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1
ねこ瓦まち巡り!
私たち猫瓦を愛する会は11月12日にねこ瓦まち巡りを実施しました! 当日は、地域の方をはじめとする20名ほどの方々に参加していただき、しおじり北国街道にそって地元の魅力についてお伝えしてきました。 参加者の皆さんにお話をお聞きすると「地元だが、猫瓦というのは初めて知った」「こんな立派な建物が近くにあったなんて知らなかった」などと新たな発見と面白さを感じたという声を多くいただけました。 猫瓦を愛する会2回目のイベントでしたが多くの方々に参加していただきありがとうございました!
2023-11-19
2
2023 「ねこ瓦まち巡り」NO1
2023 11月12日午前、上田塩尻北国街道のねこ瓦をはじめ、古くからの見どころを巡りました。 私達の「りんくるnekogawala」が主催で、春から、ねこ型花壇が出来た秋に行う計画をしていたものです。20〜70代の市民17名が参加しました。 塩尻公民館前を出発し、登録有形文化財の佐藤家住宅やそのねこ瓦、周辺の古民家や裏山のうさぎ峰の景色、東山の石垣段畑のねこ型花壇を観賞しました。ねこ型花壇の段々畑では、花壇のみならず、周辺の山や川向うの景色がよく見えて、しばし、見とれていました。 北国街道では、古路地とそこのねこ瓦を観て散策して歩きました。 「初めてきた」「ねこ瓦を初めてみた」「ねこ瓦の柄が幾つかあるんだね」「古い町並みや、古民家がこんなふうになっていたんだね」等感想が聞かれました。 今回は、会員
2023-11-16
3
若者と上塩尻、秋和の北国街道、「ねこ瓦ウオッチング」
10月31日 午後、南信と東京から、20代の若者が二人、「ねここ瓦について知りたい」とのことで訪れ、上塩尻の「ねこ瓦」と北国街道の要所を案内しました。 「小さい頃、祖母が蚕を飼っていた、でも、ここ数年で自宅も周りも養蚕をやめてしまい、いちご畑になった。自分たちが知る最後の世代なので、しっかり見ていきたい」とのことで、熱意を持って来てくれました。「ねこ瓦ポイント」を観たり、由来の場所を観たりして「とても勉強になった」とのことで、若い人たちにも伝えることができ、嬉しく思いました。 その後、秋和地区の小林武彦さんのお宅へお邪魔して、「秋和のねこ瓦と蚕種の歴史、古民家について」お話を聞きました。 周辺の「ねこ瓦」も観ました。 また、前日には、「重文常田館製糸場」を見学し、「藤本蚕業歴
2023-11-04
4
「北国街道小町さん」お久しぶりです
今年は、とても暑く、猛暑と言われる夏でした。 春によく見かけていた、お散歩して、一休みしている「北国街道小町さん」達も見かけていませんでした。 すっかり秋になった数日前、やはり座摩神社階段付近の同じ場所で皆さんにお会いすることができました。 皆さん、お元気で何よりでした。近くに住む年配の男性もご一緒でした。 天気の良い日は、こうして声を掛け合って散歩お話しすることは、元気の源ですね。
2023-10-21
5
歴史景観ウォッチング 新町・諏訪部編 ③山浦邸
北国街道を西に進み、髙橋で矢出沢川を渡る100mほど手前に「北向観音」の道標がある。そこを南に折れ、千曲川を渡ると松本に向かう保福寺街道となる。古代、東国と都を行き来する東山道として拓かれ、近くには日里駅(わたりのうまや)跡と推定される礎石(いぼ神様)が残っている。東山道を浦野で左に折れ別所峠を越えると北向観音のある別所温泉に至る。 明治になって信越線が引かれ、上田駅ができるまでは川西方面から城下に入るにはこの道が使われたため、出入口となる坂下には商店も並んでいた。 山浦家は、江戸時代は、雑貨、よろずやをやっていて、松本街道の出入り口で繁盛していた。明治2年のチャラ金騒動で川西方面からきた一揆衆も、「油や」(屋号)には、手をつけるなと言い交し、打ちこわしにあわなかった。2代
2023-09-24
6
歴史的景観ウォッチング 新町・諏訪部編 ①丸山邸
北国街道が鍵型(桝形)に曲がり、矢出沢川を髙橋で渡る手前の旧家。西から見ると上田城から移した云われる見事な石垣がそびえている。 丸山家は、「木屋」の屋号の示す通り、材木を扱う商人だったが、藩の御用商人を務め、金融業も行っていた。江戸後期からは、蚕糸業にも力を入れ、製造した蚕種は、岩手県から徳島県まで手広く販売し、生糸輸出の有力業者だった横浜の「小野組」とのつながりも深かった。 明治になって上田城跡は民間に払い下げられていたが、その大部分を購入所有していた丸山平八郎がその土地を寄付したことによって上田城跡公園の整備が始まった。 現在は、趣のある母屋を利用してそば処「くろつぼ」が、土蔵などでパン屋やカフェが営業している。
2023-09-24
7
歴史的景観ウォッチング 新町・諏訪部編 案内回覧
11月4日(土)に、「歴史的景観ウォッチング 新町・諏訪部編」を催行します。 北国街道や養蚕・蚕種業を営んでいた民家が残る新町・諏訪部地区を歩き、由緒や来歴をお聞きし、見学させていただきます。写真を撮り、お話とともに「西部地域デジタルマップ」に投稿して、デジタル記録として残します。 多くの皆さんの参加をお待ちしています。後日、配布する回覧をご覧ください。
2023-09-23
8
よくいる蝶?
