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1神川小学校の地域学習支援 まとめ神川小学校の地域学習支援 まとめ今年度「神川小学校の地域学習支援」というテーマで行ってきたプロジェクト研究の振り返りとまとめです。2023-01-28
2前川ゼミレポート前川ゼミレポート私は、なぜ上田氏は真田氏のPRに固執するかについて疑問を持ったため調べることにした。というのも、上田市には別所温泉近辺にたくさんの歴史的建造物があり、「信州の鎌倉」という別名まで付けられるほどのだからだ。そして「別所温泉」という名前自体は全国的にもある程度知られている。まったくの無名の観光地をアピールするわけではないのになぜここを差し置いて真田氏に固執するのだろうか。 真田氏に固執する理由として思いついたのが歴史好きに対するアピールの強さだ。二度にわたる上田の戦い・大阪の陣で有名な真田幸村にゆかりのある地(真田村)であることから、上田城や真田氏についてアピールできる。だが、この真田氏についてもやや疑問がある。一般人に「武将の真田」と言って思い浮かべるのは真田幸村だろう。この真田2023-01-26
3戦後80年で人々の価値観はどう動いたのか戦後80年で人々の価値観はどう動いたのか 戦後日本において、新幹線が開通し、オリンピックが開催され、インターネットが普及する間に、日本人の価値観・人生観はその生活の様相とともに大きく動いてきたように思われる。そこで、戦前の人々の価値観は、現在を生きる我々から見ていかに違うのかを研究する。  本記事では西塩田時報第百八十二號第五頁を取り上げて述べる。 「幹部修養講習會に出席して」という項目は、「原田晴章」なる人物が、「三好武治」なる人物の講演の一端を書くというもの。講演の内容は、主に支那事変(日中戦争の、当時の日本での呼び名の一つ)についてのものである。 「日本で今度の事變での勝利は精神力である」 「支那事變は世界に類の無立派なる所の正しき戰争である」  このような記述がある。やはり根拠のない精神論や戦争を美化する意2023-01-26
4昭和の食昭和の食タンパク源としては、魚介類と動物類がある。魚介類では、日常的に食べられていたのは煮干し、鰹節、イワシなど。ウグイなどの川魚も貰って食べられていた。肉類はほとんど食べず、食べたとしてもご馳走として数少ない機会だった。イナゴやドジョウ、タニシなどの生物を食べていたようだ。2023-01-26
5名工の社殿と養蚕農家 ~上田市下堀地区~名工の社殿と養蚕農家 ~上田市下堀地区~信濃国分寺駅の南側に位置する下堀地区です。 ここには堀川神社があり、今でも地区住民によって守られています。 拝殿は一見シンプルですが、本殿を見ると見事な装飾があります。これは1886年(明治19年)に上田の名工竹内八十吉によって掘られたものです。八十吉は1815年(文化12年)から1898年(明治31年)まで活躍した諏訪立川流の大工で、堀川神社以外にも信濃国分寺の本殿の彫刻も掘っている。 次に下堀地区は養蚕業で栄えていた地区である。その証拠がこの石垣である。 これは、ぼたもち積みと呼ばれる積み方でお金持ちの家しか作ることができない石垣である。https://d-commons.net/upload/4/575/054168_0023_006.jpg養蚕業で儲けていたからこそできる石垣で、当時は養蚕農家それぞれが競い合って家を建てていたそうだ。それほどまでにこの地区の養2023-01-19
6塩田平のため池塩田平のため池上田は雨が少なく、その中でも特に塩田には大きな河川が通っていないため水不足になりやすい。しかし米作りをするためには水がたくさん必要である。そこで塩田平には江戸時代を中心に多くのため池が作られた。それぞれの池に個性的な名前が付けられているので、散歩がてら観察してみるのも面白い。2023-01-26
7仙石氏中興の祖 仙石秀久仙石氏中興の祖 仙石秀久上田藩主を務めてはいないが、仙石氏について調べる上で欠かせない人物が秀久である。秀久は織田、豊臣に仕えた後、関ヶ原の戦いでは徳川方に参戦していた。豊臣時代に小諸城主と小諸藩主を務めたが、仙石氏は小諸藩から上田藩に移封されることとなった。秀久は小諸藩時代に死去していたため息子忠政が信之の跡を継ぎ、仙石氏3代による上田統治の時代が始まった。 参考サイト 上田市デジタルアーカイブポータルサイト https://museum.umic.jp/sakuhin/web.html 上田市立博物館 https://museum.umic.jp/hakubutsukan/ueda-castle-history/03/2023-01-25
8金井正について金井正について金井正は、明治19年神川村国分に、金井家の三男として生まれました。県立長野中学校(現上田高等学校)に入学。家庭の事情から家督を継ぎ、父が局長を務める国分郵便局の事務員として勤務しました。その一方で哲学者西田幾多郎の存在を知り、哲学に関心を高め、神川読書会を企画したり同人雑誌の創刊し、社会主義による啓蒙を図りました。山本鼎がヨーロッパ留学から戻り、訪ね、児童自由画教育と農民美術運動に感銘を受け、協力を約束し、鼎による講演会「児童自由画の奨励について」を企画。続いて「第1回児童自由画展」を開催し、予想以上の成功を収めました。  農民美術運動については、鼎と連名で日本農民美術建業の趣意書を作成して、神川村の人々に働きかけました。大正8年に第1回農民美術練習所を神川小学校で開設し、2023-01-25
9最終発表~神川小学校の地域学習支援~最終発表~神川小学校の地域学習支援~今年度「神川小学校の地域学習支援」というテーマで活動を進めてきました。前期から夏休みにかけて何度も校長先生や担任の先生方とミーティングを重ね、地域学習の授業案を考えるところから学校に提案、そして後期には実際に授業を行う機会をいただき全3回の授業をやらせていただきました。タブレット端末を活用した授業、そして児童自由画教育を取り入れた授業を行ったことで、地域をフィールドにした児童の主体的な学びの支援ができたので良かったと思います。2023-01-25
10農民美術運動を促進した人物農民美術運動を促進した人物版画家・山本鼎は、明治15年愛知県岡崎市で生まれましたが、父親が小県郡神川村大屋(現在の上田市大屋)に大屋医院を開業したため、鼎は上田との由縁がありました。 鼎は版画家としてだけでなく、画家としてもその名を残しました。明治35年、20歳で東京美術学校へ入学し、「湖畔」で有名な黒田清輝に油絵を学びました。大正元年にはフランスに渡り、その間に描いた作品はどれも好評を博しました。 帰国後、児童画とその指導方法の改革を目指した運動を起こします。鼎は絵を描く技術、方法が重要ではなく、自分の目で見て、感じたとったものを描くことが、児童の発達に大切などだと説きました。その後大正8年4月には神川小学校で第一回児童自由画展覧会を開催し、自由画教育は全国各地に広がりました。 一方、大正8年11月には神川村2023-01-25
11企業のソーシャルメディアを用いたメディア戦略企業のソーシャルメディアを用いたメディア戦略2023-01-24
