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戦後80年で人々の価値観はどう動いたのか
戦後日本において、新幹線が開通し、オリンピックが開催され、インターネットが普及する間に、日本人の価値観・人生観はその生活の様相とともに大きく動いてきたように思われる。そこで、戦前の人々の価値観は、現在を生きる我々から見ていかに違うのかを研究する。 本記事では西塩田時報第百八十二號第五頁を取り上げて述べる。 「幹部修養講習會に出席して」という項目は、「原田晴章」なる人物が、「三好武治」なる人物の講演の一端を書くというもの。講演の内容は、主に支那事変(日中戦争の、当時の日本での呼び名の一つ)についてのものである。 「日本で今度の事變での勝利は精神力である」 「支那事變は世界に類の無立派なる所の正しき戰争である」 このような記述がある。やはり根拠のない精神論や戦争を美化する意
2023-01-26
2
ゼミ発表資料
参照 Vol113■とく☆とく信州 塩田平のため池群 | 楽園信州 https://blog.nagano-ken.jp/magazine/various/622.html
2023-01-27
3
別所温泉の魅力を塩田平活性化に活かす
別所温泉には落ち着くカフェ、きれいな景色など様々な魅力があります。 ただ道が狭く、坂も多いため、観光が大変という面もあります。 そこで超小型車の活用やガイドの方を募り、車で移動しながら、そしてガイドの方の説明を聞きながら、別所温泉を観光するというのも良いのではないでしょうか?
2023-01-26
4
塩田平のため池
上田は雨が少なく、その中でも特に塩田には大きな河川が通っていないため水不足になりやすい。しかし米作りをするためには水がたくさん必要である。そこで塩田平には江戸時代を中心に多くのため池が作られた。それぞれの池に個性的な名前が付けられているので、散歩がてら観察してみるのも面白い。
2023-01-26
5
塩田から見る
私は信州上田学の授業を通じて、塩田の地域の発展に必要なことを自分なりに考えました。
2023-01-26
6
桑皮生産増強に就て(『西塩田村公報』第5号2項)
桑皮生産の増強についての記事である。上田は桑栽培の適作地であったことから桑が多く栽培されていた。 蚕の餌として生産していたと考えていたが、戦時中は繊維資源としても生産していたようである。 また、「東亜共栄圏」という言葉が多く使われている。 日本政府がスローガンとして使っていただけでなく、日常でも「東亜共栄圏」という言葉が使われていたことが分かる。 ▼この記事は以下から参照できます。
#928 『西塩田村公報』第5号(1942年5月22日)2頁
2023-01-25
7
別所神社本殿
別所神社本殿は、別所温泉の北方、常楽寺に隣接し、塩田平をはじめ遠く浅間連峰が望める小高い丘の上にあります。 https://museum.umic.jp/bunkazai/document/dot14.htmlより引用
2023-01-25
8
岳の幟
塩田平の西辺に位置する別所温泉地区には、「岳の幟」と呼ぶ雨乞〔あまご〕いの祭りが伝わっています。この塩田地方は昔から水不足で大変悩まされてきた所で、灌漑〔かんがい〕用の溜〔ため〕池も多く造られ、雨乞い行事もいろいろ行われてきました。 ー中略ー 祭日は例年七月十五日(近年その日に近い日曜に変更)として、別所の上手〔わで〕・院内〔いんない〕・大湯〔おおゆ〕それに昭和四十九年大湯から独立した分去の四地区で、輪番〔りんばん〕に幟の役に当ります。夜明前に、上部に笹のついた竹竿と巻いた布を担いで夫神岳に登り、日の出と共に九頭竜神の石祠に布と神酒を供え、郷中の安全と五穀豊饒〔ごこくほうじょう〕を祈ります。 ー中略ー 支度を整えて日影公民館に待機をしていた三頭獅子とささら踊りの一行がそれに加わり
2023-01-25
9
別所温泉 解説
塩田平を囲む山なみの西方にそびえる夫神(おがみ)岳のふもとに、この地方の古い歴史とともに、絶えまなく湧き続けて来たのが別所の温泉である。この自然の出湯と人とのかかわりは、夫神岳の麓から古代の布目瓦が多数発掘されたことによっても、その古さが想像される。 国造や国府の所在していた古代から、庶民の安息療養の場所であり、また温泉の効能と医薬信仰が、やがて仏教の霊場としての北向観音堂となったであろう。 別所の温泉は昔から”七久里(ななくり)の湯”と呼ばれたといわれ、平安時代の有名な和歌集にもその名をとどめている。 鎌倉時代には北条氏の居館塩田城にも近いので北条一族の好んで来湯することも多かったと想像される。国宝八角三重塔のある名刹安楽禅寺は北条氏の開基によるところから、別所という地名は
2023-01-25
10
大東亜戦争完遂映画会(『西塩田村公報』第5号4項)
農村でも映画会を開き、戦果を伝え、国民の団結力と忠誠心を強めていたと考えると、いかにマスメディアが戦争に利用されていたかが分かる。 上映されていたものはおそらく大本営の戦果発表だと思われる。そのアーカイブはNHKの戦争証言アーカイブス、戦時録音資料で参照できる。 この記事が書かれた当時(1942年5月22日)は、日本軍が優勢であったとされる。アジア・太平洋戦争の転換期であるミッドウェー海戦はこの新聞が発行されて約2週間後に起こる。 NHK「戦争証言アーカイブ 戦時記録資料 勝利の記録」
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/sp/list.cgi?cat=kiroku
2023年1月25日閲覧 ▼この記事は以下から参照できます。
#930 『西塩田村公
2023-01-25
11
塩田平の魅力の発信
塩田平のちにはため池が点在しており、塩田平の駅を降りるとため池が広がっています。もともとこの土地は塩田3万石といわれる上田藩の穀倉地帯だったのにも関わらず、恵みの雨が少ない地域でした。そのため、古くから人々にとってため池は、支えになっていたのです。そして、この塩田平には長い歴史があります。歴史があるということは、人が生きた物語があるということです。私は、こういったものを上田の地元の人はもちろん、観光客の方にも伝え発信していきたいと考えました。 こういった、地方の魅力を磨き上げ発信していくためには、まず若者の力は必要です。しかし、現在、地方の若者の人口は年々減少し、若者はみんな都心に流出していしまっています。その原因には、地方の地元の魅力をあまり理解できてなく、利便性だけが追
2023-01-23
12
上田の魅力と活性化
単元3を通して、塩田平地域は「信州の鎌倉」と呼ばれ、多くの寺院や文化財、ため池など様々な魅力があることが分かった。しかし、活性化を考えたときに、オシャレや写真映えなどに興味がある若者からすると、現在の塩田平にあまり興味が湧かないと感じた。 そこで、ため池を活用した花火を打ち上げやイルミネーション、夜桜や紅葉をライトアップすることで若者を呼び込めると考えた。広いため池では、スワンボートのような足漕ぎボートを設置することで、若者だけでなく親子も楽しめると考える。 また、生島足島神社で祭りを開催したり、マルシェのようなものを開いたりすることで、老若男女問わず楽しめる場所になると考えた。マルシェでは地域の特産品などの宣伝を行うことも可能である。 以前、「信州上田レイライン線」
