浪人塚

浪人塚

元治元(1864)年10月、水戸の天狗党は武田耕雲斎を総大将にして、京都にいた一橋慶喜に尊王攘夷の実行を迫るため軍を進め、11月20日に800人余りの勢力で和田峠を越えてきた。幕命を受けた高島藩は家老千野孫九郎を総大将に総動員し、松本藩350人とともにこれを迎え撃った。この合戦で戦死した者は高島藩6名、松本藩4名、浪士軍は10数名であった。明治4(1871)年、高島藩は浪士軍の戦死塚を造り変えることになり、石工山田金右ヱ門がその碑を刻んだ。現在でも慰霊祭が引き継がれ行われている。

登録日:2022-03-19 投稿者:しんちゃん
撮影場所浪人塚
撮影年月日平成20年代
色調カラー
所蔵者矢澤進一
参考文献生涯学習ガイドブックわが町下諏訪歴史44p
地区コード樋橋
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カテゴリ名文化・町並み
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