものである。
2022-11-28
32
生島足島神社
県内でも諏訪大社に次いで古いとされている生島足島神社。創建がいつかはっきりしていないが、平安時代の書物にはその名が記されていた事から、かなり古い歴史を持つことがわかる。生島足島神社では毎年1月に、お粥を使ってその年の農作物や蚕の出来高を占う行事が行われており、蚕都としての長い歴史を垣間見ることができる。
2022-11-28
33
サントミューゼ
上田市交流文化芸術センター、サントミューゼです。サントミューゼの「サント」が「蚕都」から取られていたことが意外でした。定期的に上田の「蚕都」としての歴史を伝えるイベントが行われており、機会があればぜひ行ってみたいと感じました。
2022-11-28
34
常田館製糸場
上田市の蚕都としての歴史を示す、重要な遺産である常田館製糸場です。国の重要指定文化財にも指定されており、明治から大正にかけて建設された15棟もの建物が現在も保存されています。平日だということもあり、観光客らしき姿はほとんど見られませんでした。蚕都としての歴史を伝えていく為にも、より多くの人に訪れてもらえるようなPRが必要だと感じました。
2022-11-28
35
常田館製糸場見学まとめ
常田館製糸場を見学させて頂いて改めて、蚕糸業、製糸業について興味を持つことができました。常田館製糸場の施設15棟のうち7棟は重要文化財、他の施設は上田市指定文化財に指定されており、貴重な建物であることが感じられました。 分かったこととして、建物の至る所に繭を守るための工夫がされていると感じました。その中でも国内唯一の木造五階繭倉庫は存在感があり、繭を守るため扉が四重になっているそうです。長い歴史の中で最善の工夫がされてきたから、ここまで建物が残り、製糸業が続いているのだと思いました。そして養蚕業、製糸業が上田の発展を支えてきたのだと感じました。 今回は予約をとっていなかったので、五階繭倉庫の中は見学することはできませんでしたが、団体で見学する際は予約をとって、ガイドをしてもらい、
2022-11-26
36
上田蚕種株式会社
蚕都上田歴史・文化財マップにて現存している蚕に関わる場所を巡ってみました。 五つ目は、上田蚕種株式会社です。 大正6年に建てられた、蚕都の象徴の一つである、蚕種会社です。
2022-11-24
37
笠原工業常田館製糸場
蚕都上田歴史・文化財マップにて現存している蚕に関わる場所を巡ってみました。 四つ目は笠原工業常田館製糸場です。 明治33年からある、製糸工場です。
2022-11-24
38
旧上田市立図書館
蚕都上田歴史・文化財マップにて現存している蚕に関わる場所を巡ってみました。 三つ目は、現在は石井鶴三美術館の旧上田市立図書館です。 近代の上田市は、蚕都の経済力を背景に、このような学習活動が盛んで、この建物はその気風を象徴する建物だそうです。
2022-11-24
39
上田倉庫
蚕都上田歴史・文化財マップにて現存している蚕に関わる場所を巡ってみました。 二つ目が現在はみすず飴本舗飯島商店になっている場所で、上田倉庫です。 当時は信越線上田への出荷前線基地として活躍したそうです。
2022-11-24
40
蚕神像
蚕都上田歴史・文化財マップにて現存している蚕に関わる場所を巡ってみました。 一つ目が上田駅にある蚕神の像です。 中村直人さんから贈られたものだそうです。
2022-11-24
41
サントミューゼ
サントミューゼは、上田市立美術館と上田市交流文化芸術センターから構成される複合型文化施設です。 サントミューゼの『サント』は蚕都上田、『ミューゼ』は蚕都の女神という意味があります。また、「ひと」「まち」「文化」の3つの「サン」、そして太陽の「サン」をイメージし、施設を盛り立てる音楽や美術館にも関連しています。このように、上田市の歴史と文化を想起させてくれる由来となっています。
2022-11-24
42
常田館製糸場へ見学
信州上田学で触れた養蚕の歴史を掘り下げるため、常田館製糸場へ見学へ行きました。 道中、「蚕影町の由来」という看板を見つけ、思わぬところで蚕都の面影を感じることになりました。
2022-11-24
43
上田の蚕種業の歴史
いつから始まったのか、上田の特徴を踏まえて蚕種業の歴史をとらえていきたいと思います。 江戸時代の末期から昭和にかけて、長野県の経済を支えたのが蚕糸業です。養蚕が盛んだった上田盆地は、千曲川とその支流が作る扇状地や河岸段丘が発達し、桑の栽培適地でした。また、年間降水量が1000㎜未満という気候は蚕の飼育に適しており長野県内でも上田盆地は春蚕の産地でした。また、松本盆地では夏秋蚕を中心として発展してきた地域であり、いつも対比されていました。こうした傾向は養蚕飼育技術が改良される明治末期まで続きました。
