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1「秋和の里」の滝澤秋暁邸が更地に「秋和の里」の滝澤秋暁邸が更地に しばらくぶりで秋和の北国街道を歩いた。驚いたことに「秋和の里」を代表する滝澤秋暁邸がなくなっていた。長屋門に茅葺にトタンをかけた重厚な母屋、門の東に続く気抜きを設けた蚕室、母屋の裏には庭を挟んで気抜きのついた2階建ての大きな蚕室がなくなり更地が広がっていた。    滝澤秋曉邸は、ずいぶん前から空家となっていてあちこちに痛みが出ていた。個人の力で修理は困難なことがうかがわれ、残すには行政の力が必要と思っていたところ、上田市の歴史風致維持保存計画に蚕種製造民家の調査事業が盛られ、記録だけでも残される可能性が出てきたところだった。また、西部地域デジタルマップでも歴史遺産の記録を残す呼びかけを始めたところであり、残念でたまらない。  地域の歴史を学び、じかに触れることができる歴史遺2023-05-19
2 歴史の散歩道 in 常磐城(諏訪部)No.2 歴史の散歩道 in 常磐城(諏訪部)No.2 先日に引き続き、「ねこ瓦の会亅のメンバー二人で散策して来ました。延命地蔵尊やかんぎおん保育園さん、芳泉寺当たりを散歩しました。  ゆっくり前回散策の道を辿り、新しい発見は、可愛い石造り椅子でした❣ 芳泉寺さんには、熊ちゃん、延命地蔵尊にはパンダが両端に付いた椅子でした。思わず座って暫く日向ぼっこしました。子供さんから高齢者迄、訪れた方が休憩できる配慮に暖かい気持ちになりました。2023-04-03
3 国登録文化財:佐藤家(三ツ引)説明看板 国登録文化財:佐藤家(三ツ引)説明看板 2023年(令和5年)3月31日付で、国登録文化財の佐藤家(三ツ引)の説明看板が、門の隣に設置されていました。 登録された年月日と9件の文化財の名前と説明が書かれています。どれも重要な内容です。  説明看板は、訪れた人々にこの地域の蚕種の歴史と有形文化財の実物の価値を知らせる大切な役割を持っている物です。  昨年、蚕種プロジェクトの方で見学会があり、研究の成果を発表されていましたが、これからも多くの人に見学してもらい、知ってもらいたいです。  2023-03-29
4上塩尻村の総合研究シンポジウム開催2023/03/21上塩尻村の総合研究シンポジウム開催2023/03/213月21日(火)、上田東急REIホテルで「『近世上田藩上塩尻村の総合研究Ⅱ』出版記念国際公開シンポジウム」が開催されました。 旧上塩尻村(現在の上田市上塩尻)では、江戸時代から蚕種製造が盛んとなり、それを背景に市場経済が発達し、併せて地域の共同性が育まれてきました。この日のシンポジウムは東北大学の長谷部弘先生、愛媛大学の高橋基泰先生らの研究グループによる上塩尻村研究の成果報告会です。 学術的でかなり硬派のシンポジウムにもかかわらず当日は発表者も含め40名近い参加がありました。旧佐藤宗家(代々当主が藤本善右衛門を名乗った佐藤一族の宗家)の史料をはじめとして、上塩尻の各家々や上塩尻文庫蔵の資史料などから歴史的な背景が解き明かされた研究が披露されました。 <当日のプログラム>敬称略 ①開会2023-03-26
5常磐町米寿会でデジタルマップを紹介常磐町米寿会でデジタルマップを紹介 常磐町の米寿会でデジタルマップを紹介しました。スマホのデザリングでネットに接続し、大型テレビにモニターしました。トップページの新着画面を印刷し、見たい投稿をリクエストをしてもらい、映し出して説明しました。  子どもたちの学習の様子、西小の6年生の研究、地域の歴史遺産、散歩道の花、猫瓦や蝶の里の石垣など身近な地域についての投稿を身を乗り出してみてもらいました。  スマホを持っているけれどどうやれば見ることできるのなど、関心を持ってもらいました。  廊下には、公民館まつりで張り出された部会報告の模造紙を展示し、見てもらいました。「私、この体操教室に行って行っているけれど、いいわよ。一緒に行かない?」など、会話が交わされていました。2023-03-10
