蚕種の郷の石垣の多様性

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 蚕種の郷の石垣は、北国街道沿いの家や蔵の土台や道路、神社に続く階段、水路の壁、石碑、太郎山山系麓の段々畑から、それを保守する長く続く石壁等、沢山の遺構として残っています。

 今、温暖化により、草木が生い茂り、コロナ社会で人々も手入れで入ることもほとんど無くなり、奥の方は、中々見えにくくなりました。しかしながら、よく目を凝らしてみてみると、里山の周辺の物は、観察することができます。

 北国街道沿いのものは、江戸時代に遡るとか。加賀の殿様の通る道でしたから、落ちてこないように住民たちは、苦心して労力を注いだ事が伺えます。段々畑のそれは、当時の蚕種を支える大切な桑を作り、運ぶ重要な物でした。
 また、坐摩神社は、その産業の発展を祈願したり、住民の色々な祈願の大切なところでした。明治40年代の相撲の石碑があり、丸い物と四角のものが並んでいます。当時は、相撲が楽しみで、3役が招かれたりして、盛況にお祭りが行われたのでしょうか。道から続く階段は流紋岩でしょうか。緑色です。巾が狭く、当時の人の足の大きさに合わせていたのかとも思いました。石段の左右の石段の種類や大きさ、色にも趣があり、綺麗な物だと感じました。
 
 そんなふうに、現在と当時の共通部分から色々な事を感じながら、見てみるととても面白いですね。
 そしてこれからもこれを伝え、微力でも守っていきたいと思いました。


 

登録日:2022-12-04 投稿者:やまみみ
地区コード上塩尻(塩尻地区)
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    投稿者やまみみ
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    カテゴリ名蚕種の郷
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