2022-11-22
44
魅力が沢山あるため池
舌喰池に行ってきました。長野大学の入り口にも生態系の書かれたものがあり知っている人もかなりいるのではないでしょうか。上田市にはため池が沢山ありますがそれぞれに違いがあり面白いです。舌喰池歴史が詳しく研究されており近くに資料館もあります。ため池も観光資源になりうるのだなと感心しました。
2022-11-18
45
みすゞ飴本舗②
みすゞ飴本舗出入口の階段には、この建物が変化していった様子が記されています。 通りすがりにも、ここで蚕都の歴史に触れることができます。
2022-11-17
46
上田紬の歴史・特徴
上田紬は今から約400年前、真田昌幸が上田城を築城した際に地場産業として奨励した真田織が始まりだそうです。 江戸時代には結城紬(茨城県・栃木県が主な生産地)、大島紬(鹿児島県が主な生産地)と並んで上田紬が日本三大紬のひとつに数えられました。 上田紬は手触りがよく、軽く丈夫で吸放湿性の高いことが特徴です。 また、縞と格子柄が特徴の上田紬は縦糸と横糸の重なりで様々な色や柄が生まれます。 小岩井紬工房さんで工房見学をさせていただき、上田紬についてお話を伺いました。 写真は小岩井紬工房さんで見学させていただいた際の写真です。
2022-11-13
47
上田城の歴史と観光写真
上田市の有名観光スポットに行ってきました。
2022-10-31
48
上田の大手門公園
上田市の歴史を知った、上田市の有名な観光スポットに行ってきた この公園はめっちゃ小さい公園です。でもきれいな流れる音が聞こえて、座って休憩するにはいい場所です。
2022-10-31
49
当時の道具はどんな感じ?
長野県立歴史館で蚕糸業に使われてきた道具を見ることができました。※撮影OKと表示されていました。 道具や機械を実際に見てみると、復元模型の大きさや動きに驚きました。上田蚕糸専門学校のノートや座繰り器も見ることができました。 当時の状況を体験することは不可能ですが、この蚕糸の学習をしたことでより細かく学ぶことができ少しだけ雰囲気を感じられた気がします。
2022-10-30
50
六工社の当時を見つめる
長野県立歴史館の常設展示にて当時の蚕糸業について見て学んできました。※撮影OKと表示がありました。 和田英が工女たちの指導をしていた六工製糸場は、官営富岡製糸場をモデルとし、一回に50人が作業できることから「フランス式50人繰り」と言われていました。 当時の様子を描いた絵にも、大人数の工女が並んで作業している様子が描かれていました。 また、人の小ささから工場は自分の想像しているよりも大きいことが容易に想像できました。それだけでも、この時代の蚕糸業の産業としての重要さや中心になっていたのだろうなと感じることができました。
2022-10-30
51
旧横田家住宅 歴史
横田家が現在地に移った時期は18世紀末。松代の中級武家住宅の典型的な間取り、構成を残しており1896年に国の重要文化財に指定されている。長屋門・一部2回誰の主屋・隠居屋・土蔵・庭園・庭に流れる泉水等を見ることが出来、江戸時代当時の暮らしが身近に感じることが出来る。 営業時間:4月から10月 9時~17時(入場16時30分まで) 11月から3月 9時~16時30分(入場16時まで) 定休日 :12月29日~1月3日 入場料 :大人400円(300円)、小中学生100円(50円) ※象山記念館、旧横田家住宅2施設共通 / 大人600円(500円) ()内団体20人以上の料金 *( )内は団体20人以上の料金 毎週土曜日と5月5日は小中学生無料 9月第3月曜日と11月3日はすべて無料
2022-10-30
52
上田城 二の丸跡の歴史物⑤ 青年眞田幸村公之像
幸村の初陣とされる第一次上田合戦頃の、青年・真田幸村をイメージして造型されたもの。彼の眼が見据える先は徳川の大軍である。 <引用文> https://kojodan.jp/castle/60/photo/229664.html 10月21日15時頃にフィールドワークしました。 青年時代の真田幸村を表した銅像。眞田神社すぐ横にある。後ろには、壮大な景色が広がっていてとても綺麗でした。この銅像の場面は幸村の初陣、徳川との戦いを表しています。なんとこの戦いの結果は幸村が勝利を収め、大名として独立を確定させた戦いです。こう言ったことから眞田神社のご利益が「勝負運」なのかと考察できました。