12上田市立博物館上田市立博物館上田市立博物館に行き真田幸村(信繋)について学んできました。 真田家は織田、武田、豊臣家など仕える先を転々としており、豊臣家に仕えた時期が一番長かったそうです。 徳川家と豊臣家の関係が悪化してきた頃、幸村は豊臣家に誘われ、大阪城入りをします。 そこで真田丸という砦を城南に作ります。 その後に勃発した大阪冬の陣で徳川を破り、幸村は武名をあげました。 しかし、その後に起こった大坂夏の陣で徳川、真田両軍とも力尽き、幸村は命を落としました。 幸村がどんなことを行った人なのかよく理解していなかったので知ることができてよかった。 このほかにも上田の歴史を様々な面から見ることができて勉強になった。 また、十勇士の中で穴山小助、海野六郎などは実際に絵があったため 存在する人物であったと考え2023-01-23
132022前川ゼミ_J20052竹中丈二ポートフォリオ2022前川ゼミ_J20052竹中丈二ポートフォリオ1年間自分がどのような考えを持って活動を行ってきたのかをまとめたポートフォリオです。2023-01-23
14上田の都市開発について(前川課題発見ゼミ)上田の都市開発について(前川課題発見ゼミ) 私は、上田の探検を通して、上田は細い道が多いことや、郊外に市街地が拡散していることが課題であると感じた。これらの問題の解決方法の一つとして、道路交通網の整備や区画の見直しといった大規模な都市開発が不可欠だと考えた。  そこで、近年急速に都市開発がなされ、区画が整理された佐久平と交えて、上田の行っていくべき都市開発の在り方について考えた。  佐久平はかつて田園風景の広がる盆地であったが、新幹線の開通により急速な発展を遂げたことは周知の事実である。一般的に、新幹線の開通に伴う佐久平の都市開発は、成功例の一つだといわれている。  だが、この急激な発展によって生まれた弊害もある。その弊害は、佐久市の岩村田地区に顕著に表れている。岩村田はかつて佐久市の中心市街地であった。しかし、新2023-01-23
15鉄道施設としての別所線鉄道施設としての別所線写真の通りに別所温泉駅では、日本遺産の別所線の鉄道施設としての説明看板が立てられています。 上田から別所温泉までの路線は大正10年(1921年)に開通したと書かれています。 また、真っ赤な鉄橋である千曲川橋梁(きょうりょう)は224メートルの長さであったそうです。 中塩田駅や別所温泉駅など駅舎に近代の趣が残っている様子が見る事が出来ます。2023-01-22
16前川ゼミ最終まとめ 上田の課題解決と魅力発信前川ゼミ最終まとめ 上田の課題解決と魅力発信前半のゼミ活動で行った町歩きを通して上田市について魅力と課題の両方を感じることができた。 まず私がゼミ活動やこれまでの日々で感じた上田市の魅力は以下のものがある。 ①分野別で名所が多い 例旅行→別所温泉  歴史→上田城  ウィンタースポーツ→菅平 ②美味しい食 ③学生へのサポートが手厚い  例町キャン ④自然が豊か 一方で感じた課題は以下の通りだ ①別所線の利用者の少なさ  原因→本数少ない、運賃高い  私も悪天候、帰省時以外めったに使わない ②情報が伝わりにくい  店側、イベント主催側からの発信が少ない ③商店街の元気が無い  例海野町商店街で若者を見ることが少ない ここで考えた課題の解決策がイベントの活性化である 例えば別所線をつかってスタンプラリーなどのイベントを行うことで利2023-01-19
171年後期 前川課題発見ゼミ最終まとめ1年後期 前川課題発見ゼミ最終まとめ調査テーマ「地域の特色・歴史」まとめ 上田の歴史的な出来事・人物と聞かれれば多くの人々が「真田氏」に関する事柄を思い浮かべるだろう。しかし、今回の調査を行う中で、真田氏以外にも日本の歴史・文化に多大な影響を与えたと言える人物も存在することを知った。 例えば、上田藩主を務めただけでなく、江戸幕府老中として条約の締結にも尽力した「松平忠固」、日本の児童画に大きな転換・影響を与えた「山本鼎」は良い例だろう。功績としては素晴らしい物であると断言できるものばかりだ。 特に山本の考えは当時としては(今の価値観で考えても)先進的な物だった。山本は真の意味での「自由」を求めた人物であり、今日の教育活動に一石を投じるものであると感じた。現代ですら「型にはまった教育」が基本的である中、山本は2023-01-19
18前川ゼミ活動考察前川ゼミ活動考察 今まで上田市の外で生活をしたことがないので、客観的な視点ではないかもしれないが、自分なりに上田市について感じたこと、考えたことをまとめる。上田市というのは上田城の城下町であったり、北国街道が通っていたこともあり、歴史がある町である。気候も安定していて、自然も多い。スキー場やキャンプ場、温泉も多く、車があれば日帰りでスキーや温泉を楽しむことができる。新幹線も通っており、東京など首都圏へのアクセスも良い。そのせいか、近頃では海野町商店街などに若者向けのバーや、都会志向の洒落た店が増えてきた印象がある。加えて県外からの移住者向けかと思われる高級マンションも増えてきた。一時的ではあるが真田氏の本拠地が上田城ということもあり、NHK大河ドラマ「真田丸」の人気によって上田が賑わっていたこ2023-01-19
19上田電鉄の重要性を露わにしよう上田電鉄の重要性を露わにしようElaboration課題の提起 2019年9月の「台風19号」により千曲川橋梁が崩落した上田電鉄別所線には、日本中から早期復旧を求める声が届いた。このように、利用者は存続の危機に際して重要性を訴求している。しかし、現状の上田電鉄は補助金に依存した経営を余儀なくされ、観光資源としては物足りないものがある。上田電鉄沿線は貴重な遺構や見どころであふれているのは間違いないが、こういった観光資源を有効活用するには、どうすればよいだろうか。 なぜそうなのか(=仮説、問題の構造を描いてみる) 一番の問題は、会社や地元民が上田電鉄の重要性に気づいていないという点である。また、上田電鉄は利益率が低く、改革を起こしづらいというのも足枷となっている。改革を起こすにも資金がなく、そもそも会社自体にそういった発想がないの2023-01-19
20前川ゼミ まとめ前川ゼミ まとめ課題の提起 大学に進学するにあたり塩田平のアパートを借りた。半年ほど生活してみて上田市の中心地や海野町商店街と比べてあまり生活しやすいとは言えなかったため。 なぜそうなのか 田んぼやため池が多いため土地が確保できないので生活に必要な施設などの距離が遠い。 探求の目標 どのようにすればもっと住みやすい街にできるのかを見つける 「塩田平を住みやすい街に」 塩田平は上田駅周辺と比べて非常に住みにくく感じた。スーパーなども遠く24時間営業ではないし、スポーツ用品店などもアリオまだ行かないとない。それなのに電車の本数も少なくバスもないためどこに行くにしても車が必要となってくる。そのためまだ免許や車を持っていない人や免許を返納したお年寄りなどにとっては非常に生活しずらくなっていると思2023-01-19
21まとめまとめ今回私は災害というテーマでキュレーションしてみましたが、この長野県だけで一般的な災害はほぼ全て起きていることが分かりました。そして、昔からのこうした経験により今の川の工事や耐震工事などのできるだけ被害を出さない工夫に繋がっていると思うとやはり昔の記録を知るというのは重要な側面があると私は改めて思うことが出来ました。今回の記録は信州デジタルコモンズを使用させていただきましたが、本当に多くの資料があり、災害というテーマだけでまだ今回紹介しきれない記録書がたくさんありました。現代までその記録書を残してくれた人々にここで感謝をしたいと思います。 善光寺大地震災害地方図 写(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03OD06210007002023-01-18