2023-01-23
13
釜めし
大学前駅から別所温泉方面に2駅進んだ中塩田駅のすぐ近くにある、小料理屋 禅美庵で食べた釜めし。1000円代前半と学生にも優しい値段でとてもおいしいのでおすすめしたい。
2023-01-23
14
鉄道施設としての別所線
写真の通りに別所温泉駅では、日本遺産の別所線の鉄道施設としての説明看板が立てられています。 上田から別所温泉までの路線は大正10年(1921年)に開通したと書かれています。 また、真っ赤な鉄橋である千曲川橋梁(きょうりょう)は224メートルの長さであったそうです。 中塩田駅や別所温泉駅など駅舎に近代の趣が残っている様子が見る事が出来ます。
2023-01-22
15
前川ゼミ まとめ
課題の提起 大学に進学するにあたり塩田平のアパートを借りた。半年ほど生活してみて上田市の中心地や海野町商店街と比べてあまり生活しやすいとは言えなかったため。 なぜそうなのか 田んぼやため池が多いため土地が確保できないので生活に必要な施設などの距離が遠い。 探求の目標 どのようにすればもっと住みやすい街にできるのかを見つける 「塩田平を住みやすい街に」 塩田平は上田駅周辺と比べて非常に住みにくく感じた。スーパーなども遠く24時間営業ではないし、スポーツ用品店などもアリオまだ行かないとない。それなのに電車の本数も少なくバスもないためどこに行くにしても車が必要となってくる。そのためまだ免許や車を持っていない人や免許を返納したお年寄りなどにとっては非常に生活しずらくなっていると思
2023-01-19
16
スマートな時報サイレン(『西塩田公報』第71号(1953年8月5日)2頁)
この記事はスマートな時報サイレンを紹介した記事です。役場屋上に取り付けたということでしたが、埋め込み式なのはとてもシュールだと感じました。サイレンといえば浮いているイメージでしたから、当時では画期的なサイレンだったのでしょうか。しかし、サイレンの音が建物に共鳴して役場に影響は無かったのでしょうか。それだけが気になります。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1210 『西塩田公報』第71号(1953年8月5日)2頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1210.jpg
2023-01-16
17
バス時間表(『西塩田公報』第56号(1951年12月5日)4頁)
この記事は、古文書を探るという記事の中になぜかバスの時刻表が載っている記事です。何の脈絡もなく時刻表が出てきているところと、運賃は果たしてかかるのだろうかという疑問も湧き出てきます。バスもイラストではなく写真を利用しているところに編集者のセンスが垣間見えます。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1160 『西塩田公報』第56号(1951年12月5日)4頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1160.jpg
2023-01-16
18
上田市マルチメディア情報センター
上田市マルチメディア情報センターは、長野大学の少し上に位置している、情報化を総合的に支援する環境が整っている施設である。 ●施設・概要 学生は無料で使用できる学習スペース、3Dプリンターがあり、アニメや映画などを250作品以上見ることができるPCが置かれていた。また子供や大人も活用できる学習空間がある。 他には教育支援や無線LAN有線LANの管理など地域にも貢献している施設である ●上田資料映像鑑賞 上田市の50年前の資料映像を見させていただいた。 そこでの貴重な映像を紹介する。 ●「上田つむぎ」信越放送 1964年1月16日放送/上田紬/私たちの周辺 人手を要する養蚕は機械化をする必要はあるが、あまりにも機械化をしてしまうと伝統が欠如してしまう可能性があるとのこと。 手織りのものは個人に合わせて作
2023-01-12
19
2023元日の上田
2023年の元日は晴天に恵まれ、塩田平にある生島足島神社へ初詣に出かけました。いつも見慣れている風景ながら、「上田とはどんなところか?」、改めて眺め直してみました。 上田からは烏帽子岳が最もよく見えます。何よりも烏帽子状の山容が美しい。 次に美ヶ原、深田久弥が「日本百名山」に選んだ山の一つ。山の頂は起伏が極めて少なく平坦に長く続き、これが一つの山とは認知しがたいぐらいに「控えめ」な佇まいをしています。地元の人は美ヶ原とは呼ばず「うつくし」と呼びます。山頂はほぼ平坦ながらわずかばかり高く見える山頂にテレビ塔がいくつも立ち並んでいます。美ヶ原はこのテレビ塔の存在がアクセントとなり不思議に美しい。 小牧山は地元の人々もそれが何山かを意識することなく存在している超低山です。この地点は地
2023-01-03
20
女の多い話(『西塩田時報』第7号(大正13年7月1日)4頁)
【女の多い話】 小学校において、男児よりも女児の方が多いとする統計データについて、「飛鳥生」なる人物が私見を述べるという項目。一般に男性と女性の人口比は105:100と言われている。飛鳥は先述の統計を「面白い研究材料」と述べていたが、私も甚だそう思う。飛鳥はこれについて、女性の労働が少ないことが原因であると冗談交じりに述べていた。 【雑草】 「名のある人によって成し遂げられた事ばかりが尊い事ではない」という書き出しが目を引いた。功績をあげた人がどんなに名のある人かよりも、功績そのものがいかに素晴らしいかを評価すべきであるというのは、私の人生観に一致する。価値観というのは時代と共に変わっていくものと思っていたが、共にする場合もあるものだと感じた。
2022-12-28
21
川西野球排球大会
今でもこれほどな大差がつくのは野球でも珍しいため面白かった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1180 『西塩田公報』第60号(1952年9月5日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1180.jpg
2022-12-27
22
子供はしつけ第一 服従の習慣から――(『西塩田時報』(1930)第81号(昭和5年8月1日)3頁)
子どものしつけについて書かれた記事です。子どもが言うことを聞くのは親が習慣をつけているかどうかだと、子どもの心のあり方を述べながら説明しています。 ▼この記事は以下から参照できます。 #349 『西塩田時報』第81号(1930年8月1日)3頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0349.jpg
2022-12-26
23
