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1
北向観音堂
平安時代初期に比叡山延暦寺座主慈覚大師円仁が開いた 霊場。北向きの本堂(本所は千手観音菩離像)は全国でも珍しく、南向きの善光寺本堂と相対しているとされる。「極楽往生」を願う善光寺と「両参り」し、ここで「現世利益」を祈ることで、より御利益があるとされる。かつて参道脇に長楽寺(常楽寺、交楽寺とともに天台宗の「別所三楽寺」のひとつ)があったが、現在は常楽寺を本坊とする。昭和36(1961)年に善光寺本堂と同じく、「撞木造り」の建物として増改築された。なお、手水舎には境内から湧出している温泉が使われている。 北向観音は『「極楽往生」を願う善光寺と「両参り」』というのをキーワードに、観光業に活かせると感じた。北向観音は、実際に自分で現地に行かないと感じないようなパワーがあると私は考えている。よって
2024-02-13
2
生島足島神社
平安初期にまとめられた「延喜式」に載る古社で、生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」を祭神とする。摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる。御神体は「大地」である。太陽が夏至には東の鳥居の真ん中から上がり冬至には西の鳥居の真ん中に沈むよう鳥居が太陽の至点と一致するように配置されており、まさに「太陽」と「大地」を結ぶ神社である。 晴れた土曜日の11時頃に行ったこともあり、多くの人が訪れていた。特に家族で七五三のお宮参りに訪れている人が多かった。文書も拝見した。撮影禁止で写真は撮れなかったが、非常に多くの文書が保存されていた。文書を拝見した。古文書からも、400年前の生島足島神社への信仰と長年にわたり守られてきたことがうかがえ
2024-02-13
3
水の移動経路
川やため池の水は、直接そこに雨が降ったものだけでなく、周囲の高地から流れ込んできたものも多い。高い山があれば、雪解け水も入ってくる。このため、降水量が少ない地域であっても、上流の降水量が多かったり、山脈に面していたりすれば、十分な水を確保できる。 水底は田より低いため、水位が低いときは用水として使いにくい。洪水のリスクが高まるため、底を上げればよいというものでもない。水位が低い場合は、ポンプを使うようだ。 しかし、近代的なポンプは、ため池が造られた江戸時代にはなかった。現在のため池を見ると、当時は底近くに水路を引いたり、水位が一定以上のときのみ水を水路に送っていたと考えられる。現在も、水位が高いときはポンプとは別に排水するようだ。
2024-02-11
4
鉄道輸送の選択肢
これまで上田で走っていた鉄道路線について調べたが、これらは住民の足としての役割だけでなく、野菜や生糸など地域の生産物を輸送する役割を果たしていたことを知った。現在では鉄道輸送のコストの問題から、トラック輸送が主流だ。しかしトラック輸送にもデメリットがあり温室効果ガス排出による環境問題である。鉄道輸送は速く遠くに輸送でき、温室効果ガスの排出も少なくSDGsの観点からも優れている。過去に上田でも貨物列車が走っていたことを知り、鉄道輸送の重要性についても考えることができた。
2024-02-10
5
ため池の自然における役割
天然の湖や池が少なく、川も浅い塩田地域では、ため池が水鳥のすみかとなっている。 また、水草が多く茂っているため池もある。その中には水辺にすむ昆虫などが生息していると考えられる。草が多いため池は十分に管理されていない可能性があり、自然に還りつつあるとの見方もできる。 水が少ない地域では、ため池は生き物にとっても貴重な水場である。しかし、ため池はあくまでも人工的な環境である。石やコンクリート、金属で作られた箇所が多く存在する。 ため池を人が利用し続けるなら、人工的な部分を残してもよいだろう。しかし、野生生物のためだけに保存するのであれば、パイプなどの人工物は撤去するべきだと考える。ため池を使い続けるのかどうか、はっきりと決める必要がある。
2024-02-10
6
6代松平忠優(忠固)はどんな人物か
下の画像:ミッチーの画像を引用 上田市中央にある願行寺の松平氏の墓所を訪れた。写真に見えるのは、四角い石碑を外して、右手側から、上田藩6代藩主の松平忠優(ただます)またの名を忠固(ただかた)、4代藩主の松平忠済、そして忠済の嫡男で20歳くらいで若くして亡くなった忠英(ただつね)の墓である。この記事では、松平忠固の功績を取り上げたい。 忠固を一言で表すとすれば、幕府の体制を、開国つまり外国と貿易を始めるよう向かわせた人物である(オランダ、中国、朝鮮は入らない)。なぜか。忠固は二度、幕府の中枢つまり幕閣で老中という役職を務めている。そして、忠固の一度目の就任期間時には、幕府は日米和親条約を締結し、二度目の就任期間時には、幕府は日米修好通商条約を締結している。忠固は開国派の立場を
2024-02-08
7
信濃国分寺に残る、初代・松平忠周の影
信濃国分寺本堂には、上田松平氏の「五三の桐」が描かれた垂れ幕と提灯が掛けられている。上田市立博物館が発行した『松平氏史料展』によると、松平忠周(ただちか)はそれまで損傷していた信濃国分寺の三重塔を、享保11年(1726)3月8日に修復したと書いてある。修復された当時の状態のまま今日まで残されているかどうかはわからない。だが、忠周が三重塔を今見えている形状に正したのは確かだろう。なお、忠周だけでなく、仙石氏や、その後の松平藩主も国分寺を保護・援助している。 私は実際に塔を見てみて、三重の屋根は青銅で葺かれているのではないかと思った。その青緑色と塔の木材部分の茶色の組み合わせは綺麗だった。また、塔のすぐそばには池がある。池側から三重塔を見ると、池の大きさはかなり違うけれど、京都府木津川
2023-11-30
8
安楽寺八角三重塔
中国から伝わった「禅宗様」で造られた、現存する日本唯一の木造八角三重塔。かつては「四重塔」とされたが、現在は一番下の屋根は裳階(ひさし)と解釈されている。創建は1290年代とされ、八角形のどっしりとした落ち着きがある塔で、頂上には相輪が青天高くそびえている。屋根の下の華やかな木組みも相まって、安定感と崇高美、華麗さを兼ね備えた名塔である。 ここはこれまでに二回訪れたが、何回行っても感動する場所であると私は思う。何段も階段を上ったあとに、姿をあらわす木造の塔は実際に足を運んで見るからこそ感じられるものが多くあると改めて思った。自然との調和もとても趣がある。しかし、この魅力はまだ多くの人に伝わり切っていないと感じている。よって、まずは魅力を伝えるために、信州上田の日本遺産のストーリーを
2023-10-24
9
長野県内でのオープン データの活用方法を探る
私は地域情報メディア論の最終課題として長野県内でオープンデータの活用方法を探ることを課題にし、自分なりの解決をパワーポイントにまとめPDFファイルに変換し後悔しました。
2023-07-27
10
上田紬の現在
これまで上田紬の歴史を振り返ってきたのですが、最後に現在の在り方についてまとめたいと思います。 現在着物市場は、ピーク時の6分の1となっており、織元も10分の1以下まで縮小しました。 そんな今でも小岩井紬工房さんを筆頭に、上田紬の伝統は受け継がれています。着物としての在り方以外にも、ポーチや財布、イヤリングなど現代の様式に合わせて様々な在り方に変わってきています。オンラインショップも導入しており、全国各地に速攻で届くようになっています。また、地域の学生と共同で上田紬のイベント開催も行っているようです。 今回の活動を振り返ると、上田紬を歴史的に見ると、時代の背景に準ずるように繁栄したり衰退している様子がとても興味深かったです。。しかし、現在は時代の流れに関係なくとも衰退の一途を辿っ
2023-02-01
11
上田紬の歴史<繁栄>
今回は上田紬がいつどうやって繁栄していったのかをまとめました。 上田紬は400年ほど前に戦国武将の1人して名高い真田昌幸が上田城が築いた時に、地場産業として奨励された真田家が麻つくった「真田織」が元になっています。 その後、上田地域の気候や風土が向いていたということもあり、蚕種業や養蚕業が盛んに行われ、現在の上田紬が形成され、江戸中期には京都や江戸の多くの人々に愛用され、日本三大紬の1つとなりました。
2023-02-01
12
戦前長野の農業形態⑥