22洪水対策(2)洪水対策(2)明治1911年になると本格的な洪水対策に入っていくことになる。方法として砂防工事が採用され、これで少しでも洪水の発生を抑えようと工夫しました。 利根川信濃川澱川木曽川山地砂防工事歴(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK01021628232023-01-18
23洪水量水計測洪水量水計測明治27年になると洪水が起きた際、どれくらいの水が上昇してくるのかを実際の上り幅を計測してまで具合的に計測しました。その記録個所の目印がこの写真のものです。 千曲川筋下高井郡立ケ花村洪水量水表建設箇所実測図(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03PLNS000690002023-01-18
24山崩れが引き起こす洪水山崩れが引き起こす洪水これは、山崩れが起きたことで川が塞き止められ洪水を引き起こし、村などを飲み込んだ時の絵です。おおよその死者は270人にものぼると記録にあります。 信濃国大地震犀川出水絵図(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02MP01041725642023-01-18
25講演「蚕種の里『上塩尻』の歴史と文化遺産を未来へ」2023/01/18講演「蚕種の里『上塩尻』の歴史と文化遺産を未来へ」2023/01/18▲プレゼン資料(PDF) 長野県建築士会上小支部等合同新年会講演 「蚕種の里『上塩尻』の歴史と文化遺産を未来へ」  前川道博(長野大学企業情報学部教授)  2023/01/18 会場:東急REIホテル ★講演:蚕種の里「上塩尻」の歴史と文化遺産を未来へ  60分   ★蚕種の里「上塩尻」まちあるきダイジェスト映像 20分 ▼講演スライド2023-01-18
26プロジェクト研究の足跡プロジェクト研究の足跡プロジェクト研究の足跡を綴ってきたものをまとめました。 4月25日 前半はグループメンバーの共通項として、研究への取り組み方や考え方を共有しました。後半は、各自のプロジェクトの説明とそれに対する質問や問題意識の共有を行いました。ゼミ内で横のつながりが出来ることで、各自の持つ問題意識への様々な考え方が示され、非常に有意義なものとなったと感じました。今後は、自身のプロジェクトを進める中で頻繁に意見交換をすることで、より多角的な視点から研究していこうと考えています。 5月11日 大洗町における地域学習に関する記事の閲覧及び調査を行いました。また、大洗にフィールドワークに赴く際の調査事項などをまとめました。今後も活動を報告し合う事で様々な視点から調査を行っていきたいと考えています。 5月17日2023-01-16
27実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第3回]実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第3回]実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第3回]  皆さんのキュレーション披露会 ★講座「皆さんのキュレーション披露会」129分 。 講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授) コメンテーター:  小平千文(上田小県近現代史研究会会長)  桂木 惠(上田小県近現代史研究会事務局長) 【講座タイムテーブル】 13:00 講座解説(前川道博) 13:30 皆さんのキュレーション披露会、意見交換、Q&A(途中休憩あり) 16:00 終了 16:30 デジタルアーカイブクリエータ認定(希望者対象) 《キュレーション紹介》公開できる成果をリストアップしました
  1. 鈴木さん/諏訪湖のスケート[LINK](下記メディアクリップ収録)
  2. 長沼さん/一代交雑
2023-01-14
281/12日 調査まとめ1/12日 調査まとめ上田と「山本鼎」 自由画運動 山本鼎(やまもと かなえ)は愛知県岡崎市出身の画家であると共に、上田を拠点に「自由画運動」「農民美術運動」の先駆けとなった人物である。愛知県出身の山本であるが、父親が小県郡神川村大屋(現在の上田市大屋)に病院を開業したことをきっかけに上田と縁を持つこととなる。1912年にフランスに5年間の留学へ向かった山本は、日本に帰国後、児童画の改革を目指した運動を起こした。山本の言葉に「自分が直接感じたものが尊い」というものがあるが、当時の児童画の指導方法は「お手本の模写」が主流であった。山本はこれに対し、絵の技術や方法が重要なのではなく、自分の目で見た物、感じた物を描くことが児童の発達にとって大切であると説き、1919年に神川小学校で第一回児童自由画展覧会が開催され、2023-01-12
29女の多い話(『西塩田時報』第7号(大正13年7月1日)4頁)女の多い話(『西塩田時報』第7号(大正13年7月1日)4頁)【女の多い話】 小学校において、男児よりも女児の方が多いとする統計データについて、「飛鳥生」なる人物が私見を述べるという項目。一般に男性と女性の人口比は105:100と言われている。飛鳥は先述の統計を「面白い研究材料」と述べていたが、私も甚だそう思う。飛鳥はこれについて、女性の労働が少ないことが原因であると冗談交じりに述べていた。 【雑草】 「名のある人によって成し遂げられた事ばかりが尊い事ではない」という書き出しが目を引いた。功績をあげた人がどんなに名のある人かよりも、功績そのものがいかに素晴らしいかを評価すべきであるというのは、私の人生観に一致する。価値観というのは時代と共に変わっていくものと思っていたが、共にする場合もあるものだと感じた。2022-12-28
30川西野球排球大会川西野球排球大会今でもこれほどな大差がつくのは野球でも珍しいため面白かった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1180 『西塩田公報』第60号(1952年9月5日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1180.jpg2022-12-27
3112月22日分 調査まとめ12月22日分 調査まとめ上田城の築城・歴史 「日本一の兵」真田幸村を輩出した真田氏は、現在の上田市真田町の周辺を拠点として活動していた。上田城の築城が開始されたのは1583年のことで、真田幸村の父である真田昌幸によって築城が開始された。当時徳川家康に仕えていた昌幸は、その援助を受けながら築城をしていた。しかし、北条と手を組もうとする徳川から土地の受領を要請された際にこれを拒否。徳川と断絶した昌幸は、上杉家に助力を求め次男の幸村を人質に差し出す。これにより、上杉方から戦力と築城の支援を受けた。上田城が一旦の完成を迎えた1585年、家康は鳥居元忠らを真田領に進軍させ「第一次上田合戦」が始まった。およそ1万の軍勢で進軍してきた徳川軍を昌幸は謀略を用いて少数の軍勢で撃退した。時は流れて関ヶ原の戦い最中の1600年、家康の息2022-12-22
