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1秋和の水路秋和の水路旧北国街道沿いの秋和地区の特徴。 街道から脇道に入る細い道のほかに、水路があることも特徴の一つだと思います。 水路の水を家に引き込んで、洗い物などをした後も見受けられます。 いまそうやって利用している人はいないと思うのですが、水路がある街並みも秋和地域の風情を表していると思います。2022-05-09
2旧北国街道 秋和地域の風景旧北国街道 秋和地域の風景旧北国街道沿いの秋和地域の特徴は、街道に沿ったところに玄関がないところ。 街道沿いに玄関がある家は、建て替えなどをした家で、古くからある家は街道から脇に伸びた細い道を通って玄関となります。 街道は公共的な場所だという意識が強かったのでしょうか。それとも別な理由なのか。 街の特徴をあらわしています。不思議ですね。2022-05-09
3仮称 秋和の藤仮称 秋和の藤旧北国街道から国道18号線に出る道の脇に見事な藤の木があります。 通るたびにきれいな藤だと感じていました。 特に持ち主の方の許可は得ていないのですが、仮称で「秋和の藤」と名付け楽しんでいます。2022-05-09
4上塩尻蚕種製造民家群1 蚕種製造の中心地:上塩尻「大村」上塩尻蚕種製造民家群1 蚕種製造の中心地:上塩尻「大村」明治30年発行の「長野県小県郡熱心蚕種製造家一覧」には、上田町を中心に郡下163戸の蚕種製造家の氏名が記載されている。その2/3の107戸は、旧塩尻村(上塩尻58,下塩尻20、秋和29)がしめている。塩尻とともに西部地域に属する(鎌原7,諏訪部2)も加えると上田盆地の西部、千曲川北岸が蚕種製造の中心だったことがわかる。 上塩尻の中でも53戸の蚕種製造家が集中している「大村」(字:北側・南側)は、千曲川と虚空蔵山に挟まれた大沢の扇状地の斜面で、千曲川の洪水を受けにくく、江戸時代には信越、北陸を結ぶ北国街道が通っていた。上塩尻村の中心である「大村」は、扇状地の上部を北国街道が西の扇端部に向かって下り、平坦部を通る国道18号線とがけ下で交わる西端地点を頂点し、東500mの塩尻小学校の西縁とそこから北に向2022-04-03
5もう満開ですもう満開です 上田城の桜はまだまだつぼみの3月末、こちらの桜はもう満開。北国街道、秋和の豊秋霧原野神社(八幡社)の参道の入り口の二度咲桜です。なんと春ばかりでなく、冬12月頃にも咲きます。2022-04-02
6スイセンが咲き始めたよスイセンが咲き始めたよ 秋和の豊秋霧原野神社(とよあききりはらの)の参道のスイセンが咲き始めました。一昨年は、3月9日、去年は3月19日の先始めでした。今年は、3月25日ですので、寒い冬だったのがわかります。地域の皆さんが手入れをしてくださり、毎年、増えています。  今年はうまくすると、桜とのコラボがみられるかもしれませんね。  2022-03-25
7〈秋和〉不思議な街並み 5〈秋和〉不思議な街並み 5秋和の北国街道は直線的だが、道幅が狭いため大軍の進軍は難しい。家々の間口の幅が同程度なのも人工的に作られたからだろう。街道に面して出入口を作らず、小路から出入りし、時には小路に隠れて敵を迎え撃つ。小路を50mほど奥に入ると家並の裏に東西に走る小路があり、街道から見られずに移動ができる。間口いっぱいに建てられた家は、江戸末期から養蚕・蚕種業が盛んになり、広い蚕室を確保する確保するために改築されたものではないか。 西脇や新町のように城下町に近い村は、時代が下がると町屋化し、商いのために道に面して入口を設けるようになった。秋和は農が主で店も宿もほとんどなく、旅人に出入口を開く必要もなかったのではないか。むしろ、背後にある田や山麓や河川敷にある桑畑に通うには、家にわきにある小路が重宝2022-03-23