6水路の歴史〜矢出沢川、堀越せぎ、上田城水路の歴史〜矢出沢川、堀越せぎ、上田城5年生の水路探検では、西小横の堀越せぎを水門から東へさかのぼり、八幡の近くで矢出沢川から水を取り入れている様子、西方面へ抗秋和せぎに沿って歩き、秋和の方に続いている様子を確認しました。   そして6年生になり、さらに西小横の堀越せぎの本流をさかのぼって秋和せぎに合流する様子、水門から南に進み、矢出沢川が駅前を通る枡網用水と交差するところの様子も見ました。  また、歴史についても興味を持ち、詳しい方に話を聞いたり、石碑を調べたり、本で調べたりしました。探検で知り合った地域の方にお借りした「鎌原の歴史」には、僕たちが知りたかった水路の歴史が詳しく書かれていました。         そこには、江戸時代初期、上田城主が仙石氏の時代の様子が書かれていました。僕たちは、5年の時に見つけた2023-03-09
7藤本蚕業歴史館でオンライン講座を開きました藤本蚕業歴史館でオンライン講座を開きました2022年12月~2023年2月、上塩尻の藤本蚕業歴史館を会場に「藤本蚕業歴史館で学ぶデジタルアーキビスト養成リスキル/リカレント講座」を開催しました。 藤本蚕業歴史館には10,000点を超える資料・文献が保管されています。これまでは書庫に収蔵されているもののほとんど誰もがその存在すら知りませんでした。藤本蚕業プロジェクトがそれらの資料の目録と一部の資料をデジタル化し、インターネットに公開しました。この講座はそれらを情報源に、またデジタルアーカイブを具体的にどのように作ったかを受講者の皆様に学んでもらいました。受講者数は約50名です。オンラインにより藤本蚕業歴史館で全国から学んでいただく講座開催は初めての画期的な試みです。 講座の内容は全て動画に記録しました。講義資料も含め、以下のページからネット公2023-03-08
8 西部常磐城地区の散策 西部常磐城地区の散策 春めいた先日、祝町大通り〜新町辺りを散策してきました。 歴史の散歩道の路地や古民家の佇まい、芳泉寺の由来や石段、屋根の造り等、興味深い物でした。   延命地蔵尊の屋根の作りも面白く、由来も民衆的の歴史を感じます。大日堂は、明治の年号、年が刻まれており、中には、仏像、これも民衆信仰の深さを思わせます。  初めてゆっくり、じっくり歩いてみました。2023-03-04
9 常磐城地域の「ねこ瓦亅 常磐城地域の「ねこ瓦亅 春の陽気となった先日、常磐城地区(祝町大通り〜新町)の散策をしてきました。 歴史の路や寺院、延命地蔵等興味深い処が沢山ありました。  初めてゆっくり歩きましたが、古い蚕種に関係のあると思われる瓦の古民家や蔵、小屋、を見つけ、「ねこ瓦亅もそこに有りました。私にとっては、新しい発見でした。  永くそこに掲げられ、老朽、摩耗している様子もありますが、蔵の手入れをされて、立派に掲げられ続けているものもあり、どれも価値と愛着を感じました。  通りの古民家は、お店に使われているような処もあり、今後も保存されて行くことを願います。ねこの耳ではなく、頭が二本線の帽子を被った形は、登録文化財の佐藤家と同じ斬新なDesignです。2023-03-02
10西小5年2組、繭体験講座①西小5年2組、繭体験講座① 西小5年2組では、春に蚕を飼育し、繭をとる学習をしました。その繭を使って「角真綿と座繰りランプ」を作る体験を「繭友」の皆さんの支援で行いました。  「繭友」の皆さんは、上田が誇る蚕糸業の歴史と文化を多くの人に伝えたいと願い、養蚕、製糸、織物などを体験するとともに学校や公民館で糸繰りや織物の体験講座を開催しています。  蚕が1匹、2匹と数えるのではなく、1頭、2頭と数えるのは、昔の人にとってそれだけ、大事であった証(あかし)であること。繭から糸にするには、お湯で柔らかくした繭を広げて真綿にし、よりをかけて糸にする「紡(つむ)ぐ:紬糸」方法と数個の繭から糸を引き出し、より合わせて糸にする「繰(く)る:生糸」方法があること。紬糸は、織物の横糸に、生糸は、縦糸に使われるということを2023-02-28
