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登録リスト(該当:602件)
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写真
タイトル
説明
登録日
1
上田地域の道祖神
上田市で三年以上暮らして、自分の出身地と比べてとても道祖神の数が多いと感じた。道祖神は道端にあり、悪霊や疫病などを防ぐ神とされているが、こんなに多いのも何故だろうと感じて探索してみた。 よく探してみると、普段からそこにあったのに見逃していたものなどもあって、いつもの風景がまた違って見えたのが新鮮だった。 また、写真のものは生島足島神社の近くにあり、よく見ると「道祖大神」と刻まれていて、珍しく感じた。どういうところが道祖神とは違うのかなどが気になった。
2022-05-17
2
塩田城跡を目指して
実家を思い出すような激坂をのぼりながら随所に見られる案内を見る。 塩田城跡はどのようなものなのだろうか?
2022-05-12
3
塩田城跡??
塩田城跡との石碑があるが看板を見るに更に上に道が続くようだ。少し探索を行ったが土砂崩れとの看板や害獣用のトラップが見受けられたので深入りするのはやめておく。
2022-05-12
4
上田市塩田平 塩野神社
塩田平にある塩野神社。ここには龍の彫刻があるのだが、これに関する民話が伝わっている。昔夜に龍が彫刻から抜け出して、御神木に登って悪さをしていた。困った村人が龍の目玉を抜き取ってしまった。抜け出すことはなくなったが、ある時大雨が降り御神木に雷が落ち、根元が焼けてしまった。目玉をえぐらなければ、空に登って収めてくれたのではないか、ここまで酷くならなかったのではないかと村人が後悔したという内容である。 現在この御神木には屋根がかかっている。
2022-05-10
5
上田市別所温泉 将軍塚
上田市別所温泉駅から少し登ったところにある。戸隠にいたという伝説がある鬼女紅葉を倒したと伝わる、平維茂の塚。 塚には「朝日さし夕日かがやくそのもとに黄金千枚二千枚」という、朝日長者や徳川埋蔵金伝説に登場する歌と類似した詩が書かれている。別所が衰退し、家屋が残り3軒になったら掘って、埋まっている黄金を使え。3軒になる前に掘り返すと別所が滅びるという言い伝えが残っている。 ちなみに、鬼女紅葉を倒すことに使われた刀は北向観音で授かったとされているそうだ。
2022-05-10
6
上田市塩田平 舌喰池
上田市塩田平に存在するため池群のひとつである。西暦700年頃の奈良時代に築造されたと伝わる。雨乞い行事の「百八手」の舞台でもある。 江戸時代に2度の改修工事が行われ、現代に至る。昭和には養鯉産業で栄える。 平成では植生調査の実施から多様な植物が確認され、「舌喰池 憩いの広場」という緑地公園も造成された。東屋もあり、自然環境も豊かであることから、安らげる場所である。 舌喰池は大池とも呼ばれる。舌喰池という名称は、造築の際に水が溜まらず、人柱に選ばれた娘が悲しみから自らの舌を喰い切って池に身を投げた民話に由来する。
2022-05-09
7
新憲法とポツダム宣言
この記事ではこれまでの明治憲法を否定し、新しい日本国憲法を肯定してどのようなメリットがあるかを詳しく解説している。終戦を迎えてから2年後に刊行された記事であるが、国民にはあまり定着していなかったことがよく分かる。 『西塩田時報「戦後」』第5号(1947年5月20日)2頁より
2022-02-14
8
戦後の選挙
1947年4月25日金曜日には第23回衆議院議員選挙が行われた。この時期から民主化に向けて選挙運動が活発に行われていたことがよく分かる。 『西塩田時報「戦後」』第4号(1947年4月20年)1頁
2022-02-14
9
「私の地域探求」一覧(情報通信文化論2021成果物)
★
:マイテーマ
◆
:探求者のマイサイトにリンク 【1】~【7】の地域は上田
【1】上田の歴史
★
1「上田藩第6代藩主 松平忠固」
(探求者:
yo-to
)
★
2「上田の歴史(貿易、蚕糸業、金融)」
(探求者:
じょうじ
)
◆
3「明治の上田での生活」
(探求者:
T
)
★
4「戦時中の暮らしについて」
(探求者:
みるくた
2022-02-13
10
まとめ
ため池のつくられた歴史や、民話などを調べることで、ため池自体ができた経緯は降水量の関係で同じだったことがわかった。しかし、そのため池一つ一つには違ったエピソードが存在することがわかりおもしろかった。 現実離れした民話が多く残っており、特に、舌喰池に残っている伝説は印象的で、このように残酷な話が残っていることが衝撃だった。 面白い話を知ることができたし、知らなかった歴史を学ぶことはできたが、ネット上では思うように深掘りをして調べことができなかったように感じる。そのため、受け売りとなる二次情報ではなく自ら調べる一次情報の重要さを実感した。 〈参照した資料〉 Googleマップ 信州上田 塩田の里 http://www.shiodanosato.jp/ 長野県上田市塩田地域におけるため池群の維持管理と存続https://www.geoenv.tsukuba
2022-02-12
11
塩野池(しおのいけ)
塩野池は、西前山境東前山の小字「市来」にある。池のある市来が、西前山の小字「塩野間」「塩野」に隣接していることや、独鈷山から流れ出す「塩野川」などの塩野と関係して「塩野池」と名付けられたと考えられる。 塩田平の多くのため池は、山麓または平地にあるが、塩野池は標高約560mとやや高く、山の傾斜に造られている。また、塩野池は、雨乞いの山・独鈷山の水だけを純粋に集めて成り立っているため池である。 〈参考文献〉 信州上田 塩田の里 http://www.shiodanosato.jp/tameike/mukashi.php
2022-02-12
12
舌喰池(したくいけ)
舌喰池は塩田の里交流館(とっこ館)の近くに位置するため池であり、手塚自治会によって管理されている。貯水量は13万㎥もある。 耐震のための改修工事や、田園空間整備事業による水辺景観の整備が行われている。また、百八手という千駄焚きを行って雨乞いをする祭りや、舌喰池付近の芝生でコンサートの開催を行うなど、文化遺産やレクリエーションの取り組みを行っている。 舌喰池には悲しい伝説が伝えられているので紹介したいと思う。 昔この池がつくられた頃、土手から水が漏れて十分に水をためることができなかった。そこで池の改修をするに当たり、土手に「人柱」を入れなければ水がたまらないという話が出回った。悩んだ結果くじ引きで決めることになり、美しい娘が人柱に選ばれた。 娘は日夜悲しみに明け暮れたが、人柱に
2022-02-09
13
甲田池(こうだいけ)
甲田池は塩田平の中でも大きなため池で、水源は一級河川産川からの導水に依存する典型的な中継的ため池である。一般に皿池と呼ばれ、景観が良い。水抜き用の底樋は岸から5m程沖にあるため、橋が渡されている。 また、この池にはカッパにまつわる民話が残されているので紹介したい。 昔、十人村の甲田池に一匹のカッパが住んでいた。 ある日、村のお百姓さんが池の土手に馬をつないでおいたところ、いたずら好きのカッパは馬を池の中へ引っ張った。ところが馬は驚いてカッパを引きずってお百姓さんの家の馬屋に帰ってしまった。お皿の水がなくなって動けなくなったカッパは「助けてくれれば、この家にお祝いごとがあるときにはお膳を用意してさしあげます。」と言った。優しいお百姓さんはその言葉を信じてカッパを放してあげた。それ
2022-02-09
14