8〈秋和〉不思議な街並み 4〈秋和〉不思議な街並み 4秋和は、生塚、新町、西脇などと同様、真田氏が上田の城下町を作るときに太郎山の山麓にあった村々を城下町の防衛帯(城下囲:じょうかかこい)とするために移住させてできた。滝沢和喜夫著「秋和の今昔」(S57刊)には、『北国街道に添った秋和村の家の構造は、敵をあざむくために、障子の後ろに雨戸を設けて無防備に見せかけ、小路を多く作って、小路を入った正面に入口を置かず、小路の左右を入口として、攻めるに難く、逃げるに易くするというのが共通の家構えであった。』とある。そのため、真田氏・仙石氏の治世では、屋敷にかける年貢は免除されていた。写真は、街道から北へ抜ける小路。左側に家は小路に向いて門がある。2022-03-23
9〈秋和〉不思議な街並み 3〈秋和〉不思議な街並み 3④家と家の間に街道に直交する小路があり、家の門や入口はその小路に向いている。 地図で秋和集落を見ると東西に走る街道から、一~二軒おきに南北に「くしの歯」のように小路が何本も延びている。もちろん、街道の奥にある家も小路に面して門や入口が設けてある。 写真は、2万5千分の1の地形図。国道18号の北側の旧北国街道の両側に家が並んでいる。特に、西側に南北方向に小路がみられる。2022-03-23
10〈秋和〉不思議な街並み 2〈秋和〉不思議な街並み 2①街道に面して入口のある家が少ない。  旧家の多くは、入口や玄関が街道に面していない。東西にある小路に門を設け入口としている。街道に背を向けている南側の家ばかりでなく、北側にある家も同様で、南に庭があっても塀で囲み、街道から母屋が見えにくい。近年、改築された家の多くは、街道に面して入口や駐車場を設けている。 ②街道に面して、旧家の間口の幅がほぼ10~12mほどで、広狭の差が少ない。 文人で蚕種家だった滝澤秋暁生家は例外的に20mほど。 ③どの家も間口の幅いっぱいに家が建てられている。 家々は、間口の幅いっぱいに家が建てられている。また、街道に寄せぎりぎりの位置に建てられているため、街道の南側は家が高い壁のように立ち並んでいる。 写真の家は、左手の小路に向かって門のある家。右手が2022-03-23
11〈秋和〉不思議な街並み 1〈秋和〉不思議な街並み 1秋和集落は、旧北国街道に沿って東西1kmほどの街村を形成している。昭和16年に国道が集落の南にできたため、道幅狭く、通過車両少なく、道路に沿って水路のある街道の面影が残っている。道の両側には戦前まで蚕種製造を生業としてきた気抜きのある民家も多かったが、近年は、改築する家が増え、独特の景観も失われつつある。昔の景観を思い出しながら街並みを歩くと、不思議な点に気づいた。 写真は、西から東を望む。右手の建物は、街道の面影を残す旧中島銀行。左手は、改築された家々2022-03-23
12早くも咲き始めたロウバイの花早くも咲き始めたロウバイの花 秋和の西の「火の見」の下で、民家の庭先から枝を伸ばしたロウバイの花が咲き始めました。ロウ細工のような黄色い半透明の小さな花から芳香が漂っています。  このあたりでは、1月中旬から2月にかけて咲くロウバイが多いのですが、ここのロウバイは、なぜか、毎年12月には咲き始めます。  冬晴れの空を背景に、一足早く春がやってきました。2021-12-17
13山城アフターサミット山城アフターサミット11月7日 山城アフターサミットで秋和にある飯綱山山城を見学してきました。 当日朝 熊が出たと連絡あり 爆竹先発隊数名 皆さんは萩原さちこ講師の講演の後バスでゆうすげの里へ。 ヘリポートまで歩き、いざ山城へ! ヘリポートから見る兎峰は壮観でした。 礎石を見学し、看板の所で萩原講師の説明をうけ 深い堀切を越え見晴らしのいい場所に登頂。 そして 戦に思いを馳せ幾重にもなっている郭を降りてきました。わたしは、むらさきしめじやくりたけを発見! 仲間に(目の付け所が違う)とほめられました。(笑)2021-11-08