11地域探究学習の成果発表〈西小6年1組〉地域探究学習の成果発表〈西小6年1組〉 卒業に向けて大忙しの西小の6年1組の皆さんの学習発表練習を参観させてもらいました。総合的な学習の時間にグループで取り組んできた「虚空蔵沢と矢出沢川の水質」、「学校の周りの水路と上田城の周りの水路」、「堀越せぎと矢出沢川の歴史」、「太郎山の山城と戦国時代の上田」などについて、地図や写真を使ってわかりやすく発表してくれました。なによりも、自分の足と目、耳を使って、手を使って矢出沢川の清掃をするグループなどもあり、自分の生活する地域の歴史や環境に迫る探究的な学習姿勢に感心しました。そして、成果を「デジタルマップ」に投稿して、多くの人に見てもらうという願いにうれしくなりました。デジタル記録に残る良い卒業記念にもなるのではないでしょうか。楽しみにしてください。  2023-02-21
12    改めて「ねこ瓦亅 2023    2月    改めて「ねこ瓦亅 2023 2月   先日、蚕種の勉強をする機会があり、上田の歴史に精通している方とお会いしました。  歴史を勉強するに当たり、古くから残っているもの、文書を勉強するに当たり、それがその時代の日本や世界情勢に影響された痕跡を残しながら、姿を留めている事を認識することが大切とのお話でした。  例えば、戦争や国の政策、産業、民衆の文化や暮らし等、影響の内容は、色々有ります。それが今後に繋がる教訓や方向が見えてくるという内容でした。  蚕種は知っていても、「ねこ瓦亅を知らない方が多い事も分かりました。  この地域の「ねこ瓦亅を改めて歴史を伝える貴重な存在であり、その価値は、他の古文書や古建築同様、とうていお金に換算ものでないと感じ入りました。  それをデザイン、創作、掲げた想いを伝え、保存していく2023-02-05
13藤本蚕業アーカイブ/古い地図をデジタル化してみる藤本蚕業アーカイブ/古い地図をデジタル化してみる 話:前川道博(長野大学教授、藤本蚕業プロジェクト代表) 上塩尻にある藤本蚕業歴史館は藤本蚕業に残された悉皆(しっかい)資料を収蔵しています。明治・大正期の分県地図もその一つ。100年ほど昔の日本の各地の様子が当時の地図から手に取るようによくわかります。誰もが詳細にそれらの地図を読めるようにその一部をデジタル化しネット公開しました。 これらの地図は『藤本蚕業アーカイブ』でご覧いただけます。小学生からご年配の方々まで思う存分に古い資料を楽しめます! →https://d-commons.net/fujimoto-arch/2023-02-02
14藤本蚕業歴史館の特選史料紹介(竹中丈二[長野大学学生])藤本蚕業歴史館の特選史料紹介(竹中丈二[長野大学学生]) 話:竹中丈二(長野大学企業情報学部前川ゼミ) 藤本蚕業歴史館に収蔵されている史料の中で、学生目線で特に関心を引かれた『アサヒグラフ/二、二六事件画報』(1936年)のどこが面白いのかを解説しています。 「藤本蚕業歴史館で学ぶデジタルアーキビスト養成講座」から(2022/12/10記録) 掲載元:実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第1回]2023-02-02
15蚕種の里「上塩尻」(6)藤本蚕業歴史館とアーカイブサイト蚕種の里「上塩尻」(6)藤本蚕業歴史館とアーカイブサイト藤本蚕業アーカイブ(デジタル文書) ★藤本蚕業歴史館アーカイブ(史料目録) 藤本工業社屋2階に「藤本蚕業歴史館」が開設されています。2009年に開設されました。蚕種製造家だった旧佐藤宗家(藤本善右衛門)は1908年(明治41年)、企業体「藤本蚕業」に発展します。歴史館の建物は1927年、藤本蚕業の蚕室として建設された歴史的な建造物です。 同館は文書館(アーカイブス)と展示室(博物館相当)を併せ持つ複合的施設であることから「歴史館」と名付けられました。 見学は事前に予約が必要です。ただし常時、館内の見学、史料閲覧ができるよう『藤本蚕業アーカイブ』(次の2サイト)がインターネットに公開されています。2023-02-02
16蚕種の里「上塩尻」(4)蚕種の里の研究と展示蚕種の里「上塩尻」(4)蚕種の里の研究と展示「蚕種の里」として知られていた上塩尻の歴史と文化は有識者・学者に研究されてきました。その中では1989-1992年の工学院大学山崎弘研究室による蚕種製造民家の調査が先駆的です。杉仁氏は江戸時代、上塩尻の蚕種製造家は高い教養を持ち、日本各地の人々と「俳諧」の趣味を通して交流していたという驚くべき文化史を探求しました。 国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)には卓越した蚕種の里「上塩尻」を紹介したコーナーまで設けられています。2023-02-02
