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1景観ウォッチング~秋和旧北国街道めぐり~景観ウォッチング~秋和旧北国街道めぐり~ 広報うえだ4月号に掲載された「景観ウォッチング~秋和旧北国街道めぐり~」にご参加ください。    広報うえだには、9:20に西部公民館に集合し、バスで秋和正福寺に行き、開会式、散策、八幡神社参道入り口で閉会式を行い、バスで西部公民館に戻る計画で、先着20人募集となっています。バスを利用する方は、都市計画課(23-5127)に申し込んでください。  地元の方は(定員外)、正福寺に9:30に集合、合流し、散策、閉会式の後は自由解散できます。希望する方はまちづくりの会(山﨑080-5108-5963)に連絡をお願いします。  秋和については、西部地域デジタルマップの下記のカテゴリーに情報が投稿されています。ご覧ください。 〈歴史文化スポット・記録〉  ・秋和地区蚕室づくりの家の変遷(小林武彦さん2024-04-15
2歴史景観ウォッチング 新町・諏訪部編歴史景観ウォッチング 新町・諏訪部編 穏やかな陽気に恵まれた11月4日(土)、講師に阿部勇先生をお迎えし、25名が参加して歴史景観ウォッチング「新町・諏訪部編」が実施されました。訪問したお宅では、資料を用意したり、丁寧な説明したりして下さり、時間不足を感じるほど内容の濃いウォッチングとなり、今後も同様の企画をまた行ってほしいとの声が上がりました。関わってくださいました皆様、ありがとうございました。  来年は、秋和地区のウォッチングを実施したいと考えております。ご期待下さい。  2023-11-04
3秋和地区 蚕室造りの家の変遷(1)小林武彦さんの記録秋和地区 蚕室造りの家の変遷(1)小林武彦さんの記録小林武彦さんの紹介  小林武彦さんは、秋和在住で今年90歳になりました。長年専売公社に勤め、全国を勤務して回りました。  中学生の頃、担任の先生の導きで、郷土史に興味持つようになり、退職後郷里に帰ってからは、上小郷土史研究会に入り調査研究に励みました。とりわけ塩尻地区近代化遺産調査事業の委員として西部地域の製糸業の歴史や先人たちの取り組みについて調査をし、事業報告書作成の中心メンバーとして活躍されました。また、西部公民館主催講座「蚕都上田ものがたり」を通して、調査・研究を深めこの記録を作成しました。  西部地域に関わる小林さんから預かった調査記録を多くの方々、特に地元に生きる若い方々に知ってもらい、この土地に刻まれた先人の労苦と逆境を跳ね返す精神を伝えたいと考え「西部地域デ2023-10-18
4歴史的景観ウォッチング 新町・諏訪部編 ④松尾邸歴史的景観ウォッチング 新町・諏訪部編 ④松尾邸 本家の母屋は建て替えたが、以前の建物は寛永年間に建てられたと伝えられている。上田城から移築されたという門と母屋の鬼瓦が残されている。  庄屋をやっていたので現在は更地になっているが南側に米蔵が並んでいた。蚕種販売をやっていて気抜きとうだつのある蚕室が残っている。現在のアリオ場所に桑畑があった。2023-10-01
5歴史景観ウォッチング 新町・諏訪部編 ⑤浜村邸歴史景観ウォッチング 新町・諏訪部編 ⑤浜村邸 浜村家の分家、5代目。出身は諏訪の高島藩だと伝えられている。養蚕(2百貫目ぐらい)と蚕種と稲作をやってきた。明治年代、先祖は蚕種製造家として名を残している。建物は、明治元年に建てられた。歴史の散歩道は、私道。市が敷石を引き整備してくれた。上田市の景観賞を受賞した。  南側にも蚕室づくりの家がある。2023-09-24
