登録リスト(該当:5927件)

写真タイトル説明登録日
1千本桜祭り千本桜祭り上田城跡公園で行われる千本桜祭りに行った。 天正11年、真田昌幸により築城された上田城。春には1000本の桜が咲き誇る桜の名所だ。 桜が満開に咲き誇り、春と上田城を同時に楽しめる場所だ。桜の多さに圧巻される。屋台も多く並び、とても賑わっていた。四季のある日本を楽しめるイベントだ。2024-01-09
2日本遺産 北向き観音堂日本遺産 北向き観音堂日本遺産シリーズの講義を通して北向き観音堂を訪れた。 北向観⾳堂は、平安時代初期に慈覚⼤師円仁(えん にん)が開いた霊場。本尊は千⼿観⾳菩薩(せんじゅか んのんぼさつ)。北向きの本堂は全国でもほとんど例 が無く、南向きの善光寺本堂と相対している。「来 世往⽣」を願う善光寺と「両参り」し、ここで「現 世利益」を祈ることで御利益があるとされる。北向観音からまちを一望でき、見晴らしがとても良かった。北向観音堂の裏にある壁一面の苔が美しく、思わず写真を撮ってしまった。2024-01-09
3日本遺産 長福寺銅像菩薩立像日本遺産 長福寺銅像菩薩立像日本遺産シリーズの講義で長福寺銅像菩薩立像を訪れた。 ⻑福寺銅造菩薩⽴像は、⻑福寺「信州夢殿」の本尊。 アルカイックスマイルを特徴とする、像⾼36.7cmの⼩ ⾦銅仏で、7世紀後半の⽩鳳時代の作品と考えられる。 もとは上⾼井郡⼩布施町の旧家に伝わるものだっ たが、昭和13年(1938)に⻑福寺に移された。境内には、平和を願うなかよし地蔵や生まれてこれなかった子どもを供養する水子神社などもあった。長福寺はすごく広々としていて、庭園もきれいだった。今の時期は、植物が枯れていたが春になればきれいな姿が見れるのではないかと感じた。実際に菩薩立像を見ることができず残念だった。2024-01-09
4日本遺産 生島足島神社日本遺産 生島足島神社日本遺産シリーズの講義を通して、生島足島神社に訪れた。 生島足島神社本殿は、生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社。生島大神・足島大神の二柱の神は、日本の真ん中に鎮座して、万物を生み育て、国中を満ち足らしめ給う日本国土の守護神として崇められてきました。実際に訪問した時、七五三やお宮参りで来ていたり、妊婦さんもいて、安産祈願や育成発展の祈願に適した神社なのだと感じた。また、全体の真っ赤な見た目が美しく、神秘的だと感じた。2024-01-09
5家庭メモ ( 『西塩田公報』第45号(1951年1月1日)4頁)家庭メモ ( 『西塩田公報』第45号(1951年1月1日)4頁)この記事では日常生活の豆知識のような内容が書かれていて面白いと感じました。昔はお茶に含まれるカフェインをテインと呼んでいたことも分かります。 この知識を家庭内で知っていれば、食事も気を付けて作ったり食べたりできるでしょう。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1118 『西塩田公報』第45号(1951年1月1日)4頁 2024-01-08
6生活改善に就て (『西塩田時報』第10号(1924年10月1日)2頁)生活改善に就て (『西塩田時報』第10号(1924年10月1日)2頁) 昔の人たちがどのように節約してるのか掲載されています。昔ならではの男女の役割についても書かれています。  現代とは違った節約方法が書かれていて面白いと感じました。生活の仕方までも強制される世の中であったのは現代では考えられません。 ▼この記事は以下から参照できます。 #50『西塩田時報』第10号(1924年10月1日)2頁  2024-01-08
7生島足島神社生島足島神社太古より国土の鎮守と仰がれ、国の真ん中あたりに祀られる大八洲(日本列島)の神、 ”生島大神”と”足島大神”が鎮座している。 歴代の上田城主の北条氏、武田氏、真田氏などからも厚く崇敬されたという。 夏至には東鳥居から朝日が昇り、冬至には西鳥居に夕日が沈む神秘的なスポットでもある。 朱色の立派な建造物(本殿は県宝に指定されている)が印象的だ。 神社とは少し離れた位置にある大鳥居は来訪者の目印となっている。 境内はそこまで広くないので回りやすい。 七五三や神前挙式などに選ばれる神社なので、タイミングが合うとより幸福感を 味わうことのできる場所である。 大地と太陽を結ぶと言われる所以を是非体感しに訪れてみてほしい。2024-01-02
8大雪の上田2017/01/21大雪の上田2017/01/21上田はあまり雪は降りません。この日2017/01/21はめずらしく大雪になりました。まるで雪国。除雪車が除雪している光景には滅多に出会えません! とても貴重な大雪の記録です。2024-01-02
9別所線『真田丸』ラッピング2017/01/05別所線『真田丸』ラッピング2017/01/05NHK大河ドラマで『真田丸』が放送されたのは2016年1月~12月のこと。当時、上田市内には『真田丸』の広報媒体が多数ありました。別所線のラッピング車両もその一つ。2017/01/05の時点ではまだ『真田丸』ラッピング車両が走っていました。2024-01-02
10「生涯備忘録」テンプレートご利用ください「生涯備忘録」テンプレートご利用ください▲「生涯備忘録」テンプレート(Excelファイル) 生まれてからこれまでの間にいつ何があったか、どこへ行ったか、その頃何をしていたか、何を考えていたか、どう成長したかをシームレスに記録できるExcelの「生涯備忘録」テンプレートを公開しました。生まれた日から100歳の誕生日の辺りまで約36,500日のデータ行が入力済です。 ★使い方 上のExcelファイルをダウンロードしてお使いください。1日目の生年月日に自分の生年月日を1980/05/01のように入力します。満100歳までの備忘録テーブルが自動的に作成されます。左半分の項目は自動記述項目です。関数と式が設定されているので値を入力しないでください。右半分の項目に必要事項を入力します。 <自動記述項目> ①日目(生誕日が起算日の連番、生まれてから何日目?) =上セル+1 ②年 =TEXT(F2,2023-12-27
11上田城跡上田城跡真田昌幸によって築かれた上田城。 この城は真田氏が「関ヶ原の戦い」を含む、二度にわたって、徳川の大軍を追い払った実践経験のある城として有名である。 廃城となったが、現在でも本丸と二の丸には土塁、石垣、堀跡がある。 また、本丸の三基の櫓は昔の姿をとどめており、観覧が可能である(有料)。 堀跡の周りを一周できるように道が整備されており、観光しやすい文化財である。 敷地内や周辺には”真田神社”や”市立博物館”、”児童遊園地”などがあるので 歴史の理解を深めたい方や家族連れなど幅広い方々に楽しんでいただけると考える。 上田市では最も有名な文化財であり、観光スポットであるので まだ訪れたことのない方には是非歴史の一部を体感しに出かけてもらいたい。2023-12-26