上窪池(かみくぼいけ)
上窪池は1645年に池を改修するまで「泥池」と呼ばれていた。 1957年の新農村建設で、ため池を使って養鯉を計画した際、その先頭に立ったのが上窪池である。これが成功し、塩田平の他のため池にも広がった。そして、1975年頃には生産量が1千トンを上回り、「塩田鯉」として全国に名をとどろかせた。 現在、上窪池のほとりにある泥宮の境内に「塩田鯉」と刻まれた石碑が建っている。 山田池でも養鯉が行われていたが、この上窪池が始まりであったことが分かる。 〈参考文献〉 信州上田 塩田の里 http://www.shiodanosato.jp/tameike/mukashi.php
2022-02-09
15
まとめ
食生活に関する記事を探すことを主眼に置いて西塩田時報を最後まで読んでみたが、探していたジャンル以外の記事であっても、少し目を通してみると案外面白く感じる言い回しなどが見つかり、意外と楽しく読めた。 また、通して読んだことによる発見として、戦前の記事では栽培法や家畜の育て方についてのものが多く、レシピは漬物などシンプルなものばかりであったが、戦後の記事ではそれらに加えて多少凝ったレシピについての記事もみられるようになった。 それまでは日持ちさせるための工夫であったレシピが、時代とともにさらに幅広い食事を楽しむためのものに変化していったことの表れだろうか。 掲載されている中には現在でも食べられているようなレシピもあったが、当時の人々がみな、時報に掲載されているような十分な食事
2022-02-09
16
あたたかい冬の料理の作り方(『西塩田時報[戦後]』第33号(1949年12月20日)4頁)
シチュー、カレー、うどん。これら3つはどれも、現在でも親しまれている、冬にぴったりな料理である。しかしレシピの内容を見てみると、シチューでは鮭のかわり、カレーでは肉のかわりにイナゴやサナギを使うという。 一方の南瓜うどんの項には「暖かい変った野菜ウドンができて面白い」とあるが、魚や肉の代わりとしてイナゴやサナギを用いていたことの方が、文化として余程興味深いと感じた。 ▼資料出典元 #1074
『西塩田時報[戦後]』第33号(1949年12月20日)4頁
2022-02-09
17
食生活(『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)2頁)
見出しに惹かれ読むと、想像より重い内容であった。私の本来のテーマからは少しばかり脱線しているかもしれないが、紹介させていただく。 敗戦にからめ、「武士は食わねど高楊枝」「腹が減っては戦ができぬ」といういわば真逆ともいえる二つのことわざに言及し、食の大切さを語る。 人間らしさとは何かを問うこの文章からは何とも言えない悲壮感が伝わってくる。敗戦後1年3ヶ月ほど経過した段階では、相変わらぬ絶望感がまだ日本中に漂っていたのだろう。 ▼資料出典元 #964
『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)2頁
2022-02-09
18
ごはんのようい(『西塩田時報』第178号(1938年9月10日)2頁)
第169号(1937年12月25日)の辺りから急に戦争ムードに突入し、「戦線」「陸軍」「兵隊さん」などととてもレシピどころではない言葉が並んでいた『西塩田時報』であったが、その中に一つほっこりする記事を一つ見つけた。 「尋二西」とあること、この記事が小学校便りであることから、おそらく書き手は10歳以下であろう。そんな子供が、母の頼みを聞いて、妹と思われる「やい子」と一緒にご飯を炊き、茹でたとうもろこしを妹と二人で食べるという内容である。 発行された当時にも、この記事を読んで心が癒された人は多かっただろう。 ▼資料出典元 #792
『西塩田時報』第178号(1938年9月10日)2頁
2022-02-09
19
澤庵漬(『西塩田時報』第96号(1931年11月1日)4頁)
『西塩田時報』第1号が1923年7月1日に発行されてから8年4ヶ月、記念すべき初掲載レシピは、たくあんであった。 漬け込みの方法、その際の注意点、美味しい大根の選び方などが記載されている。 7ヶ月以上の保存を想定した「から漬け」では、塩を一度に三升(約5.67kg)も使ったという。さぞ塩からくて保存のきくたくあんだったことだろう。 ▼資料出典元 #420
『西塩田時報』第96号(1931年11月1日)4頁
2022-02-09
20
はじめに
授業で西塩田時報を斜め読みした際に、「ビタミンの話」という記事に目がとまり、当時の人々の健康状態と関連付けて記事を一つ書いた。 せっかくならばさらにしっかり読み、かつての上田の食生活のことを知りたいと思った。 西塩田時報に改めて目を通し、「西塩田時報に見る食生活」というテーマで、特に工夫を感じたものや時代の流れを感じたものなどを数記事紹介する。 ▼資料出典元 #1
『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁
2022-02-09
21
虫歯を予防で歯を食いしばりましょう ムシ歯防止デー(『西塩田時報』第163号(1937年6月1日)4頁)
口の健康は身体の健康と呼ばれるように口の健康は身体の健康につながる。この時代は歯ブラシも配給制であった。 栄養以外にも身体の健康にはいろいろ繋がるものがある。虫歯だけでなく身体のケアに心がけよう。 出典元: 『西塩田時報』第163号(1937年6月1日)4頁
2022-02-09
22
米じゃなくて麦? 麥の増産に就て(『西塩田時報』第11号(1943年11月10日)1頁)
日本はお米のイメージがあるがこの記事では麦の生産が奨励されている。お米は水も多く使うし、時間もかかるということでこの時期は早く生産できる麦が奨励されていたのでは。 私達が毎日食べてられるのは農家さんであったり、漁師さんのおかげである。今こうやって食べられる時代に感謝をしたい。 出典元: 『西塩田時報』第11号(1943年11月10日)1頁
2022-02-09
23
なにを飼うの!? 養狸の将来性と品種の選択について(『西塩田時報』第184号(1939年3月1日)2頁)
現在ではペットとして犬や猫などが主流である。ただこの記事では狸の飼育の重要性が書かれている。少しフォルムとしては犬に近いかもしれないが現代だったらとても違和感がある。 自分で飼うペットはかわいいが、人さまに迷惑のかからないように。くれぐれも飼っている方はご注意を。 出典元: 『西塩田時報』第184号(1939年3月1日)2頁
2022-02-09
24
夏風邪には気をつけましょう 『夏の衛生』(『西塩田村公報』第10号(1943年8月25日)2頁)
今の時代も熱中症など真夏日にはよくニュースになるがこの時代はもっと初期的な予防であったり注意が書かれている。お腹を痛めたり、冷やしすぎに気を付ける呼びかけである。今の時代にこんな記事がでたら笑ってしまいそうである。 どの時期も風邪や病気で体調を壊さないように… 資料出典元: https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0946.jpg
2022-02-09
25
学生による地域キュレーション2021:全部①~⑱
▼地域キュレーション発表会記録
★
テーマ①「上田と観光」
(発表者:
り
)
★
テーマ②「上田市と松川村の手当・補助の比較」
(発表者:
飯沢
)
★
テーマ③「塩田平をめぐる」
(発表者:
オガサカ
)
★
テーマ④「上田の歴史にふれる」
(発表者:
崔
)
★