体力検査成績発表!!(『西塩田時報』第187号(1925年6月1日)1頁)
学校のカリキュラム上の新体力テストのようなものだと思いましたが、地域の青年団員の成績結果でした。一番上に百米(100m)の結果が広報されているのですが、12秒台の方が先頭にいらっしゃいます。現在においてもかなりの記録です。靴や走り方を学べばもっと良い記録を狙えると思います。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第187号(1925年6月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns11_181to204.pdf
2022-12-26
24
健康第一
いつの時代も健康って大事だよなあと考えさせられたこの記事が好き。 『西塩田時報』第16号(1925年3月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0074.jpg
2022-12-26
25
生活雑記(『西塩田時報』(1954)第82号(昭和7月3日)3頁)
日常の様子が描かれた雑記です。朝からご飯をつくり、主人を送り出し、洗濯をして…とせわしなく家事や畑仕事をこなす女性の姿が描かれています。 新聞をゆっくり読む暇もない様子の女性から、ひとときと書いたのはなぜかなと考えてしまいます。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1255 『西塩田公報』第82号(1954年7月5日)3頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1255.jpg
2022-12-26
26
農事メモ(『西塩田広報』第80号)
当時の気候変動に農家はどのように対応すればよいかが描かれていた。 #1246『西塩田広報』第80号 2ページ
2022-12-26
27
支部通信「浅間山行」
浅間山登るのがしんどいというのが伝わってきて面白いと感じた。そして、今よりは道も整備されてなかったのではないかなどと想像が膨らんで、見ていて面白いと感じた。 『西塩田時報』第9号(1924年9月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0047.jpg
2022-12-26
28
秋冬の短歌と俳句(『西塩田時報』第32号(1949年11月20日)2頁)
数多くの短歌や俳句がある中で、房子さんの「雨晴れや夕日に映える紅葉山」が風景・情景が頭の中で想像できて、素敵だったため、選びました。 皆さんはどの短歌や俳句がお好きですか? ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第32号(1949年11月20日)2頁
https://https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns15_post021to040.pdf
2022-12-26
29
禁酒
飲酒のデメリットが延々と綴られており、ユーモア溢れる記事だった。非常に文章のリズムが良いため、声に出して読んでみることをオススメする。 これを読めば「禁酒してみようかな」と思えるかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #75 『西塩田公報』第1号(1923年7月1日)4頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0004.jpg
2022-12-26
30
家庭メモ(『西塩田広報』第77号)
料理や衛生管理に必要なものについて今では様々な便利なものが普及し、それを買えばよいが当時はそういったものがなかったので身近にあるもので工夫されてきたことが記されている。 ♯1230 「西塩田広報」(昭和29年)4ページ
2022-12-26
31
昭和27年(1952)の殺人事件(『西塩田時報』第73号)
西塩田広報第73号より 加害者の住所が朝鮮でしたので、てっきり異邦人の犯罪かと思いましたら、当時の朝鮮のこの地区は日本領土でした。強盗内容も千円とありますが、当時の相場としては約5倍ほどだそうです。(間違っていたらすみません)時代背景がわかる記事ですので取り上げさせていただきました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第73号(1952年7月3日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns17_post061to080.pdf
2022-12-26
32
食べる楽しみ食べる工風(『西塩田時報』第22号(1949年1月25日)3頁)
お正月の雰囲気がこの記事から感じられるので、お気に入りです! ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第22号(1949年1月25日)3頁
https://https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns15_post021to040.pdf
2022-12-26
33
女子の意見の出ない訳(『西塩田時報』第6号(1947年6月20日)4頁)
男女同権の思想がちょうど広まった時代、女性の意見が少ないことが、当時の男性はどう思っていたのかが分かるお記事です。一理あると思える意見もあれば、それは筋違いだろうと思ってしまう意見もありおもしろいと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第6号(1947年6月20日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns14_post001to020.pdf
2022-12-26
34
農村のテトメよ
男尊女卑が激しく当時は束縛が多かった女性だが農業をすることには何の束縛はないという当時の風習が分かるという部分が興味深く面白いです。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0364.jpg
2022-12-26
35
標語(『西塩田時報』第28号(1926年3月1日)3頁)
今から約100年前の時代の標語です。 緩い現代を生きている身からすると、少し厳しく感じました。 ▼この記事は以下から参照できます。時報』第28号(1926年3月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.pdf
2022-12-26
36
成人式行事(『西塩田時報』第100号、1956年)
私は今年度成人式を行いますが、こんなに昔から成人式があったことに驚きました。しかし、式の内容はいまと全く違う内容であったので非常に興味深かったです。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1327 『西塩田公報』第100号(1956年1月1日)1頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1327.jpg