14塩尻小学校郷土資料館7 蚕種家「佐藤尾之七邸宅」の今塩尻小学校郷土資料館7 蚕種家「佐藤尾之七邸宅」の今 写真は、資料館に版画があった蚕種家「佐藤尾之七邸宅」の今である。住む人なく閉められた門の脇に、蚕種家の屋敷だったことを紹介する説明文が掲げてある。往時の活気はうかがうべくもないが、一時代を築いた風格が漂い、「蚕種の郷」独特の景観を伝えている。1912(大正元)年の長野県の調査では、塩尻村(上塩尻、下塩尻、秋和)で県税を納めている戸数は566戸、うち蚕種製造戸数は、136戸で23.3%を占めていた。版画は当時の盛況ぶりを想像する手がかりとなっている。 今、塩尻地区でも朽ちるにまかされた蚕室や現代的な住宅に建て替わる古民家が少なくない。「気抜き」のある建物が狭い小路をはさんで軒を連ねる「蚕種の郷」の景観も雑木に覆われた段々畑同様に消えゆく時が迫ってはいないか。失ったら取り戻すことでき2021-08-12
15思わぬ洪水11 水害対策研修会思わぬ洪水11 水害対策研修会 5月半ばの日曜日、常磐町の自治会役員による恒例の水害視察研修会が雨の中行われました。町内の用水の溢れやすい箇所を確認しながら用水を遡り、西小そばの水門へ、更に八幡橋西の矢出沢川からの用水の取り入れ口、反転して用水の流れに沿って秋和との境の水門まで見て歩きました。久々の雨で、矢出沢川の水量も多く、西小脇の水門も閉じられていて、水路いっぱいに水が流れ込んでいました。水をためていた水田がほとんどなくなり、家が立ち、雨水も勢い良く流れ込む様子や用水路の管理も十分出ない様子が見て取れました。また、地域と水利組合との連携の難しさも話題になりました。異常気象が頻発する昨今、各家で水害に備えるともに、洪水で避難所に行けないことも想定して、平屋の家は、近所の2階家避難できるように協力体制を整2021-05-27
16西部地域まちあるきマップ【塩尻地区/秋和編】西部地域まちあるきマップ【塩尻地区/秋和編】2021-05-16
17蚕種の郷3 航空写真に写った段々畑(1)蚕種の郷3 航空写真に写った段々畑(1) 昭和22年撮影の航空写真(国土地理院)には、今は雑木に覆われている段々畑がはっきりと見えます。北に連なる太郎山山系、南には東西に流れる千曲川、左上から右下に国道18号線、右下が上田市街、中央に秋和の集落、左上に山と国道に挟まれた塩尻の集落が見えます。中央の黒い部分は水田、黒くひだになった山と水田の間の白い部分が畑です。右の大きく張り出した部分は緑が丘で、黄金沢と和合沢の複合扇状地です。山麓を西に向かうと沢の出口に小さな扇状地が並び、秋和の北西にやや大きな扇状地が見えますが、ここが前記の大藏京です。2021-04-24
18蚕種の郷 2 こんなに高いところまで!蚕種の郷 2 こんなに高いところまで!秋和の豊秋霧原野神社(大藏京)から林道を登ると次々に石垣が現れます。中には高さ10メートルを超える石垣もあります。麓から2.2km、200m登った標高650m地点、ヘリポートのある阿弥陀平の辺りまで石垣がつくられています。険しい岩峰(兎峰うさぎみね)の直下から岩がごろごろと転がっているガレ場の下です。   塩尻岩鼻の高圧線の鉄塔が立つ尾根の上には和合城跡があります。下塩尻から急な登山道をのぼり、稜線近くややなだらかになった600m辺りにも立派な石垣が並んでいます。2021-04-24
192019西部地域まちあるき:愛宕神社2019西部地域まちあるき:愛宕神社 2019年5月13日に開催された西部地域まちあるき(秋和)では、愛宕神社に向かいました。 あの石段を登り切った後でも息を切らさず詳しく愛宕神社についてご説明くださった中島さんに脱帽です。2021-01-29
20思わぬ洪水8 「用水路の未来」思わぬ洪水8 「用水路の未来」地図の緑色の部分は、昨年(令和2年)西部地区でコメ作りがされた水田です。紫色の線が用水路です。秋和堰を利用し、農地転用が規制されている秋和地区にはまとまって水田がありますが、堀越堰を利用する城北、常磐町では小規模の水田がわずかに点在しているだけになりました。この水田が耕作をやめてしまえば水路も用水としての役割がなくなってしまいます。用水利用者がいなくなれば、春・秋の清掃作業や水門の開閉による水量調節は誰がするのでしょうか。用水を流さないようにして、雨が降った時だけ水が流れる排水路にしてしまえばよいのでしょうか。道の脇を清冽な用水が音を立てて流れる風景はどうなるのでしょう。住民と水路の関わりついて考えねばならない時が来ているのではないでしょうか。2021-01-25
