蚕種家滝澤秋曉「司令塔」より②

蚕種家滝澤秋曉「司令塔」より②

 蚕種家としての秋曉の仕事の様子はこう書かれている。

『司令塔へ籠りきるのは、製種(蚕種を造る)時で、朝のうち一通り指図をすると仕事に馴れた一人二人連れて司令塔に上がる。蚕種の注文の手紙は、1日に30通ほど、お礼や返事のはがきや手紙を書く。一方で、伝習生(蚕種製造について学びにきている若者)が(産卵)台紙に、店の印をおす。薄どり(蚕種の数が少ない)、厚どり(多い)、枠入などと仕分ける。自分は、手紙が片付くと帳簿に注文を書き入れる。』

*明治後期、郵便制度が整うと蚕種を持って出張販売することは少なくなくなり、郵便で送り、郵便為替で代金を受け取るようになった。写真は、塩尻小学校郷土資料室に寄贈された滝澤家の蚕種の発送箱。箱には昭和と入っている。山梨県の得意先に7枚を送るもの。なぜ、発送元にあるのか疑問。彦太郎は秋曉の本名、寄贈者の宗太は秋曉の孫で著作集の発行者。
 入金や金銭管理については、記載がないので父親がやっていたのではないかと思われる。明治41年当時33歳の秋曉は作品の終わりに『僕は、社会の人として未だ戸主権(家や家族、財産の監督権)さえ持たぬ男だ。小遣いを親父にねだる外に、何もなしえない。』と書いている。

登録日:2023-05-22 投稿者:やまさん
地区コード秋和(塩尻地区)
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