17蚕種の里「上塩尻」(3)すぐれた蚕種製造家を輩出蚕種の里「上塩尻」(3)すぐれた蚕種製造家を輩出上塩尻の歴史の中でも特筆されることは日本を代表する蚕種製造家を輩出したことです。塚田与右衛門(つかだよえもん)、清水金左衛門(しみずきんざえもん)、藤本善右衛門縄葛(ふじもとぜんえもんつなね)は特に有名です。2023-02-02
18蚕種の里「上塩尻」の歴史と文化遺産を未来へ(講演)2023/01/18蚕種の里「上塩尻」の歴史と文化遺産を未来へ(講演)2023/01/18長野県建築士会上小支部等合同新年会で上塩尻に関する講演をしました。 ★講演:蚕種の里「上塩尻」の歴史と文化遺産を未来へ YouTube/60分  前川道博(長野大学企業情報学部教授、藤本蚕業プロジェクト代表)  2023/01/18 会場:上田東急REIホテル 江戸時代から蚕種製造の中心地だった上塩尻は優れた蚕種製造家を輩出してきました。各家々で蚕種製造が営まれ、現在も数多くの蚕種製造民家が残っています。城下町や宿場町など江戸時代の面影を残す歴史的景観地区は全国に数多くありますが、「蚕種製造民家群」の織り成す歴史的景観は上塩尻にしかありません。その特異性、希少性はかけがえがありません。 私にとっても上塩尻の大切さを紹介するよい機会をいただきました。上塩尻の魅力の再発見につながれば幸2023-02-02
19還暦を迎えた常磐町⓶還暦を迎えた常磐町⓶ 2022(令和4)年、還暦を迎えた常磐町自治会では、記念誌を発刊しました。これまでに発刊した「30年記念誌」、「40年記念誌」、「50年記念誌」に続く「60年記念誌」によって、自治会の歩みがたどれます。創立当時40戸だった戸数は、世帯数282戸(12月現在)になりました。  60周年記念誌には、我が家の歴史も書き込める10年間の沿革表、平成26年の大雪災害、3年にわたるコロナ禍、会員の10年間の振り返り、60周年記念座談会の様子がまとめられています。 座談会では、高齢化社会の進行とコロナ禍による人と人との交流の希薄化に対して、「みんなが安心して暮らせる町づくりはどうしたらよいのか」について、「結び合い」「支え合い」をテーマに話し合われました。  ぜひ、ご覧ください。  2023-01-04
20「今、記録しておきたいこの町なみ、歴史的景観」  プロジェクトについて「今、記録しておきたいこの町なみ、歴史的景観」 プロジェクトについて趣旨   上田市西部地域は、古代、都と東国を結ぶ東山道の東信濃の入口でした。近世は江戸と日本海岸地方を結ぶ北国街道が通る交通の要衝でした。  近世、この地に上田城を築いた真田氏によって、西部地域は「城下囲い」の集落として山すそのあった集落が城下の西入口に移住させられ、城下の外堀として改修された矢出沢川とともに城下の防備の役割を果たしました。  洪水によってたびたび被害を受けた千曲川に近い土地は、近世、水害に強い桑が植えられ、養蚕が盛んになりました。岩鼻から吹き込む強い西風は、桑に産み付けられ蚕を殺す蛆蝿の卵を振り落とし良質な桑「歩桑(ぶぐわ)」が育つため、蚕を掛け合わせて「蚕種」をとる蚕種業が盛んになりました。東北地方の養蚕先進地に学んだ上塩尻の蚕種家からは、養蚕技術の改良や2022-12-20
21旧瀧澤邸(東福寺壇信徒会館)旧瀧澤邸(東福寺壇信徒会館)11月26日に上塩尻のまちあるきを行い、その中で訪問した1つの旧瀧澤邸です。何度か上塩尻をまちあるきをする中で、今回初めて訪問しました。建物の中はとても広く、とても綺麗な状態で残されていて、その建物についての詳しい歴史は分かりませんが、外見も古くそのまま残されている感じがして、上塩尻の新たな魅力の発見に繋がり、とても勉強になりました。2022-12-09