32実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第2回]実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第2回]実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第2回]  藤本蚕業所蔵資料で近現代のキュレーション 【講座タイムテーブル】 10:00 一次資料を使ったキュレーションのいざない 10:15 キュレーション実例紹介  講師:桂木恵(上田小県近現代史研究会事務局長) 11:00 近現代を捉える視点  講師:小平千文(上田小県近現代史研究会会長) (12:00 休憩) 13:00 『藤本蚕業歴史館アーカイブ』で藤本蚕業の資料を探る 13:30 近現代のキュレーション・ミニ実習「一次資料をして語らせる」 (14:20 休憩) 15:30 キュレーションをアウトプットする(d-commons.net マイサイト実習) 16:00 終了 【オンデマンド講座(当日の講座記録)】 ▼①午前の部:藤本蚕業の一次資料&近現代を捉える視点  講師:前川道博+桂木恵+小平千文 110分 2022-12-16
33後期 前川課題発見ゼミ後期 前川課題発見ゼミ1年後期 前川課題発見ゼミ 地域の特色・歴史を広めるために J22103 渡辺己太朗 elaboration課題の提起 上田地域探検や、長野大学での講義を通していく中で、自分が今まで知っていた「真田」についてはもちろん、上田自由大学や蚕種業など、興味を引き立てられる歴史・特色が多いことを知った。これらについて自分の中で更に知識を深めたり、広めたいと思い今回の課題発見テーマとした。 なぜそうなのか? 上田は歴史ある町であり、多くの歴史的な場所や伝統的な文化が残っている。しかし、「真田氏」の話題性が高いことや上田市がそれをシンボルのように扱っていることや、単純に認知度が不足していることでその他の場所や物について視点が向きにくいということが原因だと思った。 何を探求するのか ・上田の魅力を伝えていく方法 ・地元2022-12-15
34地域資料デジタル化の課題と解決に向けた方策(2022)地域資料デジタル化の課題と解決に向けた方策(2022)研究発表 地域資料デジタル化の課題と解決に向けた方策 「デジタルアーキビスト養成講座」の紹介を兼ねて (2022/11/23 日本教育情報学会第19回デジタルアーカイブ研究会)  前川道博(長野大学企業情報学部) 【研究の概要】 デジタルアーカイブの大きな課題の一つは地域資料のデジタル化が極度に立ち遅れていることである。DXが進む現代においては資料のデジタル化により誰もが地域の情報源に直に触れ、主体的に地域を学び・理解に踏み出すことのできる社会の実現が望まれる。本研究では、地域資料のデジタル化を提起すると共に、地域資料のデジタル化が担えるデジタルアーキビストの養成を地域人材のリスキル/リカレント教育の観点から具体的にどのように養成講座としてモデル化できるか、諸課題の解決が図れるかを課題提起する。2022-12-12
35実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第1回]実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第1回]【講座タイムテーブル】 10:00 講座のねらいと概要/地域アーカイブの課題 10:20 受講者の自己紹介 10:30 藤本蚕業歴史館・概要 10:45 藤本蚕業・上塩尻ミニ見学 11:15 藤本蚕業歴史館・館内ミニ見学 11:40 近現代へのいざない:蚕種製造業と藤本蚕業 (12:00 休憩) 13:00 藤本蚕業歴史館史料目録と史料データ 13:30 デジタルコモンズサービスd-commons.netによるアーカイブ/学習支援 14:00 キュレーション型学習の進め方 (14:20 休憩) 14:30 受講者の皆さんが探求したいテーマ、Q&A 15:30 次回に向けて:アドバイスや補足事項 16:00 終了 【オンデマンド講座】 ▼午前の部 (1)講座のねらいと概要(前川道博)22分 (2)藤本蚕業歴史館解説(佐藤修一氏)6分 (3)上塩尻ミニ見学(佐藤家住宅・旧佐藤宗家2022-12-10
36前山 塩野神社前山 塩野神社御祭神は素盞嗚尊(すさのをのみこと)、大己貴尊(おおなむちのみこと)、少彦名尊(すくなひこなのみこと)です。独鈷山の麓に鎮座し、独鈷山登山口に大鳥居がそびえています。境内入口をはいり、杉檜の参道を進むと、塩野川を渡る神橋(7枚目の写真)があり、そこから広がる景色はとても神秘的です。2022-12-06
37蚕の蛹:活用考察②蚕の蛹:活用考察②この写真は私が産川にて捕獲したフナです。 産川にはこの他にもオイカワやウグイと言った魚が生息しており、彼らは水生昆虫や水面に落下してきた生き物を餌として捕食しています。 そこで、蚕の蛹をそのまま使ったり練り餌に混ぜたりすることによって、より自然に優しい釣り餌に出来るのでは無いかと考えました。2022-12-05
38現代にも伝わる養蚕現代にも伝わる養蚕上田市の小学校では、3・4年時に蚕を育てる学校が数多くあります。塩川小学校では、8月に上田市常田にある「上田蚕種」から蚕種を譲り受け、9月下旬頃に繭になるまで育てます。小学校生活の思い出として強烈に残る学年行事です。2023-01-20
3911/21 神川小地域学習支援③ 投稿した写真の紹介11/21 神川小地域学習支援③ 投稿した写真の紹介全3回ある授業の3回目です。 11月7日に「神川まなびあいひろば」に記事を書き投稿してもらったものをクラス内で発表してもらいました。 何件か投稿した人も多かったのですが、時間が限られていたので今回は1人1つ記事を選んでみんなにお気に入りの場所やものを紹介してもらいました。 私が担当したクラスでは全員に発表してもらいましたが、発表をする人はどこでどんな写真を撮ったのか、どんなところがお気に入りなのかなど、自分が伝えたい情報や思いを発表を聴いている人に一生懸命伝えようとしている児童が多かったのがとても良かったなと思います。 発表が終わった後に質問・感想タイムを設けたのですが、質問や感想を積極的に言いたいという児童が多く、探究的な学びができていると感じました。 25人ほどの発表を聴きましたが、そ2022-11-21
40上田城上田城真田幸村で有名な上田城。二度にわたる徳川軍を退けた難攻不落の城と呼ばれている。大河ドラマの「真田幸村」や「サマーウォーズ」のモデルとしても知られ、多くのファンから人気の観光スポットにもなっている。春に行ったときは桜が満開で川に移る姿や楽し気な屋台の列が印象的でした。奥に進むと結構大きな神社もあって素敵な場所でした。2022-12-05
41愛染かつら愛染かつら北向観音境内に生育するカツラの巨木です。推定の樹齢は300年以上、600年から650年、1000年以上などの諸説があります。神仏が一時的に姿を現したカツラと言われる霊木で、円仁(えんにん)と千手観音にまつわる伝説が残されている。この木が知られるようになったのは川口松太郎の小説「愛染かつら」であり、後にヒットした恋愛ドラマの映画によってこの木も「愛染カツラ」と呼ばれるようになりました。2022-12-04
42温泉薬師瑠璃殿温泉薬師瑠璃殿温泉薬師瑠璃殿は北向観音の境内にある薬師堂であり、建物は崖にへばりつくように建てられていました。瑠璃殿という名称は薬師如来の「瑠璃光如来」から来ているが、温泉の薬効と薬師如来の病苦から人々を救うというご利益が結びついた温泉薬師信仰のためである。以前は大師湯の西隣にあったとされるが、寛保二年(1741)湯川の氾濫によって今の場所に移され、文化六年(1809)に現在の形に再建された。 土台が意外と細いにもかかわらずしっかりと立っていて、周りには大きな木に囲まれていた。その木の中のひとつに上田市の文化財である愛染カツラ(あいぜんかつら)もありました。2022-12-04