北国街道の座摩神社階段付近に飛来し、停まっていました。 一瞬、この何十年と見かけないオオムラサキかと思いましたが、違いました。調べるとよくいる蝶だそうですが、私は、 初めて会いました。小型で、黒に水色のシンプルな柄です。 風がほんの少し涼しくなったので、休んでいたのでしょうか。
2023-09-12
9
その後の(=^・^=)花壇
今年の夏は、猛暑続きで、雨の量も少ないです。 東山の石垣、(=^・^=)型花壇迄、隔日で水を運んで、水やりを行ってきました。雑草も、凄いスピードで育っていて、除草も追いつきません。なるべく除草剤は、使わずに用手で頑張っているのですが。 その後の花壇は、上記の事で精一杯! 皆で植えた✿は、ひげと目の上の部分が枯れました。二三日前に補植をしました。 会員とベトナムの会社員女性とやっています。 もう少し涼しくなったら、皆さんの参加でまた、整備をしていきたいと思います。 また、秋〜冬にかけて、北国街道~東山迄、まちめぐりを企画したいと思います。 そのために、可愛いパンフレットあるいは、冊子も作っていく予定です。作成には、西部まちづくりの会からの補助を活用していきます。 写真は、現在の
2023-08-27
10
2023 7/9 石垣段畑、ねこ花壇の移植会
ねこ瓦を広く知ってもらうために、ねこ瓦を愛する会では、上塩尻の石垣段畑にねこの顔の花壇を作りました。 この日は、7日に続き、上田西高校のDプロジェクト部の皆さんと顧問の宮島先生が再参加され、西側の赤ピンク色のねこ花壇を作って下さいました。 今日は、両目、口、二割れの顔全体に花を移植しました。 現地に来るまでには、北国街道のねこ瓦を探しながら、徒歩で来られ、ねこ瓦を初めて鑑賞して来たそうです。 東側のもう一つのねこ花壇のは、塩尻小学校の学童クラブの長嶋先生、これで3回目の作業に来てくださった、ベトナムから来日された若い女性2名と私達ねこ瓦の会のメンバーが担当しました。 皆で、和気藹々とお話しながら、白、紫、赤、ピンク、緑、茶色ととりどりのカラーの花苗を移植しました。
2023-07-12
11
「ねこ型花だん」作りに参加してみませんか?
今回、塩尻北国街道~太郎山山系兎峰のかつて桑畑であった石垣の一部、段々畑に花壇を作ります。 蚕種の里の文化の周知と段々畑の緑化活動としての花の移植会を目的としています。 興味のある方はぜひ参加よろしくお願いいたします!
