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登録リスト(該当:43件)
≪
1
≫
写真
タイトル
説明
登録日
1
座摩神社
座摩神社は塩尻小学校の生徒であれば1度は行ったことがあると思いますし、塩尻地区の人であれば知らない人はいないと思います。 そんな座摩神社ですが、どんな神社なのか知らない人が多いと思います。 昔は食物、農耕を願っていたとされていますが、養蚕を始めるようになってからは豊蚕祈願をするために地方から訪れる人もいたそうです。 上塩尻地区ならではの神社ですね。
2023-12-04
2
2023 7/9 石垣段畑、ねこ花壇の移植会
ねこ瓦を広く知ってもらうために、ねこ瓦を愛する会では、上塩尻の石垣段畑にねこの顔の花壇を作りました。 この日は、7日に続き、上田西高校のDプロジェクト部の皆さんと顧問の宮島先生が再参加され、西側の赤ピンク色のねこ花壇を作って下さいました。 今日は、両目、口、二割れの顔全体に花を移植しました。 現地に来るまでには、北国街道のねこ瓦を探しながら、徒歩で来られ、ねこ瓦を初めて鑑賞して来たそうです。 東側のもう一つのねこ花壇のは、塩尻小学校の学童クラブの長嶋先生、これで3回目の作業に来てくださった、ベトナムから来日された若い女性2名と私達ねこ瓦の会のメンバーが担当しました。 皆で、和気藹々とお話しながら、白、紫、赤、ピンク、緑、茶色ととりどりのカラーの花苗を移植しました。
2023-07-12
3
蚕種家滝澤秋曉「司令塔」より②
蚕種家としての秋曉の仕事の様子はこう書かれている。 『司令塔へ籠りきるのは、製種(蚕種を造る)時で、朝のうち一通り指図をすると仕事に馴れた一人二人連れて司令塔に上がる。蚕種の注文の手紙は、1日に30通ほど、お礼や返事のはがきや手紙を書く。一方で、伝習生(蚕種製造について学びにきている若者)が(産卵)台紙に、店の印をおす。薄どり(蚕種の数が少ない)、厚どり(多い)、枠入などと仕分ける。自分は、手紙が片付くと帳簿に注文を書き入れる。』 *明治後期、郵便制度が整うと蚕種を持って出張販売することは少なくなくなり、郵便で送り、郵便為替で代金を受け取るようになった。写真は、塩尻小学校郷土資料室に寄贈された滝澤家の蚕種の発送箱。箱には昭和と入っている。山梨県の得意先に7枚を送るもの。なぜ、
2023-05-22
4
満開の桜、塩尻小学校
3/30、まだ3月というのに桜が既に満開です。春爛漫。
2023-04-01
5
塩尻小学校蓮池の全面結氷
寒い日が続いており、晴の合間に散歩に行きました。 諏訪湖の御神渡りも話題の中、塩尻小学校の蓮池が全面結氷していました。 凍っているときはこれまでも有った様に思いますが、今年はひとしおの姿のように思いました。 蓮は、春に健在なのでしょうか。以前は、アヒルや鴨が遊永し、サギが時々来ていた池です。
2023-02-02
6
塩尻小学校3年生の地域探索 2
11月11日に塩尻小学校の秋和地域探索を行いましたが、生徒さん達のお勧めの場所の他にも、歴史的に重要な所も見学しました。 秋和の北国街道にある、かつては267本有ったとされる杉並木の一本の古株の事を同行された山﨑洋さんから説明を受けました。また、正福寺では参拝の後、戌の満水大洪水時に流死者を埋葬した千人塚の説明も聞きました。 秋和保育園の園長先生より、周辺の地域が奈良時代より変わらない地形で残っていることを教えて頂きました。 愛宕神社の長い階段を頑張って登り、紅葉での見学と休憩をしました。 秋の山の紅葉を見ながらの地域探索となりました。
2022-12-04
7
塩尻小学校 3年生の地域探索 1
