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1〈秋和〉不思議な街並み 5〈秋和〉不思議な街並み 5秋和の北国街道は直線的だが、道幅が狭いため大軍の進軍は難しい。家々の間口の幅が同程度なのも人工的に作られたからだろう。街道に面して出入口を作らず、小路から出入りし、時には小路に隠れて敵を迎え撃つ。小路を50mほど奥に入ると家並の裏に東西に走る小路があり、街道から見られずに移動ができる。間口いっぱいに建てられた家は、江戸末期から養蚕・蚕種業が盛んになり、広い蚕室を確保する確保するために改築されたものではないか。 西脇や新町のように城下町に近い村は、時代が下がると町屋化し、商いのために道に面して入口を設けるようになった。秋和は農が主で店も宿もほとんどなく、旅人に出入口を開く必要もなかったのではないか。むしろ、背後にある田や山麓や河川敷にある桑畑に通うには、家にわきにある小路が重宝2022-03-23
2〈秋和〉不思議な街並み 4〈秋和〉不思議な街並み 4秋和は、生塚、新町、西脇などと同様、真田氏が上田の城下町を作るときに太郎山の山麓にあった村々を城下町の防衛帯(城下囲:じょうかかこい)とするために移住させてできた。滝沢和喜夫著「秋和の今昔」(S57刊)には、『北国街道に添った秋和村の家の構造は、敵をあざむくために、障子の後ろに雨戸を設けて無防備に見せかけ、小路を多く作って、小路を入った正面に入口を置かず、小路の左右を入口として、攻めるに難く、逃げるに易くするというのが共通の家構えであった。』とある。そのため、真田氏・仙石氏の治世では、屋敷にかける年貢は免除されていた。写真は、街道から北へ抜ける小路。左側に家は小路に向いて門がある。2022-03-23
3矢出沢川遊歩道矢出沢川遊歩道矢出沢川沿いにある遊歩道です。西脇の上須波橋から新町の下須波橋に垂れ桜2021-04-24
4矢出沢川遊歩道矢出沢川遊歩道下紺屋町から新町、西脇境の下須波橋にかけて、矢出沢川沿いに遊歩道があります。四季の彩が楽しめます。2021-04-13
5西脇会館西脇会館西脇会館です。このすぐ隣にもう一枚の西脇という地域の説明が書かれた看板があります。2020-10-22
6旧北国街道(下紺屋町·鎌原·西脇·新町)旧北国街道(下紺屋町·鎌原·西脇·新町)旧北国街道の道の写真です。新町ら辺からは少しずつカーブもあり完全な直線ではないですが、二の丸通りから入ってしばらくはきれいな直線となっています。2020-10-22
7西脇稲荷社(にしわきいなりしゃ)西脇稲荷社(にしわきいなりしゃ)祭神(さいじん)は宇加之御魂大神(うかのみたまおおかみ)、倉稲魂大神(うかのみたまおおかみ)。1843(天保14)年京都の伏見稲荷大社の御神霊(ごしんれい)を受け創建された。その後二回の改築を経て、現在の社殿は2003(平成15)年に建てられた。身近な神様として五穀豊穣(ごこくほうじょう)、商売繁盛(しょうばいはんじょう)、殖産興隆(しょくさんこうりゅう)、家内安全、交通安全の守護神(しゅごしん)として信仰を集めている。2020-02-05
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