2022-12-26
37
農業議員選挙(『西塩田時報』第82号、1954年)
昔は農業議員選挙というものがあったことに驚きました。さらに今では選挙はCMやチラシなどで目にすることが多いですが、かつては時報でそれを伝えていたことにも驚きました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1254 『西塩田公報』第82号(1954年7月5日)2頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1254.jpg
2022-12-26
38
運動のシーズン!(『西塩田時報』第70号(昭和4年9月1日)3頁)
運動促進を喚起する内容の記事である。まず「ゴム底足袋」というワードのインパクトがすごかった。また百年程度で足袋からいまの靴に進化していることにも驚いた。現在の新聞にあるような小さな広告だが面白さを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #305『西塩田時報』第70号(1929年9月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0305.jpg
2022-12-26
39
お盆用必需品は自分の店で!(『西塩田時報』第69号(昭和4年8月1日)3頁)
お盆に必要なものは組合でそろえてくださいという内容の広告の記事だが、現在のCMを文面にしたらこうなるのかなと想像もできて面白い。また、「組合」「配給」も当時の様子を想像できて興味深かった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #301『西塩田時報』第69号(1929年8月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0301.jpg
2022-12-26
40
いゝ本を読みたい
「いゝ本を読みたい」という極めて世俗的なタイトルに惹かれた。何かに触れて心が動かされるという行為は、今も昔も変わらないということを実感できた。昔の人というのは遠い存在に感じがちだが、この記事を読んで近くに感じることができた。 「そして自分の頭の悪いのが何より悲しみの深い一つだ」という最後の一文が特に共感できる部分である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #75 『西塩田公報』第17号(1925年4月1日)1頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0075.jpg
2022-12-26
41
給桑上の注意
当時の蚕への給桑について書かれていました。 桑の状況や蚕の状況、気温などに考慮して与えていたのかが分かります。 蚕の食欲に普通期、此連食期、間食期、休食期があるのがとても興味深かったです。 この記事は以下から参照できます。 「西塩田時報」第142号(1935年9月1日)4貢
2022-12-26
42
さばとにしんの調理法
西塩田時報には、「家庭メモ(家庭欄)」というコーナーがあり、ここでは家庭の豆知識を読むことができます。 昭和24年と古い記事なのですが旬の魚のレシピとしてサバとニシンが紹介されていました。 ぜひ皆さんも作ってみてはいかがでしょうか? この記事は以下より読めます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns16_post041to060.pdf
2022-12-26
43
小学校だより 『西塩田時報』第19号(1925年6月1日)3頁
当時の西塩田小学校生徒の身体測定の結果が載せられた記事。「身体測定の結果が公にされる」こと事態が現代では考えられないことですが、結果についての講評から軍隊としての戦力をほのめかす様な印象を受け、時代の違いを感じられる記事でした。 ▼この記事は以下から参照できます #85
『西塩田時報』第19号(1925年6月1日)3頁
2022-12-26
44
家庭パンの作り方 『西塩田時報』第138号(1935年5月1日)3頁
一般家庭向けの食パン、菓子パン用のフルーツジャムやクリームのレシピが掲載されている記事です。小麦粉、砂糖などの単位がグラムだけでなく匁(もんめ)でも書かれていたり、文体が現在と異なっている点に興味を惹かれました。一番気になったのは材料についてで、「家庭パンの作り方」とありますが、当時の一般家庭でバター等はどれぐらい貴重だったのか等想像が広がる記事でした。 ▼この記事は以下から参照できます。 #615
『西塩田時報』第138号(1935年5月1日)3頁
2022-12-26
45
文芸・雑煮(『西塩田時報』第12号(1948年1月30日)4頁)
文芸のコーナーに掲載された小説。戦後の雰囲気を感じさせる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1006『西塩田時報』第12号(1948年1月30日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1006.jpg
2022-12-26
46
偶言(『西塩田時報』第124号(1934年3月1日)4頁)
悪意はないのに人との用事を先送りにしてしまう悪習を改めるべきだという記事。 現代にも通ずるこの習慣は戦前にもあったのかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #552『西塩田時報』第124号(1934年3月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0552.jpg
2022-12-26
47
乳児の育て方
現代ではネットや書籍など様々な情報ツールが存在し、分からなければそれらを頼れば大抵は解決できます。しかし、過去戦前の世ではそのような対応をとれない中、本記事のように時報の中で情報の提供が行われていたようです!今回はその中で目に付いた「乳児の育て方」といった内容の記事を取り上げてみました。 想像以上に詳しく説明がなされていて驚きました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1168 『西塩田公報』 第31号(1926年6月日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.pdf
2022-12-26
48
睡眠について