テーマ⑤「山道を
2022-02-08
26
地域キュレーション③「塩田平をめぐる」(信州上田学A2021)
▲クリック/タップして発表動画をご覧ください。
地域キュレーション「塩田平をめぐる」
(マイテーマ公開ページにリンク)
発表者(学生):
オガサカ(発表者のマイサイトにリンク)
長野大学/信州上田学A2021発表会(2022/02/02オンライン実施)
(科目担当:前川道博@長野大学)
2022-02-08
27
塩田平と塩沢を比較して
塩田平と塩沢を比較して、もともと塩田、塩沢がもつ地形や気候などが農業、工業に影響していることがわかった。特に農業は塩田には、気候に影響されたため池灌漑があったり、塩沢には豪雪地帯であることを利用した豊富な水資源の利用がある事がわかった。 この比較をすることで、塩田についてさらに深く知ることができ、どのような環境が住んでいる人にどのような影響を与えているかを知れてよかった。
2022-02-02
28
塩沢 農業
塩田平と似て、稲作が盛んである。山沿いには畑作も多少見ることができる。塩沢の農業の特徴は何より、稲作がとても盛んであることだ。塩沢は日本有数の豪雪地帯であり、稲作の時期は雪解け水が供給される。塩田平とは違い、ため池はほとんどなく、灌漑の方法としては用水路などで灌漑がされている。 写真をみると、農業用に整備された用水路が見えることがわかる。
2022-02-02
29
まとめ
戦後の生活を見る事例の一つとして今回調査を行ったが、歴史の教科書には載っていないような、終戦後立ち直っていく住民の姿がありありとみることができた。 具体的には、GHQが取り組んだ民主化が地方にも広がっていたことや、政治参加への意欲が現代よりかなり高かったことがわかり、良い学びになったと思う。 [参考資料] 『西塩田時報』Vol.2(戦後編1946~1956)ページごとの画像(https://d-commons.net/uedagaku/detail.php?id=3622) みんなでつくる信州上田デジタルマップ 信州上田学アーカイブ
2022-02-02
30
西塩田の耕作地
耕作地のビニールハウス近くにワラやイネが干してある所があり、そこにスズメの群れが集まって米をついばんでいた。夏は山や森に虫や新芽など餌が豊富にあるためあまり頻繁には人里に降りてこないが、冬になると事情は違ってくる。虫もおらず木々の葉が枯れた冬は鳥たちにとっても過酷で、餌を探すために人里の身近な所まで降りてくる。今回のように農家が残したコメなどを食べにくるという例は、厳しい冬を生き抜く野鳥の人間への適応の良い例だと思った。 スズメはたくさんいるように見えるが実は数が減少傾向にある野鳥だ。このような景色はもしかしたら数十年後には見られなくなるかもしれない。 観察した野鳥 ・スズメ ・ツグミ
2022-02-01
31
上田紬について①
〇紬とは 紬とは、紬糸を平織りにした絹織物で作られた着物のこと。 絹特有の光沢を持つ生糸とは違い、紬糸で織られた生地は落ち着いた光沢と凹凸のある表面で独特の風合いがある。 丈夫で軽く、普段着やちょっとしたおしゃれ着におすすめな着物で、最初はかっちりとした着心地ですが、着慣れるほどに柔らかく馴染んできます。簡単に言うと、糸を先に染めたあとに布を織る絹織物でかつ、カジュアル 用のきもののことです。 〇上田紬の魅力 目の細かい糸使いでしっかりと織り込まれていて丈夫で強い。縞・格子柄が多く、 シンプルで飽きのこないデザインで江戸時代から織り継がれている。また、大島紬や結城紬と並ぶ日本の三大紬として知られ、紬の中でも軽くて丈夫なことから全国で広く愛用されてきた。 〇上田紬の歴史 今から
2022-01-27
32
現代用語の基礎知識(『西塩田青年団報』第33号(1949年12月20日)1頁)
その名の通り、現代日本において知られるようになってきた用語を紹介している。外来語についても紹介している。 今の私たちにとっては身近な言葉も、こうして徐々に浸透していったんだということがわかり、面白いと感じた。
2022-01-27
33
運動服調達 決算について(『西塩田青年団報』第32号(1949年11月20日)1頁)
学校の野球・排球用のユニフォーム調達のための寄附結果を掲載、お礼している記事。 スポーツに対する協力体制が感じられ、スポーツが村民にとっても娯楽的に親しまれていることがわかった。
2022-01-27
34
新憲法とポツダム宣言(『西塩田青年団報』第5号(1947年5月20日)2頁)
明治憲法(大日本帝国憲法)が改正されたのは、憲法をポツダム宣言に沿う内容にしなくてはならなかったからだと主張している記事。改正後の憲法がポツダム宣言に準じているということを、実際にそれぞれの条文を比べることで示している。 日本を愛する人民として、新憲法とポツダム宣言は理解しておくべきだという主張が、当時の政治への意欲を表しているように感じた。
2022-01-27
35
拔け切れぬ弊習 村議戰を顧みて(『西塩田青年団報』第5号(1947年5月20日)1頁)
記事発行以前に行われた村議員選挙において、それがいかに非民主的なものだったかということを痛烈に批判している記事。後ろ盾の無い民主団体や個人は不利な状態に立たされ、女性の候補者も一人も現れなかったという状況を、封建的なかつての選挙と変わらないと言っている。 戦前や戦時中ではこのような政治に対する批判は絶対にできなかったと思うので、自らの意見を自由に発信できる時代の訪れを感じた。
2022-01-27
36
働くものが幸福になる!民主政府は総選挙で(『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁)
これから選挙に臨む村民達に、勤勉に働く者が損をしないような社会を作るべく考えて投票を行うことを促している記事。 そのために、どのように投票するのがいいのかを解説しているのがわかりやすく、政治に疎い読み手のことを考えているな、と思う一方、現代では自由な投票を歪める可能性があるのであまり推奨されることではないようにも思う。また、女性の選挙権を求める記事も同時掲載しているのが、差別撤廃を目指す時代性を表していると感じる。
2022-01-27
37
スポーツ欄(『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)4頁)
地域の野球・卓球の体育祭典のリザルトを掲示した記事。 戦前ではスポーツをやる余裕など無かっただろうと思うが、こうして大会が開けるまでに平和が戻ってきたということを表す、微笑ましい記事だと感じた。
2022-01-27
38
民主苦言(『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁)
農村の民主化政策に対して消極的、反動的な意見を排除して意欲的に民主化を進めようと呼びかけた記事。 GHQを中心とした国内改革の成果が見られる記事であるように感じた。
2022-01-27
39
英靈故山に還る(『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)1頁)
戦死した五名の男子。その名前と戦死日時、場所が中央に大きく書かれていた。 この記事における「英靈」とは死者、特に戦死者の霊を敬って言う語を意味していると思われ、「故山」とは彼らの故郷。 つまり、故郷に遺体という形ではあるが再び還ってきた五名の霊を追悼しよう、という心がけが見受けられる。 国のために命を捧げて死ぬのは美徳であり、仕方ないことだという戦前の考え方が薄れてきているようにも思えた。