21思わぬ洪水5 「矢出沢川の流下能力を超える神川からの流入、用水路にも」思わぬ洪水5 「矢出沢川の流下能力を超える神川からの流入、用水路にも」平成22年の水害時の降水量は、上田で時間雨量56mm,累計雨量82mmでした。時間雨量は上田市観測史上1位となっていますが、累計雨量は昭和39年より少なく、用水路も改修整備されているのになぜ水害がおこったのでしょうか。同時刻、菅平94mm、真田110mmと流域面積が矢出沢川により格段に広い神川流域に多量の降水がありました。矢出沢川は、懐の浅い太郎山の金剛寺地籍から流れ出た沢水を集めた川で、梨ノ久保沢、黄金沢などを合わせても水量はわずかなので下流の水田を潤おすには足りず、江戸時代に神川から水を取り入れる堀越堰が作られました。堀越堰ばかりでなく古代から拓かれていた神科台地の用水も神川の上流から取り入れられており、余った排水は蛭沢川などを通って矢出沢川に落ちています。平成22年の水害は、真田地区でも多くの床下2021-01-25
22思わぬ洪水4 「想定外だった用水の氾濫」思わぬ洪水4 「想定外だった用水の氾濫」平成22年の豪雨では、上田市全体では152件の床上・床下浸水被害があり、特に矢出沢川の関係では蛇沢、上川原、諏訪部、秋和、上塩尻、下塩尻の被害が大きく、伊勢山、神科新屋、長島、大久保、下川原、北大手、下紺、常磐町で被害がありました。 図は、長野県の管理している矢出沢川・黄金沢川について、平成19年の整備状況を勘案して100年に一度の大雨(1時間に58mm以上)が降り、川が氾濫した場合の浸水想定区域図(県土木部のホームページより)です。被害にあった地区は、図の想定区域とほぼ重なりますが、常磐町をはじめとして想定外の地区にも広がっていたことがわかります。地図の説明文には、内水(小河川や水路の氾濫)は、考慮していませんと書いてあります。どういうことでしょうか。なお黄金沢川は、氾濫しなかった2021-01-25
23思わぬ洪水3「用水路の改修」思わぬ洪水3「用水路の改修」昭和39年以降、平成22年まで大きな浸水被害の記録はありません。その理由について30周年誌には、夏にはホタルが飛び交い、サワガニを取った粗い石組みでできた崩れやすい用水路が、コンクリートU字溝に改修され、用・排水がよどみなく流れる様になったから。水門の整備が進み、豪雨の時には矢出沢川からの用水の取り入れを調節したり、西小のそばの水門を開け、矢出沢川に用水を戻したりするなど水路への流入量を調節できるようになったからと説明しています。さらに昭和58年には公共下水道が完成し、家庭雑排水は水路に流れ込まなくなりました。写真は、令和3年1月に秋和地区で行われていた水路改修工事の様子です。U字溝を入れるため、石を除き底をならしています。2021-01-23
24ヤマキチョウに出逢うのは何年ぶりだろう?ヤマキチョウに出逢うのは何年ぶりだろう?生塚神社そしてコスモスを見ながらの里山散歩は私いつものコース。しばらく下って行くとやがて秋和鉱泉と愛宕神社に辿り着く。 この辺りにはもう何十年前に捕虫網と3角ケースを携え友人と蝶を追ったものだ。当時の記憶からすれば、高山蝶であるヤマキチョウ、スジボソヤマキチョウが多く乱舞していたものだ。 本日出逢えたのは実にラッキーと言って良い。2020-10-20
25ごんべeごんべe秋和在住です。自給自足生活を目指す元気爺さんです。2020-09-01
26西部地区探検隊[不思議な水路 7]西部地区探検隊[不思議な水路 7]7 4月下旬、田植えの前に水門が閉められ、右側用水路は満々と水をたたえ、太郎山に向かって流れていきます。 医療センターに向かう道路の一つ手前の交差点付近で水路は西に曲がり、網の目のように水田を潤し、水田から流れ出た水や沢水、雨水を集めながら西に流れます。東西に流れる水路も生塚で支流を北に向けて分けた後秋和の街道沿い流れ、上塩尻の入り口で山沿いを流れてきた用水路と一緒になり最後は、岩鼻手前で千曲川に流れ込みます。2020-08-28