11月11日 塩尻小学校3年生の地域探索が有り、同行しました。生徒さんたちは、事前に班ごとにおすすめの場所を自分たちで決めて、この日に臨みました。 旧道から、国道南側の新幹線高架下の空き地へ。ここでは伸び伸び動け、草原の虫も観察できるとの事。次は、秋和の日陰の小道。登下校時に涼みながら、暑い日も小休止できる場所。 秋和保育園へ抜ける途中では、花が沢山咲く場所、今は工事中でした。遊具があり、放課後に友達と遊べるぐるぐる公園。 愛宕神社と秋和鉱泉の側の池は、魚がいて、つい覗いてみたくなる所。 帰路では、スーパー裏の坂道で、見晴らしがよく、気持ちがいい所。町並みと山がよく見えます。 生徒さんたち、みんなのお気に入りスポットを紹介してもらいました。とても癒やされたり、ホットできる場
2022-12-03
8
塩尻小学校 自然クラブ秋の訪問
11月27日午後に塩尻小学校の自然クラブの仲間が秋の活動に来て下さいました。一年生の総合の訪問もありましたが、引き続いての訪問です。 色々な学年の構成の仲間です。まず、自生芝の貼ってある木漏れ日の広場で、秋の虫取りに挑戦、先日からの冷え込みのせいか、虫はどこかに行ってしまっていました。敷いてある石が緑色のこの裏山から切り出された石であるお話を聞き入っていました。 高いところに成っているなつめの実を枝ごと切ってもらい、食べてみたり、カブトムシの幼虫にも触れてみたり、籾殻に入ったりしました。秋の晴天の中、伸び伸び活動していました。
2022-11-03
9
塩尻小学校 一年生の秋の学習訪問
2022 10/18 一年生が総合学習で訪問して下さいました。秋晴れの中、なつめの実を観察し、食べてみたり、からたちの実を取って香りを楽しんだりしました。生徒さんたちは、「あの高いところの取って」「甘いね〜」と先生や蝶の里の会員に自分より背の高い所の実を取ってもらい、初めての味を楽しみました。 また、カブトムシの幼虫を見たり、触ったりの体験もしました。畑の肥料になる籾殻の中で、靴を脱ぎ夢中で遊びました。 秋の懐かしい想い出になることでしょう。
2022-10-23
10
棗(なつめ)取り
皆さん棗(なつめ)をご存じですか?大きなドングリ位の大きさで緑色から茶色に変わるる時が食べ頃です。中国、中東の砂漠地帯等で食材、漢方薬にも使われます。10月18日塩尻小学校のお友達がなつめ取りに来てくれました。リンゴみたいで美味しい、甘くて大好きと大好評でした。取り易い様に木を剪定し足元の草刈りもしました。
2022-10-23
11
塩尻小学校 1年生授業参観
1年生の親子参観の時間にゆうすげと蝶の里の観察に来ていただきました。1年生の皆さんには 6/17 にも桑の実ジャム作りでも来ていただき2回目となります。 清水卓爾代表よりの説明の後、アサギマダラ蝶や昆虫のバッタ類、てんとう虫等を観察しました。 網で何匹か捕れて親子共々歓声が上がっていました。
2022-09-26
12
小学校のゆうすげの里訪問
9月16日塩尻小学校1年生、保護者、先生40名以上の方が「ゆうすげと蝶の里」に来てくれました。百日草、ヒマワリ、フジバカマが咲く花壇、バッタのいる草むら、空を飛ぶ蝶、トンボを追いかけ楽しい時間を過ごしました。これから飛来する蝶も増えると思います。お出かけください。
2022-09-18
13
鯉柄のねこ瓦
塩尻小学校付近のお宅に掲げられていたねこ瓦です。そこのお宅は、新築になるということで、古民家と小屋を取壊しているところに通りかかりました。 お話では、200年前よりも随分新しいと思うとのことでした。 鯉の絵柄は、中々見かけないので、珍しいのではないかと思います。彫りが深く、デザイン性が高いので、家主さんと、造った瓦職人さんのこだわりが感じられます。 これからは、屋根から家の中で大切に保管され、続けて時を刻んで行く事でしょう。
2022-08-29
14
機織り機(はたおりき)
小岩井紬工房に置いてある機織り機です。 小岩井紬工房では、上田紬を作ってぃす。 昔は、いそがしくて子どもを柱にしばりつけて機織りをしていたなんて話もあったそうです。(小岩井律子さんの話より) 私のひいおばあちゃんも家で機織りをしていたそうです。 ひいおばあちゃんが使っていた機織り機は今、塩尻小学校の資料室にあるそうです。
