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12009年開館当時の藤本蚕業歴史館2009年開館当時の藤本蚕業歴史館★写真:2009年10月蚕都上田プロジェクトが実施した見学ツアーの様子 上田市上塩尻に「藤本蚕業歴史館」が開館したのが2009年10月です。今年2022年、早いものでそれから13年近くが経ちます。日本一の蚕種(蚕の卵)の製造地だった上塩尻の中でも一番の中心的な蚕種製造企業だったのが「藤本蚕業」(現在の藤本工業の前身)です。藤本蚕業歴史館は藤本蚕業の蚕室を再利用して開設しました。同社所蔵の膨大な社内文書も保全されています。一般に馴染みがない「蚕種」や上塩尻の背景を知る上で欠かせない情報源となる施設です。 13年経過すると当時はご健在だった方もお亡くなりになった方やリタイアして活動から遠ざかられた方もいます。その時の記録が希少な記録となってきました。2022-08-31
2上塩尻蚕種製造民家群7 藤本蚕業株式会社⑤上塩尻蚕種製造民家群7 藤本蚕業株式会社⑤ 昭和期になると蚕種製造が近代化され冷蔵や消毒、人工ふ化室などの設備が必要となり、また、大規模化した製糸工場が、蚕種を自家製造するようになり、蚕種製造家も個人経営では対応が難しくなった。蚕種家も会社化、組合化が進み、「藤本」も藤本蚕業合名会社、藤本蚕業株式会社と経営を変え、昭和2(1927)年、扇状地の下の国道沿いの平地に大きな製造所を新築し、昭和41(1966)年まで蚕種製造を行った。現在は、藤本蚕業歴史館として江戸時代から昭和中期までの2万点余の資料や備品を保存・展示している。屋根に出ている煙突は換気設備2022-05-30
3まゆの里 散策マップまゆの里 散策マップ 西塩尻駅の広場にある案内板です。塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会で作成した「上田しおじりー歩くほどに思い出が深まるまゆの里」をもとに製作された案内板です。上塩尻、下塩尻、秋和の歴史的遺産を地図で確認できます。「まゆの里」散策に活用してください。2022-05-27
4蚕種製造民家群3 現存する蚕種製造民家蚕種製造民家群3 現存する蚕種製造民家上塩尻の養蚕家屋については、1989~92(平成元~4)年に工学院大学の研究チームが大規模な調査を行い23軒が調査対象となっている。また、平成14年に近代化遺産活用計画策定のための地域調査チームによる現地調査では、気抜きのない養蚕家屋も入れて37軒を対象にしている。 現在、気抜きの備わる蚕室を持つ民家は19軒、他に気抜きはないが、喚起のため窓を大きくして蚕室として使われていた家屋が数軒、近年、取り壊されたり、建て替えられたりした家屋が10軒弱あるが、狭い北国街道や小路に面しているため、工事が難しいこともあり、内部を改修するなど手を入れ、現在も住居として使われている家屋が少なくない。  写真は、緑点は蚕種製造民家、改築されたが景観に配慮して気抜き施した家屋もある。赤点は、平成14年の調2022-04-03
5秋和の文庫蔵を訪ねる秋和の文庫蔵を訪ねる2020/2/17、地元の方々と学生と秋和文庫蔵を訪ねました。 秋和は蚕種製造の中心地であった塩尻村の中で、上塩尻、下塩尻と共に蚕種製造が営まれ、蚕都上田の興隆にも大きく貢献した一地域です。そうした近代の地域の背景を知る上でも地元の古い資料は欠かせないものです。 地域の文書保管のための文庫蔵の内部には明治以降の文書が段ボール箱やタンスに入れてしまわれています。具体的にどのような資料が保存されているのか、まだその目録化はされていないとのこと。しかし、これだけしっかりと明治以降の文書が残されていることはかけがえがありません。実に得難いことです。平成のものもあります。 いくつか手にした文書は「明治十八年 祭典諸事記載帳」「明治三十年度 人夫賃金支払帳 塩尻村秋和土木委員」「明治十年第三月 2020-08-25
6飯綱神社飯綱神社祀神は、「宇迦之御魂神(うがのごこんしん)」で、境内には天神社と金毘羅社が合祀され、本殿、拝殿、清殿、石の鳥居が備えられています。1798年(寛政10年)の再建と伝えられ、明治6年村社となりました。板に描かれた古い絵馬、俳句の掲額があり、毎年4月に例祭が行われています。なお、参道には尾崎行雄の記念碑が昭和12年に建立され、「公正自由なる選挙は立憲自治の基礎なり」と刻まれています。出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月2019-12-20
7六寸街道六寸街道北国街道岩鼻の坂城町寄りの崖の中腹にある山道です。道幅がとても狭いため6寸街道と呼ばれ、崖下の道が洪水で通れないときに利用されました。街道の中の「親不知らず子知らず」に並ぶ難所でした。 出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月2020-01-10
8去来(きょらい)の句碑去来(きょらい)の句碑『岩ばなや爰にもひとり月の客』の句碑が1799年(寛政11年)に地元の俳人らによって建てられました。碑石高110cm 幅60cm 雑草が生い茂る中で訪れる人もなく岩鼻の崖下にひっそりとたたずんでいます。「向井去来」(1651年~1706年)は、長崎で生まれた江戸前期の俳人で松尾芭蕉の十高弟のひとりでした。去来の句碑は全国で9基しかないといわれ、長野県では岩鼻の句碑一つだけです。 出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月2019-12-20
9天狗岩(にっこり岩)天狗岩(にっこり岩)参勤交代が行われていた頃のお話。下塩尻山根地籍を通る北国街道は、断崖絶壁の岩と千曲川の急な流れに挟まれて、街道の中でもかなりの難所といわれていました。六寸街道を無事に越すことができた殿様は、お籠から出て一休みしながら山の中腹を見上げると、何やらふっくらとした割れ目がある可愛い岩を見付けました。お殿様は国元に置いてきた奥方様を思い出して思わずニッコリしましたとサ・・・。 出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月2019-12-20
10社宮神(しゃぐじ)社宮神(しゃぐじ)中島集落の西のはずれの一角。梅の古木の脇に祠が祀られています。この祠は縄文時代から農村では物を産み出す大地の精霊(産土の神・うぶすなのかみ)として信仰されてきました。 出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月2019-12-20
11天満宮天満宮1771年(明和8年)の創建と伝えられ、舟形の地形が特徴です。古い絵馬や俳句の額が掲げられています。明治6年に村社になり、かつては春秋の例祭には村人の踊り、大々神楽、相撲等が奉納されました。敷地内には、福島安正書の「菅公一千年記念碑」もあります。 出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月2019-12-20
12水天宮水天宮下塩尻字日月地籍に舟人の守護神、水の神、安産の神として水天宮が祀られています。千曲川水系では比較的大きな社殿と言われ、毎年9月には神主が来場して区民が例祭を行っています。 出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月2019-12-20
13郡道標識と半過の渡し舟郡道標識と半過の渡し舟「半過渡船ヲ経塩田方面」の郡道標識が昭和2年下塩尻の青年団によって建てられました。渡しがあった千曲川の川幅は約50mで、昭和16年頃まで主に対岸の人々が中島地籍に田畑を耕作するために利用していました。舟番と呼ばれる人が小さな小屋にいて、両側の人々が大声で舟番に呼びかけると舟を渡してくれました。 出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月2019-12-20
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