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登録リスト(該当:42件)
写真
タイトル
説明
登録日
1
「蚕種の郷」座摩(ざますり)神社の祭礼 8
祭礼を執り行った宮司さんや役員の方は、「養蚕・蚕種業を生業とする人々の精神的な支えとなってきたこの神社や祭典のことを地域の人に忘れて欲しくない、地域の宝として守っていきたい。コロナ感染が収束したら、地域の皆さんが共に参加できる祭典をしたい」と思いを語ってくれました。土俵は、写真中央の二本の木の間あたりに作られていた。
2022-05-03
2
「蚕種の郷」座摩(ざますり)神社の祭礼 7
高遠直一さんの覚書から 「養蚕の衰退とともに」 『時代の変遷とはいえ、これらの祭礼もいつか行われなくなり、その後は宵祭りなどに学校の体育館での映画会、塩尻自治会経営の託児所の庭の仮設舞台での、素人演芸会や奉納踊、また本祭当日神社境内での坂城町長生楼芸妓の手踊りや、青年相撲などが行われたこともあったが、これらもだんだん時代の流れに流されて今日に至ってしまった。』 写真の土俵には、四本柱がない。服装から見ると戦後か。相撲を取っているのは子供たちのようである。養蚕が次第に下火になり、養蚕に関わる人も少なくなり、「蚕影様」の祭典が、村祭りのようになってきたか。
2022-05-03
3
「蚕種の郷」座摩(ざますり)神社の祭礼 6
写真は、化粧まわしをつけ村中を練りまわしてきた力士の行列。場所は小学校の裏あたりか。拍子木を持つ呼び出しも見える。「塩尻地区写真集」より
2022-05-03
4
「蚕種の郷」座摩(ざますり)神社の祭礼 5
写真は、境内での大相撲の様子。江戸大相撲より免許を受けた四本柱に屋根をつけた立派な土俵上で行われている取り組みを群がる人々が応援している。拝殿の壁も取り払われて桟敷席になっている。子供相撲から始まって、三人抜き、五人抜きの相撲、化粧まわしをつけた力士が土俵に並んでのそろい踏み、道化相撲が終わると大関の土俵入り。そして、三役の取り組みが終わるころには一日が終わる。「塩尻地区写真集」より
2022-05-03
5
「蚕種の郷」座摩(ざますり)神社の祭礼 4
写真は、村中を引き回される山車。芸者衆が乗って音曲を奏でているように見える。 後ろの山車は、繭玉を投げている。繭玉と引き換えにお札がもらえる。繭玉の中には福引の札が混じっていて、拾った人は、賞品をもらえる。「塩尻地区写真集」より
2022-05-03
6
「蚕種の郷」座摩(ざますり)神社の祭礼 3
座摩神社の祭礼について、明治生まれの高遠直一さんは覚書(昭和53年)でこう書いています。 『八十八夜のお祭りの当日は午前中「お舟の練り」が村内を練りまわり、辻々にて信者に繭玉、養蚕道具などの縁起物を授与し、午後は各地よりはせ参ぜる力士多数、村内抜群の力士を中心に、境内相撲場、土俵上にて奉納大相撲が挙行された。この祭りのために村内各家には親類、縁者、蚕種屋のお得意様など多数の来客あり、あげて参拝する習慣であった。』 祭礼の準備は、上塩尻の18歳から30歳までの男子全員「若い衆仲間」が、祭典余興、繭玉練り、相撲などの係りを分担して準備にあたった。写真は、新屋を出発するお練りのお舟。(大正11年)「塩尻地区写真集」より
2022-05-03
7
「蚕種の郷」座摩(ざますり)神社の祭礼 2
座摩神社の由来は、奈良時代、元正天皇の養老元(717)年、虚空蔵山の山頂に「保食神(うけもちのかみ:食物養蚕の神)」を祀り、養蚕の守護を祈ったことに始まったと伝承されています。江戸時代の寛文2(1662)年、この地に里宮を遷され、文久9(1819)年、正一位座摩神社蚕養國大神の社号を受けて現社殿が建築され、明治29(1896)年に修復、背後の大石積が施され現在に至っています。
2022-05-03
8
「蚕種の郷」座摩(ざますり)神社の祭礼 1
5月3日、上塩尻の #座摩神社 の祭礼が行われました。今年は、コロナ感染のため3年ぶり、神職と役員のみでひっそりと拝礼するだけでした。しかし、昭和の半ばまでは、座摩神社の祭礼といえば、「 #蚕影様 (こかげさん:蚕の神様)のお祭」として、上田・小県はもちろんのこと、遠くは水内、高井郡をはじめとして、佐久、北上州まで鳴り響いていたそうです。 江戸時代の半ばから昭和の初期まで養蚕は、国や地域の経済、農家の生活を支える重要な仕事でした。しかし、飼育技術が確立するまでは当たり外れが大きく、運に任せることが大きい仕事でした。上塩尻は、優良な蚕種を作るともに、飼育技術の改良・普及に努め、生産量ばかりでなく、品質の面からも日本一の「 #蚕種の郷 」と言われていました。その上塩尻の「蚕影様」の祭典は、八
2022-05-03
9
生塚神社
花桃イベントの出発点です!