122023後期中間前川ゼミ活動まとめ2023後期中間前川ゼミ活動まとめ2023年の活動をまとめました。来年は時間をとれると思うので有意義な活動にしたいです。2023-12-25
13長野大学前にあったセブンイレブン2005年前後長野大学前にあったセブンイレブン2005年前後長野大学の前にセブンイレブンがありました。 <写真・上から順に> ①2005/04/27の記録 ②2005/05/18の記録 ③2005/12/15の記録 ④2006/03/29の記録 たまたま私のデジカメ画像に記録されていたものです。大学からは地の利がよく大変重宝しましたが、閉店となってから久しくなります。現在はカーショップに代わっています。 別所線大学前駅周辺、長野大学周辺にはコンビニが数店あり、栄枯盛衰を繰り返しています。セブンイレブン、ファミマ、ローソンなどコンビニ業界の競合も激しいことに加え、大学は夏休み、春休みなどの期間が長く、コンビニを営業するには売り上げが少ない期間が長く続くことも大学前立地のハンディになったのではないでしょうか。 私が当時書いた記事があるのでご紹介します。 ★2023-12-24
14美ヶ原・遠景美ヶ原・遠景千曲川近くから美ヶ原を遠望しています。 深田久弥が日本百名山の一つに挙げた美ヶ原。他の名山と異なり、山頂が尖った山容をしていません。非常に緩やかにわずかに丘になっているように見えるところが山頂です。テレビ塔が何本も立っていることもシンボリックです。山頂にテレビ塔、こんなユニークな山はどこにもありません。山頂のとんがりがない代わりに、これ以上ない山頂の目印となっています。2023-12-24
15りんどうりんどう長野県花りんどうです。濃い青紫色の花びらがこの上なく美しい。 この個体は2013年9月、松本で開催されたサイトウキネンフェスティバルの最終日を飾るGigで来場者に配られたもの。 長野大学の大学祭は長野県のシンボル・りんどうにちなんで「りんどう祭」とネーミングされています。2023-12-23
16建設中のサントミューゼ2013/11/22建設中のサントミューゼ2013/11/22上田市の複合的文化施設「サントミューゼ」が開館したのは2014/10/02です。2013年11月はまだ建設途上でした。 千曲川河川敷の桑畑であったこの区画に鐘紡上田工場が建設され、1937年に操業を始めました。当時の様子の映像がネット公開されています。 (上田市マルチメディア情報センターの動画) 戦後は日本専売公社(後に日本たばこ)の工場となり、その跡地の再開発が進められてきました。2023-12-23
17稲わら焼きの風景2013/11/22稲わら焼きの風景2013/11/22戦場の煙ではありません。お間違えなく! 塩田平のため池・舌喰池に近い金井バス停付近の棚田から稲わら焼きの煙が立ち上っています。棚田の段々の土手、集落の風景が煙に遮られ、さんさんと降り注ぐ陽光に煙が映えています。22世紀に残したい稲わら焼きのイチオシ風景です。2023-12-22
18稲わら焼きの風景2013/10/04稲わら焼きの風景2013/10/04稲わら焼きの風景。収穫の秋、稲刈りが済んだ後の田んぼで普通に見られる光景です。田んぼの稲を焼く風習は昔から連綿と続いていたと思われますが、農業の機械化や地域の都市化が進んだ現代において、ここ塩田平の稲わら焼きの風景はかけがえのないものです。各所に煙が立ち上り、この季節ならではの風情を醸し出しています。2023-12-22
19上田大神宮上田大神宮 1870(明治3)年、明治天皇は神道を全国に広める旨の詔を発布した。それにより伊勢皇大神宮では、神宮教院を設置し全国を31の教区に分類した。その第十九教区として上田の地に本部を設け、教活動とお神札の頒布の拠点としたのが上田大神宮の起源だ。  1889(明治24)年、現大神宮が完工、伊勢神宮より大宮司を迎え、鎮祭式典を行った。  また、境内には猿田彦神社、上田西宮恵比寿神社、三峰神社が内包されている。  神妙づくりの建築様式を採用しているが、現在は元の大きさから3分の一に縮尺されている。2023-12-22
20保明水保明水 保命水と呼ばれるこの井戸は1881(明治14)年に海禅寺の湧き水を地下の木簡で柳町に引いたものである。当時の生活用水、非常用水として利用された。  1922(大正12)年には上田市に上水道が開設されたが、市内には良質な飲料水が少なかったため、町民の負担で修理改修を行い管理されてきた。  それから約30年後の1949(昭和24)年、上田市で全域で断水してしまう事故があった。その際には前肢の水源として活躍した。  現在は生活用水としては利用されず、井戸のみが形として残っている。  信州の水50選にも選ばれるほど水質がきれいで、運が良ければカニがみられるかもしれない。2023-12-21
21水かけ地蔵水かけ地蔵 旧街道でもある柳町商店街の入り口付近にちんまりとたたずむ一体のお地蔵様。すぐ近くにある湧き水を柄杓ですくい、お地蔵様にかけると縁結びのご利益があるようだ。 この湧き水は明治時代初期に海禅寺の境内から柳町まで地中に敷いた木管を流れてくる「保命水」だという。  隣の石碑には江戸時代の俳人である加舎白雄が柳町で詠んだ句が彫られている。白雄は上田藩主の次男である。 「白壁に 百筋あまり 柳かな」2023-12-21
22超誓寺超誓寺 超誓寺は上田市神畑にある浄土宗系の寺院。京都府にある御末寺を総本山としている。御本尊は阿弥陀如来三尊像。  この寺の由来は、大永年間(1520年代)に足利将軍に仕えていた浦和式部大輔が神畑の山中にあった庵に篭り出家し、超誓道俊と名乗ったことから始まる。深く村人に慕われていた道俊であったが、亡くなると庵、尊像共に参拝する人も減り次第に荒れ果ていった。これを悲しんだ村人は永禄11(1568)年の神畑のこの地に、超誓寺を建立した。ちなみに、この年は織田信長が足利義昭を擁して上洛した年でもある。  境内には宗派を超えてお薬師様と親しまれた薬師如来像が安置されているお堂や武田信玄が川中島合戦に祈願したといわれているお堂もある。  寺下駅からも近く参拝は比較的容易。4月頃の夜になると桜の木がライトア2023-12-21
23生島足島神社生島足島神社駅が近く、駐車場も広いため訪れやすく、地域の方々から愛されている神社であると感じた。実際、平日に訪れたにも関わらず、10人以上に参拝客がいて驚いた。2023-12-21