2023-06-19
12
ベトナムの若人さんの北国街道巡り No2
6/15 上塩尻自治会主催、グローバル共生社会研究会、ねこ瓦の会協働のベトナムの若人さんの北国街道巡りご案内の続きの写真を載せます。 上塩尻神社と座間神社、佐藤家住宅門前の様子です。
2023-06-17
13
ベトナムの若人さんの上塩尻北国街道巡り
2023 6/15 上塩尻自治会(会長 山﨑恭義さん、副会長 清水敏郎さん)では、上田市に新しく来られたベトナムの若人を招き、上塩尻の北国街道と上、座間両神社をご案内しました。自治会と地元の上田グローバル共生社会研究会、ねこ瓦を愛する会との協働で、前中2時間ほどでした。 公民館前に集合し、北国街道にある小岩井紡工房の見学、佐藤家住宅外観の見学、ねこ瓦、多様な石垣の説明、気抜きの古民家の古路地巡り、両神社では、参拝もされました。 工房では、女性が織りの体験をしたり、紬を簡単に肩に掛けて、着せてもらい、写真も取りました。終始「可愛い、綺麗」と声が上がり、故郷に写メを送りました。また、佐藤家住宅やねこ瓦を見ながら、蚕種のが盛んであった時代のこと、蚕を育てるための人々の暮らし、桑の石垣畑、
2023-06-17
14
「秋和の里」の滝澤秋暁邸が更地に
しばらくぶりで秋和の北国街道を歩いた。驚いたことに「秋和の里」を代表する滝澤秋暁邸がなくなっていた。長屋門に茅葺にトタンをかけた重厚な母屋、門の東に続く気抜きを設けた蚕室、母屋の裏には庭を挟んで気抜きのついた2階建ての大きな蚕室がなくなり更地が広がっていた。 滝澤秋曉邸は、ずいぶん前から空家となっていてあちこちに痛みが出ていた。個人の力で修理は困難なことがうかがわれ、残すには行政の力が必要と思っていたところ、上田市の歴史風致維持保存計画に蚕種製造民家の調査事業が盛られ、記録だけでも残される可能性が出てきたところだった。また、西部地域デジタルマップでも歴史遺産の記録を残す呼びかけを始めたところであり、残念でたまらない。 地域の歴史を学び、じかに触れることができる歴史遺
2023-05-19
15
桜と「小町さん亅の開花
2023 3/20 座間神社の階段の東、兎峰、虚空蔵山の登山入り口にいつものメンバーが座ってお喋りしながら、日向ぼっこしてました。大先輩の女性の皆さん、散歩をして、ここでお喋り。長寿の秘訣です。 ネーミングを「北国街道小町さん亅で良いか尋ねると、それでOKとのことでした。 中には、長く上田紬の手織り職人さんだった方もおられます。他の方も色々な働く婦人でした。 右隣には、今年は、寒桜の花が開花してきていました。
2023-03-24
16
新年の「ねこ瓦の会亅コミュ
2023 2/21 筒けんさんの交流スペースで、「 りんくる Nekogawala亅の会を行いました。 小岩井アマキさんの「猫がわらは見守る新聞亅や散策したときの写真をパネルにして交流室に飾りました。 撮りためた「ねこ瓦亅の写真を皆で見て楽しんだり、今年の西部まちづくりの会の活動について話し合いました。 また、昨年の国登録文化財、佐藤家の見学会でそこに掲げてある11枚の「ねこ瓦亅について説明を行ったことやまちあるきイベントでも北国街道の「ねこ瓦亅について案内した事を確認しました。 上田紬や伝統工芸の話にも広がりました。「ねこ瓦亅の絵柄、Designについても話題になりました。
2023-03-05
17
降ろされて、保存された「ねこ瓦亅
昨年の12月に北国街道北側の古い路地に有った土蔵に付いていた2枚の「ねこ瓦亅が降ろされました。 永年その蔵の軒に掲げられていましたが、蔵の老朽化で、壊すことになり、持ち主のお宅に保存されています。 約、50枚ある内の貴重な2枚です。 絵柄は、代表的な「鳳凰亅と「雲水亅のようです。
2023-02-26
18
蚕種の郷のNewretro
国登録文化財の佐藤家北側の北国街道には、古くからの気抜きの古民家や蔵が立ち並んでいますが、通るたびに目につくのは、「ねこ瓦亅と同時に蔵の窓(通気孔?)の軒を支えている建具の部分です。 当時は、未だ高価で流通が少なかった金属製のきれいな模様柄であったり、金属ではなく、木製のものでもシンプルで、気品を感じます。 「ねこ瓦亅もそうですが、古くて新しい感覚を覚えるNewretroと言うところでしょうか
2023-02-26
19
白い北国街道 2023 2月
2/10 雪がしんしんと降り、辺りが白い景色に変わりつつあります。 北国街道の街並み、蚕種の郷の気抜き古民家群、登録文化財の佐藤家もねこ瓦も雪の白い佇まいと化しました。 見慣れた通りも違う美しさと情緒をかもし出しています。 雪かきも大変ですが、一息つくと身近なところにある豊かさを再認識です。
2023-02-12
20
「今、記録しておきたいこの町なみ、歴史的景観」 プロジェクトについて
趣旨 上田市西部地域は、古代、都と東国を結ぶ東山道の東信濃の入口でした。近世は江戸と日本海岸地方を結ぶ北国街道が通る交通の要衝でした。 近世、この地に上田城を築いた真田氏によって、西部地域は「城下囲い」の集落として山すそのあった集落が城下の西入口に移住させられ、城下の外堀として改修された矢出沢川とともに城下の防備の役割を果たしました。 洪水によってたびたび被害を受けた千曲川に近い土地は、近世、水害に強い桑が植えられ、養蚕が盛んになりました。岩鼻から吹き込む強い西風は、桑に産み付けられ蚕を殺す蛆蝿の卵を振り落とし良質な桑「歩桑(ぶぐわ)」が育つため、蚕を掛け合わせて「蚕種」をとる蚕種業が盛んになりました。東北地方の養蚕先進地に学んだ上塩尻の蚕種家からは、養蚕技術の改良や
2022-12-20
21
猫瓦
12月6日に上塩尻の街歩きをしてきました。 街歩きの目的は猫瓦探索でした。 北国街道沿いには猫瓦がよくありますが、上塩尻には他にも猫瓦があることがわかりました。 特に印象的だった猫瓦は鶴が掘られたものです。 猫瓦に掘られている絵には意味があります。 鶴は初めての発見だったのでどのような意味があるのか気になりました。 猫瓦に興味のある人は上塩尻を歩いてみてください。面白い瓦を見られるかもしてません!