43小菅訓導小菅訓導千曲川でおぼれた生徒を助けて殉職された小菅武夫先生をたたえるために作られた碑。2022-12-04
44上田の養蚕上田の養蚕 他県よりずば抜けて養蚕が盛んだった長野県の中でも上田は特に養蚕業で栄えていた。  それは、千曲川の恩恵によるものである。上田盆地は桑の栽培に適していただけでなく、年間降水量が少ないことで蚕の飼育にも適していた。上田は、蚕の餌となる桑の栽培にも、蚕の生育にも適した土地であるという要素が重なって生まれた”蚕都”なのである。2022-12-01
45願行寺願行寺浄土宗の寺院です。 願行寺の創建は不詳ですが、伝承によると千曲川太鼓淵で某村人が一光三尊の阿弥陀如来像を川底で見つけた事から当時の領主滋野氏に献上しました。 その後、後裔である海野小太郎が海野郷岩下に御堂を造営し松誉岌香上人を招き功徳山願行寺を開山、本尊として前述した阿弥陀如来像を安置しました。2022-11-30
46志”まん焼き志”まん焼き昭和初期から開店している富士アイス。 店名の由来である富士山は日本一を自慢しているから、そして長野県で初めてアイスクリームを売り出したことからこの名前になりました。しかし、志”まん焼きの「志」になぜ濁点がつくかはわかっていません。 今川焼きと同様の原料を用いて焼成されても形状が異なると様々な呼称があり、全国各地で同様な食品が作られています。大判焼きのように志”まん焼きもその一つです。2022-11-30
47災害と別所線について災害と別所線について 今ある別所線の下之郷駅には昔、西丸子までつながる西丸子線がありました。チンチン電車やマッチ箱電車などの愛称で呼ばれ、通勤や通学時には混み合っていたそうです。しかし、昭和36年の梅雨前線豪雨によってトンネルや鉄橋などの破損し、電車の通行を休止するとともに、バス通行に変わり、昭和38年には廃止となってしまいました。 現在の別所線も2019年の台風19号による豪雨で千曲川にかかる千曲川橋梁が崩落して一部区間の運休が続き、一時期はバスで補っていたことがありました。 そのような状態だった別所線が廃止とならず全線復活して、今も鉄道として運行していることは素晴らしいことだと思います。 ローカル線が大災害によって、廃止になってしまうということは多くあり、そのたびに本当に鉄道として必要かどうか問われますが2023-01-22
48上塩尻まちあるき:西側の板壁上塩尻まちあるき:西側の板壁上塩尻は千曲川下流域(西方向)から吹き込む風が強いため、桑の葉に付く蚕の害虫であるカイコノウジバエを吹き飛ばすため質のよい桑が取れることが蚕種製造に適していたと言われています。実際にどの程度、西風が強いのかはわかりませんが、風が強かったことを物語っているのが建物の西側の壁一面に張られた板壁です。岩井小路にあるこの馬場邸の建物に西壁の板壁が残っています。風に吹きつけられると漆喰壁が傷むらしく、板壁で覆ってそれを防いでいるということです。 この板壁は景観的にも特色があり、写真集『民家の風貌』(小林昌人著、1994年)にも馬場家のこの板塀の景観が収録されています。2022-11-29
49上塩尻まちあるき:北国街道上塩尻まちあるき:北国街道上塩尻の中心部である大村は北国改造に沿って集落が展開しています。上塩尻は千曲川に面し、洪水の常襲地でもありました。洪水に見舞われた集落が太郎山系の裾野に移ったとも伝えられています。城下町、宿場町、商業の町は全国の街道筋にはどこにでも見られますが、上塩尻の蚕種製造民家で構成される集落は極めてめずらしい。おそらく全国でここだけではないでしょうか。歴史的景観を備えた美しい町並みにも感心します。2022-11-29
50上田蚕種協業組合上田蚕種協業組合養蚕が盛んだった上田盆地は、千曲川とその支流が作る扇状地や河岸段丘が発達し、桑の栽培適地であった。年間降水量が少ないことも蚕の飼育に適していたため、上田盆地は春蚕の産地であった。2022-11-28
51上田の蚕業について③上田の蚕業について③上田の蚕業について記された記録には、工女の消費活動についても以下のような記述があります。 工場の休日は日頃の長時間労働から解放された工女にとっては楽しいひとときで、小間物屋に寄って化粧品や小物を求めたり、呉服屋で普段着を買ったりしました。おやつの鯛焼きは工女に人気があり、休日や工場の開業前になると店先に行列ができるほどでした。(中略)常田館などのような大きな工場になると、呉服屋や小間物屋などが出張して郷里へのお土産を売りました。(「上田市誌 近現代編(2) 蚕都上田の栄光」135、136ページ上田市誌編さん委員会 平成15年3月1日信毎書籍印刷株式会社より) 既婚でもなく、子どもでもない、大人の労働者である工女たちの消費行動は羽振りが良いように感じられます。加えて、結婚前に、経済力と自由がある2022-11-28
52上田の蚕種業の歴史上田の蚕種業の歴史いつから始まったのか、上田の特徴を踏まえて蚕種業の歴史をとらえていきたいと思います。 江戸時代の末期から昭和にかけて、長野県の経済を支えたのが蚕糸業です。養蚕が盛んだった上田盆地は、千曲川とその支流が作る扇状地や河岸段丘が発達し、桑の栽培適地でした。また、年間降水量が1000㎜未満という気候は蚕の飼育に適しており長野県内でも上田盆地は春蚕の産地でした。また、松本盆地では夏秋蚕を中心として発展してきた地域であり、いつも対比されていました。こうした傾向は養蚕飼育技術が改良される明治末期まで続きました。2022-11-22
53小諸・上塩尻・その他地域における活動中間報告小諸・上塩尻・その他地域における活動中間報告小諸・上塩尻・その他地域における後期の活動について述べています。 具体的な内容としては、小諸では講演会の参加やそのYouTube撮影・投稿を行い、上塩尻では藤本蚕業歴史館資料のデジタル化、その他地域では神川小学校のデジタルマップを利用した学習支援や上田自由大学シンポジウム及びキモノマルシェの参加について書いています。2022-11-21
5410/31 塩尻小学習支援10/31 塩尻小学習支援10月31日に塩尻小学校の児童がデジタルマップ「塩尻小まなびサイト」に記事を投稿するお手伝いをしてきました。 今回はサポートとして参加したので教室の後ろの方で見守っていましたが、どんどんと記事を書き多い人は5件ほど投稿できていて驚きました。 普段から少しクロームブックを使っているとのことだったのですが、ローマ字でどんどん文字を入力していっている児童が多かった印象です。 みんなその場で天井の写真を撮ったので同じような写真ばかりになっていましたが、その中でもしっかり説明文を書いている児童が何人もいました。 児童からは「これから地域探検や写真を撮るときにこのサイトを使ってみたい」という声もあり、今後に活かせる学習の支援ができたのではないかなと思います。 次の神川小の学習支援を行うにあたり参2022-10-31
55上田の食文化③ 〜魚編〜上田の食文化③ 〜魚編〜この記事が1番興味があったことなのですが、上田のスーパーで1番驚いたのが、フナやコイの煮付けが普通に売っていたり、どじょう料理のお店が普通にあることです。鮎は自分も大好きで地元にいた時から食べていましたが、フナやコイ、ドジョウがそんなに浸透しているこの違いにびっくりしました。海がない分、川魚がよく食べられているのかなと思いました。 自分が1番びっくりしたのはコイのお刺身です!!2022-11-16