現代、理想的な睡眠についてはいろいろな研究や見解をもとに様々な意見が展開されています。そんな中、過去戦前の世の中では一体どういった睡眠サイクルが良いものとされていたのか本記事ではそう言った内容を知ることができます。 戦前の世の中だからこその違った視点などで論じられている部分もあり、なかなかに興味深かったです... ▼この記事は以下から参照できます。 #1168 『西塩田公報』 第29号(1926年4月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.pdf
2022-12-26
49
主食類盗難予防に就て(『西塩田時報』[戦後]第30号 1949年9月20日)
この時代でもまだお米は貴重なものであったことが分かった。盗んでいくものがお金ではなく、お米を盗んでいる所が今の時代には全く見当がつかないところで面白さを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1063 『西塩田時報[戦後]』第30号(1949年9月20日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1063.jpg
2022-12-26
50
なぜ金を政府へ(『西塩田時報』第188号 1939年7月1日)
金を納めさせる理由として日本で使われている「お札」では海外との取引が出来ないということが書かれている。 当時はそれを理解していなかった人も多かったのかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #843 『西塩田時報』第189号(1939年8月1日)1頁 (恐らく表記ミスで189号になっているが正しくは188号)
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0843.jpg
2022-12-26
51
故郷から兵たいさんへ(『西塩田時報』第176号 1938年7月12日)
兵隊さんが安心して戦えるように故郷から幼い子供がメッセージを送っている。 漢字とひらがなが織り交じっており、どこか心にグッとくるものがあった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #784 『西塩田時報』第176号(1938年7月12日)2頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0784.jpg
2022-12-26
52
学校だより
学校生徒の身長体重について、全国と比較したデータなどが載っている。 現代では、生徒の発育状況について詳しく記事になることは考えられないが、当時は身長や体重も重視されていたのだと思った。 ▼この記事は以下から参照できます。 西塩田時報 第一号(大正12年7月1日発行 3ページ)
2022-12-26
53
歳入出予算表
村のお金がどのような用途に使われていたのかが細かく書かれている。 伝染病の予防費や学費ものっていて、金銭の状況から当時の村の様子が想像できて新鮮だと思った。 ▼この記事は以下から参照できます。 西塩田時報 第一号(大正12年7月1日 2ページ)
2022-12-26
54
法律の施行内容、詳細に関する説明。
今回、私が紹介させてもらう記事は恩給法についての説明の箇所です。 当時、戦後による急速な時代の変化により法律改正があった際は一般国民にしらせるべく、あらゆるメディアを活用してその法律制度について説明がなされていたようです。昨今、法律改正が行われることがありますが細かい説明、項目までしっかり掲載されることは少なくなったと感じる点があります。私はこの当時の掲載の仕方が非常に効果的であると思ったので、現代にも反映させるべき点であると考えます。 (参考文献:西塩田広報第七六号 46頁)
2022-12-26
55
パトロールカー
西塩田村にパトカーが導入された際の記事を見つけました。今とは違ってパトカーと略さずに「パトロールカー」と呼ばれていることが新鮮に感じました。また、形状も現代のパトカーとかけ離れていて驚きました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1196『西塩田公報』 第67号(1953年4月5日)2頁
2022-12-25
56
野菜のゆでかた
野菜をゆでる際のコツが書かれた記事を見つけました。料理が下手な自分にとっては、結構参考になりました。あと、右上にミッキーマウス(?)が描かれているのが気になりました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1168 『西塩田公報』 第57号(1952年4月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns16_post041to060.pdf
2022-12-25
57
夢を読む
時代背景が伺える言葉選びと病弱な青年が活字によって人々の夢について語る部分がとても興味深かった。
2022-12-25
58
K君の日記
弟妹のけんかしている描写から始まるK君の日記。何気ない日常の中に現在の弟妹の姿から昔の自信を連想し懐かしんだりしているところに面白みを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1183『西塩田公報』第62号(1952年11月5日)3頁
2022-12-25
59
みんな輪になれ
この曲が発売されたのは昭和16年8月とされている。当時の踊りと言えば盆踊りが主流とされていたが軍歌に振り付けを付けて子供たちに教えていた人たちがいたそうだ。まさに軍国世界の音頭である。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田村公報』第7号(1943年3月30日)6頁
2022-12-25
60
お嬢様試験の問題集ーアナタは如何?ー(『西塩田時報』第31号(1949年10月20日)4頁)
10個の質問で自分がどのくらいのお嬢様かどうかを知ることが出来る記事。古い記事や堅い内容の記事が西塩田時報の中で非常にカジュアルな内容で目に留まった。お嬢様とはこうあるべきという心持を学ぶことが出来る。現代にも通じる内容などもあり、興味深いものだった。
2022-12-25
61
君たちは幸福だ
人の妻と心中したA氏と彼の後を追った若者達について書かれている。A氏を崇拝した若者達への皮肉がこもっている。 ▼この記事は以下から参照できます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0008.jpg
2022-12-25
62
青年の聲 【『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁】
太平洋戦争が終結した際の日本国内の様子が書かれている。自分にとっては教科書的な内容であった国民主権や思想良心の自由への移行への国内の動向を知ることが出来た。今では当たり前にあるような考え方も当時は反発もあったようだ。現代とギャップが非常に興味深いものだった。
2022-12-25
63
学力試験問題