2022-08-16
15
「アメリカザリガニ」身近だけれどヤバイやつ⑥
しかし、昨年またアメリカザリガニが大発生し、また食われてしまった。PTA作業で池を干し、泥上げ、10本ほどハスを植えたが、鉢に入れてたまま池に置いた1本を残して食べられてしまった。網でとったり、児童がザリガニ釣りをしたりして何千匹というザりガニを取り、近所の保育園や幼稚園に配ったりしたが、水を引いている用水路からどんどんと侵入してくるので追いつかず、苦慮しているとのこと。 塩尻小学校の名物のハス池を取り戻すには、地域の知恵と力が欠かせない事態となっている。 写真は、「塩尻小学校80周年記念誌」より(大正7年)
2022-08-08
16
「アメリカザリガニ」身近だけれどヤバイやつ④
アメリカザリガニは、塩尻小学校のハス池に大きな被害をもたらしている。今年の夏のハス池の写真には、小さな1株のハスの葉が見えるだけ。池の水面が広々と広がり、奥の方に黄色い花を咲かせるコウホネの葉が茂っているばかり。
2022-08-08
17
デジタルマップで自由研究しよう
塩尻小学校の児童と保護者に配布したチラシです。 たくさんの投稿お待ちしています。
2022-07-25
18
多羅葉(タラヨウ)1:まさにハガキ
塩尻小学校の玄関前の林の中に、小さな説明板がついた樹木がありました。 説明板には「多羅葉(タラヨウ)俗名フミノキ 山地に自生する常緑喬木。葉裏に字を書くと消えない。門口などに植え、伝言などに使用された言われ、フミノキの俗名がある。往古、インドで写経に用いた多羅葉に似ることことからこの名がある。樹皮からはモチ(鳥もち)を製する。」とあった。まさに、葉書ですね。
2022-06-29
19
塩尻小学校のナンジャモンジャの木②
「ナンジャモンジャ」と呼ばれる木は、各地にあります。やはり、広い花を咲かせる「ヒトツバタゴ」という木が呼ばれることが多い(中塩田小・東塩田小)のですが、塩尻小この木は、「マメ科のフジキ」だそうです。暖かい地方に多い、「南方系の植物」で、この地域では大変珍しいのでよくわからないから「ナンジャモンジャの木」なったのかも知れませんね。 咲かない年もあるようなので是非ご覧ください。
2022-06-11
20
塩尻小学校のナンジャモンジャの木が満開です
塩尻小学校の庭にあるナンジャモンジャの木が白い花をいっぱいにつけています。上田市誌27巻の「上田市の文化財」には、こう書いてあります。 『昔、名前のわからない珍しい大木が虚空蔵山の頂上付近にありました。この地方では、「ナンジャモンジャの木」(市指定 天然記念物)と呼んで親しまれていました。7月の初め頃にマメやフジに似た白いきれいな花が咲き乱れます。』 塩尻小学校にある「ナンジャモンジャの木」は、虚空蔵山の親木の種から育ったもので2代目そうです。
2022-06-11
21
上塩尻蚕種製造民家群5 国の登録有形文化財「佐藤家住宅(三ツ引)」①
佐藤家は先祖が室町時代に栃木県からやってきたと伝えられている。文禄4(1595)年の千曲川洪水で流された元宿から現在の山すその地に移り、江戸時代中期から蚕種製造を始めた。佐藤宗家「藤本」の分家にあたる。江戸時代には庄屋を務め、昭和の中期まで蚕種業を営んでいた。 江戸時代後期から明治時代にかけて建築された主屋、蚕室、物置、消毒室、文庫蔵、穀蔵、味噌蔵、屋敷神、門の9棟がR3年6月に国の登録有形文化財に登録された。 写真は、東南の方向から。気抜きのある2階建ての蚕室、門、物置が並んでいる。デジタル・マップの「塩尻小学校郷土資料館5」にあげた銅版画、佐藤尾之七邸宅(日本博覧図 明治30年発行)の現在の姿であるが、物置が2階建てになり、消毒室が増築されている。門の前の通りの奥には、佐藤宗家