2022-01-27
40
上田電鉄株式会社の沿革
・大正5年9月17日 丸子鉄道株式会社 設立 ・大正9年1月5日 上田温泉軌道株式会社 設立 ・昭和14年8月30日 商号変更 上田電鉄株式会社 ・昭和18年10月21日 丸子鉄道株式会社と上田電鉄株式会社合併(商号 上田丸子電鉄株式会社) ・昭和44年5月31日 上田丸子電鉄株式会社を上田交通株式会社に商号変更 ・昭和47年6年30日 城下駅を無人化 ・昭和47年7月7日 中塩田駅を無人化 ・昭和61年9月30日 上田原駅無人化 ・平成17年10月3日 上田交通株式会社より分社 上田電鉄株式会社 設立 このように、上田電鉄株式会社は路線の縮小などにより会社規模を小さくしたり、子会社を合併したりと時代によって進化してきた。現在は東急グループの傘下に入っている。 [参考文献・写真] 上田電鉄株式会社ホームページ https://www.uedadentetsu.com/
2022-01-27
41
ため池の工事
江戸時代の塩田のため池の工事は、元は小さな池を広げることから始まったそうです。「塩沼という小さな池だったのを、村人が殿様(仙石忠政)に願い出て、元禄12年(1702年)に大きな池にする工事が行われ、塩吹池は東西194メートル、南北212メートルの大きなため池になりました。このような大きな工事の費用は上田藩が出しました。」引用
ため池のれきし-信州上田|塩田の里|とっこ館
(2022/01/26閲覧)とあるように大規模な工事であったことがうかがえます。このような大規模な工事を経て、今私たちが住んでいる塩田平の風景が形成され、この土地に住む人々を助けています。 参考:
ため池のれきし-信州上田|塩田の里|とっこ館
2022-01-26
42
満州移民②
こちらの記事は先ほど紹介した小林信悟さんの満州での生活を記したものである。 これを見る限り、渡った先では農耕班として農業をしており、食事に関しても毎日白いお米を食べることができたり、週一でカレーを食べていたりと充実しているように見えた。休日に関しては、月に2~3回と現代と比べればとても少なく感じた。こちらの資料も実際の生活状況が伺える貴重な資料であると感じた。
2022-01-27
43
満州移民①
こちらの記事は満州移民として満州へ行った小林信悟さんの話についてである。 当時長野県から満州移民として満州と渡った人数が約31000人で一位だという。第二位の山形県が15000人弱であるからダントツのトップである。 この記事ではここ上田から満州とへの経路で起きた出来事が詳細に語られている。このような詳細な資料は現在体験された方が減少していっているため非常に貴重な資料であると感じるとともに、その生々しさがひしひしと伝わってきた。
2022-01-27
44
ため池がもたらしたもの
塩田平のため池は、平安時代の条里制の地割りが残っているため、平安時代からため池があったことが推測されますが、史料が残っていません。そこから、江戸時代から盛んに開発がされました。すると、ため池を得た塩田平の農地は、生産量を伸ばし、結果として、上田藩の約半分を占める石高を残し、「塩田3万石」ともいわれるようになりました。それらは今でも塩田を潤しています。 参考:
ため池のれきし-信州上田|塩田の里|とっこ館
2022-01-26
45
ため池の必要性
そもそもなぜ塩田平にはため池が必要だったのでしょうか。それは、全国でも有数の寡雨地域であったからです。雨が少なく年間の降水量は890mmであり、稲作をするときに必要と言われる降水量である1000mmを下回ります。そのため、稲作をするためには厳しい土地でした。幸い、土壌は元々塩田平は湖であったことなどから肥沃だったため、水が足りないという課題を灌漑で解決すれば稲作ができました。用水路を使った灌漑などが長野では多いですが、塩田平を流れる川は、どれもたくさんの農地を潤すほどの水量はありませんでした。そこで、塩田平ではため池灌漑という長野県では珍しい灌漑方法がとられています。 参考:
ため池のれきし-信州上田|塩田の里|とっこ館
2022-01-26
46
家庭生活の民主化から
この記事では終戦後の民主化政策に困惑する女性の意見を知ることができる。男性よりも女性が教育を受ける機会が少なかった当時の状況で「男女同権」を主張する民主主義に対して女性にはあまり受け入れられなかったようだ。 『西塩田青年男報』第5号(1946年12月25日)第一頁より
2022-01-27
47
小島大池(こじまおおいけ)
小島大池は塩田平の中でも大きなため池であり、1618年に造られたものである。そんな小島大池の1689年に起きた事件についての民話を紹介していきたい。 下之郷山から降りてきた沢山の猪によって田んぼが荒らされ、田んぼの稲を守ろうと玉の入っていない鉄砲を一発打った。驚いた猪は小島大池に飛び込んでしまい、22匹のうち5匹が溺死してしまった。 騒ぎが大きくなり上田藩に届け出たところ、役人から「入念に猪の死骸を埋め、猪が死んだ理由を書いた木札を立て、周りを竹矢来で囲みなさい」といった処置が命じられた。 なぜ猪のためにこれほど大騒ぎになったのか。それは、当時徳川幕府の将軍綱吉が「生類憐みの令」を出しており、動物に危害を加えた場合重い罰が与えられたからである。 なお、小島大池に実際に行ったところ、現在工
2022-01-26
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空池(からいけ)
空池は、1734年5月に西前山の庄屋児玉伝兵衛がため池を造る許可を上田藩に願い出たことで作られた。1737年2月14日から毎日5~600人、延べ10,167名もの人足が動員され、1ヶ月後の3月15日に完成し、翌3月16日に完成届(目録書)が上田藩に差し出された。 しかし、水が思うようにたまらず1736年4月14日から6日間、約600人の人足をかけ、1737年には2,240人の人足をかけて池の修繕をしたが、漏水が多く2~3年後には空池となってしまった。 現在は公民館と付近の畑が池の跡地である。 〈参考文献〉 信州上田 塩田の里 http://www.shiodanosato.jp/tameike/mukashi.php
2022-01-26
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手洗池(てあらいけ)
手洗池には二つの名前の由来がある。こららを紹介したいと思う。 昔、柳沢村(現上田市古安曽)に幹が6メートルもある大きなけやきの木がありました。ある秋、このけやきの木の枝が折れてしまい、村人は何か変わったことが起きるのではないかと心配していました。すると翌年の夏、すさまじい嵐が起こりました。このため山のほとんどの木が風や落雷のために倒れてしまい、村人は途方に暮れました。さらにこの年も大きなけやきの木の枝が折れてしまい、その翌年もまた大荒れに見舞われました。村人たちは、大きなけやきのせいではないかと考えるようになり、どのようにしたらよいか考えていました。 ちょうどその時、木曽義仲に仕えていた手塚太郎金刺光盛という人が、丸子のお城から手塚へ帰る途中、柳沢を通られましたので、相談した
2022-01-26
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山田池(やまだいけ)