当時に比べると長野でのイチゴは果物の中だとあまりメジャーではないように思われるが、輸送手段や保存方法が当時に比べると発達したため、他地域での生産もさかんになったからではないかと考える。 戦前の長野での農業について共通点も多く見られたが、現在と違う点も多くとても興味深いと感じた。農業に関して調べるうちにジャムのルーツにも触れることができ有意義な学習であった。
2023-01-28
13
長野伝統のお菓子 みすゞ飴
引用元:https://misuzuame.com/sp/ame/ みすゞ飴は、国産果実を寒天・グラニュー糖・水飴で固めた、長野県の伝統的な乾燥ゼリー菓子です。 その歴史は長く、100年も前から信州上田のちでも愛され続けています。 上田土産の代表格のような存在であるこの製品のデザインは、製品同様オレンジを基調とした色彩豊かなデザインで、また習字調のような少々独特な字体で印刷された商品名は、伝統を重んじ、歴史ある信州地域の名産らしさをある意味表しているようでなんともしっくりくるように感じます。パッケージデザインには製品に使用されている果実も印刷されており、一目見て商品の要素が伝わることも良さの一つでしょう。
2023-01-27
14
兎束武雄(うづかたけお)
上田町大手の銀行家兎束鐘一郎の長男として生まれた武雄は、幼い頃から音楽に特別な興味を示す子どもでした。しかし、父親は音楽は男のするものではないと考え、武雄の音楽に対する熱意を快く思っては居ませんでした。母親は、音楽を好み自ら琴を弾いたり、4人の姉妹たちにも琴を習わせていました。 上田中学校(現上田高校)を卒業した武雄が、音楽の道に進みたいと父親に相談しましたが猛反対を受けましたが、母親の協力と武雄の熱意に最後には承諾しました。 武雄は上京し、東洋音楽学校に入り勉強に励みましたが、東洋音楽大学だけの勉強では満足できず、他の大学でも聴講し、作曲やピアノ、チェロなどを勉強しました。大学を卒業した武雄は、高等学校の教師になることを決意して上田に帰ってきました。 上田に戻った武雄
2023-01-25
15
岳の幟
塩田平の西辺に位置する別所温泉地区には、「岳の幟」と呼ぶ雨乞〔あまご〕いの祭りが伝わっています。この塩田地方は昔から水不足で大変悩まされてきた所で、灌漑〔かんがい〕用の溜〔ため〕池も多く造られ、雨乞い行事もいろいろ行われてきました。 ー中略ー 祭日は例年七月十五日(近年その日に近い日曜に変更)として、別所の上手〔わで〕・院内〔いんない〕・大湯〔おおゆ〕それに昭和四十九年大湯から独立した分去の四地区で、輪番〔りんばん〕に幟の役に当ります。夜明前に、上部に笹のついた竹竿と巻いた布を担いで夫神岳に登り、日の出と共に九頭竜神の石祠に布と神酒を供え、郷中の安全と五穀豊饒〔ごこくほうじょう〕を祈ります。 ー中略ー 支度を整えて日影公民館に待機をしていた三頭獅子とささら踊りの一行がそれに加わり
2023-01-25
16
上田市における蚕を活かした都市開発
上田市の景観形成における蚕の役割として、蚕都としての歴史性を重視するというものがある。上田市の景観計画の一部として、かつて栄えていた城下町や養蚕が盛んであった地域周辺の家屋、並びに歴史的資産や街並みの保全をしながら活用することを都市計画の一部に組み込んでいる。特に、建築物や工作物においては蚕室造りといった伝統的な様式の建築物を継承または意匠することを景観における基準としている。また、色彩においても蚕都としての風情を感じることができる落ち着いた色調を求めている。
2022-11-30
17
スマートシティにおける上田市と千曲市の観光型MaaS・温泉MaaSの可能性
1. はじめに この記事は、千曲市戸倉上山田温泉での温泉MaaSの取り組みの調査を行い、その調査をもとに上田市の別所温泉での温泉MaaSの課題と展望を考察していく。そして以上の考察を基に、観光型MaaSや温泉MaaSでの共通した重要となる要因を明らかにする。 2. スマートシティの定義 そもそもスマートシティとは何かである。まずは、スマートシティの定義を整理することからはじめる。スマートシティとは、IoTやAIなどの最先端技術を活用し、エネルギーや交通網などのインフラを効率化することで生活やサービスの質を向上させた、人が住みやすい都市のことである。スマートシティという言葉の定義は、これまでも様々な機関で定義されている が、国土交通省によると「都市の抱える諸課題に対して、ICT 等の新技術を活用しつつ、マネジ メント
2022-08-11
18
加賀市の年表資料について
・調査理由と方法 今回、私は自身の地元である石川県加賀市の年表資料についてどうなっているのかを探求することにした。このテーマを選択した理由として、「地域情報メディア論」の講義を受講し地域メディアのオープンデータ化やデジタル化について学んだことで、自身の生まれ故郷では年表資料などはどのように扱われているのか(例えばデジタル化しているのか)、さらにはそれらの資料を有効に活用することが出来ているのかなどに対して興味を持ち、調べてみたいと感じた為である。今回は調査方法として講義内でも言及されていた「国立国会図書館デジタルコレクション」や加賀市のホームページなどを利用した。下記にその探求結果を記載する。 ・調査結果 結論から言うと石川県加賀市の年表資料についてはそもそもデジタル化され
2022-08-10
19
社会学習ができる施設の来場者数を考えてみて
主に地方博物館にフォーカスをあてた内容です。 SNSの活用はもちろん、展示方法を考えました。 地域情報メディア論期末課題をPDFファイルによる提出とします。
2022-08-06
20
上田地域の道祖神
上田市で三年以上暮らして、自分の出身地と比べてとても道祖神の数が多いと感じた。道祖神は道端にあり、悪霊や疫病などを防ぐ神とされているが、こんなに多いのも何故だろうと感じて探索してみた。 よく探してみると、普段からそこにあったのに見逃していたものなどもあって、いつもの風景がまた違って見えたのが新鮮だった。 また、写真のものは生島足島神社の近くにあり、よく見ると「道祖大神」と刻まれていて、珍しく感じた。どういうところが道祖神とは違うのかなどが気になった。
2022-05-17
21
小諸市 花川親水公園
小諸市の旧北国街道付近に流れる川沿いにある公園。桜の木が多く、春は壮観。 新町という地域の三大桜名所のひとつであり、地域住民のコミュニティ活動の場にもなっている。 花川という名前は、名代(伝)が桜という小諸の民話に由来する。朝日がさせばその影が善光寺まで、夕日がさせば碓氷峠までとどき、その花びらが田んぼにたまって苗代の準備ができないほどの桜の大木が花川付近にあった、そこから名付けられたと伝わっている。
2022-05-10
22
すべての和牛は但馬に通ず
但馬牛とは、但馬が誇る名産品の一つです。 但馬牛は日本三大和牛の素牛とされています。 明治初期から、和牛の品種改良が行われましたが失敗し、終戦後には、純血の和牛は絶滅したと思われていました。 しかし、奇跡的に但馬地域の香美町小代区の山深い里で、純血の但馬牛が残っていることが分かり、和牛を復活させることができました。 現在では、全国の黒毛和牛の99.9%が、但馬牛の血を引いていると言われています。
2022-05-05
23
蕎麦でつながる地域の輪
但馬には出石という場所があり、出石そばが有名です。 実は、この出石そばは上田と深いつながりがあります。 江戸時代中期のお国替えにより、出石藩主松平氏と信州上田藩仙石氏が入れ替わりとなりました。 その際、仙石氏とともに来たそば職人の技法が在来のそば打ちの技術に加えられ、出石そばができました。 このことがきっかけで、出石が所属する豊岡市と上田市は姉妹都市として交流しています。 いつか出石そばと信州そばを食べくらべしてみたいです。
2022-05-05
24
前編・鹿教湯の伝承
鹿教湯全体に伝承として伝わっているのは、 成り立ち以外だと鹿教湯八景という歌があります。 近くにある西内小学校の運動会で歌って、 踊りもあります。 故に地域の人はみんな覚えているわけですね。 いつ頃からこの歌が生まれたのかはよくわかりません。 ただ、この歌詞が鹿教湯という地域の特色を ありのままあらわしています。
2022-02-14
25
じまん焼きの歴史と比較