6歴史景観ウォッチング 新町・諏訪部編 ③山浦邸歴史景観ウォッチング 新町・諏訪部編 ③山浦邸 北国街道を西に進み、髙橋で矢出沢川を渡る100mほど手前に「北向観音」の道標がある。そこを南に折れ、千曲川を渡ると松本に向かう保福寺街道となる。古代、東国と都を行き来する東山道として拓かれ、近くには日里駅(わたりのうまや)跡と推定される礎石(いぼ神様)が残っている。東山道を浦野で左に折れ別所峠を越えると北向観音のある別所温泉に至る。  明治になって信越線が引かれ、上田駅ができるまでは川西方面から城下に入るにはこの道が使われたため、出入口となる坂下には商店も並んでいた。  山浦家は、江戸時代は、雑貨、よろずやをやっていて、松本街道の出入り口で繁盛していた。明治2年のチャラ金騒動で川西方面からきた一揆衆も、「油や」(屋号)には、手をつけるなと言い交し、打ちこわしにあわなかった。2代2023-09-24
7歴史的景観ウォッチング 新町・諏訪部編 ①丸山邸歴史的景観ウォッチング 新町・諏訪部編 ①丸山邸 北国街道が鍵型(桝形)に曲がり、矢出沢川を髙橋で渡る手前の旧家。西から見ると上田城から移した云われる見事な石垣がそびえている。  丸山家は、「木屋」の屋号の示す通り、材木を扱う商人だったが、藩の御用商人を務め、金融業も行っていた。江戸後期からは、蚕糸業にも力を入れ、製造した蚕種は、岩手県から徳島県まで手広く販売し、生糸輸出の有力業者だった横浜の「小野組」とのつながりも深かった。  明治になって上田城跡は民間に払い下げられていたが、その大部分を購入所有していた丸山平八郎がその土地を寄付したことによって上田城跡公園の整備が始まった。  現在は、趣のある母屋を利用してそば処「くろつぼ」が、土蔵などでパン屋やカフェが営業している。2023-09-24
8歴史的景観ウォッチング 新町・諏訪部編 ②田村邸歴史的景観ウォッチング 新町・諏訪部編 ②田村邸 江戸時代から蚕種製造業を営んでいた。祖父の時代には、種繭を2百貫目とっていた。桑畠は、桑屋に見てもらい、足りない分は、坂城から買っていた。種付けする時は、雌雄鑑別に近隣から人を集めた。  矢出沢川の河岸にほら穴を掘り、蚕種の貯蔵をした。茨城にも販路があった。  父の趣味が写真で、その頃の写真もあるので整理して見てもらえるようにしておく。    建物  長屋門(総2階建て、白壁、気抜きあり)は、200  年前、江戸時代からのものと伝えられている。  母屋(総2階建て、白壁、気抜きあり)は、明治18年築の記録あり。座敷は、吹き抜け15畳  桑貯蔵蔵(地下に1mほど掘り下げ)  蚕種製造棟(2階で蚕種製造をした)2023-09-23
9歴史的景観ウォッチング 新町・諏訪部編 見学先民家歴史的景観ウォッチング 新町・諏訪部編 見学先民家 11月4日の景観ウォッチングでは、別紙のコースで5軒の民家の見学させていただきます。  それぞれの民家について下見でお聞きした概略を順次「地域デジタルマップ」に投稿します。当日は、素敵な写真を撮り、貴重なお話を聞き出してください。2023-09-23
10歴史的景観ウォッチング 新町・諏訪部編 案内回覧歴史的景観ウォッチング 新町・諏訪部編 案内回覧 11月4日(土)に、「歴史的景観ウォッチング 新町・諏訪部編」を催行します。  北国街道や養蚕・蚕種業を営んでいた民家が残る新町・諏訪部地区を歩き、由緒や来歴をお聞きし、見学させていただきます。写真を撮り、お話とともに「西部地域デジタルマップ」に投稿して、デジタル記録として残します。  多くの皆さんの参加をお待ちしています。後日、配布する回覧をご覧ください。2023-09-23
11「秋和の里」の滝澤秋暁邸が更地に「秋和の里」の滝澤秋暁邸が更地に しばらくぶりで秋和の北国街道を歩いた。驚いたことに「秋和の里」を代表する滝澤秋暁邸がなくなっていた。長屋門に茅葺にトタンをかけた重厚な母屋、門の東に続く気抜きを設けた蚕室、母屋の裏には庭を挟んで気抜きのついた2階建ての大きな蚕室がなくなり更地が広がっていた。    滝澤秋曉邸は、ずいぶん前から空家となっていてあちこちに痛みが出ていた。個人の力で修理は困難なことがうかがわれ、残すには行政の力が必要と思っていたところ、上田市の歴史風致維持保存計画に蚕種製造民家の調査事業が盛られ、記録だけでも残される可能性が出てきたところだった。また、西部地域デジタルマップでも歴史遺産の記録を残す呼びかけを始めたところであり、残念でたまらない。  地域の歴史を学び、じかに触れることができる歴史遺2023-05-19