山田池は1938年に沢山池が造られるまで塩田平一の大きなため池だった。 池の歴史は古いため増築年は不詳だが、1650年にそれまで並んでいた2つの池を1つにまとめ現在の池ができた。 この池では、1840年頃に養鯉を試みたり、上田藩の事業として薬草の栽培をしたりしていた。古くから農業用水の確保としてだけでなく、様々なことに利用されていたことが分かる。 〈参考文献〉 信州上田 塩田の里 http://www.shiodanosato.jp/tameike/rekishi.php
2022-01-26
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ため池の歴史③
この資料から、塩田のため池がいつ頃造られたものなのか読み取ることが出来る。 真田氏の時代(1622年まで)には、山田池、舌喰池、小島池、甲田池などの広大な池が修造築または新築された。 そして、仙石氏の時代(1706年まで)には、手洗池、上原池、上窪池、山田新池などが造られた。この時代は、どの大名も領内の新田開発に力を入れた時代であるため、仙石氏もため池の築造・修造に力を入れたことが分かる。 松平氏の時代(1867年まで)に造られたため池は小さいことが見受けられるが、この時代のため池政策は、従来のため池の堤塘の高さを増し、貯蓄量を増大させるものであったからである。 〈参考文献〉 信州上田 塩田の里 http://www.shiodanosato.jp/tameike/rekishi.php
2022-01-26
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ため池の歴史②
ため池は農業用水を確保するためだけに使われていたと思っていたが、歴史を遡るとそれ以外にも利用されてきた歴史があった。 例として挙げられるのは食用鯉の養殖である。塩田地域のため池は水温が高く、養蚕が盛んであったことから、鯉の餌としてたんぱく質の豊富な蚕の蛹が多く採れた。このような地域特徴から鯉の養殖に使われてたが、1980年代末には鯉の養殖は衰退し、今はフナの養殖に非常に少数のため池が使われているだけである。 〈参考文献〉 長野県上田市塩田地域におけるため池群の維持管理と存続 https://www.geoenv.tsukuba.ac.jp/~chicho/nenpo/43/08.pdf
2022-01-26
53
ため池の数
塩田平のため池数は、個人利用の小池まで含めると200余りあり、これらが拡大または新たに構築されたことで、しだいに大規模な池に統合された。 昭和50年代の「溜池施設台帳」には、東塩田112、富士山5、中塩田10、西塩田10、別所1の141池が登録されている。 塩田は地元よりもため池が多い印象だったが、141ものため池があるのは予想外だった。雨量の少ない地域であるため、多くのため池が塩田の農業には必要なのだろう。 〈参考文献〉 信州上田 塩田の里 http://www.shiodanosato.jp/tameike/mukashi.php
2022-01-26
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ため池の歴史①
塩田には多くのため池がみられる。その理由は降水量と土地が関係している。上田市は年間降水量が全国で最も少なく、その中でも塩田平は最少の地域であった。しかし、気温も低すぎず肥沃な土地で、水田農業に最適の地域だった。そこで農民は農業用水を確保するためにため池を作ることにしたのだ。この地域の土壌が粘土質で、ため池の土地を作るのに好都合だったことも影響していたのだろう。 〈参考文献〉 信州上田の里 塩田の里 http://www.shiodanosato.jp/tameike/rekishi.php
2022-01-26
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壮行會
こちらの記事は小學校での行事を示した記事である。 今と少し異なるところが5月27日と3月10日に行われた行事だ。 5月27日には海軍記念日として登山を、3月10日には陸軍記念日として記念講話を行っている。これらはどちらも軍を重んじた行事であり、小學校からこのようなことが行われていたと言うことを生の資料から受け取ることができた。 記事はこちらから https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0078.jpg
2022-01-25
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勤儉週間
こちらの記事は勤儉週間についての記事である。 勤儉とはよく働き、倹約することの意である。戦地にいる兵隊が苦労しているから私たちもきちんと働き倹約しようという意味を込めてのものだと考察した。 標語である「今日の勤儉 明日の極楽」や「家を興して国を富ませ」等は当時の考えを体現したものだと感じた。 また「一銭を笑ふものは一銭に泣く」という標語が個人的に気に入った。今も昔もお金は大事。 記事はこちらから 1枚目:https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0058.jpg 2枚目:https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0153.jpg
2022-01-25
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徴兵
こちらの記事は徴兵検査の結果についての記事である。やはり戦争ということで徴兵についての記事は多く見受けられた。徴兵検査の結果や徴兵適齢届の存在、また、小学校で兵士の壮行会が行われていたり徴兵検査の心得等々多様なものを発見することができた。 一つ疑問に思ったは、1枚目と2枚目からわかる通り、徴兵令が出されており届出をしないと罰せられるのにも関わらず、結果として31名中10名(6名が無名とあるため16人までの可能性あり)という少し低めな合格率であることだ。徴兵として集められても合格できなかった人は一体何をして過ごすこととなるのだろうか。 記事はこちらから 1枚目:https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0006.jpg 2枚目:https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0016.jpg 3枚目:https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0060.jpg 4枚
2022-01-25
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現役兵
この記事は塩田の村における現役兵を示したものである。 大勢の方の名前が記されているが、私が疑問に思ったのは左側に書かれている「海軍」についてだ。筆者は横須賀という文字から神奈川に配属された兵だと考察をした。なんとなく海がある県の方が適していると感じているが、長野県は海無し県であるのにも関わらず海軍に任命されるのが少し疑問に思った。 記事はこちらから https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0003.jpg
2022-01-25
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信州上田学・地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクト活動記録2
