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1歴史的景観ウォッチング 新町・諏訪部編 ①丸山邸歴史的景観ウォッチング 新町・諏訪部編 ①丸山邸 北国街道が鍵型(桝形)に曲がり、矢出沢川を髙橋で渡る手前の旧家。西から見ると上田城から移した云われる見事な石垣がそびえている。  丸山家は、「木屋」の屋号の示す通り、材木を扱う商人だったが、藩の御用商人を務め、金融業も行っていた。江戸後期からは、蚕糸業にも力を入れ、製造した蚕種は、岩手県から徳島県まで手広く販売し、生糸輸出の有力業者だった横浜の「小野組」とのつながりも深かった。  明治になって上田城跡は民間に払い下げられていたが、その大部分を購入所有していた丸山平八郎がその土地を寄付したことによって上田城跡公園の整備が始まった。  現在は、趣のある母屋を利用してそば処「くろつぼ」が、土蔵などでパン屋やカフェが営業している。2023-09-24
2「今、記録しておきたいこの町なみ、歴史的景観」  プロジェクトについて「今、記録しておきたいこの町なみ、歴史的景観」 プロジェクトについて趣旨   上田市西部地域は、古代、都と東国を結ぶ東山道の東信濃の入口でした。近世は江戸と日本海岸地方を結ぶ北国街道が通る交通の要衝でした。  近世、この地に上田城を築いた真田氏によって、西部地域は「城下囲い」の集落として山すそのあった集落が城下の西入口に移住させられ、城下の外堀として改修された矢出沢川とともに城下の防備の役割を果たしました。  洪水によってたびたび被害を受けた千曲川に近い土地は、近世、水害に強い桑が植えられ、養蚕が盛んになりました。岩鼻から吹き込む強い西風は、桑に産み付けられ蚕を殺す蛆蝿の卵を振り落とし良質な桑「歩桑(ぶぐわ)」が育つため、蚕を掛け合わせて「蚕種」をとる蚕種業が盛んになりました。東北地方の養蚕先進地に学んだ上塩尻の蚕種家からは、養蚕技術の改良や2022-12-20
32009年開館当時の藤本蚕業歴史館2009年開館当時の藤本蚕業歴史館★写真:2009年10月蚕都上田プロジェクトが実施した見学ツアーの様子 上田市上塩尻に「藤本蚕業歴史館」が開館したのが2009年10月です。今年2022年、早いものでそれから13年近くが経ちます。日本一の蚕種(蚕の卵)の製造地だった上塩尻の中でも一番の中心的な蚕種製造企業だったのが「藤本蚕業」(現在の藤本工業の前身)です。藤本蚕業歴史館は藤本蚕業の蚕室を再利用して開設しました。同社所蔵の膨大な社内文書も保全されています。一般に馴染みがない「蚕種」や上塩尻の背景を知る上で欠かせない情報源となる施設です。 13年経過すると当時はご健在だった方もお亡くなりになった方やリタイアして活動から遠ざかられた方もいます。その時の記録が希少な記録となってきました。2022-08-31
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