引用 「富士アイス下諏訪店」で自慢焼き・上田店と食べ比べ https://simple-yuumin.com/wp-content/uploads/2018/04/IMG_3920-2-e1522716309126.jpg 上田のソウルフードの一つであるじまん焼きを作っているのが富士アイスという店だ。富士アイスは上田以外に長野県にいくつかある。岡谷店と下諏訪店だ。富士アイス上田店は昭和10年にオープンに対して岡谷店は昭和48年創業、そして下諏訪店は昭和58年に始まっており、割と最近になってから開業した。下諏訪店はあんこの水分が上田店より少ないなど、店によって皮とあんこの固さに違いがあり、それがまた個性となっている。 参考文献 「富士アイス下諏訪店」で自慢焼き・上田店と食べ比べ https://simple-yuumin.com/fujiaisu-3044
2022-02-14
26
じまん焼きの歴史と比較
引用 御座候?大判焼? 地域で違う「回転焼」の呼び名のナゾ https://services.osakagas.co.jp/portalc/contents-2/pc/tantei/__icsFiles/afieldfile/2019/08/30/190828_img07_1.jpg 上田のソウルフードの一つであるじまん焼きには似ている商品がいくつかある。有名なのは大判焼きである。大判焼きは日本の東西で呼び名が違っている。おもに関東地方では今川焼きと呼ばれ、おもに九州地方や関西地方では回転焼きと呼ばれている。今川焼きにはチョコレートや白あんといったバリエーションがり、じまん焼きよりも種類が多い。 参考文献 「大判焼き」と「今川焼き」「回転焼き」の違いは? https://lowch.com/archives/13510
2022-02-14
27
まとめ
ため池のつくられた歴史や、民話などを調べることで、ため池自体ができた経緯は降水量の関係で同じだったことがわかった。しかし、そのため池一つ一つには違ったエピソードが存在することがわかりおもしろかった。 現実離れした民話が多く残っており、特に、舌喰池に残っている伝説は印象的で、このように残酷な話が残っていることが衝撃だった。 面白い話を知ることができたし、知らなかった歴史を学ぶことはできたが、ネット上では思うように深掘りをして調べことができなかったように感じる。そのため、受け売りとなる二次情報ではなく自ら調べる一次情報の重要さを実感した。 〈参照した資料〉 Googleマップ 信州上田 塩田の里 http://www.shiodanosato.jp/ 長野県上田市塩田地域におけるため池群の維持管理と存続https://www.geoenv.tsukuba
2022-02-12
28
6 まとめ
明治~大正時代の文化や生活について調べていて、西洋の文化が取り入れられ現代つながる様々な変化が訪れたことを知り大変興味深く思いました。伝統や文化的特徴が残るというのは、そのもの自体に価値があることの証明なのだと感じました。 上田市も建築や鉄道開発などの点で影響を受けており、養蚕業で発展した街がさらに賑わうことの一助となりました。「蚕都上田」と呼ばれる当時の上田市は、金融業も盛んであり、資料で見てみると街の中の銀行の多さが如実にそれを表しています。製糸業の盛んな街には銀行の数が多いのも大きな特色なのだと思われます。 この探求を通して、上田市の文化的特徴や、当時の観光、産業の発展について深く知ることが出来ました。現在の上田市は、観光都市として発展しているわけではありませんが、こ
2022-02-10
29
まとめ
今回は美味だれ焼き鳥に焦点を当てて調べていった。思っていた以上に一次資料が見つからなくて、結果的にほぼ他人の受け売りになってしまったのが残念である。 本来であれば実際に取扱店舗に出向いて写真を撮影したり、注文して味わってみるなどする予定であったが、コロナの関係で外出が憚られたため実現できなかった。 「上田飯」として美味だれ焼き鳥のほかに自慢焼も取り上げる予定であったが、記事にできる程の情報を得られず今回は断念した。 今回の地域探求学習を通じて美味だれ焼き鳥のルーツ等を知ることが出来てよかった。
2022-02-09
30
舌喰池(したくいけ)
舌喰池は塩田の里交流館(とっこ館)の近くに位置するため池であり、手塚自治会によって管理されている。貯水量は13万㎥もある。 耐震のための改修工事や、田園空間整備事業による水辺景観の整備が行われている。また、百八手という千駄焚きを行って雨乞いをする祭りや、舌喰池付近の芝生でコンサートの開催を行うなど、文化遺産やレクリエーションの取り組みを行っている。 舌喰池には悲しい伝説が伝えられているので紹介したいと思う。 昔この池がつくられた頃、土手から水が漏れて十分に水をためることができなかった。そこで池の改修をするに当たり、土手に「人柱」を入れなければ水がたまらないという話が出回った。悩んだ結果くじ引きで決めることになり、美しい娘が人柱に選ばれた。 娘は日夜悲しみに明け暮れたが、人柱に
2022-02-09
31
呉市のこれから
呉市は、人口減少や災害発生などの危険性を背景に、2020年4月に「呉駅周辺地域総合開発基本計画」を策定し、再開発を進めている。 伸ばしていきたいポイントのひとつが、市が有する交通便利性だ。JR呉駅から、広島駅まで最速29分である。広島空港までも1時間でアクセスできる。また、呉港からは、広島や四国方面に多くの船が行き来している。この交通の便利性に加え、駅前の再開発を行うことで、住民や、観光客の増加を図る。 また、呉市は高齢化の問題も深刻であり、再開発には自動運転などのスマートモビリティの導入も含まれている。 出典:「呉市ホームページ」 https://www.city.kure.lg.jp/
2022-02-09
32
4 上田市の建築物
明治、大正から機能を失わず現在まで残り続けている上田市の建物を身近なところから探してみました。 旧宣教師館、上田蚕種協業組合事務所棟、大家駅、飯島商店、別所温泉など数多くあり、この時代から存在する産業や文化を読み解くことが出来ます。 私たちが利用する上田駅も明治21年に開業されたものであり、駅や店が多い街の庶民の生活は非常に賑わっていたのだと思われます。 また、上田市は養蚕業で発展を遂げた地域です。観光、文化、特産品の面でもそれは大きく影響していると思います。
2022-02-09
33
上田の地質変化の変遷
上田地域が誕生したのは、今から2000万年前にもなる。 マグマの移動によって日本列島がアジア大陸から切り離される、という大きな変動があった。その動きの中でできたのが「フォッサマグナ」であり、上田は1700万年前にこの地殻変動によって誕生したといわれている。 陥没していたため、あたり一帯は深い海であった。しかし、1200万年前にマグマの活動によって海底が隆起し、次第に浅い海となっていった。やがて陸地が広がっていき、今から100万年前に現在の上田に近い土地へと変わっていった。 上田が誕生したころは、陥没の影響で深い海となっていたことに驚きを感じた。最初から陸地が広がっていたわけではないということだった。 参考文献 ・
真田坂 2019年4月 No.26
2022-02-04
34
呉市の歴史~昔と現在の比較1~
この場所は呉を代表する「四ツ道路」の交差点を撮影したもの。左手にあるのは、「呉本通郵便局」、奥には標高737mの「灰ヶ峰」がそびえたち、当時山頂には防空砲が設置されていた。また、この灰ヶ峰の高さにちなみ、呉市の郵便番号は737である。絵葉書上では、灰ヶ峰の部分が加工されている。 1909年には、県内初となる市内電車が呉に開通する。 出典:「海軍とともに発展した呉の街」 https://smtrc.jp/town-archives/city/hiroshima/p07.html
2022-02-08
35
郷土料理
佐久鯉について調べましたが、実際に食卓に並んでいた料理の一部を紹介します。 ①鯉こく 鯉こくとは、鯉をぶつ切りにして味噌で煮込む簡単な料理で、地域や家庭により砂糖や山椒を入れる家庭や、調理法に関しては鱗を取らずに調理する過程もあります。 ②鯉の洗い 名前だけではピンと来ないかもしれないが、鯉の洗いとは刺身である。川魚を刺身で食べるのは大変珍しく、新鮮な鯉を扱うことが出来る佐久市ならではの料理であると言える。
2022-02-08
36
越屋根