信州上田学〜地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクトでは、長野大学地域づくり総合センターと(一社)信州上田里山文化推進協会が連携して、古くから自然と調和していきてきた先人の知恵を伝承し、次世代の若者が地域資源を活用して自らの力で未来を開いていくための人づくり、地域づくりを行っています。 塩田平・別所温泉地区を中心に、上田市は、「レイラインがつなぐ太陽と大地の聖地〜龍と生きるまち」として、日本遺産になっています。学生たちも龗や九頭竜大権現を祀る男神岳、女神岳に抱かれた民話や雨乞い祭り、文化財について学びました。 今年の8月、10月には、ボランティアガイドの会など他の地域団体とも共同して、日本遺産に認定された塩田・別所地区の文化財についてレイラインの観点から方位や日
2022-01-05
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可動式看板「舌喰池で観察される鳥類」
2022年1月に、可動式看板「舌喰池で観察される鳥類」を以下の内容で作成しました。 2022年2月開催の「舌喰池水鳥観察会」やさまざまなイベント・活動で、この看板(看板の画面サイズ:横幅200cm×高さ100cm、看板の脚を含む高さ160cm)を活用する予定です。 ■看板作成: 長野大学地域づくり総合センター「信州上田学」地域連携パートナー事業 舌喰池水鳥観察会 ■監修: 長野大学環境ツーリズム学部 高橋一秋教授 ■デザイン・鳥類データ(2016年~2021年に舌喰池で調査)・写真(塩田平ため池群で撮影)・イラスト ・解説(出典:原色 日本野鳥生態図鑑<水鳥編>(保育社)、山渓カラー名鑑 日本の野鳥(山と渓谷社)) : 高橋一秋・大和田樹里・三枝広樹・横内はるひ(写真加工)・小猿夏海(イラスト作成)・豊田雄基
2021-12-27
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戦後の上田
西塩田時報を読んで戦後の上田について興味を持った。戦後に刊行された西塩田時報から資料を収集したいと考えている
2021-12-22
62
可動式看板「舌喰池で観察される鳥類」
2022年1月に、可動式看板「舌喰池で観察される鳥類」を以下の内容で作成しました。 2022年2月開催の「舌喰池水鳥観察会」やさまざまなイベント・活動で、この看板(看板の画面サイズ:横幅200cm×高さ100cm、看板の脚を含む高さ160cm)を活用する予定です。 ■看板作成: 長野大学地域づくり総合センター「信州上田学」地域連携パートナー事業 舌喰池水鳥観察会 ■監修: 長野大学環境ツーリズム学部 高橋一秋教授 ■デザイン・鳥類データ(2016年~2021年に舌喰池で調査)・写真(塩田平ため池群で撮影)・イラスト ・解説(出典:原色 日本野鳥生態図鑑<水鳥編>(保育社)、山渓カラー名鑑 日本の野鳥(山と渓谷社)) : 高橋一秋・大和田樹里・三枝広樹・横内はるひ(写真加工)・小猿夏海(イラスト作成)・豊田
2021-12-21
63
戦中・戦後の食生活
西塩田時報を読んで、昔の食生活に興味を持った。 食料に限りがあった中でどんな工夫がなされていたのか、戦中から戦後で食生活がどのように変わっていったのかなどについて調べたい。 資料としては西塩田時報を主に活用する予定。
2021-12-21
64
西塩田時報から見る戦争
情報通信文化論の講義で西塩田時報の存在を知り、斜め読みをしてみてやはり戦争のことが多く取り上げられていたためそこからこの地域における戦争についてのことが少しわかるのではないかと思ったため。範囲は戦前までとし、莫大な量があるため適宜ピックアップしていく。
2021-12-21
65
上田のため池
私たちは上田市塩田のため池について調べようと思う。 このテーマを選んだ理由は、上田に来てため池が地元と比べ多いという印象を抱いたからである。どうしてこんなにため池が多いのか興味を持ったので、塩田の歴史やどんなものがあるのか調べたいと思った。 上田市文書館の資料や長野大学付属図書館、塩田の里交流館などで塩田の歴史とため池の関係をまとめていきたい。
2021-12-21
66
塩田平 地形
塩田平は典型的な盆地であり、かつて湖であった場所が産川や浦野川によって埋め立てられたものと考えられている。また、特徴的な地形として、鴻ノ巣バッドランドが挙げられる。バッドランドとは、「無数のかれ谷が密に深く刻み込まれ急斜面の斜面と、細かなひだが入り組む複雑に発達した水系網を特徴とする地形」(引用)
地質を反映した地形[国土地理院]バッドランド
(2021/12/21閲覧) である。 写真の黄色くマークされた場所は、鴻ノ巣バッドランドの場所である。もう一枚は、地理院地図3Dの鴻ノ巣バッドランド3D地形である。 参考・出典
地理院地図Vector[国土地理院]鴻ノ巣バッ
2021-12-21
67
塩田平 観光
塩田平には生島足島神社や安楽寺、前山寺に代表される多くの寺や、神社があり、それを観光資源として利用している。また、別所温泉という温泉もあり人気の観光地となっている。 写真は前山寺。 参考・出典
[上田市]信州上田観光情報/温泉エリア
(参照 2021/12/20)
2021-12-21
68
塩田平 気候
日本有数の寡雨地域であり、内陸性の気候であるため夏は平均気温は高い。冬は気温は低いものの、雪はあまり降らない。また、内陸性の気候によって年較差が大きく、盆地特有の気候によって日較差も大きい傾向にある。日照時間も全国平均より長い傾向にある。寡雨地域であることで、過去には養蚕が盛んになったり、ため池が多く作られたりした。 写真は日照時間に影響される太陽光発電の写真と、ため池の多さを示した地形図である。 参考・出典
長野県地方気象台/長野県の気候
地理院地図Vector[国土地理院]上田市地形
(参照 2021/12/20)
2021-12-21
69
塩田平 農業
主に稲作が盛んで多くの田が見られる。しかし、一様にただけでなく畑作も見られる。また、高地には果樹栽培も見られる。塩田平の農業の特徴は、なにより多くのため池による灌漑であるだろう。塩田平という地域は日本でも有数の寡雨地域である。この地図は、塩田平の地形図と土地利用についての地図である。多くのため池が確認でき、ため池の周りでは稲作、山の麓に行くにつれ畑作が多くなっていることが読み取れる。 参考・出典
地理院地図Vector[国土地理院]地形と土地利用
(参照 2021/12/20)
2021-12-21
70
塩田平 工業
塩田には多くの工場が存在する。この写真はその中の一部の写真である。上田市は、最大5000万円の助成金なども出し、積極的に企業誘致を進めている。 参考・出典
上田市-工場等設置事業助成金
(参照 2021/12/20)
2021-12-20
71
「西塩田時報」から見る戦時期の上田
探求テーマ選択理由:個人的に歴史関連の授業で戦争について学んでいる事もあり、戦争下で生きていた人々の足跡に興味を引かれている。そして先日「西塩田時報」を読んだとき、戦争に関わる内容が多いと感じた。当文献を用いたこの探求テーマなら、自らの興味を満たす調査が行えるのではないかと思ったため。 探求内容:戦前・戦後の人々の生活を表す記事をいくつかピックアップし、自らの所感を述べていく。 調査に用いる資料:「西塩田時報」
2021-12-19
72
民主化は先ず家庭から…(『西塩田公報』第35号(1950年3月5日)4頁)