22塩尻小学校3年生の地域探索  2塩尻小学校3年生の地域探索  2 11月11日に塩尻小学校の秋和地域探索を行いましたが、生徒さん達のお勧めの場所の他にも、歴史的に重要な所も見学しました。  秋和の北国街道にある、かつては267本有ったとされる杉並木の一本の古株の事を同行された山﨑洋さんから説明を受けました。また、正福寺では参拝の後、戌の満水大洪水時に流死者を埋葬した千人塚の説明も聞きました。  秋和保育園の園長先生より、周辺の地域が奈良時代より変わらない地形で残っていることを教えて頂きました。  愛宕神社の長い階段を頑張って登り、紅葉での見学と休憩をしました。 秋の山の紅葉を見ながらの地域探索となりました。2022-12-04
23蚕種の里「意見交換会」蚕種の里「意見交換会」 まちあるきに続いて、塩尻公民館に場を移してマーティン・モリス先生(千葉大名誉教授)による「英国における古建築の保存と活用」についてのお話があった。  はじめに、日本人には、古いものは、時間がたつとなくなってしまうのが当然というあきらめがある。英国には、古建築と景観を保全・活用するという生活文化があり、保存の対象となっている古建築の数も圧倒的に多い。「古建築に生きている歴史を見ることが、一番の楽しみ。古建築は、私たちのものではない、預かっているものであり、壊さなけれなければ、次代に渡すことができる」という思いで、古い建物を、修復、再生し、住み、活用して保存する活動が活発に行われているとのこと。民家園を作り、各地の代表的な古民家を移築し、保存しています。あとはどうなろうとも知2022-11-26
24デジタルマップに挑戦デジタルマップに挑戦 桜づつみとホタルの会(下塩尻)の要請で、デジタルマップ投稿の講習会が下塩尻公民館で行われました。夜の会にもかかわらず、講師の長野大学の前川先生、長野大学生3名を合わせて20名の参加者が、熱心に取り組みました。  初めにデジタルマップの説明を聞き、視聴をしたのちそれぞれがスマホからデジタルマップを見る、ユーザー登録をする、投稿フォームから投稿する体験をしました。「スマホは、電話とショートメールしか使わない」という方も、学生の支援で一つ一つ壁を乗り越え、手持ちの写真を投稿する段階までくると笑顔が出て、達成感が広がりました。  皆さんがお持ちの貴重なお話や地域の素敵な自然や歴史遺産ついて投稿されることをお持ちしています。  なお、他の地域でもデジタルマップ講習会をご希望の方は「西部2022-09-28
25上塩尻 段々畑と花畑上塩尻 段々畑と花畑明治、大正、昭和の初期頃、塩尻、秋和地域は蚕糸業のうち蚕種製造が盛んな地域でした。 地域の里山は中腹まで段々畑が形成され、桑が植えられていたと聞いています。 しかし、今となってはそういった段々畑は雑木林化してしまっていてどうなっているかよくわからないのが現状です。 そんな中、上塩尻の有志の方々で、段々畑を復元している方々がいらっしゃいます。 今回は、復元している箇所のうち花畑が広がっているところを撮影しました。 地域の歴史が残るところを整備してくださる方々に感謝ですね!2022-09-22
26 有形文化財(佐藤家)のねこ瓦 有形文化財(佐藤家)のねこ瓦 登録有形文化財 佐藤家の東門に掲げられているねこ瓦です。ふくろうの絵柄で、デザインが斬新です。ふくろうは、猫と同様にねずみを摂り、蚕種を守ってくれる象徴です。  塀や門の外から見ることができるねこ瓦は4個、中には7個有ります。  文化財として登録された9棟と共にねこ瓦も大切な文化財です。改めて見学をして、歴史も深く知りたいと思いました。  2022-09-13
272009年開館当時の藤本蚕業歴史館2009年開館当時の藤本蚕業歴史館★写真:2009年10月蚕都上田プロジェクトが実施した見学ツアーの様子 上田市上塩尻に「藤本蚕業歴史館」が開館したのが2009年10月です。今年2022年、早いものでそれから13年近くが経ちます。日本一の蚕種(蚕の卵)の製造地だった上塩尻の中でも一番の中心的な蚕種製造企業だったのが「藤本蚕業」(現在の藤本工業の前身)です。藤本蚕業歴史館は藤本蚕業の蚕室を再利用して開設しました。同社所蔵の膨大な社内文書も保全されています。一般に馴染みがない「蚕種」や上塩尻の背景を知る上で欠かせない情報源となる施設です。 13年経過すると当時はご健在だった方もお亡くなりになった方やリタイアして活動から遠ざかられた方もいます。その時の記録が希少な記録となってきました。2022-08-31
