1742(寛保2)年7月27日から8月1日まで激しい雨が降り続き千曲川が未曽有の大洪水(戌【いぬ】の満水)となった。佐久地方から海野、大屋、下塩尻にかけて大きな被害があり、千曲川沿岸に流れ着いた流死者を集めて正福寺に埋葬した。その際「流死含霊識(りゅうしがんれいしき)」と記した碑を建て、千人塚と言った。
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