越屋根という二階建ての建物があり、これは蚕を育てていたいという特色である。越屋根は換気や光を取り込むために作られた。蚕糸業が盛んだった上塩尻、下塩尻、秋和にはこの越屋根の建物が、多く残っている。その地域が蚕を育てていたという特徴が見て分かるので見つけてみると面白いかもしれない。 「参考文献」https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?c=17&p=4661 https://ueda-navi.jp/hokkoku-kaido/spot/public/992
2022-02-08
37
1はじめに
私の探求テーマは、「明治~大正時代の上田市民の生活、文化」です。 明治~大正時代の大衆文化、庶民の生活を調べ、そのなかで上田市独特の文化や特徴を見つけることにより、地域の文化的特徴や個性を活かした地域活性化のヒントを得ることを目的としています。 実際に当時から存在する建物を自分の足で見に行ったり、デジタルアーカイブや市の図書館から当時の資料を探したり、インターネットから参考するなどして学習を進めていきました。 文明開化で他国の文化と日本の文化が混ざり合うこの時代に、上田市民はどうやって生活していたのか。調べていて興味深い事ばかりでした。
2022-02-08
38
まとめ
今回上田別所線の歴史を、様々な資料を元に振り返った。 昔別所線の路線は上田の至る所に張り巡らされていた。 しかし、バス交通の発達や、災害によって何度も廃止になりそうになったが、そのたびに市民の存続運動のおかげで現在の別所線が生き残ってきたことが分かる。 今回別所線を掘り下げ、地域の市民の力によって、重要な文化を後世に残すことができると学びました。 参考資料 さようなら別所線 夢と暮らしを乗せて走る別所線 別所線の電車に乗って https://www.city.ueda.nagano.jp/site/besshosen/list9-48.html
2022-02-07
39
まとめ
地元富士・富士宮地域を対象として、初めは「宗教」にスポットを当て「富士宮駅1番線ホーム」を知りJR身延線に興味が湧き探究した。ただ資料を探るにも、デジタルアーカイブのようなパソコンで資料を閲覧することが対象地域では不可能で、探究には現地へ赴く(情報収入場所として富士市・富士宮の図書館へ行った)ことが欠かせなかったのは難点であり、同時にデジタル化の利点を身をもって痛感した。今回のテーマは地元の私でもほとんど聞いたことのないような歴史であり、静岡・甲府間の移動をする人にはぜひ常識的に知って欲しい知識であったので、今後もこの情報が残ることを期待する。 以下、参照 遠藤秀男 2009『懐かしの富士宮 -写真集-』羽衣出版 沢田正彦 1994『富士川舟運と身延線』富士宮市(2,3,4番目の記事の写真の出典
2022-02-06
40
別所線がこれからも市民の希望をあたえる存在になるために
平成28年町はNHK大河ドラマの影響で上田市内の観光客が激増し、別所線の輸送人員は15年ぶりに130万人に回復した。今までは「乗って残そう」だったが、これからは「乗って活かそう」をキーワードにしていく。別所線に乗って人が動くことが沿線地域の活性化につながり、地域と一体となって別所線を活かしてもらうことを目的としているという。起点の上田駅から終点の別所温泉駅、その途中駅の「地域の魅力」の掘り起こしも念頭に置いている。 このような方針でこれからも別所線は、路線維持のため努力し続けるようだ。 [参考文献] https://www.mintetsu.or.jp/association/mintetsu/pdf/63_p26_27.pdf [写真] 「上田電鉄は28日の運賃を無料とし、平日ダイヤで運行 乗車数に制限をかけながら、多くの乗客を運んだ」から https://tetsudo-ch.com/11331277.html
2022-02-06
41
地域人々の支援
幾度も存続の危機が持ち上がる中、別所線が何とか持ちこたえてきたのは、コスト削減のほか、増発や長野新幹線(現・北陸新幹線)との接続ダイヤなど、利便性向上への取り組みを重ねてきたことも大きな要因となっている。 そして、最も歴史が古い「別所線電車存続期成同盟会」や、現在、中心となってイベントなどを企画実行してい る「別所線の将来を考える会」など、相次いで結成された銀民による支援団などの活動を広げていったことが、存続を実現させる力となった。 [参考文献] https://www.mintetsu.or.jp/association/mintetsu/pdf/63_p26_27.pdf [写真] https://www.asahi.com/sp/articles/ASP3X72LPP3XUOOB00D.html
2022-02-06
42
7.まとめ
参照した一次資料 ・http://www.silk.or.jp/kaiko/kaiko_yousan.html ・http://www.kasahara.co.jp/kasahara/tokidakan/ ・https://www.pref.nagano.lg.jp/kyoiku/bunsho/bunka/rekishi/rekishi/gendai.html 私は過去に常田館製糸場を訪れた時の記憶とその後、蚕について調べた情報を元に新たに見聞を深めて「私の地域探求」に蚕糸業のトピックをインプットすることが出来た。これにより以前よりもさらに蚕について理解を深めることができた。 また、「私の地域探求」に取り組み、蚕糸業がどのようにして衰退し、その衰退を防ぐにはどのようにしたら良いかを考えて自分なりに解決策を出せたのが収穫だと考える。 現在、蚕糸業は風前の灯火の状態であり、突発的な蚕ブームが来なければ再興は難しいと考えます。しかし、絹などの美しい文化を保つために蚕糸業をみんなで支えていく必要がある
2022-02-03
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6.若者に蚕を知ってもらうには
これまで蚕について様々なトピックを紹介してきましたが、蚕糸業の衰退を止めるためには若者の力が必要不可欠です。 若者に蚕を知ってもらうための策を幾つか考えました。 5の記事で紹介した蚕糸を使ったアートを通して蚕を知ってもらう策。 近年、SNSの普及に伴い若者の影響力が絶大的な権限を得ています。日本の世の中の流行は若者のスマホの中から始まっていて、何気ない投稿がその年の流行を決めるとも言われています。 SNSに蚕を使ったアートを載せたり、アリオやサントミューゼなどの大型施設で展示会をするなど人の目に触れさせるようにしなければならないと感じました。 蚕の飼育を流行にする案。 蚕という虫は品種改良されたため、人の管理がないと生きられません。そのデメリットを逆手にとって若い人が蚕を飼育しや
2022-02-03
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2.上田市の蚕の歴史
信州上田では江戸時代から蚕の卵の生産で栄え、その後も養蚕、製糸業などさまざまな発展を遂げていき全国から「蚕都上田」と呼ばれるようになりました。 しかし、現在は様々な理由から蚕糸業は全国で衰退し、風前の灯火となっています。 衰退している蚕糸業ですが、上田地域でもまだ蚕糸業は残っています。 上田地域で有名な蚕関連の会社は常田館製糸場という会社。明治33年(1900年)に創業された製糸工場です。 蚕糸業は大きく分けて蚕種業、養蚕業、製糸業の3つに分けられ、蚕の卵を生産し、質を高める「蚕種業」、蚕を成虫まで育ててそれを管理する「養蚕業」、蚕の繭から糸を取り生糸に加工する「製糸業」に分かれます。 次の記事では蚕という虫について解説していきます。 今の若い人は蚕という虫に接点が全くないので少
2022-02-02
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まとめ
今回、別所温泉について調べていく中で様々な学びがありました。 その中でも温泉の歴史はとても興味深かったです。 インターネットを活用し調べまとめる力、実際に別所に行き現地を調査する力、資料を読み解く力が身につきました。 また実際に見に行く中で分からなかったものについて電話などをして調べる事で実践力も身についたように感じます。 歴史や地域の方々にどのように親しまれているのかについての調査を通して別所温泉の良さを確認することができました。 これから周りの人にも教えていきたいです。 今回はグループで取り組みました。 続きの記事は以下のリンクです。 http://www.d-commons.net/uedagaku/cpswn17?t=84 参考資料 https://www.besshoonsen-zaisanku.com/ 別所温泉センター温泉歴史資料展示室