24泥宮大神と上窪池泥宮大神と上窪池 上田市本郷にある泥宮大神は、非常に珍しい泥を御神体とした神社である。古くから泥、つまり大地は稲などの作物を育ててくれる存在として崇められてていた。日本全国様々なものを御神体とする神社があるが、泥をご神体とした神社は多くはない。  本来は生島足島神社が建立された際に、その時の死者の魂を遺すためとして作られた社である。なお、生島足島神社が創建された年代はわかっていないため、この泥宮大神が建てられた時期も不明ということになる。  もともとは「諏訪大明神」という名で呼ばれていたが、1790(寛政2)年、松平定信が幕府の財政を引き締め立て直しを図った時代に「泥宮」の愛称で親しまれるようになった。  この神社の東側には上窪池という溜池があり、私が訪れた際にはサギのような白くて大きな鳥も見られ2023-12-21
25生島足島神社生島足島神社2023年11月に撮影した生島足島神社の鳥居である。 生島足島神社は御神体が「大地」というとても珍しい神社である。鳥居や境内の建物は赤が印象的であり、美しい景観だった。 生島足島神社では毎年夏に祇園祭が行われているという。今年は直接祇園祭を見ることはできなかったが、来年はぜひ訪れてみたい。2023-12-21
26Excelで「生涯備忘録」のすすめExcelで「生涯備忘録」のすすめ生まれてからこれまでの間にいつ何があったか、どこへ行ったか、その頃何をしていたか、何を考えていたか、どう成長したかがシームレスにわかるといい。スマホで撮った画像やビデオやその時にゲットした資料なども紐づけできるといい。 仮に人生100年とすると日数は約36,500日。Excelでデータ作成すると、それがいとも簡単にコントロールできます。そんなことで「生涯備忘録」を作ってみました。誕生日を起算日とし1行=1日で下方向に3万6千行のデータを作ります。カラムは任意で。一番の柱は年月日です。他は全部年月日の属性。 1行目に生誕日を入力。 2行目には数式 =一つ上のセル+1 を書きます。これで日付が1カウントアップします。このセルを下方向コピー(フィル)すると100年人生の日付入力が全て完了します。とても簡単です。 私2023-12-20
27高市神社について高市神社について高市神社は、真田昌幸氏が上田城を築いた際に城下の惣町として海野町を造り、商いの守護神として創建されたと伝えられています。高市神社は「運の石」が有名です。運の石を右から左に撫でると悪運を払い、左から右に撫でると開運効果があるそうです。 @上田市中央2丁目92023-12-19
28生島足島神社生島足島神社生島足島神社は、生島大神と足島大神を祭っている神社である。御神体は「大地」であり、日本の真ん中に位置している神とされている。中世以降は、武田信玄や真田氏など歴代の上田藩主に守られたとされている。2023-12-19
29チャイナウ!チャイナウ!12月5日から一週間ほど、中国の雲南省へ行ってきました。というわけで、テーマはチャイナウ!としました。 チャイナ・ナウ。の略です。 帰国して約一週間、疲れからか風邪を引き、中国への色んな振り返りができないまま寝ていましたが、そろそろ思い出が褪せる前に想い出を綴っていきます。 雲南省の中の、昆明・大理・麗江の3か所に行ってきました。上海空港から乗り換えで向かう場所にあり、少数民族で出来ている場所になります。多様性が社会全体の雰囲気であり、その点日本人も浮くことなく受け入れてもらえました。 中国の投稿用に別ページを用意する予定ですが、ひとまず、私の備忘録として、ここに残しておこうと思います。 私の感想:ご飯がめっちゃおいしかった。です(笑) 文化の違いはあれど、ご飯がおいしいのが私に2023-12-18
30藤本蚕業でミーティング&資料を見合おう会藤本蚕業でミーティング&資料を見合おう会2023年11月27日に藤本蚕業歴史館で藤本蚕業でミーティング&資料を見合おう会を開催しました。内容は藤本蚕業歴史館内の資料を互いに見せ合うことをしました。今回はオンライン参加と現地参加のハイブリットで行いました。2023-12-18
31糸の町こもろプロジェクト糸の町こもろプロジェクト2023年10月29日に糸の町こもろプロジェクトの講演会に参加してきました。 内容は坂本氏による津軽三味線演奏、鈴木講師による小諸の地下水の解説、餐場家探訪、製糸場跡地めぐりなどを行いました。2023-12-18
32信濃国分寺の瓦信濃国分寺の瓦左に烏天狗、右に天狗をかたどった瓦がありました。 天狗はご存じの方も多いと思いますが一般的に赤い顔、高い鼻、翼を持った神あるいは妖怪です。古くから山間部は異界とされ、そこで発生した様々な現象を天狗によるものだとしていました。 烏天狗は烏のような嘴、翼を持つ神あるいは妖怪です。源義経に剣術を教えたのは鞍馬山の烏天狗と言われています。 どちらも寺に入る邪気から守るために設置されているようです。 こういった魔除けの意味を込めて建築物に生物や神、妖怪などをかたどったものをつくるという文化は非常に興味深いです。信濃国分寺ではこのような「瓦」の形で表現されているのでなかなか珍しいと感じました。調べても詳細は出てこなかったのですが、像などではなく瓦という形をとったのか気になりました。2023-12-17
33前川ゼミ デジタルアーカイブ化と社員日誌について前川ゼミ デジタルアーカイブ化と社員日誌について2023-12-15
344年間の大学生活で学んだこと。4年間の大学生活で学んだこと。大学生活最後の後期課程の前川ゼミの振り返りで、9月以降自分が考えたり、見たり、思ったりしたことを書いた。 大学院試のために、時間を割いてきたが、院試のために頑張っていたことが、自分の振り返りになっているとも感じれた。 卒業を前にして、いろいろ自分らしく動いてみたが、まだ「私の考え」で止まってしまっているところが多くあるため、さらに一歩進んで、エビデンスをしっかりとつけて学びの幅が広がるようにしたいと思う。2023-12-15
35論説“一九五六年”の課題(『西塩田公報』第100号(1956年1月1日)1頁)論説“一九五六年”の課題(『西塩田公報』第100号(1956年1月1日)1頁)今年は農業経営のかわりめだから、気を抜いていてはいけないと忠告している。新年一発目の新聞で酒に酔っててもいいが、今後のことをしっかり考えてほしいといわれ、気持ちの引き締まる思いがした。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1327 『西塩田公報』第100号(1956年1月1日)1頁2023-12-14
36山林緑化運動に寄せて(『西塩田時報[戦後]』第14号(1948年4月25日)1頁)山林緑化運動に寄せて(『西塩田時報[戦後]』第14号(1948年4月25日)1頁)この記事には緑を植えることで民衆安定の基礎を確立することを目指していると書かれている。今でこそSDGsが国際社会共通の目的になっており、環境に優しいことが重要視されているように思うが、当時はその記事に賛同する人は少ないのではないかと思った。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1011 『西塩田時報[戦後]』第14号(1948年4月25日)1頁2023-12-14