試験問題 当時の時勢が試験問題に現れている。 ▼この記事は以下から参照できます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0001.jpg
2022-12-25
64
暦の話『西塩田時報』第92号(1931年7月1日)1頁)
学者たちは、現在の暦はよく出来ているが不都合な点も多いため、もっと合理的で便利な暦を作ろうと長年研究していた。その結果、一年が13ヶ月からなる暦が作られ、それが国際会議に提案され採択されそうになっている。この機会に、暦の編み方、暦の歴史などについて書いてみるという内容の記事です。 まず1年が13ヶ月の暦が開発され採択されそうになっていた事実に驚きました。また、筆者は6ヶ月に渡り太陽や月、その他惑星について詳しく解説しており、この記事を読むだけで科学について学べそうだと感じました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #397『西塩田時報』第92号(1931年7月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0397.jpg
2022-12-25
65
壮丁学力検査問題(『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁)
明治時代、徴兵制度に基づいて満20歳の青年全員に行われた「壮丁検査学力試験」の問題が載っていました。壮丁検査とは、徴兵検査受検義務者を壮丁と称し、教育や学力の程度を測るための調査です。 「人の本分は何か」という問いや、「我等の進むべき道」という題の作文がありました。また、書取では「議会協賛」や「心身鍛錬」などが出題されていました。問題から、戦争が身近にあり、求められているのは化学的な知識や学力ではなく、愛国心や天皇や国策に関する理解だったことが読み取れました。 この記事は以下から参照できます。 #1『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0001.jpg
2022-12-25
66
部落ニュース
この記事は西塩田時報の中で2番目に興味深いと思った記事である。これをなぜ選んだか、それは今ではあまり良い印象で使われない用語とされている「部落」という言葉が日常で使われていたということをしっかりと確認出来る生地だからである。 時代の移り変わりをしっかりと認識させる、そんな1枚であるなと思い昔のことに思いをはせながら読める記事である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #567 『西塩田時報』第128号(1934年7月1日)3頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0567.jpg
2022-12-25
67
イスカの嘴
私が西塩田時報の中で一番面白いと思ったものは「イスカの嘴」というタイトルの上田劇場で披露する予定の物語 今では使われないような「お役人」という言い回しもさることながら、文末が「エへヽヽヽヽ」で終わっているところにとても惹かれた。 村長にお願いする文言が書かれていたりしており、文末の「エへヽヽヽヽ」があることにより、下の立場のものらしい小物感がとても醸し出されていて読んでて面白い文章であった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #5 『西塩田公報』第号(1923年9月1日)1頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0005.jpg
2022-12-25
68
不況に對する意見表示(『西塩田時報』第82号(1930年9月1日)1頁)
この時代の景気や社会情勢が顕著に示されていてこの文だけで不況であったことが読み取れる部分が面白いと思った。 農民は節約をせざるを得ない状況にあり、生活が非常に苦しい状況であったことがわかった。また、この状況に対して消費節約、生活改善を促す内容ばかりであり、政治的な対応はされていなかったということも読み取れた。
2022-12-24
69
青年期の問題に就て(『西塩田時報』第65号(1929年4月1日)2頁)
青年期の問題について記載されており、その内容の中でも結婚年齢が徐々に遅れているという内容が現代と通じていて面白いと思った。この頃から「青年」や「壮年」が何歳からと規定されていたことを知り、驚いた。昔は15~25歳を青年と呼んでいたが、時が経つにつれ年齢が変化しているということを知った。 ▼この記事は以下から参照できます。 #284『西塩田時報』第65号(1929年4月1日)2頁
2022-12-24
70
お嬢様試験の問題集ーアナタは如何?ー(『西塩田時報』第31号(1949年10月20日)4頁)
「お嬢様なら○○であるでしょうね」と書かれた10個の問題があり、自分はどのくらいお嬢様であるか知ることができる記事だ。 男の友達を持っている、化粧が上手、花嫁修業のお稽古に忙しい等がお嬢様の条件とあり、偏見のことばかりが書かれているように思えるが、自分に当てはめて考えてみると面白いと思うので、是非ご覧いただきたい。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1068『西塩田時報』第31号(1949年10月20日)4頁
2022-12-23
71
女性の心理(『西塩田時報』第3号(1946年10月20日)3頁)
女性は感情性が強く、その感情が女性の心情を支配するものだと記されている。 同年4月に、女性に参政権が与えられた。「女性として、最も大切なことは慈愛心であり、柔順にして判断力が強く、徒に感情に走らず、事に嘗つては堪え忍ぶ底力の強いのが日本女性の美点とする處である。」という文章が、男女平等、女性を下に見ないために書かれた記事なのかと推測できる。 ▼この記事は以下から参照できます #961「西塩田時報」第3号(1946年10月20日)3頁
2022-12-23
72
シベリアの想いで(『西塩田時報[戦後]』第24号3頁)
ロシアの捕虜として満洲からシベリアに送られた人が書いた記事である。 シベリア送りになった捕虜は辛い目にあったんだろうなと悲惨な状況を想像して読んだが、想像していたものとは違い心温まる話だった。捕虜になった人々の悲惨な話はよくニュース等で聞くが、この記事のような温かい話は聞いたことも読んだこともなかったので新鮮だった。 ▼この記事は以下から参照できます。
#1043 『西塩田時報[戦後]』第24号(1949年3月25日)3頁
2022-12-23
73
米の節約!勝利の一歩(『西塩田時報』第198号1項)
日中戦争時、東京などの都市だけでなく、地方でも節米運動が行なわれていたことが分かる記事である。白米ではなく、麺類や七分づき米、雑穀米を代用として食べるように書かれている。戦時中、栄養不足にならないために栄養豊富である雑穀米などを食べていたのだと考えていたが、日本の物資不足も要因の一つであったことが分かった。 また、「勝利への第一歩」という言葉から、国民の戦争意欲を高めようとしていることがうかがえる。戦時中という時代背景を強く実感できる記事のタイトルだと感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。