56こんなところに!こんなところに!これは大学前駅付近の川の写真です。こんな近くにこんなに大きな鳥がいてビックリしました。やっぱり自然豊かだなと感じました。2022-11-14
57藤本蚕業歴史館で学ぶデジタルアーキビスト養成リスキル/リカレント講座藤本蚕業歴史館で学ぶデジタルアーキビスト養成リスキル/リカレント講座藤本蚕業プロジェクト + デジタルアーカイブ学会地域アーカイブ部会シリーズ研究会 「藤本蚕業歴史館で学ぶデジタルアーキビスト養成リスキル/リカレント講座」 地域資源のデジタルアーカイブ化とその活用を図ることができる人材育成が本講座のねらいです。リタイアされた方々にとってはリカレント(学び直し)な学習、教員・文化施設職員などにとってはリスキル(スキル・知識の新たな獲得)の学習機会となります。藤本蚕業歴史館(長野県上田市)をフィールドにオンライン形式で開催します。 ▼講座概要 実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座 【日程】2022~23年  12/10(土)10:00~16:00 藤本蚕業歴史館に学ぶ地域アーカイ2022-11-14
58蚕種の里「上塩尻」まちあるきで再発見2022/11/26(藤本蚕業プロジェクト主催)=終了蚕種の里「上塩尻」まちあるきで再発見2022/11/26(藤本蚕業プロジェクト主催)=終了上塩尻の蚕種製造民家、街並み、猫瓦(それ何?)などをめぐる見学会です。 令和4年度長野県地域発元気づくり支援金事業「藤本蚕業資源活用事業」 蚕種の里上塩尻をまちあるき、古建築と景観の保全活用についても意見交換 日本一の蚕種製造の中心地だった上塩尻の街並みや建物を探訪します。当日は建築史学のモリス先生を交え、古建築・景観の保全活用について地元の皆様とも意見交換します。 【日時】2022年11月26日(土)  ・まちあるき 13:00~15:00 雨天決行  ・意見交換会 15:15~17:15(塩尻地区公民館) 【場所】藤本蚕業歴史館に集合(長野県上田市上塩尻 248)駐車場あり 【主催】藤本蚕業プロジェクト 【協力】西部地域まちづくりの会 自然・生活環境部会、上塩尻自治会、上塩尻今昔の会 【定員】・まちあるき 32022-11-14
59佐藤家住宅等見学会2022/10/29(藤本蚕業プロジェクト主催)[終了]佐藤家住宅等見学会2022/10/29(藤本蚕業プロジェクト主催)[終了]令和4年度長野県地域発元気づくり支援金事業「藤本蚕業資源活用事業」 佐藤家住宅・旧佐藤宗家/藤本蚕業歴史館見学会 蚕種の里とも呼ばれた上田市上塩尻に残る全国的にも希少な蚕種製造施設/蚕種製造民家を見学し、建物に触れながら建築上の特色や歴史的背景などを学び、地域づくりに活かしていきます。見学会の様子をデジタルアーカイブ化し、全国に向けても情報発信する機会とします。 【見学内容】佐藤家住宅(三ツ引)(2021年国登録有形文化財登録)、旧佐藤宗家(蚕室2 棟と邸宅跡)、藤本蚕業歴史館(旧藤本蚕業社屋)を見学。藤本蚕業歴史館展示室を事前開放。 【日時】2022 年 10 月 29 日(土) 14:00~16:00 雨天決行 (歴史館の事前見学 13:00~) 【場所】藤本蚕業歴史館に集合(長野県上田市上塩尻 248)駐車場あり 【主催】藤本蚕業プロジェ2022-11-14
6011/7 神川小地域学習支援② 「神川まなびあいひろば」記事投稿11/7 神川小地域学習支援② 「神川まなびあいひろば」記事投稿全3回ある授業の2回目です。 10月27日の地域探検で撮ってきた写真を「神川まなびあいひろば」に投稿する学習支援を行いました。 私はサイトの説明から、記事の書き方、投稿の仕方まで説明をしましたが、塩尻小の時とは違い説明する側は初めてだったので、小学生に理解してもらえるように説明する事への難しさを感じました。 最初はみんなで一緒に記事を書いていたのですが、やり方がわかってからはどんどんと記事を書いていて、中には2.3件記事を書き投稿している児童もいました。 クロームブックにまだ不慣れな様子でしたが、手書き機能や音声機能を使いながら時間いっぱい取り組んでくれていました。 他のクラスメイトや他のクラスの人の投稿を見ながら友達と話をしたりと面白がって取り組んでいる様子が見受けられました。 11月21日に2022-11-07
61神川小学校学習支援の様子神川小学校学習支援の様子11月7日(月)に神川小学校の学習支援を行いました。地域探検の時もそうでしたが、3クラス同時に行うということで、今回も塩尻小学校と同様、児童にデジタルマップの使い方を教えながら、一緒に地域探検で撮った写真を神川まなびあいひろばというサイトに投稿しました。塩尻小学校での経験もあったことから、今回の説明ではスムーズに行うことができました。投稿については児童によって件数はバラバラですが、多い子では5件ほど投稿していました。私が担当したクラスでは位置情報も記録してもらいましたが、私の説明でもしっかりサイトを使えていて、児童の飲み込みがとても早いことを実感し、驚きました。 今回の支援も含め、私自身2回児童にサイトの説明をすることや2校での学習支援をする機会がありましたが、学習支援を行っていく難し2022-11-11
62神川小学校地域探検の様子神川小学校地域探検の様子10月27日(木)に私も参加した、神川小学校3年生の地域探検の様子です。児童が地域探検している様子を見るのは初めてだったので、支援する上でも心配な点はありましたが、児童たちはとても楽しそうに探検していて、chromebookでたくさん写真を撮っている様子が見れて、私自身も児童と関わるとても良い機会となりました。児童から私に話しかけてくれる子もいて、支援側ではありましたが、児童と一緒に地域探検を楽しめました。2022-11-11
63角川武蔵野ミュージアムを訪れて角川武蔵野ミュージアムを訪れて先日、所沢にある角川武蔵野ミュージアムに行ってきました。 以前から訪れたいと思っていた美術館であり、さらに現在ゴッホ展やチームラボの展示を開催しているということで、この日を非常に楽しみにしていました。 感想としては、非常に素晴らしかったです。 ゴッホ展では360°のVR技術を使用した企画展示や、ゴッホの生涯をエピソードを交えながら折れ線グラフで表現しており、多くの人々が分け隔てなく興味を持ち、楽しむことの出来る展示になっていました。 チームラボの展示も、ただ眺めるのではなく来場者が自らアクションを起こして楽しむ参加型の展示が展開されており、一つの作品を完成させる一助に自分がなっているように感じられる没入感のある展示でした。 その他にも、本棚劇場のプロジェクションマッピングの壮大2022-11-08
64キモノマルシェ -まちなかキャンパス展示様子-キモノマルシェ -まちなかキャンパス展示様子- こちらの写真は、海野町商店街で行われた「キモノマルシェ」の展示の様子です。  日時:10月23日(日)10:00~16:00  場所:まちなかキャンパス  内容:1.和裁講座 ちくちく半衿付け     講師 きものニスト工房 清水寛美さん     2.信州の蚕都     企画展示 上田と小諸をピックアップ     3.海野町商店街今昔展示     4.ミニレクチャー      ・海野町商店街今昔 長野大学企業情報学部学生      ・上田(藤本蚕業) 長野大学 前川教授      ・小諸 きものニスト工房 清水寛美さん 多くの方に来場して頂きました。 ありがとうございました。    2022-11-08
