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登録リスト(該当:14件)

写真タイトル説明登録日
1太郎山山系の山城〈荒城跡〉太郎山山系の山城〈荒城跡〉 牛伏城から狭い稜線をさらに40分ほど登ると荒城(900m)に着く。空堀によって隔てられた何段もの狭い平坦地(曲輪)の先に教室程の広さの主郭がある。主郭の奥の土塁の先の堀切を隔てて、太郎山山頂に向かう急な斜面が見える。下からの攻撃を迎え撃つ砦だが、太郎山の主稜線をたどってきた敵が、上田城を攻める場合は、最短ルートとなるため、上部からの攻撃にも備えていたのではないかと推測した。2023-01-19
2太郎山山系の山城〈牛伏城跡〉太郎山山系の山城〈牛伏城跡〉 緑ヶ丘の信号から太郎山に向かい、虚空蔵堂の東から険しい山腹をジグザグに登る。20分ほどで稜線に達すると岩山の下の凹地に出る。石切り場と思われるが、敵を迎え撃つに都合の良い地形で砦の一部として利用されていたのではないか。さらに稜線を20分ほど登ると牛伏城跡の看板がある平坦地(標高690m)に出る。手前に二条の堀切、奥の土塁の先には深さ2mほどの堀切がある。上部にある荒城の前衛の役割を果たしていたのではないかと言われている。  奥の空堀の底には、水がたまりイノシシのヌタ場(泥浴び場:体についた寄生虫を落としたり、体温調節をする)があった。  2023-01-19
3太郎山山系の山城〈飯縄山城④〉太郎山山系の山城〈飯縄山城④〉 二の曲輪(くるわ)の北、垂直の岩壁にはしごがかけられた深い堀切を登り返すと松林の下に主郭(しゅかく)が広がっています。ここには井戸跡や後世の神社跡があります。尾根を山に向かうと四の曲輪、さらに細い尾根道をたどると林道につながる沢路と虚空蔵山に登る山道の分岐に出ます。道の周りには、明治・大正時代に桑を栽培した畑跡の石垣がたくさん見ることができます。  林道の終点ヘリポートまでは車も入ることができ、傾斜も緩やかで登るのも容易です。2022-12-30
4太郎山山系の山城〈飯縄山城③〉太郎山山系の山城〈飯縄山城③〉 三の曲輪(くるわ)の北側には、深い堀切(ほりきり)を挟んで10mを超える岩山がそびえています。急斜面を登ると10m四方ほどの二の曲輪(くるわ)。南は上田盆地から塩田平まで、西は沢を挟んで兎峰の下の尾根に平坦な持越城、さらに、燕城が望めます。2022-12-30
5太郎山山系の山城〈飯縄山城②〉太郎山山系の山城〈飯縄山城②〉フェンス沿いの道を左に折れ、東西は崖になった険しい南斜面をつづら折りに登り、城の正面の防備のために築かれた二本の深い溝(堀切:ほりきり)、何段もの平坦面(腰曲輪:こしくるわ)を登りきるとやや広い平坦面に三の曲輪(くるわ)があります。2022-12-30
6太郎山山系の山城〈飯縄山城①〉太郎山山系の山城〈飯縄山城①〉 虚空蔵山から秋和に延びる尾根上にある飯縄山城跡は、城の下部から上部(757m)まで約450mもある大規模な城です。眼下には大倉京古墳やなどの遺跡や古道が東西に通っています。秋和の八幡神社が登り口で、林道を登り、獣除けフェンスを越てフェンス沿いに登ります。2022-12-30
7虚空蔵山整備活動虚空蔵山整備活動12月29日 虚空蔵山へ 草刈り作業にいきました。 イブキジャコウソウや河原撫子がある場所です。 野薔薇がはびこり 花が少なくなっているとのことで 野薔薇の伐採作業にいきました。 道中 兎峰の回り込みの道(ロープ箇所)雪があり大変でした。 頂上は風もなく お日様があたるとぽかぽかでした。 来年はお花畑になっているでしょうか? 一歩一歩です。2022-12-30
8太郎山山系の山城〈和合城跡〉太郎山山系の山城〈和合城跡〉 太郎山から虚空蔵山につながる稜線の西端が険しい崖となって千曲川に落ちる塩尻岩鼻の上に和合城跡がある。下塩尻の沓掛酒造から600mほど西の登り口には40分の案内板。険しい斜面をジグザグに登り、にっこり岩を過ぎた稜線の手前の緩斜面には、石垣が幾段も組まれ桑畑に利用されていた跡が残る。稜線に出ると右が主稜線で菖蒲平から虚空蔵山へ、峠を前方に下れば40分で坂城の南条へ、和合城跡は左へと案内板が立っている。深い堀切を渡れば、平坦面が四段連なり、西端のひときわ高いところ(654.7m)が城の中心となっている。  この城は、坂城の村上氏が上杉氏を後ろ盾にして上田盆地に進出するため、武田氏側についた真田氏に対抗するため築いた。武田氏滅亡後も、徳川氏を後ろ盾にし上田城を築城を進める真田氏との争いが続いた。北2022-12-20