2022-10-27
53
上田城 二の丸跡の歴史物④ 眞田神社
上田城本丸跡に鎮座する当社は、真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。 <引用文> http://sanada-jinja.com/about/ 10月21日15時頃にフィールドワークしました。 上田城跡に鎮座する神社、行った時には人が多くいてお守りなどを買っているなどとても栄えていることがわかりました。歴史的に調べてみると、この神社は城主を御祭神として信仰する歴史があるそうです。ちなみにご利益は「勝負運」「学業成就」などです。
2022-10-27
54
上田城 二の丸跡の歴史物③ 真田石
大手の石垣に巨石を用いる例は多く、城主はその権威を示すために、大きさを競ったという。真田石は、真田信之が松代に移封を命じられた際に、父の形見として持っていこうとしたが、微動だにしなかったという伝承がある。現在ある石垣は仙石忠政が造ったものであるが、真田石に寄せる人々の敬愛の情がうかがえる伝承である。 <引用文>https://kojodan.jp/castle/60/memo/1938.html 10月21日15時頃にフィールドワークしました。東虎口櫓門を抜けるとすぐ横に大きな石垣があり、説明看板のようなものが石垣の前に設置されていました。そして気になり調べてみると、なんと、石の大きさで権威を示すということを知りました。実際に見てみると本当に大きくて、真田の権威の大きさを実感することができました。
2022-10-27
55
上田城 二の丸跡の歴史物② 東虎口櫓門
天正11年(1583)真田昌幸によって築城された上田城は、第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城。春は上田城千本桜まつり・秋には上田城紅葉まつりが行われ、現在は信州上田真田丸大河ドラマ館が併設しており、信州上田の主たる観光地として観光客でにぎわいます。 <引用文> https://nagano-ueda.gr.jp/uedajo/about.html 10月21日15時頃にフィールドワークしました。 上田城跡に聳え立つ大きな門、この門はなんと、大河ドラマだけでなくサマーウォーズに出てくる門のモデルにもなってるそうです。徳川軍を二度も撃退したなんて、凄く頑丈なことがわかります。歴史的にも、見た目も話題性がとても高い歴史物だと感じました!!
2022-10-26
56
上田城跡 二の丸跡の歴史物① 二の丸橋
現在、市立博物館がある一角に上田監獄署ができたのは明治18年。城跡に残っていた石垣や土塁の上に更に高い塀を築き、周りを囲みました。現在の二の丸橋のところが正門となり、頑丈な門が石垣の間に作られました。そんな事情もあり、公園利用者のために二の丸橋の南側にもう一つ橋を設けていたようです。現在のけやき並木のところに鉄道(上田温泉電軌(き)北東線)を通すことになった昭和初年に、この橋は撤去されましたが、二の丸橋が二つあったというのは、現在では想像もできません。 <引用文>https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/shogaku/2024.html 10月21日15時頃にフィールドワークしました。上田城 二の丸跡の入り口には二の丸橋という橋があり、歴史を調べてみたら、二の丸橋が元々2つもあったなんて、驚きました。
2022-10-26
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信州上田学2022③蚕都を未来に活かす(1)世界を救った蚕種/蚕種の現場
▲講義資料PDF 長野大学2022年度講義「信州上田学」 担当:前川道博(長野大学企業情報学部教授)
第3回は「蚕都を未来に活かす/世界を救った蚕種&蚕種の現場」と題して上田の蚕糸業全般の中でも「蚕の卵(蚕種)」に対する視点の提供をねらいとして話題提供しました。上田を探ると見えてくるもの。その一つが蚕糸業の源泉「蚕の卵(蚕種)」です。世界を救った蚕種とは? 蚕種の現場は? 学生たちに対しては知識の押し売りではなく「信州上田学」で何を「探求するのか」、そのテーマ発見のヒントとなる話題提供をメインとしました。 《参考資料》 ★
蚕都上田マップ
1928年の上田市 蚕都上田プロジェクト制作 ★
2022-10-21
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