28上塩尻蚕種製造民家群7 藤本蚕業株式会社⑤上塩尻蚕種製造民家群7 藤本蚕業株式会社⑤ 昭和期になると蚕種製造が近代化され冷蔵や消毒、人工ふ化室などの設備が必要となり、また、大規模化した製糸工場が、蚕種を自家製造するようになり、蚕種製造家も個人経営では対応が難しくなった。蚕種家も会社化、組合化が進み、「藤本」も藤本蚕業合名会社、藤本蚕業株式会社と経営を変え、昭和2(1927)年、扇状地の下の国道沿いの平地に大きな製造所を新築し、昭和41(1966)年まで蚕種製造を行った。現在は、藤本蚕業歴史館として江戸時代から昭和中期までの2万点余の資料や備品を保存・展示している。屋根に出ている煙突は換気設備2022-05-30
29まゆの里 散策マップまゆの里 散策マップ 西塩尻駅の広場にある案内板です。塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会で作成した「上田しおじりー歩くほどに思い出が深まるまゆの里」をもとに製作された案内板です。上塩尻、下塩尻、秋和の歴史的遺産を地図で確認できます。「まゆの里」散策に活用してください。2022-05-27
30上塩尻蚕種製造民家群4 蚕種製造民家「清水卓爾氏宅」④上塩尻蚕種製造民家群4 蚕種製造民家「清水卓爾氏宅」④大沢の扇状地の扇端には湧水を利用した七つの池があり、かつては生活用水や蚕具を洗うのに使われた。門の外、左下に湧水がある。今も残る3か所の一つである。水神様を祭る祠には、慶長3年とあり歴史の古さを教えてくれる。2022-04-03
31<ruby>山極勝三郎<rt>やまぎわかつさぶろう</rt></ruby><ruby>生家<rt>せいか</rt></ruby>山極勝三郎やまぎわかつさぶろう生家せいか山極勝三郎やまぎわかつさぶろう(1863~1930)は、1915ねんウサギのみみにコールタールをり、人口癌じんこうがん発生はっせい成功せいこうし、当時とうじのノーベル医学賞いがくしょう候補こうほにもなったひとです。このように生家せいか保存ほぞんされています。偉人いじんせっしてみては!2022-02-16
32西上田駅 「まゆの里」の案内板西上田駅 「まゆの里」の案内板 しなの鉄道西上田駅北口広場にある「まゆの里」の案内板です。「蚕飼の郷」として繁栄した塩尻地区を、北国街道沿いを中心に歴史的遺産や伝承文化を紹介したものです。西上田駅を起点に散策してみませんか。ひよっとしたら、加賀のお殿様の行列と遭遇するかもしれませんよ。 ※ 平成20年度わがまち魅力アップ応援事業で作製したとのことです。(令和3年再製)2021-12-16
33生塚神社(うぶつかじんじゃ)の歴史(れきし)生塚神社(うぶつかじんじゃ)の歴史(れきし) はじめに、この「生塚」の生(お)い立ちは、昔の「生心(うぶね)」と「塚穴(つかあな)」という地域(ちいき)の頭文字(かしらもじ)から誕生(たんじょう)しました。 この生塚神社では、春と秋にお祭りをします。春は「幸せに暮らせますように」とお願いをして、秋は「お願い事をかなえてくれてありがとう」と伝えて神様にお礼をします。このおかげか、昔コレラという一度かかったら死んでしまうという病気が大流行(だいりゅうこう)しましたが、生塚に住む人たちは一人も命を落とさなかったという逸話(いつわ)があります。 また、生塚神社の鳥居(とりい)の近くの石に神紋{(し2021-04-16
342019西部地域まちあるき:藤本蚕業歴史館2019西部地域まちあるき:藤本蚕業歴史館 2019年6月14日に行われた西部地域まちあるき(上塩尻)では、藤本蚕業歴史館を見学しました。 かつて「蚕都」と呼ばれた上田市の中で、蚕種製造の中心地だった上塩尻。そしてその総元締めであったのがこの藤本工業(藤本蚕種)です。 館内には資料だけではなく当時の備品等も保管されており、タイムスリップが可能であれば蚕種製造をしたいと思いました。2021-01-29