2022-12-11
22
蚕種の郷の石垣の多様性
蚕種の郷の石垣は、北国街道沿いの家や蔵の土台や道路、神社に続く階段、水路の壁、石碑、太郎山山系麓の段々畑から、それを保守する長く続く石壁等、沢山の遺構として残っています。 今、温暖化により、草木が生い茂り、コロナ社会で人々も手入れで入ることもほとんど無くなり、奥の方は、中々見えにくくなりました。しかしながら、よく目を凝らしてみてみると、里山の周辺の物は、観察することができます。 北国街道沿いのものは、江戸時代に遡るとか。加賀の殿様の通る道でしたから、落ちてこないように住民たちは、苦心して労力を注いだ事が伺えます。段々畑のそれは、当時の蚕種を支える大切な桑を作り、運ぶ重要な物でした。 また、坐摩神社は、その産業の発展を祈願したり、住民の色々な祈願の大切なところでした。
2022-12-04
23
塩尻小学校3年生の地域探索 2
11月11日に塩尻小学校の秋和地域探索を行いましたが、生徒さん達のお勧めの場所の他にも、歴史的に重要な所も見学しました。 秋和の北国街道にある、かつては267本有ったとされる杉並木の一本の古株の事を同行された山﨑洋さんから説明を受けました。また、正福寺では参拝の後、戌の満水大洪水時に流死者を埋葬した千人塚の説明も聞きました。 秋和保育園の園長先生より、周辺の地域が奈良時代より変わらない地形で残っていることを教えて頂きました。 愛宕神社の長い階段を頑張って登り、紅葉での見学と休憩をしました。 秋の山の紅葉を見ながらの地域探索となりました。
2022-12-04
24
蚕種の里「上塩尻まちあるき」①
晴天に恵まれた11月26日(土)、藤本蚕業プロジェクト主催の「上塩尻まちあるき」が、30余名が参加して行われ、登録有形文化財「佐藤家」、藤本(佐藤宗家)蚕室、原久史氏宅(旧馬場籐四郎邸)、清水卓爾氏宅(旧清水喜左衛門邸)、東福寺檀家信徒会館(旧滝澤邸)、加賀藩お休み処(清水氏宅)、小岩井紬工房などを巡った。 案内役のプロジェクトメンバー、ゲストのマーティン・モリス先生(千葉大学名誉教授)のほかに、持ち主や地域の皆さんによる説明、普段は入ることができない邸宅の庭まで見学でき、時間を超過しての内容濃い町あるきとなった。 参加した方々は、気抜きのある蚕種製造民家が集中し、見事な石垣が北国街道沿いに築かれている町なみに、蚕種の生み出した富の豊かさを感得していた。 詳しくは、「
2022-11-26
25
下塩尻 秋の実りと六寸街道
旧北国街道にあたる六寸街道。 いまは、もう雑木で見えなくなっていますが、岩と岩の間が道になっていた箇所があるそうです。 六寸といえば、だいたい18センチぐらいでしょうか。 人一人がやっと通れるぐらいで、危険な場所だったことが想像がつきますね。 一度行ってみたいと思ったのですが、いまは、危なくていけないと聞いています。
2022-09-22
26
上塩尻に特徴的な石垣の文化
上塩尻の大村は旧北国街道沿いにあり、かつ傾斜地に展開しています。家々ごとに高低差があり、また坂道も多く、そのため石垣が各所に築かれています。 それらの石垣はそれぞれが精緻に築かれ、この地域の独特な景観美にすらなっています。地元の方に聞いた話によると、これらの石垣は高遠(たかとお)の石工職人が築いたものであるらしい。そのことにも興味を引かれました。 高遠の石工をネットで調べてみると直ちにその状況がわかりました。 ★
高遠石工の活躍した時代背景
(長野伊那谷観光局) おそらくは江戸時代、高遠の職人たちがこの地に来て石垣を築いたと思われます。その時代背景や石垣の特色など、この地域の特色を知りたいものです。
2022-09-04
27
西部マップ活動記(3)まちあるき秋和2019/05
2回目の西部地域まちあるきは秋和・上塩尻。この日は秋和の正福寺に集合した後、秋和ルートと上塩尻ルートの2班に分かれてまちあるきしました。秋和在住の中島さんがメインのガイド役。 秋和ルートは正福寺に続き、北国街道沿いに長昌寺、山沿いに移動し、秋和鉱泉、愛宕神社、北国街道に戻り猿田彦大神の碑、秋和公会堂などをめぐりました。
2022-09-03
28
西部マップ活動記(2)まちあるき西部地区2019/04
2019年春、部会員でまずは西部地域のまちあるきを実施しました。ただしあまりにもエリアが広いので3回に分けて。4月は北国街道沿いの西部地区、5月は秋和・上塩尻、6月は上塩尻・下塩尻。この日のルートは下紺屋町公会堂前からスタートし旧北国街道沿いに地域見聞。生塚を経由し西部公民館が終点。 まちあるきをしながらタブレットやデジカメで写真に撮りデジタルマップに投稿しました。情報機器にまだ慣れていない部会員のサポートに長野大学前川ゼミの学生が参加しました。午前まちあるき、午後は西部公民館でデジタルマップへ投稿。身近なエリアなのに発見することばかりです。地域理解がぐっと進みました。さらに「タブレット初めて使ったけれども、意外に簡単だった」という感想が多数。年齢を超え「マップづくり」を和気あ
