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1 信州上田 景観・花と緑まちづくりフォーラム NO1 信州上田 景観・花と緑まちづくりフォーラム NO1  11月23日午後に「信州上田2023 花と緑まちづくりフォーラム」が行われました。  花と緑まちづくりコンクールでの表彰が行われ、真田、丸子上田地区の団体、個人や学校等、14の花壇が、表彰されました。今年は、夏の暑さが厳しかったけれど、皆さん、手を掛け、花と緑が生き生き色彩豊かに育っているのが印象的でした。花壇もそうですがそれぞれのデザインや工夫、苦労、協力等のエピソードも素敵なものでした。 上田市都市景観賞では、美しく再生リノベーションされた古民家住宅、2代で育てた桜や杏の咲き乱れる住宅、温泉街の古い門を利用して、入口の庭を整備したお店、上田市の施設と緑を調和させた空間が表彰されました。 どれもセンスが生かされたものでした。  2部では、世界的にご活躍の庭園デザイナーである石原和幸さん2023-11-25
2  2023  「ねこ瓦まち巡り」NO1  2023 「ねこ瓦まち巡り」NO1 2023 11月12日午前、上田塩尻北国街道のねこ瓦をはじめ、古くからの見どころを巡りました。 私達の「りんくるnekogawala」が主催で、春から、ねこ型花壇が出来た秋に行う計画をしていたものです。20〜70代の市民17名が参加しました。  塩尻公民館前を出発し、登録有形文化財の佐藤家住宅やそのねこ瓦、周辺の古民家や裏山のうさぎ峰の景色、東山の石垣段畑のねこ型花壇を観賞しました。ねこ型花壇の段々畑では、花壇のみならず、周辺の山や川向うの景色がよく見えて、しばし、見とれていました。  北国街道では、古路地とそこのねこ瓦を観て散策して歩きました。  「初めてきた」「ねこ瓦を初めてみた」「ねこ瓦の柄が幾つかあるんだね」「古い町並みや、古民家がこんなふうになっていたんだね」等感想が聞かれました。  今回は、会員2023-11-16
3水路の歴史〜矢出沢川、堀越せぎ、上田城水路の歴史〜矢出沢川、堀越せぎ、上田城5年生の水路探検では、西小横の堀越せぎを水門から東へさかのぼり、八幡の近くで矢出沢川から水を取り入れている様子、西方面へ抗秋和せぎに沿って歩き、秋和の方に続いている様子を確認しました。   そして6年生になり、さらに西小横の堀越せぎの本流をさかのぼって秋和せぎに合流する様子、水門から南に進み、矢出沢川が駅前を通る枡網用水と交差するところの様子も見ました。  また、歴史についても興味を持ち、詳しい方に話を聞いたり、石碑を調べたり、本で調べたりしました。探検で知り合った地域の方にお借りした「鎌原の歴史」には、僕たちが知りたかった水路の歴史が詳しく書かれていました。         そこには、江戸時代初期、上田城主が仙石氏の時代の様子が書かれていました。僕たちは、5年の時に見つけた2023-03-09
4 常磐城の古屋の「ねこ瓦亅 常磐城の古屋の「ねこ瓦亅 常磐城(祝町大通り〜新町)の散策中に、蚕種に関係する古民家、蔵の「ねこ瓦亅の他に古屋や物置らしきものに掲げられている「ねこ瓦亅を見つけました。かなり古く、摩耗していますが、一番古いのではないかと思われる佇まいです。  当時の「平瓦亅の技法と絵柄のようです。  風雨に耐えながら、佇み、時を過ごしている姿です。  この「ねこ瓦亅達も保存されて、安堵してもらいたいと思いました。2023-03-02
5 常磐城地域の「ねこ瓦亅 常磐城地域の「ねこ瓦亅 春の陽気となった先日、常磐城地区(祝町大通り〜新町)の散策をしてきました。 歴史の路や寺院、延命地蔵等興味深い処が沢山ありました。  初めてゆっくり歩きましたが、古い蚕種に関係のあると思われる瓦の古民家や蔵、小屋、を見つけ、「ねこ瓦亅もそこに有りました。私にとっては、新しい発見でした。  永くそこに掲げられ、老朽、摩耗している様子もありますが、蔵の手入れをされて、立派に掲げられ続けているものもあり、どれも価値と愛着を感じました。  通りの古民家は、お店に使われているような処もあり、今後も保存されて行くことを願います。ねこの耳ではなく、頭が二本線の帽子を被った形は、登録文化財の佐藤家と同じ斬新なDesignです。2023-03-02
