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写真タイトル説明登録日
1「今、記録しておきたいこの町なみ、歴史的景観」  プロジェクトについて「今、記録しておきたいこの町なみ、歴史的景観」 プロジェクトについて趣旨   上田市西部地域は、古代、都と東国を結ぶ東山道の東信濃の入口でした。近世は江戸と日本海岸地方を結ぶ北国街道が通る交通の要衝でした。  近世、この地に上田城を築いた真田氏によって、西部地域は「城下囲い」の集落として山すそのあった集落が城下の西入口に移住させられ、城下の外堀として改修された矢出沢川とともに城下の防備の役割を果たしました。  洪水によってたびたび被害を受けた千曲川に近い土地は、近世、水害に強い桑が植えられ、養蚕が盛んになりました。岩鼻から吹き込む強い西風は、桑に産み付けられ蚕を殺す蛆蝿の卵を振り落とし良質な桑「歩桑(ぶぐわ)」が育つため、蚕を掛け合わせて「蚕種」をとる蚕種業が盛んになりました。東北地方の養蚕先進地に学んだ上塩尻の蚕種家からは、養蚕技術の改良や2022-12-20
2 ねこ瓦の会 地域散策 ねこ瓦の会 地域散策 2022 11月22日午前中にねこ瓦の会で上塩尻公民館前のつつ研さん前を出発し、元宿地区、下塩尻地区の散策をしました。元宿の古くから残る町並みと住宅、ねこ瓦の残る古民家、下塩尻の安政時代に設置された道祖神、名の残る住宅、ダチョウの飼育場所も見て歩きました。  会のメンバーの二人は、この地元出身で、久しぶりの散策に変わった所や、古くから残る所に懐かしさを感じながら、みんなの関心の有るところの情報交換もしながらで、楽しいものでした。冬でも風もなく、日差しも暖かく、元気に歩けました。2022-12-17
3七ツ池の1つ七ツ池の1つこれは上塩尻をまちあるきする中で何度か見てきたものですが、今まで名称がよく分からなかった中で、今回地元の方に聞いて知ることができました。上塩尻の中でもこれは写真の1つしか見たことないですが、とても貴重なものだと見てて感じました。そして、地元のことやそこにあるものについて知るには、一番は地元の方に聞くのがとても勉強になり、知れることがたくさんあることも実感しました。2022-12-10
4加賀藩主お休み処加賀藩主お休み処11月26日の街歩きの中で訪問した1つの加賀藩集お休み処です。ここは何度かまちあるきをする中であることは知っていたが、直接見せていただく機会がなかったため、今回初めて見ることができてとても嬉しかったです。中を見る前以前に、お休み処の建物自体とても魅力的で、価値のあるものがこんな身近に合ったんだと思うと、改めて私にとって上塩尻は直接的な地域ではないですが、一応地元の地域に位置する地区の1つであるため、この魅力を多くの人に伝えたいと感じました。2022-12-09
5旧瀧澤邸(東福寺壇信徒会館)旧瀧澤邸(東福寺壇信徒会館)11月26日に上塩尻のまちあるきを行い、その中で訪問した1つの旧瀧澤邸です。何度か上塩尻をまちあるきをする中で、今回初めて訪問しました。建物の中はとても広く、とても綺麗な状態で残されていて、その建物についての詳しい歴史は分かりませんが、外見も古くそのまま残されている感じがして、上塩尻の新たな魅力の発見に繋がり、とても勉強になりました。2022-12-09
62009年開館当時の藤本蚕業歴史館2009年開館当時の藤本蚕業歴史館★写真:2009年10月蚕都上田プロジェクトが実施した見学ツアーの様子 上田市上塩尻に「藤本蚕業歴史館」が開館したのが2009年10月です。今年2022年、早いものでそれから13年近くが経ちます。日本一の蚕種(蚕の卵)の製造地だった上塩尻の中でも一番の中心的な蚕種製造企業だったのが「藤本蚕業」(現在の藤本工業の前身)です。藤本蚕業歴史館は藤本蚕業の蚕室を再利用して開設しました。同社所蔵の膨大な社内文書も保全されています。一般に馴染みがない「蚕種」や上塩尻の背景を知る上で欠かせない情報源となる施設です。 13年経過すると当時はご健在だった方もお亡くなりになった方やリタイアして活動から遠ざかられた方もいます。その時の記録が希少な記録となってきました。2022-08-31
7<ruby>埋薪<rt>まいしん</rt></ruby>のある<ruby>藤本<rt>ふじもと</rt></ruby>の<ruby>蚕室<rt>さんしつ</rt></ruby>(<ruby>上塩尻<rt>かみしおじり</rt></ruby>)埋薪まいしんのある藤本ふじもと蚕室さんしつ(上塩尻かみしおじり)蚕種製造さんしゅせいぞう中心地ちゅうしんちだった上塩尻かみしおじりでもその筆頭ひっとう蚕種製造家さんしゅせいぞうかであった藤本ふじもと(佐藤本家さとうほんけ)の蚕室さんしつ蚕種製造さんしゅせいぞう使つかわれました。かいこ成育せいいく大敵たいてきさむさをふせぐため、床下ゆかした埋薪まいしんと呼ばれるオンドルのような暖房施設だんぼうしせつそなわっています。2022-01-18