#879 『西塩田時報』第198号(1940年5月1日)1頁
2022-12-23
74
歴史的事象が想像されて来る。アイヌ式土器(『西塩田時報』第7号(1924年7月1日)1頁)
上田とアイヌに古代の繋がりがあるとは思わなかったので、西塩田時報に「アイヌ」という言葉が出てくるだけで驚きだった。しかも、上田地域からアイヌ式土器が発掘されているというのだから、更に驚いた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #37
『西塩田時報』第7号(1924年7月1日)1頁
2022-12-22
75
お願ひ(『西塩田時報』第4号(1924年1月1日)4頁)
個人的な忘れ物についてのお願いが、公的な発行物に平然と載っている様が面白いと感じた。 現代にはおそらく見られないような記事だと思う。 ▼この記事は以下から参照できます。 #18
『西塩田時報』第4号(1924年1月1日)4頁
2022-12-22
76
引揚者を暖かい気持ちをもって迎えましょう
過酷な環境から帰ってくる引揚者の人々に冷たい態度をとらず暖かく迎えましょうと呼びかける内容です。 第二次世界大戦が終わった後の記事で海外にとどまることを強いられた人々への思いやりや終戦後の日本の一体感が読み取れる記事です。 #965 『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0965.jpg
2022-12-21
77
火の用心
他の災害と比較して火事は我々の意識で防ぐことができあるという内容をユーモアを交えて訴えかけた記事です。 地震雷火事親父という今でも耳にする言葉を用いられていて、当時から親父の部分に疑問を持つような書き方がされていて、そのうえ火事への注意喚起は真面目に訴えかけている点が面白いと感じました。 #957 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0957.jpg
2022-12-21
78
青年の聲 【『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁】
これは当時の太平洋戦争が終わりポツダム宣言を受諾した日本の意見が良く分かる記事です。おそらくこの記事のようにポツダム宣言に賛成した派と否定派で激しく争ったように感じ取れます。そのような昔の雰囲気を感じ取れる記事として面白く思えました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #985 『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg
2022-12-21
79
火の用心 【『西塩田青年団報(戦後)』第2号(1946年9月20日)3頁】
この記事は当時はかなりの災害だった火災に対する恐ろしさとその対策について書かれている記事です。しかし単なる災害防止の記事だけでなく読みやすいようユーモアがある筆者の独白なども書かれていて面白いです。 ▼ この記事は以下から参照できます。 #957 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)3頁
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg
2022-12-21
80
家庭心得帖(『西塩田時報』第60号(1952年9月5日第2頁))
料理や洗濯、予定の立て方など、生活がプラスになる情報が掲載されています。 主婦の知恵などが新聞に載っているのは読んでいても面白く、実際に使える知識なのでためになると思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1180 『西塩田公報』第60号(1952年9月5日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1180.jpg
2022-12-21
81
幼女児おかっぱすすめ(『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁)
学校便りのようなものに、運動するときや勉強するときに邪魔にならないために髪型をおかっぱにすることを進めている記事がありました。 昔の女の子はおかっぱのイメージがありますが、こんな理由でおかっぱの子が多かったのかなと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0364.jpg
2022-12-21
82
グリーンパーク
上田の塩田にあるグリーンパークのミスタードーナツに行ってきました。大学前らへんからちょっと距離はあるけれど栄えているし、みんなの憩いの場に使われています。
2022-12-05
83
ため池で日向ぼっこ
塩田平に沢山あるため池。長野大学でもたびたび講義に登場する。そのうちの舌喰池は周りに緑がたくさんある。 夏の晴れた日はここが絶好の日向ぼっこスポットになるのだ。全身に自然を感じながら、ゆったりとした時間を過ごしてみてはどうだろうか。
2022-12-04
84
上田の松茸
上田市内にはアカマツ林が多く、松茸の産地として知られています。 特に上田市の南西に位置する塩田平一帯は松茸の有名な産地で、9月中旬から11月初旬までは山の中腹に十数件の「松茸小屋」が営業します。
2022-11-30
85
観光地としての塩田地域
無言館のそばにある山王山公園にあった看板。 私は今回初めて塩田地域を歩いてみたが、かなり多くの標識や看板があり、道順を調べずとも観光施設などの目的地まで容易に向かうことができた。看板は方向と距離のみがわかるようなシンプルなものだが、英語の表記やイラストもあって外国人観光客にも配慮がなされていた。このような看板の設置は、塩田平が日本遺産に指定されたことで外国人観光客の増加が予想されるためと考えられる。 塩田地域は観光資源や遺産、文化芸術施設が多く存在するが、それらは目立たない場所にあったりそれぞれの距離が遠かったりして、個人で車を利用せずに巡るには少し不便だった。だがこのような観光客向けの看板の設置は、塩田平を初めて訪れた私のような人の不安を解消させてくれる良い存在であり
2022-11-30
86
檻の俳句館
前山寺まで向かう途中の道にあった俳句を展示するギャラリー「檻の俳句館」。 訪れた日は閉まっていて、建物には蜘蛛の巣が張っていて開放している日があるようには見えなかった。気になったため、向かい側にある上田紬を取り扱う「藤本」というお店で話を伺ったところ、店員の方も俳句館が開いているところはしばらく見ていないらしい。 古い古民家を利用したようなこじんまりとした建物だが、窓からのぞいてみると俳句数点とそれをイメージしたような美術作品が展示されていて、ぜひいつか中に入って見てみたい。 隣には槐多庵というギャラリーもあったがこちらも開館している様子はなく、うまく活用できていないのが大変残念だった。せっかくこだわりの詰まった興味深い建物なので、無言館や残照館と合わせて塩田地域でよ