6510/27 神川小地域学習支援① 地域探検~お気に入りの場所やものを探そう~10/27 神川小地域学習支援① 地域探検~お気に入りの場所やものを探そう~全3回ある授業の1回目です。 10月27日に神川小の3年生の児童と一緒に、国分地区を探検し、お気に入りの場所やものを探すという学習支援を行いました。 今回は蚕影神社→信濃国分寺駅→国分寺→史跡公園の順番で地域を探検し、みんな思い思いにいろんな物にカメラを向けていました。 児童はクロームブックで写真を撮ることに非常に興味を持っていて、神社などの大きな建造物から駅に咲いている花や公園に落ちている葉っぱなどの小さなものまで写真をたくさん撮っている児童が多く見受けられました。 「こんなところに文字が書いてある!」「なんだこれ!?」と不思議に思ったり新しい発見ができた児童や「こんなの見つけたよ!」「きれいな写真が撮れたよ!」と私に見せてくれる児童もいました。 子供はこういうところに興味を持つんだ2022-10-27
6610/20、27 上田探検隊中間まとめ10/20、27 上田探検隊中間まとめ2日間の探索を通して、上田市のまだ知らなかった魅力を知ることが出来たと思います。2日間とも、有名な場所を回ったりすることはもちろんですが、地域の風景や自然など、実際に歩いたからこそ気づける魅力にも視点を当てて散策しました。1日目の別所温泉では歴史的な建造物や自然に触れることが出来ました。初めて訪れたのですが、多くの寺社や透き通った川、高所からの風景など長野県としての魅力が多く詰まった場所だと感じました。2日目の西部地域は、様々な場所に観光スポットが点在しているといった印象を持ちました。距離的には長いかもしれませんが、今回前川先生が用意してくださったような観光マップを利用することが有効だと感じました、興味を持った人たちが紅葉の時期などに観光すれば、山が近いこともあってとても良い体験2022-11-06
67前川道博/蚕の卵:シルク文化の源泉@キモノマルシェ2022前川道博/蚕の卵:シルク文化の源泉@キモノマルシェ2022 前川道博(長野大学教授)/ミニレクチャー「蚕の卵:シルク文化の源泉」 2022/10/23 まちなかキャンパスうえだ2022-11-06
68湯川湯川湯川の写真です トンボが多く飛んでいて、生き物が豊富に生息してることが窺えました2022-11-03
69北向観音堂への道の途中北向観音堂への道の途中小川にかかっている橋のところに、竜の口から温泉が出ていました。少し熱くて、温泉のにおいがしました。この水は飲めるそうです。2022-11-03
70春の河原春の河原川と道の駅からの写真です。2022-11-02
71上田 道と川の駅 おとぎの里から見えた月上田 道と川の駅 おとぎの里から見えた月おとぎの里から見えた月がとても綺麗でした!2022-11-01
72上田城上田城天正11年(1583)真田昌幸によって築城されました。 第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城と呼ばれています。 信州上田真田丸大河ドラマ館が併設しており、信州上田の主たる観光地として観光客でにぎわいます。2022-10-31
73西部地域 日理駅西部地域 日理駅東山道において千曲川を渡った場所にあったとされる駅の跡地。 当時の場所には幾つかの説があったが、塔の礎石などが見つかったことから現在はここが有力とされている。 遺跡であるが、一般宅の畑の横に点在しているのが印象的だった。2022-10-30
74西部地域 正福寺西部地域 正福寺上田市秋和に位置するお寺。養蚕の神様である馬鳴菩薩が祀られている。 また、江戸時代に起こった「戌の満水」と呼ばれる千曲川の洪水の被害者を祀った千人塚が建てられている。2022-10-30
75西部地域 丸山邸西部地域 丸山邸明治時代に上田城から移設したとされる石垣が残る、丸山平八郎の邸宅。 近辺には矢出沢川が流れており、涼しげな雰囲気だった。現在は近くに植物屋なども置かれている。2022-10-30
76真田十勇士②真田十勇士②③海野六郎 比較的目立たないが十勇士のまとめ役であり、いなくてはならない存在 知略で徳川方を悩ませた。 ④三好清海入道 像を見ただけではわからないが180センチで怪力の持ち主。 太い樫の棒を振り回し戦った。真田幸村の父と親戚。2022-10-29
77上田城の堀の秘密上田城の堀の秘密上田城の堀には1箇所欠けている部分があります。 これは建設当時、風水において縁起の悪い方角を無くす目的があったそうです。これがあったからこそ真田晶幸は徳川軍を退けることができたのかもしれません。2022-10-29
7810/27まちなか側探求10/27まちなか側探求長野大学を出発し上田城で降り、丸山邸を散策し、千人塚それから八坂神社・二子神社に参拝、バイパス通りのコスモスを眺めバローに到着しました。発展した街中の中に根強く生きている歴史を感じられました。具体的にはその地域に流れている川の周りを景観を乱さないブロック塀や、道路などが作られておりその空間を観光に活かしていたり、丸山邸では気さくに挨拶をしてくれ、その中の植物展に気軽に誘って説明をしてくれたりとくれたりと上田の魅力は地域の人からも強く感じられた。地域の人がその歴史を大切に保存している姿勢が見られた。2022-10-29
79上田城上田城上田城の本丸跡は、二重の堀に囲まれているように見えた。調べてみると、一つ目は、本丸土塁の隅おとしだということがわかった。これは土塁の北東を、切り込み「鬼門よけ」としたもので、上田城の大きな特徴の1つであるとわかった。二つ目は、尼ヶ淵と呼ばれるものであり、当時城の粛には千曲川が流れ、穏やかで深みのある流れが、天然の堀となっていたと分かった。2022-10-29
80上田の山上田の山わたしは大分出身で家の周りにも海しかなかったのですが、上田市に来てから山の高さも、多さにも衝撃を受けました。でも歩いていて山ばかりだと地形の違いは面白いなと思う反面、海が恋しいなと感じました。2022-10-28
81上田城跡上田城跡上田城跡に友達と行きました。石垣についての説明を読んで、石垣で大きい石を使っているのは権威を示すためだとわかり、面白かったです。そして石垣にも歴史があるのだと新しい発見でした。2022-10-28
82真田神社真田神社受験の時以来に真田神社に訪れたのですが、絵馬で飾られた道や真田像など綺麗で、歴史好きにはたまらない場所だなと感じました。今後も大事な時にはお参りしたいと思いました。2022-10-28
83じまんやきじまんやき商店街を歩いて美味しそうだったので、冨士アイスさんで買いました。 地元の方もたくさんいて、愛されているお店なのだなと感じました。みなさんにもぜひ行ってほしいです。2022-10-28
84上田の道上田の道上田を歩いていて、歩道にガードレールが設置されていない道が多いことに気づいた。大分ではほとんどの歩道にガードレールがあるので、ないのは少し怖いなと歩いて思った。他にも、信号機のない横断歩道では絶対歩行者に道を譲ってくれるので、長野県の人は優しいなと感じた。2022-10-28
85信州上田学2022④蚕都を未来に活かす(2)ポスト蚕糸業信州上田学2022④蚕都を未来に活かす(2)ポスト蚕糸業▲講義資料PDF 長野大学2022年度講義「信州上田学」 担当:前川道博(長野大学企業情報学部教授) 第4回は「蚕都を未来に活かす/ポスト蚕糸業」と題し、上田が隆盛した蚕糸業のその後の業種転換、蚕糸業に端を発する新たな産業の興隆といったところにフォーカスを当てました。2022-10-28