2022-02-01
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ため池の現状と様々な機能
長野県のため池の数は全国26位の1892か所であり、全国的にため池は、瀬戸内海式気候の場所に多いことがわかる。この気候区は降水量が少なく比較的晴天率が高いという、上田市と同じような特徴を持っている。 ため池は様々な機能を持っている。 その土地独自の生態系を保ったり、地域の歴史的な文化の保持などが挙げられる。山間部のため池では、洪水調節機能や、土砂流出防止機能なども挙げられる。 また、現在、全国ではため池の様々な利用が進んでいる。福岡県福岡市では、蓮花寺池というため池に、水上太陽光発電を設置し利用を進めており、約400世帯の電気を発電している。 参考・引用
ため池をめぐる状況について|農林水産省農村振興局整備部防災課
2022-01-30
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呉市の歴史
呉市は、湾の周辺が島と山に囲まれ、背後には丘陵があり、敵の攻撃を防ぐうえで良好な場所ということで、設置された。 「此呉湾ヲ除キテ他二ナシ」という言葉が残されていることからも分かるように、軍港に最適であったということが伺える。 また、軍事機密ということで湾岸部の詳細な部分は、地図上からは消されるという修正が加えられた。 出典:「海軍とともに発展した呉の街」 https://smtrc.jp/town-archives/city/hiroshima/p07.html
2022-01-29
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7 総括
今回私は、地元である旧・坂井村が戦時中にどのような影響を受けたのか、村誌を中心に紐解いていった。 まず第一に、これまでに自分の出身地について調べるために村誌を読んだり、自分の地域と戦争を絡めて当時のことを考えた経験があまりなかったため、今回調べたことで新たに知った内容がとても多かった。そのなかの大きな一つが松根油の採取だ。 私の祖母も戦争を経験している世代で、隣接している麻績村で育った。当時の状況や、今の自分と同じ年代のころに何を体験し、何を考えていたのか、知りたいと強く思うきっかけとなった。 今の私たち学生世代は、戦争についてやはり遠い存在に感じている面がある。私は今回、地元と絡めて戦争を見たことで、今まで以上に当時の状況や出来事に興味や関心を抱いたし、何より戦時中の生活
2022-01-29
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6 松根油の生産について
画像は「長崎ディープブログ「長崎街道11~松並木と松根油と」」から転載 http://blog.nadeg.jp/?eid=43&imageviewer&image=20171028_726412.jpg 年表・数字からひもといた中で、特に「航空燃料用の松根油」の生産に関して注目したいと感じた。 興味を感じた理由は下記の二つである。 ①自分の生まれ育った地域、しかも長野県の山の中で航空機の燃料を作っていたことを全く知らなかった。日本の山奥で航空燃料を生産するに至るまでに、どのような経緯があったのか調べたい。 ②のちに記すが、坂井村誌内の記述によると、私の実家の近く、小学校の通学路の橋の袂で生産を行っていたらしい。そのためより身近に感じた。
村誌内の記述
下記は坂井村誌内に記述されている、松根油に関する記述である。 -------------------- 松根油 昭和20年に入ると、松根
2022-01-29
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呉市の歴史
広島県呉市は、面積35,318平方キロメートル、人口213,640人と広島県三番目の都市。 平安時代に遣唐使の往来があったことや、平清盛が関係した「音頭の瀬戸」からも分かるように、古くから海と船にゆかりのある地域である。 明治時代には、海軍の拠点の一つとして海軍の鎮守府を置き、軍港と共に発展を遂げる。 海軍開庁時に、人口も増加に転じ、ピーク時には400,000人にも上り、職人だけで30,000人もいたが現在は半減し、尚も減少傾向にある。 終戦後、「旧軍港転換法」の成立により、現在の産業の発展の糧となる。 海軍の施設は、観光資源としても再利用され、毎年多くの観光客が訪れる。 2016年には、映画「この世界の片隅に」がヒットし、再び注目を浴びる。 出典:「富国強兵とひろしま~軍港呉~」 https://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploade
2022-01-29
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まとめ
今回の地域探検学習に取り組んでみて、おいだれについて詳しく理解できたただけでなく、PCを使っての調べ方や上田についての知識も増えたのでとても良い収穫になったと思う。また、上田に来て初めて美味だれの存在を知った時、食欲をそそるニンニクの匂いに驚いた。こういう地元特有の物品は町おこしや地元ならではの価値を見出せるのでもっと広めていくべきと考えた。上田市は他の街や県よりも自慢できるモノばかりあるため、自信を持って広めたいと思う。 参考文献 https://www8.shinmai.co.jp/odekake/article.php?id=ODEK20110514013489 https://style.nikkei.com/article/DGXKZO73673640Y1A700C2KNTP00/ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E5%91%B3%E3%81%A0%E3%82%8C%E7%84%BC%E3%81%8D%E9%B3%A5#:~:text=%20%E7%BE%8E%E5%91%B3%E3%81%A0%E3%82%8C%E7%84%BC%E3%81%8D%E9%B3%A5%20%EF%BC%88%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%A0%E3%82%8C%E3%82%84%E3%81%8
2022-01-28
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じまんやきの歴史と比較
引用 「あんこ」と「カスタードクリーム」どちらがお好き?「じまんやき」の「富士アイス」 ~上田市海野町商店街6~ https://blog.nagano-ken.jp/wp/josho/wp-content/uploads/2015/09/20fuji2.jpg じまんやきは上田市のソウルフードの1つになっている。 じまんやきは海野町商店街の一角の富士アイスで売られている。じまんやきを作っている富士アイスの本店は山梨県甲府市に本店を置いている。富士アイス上田店は昭和10年に開業し、長野県で一番古参の店になっている。富士アイスは創業当初は富士屋という店名だった。富士アイスの富士は日本一の山を自慢している富士山に由来する。 次にじまんやきについて解説します。じまんやきは「自慢の味。自慢したくなる味。」から由来しています。 じまんやきは1個80円とリーズナブルな価格であり、太鼓上に
2022-01-27
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スポーツ欄(『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)4頁)
地域の野球・卓球の体育祭典のリザルトを掲示した記事。 戦前ではスポーツをやる余裕など無かっただろうと思うが、こうして大会が開けるまでに平和が戻ってきたということを表す、微笑ましい記事だと感じた。
2022-01-27
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イナゴ入手方法!