2022-05-30
22
上塩尻蚕種製造民家群1 蚕種製造の中心地:上塩尻「大村」
明治30年発行の「長野県小県郡熱心蚕種製造家一覧」には、上田町を中心に郡下163戸の蚕種製造家の氏名が記載されている。その2/3の107戸は、旧塩尻村(上塩尻58,下塩尻20、秋和29)がしめている。塩尻とともに西部地域に属する(鎌原7,諏訪部2)も加えると上田盆地の西部、千曲川北岸が蚕種製造の中心だったことがわかる。 上塩尻の中でも53戸の蚕種製造家が集中している「大村」(字:北側・南側)は、千曲川と虚空蔵山に挟まれた大沢の扇状地の斜面で、千曲川の洪水を受けにくく、江戸時代には信越、北陸を結ぶ北国街道が通っていた。上塩尻村の中心である「大村」は、扇状地の上部を北国街道が西の扇端部に向かって下り、平坦部を通る国道18号線とがけ下で交わる西端地点を頂点し、東500mの塩尻小学校の西縁とそこから北に向
2022-04-03
23
デジタルアーカイブの作業様子
今回、10月20日(水)から10月29日(金)のうちの5日間にかけて、塩尻小学校の郷土資料館にて、デジタルアーカイブの撮影が行われ、そのお手伝いをさせていただきました。ただ撮影をするだけでなく、道具を撮影するためのスタジオのような場所を作るなどの工夫を行いながら撮影が行われ、そういった道具や資料などの実物をデジタル化するにあたってのやり方を学ぶことが出来ました。
2021-12-08
24
養蚕農家の生活12 手伝いを通して一人前に
この桑しょいというのが、自分の力がどれだけあるようになったかを知るバロメーターでした。去年は一わだったのに、今年は二わしょえるようになった。早く兄や父と同じくらいしょえるようになりたいものだと思ったものです。 桑束三ばをしょえるようになったのは、6年生の夏蚕の時でした。今日こそはと桑束をしばる「すがい」を三つ持って山の畑に行きました。父と同じくらいの束三ばを作り、背負子につけました。つけ終わったときは、皆帰りかけており、私が一人残りました。腰を下ろして背負子に肩を入れ、さて力を入れて立とうとしましたが立てません。前の桑株にすがったり、あっちこっちとずって歩きようやく足をぶるぶるさせて立ち上がりました。嫌な坂道も注意して下り、石垣の上の細道も気を張って過ぎ、途中の休み場も下
2021-11-15
25
養蚕農家の生活9 ヒキ拾い
庭起き1週間をこえるころになると、蚕は太ぶとと大きくなり、急に桑を食わなくなります。そして首のあたりからあめ色に透きはじめ、首を上に伸ばして何かを探すようにうごめきはじめます。この状態を「ヒキた」と言い、一刻の猶予もできません。まごまごしていると蚕座に糸をかけ始めるからです。このような状況は、親たちは長年の経験で、隣近所で蚕の進んでいる家、遅れている家があり、そう忙しくない家等「えいっこ」(手伝いのしあい)できる家にお願いしておいて、互いに手伝いっこするのです。 朝早くから箔や蚕巣を庭に運び出して「ヒキ拾い」(蚕を蚕巣にいれてやる)の用意をしていると、お手伝いの人が4.5人来てくれて、一番進んでいる前の蚕室からヒキ拾いを始めます。拾うのは手の早い女衆、蚕を箔に撒いて蚕巣を立
2021-11-15
26
養蚕農家の生活8 桑取り
春蚕用の桑畑は私の家の近くにありましたので、桑切はそうたいへんではありません。切り取ったところから畝間(うねま)をかきあげしては株直しをしました。 蚕飼いが始まると、村の中は急に桑取に出かけるおばあさんたちの往来が繁くなり、そこらで立ち話をする風景が目につき、その言葉の中に「お家のお蚕様は」とか「おら家のしょうは」と蚕に敬語をつける話がよく聞かれます。また、それほどにありがたい虫であり、また、この虫の成長いかんで家の経済が左右されるとなると飼い主の責任は大変に重く、その技術の難しさもあるわけで、毎日のように養蚕教師が一軒ごと巡回指導して歩きましたが、飼主は心配で、よその家の様子と我が家の様子を比べたくなるのです。そして、少しでも我が家の良さを知りたいのです。