37おかっぱ頭のすすめおかっぱ頭のすすめまだ小さい女の子の髪型はおかっぱにした方が親が切るとき楽だし、衛生的にもよいと書かれている。2023-12-14
38肥料の歌肥料の歌肥料の作り方や良い肥料とダメな肥料を歌にしている。 昔は農作物が主な食事の源になっていたのでこれほど重要なのだと思った。2023-12-14
39木造惟仙和尚坐像・木造恵仁和尚坐像木造惟仙和尚坐像・木造恵仁和尚坐像安楽寺の境内の伝芳堂に、惟仙と開山二世幼牛恵仁の等身大の僧侶の「頂相」が並んで祀られている。 没後、お弟子さん達が慕い造立したもの。 安楽寺が鎌倉と同水準の禅宗文化を受容し、「信州の学海」として、 修行僧を多数輩出していたことが分かる貴重な文化財である。 実際に見ると大変造りが細かく、お弟子さん達の腕の良さが伺える。 八角三重塔を参拝する順路の途中に祀られているので一緒にご覧いただきたい。2023-12-14
40安楽寺 八角三重塔安楽寺 八角三重塔安楽寺は信州最古の禅寺。 境内の奥にたたずむ塔は日本で唯一の木造八角塔で、長野県で最初に国宝に指定された。 塔は本来、お釈迦様の遺骨を奉安したものだが、中世以降は特定の人物や戦死者の 供養の建てられたものが多いため、恐らくこの塔も北条氏の供養塔として建てられたものと考えられる。 一見四重塔に見えるのだが、一番下の屋根は「裳階」と言われており、ひさしに相当するので数えないそう。 本堂のある位置から入場料を払い、木々の間に整備された階段を数十段と上っていくと その塔はある。 造りがとにかく細かく、あの湾曲した木はどのようにして切り出したのかと 考えさせられる。 八角ともなると立体的かつ厚さを感じ、圧倒された。 塔に着くまでにかなり階段を上るので ご高齢の方や身体に不自由がある方だと2023-12-14
41前山寺前山寺空海が開き、鎌倉時代に長秀上人が発展させた前山寺。 塩田北条氏の祈願寺となった。 境内に入ると空気感が一気に変わる。 本堂は立派なかやぶき屋根。 三重塔は二層三層にやりかけの部分があるが、不調和が無く「未完成の完成塔」と言われている。 境内内にある鐘は世界観に没入する観光客に時刻を伝える。 山の中にあり、車がないとアクセスが難しいと感じるが、 藤の名所とも言われているので是非一度空気感を味わいに訪れてもらいたい。2023-12-14
42上田日本遺産 1上田日本遺産 1前山寺に訪問させていただいた際にとった写真です。未完成の完成塔と称されている通り荘厳な良い文化財だと思いました。2023-12-14
43火の元注意火の元注意当時の人々にとって火という存在は生活に必要不可欠なもので、うまく利用していました。しかし家などは木で造られ、燃えやすい環境で暮らしていたの事実です。もちろん火事も起こっていたでしょう。この記事はそんなことに警鐘を鳴らしている記事です。 また個人的には四月が一番火事が多いということがなぜなのか気になりました。 現在とさほど火事の原因に差はないことも分かりました。 当時の人々は火事をどうやって消火していたか気になります。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1260 『西塩田公報』第4号(大正25年12月1日)166頁2023-12-13
44勝利は何処へ勝利は何処へこの記事の特異な点は、謹賀新年のあいさつの記事のすぐ後にあることです。これはあくまで私の推測ですが、あいさつをしている暇などなく、当時日本の世の中で起きていた、いろいろな社会問題を危惧しているのではないかと思います。 さらにこの記事は、自己実現が大事であるという戦時の中であると少し嫌悪的である考えを話しているようにも見え、検閲が厳しかった当時の記事では珍しかったのではと思います。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1260 『西塩田公報』第4号(1924年4月1日)21頁2023-12-12
45身体測定(『西塩田時報』第35号(1926年10月1日)3頁)身体測定(『西塩田時報』第35号(1926年10月1日)3頁)学校の身体検査について書かれた記事だが、情勢の脅威について触れられていたり、体格を成績として評価したりしている。現代では配慮され絶対にかかれないことが書かれていたため、時代の移り変わりを感じた。2023-12-12
46学校だより(『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁)学校だより(『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁)アニメなどのイメージから昭和にはおかっぱの女の子がいたというのは想像していたが、ここまで多くの子がおかっぱにしており、学校からもおかっぱが推奨されていたことに驚いた。2023-12-12
47眼を大切に眼を大切に眼を大事にすることは今も昔も変わらずに大切である。眼の疲れに効く対処法も書かれている。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田広報』第47号(1951年3月10日)2023-12-11
48旅立ちし朝『西塩田時報』第11号(大正13年11月1日)4頁旅立ちし朝『西塩田時報』第11号(大正13年11月1日)4頁文芸のコーナーに掲載された小説。 小説を読むのが苦手な人でも短いため読みやすい。しかし現代の文字とは違うためすらすらとは読めないだろう。しかし内容は頭にスッと入ってくるものになっている。 小説が苦手な人やこれから源氏物語などの古典を読んでみたいと思う人への最初の一歩としてちょうど良いのではないだろうか。 ▼この記事は以下から参照出来ます 『西塩田時報』第11号(大正13年11月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0056.jpg2023-12-11
49酵母パンの焼き方酵母パンの焼き方現在のクックパットのようなもので、酵母パンを作る際に必要な材料、作るときの手順、一工夫が載っています。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田公報』第51号(1951年7月5日)2023-12-11
50高市神社高市神社海野町商店街を歩いていると、高市神社という小さな神社を発見しました。詳しいことは後日、図書館で調べようと思います。2023-12-11