昔に比べて少なくなってきたイナゴ。 すぐに食べたい人必見手に入れられる場所を紹介します! 〈上田地域〉 ・道の駅 ・上田駅(画像は上田駅で売られているものです) ・ツルヤ ・BIG 〈その他売られている県〉 ・群馬などの内陸地 ・茨城・東京 ・新潟(イナゴソフトが販売)
2022-01-27
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上田地域の地形概要
上田地域の地形は、太郎山や小牧山に囲まれたほぼ三角形の盆地地形となっており、「上田盆地」とも言われている。上田盆地の標高は約400~500メートルである。 市内には、千曲川が流れているが、地殻変動によって湖水が干上がり、千曲川が流れるようになった。 市の中心市街地は、千曲川沿いの低平地に立地している。その低平地のなかでも、千曲川沿いに千曲川河床から比べて、数m~数十m程度の急な崖も存在しており、その崖の上に上田城跡、市役所、学校などが立地している。低平地と言えど、少し離れただけで急な崖となっている、上田地域の特徴的な地形であると言える。 参考文献 ・
上田地域千曲川自然電子図鑑 上田地域の地形・地質
・
2022-01-26
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1 地域探求のテーマと目的
テーマ:旧坂井村と戦争
第二次世界大戦の終戦から76年が経ち、戦争の記憶が若い世代にとって遠いものに感じ始めている。知識としては知っていても、感覚的にどこか遠く感じてしまう。 その理由として「70年以上前のこと」という時間的要因の他に、「自分の身近に感じにくいスケールの大きさ」が要因として考えられる。 小中高それぞれの学校では、日本全体や世界全体の戦時中の出来事を学ぶ機会が多く得られるため、ある程度多くの人が知識として戦争について知っている。しかし、スケールが大きすぎてしまい、どこか他人事の様に感じられてしまうこともある。 そこで、都道府県単位や市町村単位における戦時中の出来事から、戦争をみていきたいと思う。都道府県や市町村ごとであれば、現代を生きるそれぞれの人にと
2022-01-27
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ため池の必要性
そもそもなぜ塩田平にはため池が必要だったのでしょうか。それは、全国でも有数の寡雨地域であったからです。雨が少なく年間の降水量は890mmであり、稲作をするときに必要と言われる降水量である1000mmを下回ります。そのため、稲作をするためには厳しい土地でした。幸い、土壌は元々塩田平は湖であったことなどから肥沃だったため、水が足りないという課題を灌漑で解決すれば稲作ができました。用水路を使った灌漑などが長野では多いですが、塩田平を流れる川は、どれもたくさんの農地を潤すほどの水量はありませんでした。そこで、塩田平ではため池灌漑という長野県では珍しい灌漑方法がとられています。 参考:
ため池のれきし-信州上田|塩田の里|とっこ館
2022-01-26
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鹿教湯温泉の生まれと発展
成り立ち 一応近くの小学校で鹿教湯温泉について勉強したり 地域の方から話を聞いたりするのですが 最初に僕が教えられてきた歴史としては 狩人が鹿を追いかける→鹿の足に矢が当たる→逃げた鹿を追いかけ続けたところ温泉とそこに入っている鹿を発見する→入ってみたら狩人のケガも治る といったざっとした歴史というか言い伝えでしたが 信心深い狩人に鹿に化けた文殊菩薩が温泉の場所を教えたという言い伝えが詳しい言い伝えのようです。 小さいときの僕は 「なんでケガさせてきた相手に優しくするんだ?」 と不思議でしたが、ちゃんとした理由があって納得出来て良かったです。 発展 昔も昔は旅人が立ち寄り泊まる場所として、 そして温泉を目当てに来る旅人に宿を提供して発展していったと伝えられました。 今ではトンネ
2022-01-26
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外湯について
別所温泉には石湯、大師湯、大湯の3つの外湯があります。 そもそも外湯とは温泉街に存在する宿泊施設を伴わない公衆浴場であり日帰り入浴施設のことを指します。 現在新型コロナウイルスの感染拡大防止のため入浴者数と入浴時間が制限されていますが、今もなお地域の方々に深く親しまれているようです。 実際に外湯に入り地域の方のお話を伺いました。 皆さん大切な交流の場所であり温泉成分も体に良く疲れをいやしてくれるため時間を決めて入浴できる日は毎日入浴しているそうです。 利用者の年齢層は高めでしたが大切な交流の場として機能しているようです。
2022-01-26
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ため池の歴史②
ため池は農業用水を確保するためだけに使われていたと思っていたが、歴史を遡るとそれ以外にも利用されてきた歴史があった。 例として挙げられるのは食用鯉の養殖である。塩田地域のため池は水温が高く、養蚕が盛んであったことから、鯉の餌としてたんぱく質の豊富な蚕の蛹が多く採れた。このような地域特徴から鯉の養殖に使われてたが、1980年代末には鯉の養殖は衰退し、今はフナの養殖に非常に少数のため池が使われているだけである。 〈参考文献〉 長野県上田市塩田地域におけるため池群の維持管理と存続 https://www.geoenv.tsukuba.ac.jp/~chicho/nenpo/43/08.pdf
2022-01-26
61
ため池の数
塩田平のため池数は、個人利用の小池まで含めると200余りあり、これらが拡大または新たに構築されたことで、しだいに大規模な池に統合された。 昭和50年代の「溜池施設台帳」には、東塩田112、富士山5、中塩田10、西塩田10、別所1の141池が登録されている。 塩田は地元よりもため池が多い印象だったが、141ものため池があるのは予想外だった。雨量の少ない地域であるため、多くのため池が塩田の農業には必要なのだろう。 〈参考文献〉 信州上田 塩田の里 http://www.shiodanosato.jp/tameike/mukashi.php
2022-01-26
62
ため池の歴史①
塩田には多くのため池がみられる。その理由は降水量と土地が関係している。上田市は年間降水量が全国で最も少なく、その中でも塩田平は最少の地域であった。しかし、気温も低すぎず肥沃な土地で、水田農業に最適の地域だった。そこで農民は農業用水を確保するためにため池を作ることにしたのだ。この地域の土壌が粘土質で、ため池の土地を作るのに好都合だったことも影響していたのだろう。 〈参考文献〉 信州上田の里 塩田の里 http://www.shiodanosato.jp/tameike/rekishi.php
2022-01-26
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旧坂井村と戦争
地域探求テーマ:旧坂井村と戦争 西上田事報などをこれまで調べてきた際に、戦時中に地方の地域ではどのようなことが起こっていたのか、地域ごとにどれほど戦争によって被害を受けてきたのかを知ることができた。 第二次世界大戦の終戦から76年が経ち、戦争の記憶が若い世代にとって遠いものに感じ始めている。戦争と地元地域を絡めて探求していくことで、より身近に、自分ごとに戦争や自分の出身地域について考えることができると感じた。 また今回は旧坂井村(現・筑北村坂井)の地域を対象としていきたい。 アウトプットの時点では、戦時中の状況を現在に置き換えるなどして、読者がより自分ごとに分かりやすく感じることができるものを目指す。 参考文献:坂井村史 但し著作権等について確認がまだ取れていないため、変更す
2021-12-23
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私の地域探求計画
タイトル 「上田市の伝承、昔話など」 なぜこの探求テーマを選んだのか 太郎山の「太郎山民俗遊歩」や姨捨山伝説など、上田市には色々な伝承や昔話があることを知った。そこで、そういった話についてもっと知りたいと思った。 何を探求しアウトプット化するか 上田市にまつわる伝承や昔話などを調べる。太郎山民俗遊歩が手元にあるので、まずはその内容を詳しく探求したい。 具体的にどのような資料を調べるか まずは学校の図書館で探してみて、あればそこのものを利用する。なければ上田市立の図書館を利用する。インターネットも使うが、できれば極力使わない方針で行きたい。
2021-12-23
65
上田地域の地形的変遷
