蚕種家滝澤秋曉「司令塔」より①
文学者滝沢秋曉は、明治29年重い脚気を患い、東京での文学活動を切り上げふるさと秋和に帰省した。その後、秋曉は作品を書きながら、家業の蚕種業にも精を出す。明治41年には、その暮らしぶりを「司令塔」という作品で発表した。
「司令塔」(滝澤秋曉著作集)から、当時の蚕種家の生活を抜き出してみた。「司令塔」とは、写真(上田市誌「上田の風土と近代文学」より)の蚕室の中央2階に見える部屋を指していて、次のように書いている。(原文通りでなく、わかり易いように手を入れた)
『2号蚕室の前面に飛び出して、下は蚕室の大玄関、はしごを上ると5畳敷の小座敷がある。東西3面は、ガラスをはめた明かり障子で、広庭を見下ろす。
養蚕中、やれ郡長だ、やれ県の役人だ、視察だなんだかんだとくる来客に、母屋に引き返して応接するのは面倒で、雇人の監督するのも大変なので大抵ここで応接する。
すると来客中だといっても容赦はない。ガラリと障子が開く、
「3号(室)を先に桑をやりましょうか」、
「3号は涼しいから、4号が先だ」
障子が閉まると思うとまたガラリ、
「1号には、もう桑はありませんから、除沙(蚕の糞をきれいにする)をやめて、桑をやりましょうか」
「その方がいいね」、
出て行ったのをまた呼び返して
「5号にも桑がなくなったら、表から二人ほど呼んできて、早くくれるといい」
万事、この調子だ。』
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投稿者 | やまさん |
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