6 降ろされて、保存された「ねこ瓦亅 降ろされて、保存された「ねこ瓦亅 昨年の12月に北国街道北側の古い路地に有った土蔵に付いていた2枚の「ねこ瓦亅が降ろされました。  永年その蔵の軒に掲げられていましたが、蔵の老朽化で、壊すことになり、持ち主のお宅に保存されています。 約、50枚ある内の貴重な2枚です。 絵柄は、代表的な「鳳凰亅と「雲水亅のようです。2023-02-26
7藤本蚕業アーカイブ/古い地図をデジタル化してみる藤本蚕業アーカイブ/古い地図をデジタル化してみる 話:前川道博(長野大学教授、藤本蚕業プロジェクト代表) 上塩尻にある藤本蚕業歴史館は藤本蚕業に残された悉皆(しっかい)資料を収蔵しています。明治・大正期の分県地図もその一つ。100年ほど昔の日本の各地の様子が当時の地図から手に取るようによくわかります。誰もが詳細にそれらの地図を読めるようにその一部をデジタル化しネット公開しました。 これらの地図は『藤本蚕業アーカイブ』でご覧いただけます。小学生からご年配の方々まで思う存分に古い資料を楽しめます! →https://d-commons.net/fujimoto-arch/2023-02-02
8蚕種の里「上塩尻」(1)数多く残る蚕種製造民家蚕種の里「上塩尻」(1)数多く残る蚕種製造民家かつては日本一の蚕種製造地であった上塩尻では多くの家々で「蚕の卵」を製造する蚕種業が営まれていました。上塩尻には現在も数多くの蚕種製造民家が残り、地元の方々はそれらの古い民家をリフォームするなどして大切に保全活用しています。2023-02-02
9蚕種の里「意見交換会」蚕種の里「意見交換会」 まちあるきに続いて、塩尻公民館に場を移してマーティン・モリス先生(千葉大名誉教授)による「英国における古建築の保存と活用」についてのお話があった。  はじめに、日本人には、古いものは、時間がたつとなくなってしまうのが当然というあきらめがある。英国には、古建築と景観を保全・活用するという生活文化があり、保存の対象となっている古建築の数も圧倒的に多い。「古建築に生きている歴史を見ることが、一番の楽しみ。古建築は、私たちのものではない、預かっているものであり、壊さなけれなければ、次代に渡すことができる」という思いで、古い建物を、修復、再生し、住み、活用して保存する活動が活発に行われているとのこと。民家園を作り、各地の代表的な古民家を移築し、保存しています。あとはどうなろうとも知2022-11-26
10猫瓦はいつからあるのか(サンプル3)猫瓦はいつからあるのか(サンプル3)猫瓦はいつからあるのかを調べてみようと思い、地元の方にお話を聞きました。古い猫瓦をいくつか見せてもらい、それらはおよそ1800年前後のものではないかということを言っていました。2022-07-19
11まちあるきで西部地域をアーカイブまちあるきで西部地域をアーカイブ西部地域まちづくりの会の自然・生活環境部会が主体となり、地域デジタルアーカイブ&マップづくりの活動が進んでいます。2018年度は事業の計画や機材購入などに取り組み、翌年度の活動開始に備えました。 そして2019年、春爛漫の4月となり、4/22、待望のまちあるきを実施しました。地域を探訪しながら、地域の文化財、歴史スポットなどを画像に撮り、それらをネット上のアーカイブサイトにアップロードしてデータ共有する地域アーカイブ&マップづくりの活動です。会の皆さんにとっては全く初めての取り組みになります。長野大学・前川ゼミの学生有志が一緒に参加し、《まちあるき=画像記録》を実行しました。 この日は矢出沢川に架かる西八幡橋に参加メンバーが集合し、まちあるきに出かけました。約20名が3グループに分かれてそれ2020-12-19
12地域の記憶:上塩尻・段々畑の桑園地域の記憶:上塩尻・段々畑の桑園地域のありようは長い間には大きく様変わりします。昔その地域がどうであったのかを確認するにはその当時の資料が欠かせません。人の記憶の中にその様相は残っていても、第三者がそれを確認できるのはデータとして残された何らかの記録です。証言のような言葉(人の記憶)でも補えますが、それを証言してくれる映像なり、道具なり、資料なりがあってその確認ができます。 2019年2月、上塩尻のSさんのお宅を訪問しました。蚕種製造の中心地・上塩尻の古い資料をデジタルアーカイブ化しようというねらいです。 Sさんのお宅にあった一枚の写真に注目。少年たちと大人たちの集合写真です。脱穀作業を共同で行った時の記録と思います。少年たちは国民服を着ています。1940年代前半の撮影ではないかと思われます。その背後に段々畑の桑園2020-12-19
