戦後80年で人々の価値観はどう動いたのか
戦後日本において、新幹線が開通し、オリンピックが開催され、インターネットが普及する間に、日本人の価値観・人生観はその生活の様相とともに大きく動いてきたように思われる。そこで、戦前の人々の価値観は、現在を生きる我々から見ていかに違うのかを研究する。
本記事では西塩田時報第百八十二號第五頁を取り上げて述べる。
「幹部修養講習會に出席して」という項目は、「原田晴章」なる人物が、「三好武治」なる人物の講演の一端を書くというもの。講演の内容は、主に支那事変(日中戦争の、当時の日本での呼び名の一つ)についてのものである。
「日本で今度の事變での勝利は精神力である」
「支那事變は世界に類の無立派なる所の正しき戰争である」
このような記述がある。やはり根拠のない精神論や戦争を美化する意見が目立ち、現代の価値観とは隔たりを感じる。
一方で同ページの別項目「武運長久祈願祭の朝」は、「小松智恵子」なる人物が、戦地に赴いた兵隊の勝利と無事を祈る催しの朝の出来事について語るものである。「學校」やら「高一」やらと書いてあるので、執筆当時(もしくは執筆されたエピソードの当時)学生だったと思われる。先述のような戦争を美化する表現は明確には見られないが、「大國旗は靜かな朝風にひるがえつてゐる、何となく我が日本の威光を示すかの様である。」という記述から、現代とはベクトルの違う愛国精神のようなものが見て取れる。
現代にはインターネットが普及している一方で、この時代のメディア代表格は新聞やラジオであったと思われる。持論だが、当時の世界で最も人を殺すことができた武器は、竹槍でも銃でも戦車でもなく、新聞の活字に他ならないと私は考えている。
現代でこそ何か事件が起こる度に様々な意見がネットメディア上に集うが、当時は主要メディアが新聞やラジオに限られていたからこそ、人々の戦争に対する見方を一方向に操作することが容易にできたのだろう。
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投稿者 | 川口 将太 |
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