2022-04-29
10
シロヤマブキの群落
ゆうすげと蝶の里から座摩神社に向かう林道沿いのシロヤマブキが咲き始めました。シロヤマブキは、西日本には自生していますが、この辺の山ではあまり見かけません。黄色いヤマブキはたくさん自生していますが、シロヤマブキは、園芸種です。かつて畑に植えられていたものが広がったものと思われます。ヤマブキの花弁は5枚ですが、シロヤマブキは4枚で、葉の付き方も違っています。 山の林の中もかつては住民の生活圏だった証拠です。
2022-04-24
11
桜も良いけど…
近所の神社の桜を見に行くと自治会館の椿も満開でした 桜も良いですが椿も綺麗ですね…。
2022-04-17
12
花桃満開
2年前に植樹した花桃 満開になりました。 生塚神社のソメイヨシノも満開です。 バイパス下の枝垂れザクラも綺麗です。 景色を見ながらお散歩どうですか? 同時期に咲くのは 珍しいですね。
2022-04-14
13
上塩尻蚕種製造民家群4 蚕種製造民家「清水卓爾氏宅」①
旧北国街道を西に向かい新幹線の高架をくぐり、座摩神社の参道を過ぎ、坂を登り始めると左側に気抜きの屋根の二棟が迎えてくれる。一段下がったところにあるため、2階の蚕室の大きな窓や塗壁、気抜きのために屋根の上に小屋根(越屋根)を設けた蚕種製造民家が見えてくる。Google earthではまだ見ることができるが、数年前まで、街道の右側にも3軒の蚕種製造民家が並んでおり、「蚕種の郷」の入り口にふさわしい景観がみられた。
2022-04-03
14
もう満開です
上田城の桜はまだまだつぼみの3月末、こちらの桜はもう満開。北国街道、秋和の豊秋霧原野神社(八幡社)の参道の入り口の二度咲桜です。なんと春ばかりでなく、冬12月頃にも咲きます。
2022-04-02
15
スイセンが咲き始めたよ
秋和の豊秋霧原野神社(とよあききりはらの)の参道のスイセンが咲き始めました。一昨年は、3月9日、去年は3月19日の先始めでした。今年は、3月25日ですので、寒い冬だったのがわかります。地域の皆さんが手入れをしてくださり、毎年、増えています。 今年はうまくすると、桜とのコラボがみられるかもしれませんね。
2022-03-25
16
コスモス写真展
今年も花いっぱいの会の方で企画したコスモス写真展を行います。それに伴い、生塚神社付近のバイパス沿いにはたくさんのコスモスが咲いているので、ぜひ気軽に散歩しながら見に行ってみてください!
2021-09-20
17
熊が罠に!
塩尻地区で熊が罠にかかりました。 座摩神社付近のようです。
2021-08-12
18
花桃イベント 生塚神社~里山の中の様子
花桃イベントのネイチャービンゴゲームを実際に行っている最中の様子とやその際に里山の中を歩いている様子を撮影した写真です。途中の道で険しいところもありますが、進んでいくと眺めが良い場所もあり、それが魅力の里山となっています。ここを歩けるように整備したと考えると、すごいなと改めて思います。
2021-05-08
19
蚕種の郷 2 こんなに高いところまで!