13小さな公園小さな公園おそらく緑が丘北自治会内にある公園で、住宅地の中の一角にある。だいぶ錆びていてもう何年も使われていない。2020-12-06
14西部地区探検隊[不思議な水路 10]西部地区探検隊[不思議な水路 10]『堀越堰』は先人たちの知恵と力の賜物です、今も多くの人の手で守られています。また、上流と下流は同じ水でつながっています。これからも大切にしたいものです。ゴミを捨てたり、水門をいじったりしないようにしましょう。また、浅いように見えてもかなりの水量があるので入って遊ばないでください。特に、大雨の時は危険です、近づかないでください。写真は、右側の用水路から左側の水田に水を取り入れているところです。2本の水路にはさまれた三角形の土地は、古い水の取り入れ方で「かけ樋(ひ)のこった」といいます。最近は、ほとんど見られなくなりました。2020-08-29
15秋和の文庫蔵を訪ねる秋和の文庫蔵を訪ねる2020/2/17、地元の方々と学生と秋和文庫蔵を訪ねました。 秋和は蚕種製造の中心地であった塩尻村の中で、上塩尻、下塩尻と共に蚕種製造が営まれ、蚕都上田の興隆にも大きく貢献した一地域です。そうした近代の地域の背景を知る上でも地元の古い資料は欠かせないものです。 地域の文書保管のための文庫蔵の内部には明治以降の文書が段ボール箱やタンスに入れてしまわれています。具体的にどのような資料が保存されているのか、まだその目録化はされていないとのこと。しかし、これだけしっかりと明治以降の文書が残されていることはかけがえがありません。実に得難いことです。平成のものもあります。 いくつか手にした文書は「明治十八年 祭典諸事記載帳」「明治三十年度 人夫賃金支払帳 塩尻村秋和土木委員」「明治十年第三月 2020-08-25
16モリス先生来訪、古建築をフィートで測るモリス先生来訪、古建築をフィートで測る2018/11/30、千葉大学のマーティン・モリス先生が上田に来訪されました。この日、塩尻地区のある古い民家を地元の方々と見聞しました。モリス先生はイギリス出身ですが、驚くほど日本の伝統建築に詳しく、訪問先の室内を簡易的に測定し、建築上の特徴などからその年代の推定までされていました。 さらに驚いたのはフィートのメジャーで寸法を測り始めたこと。よくよく考えてみればフィートと尺の単位は極めて近似しており、尺のメジャーの代わりにフィートのメジャーを使っているのだとわかりました。なるほど!です。 モリス先生は、長年上塩尻を研究されている東北大学の長谷部弘先生の研究グループでも共同研究をされたことがあり、10年以上前、上塩尻の民家を調査されたことがあります。この日は塩尻地区の何名かの方々とも意見2020-08-25
17飯綱神社飯綱神社祀神は、「宇迦之御魂神(うがのごこんしん)」で、境内には天神社と金毘羅社が合祀され、本殿、拝殿、清殿、石の鳥居が備えられています。1798年(寛政10年)の再建と伝えられ、明治6年村社となりました。板に描かれた古い絵馬、俳句の掲額があり、毎年4月に例祭が行われています。なお、参道には尾崎行雄の記念碑が昭和12年に建立され、「公正自由なる選挙は立憲自治の基礎なり」と刻まれています。出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月2019-12-20
18天満宮天満宮1771年(明和8年)の創建と伝えられ、舟形の地形が特徴です。古い絵馬や俳句の額が掲げられています。明治6年に村社になり、かつては春秋の例祭には村人の踊り、大々神楽、相撲等が奉納されました。敷地内には、福島安正書の「菅公一千年記念碑」もあります。 出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月2019-12-20
19沓掛酒造沓掛酒造沓掛酒造は1688年創業という古い歴史の中で地酒の醸造元として今も北国街道沿いで酒造りを営んでいます。 沓掛酒造にある蹴鞠は、昭和44年上田市指定有形文化財有形文化財に指定されました。2020-01-10
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