世間は民主化が進んできているが、家庭内では夫が妻に対して亭主関白ぶりを発揮している様子が見て取れる。 自分でできることは自分でやる、そうすることで双方にとって無駄な労力の消費を防ぐことができると述べられている。 現代の社会でも同様に言う事が出来、家庭内だけではなく学校や会社の中でも同様だろう。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1082
『西塩田公報』第35号(1950年3月5日)4頁
2021-12-16
73
土地部について『西塩田時報』第61号(1928年12月1日)1頁
戦後の土地の使い方について、関心が寄せられていることがわかる
2021-12-15
74
若男見解の文面に接して『西塩田時報[戦後]』第13号(1948年3月25日)3頁
昔の人の見解を知れるのは面白い。
2021-12-15
75
草木染の仕方(『西塩田時報』第132号(1934年11月1日)2頁)
この記事は草木染の復興の経緯と染色手順が記されている。手染の良さや使う草木によって染まり方の違いが細かく書かれている。 手染は確かに手間がかかるが、その分自分好みの味わいのある素敵なものができる。また使う草木によってこんなにも色合いのバリエーションがあることに驚いた。実際に自分も行ってみたいと感じた。 ▼この記事は以下から確認できます。 584
『西塩田時報』第132号(1934年11月1日)2頁
2021-12-16
76
親の愛(『西塩田時報』第117号(1933年8月1日)4頁)
この記事は親は我が子の欲望をどれだけ叶えてあげられるのかが話題になっている。それは子供が成長するにつれて難しくなってくると書かれている。 子供が愛されているという前提で書かれていたが、今日では親が子供を虐待といった問題も多く考え方が変わるのではないか。こういった今と昔の考え方の違いが面白いと感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 520
『西塩田時報』第117号(1933年8月1日)4頁
2021-12-16
77
電力危機回避(『西塩田時報[戦後]』第7・8号(1947年8月20日)4頁)
電力危機回避の記事です。電力不足から脱却した嬉しさが語られています。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報[戦後]』第7・8号(1947年8月20日)4頁
2021-12-15
78
団体の規則(『西塩田時報』第74号(1930年1月1日)1頁)
塩田地区の団体の規則を見ることができます。その当時にあったもので、とても興味深い内容になっています。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第74号(1930年1月1日)1頁
2021-12-15
79
電力危機突破について『西塩田時報「戦後」』第10・11号(1947年11月30日)1頁
戦後間もない時期の深刻な電力不足に陥ってる状況がとてもよく分かる記事です。
2021-12-15
80
大相撲『西塩田時報』第3号(1923年11月30日)3頁
幼い頃から相撲が好きなため、当時の相撲について興味をもたから。
2021-12-15
81
農家恐慌の実態(『西塩田時報』第1号(1934年10月1日)4頁)
この記事は、面白いというより読んでいて当時の農家の実態のひどさが印象に残ったから選んだ。 私たちは、様々な恐慌についても、過去の出来事として学んでいるがここに書かれたものだと、現実味があって当時の苦労していた様子がリアルに伝わってきた。 馬鈴薯を主食にして1日に一回位の米粒を口にするものは上乗とされているとか、僅かな塩で飢えを充たしているとか。このような時代があったことを知っておく必要があるし、みんなに読んで欲しいと思った。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0579.jpg
2021-12-15
82
ビタミンの話(『西塩田時報』第5号(1946年12月25日)4頁)
「ビタミンの話」というあまり見かけない話題にまず惹かれた。 記事の下には6種類のビタミンが表で示されている。書かれている食材が昔っぽいのもまた面白いなと思うし、すごく細かく詳しく書かれているので、きっとこの記事が役に立ったんだろうなと感じた。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0973.jpg
2021-12-15
83
参院選挙投票率は79% (『西塩田公報』第38号(1950年6月5日)1頁)
この記事は、参院選の投票率と結果について書かれている。個人的に面白く感じた点は、「投票余談」の部分だ。その当時、何を考えて投票したのかが具体的に書かれており、面白く感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1091
『西塩田公報』第38号(1950年6月5日)1頁
2021-12-15
84
民主政府は総選挙で(『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁)
この記事には、戦後の当時の選挙に対するとてもあつい雰囲気がうかがえる。「私たちが幸福になるためによく考える」という点は今でも変わらないものだ。 ▼この記事は以下から参照できます #985
『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁
2021-12-15
85
家庭メモ(『西塩田時報』第73号(1953年10月5日)4頁
当時の法務省民事局参事官平賀健太氏が講義を行った「戸籍」についての記事である。 戸籍の話から住民票や選挙権、戦没者の身分証明に至るまで、戸籍の重要性を講義している。 戸籍の届け出が正確ではなかった当時の様子がうかがえる内容である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #318
『西塩田時報』第73号(1929年12月1日)4頁
2021-12-15
86
禁酒(西塩田時報第1号(1923年7月1日)4頁)
酒でよほど痛い目を見たのか、端から否定派なのか、、 禁酒を進めるというよりかは酒を飲む人を全否定する言葉を並べてある。 しかし、軽快でストレートな表現が嫌味でなくて面白い。 ▼この記事は以下から参照できます。 #4
『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁
2021-12-15
87
農民への問いかけ
地元の農民に対して役人に搾取される人生で良いのかと、もっと考えながら生きた方が良いと問いかけていたのが、面白かった。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』https://d-commons.net/admin/content_edit.php?id=5840#photo_gallery
2021-12-15
88
戸籍の話(『西塩田時報』第73号(1953年10月5日)4頁
当時の法務省民事局参事官平賀健太氏が講義を行った「戸籍」についての記事である。 戸籍の話から住民票や選挙権、戦没者の身分証明に至るまで、戸籍の重要性を講義している。 戸籍の届け出が正確ではなかった当時の様子がうかがえる内容である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #318