51春蚕の結果について(西塩田時報第2号大正12年9月1日2頁)春蚕の結果について(西塩田時報第2号大正12年9月1日2頁)大正12年の春蚕について記述されている。 上田が蚕都と呼ばれるのは当時から考えることを辞めなかったからなのだということが分かる。ただ春蚕の技術が上がったから成功したと考えず他の要因についても考えていることは他のことにも言えるだろう。成功してもなぜ成功したのかを考察することが全体のレベルアップの秘訣なのだと知らされる。 ▼この記事は以下から参照できます #『西塩田時報』第2号大正(12年9月1日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0006.jpg2023-12-11
52海野町商店街海野町商店街海野町商店街を歩いてみました。海野町商店街を歩いてみて昭和レトロな雰囲気を感じることができました。以前に千曲市の戸倉上山田の温泉街を歩いてみたことがあるのですが、その場所と同じようなレトロな雰囲気を感じました。また、同じ上田市の柳町のように昔懐かしい雰囲気が醸し出されているので貴重な観光資源になるのではないかと感じました。 @上田市中央2丁目2023-12-11
53道路で遊ばないように道路で遊ばないように昭和25年4月5日の西塩田広報第1項の記事。交通取締法が改正されて、その変更点、注意すべき点が掲載され、自転車や歩行者、さらには保護者の子供に対する注意事項まで書かれていた。  「事故を防ぐために」という項目で、荷牛馬車についての注意点は細かく書かれているのに、一番危険だと考えられる自動車について書かれていないのは変に感じて面白いと思った。もちろん、自動車が当時はまだ、全然普及していなかったからだと思うが、現代の交通のメインの1つである自動車についての注意点が書かれていないことに私は違和感を感じた。 参照元 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns15_post021to040.pdf 2023-12-11
54村民運動会プログラム村民運動会プログラム昭和24年10月20日の西塩田時報第3項での記事。同年11月3日に行われる村民運動会の開催プログラムが掲載されていた。 その内容を見てみると、リレーやマラソンなど今でもよく行われているようなものもあるが、ドヂョーつかみや女子仕度競争などユニークなものもあった。特に、「自轉車(自転車)徐行」は何を採点基準に競うのか謎に思えたので面白いと感じた。 参照元 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns15_post021to040.pdf 2023-12-11
55嫁さんが自働車で横付(『西塩田時報』第四号(大正十三年四月一日)一ページ)嫁さんが自働車で横付(『西塩田時報』第四号(大正十三年四月一日)一ページ)工事が完了したことを知らせる記事であると考える。 タイトルが「嫁さんが自働車で横付」であるため、横付が原因で事故や苦情があったのかと思った。しかし、記事の内容をよく読んでみると工事が完了したため通りやすくなったと書かれていると思う。 ・参照資料 『西塩田時報』第四号(大正十三年四月一日)一ページ https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns02_001to020.pdf2023-12-11
56禁酒(『西塩田時報』第一号(大正十二年七月一日)四ページ)禁酒(『西塩田時報』第一号(大正十二年七月一日)四ページ)お酒を飲む人は意気地がなく、飲まなければ元気もなく、だらしがない等お酒を飲むことに対するデメリットや人格について書かれている。それらを提示し禁酒を勧める記事となっている。 科学や医学的な根拠を基に禁酒を勧めるのではなく、第三者から酒飲みの人をみて感じるだらしなさやどうすることもできない呆れ等を根拠に禁酒を勧めている部分が面白いと感じた。 ・参照資料 『西塩田時報』第一号(対象十二年七月一日)四ページ https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns02_001to020.pdf2023-12-11
57蠶飼は必ず讀べし ( 『西塩田時報』第141号(1935年8月1日)3頁)蠶飼は必ず讀べし ( 『西塩田時報』第141号(1935年8月1日)3頁)秋蠶を飼う時の注意点についての記事。 蠶という漢字は全く馴染みのないものだったため調べてみたところ蚕の旧字体であるそうだ。蚕の話題は蚕都である上田には馴染み深いどころで言い表せないほどに密接な関係のあるものになっている。西塩田時報のその他の号を眺めていても蚕に関する記事は高頻度で出てくる。 本記事は「秋蠶は風で飼へ」という古語の話題から始まり、蚕の成長段階での特徴、病気について詳細に解説されている。秋の頃の蠶の育成段階では、熱や湿気が逃がしにくい体をしているらしく、それゆえに風のある場所で飼うのが良いと研究で解明されたそうだ。蠶の育成段階によっては適度な気流がある場所で飼うのが適していることを「風で飼う」と表現した古語は大変風流だと感じる。しかし、この記事の筆者からは「風と云2023-12-11
58動員令下る動員令下る1932年、当時は満州事変をきっかけとして動員令が下ったようだ。戦争の兵隊としての徴兵は大学生も対象となっていたらしいが、もし私が当時を生きていたら動員されているかもしれないと思うと今を生きていて良かったと思える。また、時報を拝見する限りかなり過激な言葉で奮い立たせていることが分かる。かなり殺伐とした雰囲気に包まれていたのかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #441 『西塩田時報』第101号(1932年4月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0441.jpg2023-12-11
59全購印のゴム靴について (『西塩田時報』第107号(1932年10月1日)2頁)全購印のゴム靴について (『西塩田時報』第107号(1932年10月1日)2頁)産業組合が相当な気合いを入れて生産していると思われるゴム底靴の宣伝記事。 高品質の素材を用いつつもお求めやすい価格のゴム底靴が紹介されている。その名も「久美愛地下足袋」 少々アバンギャルドな商品名もさることながら、紹介記事も一般的な商品紹介・広告とは一線を画す熱の入りようである。簡単な商品説明にとどまらず、いかに質のいい素材を用いているかを原料の加工法や使用する薬品までも持ち出して解説しているというのだから驚きである。果ては他の競合商品を引き合いに耐久テストまで行う徹底ぶりに組合がどれほど自信をもってこの商品を売り出しているかがわかる。しかし、ページの半分ほども占めるこの一連の商品自慢だが、肝心の値段が記載されていない点が気になる。一体いくらで売り出されていたのだろうか? 2023-12-11