–なぜその探求テーマを選んだのか 上田で生まれたが、その時とは既に街の様子が変わっている。昔から上田を遡った時に、地理的にどんな変遷をしてきたのか興味を持ったため。 –何を探求しアウトプット化するか 気候や土地柄を軸にして、どのように変遷してきたのか分かりやすくまとめ、アウトプットしていきたいと思う。 –具体的にどのような資料を調べるか デジタルアーカイブや、地理院の地図、気象庁の統計などを元に、資料を参照していく予定である。
2021-12-21
66
明治・大正期における上田の金融の歴史について
・テーマ選定理由:上田はかつて蚕糸業が発達した地域であり、それに伴って金融業が栄えた歴史があることを知り、興味を持ったから。 ・何を調べる:明治・大正期の金融に関する資料、年表を当たり、それによって当時の上田が全国的にどれぐらいの規模で経済的に栄えていたのかを調べる。 ・具体的な資料:国立国会図書館資料、去年授業で扱った上田市誌データ、附属図書館内の書籍
2021-12-21
67
西塩田時報から見る戦争
情報通信文化論の講義で西塩田時報の存在を知り、斜め読みをしてみてやはり戦争のことが多く取り上げられていたためそこからこの地域における戦争についてのことが少しわかるのではないかと思ったため。範囲は戦前までとし、莫大な量があるため適宜ピックアップしていく。
2021-12-21
68
明治の上田での生活
私は歴史が好きで、特に過去の庶民の暮らし等の大衆文化に興味があるので、明治~大正時代の上田市民の生活について探求していきたいと思います。 昔の地域独特の文化や特徴、上田で生きる上での庶民の知恵などを調べ、当時の生活について知ることでより知見を広げていきたいです。また、上田市での暮らしを知ることにより、地域発展のヒントを得られればなと思います。 調べ方については、資料館や図書館等に足を運んだり、デジタルアーカイブ等で資料を探したいと思っています。
2021-12-21
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温泉の歴史
私はグループで上田の温泉について調べることにしました。上田は温泉が有名であるということを聞いていたので、どのような歴史がありどのように親しまれてきたのかを調べてみたいと考えました。それぞれの温泉について資料や実際に温泉を訪問したり地域の方の声も聞いてみたいと思います。その中で各々の特徴を比較し上田の温泉についての理解を深めていきたいです。
2021-12-21
70
温泉の歴史
私たちは上田の名物の一つでもある温泉について調べることにしました。 以前から上田は温泉の名所と聞いていたため、どういった歴史がありどのように親しまれてきたのか調べたいと考えました。 それぞれの温泉について資料や実際に訪れ地域の方の認識や意見を聞いてみたいと思います。 その中でそれぞれの特徴を比較していき温泉を通して地域理解を深めていきたいと思います。 今回はグループで探求していきます。
2021-12-21
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自慢焼きの歴史
上田市の名物の1つである自慢焼き。上田市民で食べたことがある人や知っているという人は結構な数がいると思います。それがいつからできて、どのように有名になったのかが気になったので調べようと思いました。 実際に自慢焼きを買ってみて写真をアップしたり、自慢焼きのルーツは何かを簡単にまとめたいと思います。 出来たら自慢焼きを実際に作っている映像をリアルタイムで配信しているサイトのURLも貼れたらいいと考えています。
2021-12-20
72
上田市の映画館
私は「上田市の映画館」を地域探求テーマにして探求していきたいと考えている。 なぜならば、情報通信文化論の授業中に触れた「上田市街明細図」に上田劇場や上田電機館などの施設が載っていたが、ネットで調べて見てもどのような歴史があったのか、どのような作品が上映されていたかが不明瞭だったため、調べて見たいと感じたからである。 このテーマを探求し、上記の上田劇場の他にどのような劇場があったのか、どのような作品が見られていたかのアウトプット化を行っていきたいと考えている。 調べ方については、上田市内の図書館へ赴き資料の閲覧を主に行い、現在も残っている施設に関しては、直接足を運ぶことも視野に入れて探求していきたい。
2021-12-20
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信州そば・江戸前そばの発祥
信州そば そば切りは1574年の信州木曽定勝寺の落成祝いに振る舞われたのが最古の文献記録。日本国内では蕎麦が食べられてたが、「そばがき」や「そば団子」などが主流。 信州は山間地、高冷地が多く、昼夜の気温差が高くて蕎麦の栽培には最適な土地。 江戸時代には信州信濃国の本山宿から全国に麺状の蕎麦が広まっていった。 江戸前そば 男一人で江戸に出張する機会があるため、外食ビジネスの需要が高まった。1657年頃、浅草にできた一膳飯屋を皮切りに、蕎麦を提供する店が出現。気軽にお腹を満たせるスタイルが江戸っ子に受けて、町には蕎麦屋が瞬く間に増えた。
2021-05-14
74
そばの歴史
蕎麦が日本の歴史上はじめて文献に登場するのは、奈良時代の歴史を記した「続日本記」で8世紀頃。栽培の容易な蕎麦は救荒作物として奨励された。 鎌倉時代、室町時代になると頻繁に文献に登場。そばの栽培が普及していった 江戸時代には信濃国本山宿から蕎麦を麺状にする「そばきり」が全国に広まったと伝えられている。とりわけ江戸では信州そばがルーツとされる江戸そばが大変な賑わいを見せる。 江戸で1789年に信州の行商人が信州更科蕎麦屋を始めたのをきっかけに、藪そばと共に江戸中にそばが広まった。
2021-05-14
75
江戸前三大そば
江戸時代に生まれた「藪」「更科」「砂場」からなるそばの御三家。藪そばはつゆが濃く、更科そばは淡白でのどごしがよい。砂場そばはそばそのものの香りや味わいがよい。 それぞれ発祥は東京、長野、大阪。 参考 https://mi-journey.jp/foodie/28988/
2021-05-14
76
草笛 信州そば
草笛のざるそば。 信州佐久産のそば粉を利用した七割蕎麦で、つるっとしたのどごしがよい。 草笛公式サイト https://kusabue-nagano.owst.jp/
2021-05-14
77
七苦難地蔵尊堂
別所温泉駅から北向観音境内に向かう道の途中にある立派な地蔵尊堂。 北向観音の別当である安楽寺の地蔵尊をこの場所に設置し七苦難地蔵尊として祀ってある。 地蔵尊堂でこれほど立派なものは見た事がなく驚いた。 地蔵尊堂にはたくさんの名札が貼られていた。 お供え物もしてあり、別所温泉の地域の人々に大切に、愛されていることがわかる。
2021-05-05
78
月窓寺
このお寺は私のバイトしているスーパーの裏側にあり、スーパーの駐車場から頭だけ見える位置にあるので、ずっと気になっていた場所です。入り口は別の所にありますが、横側からでも入ることが出来ました。ですが、せっかくなので正面の入り口まで戻り、参拝しました。月窓寺は今回の調査の中で一番大きなお寺です。 月窓寺は、海野一族の真田幸隆公の弟、隆永公が開基です。境内には赤松小三郎の髪の毛を埋めた墓があります。 そして、月窓寺を調べたときに「山門は竜宮門(鐘楼門)で天井には龍の鏝絵が描かれています。」と書かれていたので実際に見てみると、見事に美しい龍が描かれていました。
2021-05-05
79
太神宮社(通称おたやさん)
この神社もバイトへ向かう途中にあり、毎回気になっている所でした。太神宮社は「おたやさん」という通称で親しまれているらしく伊勢御師による大麻頒布の旅屋に祀る神社です。境内には八坂社・津島社・猿田彦社蛭子社・天満社・稲荷社・秋葉社四条公神社といった多くの社が奉られていました。その中でも稲荷社の赤鳥居の存在感が強く、引き寄せられるように鳥居をくぐりました。不思議な空間で神隠しを連想させるようなスピリチュアルな場所でした。一つ一つの鳥居の大きさは私がギリギリ通れるサイズでした。
2021-05-05
80
原田市神社
長野銀行の駐車場に堂々とした様子で建てられている神社です。今回の調査の中で一番小さい建物で、車で走っていたらなかなか気づきにくいこともあります。 なぜこんな所に建てられているのか気になり、調査しました。この神社の説明には、「城下町を造るにあたって市の守護神である高市事代主命を勧請して祀った神社」と書かれています。そして、ここまで小さくなってしまった原因は「第二次世界大戦後に道路が拡幅されたからだ」とも書かれています。供えられている供物や植えられている植物がしっかりと手入れされていたので、今でもなお忘れられず、崇拝されているのだと考えます。
2021-05-05
81
妙光寺と弁財天
狭い一方通行の路地の中にある神社です。最初地図で見たときに、「こんな所にお寺なんてあるのか」と思っていましたが、実際に行ってみると荘厳な様子で建てられていました。 妙光寺は日蓮宗不受不施派修禅院日進上人蟄居の霊跡寺院です。多くの功徳を積むことができるこのお寺では、人生相談をすることが出来ます。悩みがある方は是非足を運んでみてはいかが?