8Excellent上田、上塩尻見学:藤本蚕業歴史館Excellent上田、上塩尻見学:藤本蚕業歴史館2019/10/31、長野大学で私が担当する1年生の課題発見ゼミⅡ「Excellent上田」で、かつて蚕種製造の中心地だった上塩尻を訪れました。最初に訪れたのが藤本蚕業歴史館です。この建物は昭和初期、藤本蚕業の蚕種製造施設として建てられたものです。現在この建物の2階が文書・資料の保管所兼展示スペースとして使われています。 館内には1990年前半の上塩尻集落のミニチュア模型があります。上塩尻を俯瞰するのに役立ちます。 上塩尻の藤本は、代々当主が藤本善右衛門を名乗った蚕種製造家・佐藤本家を引き継いで明治期、企業となります。藤本蚕業歴史館には企業としての藤本蚕業の文書が多数残されているだけでなく、前身の佐藤本家の文書、資料も多数残されています。江戸期の藤本善右衛門保右が著した蚕書『蚕かひの学』の版木が残されて2020-12-19
9JIA長野県クラブの上塩尻見学会JIA長野県クラブの上塩尻見学会2020/7/31、JIA(日本建築家協会)長野県クラブの上塩尻見学会があり、見学会のコーディネーションと当日の案内をさせていただきました。 全国的に見ても稀有な蚕種製造民家群が残る上塩尻はまだ広く知られているに至っておらず、参加者のほとんどにとっても上塩尻を見学するのは初めてのことです。建築家の方々だけあって、蚕種製造民家に対する参加者の方々の関心は高く、建築的に特徴のあるところにはたびたび視点が釘づけになっていました。 コロナ禍の情勢下で見学会を実施することとなり、主催者側では、その状況に対応した配慮もされて見学会と意見交換会がなされました。人と人の間の距離があるため、お互いの声が聴きとりにくい一面がありましたが、その辺はやむを得ません。 意見交換も貴重な機会でした。空家に移り住んでも2020-12-19
10西部地域まちあるき2019の記録西部地域まちあるき2019の記録 2018年に発足した「上田市西部地域まちづくりの会」は翌2019年度に本格始動しました。4部会の一つ「自然・生活環境部会」では地元地域の文化・歴史遺産・自然などをデジタルアーカイブ化・マップ化する活動を持続的な地域活動にしていこう、という方向で取り組みが始まりました。その活動の手始めにしたのが「西部地域まちあるき」です。 4月は西部地区(下紺屋町~生塚)、5~6月は塩尻地区(秋和・上塩尻・下塩尻)をまちあるきしました。部会のメンバーにとっては地元でありながら、地元自治会のエリアがより広域に広がった「西部地域」をお互いに詳しく見聞しあったことはなく、地元であ2020-08-25
11<ruby>猫瓦<rt>ねこがわら</rt></ruby>猫瓦ねこがわらかいこべてしまうネズミをけるために上塩尻かみしおじり集落かしゅうらくではよくねこかおかたちをしたかわらられる。ねこからネズミ、ネズミからかいこへとつながるのはとても面白おもしろいとおもう。一見何いっけんなにだろうとおもうものもじつかんがえられていて、なるほどと感心かんしんさせられる。2020-01-10
12石垣石垣上塩尻地区に多く見られる石垣。上塩尻地区は山が近づくにつれ勾配が急になるため、石垣を組んで平たんにすることで立派な家にすることができる。この石垣からこれを作った人の奮闘が伝わってくる。歴史を体感できる場所だと思う。2020-01-10
13上塩尻地区の蚕室建築群上塩尻地区の蚕室建築群上塩尻地区の蚕室建築群模型2019-06-14
14上塩尻の蚕室上塩尻の蚕室蚕種製造のための養蚕施設。下に埋薪(まいしん)と呼ばれる暖房の仕掛けがあるのが特徴。韓国のオンドルに似ています。2019-03-01
15熊棚熊棚上塩尻のとある場所で。 熊が木に登り休むために枝で棚をつくる熊棚を発見しました。2019-02-20
16COSMOSCOSMOS上塩尻を散策しながら、神社に向かう途中山のふもとにたくさんのコスモスが咲いてたので思わず写真を撮ってしまいました。2019-04-01
17気抜きがある家気抜きがある家上塩尻を散策していると、いくつかこのように屋根のところに気抜きがある家がありました。 これは、蚕を育てるためのもので、今もこのように変わらず残っており、歴史を感じることができました2018-12-08
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