秋和の豊秋霧原野神社(大藏京)から林道を登ると次々に石垣が現れます。中には高さ10メートルを超える石垣もあります。麓から2.2km、200m登った標高650m地点、ヘリポートのある阿弥陀平の辺りまで石垣がつくられています。険しい岩峰(兎峰うさぎみね)の直下から岩がごろごろと転がっているガレ場の下です。 塩尻岩鼻の高圧線の鉄塔が立つ尾根の上には和合城跡があります。下塩尻から急な登山道をのぼり、稜線近くややなだらかになった600m辺りにも立派な石垣が並んでいます。
2021-04-24
20
生塚神社(うぶつかじんじゃ)の歴史(れきし)
はじめに、この「生塚」の生(お)い立ちは、昔の「生心(うぶね)」と「塚穴(つかあな)」という地域(ちいき)の頭文字(かしらもじ)から誕生(たんじょう)しました。 この生塚神社では、春と秋にお祭りをします。春は「幸せに暮らせますように」とお願いをして、秋は「お願い事をかなえてくれてありがとう」と伝えて神様にお礼をします。このおかげか、昔コレラという一度かかったら死んでしまうという病気が大流行(だいりゅうこう)しましたが、生塚に住む人たちは一人も命を落とさなかったという逸話(いつわ)があります。 また、生塚神社の鳥居(とりい)の近くの石に神紋{(し
2021-04-16
21
イノシシコースの秘密(ひみつ)
みんなが歩いてきたイノシシコースは「死人郷路(しびとごうろ)」という名前がついています。 これは大昔の戦争、上田原の合戦(うえだはらのかっせん)で亡(な)くなった人たちの骨が、明治の人が井戸を掘(ほ)ったときに沢山(たくさん)でてきたことからこのような名前が付けられました。 また、郷路というのは石が「ごろごろ」している「道路」という意味が込められています。 もしかしたら、今でも土を掘ったら骸骨(がいこつ)が出てくるかもしれません・・・
2021-04-15
22
花桃が咲いたよ
昨年春 植樹した花桃が咲きました。 2週間早いです。 生塚神社のソメイヨシノも満開です。 ( 花いっぱいのさんぽみち) 春を感じながら散歩してみませんか?
2021-04-04
23
2019西部地域まちあるき:愛宕神社
2019年5月13日に開催された西部地域まちあるき(秋和)では、愛宕神社に向かいました。 あの石段を登り切った後でも息を切らさず詳しく愛宕神社についてご説明くださった中島さんに脱帽です。
2021-01-29
24
令和3年日の出
2日に日の出を見に行ってきました。7時10分頃です。 上田市街地を一望。 元旦じゃ無くてもいいじゃないですか! とても美しいです。近くなので足を運んでみて下さい。 生塚神社⛩付近です。 あすすめです 地元の絶景!
2021-01-02
25
初日の出
生塚神社付近 初日の出が綺麗です。近くですのでどうでしょうか。7時10分頃です。 コロナ禍において太郎山では今年焚き火がないようですよ。
2020-12-28
26
まちあるきで西部地域をアーカイブ
西部地域まちづくりの会の自然・生活環境部会が主体となり、地域デジタルアーカイブ&マップづくりの活動が進んでいます。2018年度は事業の計画や機材購入などに取り組み、翌年度の活動開始に備えました。 そして2019年、春爛漫の4月となり、4/22、待望のまちあるきを実施しました。地域を探訪しながら、地域の文化財、歴史スポットなどを画像に撮り、それらをネット上のアーカイブサイトにアップロードしてデータ共有する地域アーカイブ&マップづくりの活動です。会の皆さんにとっては全く初めての取り組みになります。長野大学・前川ゼミの学生有志が一緒に参加し、《まちあるき=画像記録》を実行しました。 この日は矢出沢川に架かる西八幡橋に参加メンバーが集合し、まちあるきに出かけました。約20名が3グループに分かれてそれ
2020-12-19
27
八幡宮
下紺屋町自治会内にある神社です。
2020-12-07
28
金刀比羅神社
新屋自治会内にある、小さな神社です。真後ろには住宅があります。
2020-12-07
29
日進堂製菓
明治創業の町のお菓子屋さんだそうです。 下紺屋町にある八幡神社の坂を登って行ったところにあります。
2020-12-06
30
白山神社2
緑ヶ丘西自治会にもある神社です。滑り台などの遊具や大きな木が植えられています。
2020-12-06
31
白山神社1
緑ヶ丘西自治会にある神社です。緑が丘北自治会にも同じ名前の神社があります。
2020-12-06
32
常磐町のお地蔵様
須波三穂神社に向かうこの一本道は昔は両側が桑畑でした。その道の入口にはひっそりとお地蔵様が立っておられます。きっと周囲の桑畑や田んぼて働く人々を日々見守られていたのでしょう。神社への道案内と共に。
2020-10-26
33
ヤマキチョウに出逢うのは何年ぶりだろう?