352019西部地域まちあるき:蓬蘆書屋2019西部地域まちあるき:蓬蘆書屋 2019年6月14日に行われた西部地域まちあるき(下塩尻)では、蓬蘆(ほうろ)書屋に伺いました。 個人宅ではありますが、かつては蚕種製造を営んでいたことから家屋の造りが蚕室づくりとなっており、現在の屋敷内はご当主のお仕事の関係から蔵書の海と化しています。 見学中は歴史が流れ込む感覚を味わいました。2021-01-27
36西部地域まちあるきマップ【西部地区/北国街道編】西部地域まちあるきマップ【西部地区/北国街道編】 上田市西部地区(下紺屋町~生塚)は北国街道沿いに広がる地域です。西部地域まちづくりの会/自然・生活環境部会が2019年4月に実施したまちあるきルートをネットからもたどれるように再現しました。歴史スポットを中心にめぐるコースです。2021-01-14
37まちあるきで西部地域をアーカイブまちあるきで西部地域をアーカイブ西部地域まちづくりの会の自然・生活環境部会が主体となり、地域デジタルアーカイブ&マップづくりの活動が進んでいます。2018年度は事業の計画や機材購入などに取り組み、翌年度の活動開始に備えました。 そして2019年、春爛漫の4月となり、4/22、待望のまちあるきを実施しました。地域を探訪しながら、地域の文化財、歴史スポットなどを画像に撮り、それらをネット上のアーカイブサイトにアップロードしてデータ共有する地域アーカイブ&マップづくりの活動です。会の皆さんにとっては全く初めての取り組みになります。長野大学・前川ゼミの学生有志が一緒に参加し、《まちあるき=画像記録》を実行しました。 この日は矢出沢川に架かる西八幡橋に参加メンバーが集合し、まちあるきに出かけました。約20名が3グループに分かれてそれ2020-12-19
38Excellent上田、上塩尻見学:藤本蚕業歴史館Excellent上田、上塩尻見学:藤本蚕業歴史館2019/10/31、長野大学で私が担当する1年生の課題発見ゼミⅡ「Excellent上田」で、かつて蚕種製造の中心地だった上塩尻を訪れました。最初に訪れたのが藤本蚕業歴史館です。この建物は昭和初期、藤本蚕業の蚕種製造施設として建てられたものです。現在この建物の2階が文書・資料の保管所兼展示スペースとして使われています。 館内には1990年前半の上塩尻集落のミニチュア模型があります。上塩尻を俯瞰するのに役立ちます。 上塩尻の藤本は、代々当主が藤本善右衛門を名乗った蚕種製造家・佐藤本家を引き継いで明治期、企業となります。藤本蚕業歴史館には企業としての藤本蚕業の文書が多数残されているだけでなく、前身の佐藤本家の文書、資料も多数残されています。江戸期の藤本善右衛門保右が著した蚕書『蚕かひの学』の版木が残されて2020-12-19
39JIA長野県クラブの上塩尻見学会JIA長野県クラブの上塩尻見学会2020/7/31、JIA(日本建築家協会)長野県クラブの上塩尻見学会があり、見学会のコーディネーションと当日の案内をさせていただきました。 全国的に見ても稀有な蚕種製造民家群が残る上塩尻はまだ広く知られているに至っておらず、参加者のほとんどにとっても上塩尻を見学するのは初めてのことです。建築家の方々だけあって、蚕種製造民家に対する参加者の方々の関心は高く、建築的に特徴のあるところにはたびたび視点が釘づけになっていました。 コロナ禍の情勢下で見学会を実施することとなり、主催者側では、その状況に対応した配慮もされて見学会と意見交換会がなされました。人と人の間の距離があるため、お互いの声が聴きとりにくい一面がありましたが、その辺はやむを得ません。 意見交換も貴重な機会でした。空家に移り住んでも2020-12-19
40農民美術 橋本工芸農民美術 橋本工芸中まで拝見することはできなかったのですが、おそらく農民美術を取り扱っているお店だと思われます。旧北国街道の通りにあり、歴史ある建物のようにも見えます。2020-10-22