2022-09-03
29
上塩尻蚕種製造民家群4 蚕種製造民家「清水卓爾氏宅」⑤
写真は、「清水卓爾氏宅」の明治中頃の様子を描いた「清水喜左衛門邸宅」(「日本博覧図」M30年発行 上田市立博物館蔵より)の銅版画である。母屋(蚕室)の裏側が北国街道。街道から下り玄関に至る坂道は、実際には、人力車一台が通行できる幅で、坂も急なため、荷車の通行も大変だったと思われる。手前、松の木の下には、湧水が見える。
2022-05-30
30
秋和の水路
旧北国街道沿いの秋和地区の特徴。 街道から脇道に入る細い道のほかに、水路があることも特徴の一つだと思います。 水路の水を家に引き込んで、洗い物などをした後も見受けられます。 いまそうやって利用している人はいないと思うのですが、水路がある街並みも秋和地域の風情を表していると思います。
2022-05-09
31
旧北国街道 秋和地域の風景
旧北国街道沿いの秋和地域の特徴は、街道に沿ったところに玄関がないところ。 街道沿いに玄関がある家は、建て替えなどをした家で、古くからある家は街道から脇に伸びた細い道を通って玄関となります。 街道は公共的な場所だという意識が強かったのでしょうか。それとも別な理由なのか。 街の特徴をあらわしています。不思議ですね。
2022-05-09
32
仮称 秋和の藤
旧北国街道から国道18号線に出る道の脇に見事な藤の木があります。 通るたびにきれいな藤だと感じていました。 特に持ち主の方の許可は得ていないのですが、仮称で「秋和の藤」と名付け楽しんでいます。
2022-05-09
33
上塩尻蚕種製造民家群4 蚕種製造民家「清水卓爾氏宅」①
旧北国街道を西に向かい新幹線の高架をくぐり、座摩神社の参道を過ぎ、坂を登り始めると左側に気抜きの屋根の二棟が迎えてくれる。一段下がったところにあるため、2階の蚕室の大きな窓や塗壁、気抜きのために屋根の上に小屋根(越屋根)を設けた蚕種製造民家が見えてくる。Google earthではまだ見ることができるが、数年前まで、街道の右側にも3軒の蚕種製造民家が並んでおり、「蚕種の郷」の入り口にふさわしい景観がみられた。
2022-04-03
34
蚕種製造民家群3 現存する蚕種製造民家
上塩尻の養蚕家屋については、1989~92(平成元~4)年に工学院大学の研究チームが大規模な調査を行い23軒が調査対象となっている。また、平成14年に近代化遺産活用計画策定のための地域調査チームによる現地調査では、気抜きのない養蚕家屋も入れて37軒を対象にしている。 現在、気抜きの備わる蚕室を持つ民家は19軒、他に気抜きはないが、喚起のため窓を大きくして蚕室として使われていた家屋が数軒、近年、取り壊されたり、建て替えられたりした家屋が10軒弱あるが、狭い北国街道や小路に面しているため、工事が難しいこともあり、内部を改修するなど手を入れ、現在も住居として使われている家屋が少なくない。 写真は、緑点は蚕種製造民家、改築されたが景観に配慮して気抜き施した家屋もある。赤点は、平成14年の調
2022-04-03
35
上塩尻蚕種製造民家群2 蚕種製造の中心地:上塩尻「大村」の景観
蚕種製造の中心地上塩尻「大村」は、扇状地の斜面の50000㎡ほどの狭い土地に100戸ほどの民家が集中し、その半数以上が養蚕をし、蚕種製造を営む集落だった。 門構え、土塀、気抜き屋根を持つ白壁の総二階の蚕室を持つ江戸から明治にかけて建築された大きな蚕種製造民家が、狭い小路を挟んで立ち並ぶ景観は、他に例を見ない。写真は、 気抜きの屋根の並ぶ蚕種製造民家群を裏山から撮ったもの。手前の山の下を左右に北国街道が通る。
2022-04-03
36
上塩尻蚕種製造民家群1 蚕種製造の中心地:上塩尻「大村」
明治30年発行の「長野県小県郡熱心蚕種製造家一覧」には、上田町を中心に郡下163戸の蚕種製造家の氏名が記載されている。その2/3の107戸は、旧塩尻村(上塩尻58,下塩尻20、秋和29)がしめている。塩尻とともに西部地域に属する(鎌原7,諏訪部2)も加えると上田盆地の西部、千曲川北岸が蚕種製造の中心だったことがわかる。 上塩尻の中でも53戸の蚕種製造家が集中している「大村」(字:北側・南側)は、千曲川と虚空蔵山に挟まれた大沢の扇状地の斜面で、千曲川の洪水を受けにくく、江戸時代には信越、北陸を結ぶ北国街道が通っていた。上塩尻村の中心である「大村」は、扇状地の上部を北国街道が西の扇端部に向かって下り、平坦部を通る国道18号線とがけ下で交わる西端地点を頂点し、東500mの塩尻小学校の西縁とそこから北に向