60面白い話面白い話火事が起きた際に知らせる半鐘を火事が起こっていない状態で鳴らすと実際に火事が起きるというなんともおかしな話から始まる。これは俗な者たちが世間についてろくでもない演説をすると世間がそれを鵜呑みにして騒がしくなるという例えだと自分は解釈した。正直、これを読んで面白いとは思えなかったが、昔から政治については物議を醸す論争が起こっていたことはここから伺える。 ▼この記事は以下から参照できます。 #277 『西塩田時報』第63号(1929年2月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0277.jpg2023-12-11
61新しき美の標準新しき美の標準女性の美しさとは何か。華やかな化粧や衣服など、可視的な美しさに囚われてしまうのは今も昔も変わらないのかもしれません。 「真の美しさとは何か」にフォーカスを当てた当記事では、人々が永続的に持つ美への苦悩を垣間見ることができます。記事を読み進めると、現代と昔の人が持つ「美しさ」への認識に何か通ずるものを感じるかもしれません。記事を読み終えた後に本当の美とは何なのか、あなたはきっと一考するでしょう。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1244 『西塩田公報』第79号(1954年4月5日)6頁2023-12-11
62子供はしつけ第一 『西塩田時報』第81号(1930年8月1日)3頁子供はしつけ第一 『西塩田時報』第81号(1930年8月1日)3頁子供のしつけの仕方について書かれている。いうことを聞かない子供にどのようなしつけをしたら良いのか、こどもの性格や考えを交えながらその手助けとなることが書かれている。ネットで検索などができない時代に、とても重要な資料であると思う。昔の親はこういった資料を参考に育児をしていたと思うと現代より大変で努力があったんだなとおもう。 ・この記事は以下から参照できます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0349.jpg #349 『西塩田時報』第81号(1930年8月1日)3頁2023-12-11
63子供の教育一歩先に 親自身の教育へ子供の教育一歩先に 親自身の教育へ今も昔も子供の教育は人々の関心事の一つであり、子供を立派に育て上げるために大人は良い手法を考えあぐねています。 子供の教育にばかり目を向けられるのではく「親自身の教育」に力を入れるべきだという風刺的なタイトルから始まる、新鮮な切り口から子供の教育について説いた記事となっています。 記事の末部では当時の子供が求められていた理想像を知ることができます。今の子供と重なる部分を照らし合わせながら、現代と昔の価値観の違いを比較して記事を読み進めると面白いかもしれません。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1119 『西塩田公報』第46号(1951年2月10日)1頁2023-12-11
64家庭メモ (『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)12頁)家庭メモ (『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)12頁)衣服のシミの種類別の取り方や摂取すると良い食物と注意点が書かれています。 今では様々な洗剤がありすが、汚れたときの早い対応や昔ながらのやり方が一番効果的な場合もあるので知っておいてそんはないと思います。 また身体に良い食べ物も食べ過ぎると逆効果になってしまいます。食べる量やタイミングに気をつけようと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1260『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)12頁2023-12-11
65戦争時の金はどこから( 『西塩田時報』第189号(1939年8月1日)1頁)戦争時の金はどこから( 『西塩田時報』第189号(1939年8月1日)1頁) 第二次世界大戦のさなか、この戦争を続けていくにはどうしてもお金が必要になるでしょう。ではそのお金、特に金(きん)はどこから出ていたのか。  この記事は、今政府が金不足にある理由と、それを補うために各家庭から金を徴収する旨が書かれており、金の出どころの一端が伺えて面白いと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #843 『西塩田時報』第189号(1939年8月1日)1頁2023-12-11
66入学前の家庭教育に就て 西塩田時報入学前の家庭教育に就て 西塩田時報入学前に家庭内で教育してほしいことについて友達のことや先生を怖がらないように教育してほしいといったことが書かれており、今の新聞ではないので珍しく面白いと感じた。 西塩田時報 戦後 昭和22年1月25日 第1号2頁2023-12-11
67西塩田時報 面白いと感じた記事 2西塩田時報 面白いと感じた記事 2情報通信文化論 西塩田時報切り抜き2 この記事も自身がもう一つ選んだ記事と同じく、過去の日本の変化がみられる記事の一つで、第二次世界大戦が終わった日本が封建的思想から次第に目覚めていき、デモクラシー的な自由な世界となろうとしてる、といった記事であり、終戦後から大正デモクラシーにつながっていくであろう過程が分かるような記事になっており、これもまた自身が学んだ歴史を振り返っているようで面白いと感じました。西塩田時報vol.2 7ページ左上農村青年より2023-12-11
68西塩田時報 面白いと感じた記事1西塩田時報 面白いと感じた記事1情報通信文化論 西塩田時報切り抜き1 この一つ目の記事では終戦後一年目を迎えた日本の状況やその時代の青年に求められたことが読み取れる良い記事だと思いました。終戦後一年経った日本は依然として食糧問題が発生しており、農村に住んでいる青年の仕事ぶりが大事であるといったことや、「ポツダム宣言以来、日本の人々が好む好まずを関係なしに、民主主義的生活様式を採用せざるを得なかった」という文章から戦後に変わっていく日本が過去に自身が歴史の授業で学んだ通りに西塩田時報に描写されているのが個人的に面白く感じました。 西塩田時報vol.2 3ページ左下現代青年の任務より2023-12-11
69ビタミンの話 西塩田公報ビタミンの話 西塩田公報ビタミンが体に及ぼす良い影響がやビタミンの種類がたくさん記載されといる。 そのビタミンが取れる野菜や食べ物の種類も載っており面白いと感じた。 西塩田時報 戦後 第5号3頁2023-12-11