27西部地区探検隊[不思議な水路 6]西部地区探検隊[不思議な水路 6]6 なぜ、そんな面倒なことをしているのか。実は、西小学校の東側の道路から西は秋和まで、矢出沢川から北の太郎山の麓までの平地には、古代(平安時代頃)から水田が開かれていました。今は、秋和のあたりにしか水田は残っていませんが、東西南北に等間隔に並ぶ道路やあぜ道は条里制の名残です。 山からの沢水や湧水を利用して水田がひらかれましたが、水田が広がると水が不足し江戸時代の初期の頃より矢出沢川の水を引いて使うようになりました。2020-08-26
28西部地区探検隊[不思議な水路 5]西部地区探検隊[不思議な水路 5]5 西小学校の脇の水門に戻ります。八幡橋の下で取り入れられた用水はここでそのまま西、秋和方面に流れる用水と、太郎山から道路側の水路に流れ込む水に分かれます。矢出沢川に水を落としている水門を閉めたらどうなるでしょうか。まさか太郎山に向かって流れていく?そう、そのまさかです。8月上旬の雨の少ない時期、道路側の水路は山に向かって流れていました。 水路の高低差はほとんどないため、歩道側の水路は山からの流れる勢いで矢出沢川に、道路側の水路は矢出沢川から取り入れる用水の勢いで山に向かって流れているのです。2020-08-26
29西部地域まちあるき2019の記録西部地域まちあるき2019の記録 2018年に発足した「上田市西部地域まちづくりの会」は翌2019年度に本格始動しました。4部会の一つ「自然・生活環境部会」では地元地域の文化・歴史遺産・自然などをデジタルアーカイブ化・マップ化する活動を持続的な地域活動にしていこう、という方向で取り組みが始まりました。その活動の手始めにしたのが「西部地域まちあるき」です。 4月は西部地区(下紺屋町~生塚)、5~6月は塩尻地区(秋和・上塩尻・下塩尻)をまちあるきしました。部会のメンバーにとっては地元でありながら、地元自治会のエリアがより広域に広がった「西部地域」をお互いに詳しく見聞しあったことはなく、地元であ2020-08-25
30秋和の文庫蔵を訪ねる秋和の文庫蔵を訪ねる2020/2/17、地元の方々と学生と秋和文庫蔵を訪ねました。 秋和は蚕種製造の中心地であった塩尻村の中で、上塩尻、下塩尻と共に蚕種製造が営まれ、蚕都上田の興隆にも大きく貢献した一地域です。そうした近代の地域の背景を知る上でも地元の古い資料は欠かせないものです。 地域の文書保管のための文庫蔵の内部には明治以降の文書が段ボール箱やタンスに入れてしまわれています。具体的にどのような資料が保存されているのか、まだその目録化はされていないとのこと。しかし、これだけしっかりと明治以降の文書が残されていることはかけがえがありません。実に得難いことです。平成のものもあります。 いくつか手にした文書は「明治十八年 祭典諸事記載帳」「明治三十年度 人夫賃金支払帳 塩尻村秋和土木委員」「明治十年第三月 2020-08-25
31花いっぱいの会近くの畑花いっぱいの会近くの畑ヤブランがとても綺麗です。 手入れをしている秋和の滝沢さん。 一本一本雑草をとっているとのこと。 紫の花 見事です。 イノシシ2020-08-24
32少林山長昌寺(しょうりんざんちょうしょうじ)少林山長昌寺(しょうりんざんちょうしょうじ)曹洞宗。本尊は釈迦牟尼仏 1580年(天正8年)機山林積禅師が暦遊し、1574年(天正2年)に小林飛弾守長昌が建てた小林堂を堂屋敷から ここに移して、長昌寺として開基したと伝えられている。 1875年(明治8年)にここに秋和学校が開設された。 1886年(明治19年)に通学区が変更されるまで11年続いた。2020-02-06
33杉並木古株 (すぎなみきこかぶ)杉並木古株 (すぎなみきこかぶ) 真田昌幸が上田城築城の際、城の西側にあたる秋和集落に267本の杉を植えたと伝えられている。  このうち1本残った杉の木が史跡名勝天然記念物に指定されていたが、台風で倒れ今はこの古株から当時の杉並木を偲ぶだけとなった。2020-02-06
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