2021-11-15
27
養蚕農家の生活7 蚕の世話
桑をくれるのは1日に大ぐれは3回ですが、群れ直しで少しはくれるので5回ぐらいになったでしょうか。稚蚕の時は、割に湿気に強いのでトタン箱内で飼い、桑葉のしなびるのを防ぎましたが、大きくなると冷湿をきらうなどといい、蚕座(さんざ)(さんざ:食い残りのかす)が厚くなると蒸れる危険があるので、蚕(こ)尻(じり)(こじり:蚕の糞)取りも三齢、四齢にはちょいちょいやりました。その際、よく見ないと蚕をうっかり捨てることになりました。 庭起きになり蚕を下に放すときは、畳の間は全部畳を片付け、座敷、茶の間、勝手土間…軒下、蚕室、裏の物置と人間が寝る部屋とお勝手を残し、全部が蚕の放し飼いに使われたのです。床上にもみ殻をまき、その上に石灰をまいて蚕箔上の縄網(なわあみ)(蚕の上に網をかけ、その上に桑を乗せる
2021-11-15
28
養蚕農家の生活3 養蚕の準備
養蚕は暖かい時期に蚕を飼うことばかりでなく、その用意は冬のうちから始まりました。3月、寒いながら日も長くなりだすと父は蚕(こ)巣(す)(こす:蚕が繭を作るときにワラで編んだ巣に入れる)折りを始めました。昨年の秋の終りに田んぼのワラは全部家の裏に積み上げてあり、これを崩してワラすぐりをした一つかみのワラを簡単な箱型の器具にのせて、二本の鉄棒とばねの力で作ります。1個を作る所要時間は2分ぐらい、一時間に30個、1日に100個も作ればもうたくさんになってしまっただろうと思います。 蚕巣1個が蚕(さん)箔(ぱく)(さんぱく:1畳ほどの竹籠に敷く紙。その上で蚕を飼う)1枚用で、我が家では春蚕に350個、夏蚕に450個、残りを秋蚕、晩秋用にするので1000個の蚕巣が必要で、この蚕巣を折る作業は
2021-11-15
29
養蚕農家の生活2 桑の状態や水田の仕事、働き手に合わせて
私の家では桑畑を春(はる)蚕(ご)用に400坪(1320㎡)、夏(なつ)蚕(ご)、秋(あき)蚕(ご)用に600坪(1980㎡)をあてていたようです。なぜ夏蚕に重点をおいたかというに、春は気温が低く温度をとる養蚕には不向きであり、しかも養蚕期間が長いという不利と水田の「しつけ」(田植え)時期と重なるからです。また、夏期は子供たちの学校の長期休業という戦力の当てがあるからです。 『養蚕業について』西沢吉次郎著から 写真は、開校当時の塩尻小学校。桑畑に囲まれている。奥に見ええる山にも段々畑が広がっている。子供たちも養蚕の大事な労働力だった。(復刻版塩尻時報扉より)
2021-10-15
30
塩尻小学校郷土資料館7 蚕種家「佐藤尾之七邸宅」の今
写真は、資料館に版画があった蚕種家「佐藤尾之七邸宅」の今である。住む人なく閉められた門の脇に、蚕種家の屋敷だったことを紹介する説明文が掲げてある。往時の活気はうかがうべくもないが、一時代を築いた風格が漂い、「蚕種の郷」独特の景観を伝えている。1912(大正元)年の長野県の調査では、塩尻村(上塩尻、下塩尻、秋和)で県税を納めている戸数は566戸、うち蚕種製造戸数は、136戸で23.3%を占めていた。版画は当時の盛況ぶりを想像する手がかりとなっている。 今、塩尻地区でも朽ちるにまかされた蚕室や現代的な住宅に建て替わる古民家が少なくない。「気抜き」のある建物が狭い小路をはさんで軒を連ねる「蚕種の郷」の景観も雑木に覆われた段々畑同様に消えゆく時が迫ってはいないか。失ったら取り戻すことでき
2021-08-12
31
塩尻小学校郷土資料館6 「蚕都物語」