70成人の日に成人の日に来年二十歳のつどいがあるので、興味を持ちました。 約70年前からこの行事があるのは驚きです。 成人代表で三人の感想と心構えが載っています。 いつまでも十代でいたい、無責任が許されない立場になり不安だ、という気持ちは同じですが、今の自分より考えがしっかりしていて、大人の印象を受けました。 記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』昭和28年2月5日第65号⑵2023-12-11
71お茶の効能お茶の効能お茶の成分とその効果についての記事である。  まだカフェインなどの言葉は日本には伝わっていなかったようだが、お茶を飲むことのメリット、デメリットを紅茶と比較しながら正確に書いている点が面白く感じた。  参照 西塩田時報第81号2頁2023-12-11
72食べる楽しみ食べる工風食べる楽しみ食べる工風現在、インターネットを使うことで、食べたいものがあれば検索してレシピを知れたり、使いたい材料を検索すればそれを使った料理を紹介してくれたりします。今でも雑誌や新聞でレシピが紹介されていることがあります。 この記事でも、鰯のたたき上げの作り方を紹介しています。材料や作り方以上に、アドバイスがたくさん載っていて親しみやすい記事だと思います。 記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』昭和24年1月25日第22号⑶2023-12-11
73時間時間これは会議が始まるまで待たされた人が時間に無頓着な人たちへ愚痴を綴った記事である。  この記事は時代が戦前なのにもかかわらず今の自分の感覚と同じようなもの持っており、昔の人もあまり変わらないことが面白いと感じた。 参照 西塩田時報第81号1頁2023-12-11
74小学校1年生小学校1年生小学校に上がるにあたって、どのような子供であるべきかが記されている。当たり前のようなことを書かれてるのだが、記事の中の「1人で床に入ること」は、小学一年生ではまだ難しいのではないか、というのが個人的な感想。 人によって感じ方が変わりそうな記事である。2023-12-11
75小学校だより小学校だより現在では、各小学校から配られることがほとんどである小学校だよりが西塩田時報に記載されている。 在籍している子供の個人情報など、現在と異なる情報の扱い方に興味をひかれた。2023-12-11
76アブラ虫の話  (『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)10頁)アブラ虫の話  (『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)10頁)アブラ虫の退治方法や発生しやすい植物について書かれています。 先日実家で白菜を収穫した際、アブラ虫の被害を目の当たりにしたため、興味が湧きました。 蟻などの他の虫とも共生し、大量発生した上で野菜を育たなくしてしまいます。 小さい虫ですが被害は大きいため、植物を育てている方は読んでみてください。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1258『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)10頁2023-12-11
77睡眠について睡眠について過去の戦前の世の中での睡眠についての考えが書かれてます。健康には熟眠が必要であり、熟眠には健康が必要であるというものである。また、夢を見ている間は熟眠できてきないので健康であるとは言えないということである。 現代で聞いたことがある内容も書かれているので、昔からの考え方が今でも続いているのだと驚いた。 ▼この記事は以下から参照できます #130『西塩田公報』 第29号(1926年4月1日)4頁2023-12-11
78禁酒禁酒飲酒のデメリットが多く書かれている。文章がリズムよく書かれており、声に出して読みたくなる。 ▼この記事は以下から参照できます #4『西塩田公報』第1号(1923年7月1日)4頁2023-12-11
79映画上映遅延の話(『西塩田広報』第68号昭和28年5月5日)映画上映遅延の話(『西塩田広報』第68号昭和28年5月5日)映画館での上映時間が一時間ほど遅延したときの内容です。現代の映画で遅延する事はほとんどないし、遅延したとしても、記事になることはないので、当時の映画の貴重さ、珍しさを感じられる面白い内容でした。2023-12-10
80禁酒の話(『西塩田時報』第1号(大正12年7月1日))禁酒の話(『西塩田時報』第1号(大正12年7月1日))酒についてのリスクが多く書かれていて禁酒を勧めている記事です。著者がどれだけお酒に痛い目にあったのかと思うほど、お酒について悪く書かれていて、ニュースなどではない、著者の思いが書かれていて面白いと思いました。2023-12-10
81『西塩田時報』第119号(1933年10月1日)2頁『西塩田時報』第119号(1933年10月1日)2頁こちらの記事では、産業組合が更生記念貯金を始めていたり、木炭調査規則が定められていたりしていることが掲載されています。 この時代の長野県では、木炭も盛んに作られていることが分かります。2023-12-10
82『西塩田青年団報』第4号(1966年11月25日)1頁『西塩田青年団報』第4号(1966年11月25日)1頁これは、日本国憲法の全文が掲載されている記事です。やはり、憲法が変わるという大きな出来事なので、大きく掲載されています。2023-12-10
83部落通信(「西塩田時報」戦後第1号 昭和22年1月25日)部落通信(「西塩田時報」戦後第1号 昭和22年1月25日)村で行われた会議の日付と内容が書かれている。一般の方にも西塩田時報を通して情報が共有されたと考えられる。2023-12-10
84伝染病の発生状況についいて(「西塩田時報」戦後第18号 昭和23年9月25日)伝染病の発生状況についいて(「西塩田時報」戦後第18号 昭和23年9月25日)記事の右下に伝染病の発生状況が載っている。具体的な数字を知ることは感染予防の促進にもつながる。2023-12-10
85品種試験結果 (『西塩田時報』戦後 第73号[1953年10月5日])品種試験結果 (『西塩田時報』戦後 第73号[1953年10月5日])塩田分校で行われてきた麦の品種試験についての結果を掲載した記事です。出穂期、成熟期、50cm間茎数などが細かく記されています。また、みすゞ大麦やユウヤケ小麦など面白い品種名も確認することができます。2023-12-10
86部落ニュース (『西塩田時報』戦前 第121号 [1933年12月1日])部落ニュース (『西塩田時報』戦前 第121号 [1933年12月1日])様々な部落の話題が掲載されています。例えば、事務所の大掃除の報告や住民の訃報、気候の様子などが記されています。現代の新聞にも掲載されるような内容を随所で確認することができるので読んでいて面白いです。2023-12-10