9太郎山山系の山城〈矢島城跡〉太郎山山系の山城〈矢島城跡〉 上田バイパスの緑が丘信号の北、虚空蔵沢の西側、断崖の上に南に向いて小さな平坦な畑が広がっている。養豚施設に向かって東斜面を上り詰めると崖ぞいの小道に、矢島城跡の看板が見える。ここは深い堀が掘られ、山側からの攻撃への備えとなっている。道を進むと2段になった平坦面があり、矢島城の中心部。上部の西北に稲荷神社がまつられている。  矢島城は、室町時代初期、諏訪からきた矢島氏がこの地を支配していた北林氏(北林城ともいわれる)を追放して築いたといわれれてる。  バイパスの南側、須波三穂神社の東に矢島屋敷という小字名があるが、ここを居館とし、戦の時にはその背後にある矢島城に立てこもったと推測される。  2022-12-20
10太郎山山系の山城①太郎山山系の山城① 木々が葉を落とし、太郎山の尾根や谷がはっきりと見えるようになってきた。尾根を登ってみるとあちこちに石垣や溝によって区切られた平地がみられる。これは、室町~戦国時代に築かれた山城や砦の跡。  戦国時代、坂城を本拠地とする村上氏と真田地域を本拠地とする真田氏が競い合っていた。甲斐(山梨県)から信濃(長野県)に進出してきた武田氏の勢力が強まると、真田氏は武田氏と手を結び、村上氏は越後の上杉氏に助けを求め、上田地方ではたびたび合戦が起こなわれ、両雄が雌雄を決する川中島の決戦につながっていく。山城や砦の多くは、その頃に築かれ、見張りや交通の要地を確保したり、合戦の時に領民が避難するために築かれた。いずれも、山の斜面やがけを利用して防備を固めている。  写真は、Googleに山城や砦の跡を書き2022-12-10
11 蚕種の郷の石垣の多様性 蚕種の郷の石垣の多様性 蚕種の郷の石垣は、北国街道沿いの家や蔵の土台や道路、神社に続く階段、水路の壁、石碑、太郎山山系麓の段々畑から、それを保守する長く続く石壁等、沢山の遺構として残っています。  今、温暖化により、草木が生い茂り、コロナ社会で人々も手入れで入ることもほとんど無くなり、奥の方は、中々見えにくくなりました。しかしながら、よく目を凝らしてみてみると、里山の周辺の物は、観察することができます。  北国街道沿いのものは、江戸時代に遡るとか。加賀の殿様の通る道でしたから、落ちてこないように住民たちは、苦心して労力を注いだ事が伺えます。段々畑のそれは、当時の蚕種を支える大切な桑を作り、運ぶ重要な物でした。  また、坐摩神社は、その産業の発展を祈願したり、住民の色々な祈願の大切なところでした。2022-12-04
12太郎山山系を楽しくつくる会太郎山山系を楽しくつくる会西部公民館の里山支援事業で始めた太郎山から虚空蔵山にかけての縦走路整備に参加したメンバーを中心に2009年に設立した会です。縦走路や登山道整備に限らず数々の活動を行なってまいりました。今までの活動履歴を今後ご紹介してまいります。どうぞよろしくお願いいたします。2022-03-13
13蚕種の郷3 航空写真に写った段々畑(1)蚕種の郷3 航空写真に写った段々畑(1) 昭和22年撮影の航空写真(国土地理院)には、今は雑木に覆われている段々畑がはっきりと見えます。北に連なる太郎山山系、南には東西に流れる千曲川、左上から右下に国道18号線、右下が上田市街、中央に秋和の集落、左上に山と国道に挟まれた塩尻の集落が見えます。中央の黒い部分は水田、黒くひだになった山と水田の間の白い部分が畑です。右の大きく張り出した部分は緑が丘で、黄金沢と和合沢の複合扇状地です。山麓を西に向かうと沢の出口に小さな扇状地が並び、秋和の北西にやや大きな扇状地が見えますが、ここが前記の大藏京です。2021-04-24
14熊の捕獲と保護熊の捕獲と保護太郎山山系では熊の出没が報道される。虚空蔵山麓は人、農作物への被害防止を目的に自治会、猟友会が協力し檻、罠を仕掛け熊を捕獲しています。しかし熊は保護動物のため捕獲後各種データを取り、遠くの山に放獣されます。写真は催眠状態で測定を受ける小熊です。2020-10-15
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