塩尻地区には江戸時代後期から養蚕、蚕種製造の先駆者が生まれている。中でも養蚕技術書「新撰養蚕秘書(しんせんようさんひしょ)」を著した塚田与右衛門(つかだようえもん1715―1810)。 新品種「信州かなす」を発見し、「蚕かいの学(かいこかいのまなび)」を著わし、養蚕技術者を育成し、組合を作り品質の向上に尽力した藤本善右衛門縄葛(ふじもとぜんえもんつなね1815-1890)。 「養蚕教弘録(ようさんきょうこうろく)」を著わすとともに、かいこの飼育には湿度の加減が難しいことから乾湿計を考案した清水金左衛門(しみずきんざえもん1823-1888)が知られている。3人は時代が近いばかりでなく、その居宅も、北国街道に沿った100メートル四方内に近接している。 ①「蚕都物語―蚕種家清水金左衛門の遥かな旅路」(しみず たか
2021-08-12
32
塩尻小学校郷土資料館5 蚕種家の居宅
①版画「佐藤尾之七邸宅」:蚕種を製造販売する蚕種家(たねや)の居宅を描いた版画1896(明治29)年。 練り塀に囲まれた広い敷地の中に幾つもの建物がある。中央の母屋は、平屋だが大きなかやぶきで、座敷で主人が来客と話をしている。右手に続く2階建てかわらぶきの建物の窓には家人か使用人が見え、居室や事務所か。建物の壁が右側の塀とつながり、大きな門に続く。門を入ると左手には2階建てかわらぶきの蚕室が見える。蚕室の中には蚕棚が重なり、内外で数人が立ち働いている。蚕室の屋根には換気用の煙だしの「気抜き」の小屋根がついている。門の右手の小ぶりの2階建ては、雇人の部屋か。中央の広庭は、作業場になっており数人が働いている。母屋の左、左右を2階建ての練り壁の蔵と奥の塀で囲まれた一画は、庭木の植えられた庭園の
2021-08-12
33
塩尻小学校郷土資料館4 蚕種販売(2)
②印刷原版、北塩尻駅開業、発送箱:種紙を保管にした袋の表には、「うまく」育つようにと馬の絵が画かれている。明治中期までは種紙を入れた種箱を背負いそれぞれの得意先「種場」を行商していたが、信越線が開通すると上田駅や坂城駅を利用するようになった。大正9年には地元の寄付金で北塩尻駅(現西上田駅)ができ、桑や種繭、蚕種の輸送に貢献した。また、発送箱に入れ郵送で送られる蚕種も多くなった。
2021-08-12
34
塩尻小学校郷土資料館4 蚕種販売(1)
①蚕種製造鑑札:蚕種の品質を保証するために江戸時代に上田藩から規則を守り、鑑札を持って商いをするように命令が出ている。明治になり蚕種が高値で輸出されるようになると、粗悪品も出回るようになり、製造、販売には免許鑑札が必要になった。
2021-08-12
35
塩尻小学校郷土資料館3 蚕種製造道具
①平付枠板、枠板、種紙、たねの黒枠:蚕種は、繭を出荷しないで、マユの殻を破りう化したオスとメスのガを交尾させ、種紙に卵(1匹が500個ほど)を産み付けさせる。明治の中ごろまでは「平づけ」といって半紙大の種紙に80匹ほどのガをはなって自由に産卵させた(1枚に4万個ほど)。明治の中ごろから微粒子病の予防のため、産卵した母ガがわかるように台紙に数字を入れた28のわくを作、一匹ずつわくの中で産卵させる。産卵を終えた母ガを検査し、病気が見つかれば、その数字の蚕種だけ交換する「わくづけ」が広まった。昭和に入ると産卵の終わった台紙を水に浸し、はがれ落ちた卵を乾燥して容器容れて出荷する「バラ蚕種」という製造法も生まれた。 ②自動鑑別機、雌雄分離機:大正期になると中国やヨーロッパのカイコとかけあわせて両
2021-08-12
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塩尻小学校郷土資料館2 養蚕道具(2)