2022-11-30
87
前山寺
真言宗のお寺である前山寺。 マツやサクラなどの並木が両側をおおう約150メートルの参道は、昭和54年に上田市文化財保護条例により市指定記念物に指定された。山に向かって参道を進むと、色あせた木でできた風情漂う門が出迎える。門をくぐった先には国の重要文化財に指定されている三重塔がそびえ立ち、戦国時代から伝わる建築美を間近で楽しむことができた。 入山料は一般・大学生200円。
2022-11-30
88
傷ついた画布のドーム
無言館の第二展示館である「傷ついた画布のドーム」「オリーブの読書館」を訪れた。 ドーム型の天井には画学生のデッサンや下絵が380点余り貼られている。入り口前にある庭には沖縄の磨文仁の丘の石が敷き詰められており、作品が展示されている没画学生も戦時中に踏みしめていたのかもしれないと思うと心を締め付けられた。 オリーブの読書館には多くの美術関連書籍が壁一面に並んでいて、日差しが差しむ静かな館内で読書を楽しめる。他にも無言館館長の窪島誠一郎さんの著書も閲覧できた。
2022-11-30
89
無言館
太平洋戦争などで戦死した画学生の遺作や遺品を展示する、戦没画学生慰霊美術館 無言館。 今年の24時間テレビのスペシャルドラマの題材にも取り上げられていたため以前から興味があり、今回初めて訪れることができた。 「自問坂」という大変急な坂道を上った先の、コンクリート造りで静けさに包まれた館内には、画学生が出兵前や戦地にいる間に描いた作品や家族に送った手紙、画材などが展示されている。遺族が語る画学生の人物像や彼らとの思い出とともに作品を眺めることで、彼らが必死に作品に込めた家族や故郷への愛、絵画・彫刻への情熱を受け取れた気がした。
2022-11-30
90
別所線のれいんどりーむ号
別所線の車両についてです。 別所線は側面に丸窓を持つ丸窓電車が走っていたこで知られ、丸窓は路線を象徴する特徴になっています。 平成17年2月には丸窓ラッピング電車の愛称が募集され、全国から250通の応募をもらいました。選考した結果、多くの人に夢を与えながら、ずっと走り続けて欲しいという思いからまるまどりーむ号になり上田駅で命名式が行われました。 現在では、信州上田日本遺産のラッピングがされたれいんどりーむ号も運用されている様子を見ることが出来ます。上田市の日本遺産のデザインとして、塩田平の歴史・文化の一つである雨乞いの儀式にちなんだ、塩田平に進む龍が表現されています。鉄道に親しみが持ちやすい愛称を募集したり、地域にちなんだデザインがされたりしている様子から地域住民に密着した鉄道だ
2022-11-29
91
山菜料理の食べられるお寺
龍光院というお寺に行ってきました。塩田北条氏の菩提寺です。3月から11月の間は予約をすると山菜膳の精進料理を味わえるそうです。参道を上るのは大変ですが落ち着きのあるいいところです。
2022-11-18
92
常楽寺
今紅葉が見頃の常楽寺。天員数学の道場として全国の学問僧が集った。 国の重要文化財に指定されている【石造多宝塔】がある。ふすまには水墨で塩田町の風景画が描かれている!
2022-11-01
93
café スケッチブック
別所温泉駅から10分ほど歩いたところにあるcaféスケッチブックに行きました。 地産地消にこだわった料理を提供しています。この日はハンバーグランチで、塩田米や自家製の野菜を使っていて美味しかったです。
2022-11-01
94
上田市のグルメ
「麵賊 喜三郎 塩田店」 野菜、ニンニク、脂は無料トッピングで増せるみたい。 スープが醤油とんこつ味で美味しい! 量は多めですがなんとか完食できる量ですね。
2022-10-31
95
秋の味覚、松茸小屋
長野県は日本有数の松茸の産地であり、特に上田市の塩田平はアカマツ林が自生し、良質の松茸がとれる名産地である。9月から11月にかけて松茸小屋がオープンし、観光客で賑わう。 私は市坂山荘という松茸小屋を利用した。市坂山荘は駅から少し山を登った場所にあるのだが、別所温泉駅から、バスで送迎してもらえるのがありがたい。 内装はレトロな雰囲気で非日常感がある。 松茸のコース料理は、学生の財布には厳しい値段だが、松茸の土瓶蒸しやすきやきなど、普段食べる機会のない料理をたくさん食べることができて楽しかった。 美味しいが、やはり大人の味だと感じたので、年を取ったときにまた食べに来たい。
2022-10-31
96
生島足島神社
生島足島神社です。古くから塩田平は日本の中心であると考えられ、生島足島神社は日本中央の神社であるとされていたそうです。生島足島神社の最大の特徴はやはり、七年に一度開催される御柱祭です。横浜市には、神社はもちろんありますが御柱祭のように地域全体で作り上げるようなお祭りはほとんどありません。地域の結びつきが強い地方ならではの特徴だと思いました。
2022-10-28
97
塩田城跡
塩田城跡の入り口です。 あじさいの時期はとても綺麗になるそうです。
2022-10-13
98
またいちの塩 【解説編】
帰省前にまたいちの塩に行ったので、 塩の詳しい精製方法を説明。 ファイルの関係で順番はバラバラだが、 「立体式塩田→釜炊き→仕上げ」 の順で写真をみていただけると、塩の作り方がわかりやすい。 今の時代にこんなメンドクサイやり方でよくしてるな といつも思うが このやり方でないといい塩はできないのだろう。 昔の技術ってすごいな。
2022-09-30
99
スマートシティにおける上田市と千曲市の観光型MaaS・温泉MaaSの可能性
1. はじめに この記事は、千曲市戸倉上山田温泉での温泉MaaSの取り組みの調査を行い、その調査をもとに上田市の別所温泉での温泉MaaSの課題と展望を考察していく。そして以上の考察を基に、観光型MaaSや温泉MaaSでの共通した重要となる要因を明らかにする。 2. スマートシティの定義 そもそもスマートシティとは何かである。まずは、スマートシティの定義を整理することからはじめる。スマートシティとは、IoTやAIなどの最先端技術を活用し、エネルギーや交通網などのインフラを効率化することで生活やサービスの質を向上させた、人が住みやすい都市のことである。スマートシティという言葉の定義は、これまでも様々な機関で定義されている が、国土交通省によると「都市の抱える諸課題に対して、ICT 等の新技術を活用しつつ、マネジ メント
2022-08-11
100
塩田平の麦秋
6/19の夕方、塩田平の麦畑の風景が印象的でした。この時刻より1時間ほど前に大雨が降ったらしく、遠くに見える山々も空気遠近法で描いたかのような柔和な見え方をしています。収穫の麦秋ですネ。
2022-06-19
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