生塚神社そしてコスモスを見ながらの里山散歩は私いつものコース。しばらく下って行くとやがて秋和鉱泉と愛宕神社に辿り着く。 この辺りにはもう何十年前に捕虫網と3角ケースを携え友人と蝶を追ったものだ。当時の記憶からすれば、高山蝶であるヤマキチョウ、スジボソヤマキチョウが多く乱舞していたものだ。 本日出逢えたのは実にラッキーと言って良い。
2020-10-20
34
生塚 花いっぱいの会 コスモス散歩道
18号上田バイパス沿いの側道、生塚神社周辺約300mほどに秋の季節はコスモスが咲いています。 上田市西部公民館に車を停めていただき、徒歩で10分ほど。地元の花いっぱいの会さんが少しずつ整備をされています。 この道には、2019年には、ハナモモも植えられ、ハナモモをみる散策道も整備されつつあると伺っています。 結構道のアップダウンがありますが、そのためか、近所の方が健康維持のために散歩される姿や、お子さん連れで散歩を楽しまれている方々の姿もときどき目にします。 遠くに見える塩田方面の山々、岩鼻の眺望も楽しめ、秋には、黄金色の稲穂とのコントラストも楽しめるところです。 生塚地域の拠り所の一つになりそうです!
2020-09-14
35
飯綱神社
祀神は、「宇迦之御魂神(うがのごこんしん)」で、境内には天神社と金毘羅社が合祀され、本殿、拝殿、清殿、石の鳥居が備えられています。1798年(寛政10年)の再建と伝えられ、明治6年村社となりました。板に描かれた古い絵馬、俳句の掲額があり、毎年4月に例祭が行われています。なお、参道には尾崎行雄の記念碑が昭和12年に建立され、「公正自由なる選挙は立憲自治の基礎なり」と刻まれています。出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月
2019-12-20
36
下塩尻公民館
下塩尻自治会は、蚕飼(こがい)の郷として栄えた北国街道筋にあたり、今も江戸、明治、大正の面影がそこかしこに残る地域です。地区は、山根地区と中島地区に分かれます。山根地区には、飯綱神社の参道、山の中腹には参勤交代でゆかりのある天狗岩、岩鼻のがけ下には向井去来の句碑があります。中島地区では、昔の岩鼻のホタル合戦の復活を目指し、ホタルの里として水辺環境の整備にあたっています。
2019-12-20
37
諏訪泉神社 拝殿中央の彫刻
「司馬温公瓶割の図」 司馬温公が子供の時の故事に由来しています。本名は司馬光という。 司馬光が友人と遊んでいたところ、友人が誤って瓶に落ちてしまいました。司馬光は機転を利かせ、貴重な水瓶を割って友人を助け出すことができました。 人名の尊さを訴えています。
2019-11-15
38
ほらが石(鳴石)
諏訪泉神社境内 文化2年(1805)諏訪部村の人々が千曲川の水中に、この石を見つけました。この石の上辺に小穴があり、これを吹くとホラ貝のような音がしました。村の人々は珍しい石であるとして、神社境内に安置し、しめ縄を曳いて神の如くしました。
2020-02-06
39
愛宕神社(あたごじんじゃ)
1550年頃(天文年間)真田幸隆により祀られたとの伝承がある。後、仏教と習合し愛宕権現となり、正福寺が別当となり火難徐け祈祷をしてきたが、神仏混淆禁止令により1869(明治2)年愛宕神社となった。 今でも消防団により出初式の日に梯子乗りを奉納し安全と防火を祈願している。このお宮には180段の石段がある。
2020-02-06
40
紺屋町八幡社(こんやまちはちまんしゃ)
祭神は応神天皇(おうじんてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、玉依姫命(タマヨリビメ)。創建年は不詳。真田昌幸が1584(天正12)年上田城築城にあたり鎮護のため、東御市の八幡神社(現:滋野神社)を現在地へ移したと伝えられてる。武門(ぶもん)の神様としても崇敬(すうけい)されている。祭日は4月14・15日。
2020-01-10
41
COSMOS
上塩尻を散策しながら、神社に向かう途中山のふもとにたくさんのコスモスが咲いてたので思わず写真を撮ってしまいました。
2019-04-01
42
座摩神社への道のり
座摩神社へはたどり着けませんでしたが、途中で見た景色はとても綺麗でした。
2018-12-08
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