86上田城 二の丸跡の歴史物⑤ 青年眞田幸村公之像上田城 二の丸跡の歴史物⑤ 青年眞田幸村公之像幸村の初陣とされる第一次上田合戦頃の、青年・真田幸村をイメージして造型されたもの。彼の眼が見据える先は徳川の大軍である。 <引用文> https://kojodan.jp/castle/60/photo/229664.html 10月21日15時頃にフィールドワークしました。  青年時代の真田幸村を表した銅像。眞田神社すぐ横にある。後ろには、壮大な景色が広がっていてとても綺麗でした。この銅像の場面は幸村の初陣、徳川との戦いを表しています。なんとこの戦いの結果は幸村が勝利を収め、大名として独立を確定させた戦いです。こう言ったことから眞田神社のご利益が「勝負運」なのかと考察できました。2022-10-27
87上田城 二の丸跡の歴史物② 東虎口櫓門上田城 二の丸跡の歴史物② 東虎口櫓門天正11年(1583)真田昌幸によって築城された上田城は、第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城。春は上田城千本桜まつり・秋には上田城紅葉まつりが行われ、現在は信州上田真田丸大河ドラマ館が併設しており、信州上田の主たる観光地として観光客でにぎわいます。 <引用文> https://nagano-ueda.gr.jp/uedajo/about.html 10月21日15時頃にフィールドワークしました。  上田城跡に聳え立つ大きな門、この門はなんと、大河ドラマだけでなくサマーウォーズに出てくる門のモデルにもなってるそうです。徳川軍を二度も撃退したなんて、凄く頑丈なことがわかります。歴史的にも、見た目も話題性がとても高い歴史物だと感じました!!2022-10-26
88茂田井「間」の宿茂田井「間」の宿茂田井宿だと思って実際に行ってみると、茂田井「間」の塾という立て看板やパンフレットが多くありました。 なにが、間なのか、どうして、間なのか。 その答えになる看板がありました。 間の意味は、芦田宿と望月宿の間にある。という意味だそうです。今でも、隣の家が佐久市、自分の家が立科町。といった家もあるそうです。 市の境目は川が流れている、山を挟んで。などがあるそうです。家を境に市が変わるのはとっても珍しいとお話をいただきました。2022-10-26
89佐藤家住宅等見学会2022/10/29(藤本蚕業プロジェクト主催)佐藤家住宅等見学会2022/10/29(藤本蚕業プロジェクト主催)令和4年度長野県地域発元気づくり支援金事業「藤本蚕業資源活用事業」 佐藤家住宅・旧佐藤宗家/藤本蚕業歴史館見学会 蚕種の里とも呼ばれた上田市上塩尻に残る全国的にも希少な蚕種製造施設/蚕種製造民家を見学し、建物に触れながら建築上の特色や歴史的背景などを学び、地域づくりに活かしていきます。見学会の様子をデジタルアーカイブ化し、全国に向けても情報発信する機会とします。 【見学内容】佐藤家住宅(三ツ引)(2021年国登録有形文化財登録)、旧佐藤宗家(蚕室2 棟と邸宅跡)、藤本蚕業歴史館(旧藤本蚕業社屋)を見学。藤本蚕業歴史館展示室を事前開放。 【日時】2022 年 10 月 29 日(土) 14:00~16:00 雨天決行 (歴史館の事前見学 13:00~) 【場所】藤本蚕業歴史館に集合(長野県上田市上塩尻 248)駐車場あり 【主催】藤本蚕業プロジェ2022-10-25
90足立光紅/海野町レトロ写真館@キモノマルシェ2022足立光紅/海野町レトロ写真館@キモノマルシェ2022 足立光紅/ミニレクチャー「海野町レトロ写真館」 2022/10/23 まちなかキャンパスうえだ 「海野町レトロ写真館」はコチラ→http://www.d-commons.net/uedagaku/mnmn11262022-10-24
91丸山邸丸山邸たそがれ清兵衛のロケ地です。石垣はかつて上田城のものだったようです。明治時代にこの場所に移されたとの事です。とても歴史を感じました。この辺は川辺で涼しく散歩にちょうど良いです。 上田市は自分が思ってた以上に歴史に満ちあふれてると思いました。2022-10-24
92丸山邸丸山邸諏訪部という地域の矢出沢川沿いには丸山邸という石垣造りの立派な邸宅があります。この石垣はもともと上田城から運んできたらしいです。実は10年前くらいに丸山邸は火事で屋根が落ちていたりもするんですが、そんなことを微塵も感じさせないほど繁盛してます。今は邸宅内の蔵を改造して映画鑑賞ができたり、お洒落な観葉植物を販売していたり。時間の都合上カフェの写真はありませんが、ここの蕎麦はおいしいとのこと。是非!2022-10-24
93千人塚千人塚秋和の正福寺にある千人塚です。千曲川が氾濫(戌の満水1742年)して、犠牲になった人を供養しています。ちなみに昔は上田城下の公園のところは千曲川だったらしいですよ。正福寺のの観音堂には養蚕にまつわる仏様が祀られているそうです。2022-10-24
94名前も知らなかった川名前も知らなかった川丸山邸の近くの橋からきれいな川が見れました。川を見ることが好きなので興味を惹かれました。どこにつながっているのかも気になります。名前は矢出沢川というそうです。2022-10-24
95眞田神社眞田神社徳川軍から2度も守った不落城の上田城。不落ということから受験に落ちない、として縁起のいい神社である。受験前に訪れた人も多いのではないか。2022-10-24
96上田城跡公園上田城跡公園上田市1の観光スポット。真田昌幸が建て、徳川軍から2度も守った不落城である。春には千本桜まつりが開かれ大勢の人が訪れる。2022-10-24
97別所温泉 相染橋別所温泉 相染橋別所温泉街に架かる橋。緑が多い風景や周りの建物が淡い色味なのに対して、赤色の橋が印象に残ります。下を流れる小川も綺麗です。2022-10-23
98「上田の蚕糸を知ろう」キモノマルシェ2022/10/23「上田の蚕糸を知ろう」キモノマルシェ2022/10/23キモノマルシェ2022 in 信州上田 2022年10月23日(日)10:00~16:00 上田市海野町商店街で 主催:信州着物の似合うまちネット https://kimononet.naganoblog.jp/ 第1会場(まちなかキャンパス)では次の催しを行います。 ■信州の蚕糸を知ろう ①企画展示 上田と小諸をピックアップ ②スライドショー 上田・小諸・海野町今昔 ③ミニレクチャー それぞれ15分   14:45 蚕の卵・シルク文化の源泉 前川道博(長野大学教授)   15:00 蚕都のその後・海野町の今昔 足立ミク(長野大学前川ゼミ学生)   15:15 小諸の風穴と蚕糸 清水寛美(きものニスト工房)  [長野大学企業情報学部前川ゼミ学生] ■和裁講座 ちくちく半衿付け  10時~14時頃 体験料500円(学生無料)  長襦袢お持ちの方は付けられます。  着物お悩2022-10-22
99千曲川橋梁千曲川橋梁台風19号によって1度は崩落したものの、無事に元の姿に戻った千曲川橋梁。 赤い橋と夕日と別所線のコラボには鉄道ファンではなくてもどこか惹かれるものがあります。ぜひ1度は直接見てみてください。2022-10-22
100矢出沢川遊歩道矢出沢川遊歩道矢出沢川沿いに長く続く遊歩道。 隣の川には魚や水鳥も泳いでおり、春になると桜が道沿いに咲き、季節の訪れを感じさせてくれます。上田城ほどの量はありませんが、落ち着いた雰囲気を感じ取れます。2022-10-22
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