蚕の飼育にかかわる道具 ①さいせい機:カイコは春になり、暖かくなるとふ化する。風穴などを使い低温で保存しておいた種(卵)を、催青機で摂氏25℃に保ってやると11日目には殻を破ってふ化する。 ②はきたて羽、はきたてばし:ふ化したばかりの幼虫の体長は3㎜ほど。これを鳥の羽で竹を編んだかごに移すことを「はきたて」という。 ③かいこあみ、きゅうそう台、おき棚:カイコは、畳1畳ほどのかいこあみの上でクワを食べて約4週間かけて大きくなる。その間に4回脱皮する。かいこあみは、世話をするとき以外は10段ほどのおき棚に納めておく。 ④こすおり機、回転ぞく、けばとり機:4回脱皮してから8日程でクワを食べなくなったカイコは、マユを作らせるために「個室」(ぞく)に入れる。昔はワラを使い、こすおり機で作っていたが、戦
2021-08-12
37
塩尻小学校郷土資料館2 養蚕道具(1)
カイコの飼料となるクワの収穫にかかわる道具 ①くわこき、くわつめ、くわつみかご:クワの葉をつみ、運んでくる。 ②くわきりがま、くわこき機:クワを枝ごと切ってきて、葉を一度につむ。 ③くわきりほうちょう、くわきり器:カイコが小さいうちは、クワの葉を刻んで与える。
2021-08-12
38
塩尻小学校郷土資料館1 郷土資料館はタイムカプセル
塩尻小学校郷土資料館は、1961(昭和36)年、PTAや地元自治会の協力で各家庭から寄付された農具、養蚕道具、製糸道具、織機、衣料日用品、昔の旅の服装用具、昔の新聞、雑誌、書籍、楽器、写真、古文書、土器や石器など約280点を空き教室に展示して始まった。その後、周年記念事業等で整備充実が図られ、1995(平成7)年には校舎改築にあわせて独立した郷土資料館が完成した。塩尻地区が「蚕種の郷」だったことから、他に見られない蚕種製造にかかわる貴重な資料が集められていている。展示品の中から蚕種製造にかかわる資料(太字で表記)を紹介する。写真は、塩尻小学校郷土資料館。右は桑の木。
2021-08-12
39
蚕種の郷4 戦前の写真には
写真は、「支那事変の戦没者村葬の様子(昭和12.13年)」(塩尻地区写真集)です。会場は今の塩尻小学校の校庭です。背後にみえる山腹には中ほどまで石垣と段々畑が広がっているのがよく分かります
2021-06-25
40
蓮の花
塩尻小学校の国道側に池があります。以前はその池一面に白い蓮の花が咲きました。その後アメリカザリガニにより食い荒らされ絶滅してしまいました。学校では蓮を植え直し蓮の花復活を目指しています。復活の第一歩のピンクの花が咲きました。池の名前は蓮池です。
2020-10-15
41
下塩尻桜づつみホタル水路
平成7年より、地元の下塩尻自治会の有志などで整備が行われ、ホタルの復活への活動が行われています。毎年、塩尻小学校の子どもたちが幼虫の放流を行い、初夏には、ホタルの観賞会も実施されます。 下塩尻ほたるの里 https://d-commons.net/seibu/detail.php?cat=&id=2100
2020-08-25
42
第39回塩尻どんどこ祭
塩尻商工振興会が主催で毎年上田市立塩尻小学校のグラウンドや体育館などを会場に塩尻どんどこ祭りが開催されています。地域の方の出し物や、小学生による模擬店、消防団によるラッパ吹奏や、最後にはグラウンドの真上で見え、「日本一新幹線の車窓から近くで見える打ち上げ花火」があがります。 写真は2015年8月1日に行われた第39回どんどこ祭のオープニングの様子です。
2020-08-25
43
塩尻どんどこ祭・恒例花火大会
塩尻地区で毎年開催される塩尻どんどこ祭の恒例花火大会。会場の塩尻小学校・校庭から打ち上げられるド迫力の花火を眼前で見ることができるビックリイベント。
2019-12-10
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1
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資料(1)
道具(1)
撮影(1)
郷土資料館(1)
デジタルアーカイブ(1)
桜(1)
春(1)
上塩尻(1)
塩尻小学校(1)
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