2022-04-03
37
もう満開です
上田城の桜はまだまだつぼみの3月末、こちらの桜はもう満開。北国街道、秋和の豊秋霧原野神社(八幡社)の参道の入り口の二度咲桜です。なんと春ばかりでなく、冬12月頃にも咲きます。
2022-04-02
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〈秋和〉不思議な街並み 5
秋和の北国街道は直線的だが、道幅が狭いため大軍の進軍は難しい。家々の間口の幅が同程度なのも人工的に作られたからだろう。街道に面して出入口を作らず、小路から出入りし、時には小路に隠れて敵を迎え撃つ。小路を50mほど奥に入ると家並の裏に東西に走る小路があり、街道から見られずに移動ができる。間口いっぱいに建てられた家は、江戸末期から養蚕・蚕種業が盛んになり、広い蚕室を確保する確保するために改築されたものではないか。 西脇や新町のように城下町に近い村は、時代が下がると町屋化し、商いのために道に面して入口を設けるようになった。秋和は農が主で店も宿もほとんどなく、旅人に出入口を開く必要もなかったのではないか。むしろ、背後にある田や山麓や河川敷にある桑畑に通うには、家にわきにある小路が重宝
2022-03-23
39
〈秋和〉不思議な街並み 4
秋和は、生塚、新町、西脇などと同様、真田氏が上田の城下町を作るときに太郎山の山麓にあった村々を城下町の防衛帯(城下囲:じょうかかこい)とするために移住させてできた。滝沢和喜夫著「秋和の今昔」(S57刊)には、『北国街道に添った秋和村の家の構造は、敵をあざむくために、障子の後ろに雨戸を設けて無防備に見せかけ、小路を多く作って、小路を入った正面に入口を置かず、小路の左右を入口として、攻めるに難く、逃げるに易くするというのが共通の家構えであった。』とある。そのため、真田氏・仙石氏の治世では、屋敷にかける年貢は免除されていた。写真は、街道から北へ抜ける小路。左側に家は小路に向いて門がある。
2022-03-23
40
〈秋和〉不思議な街並み 3
④家と家の間に街道に直交する小路があり、家の門や入口はその小路に向いている。 地図で秋和集落を見ると東西に走る街道から、一~二軒おきに南北に「くしの歯」のように小路が何本も延びている。もちろん、街道の奥にある家も小路に面して門や入口が設けてある。 写真は、2万5千分の1の地形図。国道18号の北側の旧北国街道の両側に家が並んでいる。特に、西側に南北方向に小路がみられる。
2022-03-23
41
〈秋和〉不思議な街並み 2
①街道に面して入口のある家が少ない。 旧家の多くは、入口や玄関が街道に面していない。東西にある小路に門を設け入口としている。街道に背を向けている南側の家ばかりでなく、北側にある家も同様で、南に庭があっても塀で囲み、街道から母屋が見えにくい。近年、改築された家の多くは、街道に面して入口や駐車場を設けている。 ②街道に面して、旧家の間口の幅がほぼ10~12mほどで、広狭の差が少ない。 文人で蚕種家だった滝澤秋暁生家は例外的に20mほど。 ③どの家も間口の幅いっぱいに家が建てられている。 家々は、間口の幅いっぱいに家が建てられている。また、街道に寄せぎりぎりの位置に建てられているため、街道の南側は家が高い壁のように立ち並んでいる。 写真の家は、左手の小路に向かって門のある家。右手が
2022-03-23
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〈秋和〉不思議な街並み 1
秋和集落は、旧北国街道に沿って東西1kmほどの街村を形成している。昭和16年に国道が集落の南にできたため、道幅狭く、通過車両少なく、道路に沿って水路のある街道の面影が残っている。道の両側には戦前まで蚕種製造を生業としてきた気抜きのある民家も多かったが、近年は、改築する家が増え、独特の景観も失われつつある。昔の景観を思い出しながら街並みを歩くと、不思議な点に気づいた。 写真は、西から東を望む。右手の建物は、街道の面影を残す旧中島銀行。左手は、改築された家々
2022-03-23
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西上田駅 「まゆの里」の案内板