2021-05-05
82
開運出丗(出世)稲荷神社
別の神社へ向かう途中の海野町商店街を歩いていた時に偶然見つけた神社です。かなり小さい神社で、大きさは2メートルちょっとです。 この神社の情報を見つけることは出来ませんでしたが、石に刻まれている文字を見てみると「昭和24年12月吉日」と書いてあるのがわかります。私が調べた寺や神社と比べるとかなり最近に出来たことがわかります。 この神社は路地にひっそりと建てられており、月極駐車場の中にあります。 タイトルの「出丗」は誤字ではなく、石に刻まれた漢字をあえてそのまま記しました。
2021-05-04
83
願行寺
願行寺は、天正14年(1586年)に真田昌幸が上田城下町を造る際に、海野郷(東部町)から城近くの厩裏町(大手末広町)に移転され、その後、元和七年(1621年)、信之によって現在地に移されました。 看板にも書いてありますが、門の造りが細かく、細部までこだわっているのがわかりました。また天井には、実際に何か描かれていた形跡があります。 こちらは日輪寺と比べ、大通り沿いに出来ているほか、入り口も整備されているので、よく人が来るのではないかと考えられます。
2021-05-04
84
日輪寺
バイト先へ向かう途中に毎回目に付いていたので気になり調査しました。日輪寺は天文14年(1545年)真田家の先祖である海野小太郎幸義公によって建てられた曹洞宗の寺です。町中にあり、さらに両隣には真新しい家や建物がありますが、門ををくぐるとガラッと景色が変わります。
2021-05-04
85
富士山本宮浅間大社
全国に約1,300社ある浅間神社の総本社で、本宮の本殿は徳川家康による造営で、「浅間造」という独特の神社建築様式であり、国の重要文化財に指定されています。GWということもあり、流鏑馬祭りを行っていました。とても賑わっていました。
2021-05-03
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上田招魂社
この上田招魂社は戊辰戦役従軍の戦死者をはじめ日清日露の戦争を経て今次の大東亜戦争に至る間国家の為尊き命を捧げられた人々の英霊をまつる御社。 真田神社の近くにあるため、向かった際にも足を延ばしてみてはどうでしょう。
2021-04-25
87
長福寺
1625年に金蓮寺覚裕が土生町にあった長源寺の堂舎を移転し、長福寺と改め開山された場所です。 長福寺には「お参りして下さった皆様がみんな仲良く笑顔で暮らせますように」という意味を持つ「なかよし地蔵」があり、とても可愛らしいものでした。 生島足島神社のすぐ近くにあり、向かった際に立ち寄ってみてはどうでしょうか。
2021-04-25
88
飯綱神社
マップを開いた時に山道にあるこの神社を見つけ実際に行ってきました。 家と家の間の狭い道を通った場所にあって、見つけるのに少し苦労しました。 少し下った所に「熊人」という人気のあるラーメン屋があるので、行ったついでに立ち寄るというのもいいかもしれません。
2021-04-25
89
探求計画
探求のねらい:別所温泉は、いくつかあった外湯(源泉)から分湯し、内湯旅館になったと聞いている。その外湯の変遷を調べてみたい。 探求計画:地域に当時の様子を記した史料があるか確認しあったら閲覧をお願いしたい。 参照予定の資料:上田市公文書館所蔵「議事書類綴」(1919/大正8年 別所村)、別所時報(縮刷版)など
2021-02-19
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上田で愛されている食べものまとめ
今回、私は上田で愛されている食べ物について調べまとめようと考え計画を立てました。 最初は、インターネットを使っていたのですが、調べど調べど上手く見つけることができず苦労しました。 図書館で本を借り、インターネットと並行し調べていくと色々な発見があり途中脱線することもありましたが、とても面白かったです。 結果としては私が個人的に野沢菜にはまってしまい、最初のテーマに掲げていた上田地域からは脱線してしまいましたがとても面白い探求になりました。
2021-02-11
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私の地域探検 まとめ
コロナの影響で探検の場所があまりいけませんでしたが、コロナが収まったらもっと多くの場所に行ってみたいです。
2021-02-10
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上田と沼田の歴史観の違い まとめ
調べた内容のPPでのまとめ
2021-02-10
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富士市の製紙業について
富士市の製紙業を私の地域探究の対象にした理由は、自分の地元である富士市のことを、この機会によく知ろうと思ったためです。地場産業である製紙業を調べることで富士市の歴史も同時に学べると思ったためこのテーマにしました。 主に富士市役所のホームページを参照しながら課題を作成しました。
2021-02-10
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戸鹿野八幡宮
説明 代々沼田が信奉していた神社 1580年に真田正幸が出陣に際して祈願したといわれる
2021-02-09
95
小松姫の墓
説明 沼田にある小松姫の墓 上田にもあるらしい
2021-02-09
96
沼田公園写真
説明 沼田公園内の史跡及び資料に関する写真 像、鐘楼、またそれらに関する説明の看板 用法 実際の公園内に残されているものを一次資料として確認できる。
2021-02-09
97
沼田資料館写真
説明 沼田資料館の写真 16~18世紀の資料 用法 沼田市における真田に関する事実のまとめ
2021-02-09
98
感想
今回地域探求として、長野県の美術館と上田市のサントミューゼについて調べました。 特に、なぜ長野県には美術館が多いのかがとても勉強になりました。 調べていく中で、長野県の美術館が全国的に見て、思ったよりも多くて驚きました。長野県の美術館をたくさん調べて、行きたい美術館を見つけることができました。 実際行って見た感想などをまたデジタルコモンズに投稿できたらいいなと思います。
2021-02-01
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長野県の美術館紹介
長野県の美術館を紹介します。 すべて紹介するときりがないので、じゃらん観光ガイドの長野県の美術館TOP10を紹介します。 ◆軽井沢千住博美術館 世界で活躍する日本画家・千住博の作品を美しい樹々や花々とともに楽しんでいただける美術館です。 ◆世界の影絵・きり絵・ガラス・オルゴール美術館 ビーナスラインの中心地。白樺湖で、通年営業の美術館です。 ◆北斎館 葛飾北斎の肉筆画・画稿・書簡など50点と北斎筆の天井絵で知られる上町・東町の祭り屋台2台(県宝)を展示。龍と鳳凰、男浪・女浪の怒涛図が、時代を経た今、美しく妖しい魅力をかなでています。 ◆松本市美術館 鑑賞の場、表現の場、学習の場、交流の場を4つの柱とした地域に根ざす開かれた美術館です。松本市出身の芸術家・草間彌生の作品展示のほか上條信山
2021-01-31
100
長野県にはどうして美術館多いの?
長野県には美術館が多いとよく聞きます。実際どのくらい美術館があるのか、どうして美術館が多いのかを調べてみました。 〈美術館の数〉 全国の美術館数は1,064館で、人口10万人あたり0.84館です。美術館数が最も多いのは長野県で人口10万人あたり5.24館(偏差値96.1)と全国平均の6.3倍。総数ベースで見ても長野県の110館は全国最多で、日本の美術館の約10%が長野県に集中しています。 〈どうして美術館が多いのか〉 ◆振興策 戦前、長野県が教育県と謳われた時代の名残からか、現在でも芸術・文化の振興に関しては精力的です。県民の意識調査でも、学力実態に伴って教育県としての自覚が削がれている一方で、芸術・文化面での関心は高いです。そのため、内部からの需要が高いです。 ◆避暑地 長野県は全国の中でも比較的乾燥した中央高地式
2021-01-31
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