87訪ねて(西塩田時報「戦後」第42,43併号(1950年10月20日)1頁)訪ねて(西塩田時報「戦後」第42,43併号(1950年10月20日)1頁)この短い枠のポップさとは反対に辛辣な内容がとてもいい。短い文の中で説得力が高いものを書いているところに面白味を感じた。 この記事は以下から参照できます。 #1105 西塩田時報「戦後」第42,43併号(1950年10月20日)1頁2023-12-09
88睡眠について(西塩田時報「戦前」第39号(1926年4月1日)4頁)睡眠について(西塩田時報「戦前」第39号(1926年4月1日)4頁)睡眠について詳しく書かれている記事。睡眠をとりさえすればなんでもいいと考えていたが、これは全くの間違いらしい。要は、夢を見ている間は脳が活動していて休息になっていないということだ。睡眠についてというタイトルだけで惹きつけるところが面白い。 この記事は以下から参照できます。 #130 西塩田時報「戦前」第39号(1926年4月1日)4頁2023-12-09
89西塩田中学校増築工事報告(『西塩田時報[戦後]』第26号(1949年5月20日)1頁)西塩田中学校増築工事報告(『西塩田時報[戦後]』第26号(1949年5月20日)1頁)学校の工事の進行状況や工事費について書かれている記事。今の時代だと工事現場の付近に看板として表示されているようなものだが、この時代だと新聞の中で人々に知らせているのが珍しいと感じた。2023-12-08
90乳児の育て方(『西塩田時報』第31号(1926年6月1日)1頁)乳児の育て方(『西塩田時報』第31号(1926年6月1日)1頁)乳児の育て方がネットでも手軽に調べられるようになった現代。昔の時代にはそんなものは存在するはずがなく、育て方の情報を共有する方法が限られていた。この記事には乳児が飲むミルクの作り方や入浴、排泄物の処理の仕方など育児に関する情報がこと細やかに書かれている。 今の時代の新聞にはあまり書かれないようなことでも、公共の記事の中で大々的に書かれているのは面白いと感じた。 この記事は以下から参照できます。 #135 『西塩田時報』第31号(1926年6月1日)1頁2023-12-08
91税金について 『西塩田時報』第5号(1924年5月1日)2頁税金について 『西塩田時報』第5号(1924年5月1日)2頁大正13年度の税額が決まったようで、その中で家畜税として犬一頭飼うごとに税金が課せられていた。他にも金庫税や倉庫税などがあり面白いと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #26 『西塩田時報』第5号(1924年5月1日)2頁2023-12-08
92編集室より 『西塩田公報』第5号(1924年6月1日3頁)編集室より 『西塩田公報』第5号(1924年6月1日3頁)編集室に今集はあまり原稿が集まらなかったようです。「思わしい物ができなかったのは編集室のみの責任でない」というのが今回出してくれた人に失礼じゃないかなと思いました。赤裸々で面白かったです。 ▼この記事は以下から参照できます。 #31 『西塩田公報』第5号(1924年6月1日)3頁2023-12-08
93入学前にしておくこと入学前にしておくこと小学校一年生になる前に学んでおいてほしいことが記載されている。先生を怖がらないようになど少しユーモアあふれてつい笑ってしまった。2023-12-08
94酒は薬か酒は薬かアルコールが人体に及ぼす影響について書かれている。酒は百薬の長という言葉にもあるようにアルコールは適量なら体にいいのではと思われるが果たしてどうか。2023-12-08
95御用心 空巣ねらい(『西塩田時報[戦後]』第15号(1948年5月25日)1頁)御用心 空巣ねらい(『西塩田時報[戦後]』第15号(1948年5月25日)1頁)終戦後頻発していた空巣被害に対する注意喚起をしている。一般的な「空巣から家を守ろう」というメッセージだけでなく、「空巣をしないようにしよう」というメッセージが含まれていて当時の時代が反映されているところが面白い。2023-12-08
96親は子供にどれ程の関心があるのか(『西塩田時報』第66号 1953年)親は子供にどれ程の関心があるのか(『西塩田時報』第66号 1953年)この記事では、小学校で行われた父兄懇談会についての内容が記載されています。 出席状況調査票から分かるように全体の出席率は80%以上と比較的高い出席率だと思います。 「親は子供にどれ程の関心があるのか」というタイトルに惹かれ記事を読みました。親は子供に関心があるのかという点では、高い出席率から昔も今も変わらず親は子供に関心を持っていたと感じます。 『西塩田時報』第66号(1953年3月5日)3頁2023-12-08
97葛苧製造所より(『西塩田時報』第13号(1924年12月1日)3頁)葛苧製造所より(『西塩田時報』第13号(1924年12月1日)3頁)葛苧製造事業を始めるまでの苦労が短い文章でまとめられている。葛苧(くずお)とは、葛の茎から取った繊維であるそうだ。葛苧の製造に成功したにも関わらず、その労力がゆえに喜びきれていない様子がうかがえて面白い。2023-12-08
98卒業論文執筆にあたっての課題とその解決の成果卒業論文執筆にあたっての課題とその解決の成果後期開始から卒論執筆を開始 →項目立て、本文を鋭意執筆中 課題 生涯学習、社会教育、地域づくりについて 自分の中で理解が深まっていなかったため、混同していた。 →ミスリード、ひいては全否定につながる恐れがある 生涯学習 一般には人々が生涯に行うあらゆる学習,すなわち,学校教育,家庭教育,社会教育,文化活動,スポーツ活動,レクリエーション活動,ボランティア活動,企業内教育,趣味など様々な場や機会において行う学習の意味で用いられます。 https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpab201901/detail/1421865.htm 社会教育 学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動を指します。 https://www.mext.go.jp/a_menu/01_l.htm 違い これに対して、「生涯学習」は、学習者の視点から2023-12-07
99別所温泉 石湯別所温泉 石湯別所温泉は日帰りで入れる温泉が立ち並んでいますが、その中でも石湯はとてもいい温泉でした。行ったことない人はぜひ行ってみてください。2023-12-07
100生島足島神社生島足島神社平安時代初期にまとめられた延喜式に「生島足島神社二座名神大」と載っている。中世末期以降には「下之郷大名神」などと呼ばれ、武田氏や歴代上田藩主の保護を受けていたという歴史がある。2023-12-07
地図で見る

キーワード

ログイン トップページへ