滝澤秋曉「司令塔」より④

滝澤秋曉「司令塔」より④

 「司令塔」の中で、最もページがさかれているのは、養蚕の仕事だ。明治末期
の養蚕の様子と人を使って養蚕に打ち込む姿が生き生きと描かれている。

『4月中旬か5月の初めに蚕は出る。掃きたてた(卵からふ化したて)当座は、蚕籠数もごく少ないが、眠(蚕は成長過程で4回脱皮する。脱皮の際、桑を食べず、静止している状態を眠という。眠と眠の間を齢といい、4眠5齢で繭をつくる。この間おおよそ30日程度)を重ねるにしたがって、恐ろしく殖えてきて、5室が残らずふさがるのも30日そこそこのうちだ。
 僕は掃きたて以来蚕室の常番だが、蚕が2室を増えると、母屋から宿直の助手を連れてくる。妻と妹、2人して2号室の泊り番をする。
 にぎやかでいいのは寝がけに給桑(桑を与える)する時だ。母や、下男や、炊事当番の女どもを除いてその他皆寄ってくる。蚕の小さい時分は、慣れない伝習生など足手まといでしょうがないが、それでも寝かしておいちゃ修業にならんので、これも引っ張り出す。
 
 僕が真っ先に灯りを用意する。温度湿度の加減を測る。給桑台(蚕に桑を与えるため、蚕籠を載せる台)に一つ、二つと並べて置くころには、皆が剛軟各種の桑を籠に詰めて持ってくる。モミヌカを運ぶ者、蚕網(籠にのせておくと、網を上げると桑について蚕が持ち上がり、籠の上の紙に蚕糞などが残り、片付けが容易になる)をとってくるもの、どやどやと室内になだれこむ。中に気の利いたものは、僕がストーブの灰を搔き出しているうちに、もうムシロを廊下に敷いて、ざ桑機(桑をザクザクと切って細かにする)良い位置へ直しておく。お膳立てができたとなると僕は、ざ桑機の取っ手をとる。
 ひとしきり桑の配分がすむと、給桑の加減を見分してやる。
「ちょうどこの手加減で」
「少し厚すぎるな」
「お前のはどうもそろってなくていかん、それ、こういう手心にやるんだぞ」、
巡検が済むと、またざ桑だ。研ぎ澄ました包丁が、軽い取っ手の上下につれて、スッ、スッと桑葉の厚いい集団を切っていく、いい心持ちだ。

 もう少しで給桑が終わろうというところを見計らって、命令が出る。誰それは桑置場を整理せよ。誰それは床下のストーブをたきつけろ。目覚まし時計を持って行って母屋の時計と合わせて来い。それで室内がメッキリ寂しくなる。
 手提げランプで、外の寒暖計や湿度計を見る。温度75度(摂氏24度)、湿度53%、天気晴れ、西の風弱、大きな声で叫ぶと室内でいちいち返事をする。伝習生が日誌に記入するのだ。
 今度は念を入れて室内の温湿度を見る。伝習生に手伝わせて、」火鉢に炭を継ぐ。移動暖炉をたきつける。排気のすべり戸をあけ、いったん広げてまた狭める。いやなかなか用があるものあ。
 給桑はとうに済んで、掃除をして出て行った。残るは僕と伝習生だけ、暖炉を囲んで講釈が始まる。
「見たまえ、今夜は温かだから、継いだ炭の量も少ないし、排気窓もこのくらい開けておく」
「今夜はこれで明け方まで外気は8・9度くらい下がろうか、中は2・3度で食い止める。」
皆、眠そうだ。では、今夜はこれで散会しよう。

 伝習生が母屋に帰った後で、僕は床下のストーブを見に行く。火の元危険なしと見極めがつくと、また室内に戻って、あちこち桑の食いつき塩梅を検査して、排気窓から風が吹き下ろすか下ろさぬか、皆の去ったあとの廊下の扉や、部屋と廊下の境の建具を吟味して自室に戻る

 2眠前は、3~4時間おきに給桑する。
 暑い、寒い、湿気、いずれも油断できないが、とりわけ泣かされるのは寒い晩だ。いつも給桑と給桑の間には必ず僕が一度ずつは起きて、暖炉や火鉢や排気窓やいじくりまわして気候に気をつかうのだが、信州は寒国、ことに5月上旬、周囲の高山がまだ白い帽子を脱ぎきらぬううちというものは、時たま思いもよらぬ寒気が襲ってくる。宵に外の寒暖計の下り具合を見ると大抵予測ができるから、こういう晩には早くから準備して、室内狭しと火器を置きならべる。薪炭の箱をいっぱいにし、助手の面々にも戒厳令を下して、号令一下、すぐに跳ね起きるという手はずにしておくが、薄い掻い巻き一つで寝ているのだから、真っ先足が冷えてくる、続いて腹がキャキャする。おいでなすったとな、とムクッリ起きて、手提げランプをつかんで、寒暖計を見ると、たった今、火を焚いて70度まで上げておいたのにが、もう65度に落ちている。大事の時と、まずは排気窓を閉め切って、ストーブをたきつける。ガラン、ガラン、炭をすくい出しては火鉢に埋め込む。
 時に、外は何度だろうかと、軒先の寒暖計を見る。時刻は11時半、外温46(摂氏6)度、霜はどうだろうと心配になる。霜が来るだろうかなあ、外の寒暖計が40になりや到底だめだ(桑が霜害でやられてします)。氷点が32度でも、ここと畑じゃ大した違いだ。駄目だとなると、今年も運輸課(鉄道)へ泣きついて、桑専用貨車のご厄介になる(霜害が受けなかった地域、群馬などから桑を買い入れる)のだ。おやじはまた2千円(現在なら200万円ほどか)の損だとこぼすだろう。
 こんなことが時によって3晩も4晩もある。

*蚕は、気温や湿度の影響を受けやすい繊細な生き物である。暖房、通風、換気など細かな配慮が欠かせない。特に、春蚕は、まだ寒い日もある時期に飼うため、暖房が欠かせない。また、桑も、まだ芽を出したばかりで、霜害にあいやすい。桑が不足しないように、霜害のなかった地方から買い入れることもたびたびあった。
写真は、塩尻小郷土資料館にある桑切器。奥の方に刃があり、右奥に取手がある。手前の台に桑の葉を置き、取手を上下して刃を動かし、桑を刻むのか。

登録日:2023-06-04 投稿者:やまさん
地区コード秋和(塩尻地区)
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