しなの鉄道西上田駅北口広場にある「まゆの里」の案内板です。「蚕飼の郷」として繁栄した塩尻地区を、北国街道沿いを中心に歴史的遺産や伝承文化を紹介したものです。西上田駅を起点に散策してみませんか。ひよっとしたら、加賀のお殿様の行列と遭遇するかもしれませんよ。 ※ 平成20年度わがまち魅力アップ応援事業で作製したとのことです。(令和3年再製)
2021-12-16
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塩尻小学校郷土資料館6 「蚕都物語」
塩尻地区には江戸時代後期から養蚕、蚕種製造の先駆者が生まれている。中でも養蚕技術書「新撰養蚕秘書(しんせんようさんひしょ)」を著した塚田与右衛門(つかだようえもん1715―1810)。 新品種「信州かなす」を発見し、「蚕かいの学(かいこかいのまなび)」を著わし、養蚕技術者を育成し、組合を作り品質の向上に尽力した藤本善右衛門縄葛(ふじもとぜんえもんつなね1815-1890)。 「養蚕教弘録(ようさんきょうこうろく)」を著わすとともに、かいこの飼育には湿度の加減が難しいことから乾湿計を考案した清水金左衛門(しみずきんざえもん1823-1888)が知られている。3人は時代が近いばかりでなく、その居宅も、北国街道に沿った100メートル四方内に近接している。 ①「蚕都物語―蚕種家清水金左衛門の遥かな旅路」(しみず たか
2021-08-12
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2019西部地域まちあるき:和田龍酒造
2019年4月の西部地域まちあるきで見聞した場所の一つが和田龍酒造(北国街道沿い、鎌原)です。 明治20年創業以来地元の方々に愛され続け、現在では上田市、さらに長野県を超えて全国でその名を轟かせています。 和田社長の温和な人柄の中にお酒への熱い情熱を感じました。
2021-01-29
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西部地域まちあるきマップ【西部地区/北国街道編】
上田市西部地区(下紺屋町~生塚)は北国街道沿いに広がる地域です。西部地域まちづくりの会/自然・生活環境部会が2019年4月に実施したまちあるきルートをネットからもたどれるように再現しました。歴史スポットを中心にめぐるコースです。
2021-01-14
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西部地区探検隊[不思議な水路11]
写真(国土地理院所蔵)は昭和22年、当時の占領軍が空中撮影したものです。西部地区の東側の扇状地(緑ヶ丘)や太郎山のすそは白っぽい色をしていて、畑作地帯です。南側を国道と北国街道が東西に走っていて、北国街道に沿って家が並んでいます。間の濃い灰色の部分、現在の常磐町と城北は、あたり一面の水田地帯です。碁盤の目のように道路が走っている(条里遺構)様子がよくわかります。道路にそって、用水路も走っています。右下に西小学校が見えます。郵便局や裁判所のあるあたりも水田になっていたことがわかります。国道の南側を矢出沢が流れ、左下で千曲川に注いでいます。右下は上田市街地です。
2021-01-12
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まちあるきで西部地域をアーカイブ
西部地域まちづくりの会の自然・生活環境部会が主体となり、地域デジタルアーカイブ&マップづくりの活動が進んでいます。2018年度は事業の計画や機材購入などに取り組み、翌年度の活動開始に備えました。 そして2019年、春爛漫の4月となり、4/22、待望のまちあるきを実施しました。地域を探訪しながら、地域の文化財、歴史スポットなどを画像に撮り、それらをネット上のアーカイブサイトにアップロードしてデータ共有する地域アーカイブ&マップづくりの活動です。会の皆さんにとっては全く初めての取り組みになります。長野大学・前川ゼミの学生有志が一緒に参加し、《まちあるき=画像記録》を実行しました。 この日は矢出沢川に架かる西八幡橋に参加メンバーが集合し、まちあるきに出かけました。約20名が3グループに分かれてそれ
2020-12-19
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くろつぼ
旧北国街道の道をずっとまっすぐに進んでいくとあるお蕎麦屋さんです。実際に行ったことはないですが、とても美味しく人気のお店であると聞いたことがあります。
2020-10-22
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鎌原自治会館
