蚕種の郷8 養蚕から蚕種製造へ

蚕種の郷8 養蚕から蚕種製造へ

塩尻では、豊臣秀吉の時代、文禄4年(1595年)の千曲川大洪水で壊滅的な被害を受け、水害に強い桑を植え、養蚕が始まったと伝えられています。江戸時代は、米を年貢として取り立てていたので田に他の作物を作ることは禁止されていましたが、しばしば水害に襲われる河原の畑や急な斜面の段々畑に桑を植え、蚕を飼うことは許されていました。中期には、稲作の合間に始めた養蚕の中でも蚕種製造に力を入れるようになり、後期には本場の奥州(東北地方)を追い越し、日本一の蚕種の生産地となりました。写真は、昭和20年ころ養蚕作業の様子(塩尻地区写真集より)です。養蚕は手がかかる仕事が多く、家族総出で作業しました。学校は、「蚕休み」にして子たちも手伝いました。写真は、蚕が作った繭を前に置かれた藁で作った「まぶし」から収穫しているところです。中央と左下の篭の中の白い山が繭です。よい繭ができたのか家族の顔もほころんでいます

登録日:2021-06-25 投稿者:やまさん
地区コード上塩尻(塩尻地区)
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    カテゴリ名蚕種の郷
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