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1景観ウォッチング~秋和旧北国街道めぐり~景観ウォッチング~秋和旧北国街道めぐり~ 広報うえだ4月号に掲載された「景観ウォッチング~秋和旧北国街道めぐり~」にご参加ください。    広報うえだには、9:20に西部公民館に集合し、バスで秋和正福寺に行き、開会式、散策、八幡神社参道入り口で閉会式を行い、バスで西部公民館に戻る計画で、先着20人募集となっています。バスを利用する方は、都市計画課(23-5127)に申し込んでください。  地元の方は(定員外)、正福寺に9:30に集合、合流し、散策、閉会式の後は自由解散できます。希望する方はまちづくりの会(山﨑080-5108-5963)に連絡をお願いします。  秋和については、西部地域デジタルマップの下記のカテゴリーに情報が投稿されています。ご覧ください。 〈歴史文化スポット・記録〉  ・秋和地区蚕室づくりの家の変遷(小林武彦さん2024-04-15
2八幡宮八幡宮下紺屋町自治会内にある神社です。2020-12-07
3金刀比羅神社金刀比羅神社新屋自治会内にある、小さな神社です。真後ろには住宅があります。2020-12-07
4白山神社2白山神社2緑ヶ丘西自治会にもある神社です。滑り台などの遊具や大きな木が植えられています。2020-12-06
5白山神社1白山神社1緑ヶ丘西自治会にある神社です。緑が丘北自治会にも同じ名前の神社があります。2020-12-06
6飯綱神社飯綱神社祀神は、「宇迦之御魂神(うがのごこんしん)」で、境内には天神社と金毘羅社が合祀され、本殿、拝殿、清殿、石の鳥居が備えられています。1798年(寛政10年)の再建と伝えられ、明治6年村社となりました。板に描かれた古い絵馬、俳句の掲額があり、毎年4月に例祭が行われています。なお、参道には尾崎行雄の記念碑が昭和12年に建立され、「公正自由なる選挙は立憲自治の基礎なり」と刻まれています。出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月2019-12-20
7下塩尻公民館下塩尻公民館下塩尻自治会は、蚕飼(こがい)の郷として栄えた北国街道筋にあたり、今も江戸、明治、大正の面影がそこかしこに残る地域です。地区は、山根地区と中島地区に分かれます。山根地区には、飯綱神社の参道、山の中腹には参勤交代でゆかりのある天狗岩、岩鼻のがけ下には向井去来の句碑があります。中島地区では、昔の岩鼻のホタル合戦の復活を目指し、ホタルの里として水辺環境の整備にあたっています。2019-12-20
8諏訪泉神社 拝殿中央の彫刻諏訪泉神社 拝殿中央の彫刻「司馬温公瓶割の図」 司馬温公が子供の時の故事に由来しています。本名は司馬光という。 司馬光が友人と遊んでいたところ、友人が誤って瓶に落ちてしまいました。司馬光は機転を利かせ、貴重な水瓶を割って友人を助け出すことができました。 人名の尊さを訴えています。2019-11-15
9ほらが石(鳴石)ほらが石(鳴石)諏訪泉神社境内 文化2年(1805)諏訪部村の人々が千曲川の水中に、この石を見つけました。この石の上辺に小穴があり、これを吹くとホラ貝のような音がしました。村の人々は珍しい石であるとして、神社境内に安置し、しめ縄を曳いて神の如くしました。2020-02-06
10愛宕神社(あたごじんじゃ)愛宕神社(あたごじんじゃ) 1550年頃(天文年間)真田幸隆により祀られたとの伝承がある。後、仏教と習合し愛宕権現となり、正福寺が別当となり火難徐け祈祷をしてきたが、神仏混淆禁止令により1869(明治2)年愛宕神社となった。  今でも消防団により出初式の日に梯子乗りを奉納し安全と防火を祈願している。このお宮には180段の石段がある。2020-02-06
11紺屋町八幡社(こんやまちはちまんしゃ)紺屋町八幡社(こんやまちはちまんしゃ)祭神は応神天皇(おうじんてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、玉依姫命(タマヨリビメ)。創建年は不詳。真田昌幸が1584(天正12)年上田城築城にあたり鎮護のため、東御市の八幡神社(現:滋野神社)を現在地へ移したと伝えられてる。武門(ぶもん)の神様としても崇敬(すうけい)されている。祭日は4月14・15日。2020-01-10
12COSMOSCOSMOS上塩尻を散策しながら、神社に向かう途中山のふもとにたくさんのコスモスが咲いてたので思わず写真を撮ってしまいました。2019-04-01
13座摩神社への道のり座摩神社への道のり座摩神社へはたどり着けませんでしたが、途中で見た景色はとても綺麗でした。2018-12-08
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