12 西部常磐城地区の散策 西部常磐城地区の散策 春めいた先日、祝町大通り〜新町辺りを散策してきました。 歴史の散歩道の路地や古民家の佇まい、芳泉寺の由来や石段、屋根の造り等、興味深い物でした。   延命地蔵尊の屋根の作りも面白く、由来も民衆的の歴史を感じます。大日堂は、明治の年号、年が刻まれており、中には、仏像、これも民衆信仰の深さを思わせます。  初めてゆっくり、じっくり歩いてみました。2023-03-04
13「今、記録しておきたいこの町なみ、歴史的景観」  プロジェクトについて「今、記録しておきたいこの町なみ、歴史的景観」 プロジェクトについて趣旨   上田市西部地域は、古代、都と東国を結ぶ東山道の東信濃の入口でした。近世は江戸と日本海岸地方を結ぶ北国街道が通る交通の要衝でした。  近世、この地に上田城を築いた真田氏によって、西部地域は「城下囲い」の集落として山すそのあった集落が城下の西入口に移住させられ、城下の外堀として改修された矢出沢川とともに城下の防備の役割を果たしました。  洪水によってたびたび被害を受けた千曲川に近い土地は、近世、水害に強い桑が植えられ、養蚕が盛んになりました。岩鼻から吹き込む強い西風は、桑に産み付けられ蚕を殺す蛆蝿の卵を振り落とし良質な桑「歩桑(ぶぐわ)」が育つため、蚕を掛け合わせて「蚕種」をとる蚕種業が盛んになりました。東北地方の養蚕先進地に学んだ上塩尻の蚕種家からは、養蚕技術の改良や2022-12-20
14旧瀧澤邸(東福寺壇信徒会館)旧瀧澤邸(東福寺壇信徒会館)11月26日に上塩尻のまちあるきを行い、その中で訪問した1つの旧瀧澤邸です。何度か上塩尻をまちあるきをする中で、今回初めて訪問しました。建物の中はとても広く、とても綺麗な状態で残されていて、その建物についての詳しい歴史は分かりませんが、外見も古くそのまま残されている感じがして、上塩尻の新たな魅力の発見に繋がり、とても勉強になりました。2022-12-09
152009年開館当時の藤本蚕業歴史館2009年開館当時の藤本蚕業歴史館★写真:2009年10月蚕都上田プロジェクトが実施した見学ツアーの様子 上田市上塩尻に「藤本蚕業歴史館」が開館したのが2009年10月です。今年2022年、早いものでそれから13年近くが経ちます。日本一の蚕種(蚕の卵)の製造地だった上塩尻の中でも一番の中心的な蚕種製造企業だったのが「藤本蚕業」(現在の藤本工業の前身)です。藤本蚕業歴史館は藤本蚕業の蚕室を再利用して開設しました。同社所蔵の膨大な社内文書も保全されています。一般に馴染みがない「蚕種」や上塩尻の背景を知る上で欠かせない情報源となる施設です。 13年経過すると当時はご健在だった方もお亡くなりになった方やリタイアして活動から遠ざかられた方もいます。その時の記録が希少な記録となってきました。2022-08-31
16<ruby>山極勝三郎<rt>やまぎわかつさぶろう</rt></ruby><ruby>生家<rt>せいか</rt></ruby>山極勝三郎やまぎわかつさぶろう生家せいか山極勝三郎やまぎわかつさぶろう(1863~1930)は、1915ねんウサギのみみにコールタールをり、人口癌じんこうがん発生はっせい成功せいこうし、当時とうじのノーベル医学賞いがくしょう候補こうほにもなったひとです。このように生家せいか保存ほぞんされています。偉人いじんせっしてみては!2022-02-16
17Excellent上田、上塩尻見学:藤本蚕業歴史館Excellent上田、上塩尻見学:藤本蚕業歴史館2019/10/31、長野大学で私が担当する1年生の課題発見ゼミⅡ「Excellent上田」で、かつて蚕種製造の中心地だった上塩尻を訪れました。最初に訪れたのが藤本蚕業歴史館です。この建物は昭和初期、藤本蚕業の蚕種製造施設として建てられたものです。現在この建物の2階が文書・資料の保管所兼展示スペースとして使われています。 館内には1990年前半の上塩尻集落のミニチュア模型があります。上塩尻を俯瞰するのに役立ちます。 上塩尻の藤本は、代々当主が藤本善右衛門を名乗った蚕種製造家・佐藤本家を引き継いで明治期、企業となります。藤本蚕業歴史館には企業としての藤本蚕業の文書が多数残されているだけでなく、前身の佐藤本家の文書、資料も多数残されています。江戸期の藤本善右衛門保右が著した蚕書『蚕かひの学』の版木が残されて2020-12-19