『西塩田時報』第73号(1929年12月1日)4頁
2021-12-15
89
『夏の衛生』(『西塩田村公報』第10号(1943年8月25日)2頁)
伝染病対策としての予防策を5つ挙げている。 「子供のアイスキャンデー」「子供の寝冷」など、子供についての記述が多いなと感じた。
2021-12-15
90
『家庭欄 茄子料理』(『塩田時報』第17号(1948年7月25日)4頁)
茄子料理の説明がされている。 ほんわかして好きだ。村人に寄り添った記事が出ていることが何となく好ましく感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1022
『西塩田時報[戦後]』第17号(1948年7月25日)4頁
2021-12-14
91
『農村女性のあり方』(『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)2頁)
農村で働く女性の扱われ方、女性という立場の不自由さが赤裸々に述べられている。 これからの社会では、もっと「男女平等」を図っていかなければならないということを訴えかけており、令和の今でもよく取り上げられる問題が、戦後のこの時代から問題視されていたのだと思うと考え深い。
2021-12-14
92
明るい村に(『西塩田時報』第17号(1948年7月25日)4項)
この記事には、戦後の上田の人々の様子が書かれており、政府が取った政策を機に住み良い国を作ろうという想いが述べられている。 「町行く女の華々しき姿と色失せた人々の顔」という文からは、貧富の格差が大きい事が分かる。 戦後で荒れている世の中の様子が読み取る事ができ、興味のひかれる記事だった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1022
『西塩田時報[戦後]』第17号(1948年7月25日)4頁
2021-12-14
93
「銃後の完璧 体位向上の秋!本団体育大会 見よ堂々の戦華を」(『西塩田時報』第190号(1939年10月1日)1頁)
当時行われた体育大会の結果の様子を掲載した記事。全体的な種目は現代とほぼ変わらないが、中には「手りゅう弾投げ」のような非常に軍事色のある種目も行われ、競い合っていたことが分かる。このようにスポーツにおいても戦争の色が濃くなっていることが示されている記事を地域ニュースとして保存されているのは歴史的に非常に価値があり、次世代への教訓にもなると感じた。
2021-12-14
94
『衛星メモ』(『塩田田時報』第15号(1948年5月25日)1頁)
本記事では家庭の雑学のようなものがいくつか取り上げられている。 現代なら検索すればすぐに得られるような知識であるが、当時の人々からはこういった豆知識のようなものが重要だったのかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1015
『西塩田時報[戦後]』第15号(1948年5月25日)1頁
2021-12-14
95
家庭の改造と女性の地位(『西塩田時報』第2・3号(1947年3月10日)2項)
この記事は、この時代までの男尊女卑の風潮を批判したものである。 この記事が発行された前年に女性は参政権を獲得したものの、女性の立場は家庭内や社会でほとんど変わっていない、というということが読み取れる。 現在の様子との違いをとても感じさせられる文章だった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #980
『西塩田時報[戦後]』第2・3号(1947年3月10日)2頁
2021-12-14
96
「青少年学徒に賜りたる勅語」(『西塩田時報』第190号(1939年9月1日)1頁)
昭和天皇の勅語を掲載した記事。この前年に国家総動員法が発令されたことがあり、これを含めて戦争一色となっていることがわかる。また、この日はドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発した日であり、欧州においても戦乱が広がり始めることになるが、それ以前よりこのようにあらゆる分野の記事で挙国一致、戦時体制の確立を訴えていることは、日中戦争がいかに長期化していったことを示すものだと考えられる。
2021-12-14
97
入學前の家庭教育に就て(『西塩田時報』第1号(1947年1月25日)2頁)
初等科一年生を受け持つ先生が保護者へ向けて書いた、入学前までにできるようになっていてほしいことを示したもの。カタカナの読み書きの習得から毎朝顔を洗うなんてことまで書かれている。 今の新聞ではあまり見られない記事で、当時と今の新聞の在り方の違いが感じられる。 さらにタイトル横の“父兄の皆様”という言葉も最近は聞かなくなったなと。 ▼このページは以下から参照できます。 #976
『西塩田時報[戦後]』第1号(1947年1月25日)2頁
2021-12-14
98
ポツダム宣言を味読せよ(『西塩田時報』第4号(1947年4月20日)1頁)
日本が受諾したポツダム宣言は、連合国側からの一方的に押し付けではなく、日本の将来を考えて行われた最高の要請であると述べられている。 また、これに則って制定された日本国憲法の「すべて国民は健康で文化的な最低生活を営む権利を有する」という部分に対し、現状の生活ではそれを達成できていないと述べられている。その中で、自分たちの役目を果たすだけではなく、自ら行動していかなければならないという強い意志を感じることができる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #985
『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁
2021-12-14
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卒業生名簿(『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁)
この記事は、当時の卒業生の名前が書かれており、しかもフルネームである。 現代の学校では名簿を世間に出すことさえも厳重な取り扱いを求められているが、この時代には時報に載っている。 個人情報保護などは考えられていなかった時代ならではの記事で面白いと思った。 ▼この記事は以下から参照できます #1124
『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁
2021-12-14
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児童の体格について(『西塩田時報』第2号(1923年9月1日3頁))
この記事は当時の児童の体格について書かれている。また、日本全国と長野、西塩田小学校の3つの児童の体格の平均が比較されている。比較した後に、身体の発達に家庭でも一層のご注意を、などといった文面も見受けられる。 現代においても、このような記事を目にすることは多いのではないか。当時の記録がデータとしてしっかり残っている点が興味深かった。 ▼この記事は以下から参照できます #7
『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)3頁
2021-12-14
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