旧北国街道の通りにあります。少し置く側に建てられているのでわかりづらいですが、小さな自治会館です。
2020-10-22
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栄食堂
旧北国街道の通りにある定食屋さんです。行ったことはないですが、Googleで調べて見たところ、店内は少し狭めですが、定食をはじめ洋食など様々なメニューがあるそうです。
2020-10-22
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農民美術 橋本工芸
中まで拝見することはできなかったのですが、おそらく農民美術を取り扱っているお店だと思われます。旧北国街道の通りにあり、歴史ある建物のようにも見えます。
2020-10-22
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旧北国街道(下紺屋町·鎌原·西脇·新町)
旧北国街道の道の写真です。新町ら辺からは少しずつカーブもあり完全な直線ではないですが、二の丸通りから入ってしばらくはきれいな直線となっています。
2020-10-22
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モリス先生来訪、古建築をフィートで測る
2018/11/30、千葉大学のマーティン・モリス先生が上田に来訪されました。この日、塩尻地区のある古い民家を地元の方々と見聞しました。モリス先生はイギリス出身ですが、驚くほど日本の伝統建築に詳しく、訪問先の室内を簡易的に測定し、建築上の特徴などからその年代の推定までされていました。 さらに驚いたのはフィートのメジャーで寸法を測り始めたこと。よくよく考えてみればフィートと尺の単位は極めて近似しており、尺のメジャーの代わりにフィートのメジャーを使っているのだとわかりました。なるほど!です。 モリス先生は、長年上塩尻を研究されている東北大学の長谷部弘先生の研究グループでも共同研究をされたことがあり、10年以上前、上塩尻の民家を調査されたことがあります。この日は塩尻地区の何名かの方々とも意見
2020-08-25
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六寸街道
北国街道岩鼻の坂城町寄りの崖の中腹にある山道です。道幅がとても狭いため6寸街道と呼ばれ、崖下の道が洪水で通れないときに利用されました。街道の中の「親不知らず子知らず」に並ぶ難所でした。 出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月
2020-01-10
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天狗岩(にっこり岩)
参勤交代が行われていた頃のお話。下塩尻山根地籍を通る北国街道は、断崖絶壁の岩と千曲川の急な流れに挟まれて、街道の中でもかなりの難所といわれていました。六寸街道を無事に越すことができた殿様は、お籠から出て一休みしながら山の中腹を見上げると、何やらふっくらとした割れ目がある可愛い岩を見付けました。お殿様は国元に置いてきた奥方様を思い出して思わずニッコリしましたとサ・・・。 出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月
2019-12-20
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下塩尻公民館
下塩尻自治会は、蚕飼(こがい)の郷として栄えた北国街道筋にあたり、今も江戸、明治、大正の面影がそこかしこに残る地域です。地区は、山根地区と中島地区に分かれます。山根地区には、飯綱神社の参道、山の中腹には参勤交代でゆかりのある天狗岩、岩鼻のがけ下には向井去来の句碑があります。中島地区では、昔の岩鼻のホタル合戦の復活を目指し、ホタルの里として水辺環境の整備にあたっています。
2019-12-20
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沓掛酒造
沓掛酒造は1688年創業という古い歴史の中で地酒の醸造元として今も北国街道沿いで酒造りを営んでいます。 沓掛酒造にある蹴鞠は、昭和44年上田市指定有形文化財有形文化財に指定されました。
2020-01-10
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