18JIA長野県クラブの上塩尻見学会JIA長野県クラブの上塩尻見学会2020/7/31、JIA(日本建築家協会)長野県クラブの上塩尻見学会があり、見学会のコーディネーションと当日の案内をさせていただきました。 全国的に見ても稀有な蚕種製造民家群が残る上塩尻はまだ広く知られているに至っておらず、参加者のほとんどにとっても上塩尻を見学するのは初めてのことです。建築家の方々だけあって、蚕種製造民家に対する参加者の方々の関心は高く、建築的に特徴のあるところにはたびたび視点が釘づけになっていました。 コロナ禍の情勢下で見学会を実施することとなり、主催者側では、その状況に対応した配慮もされて見学会と意見交換会がなされました。人と人の間の距離があるため、お互いの声が聴きとりにくい一面がありましたが、その辺はやむを得ません。 意見交換も貴重な機会でした。空家に移り住んでも2020-12-19
19西部地域まちあるき2019の記録西部地域まちあるき2019の記録 2018年に発足した「上田市西部地域まちづくりの会」は翌2019年度に本格始動しました。4部会の一つ「自然・生活環境部会」では地元地域の文化・歴史遺産・自然などをデジタルアーカイブ化・マップ化する活動を持続的な地域活動にしていこう、という方向で取り組みが始まりました。その活動の手始めにしたのが「西部地域まちあるき」です。 4月は西部地区(下紺屋町~生塚)、5~6月は塩尻地区(秋和・上塩尻・下塩尻)をまちあるきしました。部会のメンバーにとっては地元でありながら、地元自治会のエリアがより広域に広がった「西部地域」をお互いに詳しく見聞しあったことはなく、地元であ2020-08-25
20石垣石垣上塩尻地区に多く見られる石垣。上塩尻地区は山が近づくにつれ勾配が急になるため、石垣を組んで平たんにすることで立派な家にすることができる。この石垣からこれを作った人の奮闘が伝わってくる。歴史を体感できる場所だと思う。2020-01-10
21北向観音道標 (きたむきかんのんみちしるべ)北向観音道標 (きたむきかんのんみちしるべ)1895年(明治28年)に上田橋が完成するまで 上田と別所温泉、あるいは中南信を結ぶ道路(松本街道)はここだけで 茶屋や商店が並び人々が往来して賑わっていた。 古くから重要な道路として利用されていた。2020-01-10
22沓掛酒造沓掛酒造沓掛酒造は1688年創業という古い歴史の中で地酒の醸造元として今も北国街道沿いで酒造りを営んでいます。 沓掛酒造にある蹴鞠は、昭和44年上田市指定有形文化財有形文化財に指定されました。2020-01-10
23藤本蚕業歴史館藤本蚕業歴史館蚕業の資料などがあり、歴史を学ぶことができます。実際に繭玉に触れることもできます。2018-12-08
24気抜きがある家気抜きがある家上塩尻を散策していると、いくつかこのように屋根のところに気抜きがある家がありました。 これは、蚕を育てるためのもので、今もこのように変わらず残っており、歴史を感じることができました2018-12-08
25小岩井紬工房小岩井紬工房小岩井紬工房の見学に行きました。 養蚕に関する文化や歴史を知ることができる親しみやすい場所でした。 機織りと聞くと、地味だったり、渋いイメージでしたが実際に見ると、カラフルでかわいいものが多く、若い人にも手に取りやすい この青と黄色の着物は、息子さんが織ったもので、このような絶妙な淡い色のバランスを出すのが、すごく難しいようでとても時間がかかったと聞きました。2018-12-08
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