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登録リスト(該当:9件)

写真タイトル説明登録日
1 西部常磐城地区の散策 西部常磐城地区の散策 春めいた先日、祝町大通り〜新町辺りを散策してきました。 歴史の散歩道の路地や古民家の佇まい、芳泉寺の由来や石段、屋根の造り等、興味深い物でした。   延命地蔵尊の屋根の作りも面白く、由来も民衆的の歴史を感じます。大日堂は、明治の年号、年が刻まれており、中には、仏像、これも民衆信仰の深さを思わせます。  初めてゆっくり、じっくり歩いてみました。2023-03-04
2 常磐城の古屋の「ねこ瓦亅 常磐城の古屋の「ねこ瓦亅 常磐城(祝町大通り〜新町)の散策中に、蚕種に関係する古民家、蔵の「ねこ瓦亅の他に古屋や物置らしきものに掲げられている「ねこ瓦亅を見つけました。かなり古く、摩耗していますが、一番古いのではないかと思われる佇まいです。  当時の「平瓦亅の技法と絵柄のようです。  風雨に耐えながら、佇み、時を過ごしている姿です。  この「ねこ瓦亅達も保存されて、安堵してもらいたいと思いました。2023-03-02
3 常磐城地域の「ねこ瓦亅 常磐城地域の「ねこ瓦亅 春の陽気となった先日、常磐城地区(祝町大通り〜新町)の散策をしてきました。 歴史の路や寺院、延命地蔵等興味深い処が沢山ありました。  初めてゆっくり歩きましたが、古い蚕種に関係のあると思われる瓦の古民家や蔵、小屋、を見つけ、「ねこ瓦亅もそこに有りました。私にとっては、新しい発見でした。  永くそこに掲げられ、老朽、摩耗している様子もありますが、蔵の手入れをされて、立派に掲げられ続けているものもあり、どれも価値と愛着を感じました。  通りの古民家は、お店に使われているような処もあり、今後も保存されて行くことを願います。ねこの耳ではなく、頭が二本線の帽子を被った形は、登録文化財の佐藤家と同じ斬新なDesignです。2023-03-02
4〈秋和〉不思議な街並み 5〈秋和〉不思議な街並み 5秋和の北国街道は直線的だが、道幅が狭いため大軍の進軍は難しい。家々の間口の幅が同程度なのも人工的に作られたからだろう。街道に面して出入口を作らず、小路から出入りし、時には小路に隠れて敵を迎え撃つ。小路を50mほど奥に入ると家並の裏に東西に走る小路があり、街道から見られずに移動ができる。間口いっぱいに建てられた家は、江戸末期から養蚕・蚕種業が盛んになり、広い蚕室を確保する確保するために改築されたものではないか。 西脇や新町のように城下町に近い村は、時代が下がると町屋化し、商いのために道に面して入口を設けるようになった。秋和は農が主で店も宿もほとんどなく、旅人に出入口を開く必要もなかったのではないか。むしろ、背後にある田や山麓や河川敷にある桑畑に通うには、家にわきにある小路が重宝2022-03-23
5〈秋和〉不思議な街並み 4〈秋和〉不思議な街並み 4秋和は、生塚、新町、西脇などと同様、真田氏が上田の城下町を作るときに太郎山の山麓にあった村々を城下町の防衛帯(城下囲:じょうかかこい)とするために移住させてできた。滝沢和喜夫著「秋和の今昔」(S57刊)には、『北国街道に添った秋和村の家の構造は、敵をあざむくために、障子の後ろに雨戸を設けて無防備に見せかけ、小路を多く作って、小路を入った正面に入口を置かず、小路の左右を入口として、攻めるに難く、逃げるに易くするというのが共通の家構えであった。』とある。そのため、真田氏・仙石氏の治世では、屋敷にかける年貢は免除されていた。写真は、街道から北へ抜ける小路。左側に家は小路に向いて門がある。2022-03-23
6矢出沢川遊歩道矢出沢川遊歩道矢出沢川沿いにある遊歩道です。西脇の上須波橋から新町の下須波橋に垂れ桜2021-04-24
7矢出沢川遊歩道矢出沢川遊歩道下紺屋町から新町、西脇境の下須波橋にかけて、矢出沢川沿いに遊歩道があります。四季の彩が楽しめます。2021-04-13
8新町公会堂新町公会堂公会堂という名前ですが、おそらく新町の自治会館と思われる建物です。街の雰囲気にとても合っている感じがします。右側の道は正栄寺と向源寺につながっています。2020-10-22
9旧北国街道(下紺屋町·鎌原·西脇·新町)旧北国街道(下紺屋町·鎌原·西脇·新町)旧北国街道の道の写真です。新町ら辺からは少しずつカーブもあり完全な直線ではないですが、二の丸通りから入ってしばらくはきれいな直線となっています。2020-10-22
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