41西部地域まちあるき2019の記録西部地域まちあるき2019の記録 2018年に発足した「上田市西部地域まちづくりの会」は翌2019年度に本格始動しました。4部会の一つ「自然・生活環境部会」では地元地域の文化・歴史遺産・自然などをデジタルアーカイブ化・マップ化する活動を持続的な地域活動にしていこう、という方向で取り組みが始まりました。その活動の手始めにしたのが「西部地域まちあるき」です。 4月は西部地区(下紺屋町~生塚)、5~6月は塩尻地区(秋和・上塩尻・下塩尻)をまちあるきしました。部会のメンバーにとっては地元でありながら、地元自治会のエリアがより広域に広がった「西部地域」をお互いに詳しく見聞しあったことはなく、地元であ2020-08-25
42秋和の文庫蔵を訪ねる秋和の文庫蔵を訪ねる2020/2/17、地元の方々と学生と秋和文庫蔵を訪ねました。 秋和は蚕種製造の中心地であった塩尻村の中で、上塩尻、下塩尻と共に蚕種製造が営まれ、蚕都上田の興隆にも大きく貢献した一地域です。そうした近代の地域の背景を知る上でも地元の古い資料は欠かせないものです。 地域の文書保管のための文庫蔵の内部には明治以降の文書が段ボール箱やタンスに入れてしまわれています。具体的にどのような資料が保存されているのか、まだその目録化はされていないとのこと。しかし、これだけしっかりと明治以降の文書が残されていることはかけがえがありません。実に得難いことです。平成のものもあります。 いくつか手にした文書は「明治十八年 祭典諸事記載帳」「明治三十年度 人夫賃金支払帳 塩尻村秋和土木委員」「明治十年第三月 2020-08-25
43モリス先生来訪、古建築をフィートで測るモリス先生来訪、古建築をフィートで測る2018/11/30、千葉大学のマーティン・モリス先生が上田に来訪されました。この日、塩尻地区のある古い民家を地元の方々と見聞しました。モリス先生はイギリス出身ですが、驚くほど日本の伝統建築に詳しく、訪問先の室内を簡易的に測定し、建築上の特徴などからその年代の推定までされていました。 さらに驚いたのはフィートのメジャーで寸法を測り始めたこと。よくよく考えてみればフィートと尺の単位は極めて近似しており、尺のメジャーの代わりにフィートのメジャーを使っているのだとわかりました。なるほど!です。 モリス先生は、長年上塩尻を研究されている東北大学の長谷部弘先生の研究グループでも共同研究をされたことがあり、10年以上前、上塩尻の民家を調査されたことがあります。この日は塩尻地区の何名かの方々とも意見2020-08-25
44石垣石垣上塩尻地区に多く見られる石垣。上塩尻地区は山が近づくにつれ勾配が急になるため、石垣を組んで平たんにすることで立派な家にすることができる。この石垣からこれを作った人の奮闘が伝わってくる。歴史を体感できる場所だと思う。2020-01-10
45北向観音道標 (きたむきかんのんみちしるべ)北向観音道標 (きたむきかんのんみちしるべ)1895年(明治28年)に上田橋が完成するまで 上田と別所温泉、あるいは中南信を結ぶ道路(松本街道)はここだけで 茶屋や商店が並び人々が往来して賑わっていた。 古くから重要な道路として利用されていた。2020-01-10
46沓掛酒造沓掛酒造沓掛酒造は1688年創業という古い歴史の中で地酒の醸造元として今も北国街道沿いで酒造りを営んでいます。 沓掛酒造にある蹴鞠は、昭和44年上田市指定有形文化財有形文化財に指定されました。2020-01-10
47藤本蚕業歴史館藤本蚕業歴史館蚕業の資料などがあり、歴史を学ぶことができます。実際に繭玉に触れることもできます。2018-12-08
48気抜きがある家気抜きがある家上塩尻を散策していると、いくつかこのように屋根のところに気抜きがある家がありました。 これは、蚕を育てるためのもので、今もこのように変わらず残っており、歴史を感じることができました2018-12-08
49小岩井紬工房小岩井紬工房小岩井紬工房の見学に行きました。 養蚕に関する文化や歴史を知ることができる親しみやすい場所でした。 機織りと聞くと、地味だったり、渋いイメージでしたが実際に見ると、カラフルでかわいいものが多く、若い人にも手に取りやすい この青と黄色の着物は、息子さんが織ったもので、このような絶妙な淡い色のバランスを出すのが、すごく難しいようでとても時間がかかったと聞きました。2018-12-08
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